JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:「市制70周年 佐倉花火フェスタ2024」へ(その5)(09/08) 矢張り有料席から見ると正面から見るので…
jinsan0716 @ Re[1]:「市制70周年 佐倉花火フェスタ2024」へ(その3)(09/06) オジン0523さんへ ありがとうございます…
オジン0523 @ Re:「市制70周年 佐倉花火フェスタ2024」へ(その3)(09/06) そして9:20になり、カウントダウンが始ま…
jinsan0716 @ Re[1]:旧芝離宮恩賜庭園 へ(その3)(08/06) オジン0523さんへ 書き込み、ありがとう…
オジン0523 @ Re:旧芝離宮恩賜庭園 へ(その3)(08/06) 根府川山は根府川に関係あるのですかね

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2022.09.07
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カテゴリ: JINさんの農園
ーー​ ​​​​ がこの日・(その27)の散策ルート。



「神奈川県立歴史博物館」を後にして、本町通りから再び「旧第一銀行 横浜支店」を見る。



本町通り「本町四丁目」交差点手前から「 旧富士銀行横浜支店 」を交差点越しに見る。
神奈川県横浜市中区本町4丁目44。



「本町四丁目」交差点を渡り、「旧富士銀行横浜支店」前まで来る。



現在地はここ。



「旧富士銀行横浜支店
ルスティカ積みの外壁に、ドリス式オーダーの付柱と半円形窓が組み合わされて配されている。
安田銀行は大正末から昭和初期にかけて、ほぼ同じスタイルで各地に支店を建てているが、

所在地:中区本町4-45
構造・規模:RC造り2階
建築年代:昭和4年(1929)
設計:安田銀行営繕課
施工:昭和土木建築



トスカナ式の列柱に大理石、アーチ窓、雷紋等の重厚な建物とレトロなデザインが
見ごたえ十分。



入口の上部には「東京芸術大学」の銘板が嵌め込まれていた。
現在は 東京芸術大学 大学院映像研究科 馬車道校舎 の施設として利用されているようだ。



扉の彫刻が、重厚感たっぷり。




元安田銀行 横浜支店」。
建築年 1929(昭和4)年
1953(昭和28)年増築
設計者 安田銀行営繕課」



本町通りを進むと右にあったのが「
後ろに建つ高層ビルは「D’ グラフォート横浜クルージングタワー」という高層マンション。
神奈川県横浜市中区本町4-41



イオニア式オーダーが銀行らしい重厚な印象を与える建物で横浜市認定歴史的建造物だが、
いわゆるファサード保存した、日本興亜馬車道ビルと同じく「かざぶた建築」の物件。
新築の高層ビルに昔のレトロな外壁を貼りつけるこの方式は、「かざぶた建築」ともいわれる。
設計は日本興亜馬車道ビルを設計した矢部又吉。
横浜市認定歴史的建造物の鉄筋コンクリート造り、2階建て。



重厚な黒の入口。



「横浜市認定歴史的建造物
旧東京三菱銀行横浜中央支店(元第百銀行横浜支店)
復元:2004(平成16)年
旧建物建築年:1934(昭和9)年
旧建物設計者 :矢部又吉



その先、みずほ銀行横浜支店横にあったのが「 横浜為替会社 」設立の碑。
明治3年(1870年)の火災で焼失後明、この地に明治4年(1871年)に再築された
横浜為替会社の建物。
(写真は、明治38年(1905年)発行の横浜商業会議所月報に掲載された第二銀行時代のもの)
明治2年(1869年)、本町三丁目に横浜為替会社が設立された。
「為替会社」は、「BANK(銀行)」の訳語であり、わが国近代銀行のはじまりとされ、全国に
8社(東京、横浜、京都、大阪、神戸、大津、新潟、敦賀)設立された。
横浜為替会社は、全国の為替会社の中で唯一、洋銀券(ドル紙幣)を発行したほか、
金券・銀銭札という紙幣を発行するとともに、生糸売込商等の横浜商人の資金需要に応じた。
横浜以外の為替会社7社は、数年で解散に至ったが、横浜為替会社は、開港間もない明治初期の
横浜に不可欠な金融機関となっていった。
このため、横浜為替会社は、国立銀行条例公布に際し、横浜商人からの請願により、明治7年
(1871年)、解散することなく、第三国立銀行に組織変更することになる。
第二国立銀行は、主に横浜商人の出資により設立された銀行として、引き続き洋銀券を発行すると
ともに、資金面で横浜の生糸等の産業を支えた。
なお、第二国立銀行は、その後、国立銀行の営業満期により第二銀行となり、昭和3年(1928年)、
横浜興信銀行(昭和32年(1957年)横浜銀行に名称変更)に営業を譲渡した。
平成22年12月 財団法人 横浜観光コンベンション・ビューロー」



