JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

PR

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Comments

aki@ Re:秋の神宮外苑、麻布、増上寺を歩く(その4):国立競技場-2(01/18) この様な書込大変失礼致します。日本も当…

Favorite Blog

蓮の花、カラスビシ… New! 隠居人はせじぃさん

山北町の寺社史蹟巡… New! オジン0523さん

【ONCA COFFEE ・ … Gママさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん
noahnoah研究所 noahnoahnoahさん

Calendar

2022.12.01
XML
カテゴリ: JINさんの農園
「長樂寺」を後にして「国道129号」に向かって進む。
右手にあったのがこの後に訪ねた夕陽ヶ丘にあった「善性寺」の墓地への裏門。



「湘南ひらつか七夕まつり」をデザインした下水マンホール蓋。
中央の平塚市の市章の中に下水の下の字を入れたもの、町名は「幸町」。
下部に「合流」の文字、合流管マンホールの蓋。
合流とは雨水と汚水を集めて流す下水道のこと。



そして「国道129号」に出て右折して進むと、前方には「 平塚聖書 バプテスト教会 」と。



「平塚聖書 バプテスト教会」。




「「聖書」を【誤りのない唯一の神のことば】と信じて人生の最大の拠り所とします。
「バプテスト」は16世紀にプロテスタント教会が生れる前からカトリック教会に属さないで
聖書の教えに従って来たクリスチャンたちの呼び名で、イエス・キリストを信じた人が
全身を水に浸すバプテスマを受けて教会のメンバーに加わることが特徴です。
日本では馴染みが薄いですが、アメリカではバプテスト教会は最も大きなキリスト教の教派の
一つとなっています。
“I have a Dream”の演説で有名なキング牧師はバプテスト教会の牧師でした。」とネットから。



既に終わっている案内が・・・・。



教会の前にあった菊は満開を迎えていた。







そして綿の花も。



ハイビスカスに似た花も美しいが、花がしぼんでから1か月ほどで果実が割れ、中から




次の目的地の「乗蓮寺」に向かって「札場町」の住宅街を進む。



そして「 乗蓮寺 」に到着し「山門」を見る。
平塚市札場町15−26。



寺号標石「花翁山 乗蓮寺」。




丸彫石像は大変珍しく貴重なものとのこと。元々は「三嶋神社」にあったといわれます。
右側の阿形像。
草鞋を首からぶら下げていた。



左側の吽形像。



「山門」を潜り境内に。



左側にあった「六地蔵」。



近づいて。



地蔵尊。



こちらも。



その横にお堂があった。



中を覗くと、中央に三界萬霊、右に地蔵尊、左に水子地蔵が祀られていた。



「本堂」の手前に立つ角塔婆。



近づいて。
この角塔婆も「回向柱」と呼んで良いのだろうか。



「宝篋印塔」。
宝暦13年(1763年)の建立と。



弘法大師像。
台座には「南無大師遍照金剛」と。



近づいて。



「萬霊塔」。



「本堂」。
「花翁山 観音院 乗蓮寺」
創立年時は不詳。
元禄十六年火災のために灰燼に帰したことが過去帳に記されている。以後の過去帳は現存する。
大正十二年九月一日の関東大震災により堂宇が倒壊。
昭和五年四月復興落慶し、太平洋戦争の戦火は免れて現在に至る。
本尊は行基作と云われる「十一面観音像」。本尊開帳は十二年毎、丑年に行われる。
相模新西国三十三観音霊場第17番札所。
御詠歌「朝日さす夕陽輝く乗蓮寺菩薩もここにあしをとどめん」



本尊:行基作と云われる「十一面観音像」をネットから。



「本堂」の彫刻も精細であった。



賽銭箱に「花翁山 乗蓮寺」と。



「五重塔」。



青空に映えて。



「花翁山 乗蓮寺
 御本尊  十一面観世音菩薩
 宗 派  真言宗
 宗 祖  弘法大師(空海)
 御宝号  南無大師遍照金剛
教義と信仰
 宇宙のすべてのものは、大日如来のいのちの顕れであり、このいのちの世界をあらわして
 いるのが曼荼羅です。
 真言宗の教えは、いのちの平等と尊厳をさとり、大日如来の智慧をこの世に実現するために、
 生かせいのちを実践し共存共生の世界をめざすことにあります。
 本宗の御宝号念誦運動は、弘法大師の共利衆生の精神に立って、すべてがいのちを共にして
 いる社会の福祉をめざす具体的な活動です。
 弘法大師は未来永劫にわたって衆生を救済すると御誓願され、高野山奥之院に入定留身されて
 います。同行二人の信仰のもと、大師の御教えをこの世に生かし実現することが、私たちの
 務めであり喜びです。」



「聖観音菩薩像」。



正面から。



お顔をズームして。



「南無ぽっくり地蔵菩薩」。
「ぽっくり」とは年齢を重ねた人が下の世話など周囲に迷惑をかけず、自分も苦しまずに
成仏する事と理解しているが・・・・。



近づいて。
「相模新西国十七番札所」とも書かれた幟があった。
平塚、秦野、大磯、二宮の2市2町に点在する「相模新西国三十三観音」。
1745年以降、丑(うし)年に現在の32寺院に安置されている三十三観音が開帳され、参拝者に
よる札所巡りが行われて来たのだと。



境内から「山門」方向を見る。



「本堂」の南側には広い墓地が拡がっていた。



「内藤大和守景豊供養塔」。
右側には「大日如来像」が蓮弁台座に坐していた。
市内でニ番目に古い寛文13年(1673年)の建立で、保存状態が良く見応えがあった。



「須賀の伊勢市
伊瀬屋市良右衛門を略して伊勢市と言いました。市良右衛門の父は佐藤伝左衛門豊成といい
相州津久井城主内藤大和守景豊の臣で主従も北条氏に属していました。
天正18年寅年(1590)の春、白根の戦いに豊臣勢を破って、軍功があったため、伝左衛門は
大和守から感状を受けていましたが、その後の混乱で主従は別れ別れとなり結局大和守は
行方不明、伝左衛門は相模川を下って須賀湊の市井の人となりました。」



佐藤伝左衛門豊成の主人大和守景豊は小田原北条氏滅亡とともに運命をともにしました。
乗蓮寺本堂前の古塔を内藤大和守の墓といっていますが、たぶんこれは伝左衛門が主人
大和守のために建立した供養塔であろう。山門は佐藤家の裏門の移築という伝承もあり
伝左衛門豊成の法名を智海院妙○(口へんに全)華翁居士と云い山門の額「花翁山」に一致する。



南側に拡がる墓地を再び。



墓地には古い石碑が並ぶ。



寺の関係者の家であろう。



こちらの家も。



そして寺の前の道を北に進む。




                               ・・・​ もどる ​・・・


                 ・・・​ つづく ​・・・





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2022.12.01 09:49:16
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: