JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.08.29
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カテゴリ: 鎌倉市歴史散歩
『​ 鎌倉散策 目次 ​』
【​ 鎌倉の寺社リスト ​】 👈リンク

「妙本寺」を後にして南に進むと左手にあったのが「常栄寺(じょうえいじ)」の山門。
鎌倉市大町1丁目12−11。
この寺は別名「ぼたもち寺」の名で知られている。
この寺の裏山は源頼朝が由比ガ浜を眺めるための桟敷(展望台)を設けたところといわれている。
以前に何回か訪ねた「​ 常栄寺(ぼたもち寺) ​」👈リンク であったので、この日は
境内には入らなかった。



その次に訪ねたのが「三神山妙法教会」。

この日は、まだ門が閉まっていた。



日蓮宗寺院の妙法教会は、三神山と号す。妙法教会は、円妙院日弘が大正5年に創建したと。



その先にあったのが「八雲神社」。



後三年の役の際、源義家の弟、新羅三郎義光(しんらさぶろう よしみつ)が京都祗園社の祭神を
勧請したのが起源といわれる「​ 八雲神社 ​」👈リンク。
厄除けの社として地元の住民に愛されていると。



そして次の「教恩寺」に向かって鎌倉市大町1丁目の住宅街を進む。



T字路を右に曲がると正面に「教恩寺」の「総門」が現れた。
鎌倉市大町1丁目3−4。



「時宗 教恩寺」。

鎌倉に時宗の寺院は少なく、十二所の「光触寺」、西御門の「来迎寺」、山ノ内の「光照寺」、
材木座の「向福寺」「来迎寺」、大町の「別願時」とここ「教恩寺」の七寺院である。



「総門」の欄間に見事な十六羅漢が彫刻されていた。
裏面には牡丹の彫刻が。



ズームして。

見事!です。<br />近づいて しっかり拝見!<br />





「掲示板」には手書きの「時宗 教恩寺」の案内が書かれていた。



「時宗 教恩寺
この寺のあらまし
   一遍上人がお開きになった宗派で、「南無阿弥陀仏」のお念仏をお唱えすることを
   本分とします。
   総本山は藤沢の遊行寺です。
【本尊】阿弥陀三尊
   (神奈川県指定文化財)
   阿弥陀如来・観音・勢至菩薩の立像で源頼朝が平重衡に、平家の菩提を弔うように
   与えられたと伝わる。
【山門】
   正面に十六羅漢・裏面に牡丹の彫刻が施してあるのが見所である。
【開基・開山】
   開基は北条氏康(小田原北条の三代目)で、開山は知阿上人と伝わる。
   その昔は、浄土宗大本山である材木座の光明寺境内にあったが、延宝6年(一六七八年)
   貴誉上人の時に現在地に移されたと伝わっています。



「平重衡とのゆかり
平重衡は、平清盛の子(五男)で、その容姿を牡丹の花に例えられ、ユ一モアのセンスもある
優しく爽やかで、しかも凛々しく武勇を誇る平家の副将軍だったといいます。
重衡は、源平の合戦で、平氏が敗れ、撤退の際、梶原景時に捕らえられ、捕虜として鎌倉へ
護送されたのですが、源頼朝の尋問に対しても、武将らしい堂々たる態度と優雅な物腰の
立派な人柄は、頼朝を感嘆させ、捕虜の身でありながら、特別な待遇を受け、頼朝の仕女である
千手を侍らし酒宴を許されたという。
この酒宴が縁で、重衡と千手のニ人は恋に落ち、重衡が護送されるまでのつかの間、癒された
日をごす事が出来たといわれます。
やがて、重衡は奈良へ護送され、文治元年(ー一八五年)六月ニ十三日、木津川のほとりで
斬首処刑されたのですが、その後の千手の足取りは定かではなく、悲しみのあまり床に伏し、
そのまま生涯を閉じたとも、又出家したともいわれ、消息不明となってしまったと言われる儚い
悲恋の逸話があり、その酒宴を催された場所が今の教恩寺と伝わる。」



「静かな住宅地に佇む 中座山教恩寺」。



「祈 一日も早く元の生活が戻って来ますように祈願します 当山主」。



「山門」を潜ると、参道に覆いかぶさるようなタブの木があった。



参道脇に、瓦葺きだった頃の「本堂」の立派な「旧鬼瓦」が保存されていた。
中央部には時宗の宗紋が。
時宗の宗紋は、「折敷に三文字紋」、「隅切三(すみきりさん)」。
これは一遍上人が出られた伊予の河野氏の家紋から採られた。
稲葉家の家紋は、「折敷に三文字紋」、時宗の宗紋と同じなのである。



