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かつて心に思ったことが実現しました。あえて家から職場まで遠い距離の方がいい。そうしたら、本がたくさん読めていいだろうと想像していました。かつての職場に、相馬市から仙台に高速バスで通勤していた同僚がいたのです。そのとき、そう考えたことがあったのです。気がついてみたら今、往復三時間、通勤での乗車時間があるのです。本が読めます。ノートに思いつくまま文章を書き綴ったり。韓国語授業の予習も、この時間にできます。■□■ ■□■ ■□■班長さんへの手紙イ先生の教室解散後も、こうして班員の面倒を見て下さってありがとうございます。感激です!今日は仕事が休みです。今日から三連休のため、ノッビのび!しています。乗り物に乗る時間が多いといいなあ!以前、思ったことがありまして、そうしたら、いつのまにか実現しました。本がたっぷり読めます。移動時間に勉強できる、そうした確実な時間の確保、それは強み!と私も思っています。電子辞書を買ったのが、去年の今頃です。この一年間、中級二のテキストは、電車の中で、電子辞書で意味を拾って、何とか予習をして授業に参加していました。それまでは、パソコンの翻訳サイトで、韓国語で入力して、翻訳していました。PCでの韓国語入力は、割とすぐ慣れました。上級テキストは、ほぼ日本語が無いのを承知していますが、韓国語を入力して、サイトで翻訳機にかければ、文法の授業には、まあまあ、ついていく分には何とかなるのかな?という算段です。今の上級一テキストの第一課を、サークルで試しに参加したことがあるのです。あんな感じなのだろうなあと、少し想像がつく面があります。私は初級二のテキストが、完全に抜けているので、基礎がなっていない。というのは、常々感じています。ただ、なかなか、都合のいいクラスに参加できないという事情もありまして、まあ、言葉なのだし、初級も上級も関係ないのかなあ、英語が話せるアメリカ人が、頭が良くて話せているわけではないし、日本語が話せる自分が、頭が良くて日本語が話せているわけではないですから。と、自分を励ましている私です。ミレ韓国語学院を今、検索しているところです。これから登録します。また、続きをあとで書くと思います。いったん送ります。******* ******* *******班長さんへ「普段どんな勉強をしているのですか?」とのことですが、授業のテキスト予習と、無料の韓国ドラマを一日三十分。我ながら乏しい勉強量と思いますが、そういえば、最近、水曜日二十三時からのTVハングル講座を、見るようになって数回目です。今、見ているドラマは、「あの野菊の如く」一九九三年放送今から二十二年前の懐かしい時代のもので、三十分程度のホームドラマです。あと十回で終了です。さびしいです。次のドラマ見つけます。最近は、古めの年代のホームドラマが心地いいようです。動画映像はGYAO!で、無料配信されているものです。ヤフーのホームページ左脇から入れます。ところで、ミレ韓国語学院、全く知りませんでした。今、検索して登録を完了しました。メルマガ登録と、YouTube登録、これでOK!YouTubeを今、十個くらい見ました。一回が五分程度なので、続けられそうです。本当にいいですね。とても勉強になりそうだと思いました。これらの無料サービスだけでも、十分に勉強になるとわかります。教室に一つ参加していれば、それの延長線のように感じられますね。班長さんから特別待遇受けましたね、私。こんなやりとりを一年の修了後にできるということ。とっても恵みと感じています。班長さんが言われる「ミレの存在を知ってから、独学の仕方が大幅に変わりました。学校の勉強は文法を学ぶところ。自分が韓国語から離れないようにする為。」なんだか、目の覚めるような言葉です。「学校は自分が韓国語から離れないようにする為」というところに強く共感しました。私も、今回、悩んだのは、行かなくなると、「たちまち遠ざかる」というのが予測できるからです。だから私の中で、自身を説得した思考はこうでした。(ゲームのように気楽に考えよう。ボケ防止にいいというのだから、運動のつもりで何とか続けてみよう。通勤時間だけで、何とか、授業に出て、皆勤賞もらえるように、ひたすら通おう!)最後は、やらないよりマシ!というところで折り合いをつけました。毎週金曜日の一時間四十分。通わなかったとしても、だらだら過ごして終わってしまうだろう、ということを恐れました。だらだら、つまらない雑用で、その時間を過ごしてしまうことを考えたとき、後悔するのではないかということを非常に恐れました。後悔するのなら、あえて負荷をかけて、何とかしてみよう。そう、思うようになりました。最後は、班長さんのアドバイスが決定的でした。あー!相談して良かったー!と思いました。相談できるところがありませんでしたから。本当に良かったと思います。