JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.05.08
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カテゴリ: 鎌倉市歴史散歩
鎌倉散策 目次 ​』

そして更に進むと左手のコンクリート擁壁には大きな案内板が。
「明鏡山円満院星の井寺」と「舟守地蔵」の案内板。



その上には白地に墨で「南無虚空蔵菩薩」と書かれた多数の幟が。



まずは「虚空蔵菩薩」を祀る「明鏡山 円満院 星井寺」への石段を上る。
幟には、「日本三虚空蔵、丑・寅年生の守本尊」とも。
鎌倉市坂ノ下18-28。



石段下には「本尊虚空蔵菩薩」と刻まれた石碑があった。



石段の上に「明鏡山 円満院 星井寺」の本殿。







「本堂」前に狛犬。



「星の井水神」。



「星井寺」の境内には小さな「舟守地蔵堂」があった。



小さなお堂の中に船の台座に乗った石製のお地蔵様・「舟守地蔵」が立っていた。
昔から海上安全、大漁祈願など、船や水に関係のある人々から厚い信仰を集めていると。



「明鏡山 円満院 星井寺」
高僧行基と縁あると伝えられ歴史ある寺。成就院の境外仏堂となっている。
ご本尊<虚空蔵菩薩> 虚空とは無限の知恵を表し、御真言
<のうぼうあきゃしゃきゃらばやおんありきゃまりぼりそあか>を唱えることで、
頭脳明晰になるといわれる。
*丑・虎年生まれの方の守り本尊




扁額は「明鏡山」。



「内陣」には御本尊の「虚空蔵菩薩」が。



「明鏡山円満院星の井寺(御本尊虚空蔵菩薩安置)
天平年間、聖武天皇の御代に諸国行脚中の行基僧正が当地の古井戸「星月の井」に明るく輝く
明星の光りが移るとのうわさを地元民から聴き、井戸をのぞくと中に虚空蔵菩薩のお姿が写し

かの像は明星の照曜の如き光を放ち、鏡に影の移る如くでありました。以後数百年経って幕下の
征夷大将軍源頼朝公はこの菩薩を崇敬し、この菩薩像を内陣仏の秘仏とし、仏師運慶に外陣仏を
作らせた、これが前立尊であるという。秘仏虚空蔵菩薩はわが国では唯三体の木彫の仏像で大変
貴重な仏像であります。これに加えてこの御仏は明星と一体で、その分身であり限りない知恵を
そなえた御仏で、経典では虚空蔵菩薩は、西方香集世界の教主で娑婆世界の苦難する人々の
利益のために無不畏陀羅尼を説くことを、釈迦・敷蔵の二仏に許された御仏であります。
即ちその本尊に礼するものは三世十方一切の諸仏を礼することと同じであるといわれます。
又、虚空蔵菩薩を本尊として修業する虚空蔵求聞持法では心を静かにしこの真言を唱えれば
天より明星が口に入り、菩薩の威はあらわれて頭脳は明晰となり記憶力は増進するといわれて
おります。秘仏であるが衆生に縁を結ばせるべきでるとして三十五年一度に開帳し衆生に
そのお姿を拝する事が許されました。
近代に至り熱心な信仰者の意に添うようにと毎年正月十三日に開帳し善男善女もそのお姿を
毎年拝することが出来るようになりました。正月十三日の初護摩供養には、丑年寅年の人々の
守本尊として、また、知恵、記憶力をお授け下さる虚空蔵様として地元民をはじめ各地より
善男善女が参詣にまいります。」



以前に戴いた「鎌倉十三佛第十三番」の「星井寺」の「虚空蔵菩薩」の御朱印です。



そして「星井寺」の隣りにあったのが「星の井」。



「舟守地蔵(虚空蔵堂境内安置)
いつの時代に開眼されたお地蔵であるか不明であるが、往年より海上安全、大漁満足、身宮安泰、
海難、水難除け、その他船舶水に関係した一切の事業に従事しておられる人々に大きな功徳を
お授け下さるお地蔵として近郷、近在の人々に深く崇敬されております。
また、その昔より願主の心清く精進すれば願い事を数日で成就させていだける有難いお地蔵様で
あるとも言い伝えられております。
  昭和59年7月
         虚空蔵堂護持会」



「星月井」碑。碑文には
「星月夜ノ井ハ一ニ星ノ井トモ云ウ鎌倉十井ノ一ナリ
坂ノ下ニ属ス往時此附近ノ地老樹蓊鬱トシテ昼尚暗シ故ニ称シテ星月谷ト曰フ後転ジテ
星月夜トナル井名蓋シ此ニ基ク里老言ウ古昔此井中昼モ星ノ影見ユ故ニ此名アリ近傍ノ婢女
誤ツテ菜刀ヲ落セシヨリ以来星影復タ見エザルニ至ルト此説最モ里人ノ為メニ信ゼラルルガ
如シ慶長五年六月徳川家康京師ヨリノ帰途鎌倉ニ過リ特ニ此井ヲ見タルコトアリ以テ
其名世ニ著ハルルヲ知ルベシ水質清冽最モ口ニ可ナリ
 昭和二年三月建 鎌倉町青年団」

