JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.02.18
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コロナ禍で不要不急の外出の自粛要請の中で、自分の体力維持も同時に重要であるため
3密(密集、密接、密閉)、そして飛沫感染によるリスクの少ない、屋外の散歩として
マスクの完全着用の下で、2年ぶりに「あたみ桜 糸川桜まつり」に東海道線を利用して
向かったのであった。
熱海駅を振り返る。



「熱海駅前平和通り名店街」に進む。



人の数は少なかった。



そして「糸川」に架かる「御成橋(おなりばし)」に到着。



「梅まつり」と「あたみ桜 糸川桜まつり」の今年のポスター。




由来し、橋には家康公が詠んだとされる句が刻まれていた。



徳川家康熱海入湯句碑
「春の夜の夢さへ波の枕哉」 
慶長9年3月3日 徳川家康。
「春の夜は短くすぐ明けてしまうのにそのはかない夢にもこの地・熱海の波が現れて来たのだ」か。
慶長9年(1604年)3月、家康は2人の子供、義直、頼宣を連れて熱海に7日間滞在、
本陣今井半太夫の湯亭に逗留した。関ヶ原合戦前の慶長2年(1597年)3月にも訪れ、
熱海の湯で天下取りへ心身の疲れを癒した。計2度訪れたと。



熱海市中心部を流れる糸川沿いの遊歩道(糸川遊歩道)には、57本のあたみ桜が植栽されている。
1月には咲き始めるため、「日本でもっとも早く咲く桜」と言われているのです。
熱海市以外ではほとんど見かけることはなく、「門外不出」の桜として知られている。
昭和52年(1977年)には熱海市の木に指定されたのだ。



御成橋から糸川沿いの300m程の遊歩道を下っていくと、最終的に海沿いの
国道135号線(下り)へ出ます。
その間、御成橋 → 新柳橋 → ドラゴン橋 → 桜橋 → 糸川橋 → 柳橋 → 渚橋 と糸川に

橋のデザインはそれぞれ違い、個性的で見ていて楽しいのであった。
しかし、「かつて赤線地区だった一帯のイメージを変えたかった」が様々な橋のデザインの
当初の目的の一つであった事を以前にネット情報から知ったのであった。
下流に向かって左側の道を進んでいく。
すると、今にも動き出しそうなタコの姿が。







「あたみ桜」は既に満開のピークは終わっていたが、まだまだ・・・・。



そして「新柳橋(しんやなぎはし)」へ。



「しんやなぎはし」と。



「新柳橋」の欄干のモニュメントには揺らめく柳の葉の姿が。



熱海桜は花弁が濃いピンク色で花が大きいのが特長で、カンヒザクラとヤマザクラとの雑種と
推定されているのだと。
熱海桜はもともとは日本の桜ではなくてインド原産の寒桜の一種。



そして次に「ドラゴン橋」に。
糸川遊歩道に架かる橋の中でも、一番人気の橋のようだ。



欄干がドラゴンの骨格のように。



「ドラゴン」の後ろから。



「熱海桜」を飲み込むが如き「ドラゴン」の姿を。



「龍」・ドラゴンを題材にした迫力ある欄干。



「大塚実氏顕彰記念碑
この糸川遊歩道は、海と市街地を結ぶ「歩いて楽しめる散策ルート」として整備を
進めてまいりました。
この度、熱海梅園の改修計画へ私財を提供された熱海由縁の篤志家大塚実氏の協力を
得て日本で最も早く咲く「あたみ桜」に統一し梅と同じ時期に開花する、常春熱海ならではの
桜並木となりました。
ここに糸川遊歩道を再生させた大塚実氏へ心からの感謝の意を表すとともに、市街地内の
憩いの場として多くの市民や観光客に利用される施設となるように、この遊歩道を永く
守り育んでゆくことを誓います。」



亀とマンボウのオブジェ。上部は波の姿か。



ズームして。



「桜橋」の手前には「坪内逍遥 歌碑」が。
明治の文豪、坪内逍遥(つぼうち しょうよう 1895-1935)は、水口町の双柿舎に移るまでの
約9年間、この糸川べりの荒宿(現在の中央町)に別荘を新築して住んでいたのだと。
碑文には、
「ちかき山に ゆきはふれヽと 常春日 あたみのさとに ゆけたちわたる せいえう」 と。



再び「熱海桜」を見上げて。



そして「桜橋」へ。



花びらが吹き溜まりへ。



「熱海桜」碑。



「糸川橋 」の麓、これが「糸川あたみ桜 基準木」。



「糸川あたみ桜 基準木」案内板。



「糸川あたみ桜 基準木」案内柱。



「あたみ桜
「あたみ桜」は、明治4年( 1 8 7 1年)頃イタリア人によって、熱海にもたらされたと
伝えられています。その後、先人たちの努力によって殖やされ、現在では市内各所に
植我されています。
「あたみ桜」の品種のルーツは、沖縄原産のカンヒザクラと関西以西の暖地帯に自然分布する
ヤマザクラとの自然雑種であり、開花期は1月で沖縄のカンヒザクラと並んで日本で最も早く
花が咲きます。また、ひとつの枝に早期に開花する花芽と後期に咲く花芽が形成されるため、
開花期間が1ヶ月以上と長いのが特徴です。(一般的な桜の開花期間は1 ~ 2週間)
市制40周年にあたる昭和52年4月には、「市の木」に制定されました。」







ズームで。



「糸川橋」を見る。



欄干には白きカモメの姿が。



更に海岸に向かって進む。



陽光も射し込んで。



「柳橋」。



花びらが海へと。



朝の陽光が差し込み。



「柳橋」の先に海が見え初める。



大きな波の姿か。



そして「渚歩道橋」。



山の尾根の上の「熱海城」が姿を現す。



そして国道135号に架かる「熱海渚橋」を振り返る。





                              ・・・​ もどる ​・・・

                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.02.05 08:15:26
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