そして、こうして、書くことを通して、決意を固めることができます。対話って、大事ですね。人と人とのやりとりって重要ですね。自分の迷いを整理してくれますし、決断を導いてくれます。今、班長さんは、教室はそういうところ、と割りきって、その他でいろいろと模索しているところとのこと。いろいろ、これからも教えてくれますよね!お願いします。私も、情報提供したいと思っています。お互いに楽しく勉強していきたいです。気楽に、何とか、がんばってみたいとおもいます。よろしくお願いします。잘 부탁합니다.K■□■ ■□■ ■□■KさんへKさんは通勤中に、勉強できる時間があるのですね。それはとても強みになりますね。毎日少しずつでも、語学の勉強をすれば、必ず実になりますから。普段どんな勉強をしているのですか?ミレ韓国語学院って知っていますか?私はメルマガ登録をして、毎日メールが届くようにしています。YouTubeも登録すると、見られますので、とても勉強になります。高いですから通信教育はできないけど、この無料サービスだけでも十分に勉強になっています。ミレの存在を知ってから、独学の仕方が大幅に変わりました。学校の勉強は、文法を学ぶところ、自分が韓国語から離れないようにする為、と割りきって、その他でいろいろと模索しているところです。お互いに楽しく勉強できればいいですね。頑張りましょう~!班長
2016年01月27日
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親が亡くなった後でも親子の情は回復できる!回復できつつある…という感触を得ながら、日々書いている私です。今日は仕事が休みなので、白い面に直打(じかう)ちですが、仕事の日は移動の電車とバスの中で、ひたすらノートに書いています。お父さん!おはようございます。サダノブお父さんおはよう。私は夫と一緒になる前から両家の家系供養位牌を作って、コップに二つ水をあげていた。お墓参りのつもりだった。誰から提案されたわけでなかった。自身から出た発案だった。普通、結婚した人は嫁ぎ先のものを作るのであって、実家のものは作らないそうだ。仏壇屋さんの話では。でも、結婚してからでも実家の墓参りには行くことはあるはず。しかし、距離が遠い。実際は一生涯に何度行けるかわからない。サダノブ父がお墓を建てたけれど、最低二回は今後、行く見込みである。母と兄の葬儀の際に。(私は彼ら以上に長生きするつもりでいる。そうなるだろう。)その他は、遠方であるため、いくことがないと思われる。実際、サダノブ父の母親イトさん亡きあと、父が墓参りをしたかどうかはわからない。祖父母が眠る墓の場所もわからない。よそは知らないが、家族関係が希薄な家はそういうものかもしれない。今回、父の納骨の際、姪は参加したが、甥は参加せず。実親の納骨シーンを見るのは、生涯にわたって二度。彼らにも見せてあげたかったと思った。骨壺に入ったばかりの、あたたかい骨を、柄の長めのトング(物を挟んだりする道具)のようなもので挟んで、墓の下に直(じか)に安置した。仏さんが、初めて入る墓である。青森のこの地域の風習では、墓の下に直に安置することになっているとのこと。全てを長男である兄が恐る恐る行った。葬儀屋さんが、横から指導して下さるので安心しながら、執り行うことができる。宗派によって、こだわりが様々なのだというが、無宗教の家であれば、こだわりなく、眼鏡を入れたり、靴を入れたりしてかまいませんとのこと。私は口出しせず、見守っている立場である。結局、眼鏡は入れ、靴は入れず持ち帰った。今、思えば、眼鏡を入れる必要はなかったなあと思ってみる。しかし、その場では何も思わなかった。思う余裕はなかった。ただ、初めての行事を目の当たりにするだけで精一杯であった。このことを通して、葬儀に関することに多少の関心を持った。おそらく参加した皆がそう思ったとことと思う。私の最近の書くことといえば、父のことに関することばかり。無意識に過ごせば、日常の雑多なことに塗(まみ)れて霧散(むさん)してしまうだろうことが目にみえている。書けば、いろいろなことが蘇ってくる。何度でも同じことを繰り返し思ってみる。記憶に留めるために。そうしないと、父を失くしてしまう。父が存在しているということを意識づける必要がある。父の存在を永遠に私の中に生かすために、父についての記憶を文字にする必要がある。人が親を亡くす。これは、すばらしい体験とも言える。ひとつは親より長く、子が生きた証である。ふたつは、見えていた親が、見えなくなったということ。人は天地創造の神様から生まれ出て、期間を全うすれば、神様のもとに戻っていかれる。そういうことなのだ。本来、天国も地獄もなく、神様から始まって、神様のもとに戻るというだけのことなのだ。そんなふうに思えたのです。父母が亡くなれば、男性と女性を創造された、天の父の家に戻るだけなのだということを、思ってみたりしたのです。まだ、寝ているとき、父の夢を見たことはない。