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左:上二子山1,099m、南側が下二子山1,065m。
左「 駒ケ岳
」・1,356mと「 神山
」・1,438 m。
富士山の反対側の丹沢連山。
「 大山
」・ 1,252 mをズームして。
写真左の富士山の裾野の先に見えたのが「 金時山
」・ 1,213 m
その左が「 明神ヶ岳
」・ 1,169 m
。
そして富士山の手前のコンモリとした山が「 矢倉岳 」・ 870 m 。
相模湾の先、平塚、小田原方面を望む。
「 片瀬西浜海岸
」その先の「 辻堂海岸
」を見る。
再び「更待月」に似た月をズームして。
「片瀬漁港」の「 東プロムナード
」と先端の「 赤灯台
」を見る。
「 江ノ島シーキャンドル
」。
展望台には人の姿はなし。
富士山を中心に相模湾をパノラマ撮影してみました。
そして国道134号交差点を渡り、帰路に。
「小田急 片瀬江ノ島駅」改札入口にも正月飾りが。
「片瀬江ノ島駅」の「クラゲ水槽」。
「アカクラゲ」であろうか?
そして小田急線を乗り継いで地元の駅に到着。
駐輪所の愛車で地元の神社に初詣に向かう。
自転車で5分ほどで到着。
神社の名は「 亀井神社
」。
この隣にあるのが、我が母校・六会小学校。
所在地:藤沢市亀井野553−5。
「亀井神社」の参道を歩く。
新たに平成五年六月に建った 「御由緒」碑 。
「不動ヶ岡の先住民族は此の地に定住すると農地の開拓にのりだした。
そして彼等の中には信仰心の厚い者もいた、即ち不動の森を霊山ときめ法華の教を信じた。
當時の信仰「の流れとして経文一文字を一石に書き塚を作る之が経塚であり水に因んで
不動明王を祭り不動堂を作った。それが不動様の初めである。天正十八年(一五九〇年)
明治のはじめ日本は神国なりと時の政府は各村落に社を作り神を崇拝するように命じた。
私達のお不動様も亀井神社と名を改め村の鎮守社となる。祭神 天軻句突知命
(あめのかくつち、火の神様)。當社は源義経四天王亀井六郎の祈願せし所にして天正十八年
堂宇建立 宝永年中岡部和泉守崇敬厚く社殿を改築せりと傳う。
大正十二年大震災により社殿鳥居等崩壊せしを後日氏子中にて再建す。」
石段の途中にイチョウの樹が。
石段の上には日の丸が。
右手に手水舎。
そして社殿。
内陣を見る。
扁額 「亀井神社」。
江の島海岸での「初日の出」、「元旦の白き富士山」の光景を楽しんだ後は、地元の駅まで戻り、
地元の神社の初詣に妻と向かう。自転車で5分ほどで到着。
神社の名は「亀井神社」。
この隣にあるのが、我が母校・六会小学校。
所在地:藤沢市亀井野553−5
鳥居を潜り「亀井神社」の境内へ。
新たに平成五年六月に建った「御由緒」碑。
「不動ヶ岡の先住民族は此の地に定住すると農地の開拓にのりだした。
そして彼等の中には信仰心の厚い者もいた、即ち不動の森を霊山ときめ法華の教を信じた。
當時の信仰「の流れとして経文一文字を一石に書き塚を作る之が経塚であり水に因んで
不動明王を
祭り不動堂を作った。それが不動様の初めである。天正十八年(一五九〇年)
明治のはじめ日本は
神国なりと時の政府は各村落に社を作り神を崇拝するように命じた。
私達のお不動様も亀井神社と
名を改め村の鎮守社となる。祭神 天軻句突知命
(あめのかくつち、火の神様)。當社は源義経
四天王亀井六郎の祈願せし所にして天正十八年
堂宇建立 宝永年中岡部和泉守崇敬厚く社殿を
改築せりと傳う。
大正十二年大震災により社殿鳥居等崩壊せしを後日氏子中にて再建す。」
「社務所」。
「お焚き上げ場」に昨年の「破魔矢」を納めた。
「亀井神社」の「拝殿」に向かう。
「手水場」。
扁額「亀井神社」。
扁額にある「亀」の異字体。
「亀」の字の成り立ちは「かめ」の象形文字から と。
下の中央の文字が似ているが、ネットからは上の写真と全く同じものは見つからなかった。
「拝殿」前から境内を見下ろす。
「関東大震災 伝承の碑」。
拝殿脇には「身代わり不動尊社」。
こちらの蟇股の彫刻も見事。
扁額「不動明王」。
「 不動明王
」と「 地蔵さま
」。
「拝殿」横から境内を見下ろす。
そして今年も「社務所」で「破魔矢」を購入し「亀井神社」を後にし、もう一つの地元神社にも
初詣に向かう。
「地神社」案内板。
正面に「
石鳥居
」そしてその先に「
狛犬
」、「
社殿
」が。
所在地:藤沢市亀井野2丁目36−4。
石鳥居を潜ると狛狗が。
「地之神」碑。
その隣に明和2年(1765)銘の「山之神」と刻まれた碑。
「山之神」の祭神は大山津見神(おおやまつみのかみ)。
平成4年に新築整備された。
明治の神社統合令で、亀井野南部山之神地区にあった「山神社」が、その場所に
「鶴嶋天神社」が祀られた時、この地に移されて地
神と合祀されたのだと。
山之神社石廟と秋葉権現社石廟も祀られていた。
質素な石灯籠と手水場。
比較的新しい狛犬の先に「社殿」。
創建年代は不明となるが、寛政年間(1789年〜1800年)には、岡部庄九郎知行の内にて、
山林安全、五穀成就を祈願したという。
文政9年(1826年)には再建
され、さらに安政年間
(1854~60)、当地を知行していた旗本・岡部庄九郎が当社で山林安全、五穀成就を祈願
しているとのこと。
大正12年
(1923年)9月1日関東大震災により社殿が倒潰し、大正15年(1926年)9月に
再建
されたとのこと。
御祭神
は「
埴山比売神(はにやまひめ)
」、
田畑、土壌の神様
であると。
例祭は9月20日。
「
神明造り
」の「地神社」、屋根の部分の「
千木(ちぎ)
」が、直角となった造りとなっている
ことが特徴。
屋根の両端で交叉させた部材「千木」、屋根の上に棟に直角になるように何本か平行して
並べた部材「
鰹木(かつおぎ
)」が確認できた。
扁額「地神社」。
そして亀井神社で購入した破魔矢。
絵馬には雲の上の龍の姿が。
我が家の神棚にお供えしました。
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・・・
・・・END・・・
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