「横浜為替会社」。



そして道路の反対側にあった結婚式場「 カサ・デ・アンジェラ 」を見る。



その先、「本町三丁目」交差点の角にあったのが「 旧横浜銀行集会所 」&「 (社)横浜銀行協会



正面から。
戦前は横浜正金銀行本店を始め、 三井・住友・安田・第一・三菱の、当時で言うところの
五大銀行が店舗を構えていた一帯だった。そのような横浜の金融の中心街である本町通りに、
銀行員の親睦・保養を目的として昭和11年に建てられたのが、この「横浜銀行協会 だったと。
アールデコ調の直線的なデザインで纏められている。



横断歩道を渡って。
社団法人 横浜銀行協会 」、「 横浜銀行倶楽部 」のそれぞれの銘板。




アールヌーヴォー調な花模様のレリーフ装飾がエレガント。



「横浜銀行協会」前から先程訪ねた「旧東京三菱銀行 横浜中央支店」を見る。



「みずほ銀行横浜支店」を見る。



さらに「本町通り」を「日本大通り」方面い進み「本庁二丁目」交差点を渡り右に折れた
場所に案内板があった。



生糸貿易商 中居屋重兵衛店跡
中居屋重兵衛は、上野国吾妻郡中居村(現在群馬県吾妻郡嬬恋村三原)の出身で、横浜が開港した
安政6年(1859)に横浜に進出し、黎明期の生糸貿易を担った貿易商です。その取引量は全輸出
生糸の過半を超え、幕末の生糸貿易は中居屋によって支えられました。彼の店には全国各地の
商人が生糸を持ち込み、多くの外国商人が生糸買付けに訪れたと伝えられます。
文久2年(1862)に刊行された「横浜開港見聞誌」は、中居屋の店の様子について、商談に訪れる
外国人の目を楽しませるために、金網を張った中庭に小鳥を放ち、座敷の廻りにはガラス張りの
大きな水槽を置き、金魚を泳がせていたと記しています。豪商中居屋の隆盛を伝える記述です。
中居屋は横浜発展の礎を築いた人物であり、明治時代になると、その事業は多くの生糸貿易商に
引き継がれました。そして、横浜は日本最大の貿易都市に成長していきました。現在、中居屋の
活躍は遠い過去のものになってしまいましたが、この地が中居屋重兵衛の店があった場所として
永く後世に伝えられることを願っています。
平成15年(2003)10月26日
群馬県吾妻郡嬬恋村 中居屋重兵衛顕彰会」



ここから引き返して「本町三丁目」方向に進む。
左前方に「旧東京三菱銀行 横浜中央支店」を見ながら進む。



現在地はここ。



再び結婚式場「カサ・デ・アンジェラ」を見る。



「カサ・デ・アンジェラ(Casa d' Angela)」。



1階内部の階段。



結婚式場のステンドグラスをネットから。



「本町4丁目」交差点まで戻る。
交差点角の横浜第一ビルディングの前にあったモニュメント。



「本町四丁目」交差点を右折して「万国橋通り」を進む。
左にあったのが「 横浜第2合同庁舎 」。
神奈川県横浜市中区北仲通5丁目57。




高さ:23階
延べ床面積:74,048㎡
建築主:建設省関東地方建設局
設計:関東地方建設局営繕部
施工:大林組など
国の出先機関が入る高層合同庁舎。万国橋通りと本町通りが交わる馬車道の交差点に面しており
高い視認性をもつ。 農林水産省、厚生労働省、国土交通省などの関連団体が入居、 関東一円を
カバーする第三管区海上保安本部も置かれている。完成当時は全国で最も大きな合同庁舎だった。
低層の赤レンガの建物は旧・横浜生糸検査所(のちに横浜農林水産総合庁舎)。
1926年の竣工で横浜市認定歴史的建造物に認定されている。」



