JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.08.03
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カテゴリ: 鎌倉市歴史散歩
『​ 鎌倉散策 目次 ​』
【​ 鎌倉の寺社リスト ​】 👈リンク

藤沢鎌倉線を先に進むと前方に「大仏前」交差点が。



左に入り「鎌倉大仏殿・高徳院」の「仁王門」に向かって進む。
鎌倉市長谷4丁目2−28。



「聖武帝草創 東三十三箇国 総国分寺 大佛」碑。
【右】享保元 丙申 稔九月二日再興開闘
【左】本尊仏腿1庫裂並仏具器財等建主施主野島氏 三界万盆同生極楽 高徳院浄泉寺
【裏】天照山五十六主南無阿弥陀佛演巻智願悔阿(花押)
と刻まれた石碑が参道左側に。




「鎌倉大仏坂記
鎌倉之為地南瀕海環東西北皆山也有七路鑿山通之其西北之路曰大仏坂最険且隘負擔過之者
不数歩而口喘背汗矣郷父老三矯小左衛門矢澤小左衛門徳増七三郎等二十餘名相謀募金修之
官嘉其志賜以金百圓明治己卯夏五月興役至庚辰春三月竣功凡五町之間削両崖三丈畳石
以防崩壊而得平坦者八十餘歩廣可容二軌用工二千三百五十餘人費金一千餘圓昔之口喘而
背汗者今則謳歌而過焉衆皆徳之夫施恵於人者金帛為小修道路為大以其迨于久遠也小左衛門
等二十餘人能擇其大者率先成功可謂偉矣余及記其事以勤石郷人之志也
明治十四年五月 阿波 伊藤士龍撰並書」
と刻まれているのだとネットから。



そして正面に「仁王門」
高徳院(鎌倉大仏)の「仁王門」は、18世紀初めに他所から移されてきたものと考えられ、

再建年:1758年(明和五年)頃
建築様式(造り):八脚門
大きさ(幅):約7.3m (中央約3.3m、両脇各約2m )




「高徳院境内図」。



「仁王門」の両側には朱の「仁王像(金剛力士像)」が。
残っている史料によると、高徳院がほぼ全焼した江戸時代の1742年(寛保ニ年)の火災や、
同じくほぼ全壊した1923年(大正十ニ年)の関東大震災の際も、
この「仁王門」は失われず、その形を留めたと。



扁額は「大異山 (だいいざん) 」。
高徳院の正式名称は「大異山 高徳院 清浄泉寺」。



仁王像は、平成23年秋に吽形像の頭部が破損したため、阿形像ととに修復が行われた。
約2年の修復作業を経て、平成26年春、再び「仁王門」に戻って来たと。
「仁王像」(金剛力士像)・阿形像。
制作年:江戸時代中期( 1742年(寛保ニ年)頃か)
仁王像の造り:木造寄木造
阿形像の大きさ:250.0cm、重さ:195kg



お顔をズームで。



横から見上げて。



吽形像
吽形像大きさ:242.2cm、重さ:187kg。



お顔をズームで。



横から見上げて。



大佛側から見た「仁王門」。裏側の間口には何も置かれていなかった。



「文学案内板
高徳院境内
境内にある文学碑について紹介します
◯与謝野晶子歌碑
かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は
美男におはす夏木立かな   晶子
与謝野晶子 歌人 一八七八年堺市生、一九四ニ年没。新詩社の社友
となり『明星』て活躍。「みだれ髪」の奔放自由な歌風は一世を風靡した。
〇星野立子句碑
大佛の冬日は山に移りけり  立子
星野立子 俳人 一九〇三年東京生、一九八四年没。高浜虚子の次女。
父の薫陶を受け「ホトトギス」で活躍。俳詩「玉藻』を主宰。
〇金子薫園歌碑
寺々のかねのさやけく鳴りびびきかまくら山に秋かぜのみつ
金子薫園 歌人 一八七六年東京生、一九五一年没。落合直文の門に入り、
和歌革新運動に参加。
〇飯室謙斉句碑
春の雨かまくらの名も和らぎて
飯室謙斉 医師 一八八三年山梨県生、一九ニ八年没。高浜虚子から俳句を学んだ。
〇吉屋信子句碑(高徳院墓地)
秋燈下机の上の幾山河   信子
吉屋信子 小説家 一八九六年新潟県生、一九七三年没。「海の極みまで」で文壇的地位を確立。
代表作に「花物語」「徳川の夫人たち」がある。」



「鎌倉市観光案内図」。



「私たちの宗旨
名稱  浄土宗
宗祖  法然上人[源空](西暦一一三三~西暦一ニ一ニ年)
開宗  承安五年(西暦一一七五年)
ご本尊 阿彌陀佛[無量壽佛]
稱明  南無阿彌陀佛
教え  阿彌陀佛を深く信じてひたすら南無阿彌陀佛と稱えるだけで、どんなに罪深い人でも
    必ず救われて明るい毎日を送り浄土に生まれることができる教えです。
お經  お釈迦様が説かれた無量壽經、観無量壽經、阿彌陀經の三部經をよりどころとします。」



正面の門の名は「??門」
手前には「阿吽」ではなく「阿阿」の狛犬一対。
由来記には
『1979.4月中華民国台中西北扶輪社(ロータリークラブ)の一行が鎌倉西ロータリークラブとの
友好倶楽部結縁を記念して当地に来訪された際、大佛の慈愛と尊嚴さにいたく感銘を受け高徳院
大佛殿に台湾特産の白色大理石に依る呵、吽狛犬一対寄贈の意向を表明された。
1980.5月完成し開眼供養除幕式を行った。大佛殿護持佛心の絆を以って
国際親善、両クラブ友好の象徴として末永く鎮子することを祈念する。』と。