参道脇の「動物供養塔」。



参道脇に「墓石」が並ぶ。



「無縁塚」であろうか。



「勝軍地蔵尊」が下半身を土の中に嵌り(はまり)、立っておられた。



境内の石仏。

教恩寺の御朱印・アクセス情報(神奈川県鎌倉駅)(時宗)|ホトカミ

「歴代和尚之塋(はか)」。



教恩寺本堂の屋根の蕾付き牡丹の飾り瓦が保存されていた。



「本堂」。



向拝虹梁上の見事な龍の彫刻。

鎌倉教恩寺-2013年春』鎌倉(神奈川県)の旅行記・ブログ by ドクターキムルさん【フォートラベル】

木鼻。
木鼻とは木の先端という意味の《木端(きばな)》が転じて《木鼻》に書き換えられたもの。
木鼻の取り付けられた場所で一番多いのは、向拝正面の水引虹梁が向拝柱の左右へ頭貫した部分、
虹梁が向拝柱を頭貫し前方へ飛び出したところである。

鎌倉教恩寺-2013年春』鎌倉(神奈川県)の旅行記・ブログ by ドクターキムルさん【フォートラベル】

山号の「中座山」。



「本堂内陣」。
本堂に安置されている阿弥陀如来像は鎌倉時代前期の物で運慶作と伝えられている(県重文)。



「鎌倉三十三観音 第十二番 聖観音菩薩立像」。



永代供養塔「和敬塔(わけいとう)」。



「本堂」の横にも墓石が並ぶ。



寺務所・庫裡。



以前に頂いた「鎌倉三十三観音霊場 第十二番 教恩寺」の「聖観世音」の御朱印です。



そして以前に訪ねた「​ 金子サト記念碑 ​」👈リンク を再び。



「滑川」にかかる「大町橋」からJR横須賀線、斎場・カドキホールを見る。



「おおまちばし」。



「滑川」



鎌倉・葉山線を東に進み「大町四ッ角」交差点を左折するとその先にあったのが
朱の橋・「魚町橋」。

282回 鎌倉に日蓮上人の足跡を訪ねる(鎌倉市)-9月25日 – 茅ヶ崎郷土会

「いをまちはし」。
「魚町」(いおまち)の地名は、1265年(文永2年)に指定された小町屋の中の一つに
その名がみられ、1850年(嘉永3年)版の「鎌倉一覧之図」には、大町四ツ角の南に
「魚町橋」と記されている と。



小さな流れの「逆川(さかさがわ)」
流れを「逆川」というのは、北から南へ流れることが普通である鎌倉市内の川が、この近くでは
地形の関係から南から北に向かって流れていることによるのだと。



その先右手にあったのが「町屋阯」碑。
「此邊ハ往昔ニ於ケル鎌倉繁榮當時ノ賈區ニシテ其中央ノ通衢ヲ大町大路ト呼ビ
其他米町辻町魚町名越等ノ區分アリ夫々町屋ノ在リシ所トオボシク其ノ稱ハ屡々
東鑑ニ見エ今ニ其名ヲ存ス
昭和十一年三月建 鎌倉町青年團」


【この辺りは、昔の鎌倉繁栄当時に商売屋が多く集まった所であり、その中央の大通を
大町大路と呼んでおり、その他には、米町、辻町、魚町、名越などの区域がありました。
それぞれの町屋のあった所と思われ、しばしば吾妻鑑(あずまかがみ)に書かれています。
現在でもその名前が残っています】



そしてすぐ先ひだりにの路地に入ると鎌倉十橋の一つ「逆川橋(さかさがわばし)」があった。
これが「鎌倉十橋 」の一つかと目を疑うような規模の橋なのであった。



「逆川橋」。



鎌倉の川は山から海へと、北から南へと流れているのが多い。
逆川の場合は地形の関係か ら川の一部が南から北へと他の川とは逆方向に流れ、その後は
大町と辻町の境の魚町橋より南西に向きを変え、上河原付近より滑川に合流している。
この様な事 から逆川なる名が付いたと考えられている と。




                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.05.19 16:18:36
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