起きている時は父の映像を最近はしょっちゅう見ているし、対面しているし、父の声も聞こえます。「み・こ・ちゃん」ゆっくりとした金属音の音で、いろいろなバリエーションの呼び方で。えっ、私って、もしかして霊能者かなあ。と、思うほどです。この人間に備わった想像力の緻密さ。みごとです。会いたいときにいつでも会えるのです。父が生存している時より、よっぽど近い。よっぽど親しみ深く気持ちが通い合えていると感じます。私は思うのです。この体験を通して、神様と親密になっていく秘訣を学んでいるのだなあと。たとえば、朝おきて、一番に「神様おはようございます」と言ったらいいそうですが、「お父さんおはようございます」と、なかなかできないものです。できないなあ。と、ある日おもったのです。朝おきた際に父のことは忘れています。意識は、(寒いなあ。もうちょっと布団の中であったまっていたいなあ。寒いからトイレ行くのも面倒だなあ。でも、もう起きないわけにもいかないなあ。)起きたら、一番に、夫の麦茶をペットボトルに入れます。昨日の朝からカムカム鍋に水出し麦茶を水で作っておいたものを、小さな急須に汲んで、ペットボトルの口に入れていきます。それを二本つくります。夫は他の飲み物には興味がなく麦茶しか飲まないのです。その作業で、目が覚めます。そろそろと、意識が起き上がって、(ああ、そういえばお父さん)と意識して、父の顔を思い浮かべます。ここまで書いていて、気づきがありました。本当はこうしたら、いいのではないかと思いました。朝おきたら、「神様おはようございます」と笑顔であいさつ。続いて、「アキラお父さんおはようございます」笑顔。続いて、「サダノブお父さんおはようございます」笑顔。これで、朝の挨拶は完璧です。その挨拶で、ぱっと意識を覚醒して、神様に初水をふたつ。おとうさん神様にひとつ。おかあさん神様にひとつ。続いて、アキラお父さんにお水を「どうぞ」、続いて、サダノブお父さんにお水を汲んで「どうぞ」。これで、朝の水のお供えは完璧です。全くできていません。私。震災のときに、水のお供えをコップでしていましたが、それが、こぼれて、ということがあってから、ガラスの瓶に汲んで蓋をしたままお供えしていましたが、それが習慣化していました。そろそろ、これらを改善しなければならないようです。私はいま、書くという供養をしています。ただ、白い面に向かっているだけなのですが、書きながら、いろいろ自分の問題点を教えてもらうのです。こういうことが起こるから、気づきが与えられるから、私は書くことが好きなのだと思います。アキラお父さん、最近、アキラ氏には済まないと思っています。夫の父親のことですが。夫には父の記憶があまりないのです。中学一年の時に亡くなったからです。家での闘病生活もあり、入院生活もあったため、父は息子が見舞いに来ることを好まなかったのです。これまでは、ふたりの父親と私は距離が遠かったのです。最近、私の父が亡くなったということがあり、私の意識は、実父に大半が注がれています。そのことで、アキラ父が寂しく思っているだろうなと感ずるのです。でも、少し、堪(こら)えてください。もともと、実親との縁の薄い私が、今、親との情を濃く煮詰めようとしています。濃いエキスの情を回復しようとしています。それが、出来てこそ、舅に真に仕えることができるのだと思っているのです。対面したことのない夫の父を真に愛することができるのだと思っているのです。ちょっと目頭が熱くなってきています。人が亡くなったあとのこと。私、興味があります。昔から興味をもっていました。私は尼さんになりたいとおもったことがあります。頭を丸めて出家したいと発想したことがあります。どうして、そうならなかったかというと、どう、そうなる方法があるか、わからなかったし、あてもなかったからです。情報がなかったからです。それでも、なりゆきで、流れ流れ、いま、私は、こうして、ここにたどり着き、ここに生存しています。まるで、ここは、昔、ジャズ喫茶に置かれていたノートのようです。三十年以上も前のことです。ノートに、書いたのは一回か二回なのですが、東京に住んでいたとき、休みの日に行くわけなのですが、今も、仕事の休みにここに来て、書いています。BGMはいつもヒーリング音楽ですが、音楽を聴きながら、とにかく指先を動かしつつ、日ごろは職場のマシーンになっている自分が、巨大なマシーンの部品の一部になっている自分が、ここで人間性を回復する必要があるためなのです。私がこれからしたいことは、そういうことなんじゃないかな。亡くなった人たちをお世話して、そして、生きている自分は、どうすることが最善なのかを考えていくこと。なんだか、光が差し込んできたようです。なんだか、私の事業をうまくまわしていけそうです。二〇一六年一月二十七日(水)戊申
2016年01月27日