受付・参拝券券売場。



御参拝券。



「鎌倉大佛の名で親しまれてる高徳院の本尊、国宝銅造阿弥如来坐像は、一ニ五ニ
(建長四)年から十年前後の歳月をかけて造立されたとみられる。制作には、僧淨光が
勧進した浄財が当てられたという。鋳工として丹治久友、大野五郎右街門の名を記す
史料もあるが、原型作者を含め、創建に関わる事情の多くは謎に包まれている。尊像を
収めていた仏殿は、一三三四(建武元)年と一三六九(応安ニ)年に大風で損壊したらしい。
ー五世紀以後、同仏殿が再建された形跡は認められない。
台座を含む総高約十三.四m、仏身高約十一.三m 重量約一ニ一t
鎌倉大佛殿 高徳院」と御参拝券の裏には。



「手水舎」はコロナ対策で閉鎖中。



ここにも「高徳院案内図」。



「鎌倉大仏」を正面から。
外部からは全く見えない大仏の姿がようやく目の前に。



そして左にあった木々の下には様々な石碑が立っていた。



大きな松の樹。



「暹羅國皇太子殿下御手植之松」碑。
【裏面】明治三十五年十二月廿七日植樹 鎌倉大佛殿別當 轉法輪行念建碑



「タイ王室来院記念樹
明治35(1902)年12月27日に来院されたタイ王国皇太子Maha Vajiravudh毅下
(のちのRamaⅥ世)はここに松の木を植樹されましたが、惜しくも同紀年樹は2009年9月に
虫害に遭い、手当ての甲斐もなく枯死に至りました。この松の木は、タイ王国Bhumibel
Adulyadej国王陛下の勅命に生り、2010年7月3日、Virasakdi Futrakul駐日夕イ王国特命
全権大使が植樹された代替木に当たります。」



「タイ国皇太子殿下 御手植松」。



「タイ国皇太子殿下 御手植松 昭和六十ニ年九月二十五日」



「タイ国のワシラロンコーン皇太子が昭和六十ニ年九月二十五日に
御来院を記念に御手植された松」と。



まだ細いこの木は。



「シュリ・チンモイ・ワンネスピース・ツリー(世界平和のために捧ぐ)染井吉野」。



「飯室謙斉 句碑」
 春の雨 かまくらの名も 和らぎて
【裏面】奉寄進境内敷石五十七間 為種杏院殿遜窓謙斉大居士菩提
            鎌倉町大町塔之辻百八十番地 故医学士飯室立遺族
            昭和八年四月十九日建立



「暹羅國皇帝陛下御手植之松」碑。
【裏面】昭和六年四月九日 暹羅國両陛下御手植 材木座石工 杉山簾次



「シャム(現タイ王国)のプラチャティポック国王陛下(ラーマ7世)が昭和六年四月九日に
ランパイパンニー王妃殿下と共に御来院を記念に御手植えされた松」。



「六観音御施主増上寺演誉大僧正 南無阿弥陀佛」碑。
【右面】
梵字
金五百両明蓮社大僧正顯誉祐天大和尚
金五百両光寿院殿明誉月清貞松大姉
金五拾両雄蓮社大僧正松誉詮察大和尚
金五両本山五十七主学誉上人冏鑑大和尚
【左面】
梵字
右者 増上寺演誉大僧正御世話  山一ヶ所
享保元丙丁申酉両年之内御寄付 施■■
仰蓮社信誉上人法察和尚
金三拾両光安院殿浄屋養清大姉正徳壬辰十二月十四日
金十五両御両人松誉春香院■産■



「金子薫園歌碑」
寺々のかねのさやけく鳴りひびきかまくら山に秋かぜのみつ
昭和七年十一月 金子薫園
【裏】昭和七年十月 雑誌「光」十五周年に際し記念として門人等相計り之を建つ



「梵字 南無阿弥陀佛源家一門無縁諸霊位」碑。
【裏面】大正八年三月 鎌倉大佛殿別當轉法輪行念



「奉寄進境内敷石 施主江戸飯田氏女」
【右面】法名清浄院宣誉得法大師
【左面】維時安永九庚子歳四月造立之
【裏面】當山現住彰誉然的代 石工江戸八丁堀伊勢屋丁右衛門



そして大佛に向かって進む。



「國寶 鎌倉大佛」碑。



【裏面】眞覚院釈圭浄居士一周忌志 大正十季十月二十三日建立



「大仏様」をズームで。
建造当初は金色に輝いていたと推定されている鎌倉大仏。
金箔とも鍍金(メッキ)とも言われているのだ。



大きな青銅製灯籠一対(左)。



大きな青銅製灯籠(右)。



灯籠(左)奥に十三重石塔。



蓮の彫刻と大佛のコラボ。



大仏前の蓮常花(三世の蓮)一対(左)
三世の蓮はそえぞれ蓮の実(過去・前世)、花(現在・現世)、蕾(未来・後世)を
表すのだと。



蓮の彫刻(右)。



「阿弥陀三尊香炉」。



大仏前の「阿弥陀三尊香炉」には、阿弥陀如来の脇侍(きょうじ)の観音菩薩(左)と
勢至菩薩(右)のレリーフが。



近づいて。




                              ・・・​ もどる ​・・・


                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.05.19 16:06:26
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