【この井戸は鎌倉十井(じゅっせん)のひとつです。星月夜(ほしづきよ)の井とか、星の井とも
言います。この地域の名前は坂の下です。昔この付近は、木が多く昼でも暗いほどだったので、
星月谷(ほしづくがやつ)と言いましが、その後、星月夜に変化しました。
井戸の名前は、多分ここからきたのものです。またここの土地の多くの老人は、次のような話を
信じています。昔はこの井戸の中に、昼間でも星の影が見えたので、この名前が付いていたが、
近所の者が誤って包丁を落してからは、星影がみえなくなったという話です。
1600年6月に、徳川家康(とくがわいえやす)が京都より帰る途中、鎌倉を通り、この井戸を
見たことがありました。その時以来世によく知られるようになったのです。水質は清く冷やかで
飲むのに最適です。】と。



「星月井」、「星の井」、「星月の井」、「十井之一  星の井」と様々な表現が。



「星の井(ほしのい)
この井戸は、鎌倉十井の一つで、星月夜の井、星月の井とも呼ばれています。
昔、(この辺りは山深く、うっそうと木々が繁り、昼でも暗かったため、)この井戸の中に
昼間も星の影が見えたことから、この名がついたといわれています。
奈良時代の名僧・行基は、井戸から出てきた光り輝く石を虚空蔵菩薩の化身と思い、
お堂を建てて虚空蔵菩薩をまつったという伝説もあります。
井戸の水は清らかで美味だったので、昭和初期まで旅人の飲料水として売られていたそうです。
 平成11年12月 社団法人鎌倉青年会議所」



「星の井」には立派な屋根が取り付けられていた。



そして「成就院」の東参道から境内に向かう。



前方に寺号標石と東側山門が見えた。
鎌倉のアジサイ三大名所として知られる有名な階段を上って行った。



寺号標石「普明山 法立寺 成就院」。



「相刕廿一ヶ所 第十三番 弘法大師」と刻まれた石碑。
「弘法大師相模二十一ヶ所霊場」の石碑であるようだ。



新たに出来た東側(長谷側)「山門」。



扁額には「東結界」。



「山門」を潜り更に石段を上って行った。



振り返ると「由比ヶ浜」、「材木座海岸」の姿が。



海岸への人出は少なく。
鎌倉市大町5丁目にある焼却場「名越クリーンセンター」の煙突も見えた。



そして成就院の「山門」が正面に。



扁額は「普明山」。



「宝篋印塔」。



「御朱印」、「護摩祈祷」案内。



「弘法大師像」。
成就院(真言宗大覚寺派)のある地は、弘法大師が100日間にわたって虚空蔵菩薩をまつる
修行を行なった場所といわれ、1219年(承久元年)、三代執権北条泰時がこの寺を創建し、
北条一族の繁栄を祈願したと伝えられている(創建は1221年(承久3年)という説もある。



「本堂」。
成就院は、1219年に鎌倉幕府三代執権、北条泰時(ほうじょうやすとき)によって
建立された寺院。この地は弘法大師が修行をした場所で、一族の繁栄を願って建立されたと。1333年、新田義貞(にったよしさだ)の鎌倉攻めにあい、戦火により伽藍は焼失した。
その後、西ケ谷という場所に移されたが、勢いはすっかり衰えてしまった。
1700年頃、成就院は祐尊(ゆうそん)という僧により再建された。
現在は、アジサイの名所として、鎌倉だけでなく全国的にも有名な寺院となっているのだ。
開山:弘法大師
開基:北条泰時(伝)
本尊:不動明王(縁結び不動明王)
扁額は「成就院」。



以前戴いた鎌倉三十三観音霊場・第二十一番札所「成就院」の「聖観世音菩薩」
の御朱印です。



境内には様々な石碑が。



「成就院建立時の五輪塔の一部」。



「伝文覚(もんがく)上人像
萩原守衛(碌山)が文覚像制作に影響を与えた像」。



「八角堂
聖徳太子千三百年御忌記念に建立」
扁額は「和貴」。



「子安地蔵菩薩 子生石
安産・子育・子授に功徳あり」。



「縁結び不動明王像」



近づいて。



「本尊御分身 縁結び不動明王像
ご縁日 二十八日」。



「本尊 不動明王御分身 護摩祈祷」案内。



「なで蛙
善心廻幸は「善き心幸せを招きかえる」という意味であると。

なでかえる<br />善心廻幸(善き心幸せを招きかえる)という意味だそうです。

「十三重塔」。



手水場。
龍の手水は鎌倉一美しいといわれると。
コロナ対策で休止中。



そして「成就院」を後にして西側の参道を下っていくと、極楽寺坂の反対側に
新しい阿弥陀如来像と五輪塔の姿が確認できた。



ズームして。



五輪塔には梵語が刻まれていた。



五輪塔に刻まれている文字 ・梵字(種字、サンスクリット)は
上から「キャ・空」、「カ・風」、「ラ・火」、「バ・水」、「ア・地」であると。


   【http://www7b.biglobe.ne.jp/~boso/kiisobo/kiiso_04.html】より

こちらも新たに出来た「西山門」が前方に。



潜り西側の「山門」を振り返る。



扁額は「西結界」。



「成就院境内」案内。



「成就院」を後にし、次の「極楽寺」へと歩を進めたのであった。


                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.05.19 15:19:50コメント(0) | コメントを書く
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