元は1926年(大正15年)に再建された横浜生糸検査所で、横浜市認定歴史的建造物として
認定されている。
赤煉瓦の壁面・柱と白いセメント部、そして規則的に並んだ縦長窓がリズミカル。
正面玄関上部には、モスラのような蚕の成虫をモチーフにした紋章が設けられていて、
マユからパカッと菊の紋章が出てきているデザインがユニーク。



奥の高層棟から独立して立っており外観は忠実に復元されているのだ と。



次の交差点から「ランドマークタワー」が見えた・・・が、ややお疲れ気味の私であった。



そして手前にはこの日の運転を開始した「ヨコハマエアーキャビン」の8人乗りキャビンの姿が。
神奈川県横浜市中区海岸通5丁目25−3。



その先にあったのが「アパホテル&リゾート横浜ベイタワー」。
地上35階、地下2階、高さ135.04m、客室2311室の超高層ホテル。
1棟の建物としては日本最大の客室数と。 設計は久米設計と新居千秋都市建築設計、
施工は大林組。 2019年9月20日に開業。



右手入江には屋方船の係留場所かつ居酒屋になっているようであった。



「万国橋」手前から「みなとみらい」の高層ビル群を見る。



「クイーンズスクエア横浜」と「キャビン」。



「横浜ランドマークタワー」を入れて。



右手には横浜税関の緑青色のシンボルドーム「クイーンの塔」と「横浜マリンタワー」の
先端が見えた。



再び296mの「横浜ランドマークタワー」。



ばんこくばし(万国橋) 」。



「万国橋」の奥に「汽車道」の「港二号橋梁」が確認できた。



「万国橋」交差点の先にはショッピングモール「横浜ワールドポーターズ」が。



右手には「赤煉瓦倉庫」の屋根が。



ナビオス横浜(横浜国際船員センター) 」。
「横浜国際船員センター」とも呼ばれ、一般財団法人日本船員厚生協会が運営する
船員・海事関係者のための福利厚生施設であるが、一般の人も利用可能であるとのこと。



ホテルの下部には吹き抜けがあり、遊歩道として汽車道が整備されている。
この吹き抜けは「絵画の額」をモチーフとしており、運河パーク側からは
横浜赤レンガ倉庫など「古き良き横浜」の景色が、反対の新港中央広場側からは
横浜ランドマークタワーなど「新しい横浜」の景色が絵画のように見える設計となっている。



大型原油輸送船「高岡丸」の錨



この錨は(株)アイ・エイチ・アイ・アムテック横浜工場の寄贈によるもので、
石川島播磨重工業(株)横浜工場で1971年に建造され中近東から日本へ原油を運搬した
大型原油輸送船「高岡丸」(全長316m、幅50m、深さ25.5m、載貨重量215,850K/T)に
備え付けられていたものと同型のものです。
錨の重量は18.27K/Tで長さは4.8m、幅2.9mあります。
我々日本人は、1トンは1,000キログラムであると教わって来たが、欧米では異なったトンが
存在したのです。即ち、日本人の考えるトンは正式にはメトリック・トンと呼ばれるもので、
次ぎの通りとなります。
M/T = M/Ton = Metric Ton = K/T = K/Ton = Kilo Ton = 1,000kgs.
= 1,000 kilo grams = about 2,204.62 lbs (lbs = pound)。
よって18.27K/Tは18.27TONのこと。



裏側から。



ホテルの下部の吹き抜けを抜けて、レールが遺っている「 汽車道 」を歩く。



そして「 ヨコハマエアキャビン 」の「キャビン」を見上げる。



全長   : 約1260m(片道630m)
最高高さ : 約40m
キャビン数: 36台
定員   : 8人乗り(×36台=288人)



大観覧車「コスモクロック21」を背景に。
全高     :112.5m
回転輪直径  :100.0m
1回転所要時間 :約15分
乗員数    :8人×60台
定員     :480人



                                                                                        ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.09.07 13:07:28
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