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どことなく、その人は、私の母に似ています。私はその人を見れば、母に思いを馳せることができます。母の五十代を想像することができます。その人とは、友達エミちゃん。エミちゃんの、お母さんの写真を見せてもらいました。エミちゃんはお母さんが亡くなるまで十年に及ぶ介護をして来られました。エミちゃんって、立派な方でしょう。お母さんという方は、優しい娘さんを持たれて幸せでした。ああ、この娘を生んで本当に良かった。幾度となく、そう思われた場面があったことでしょう。エミちゃんの話から学んだことがありました。エミちゃんのお母さんは冬になくなりました。墓守の立場にあるエミちゃんの家には先祖の墓がすでにありました。エミちゃんは、お骨になったお母さんをすぐにお墓には埋葬なさいませんでした。どうしてかと聞くと、「だって、こんな寒いところに、お母さんを置けない。お母さんが可哀そうだ。」そう言われるのです。ああ、そうだったのか。なぞが解けたんです。青森三内墓地で葬儀屋さんが説明されました。「十二月に亡くなった人は、すぐにはお墓に入れないんです。年内は十一月までの人しか入れません。それ以降の人は、雪が解けてからとなります。」ええっ、何故なんですか?雪かきすれば、問題ないのに。その間、お骨はどうするんですか?困りますよね。私と兄夫婦は、そういう質問をしました。いやあ、何故と言われましてもねえ。決まりなものですから。ああ、そうですか。私たちは、十一月で良かったねえ、しみじみ言い合いました。エミちゃんの発言を耳にして、それが、その決まりの、何故に対する回答であるとわかりました。火葬で焼かれるのも嫌で、嫌でたまらなかったと言います。父が亡くなってから、遺体は棺に入れられて葬儀会場に移されました。十一月十二日(木)亡くなったその日のうちに。棺に父を入れる際、業者の人と共に一緒に手伝ったのだと、兄が言っていました。葬儀会場(○甲造花店)に安置された棺。そこから数日を経た十一月十五日(日)の朝、最後のお別れの挨拶をしました。その前に葬儀者の人が袋に何かを回収していました。ああ、保冷材だろうか。冷たかったね。お父さん。仕方ないのだね。エミちゃんだったら、何て言うのかな。今度、聞いてみよう。 夏でなくて良かったね。お父さん。晩秋のいい季節で良かった。ほんとうに良かった。葬儀者の人が、袋に何かを棺の中から、回収して、やっと、「どうぞ」と棺に、近づくことが許されました。棺の中に、花をさし入れました。茎を短く切った菊、グラジオラス、スイートピー、蘭など。そのあと、父が生前に着用した背広とズボンを整えて形づくりました。白装束を着た父の遺体の上に、着ているように、業者の人の慣れた手つきで整えました。棺桶は業者の車に乗せられました。「その車に乗れるのは一人だけなのだって。わたしが乗るね」兄が私に言いました。「はい」「おう。二人乗ってもいいって。妹も一緒に乗ってもいいかって聞いたら、いいって言われたよ。」 ほんとう?よかった。お父さん、いよいよ、ですね。斎場に到着するまで、わたしは努めて明るい顔でいようと、静かに微笑んでいました。「わたしのときは、水仙の花を入れて欲しいなあ」兄が突然いいだした。へえー、意外。お兄ちゃんって水仙の花が好きだったの?初めて知りました。「何か思い入れでもある花なの?」「まあね。」「水仙の季節だったらいいね。」「うーん。」ふーん。深くは聞かず。覚えておこう。こんな時、あまり、何故、何故って聞いちゃいけないだろう。静かに記憶に留めておこう。私たちは、父に語り掛けるように、思い出話をかき集めて、何かと話をし続けた。私は、この先、母、兄を見送る日も来るのだなと、わずかに今、思ってみる。「お兄ちゃん、私、百まで生きる気でいるから、お兄ちゃんは私の葬式に参加することは、まずないと思う。私ね、健康診断、毎年、オールAワンだから」「おお。そうか。わかった。わかった。」わりかし、信じてくれているような、返答の仕方だった。疎遠だった兄との二十年。あっという間に過ぎ去った。仕事をするようになってから、過ぎ去る速度が速い。おそろしく早い。■二〇一六年一月十八日(己亥)暴風雨
2016年01月18日
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今朝、夫が出勤する際、玄関の外は荒れ狂っていた。その空を目にして、今日が休みであることを、どれほど喜んだことか。トクした気分だった。大変なのは、出勤途中だけのことであって、会社に入れば、九時間、外の天気など関係なしに時間は過ぎてゆく。だが、こうして家に籠っていられることを、ありがたく思えた。近頃は、出勤途中の乗車中に、ノートにシコシコ、シャーペンで書いています。読み直すときに、赤を入れたり、青で書き足したり、いろいろしています。その書きなぐった文字をWordに書き写します。けっこう時間がとられるので、普段はなかなか出来ません。今日、休みの日、非常にその作業が捗っています。今は、私にとって、偏印の月であり、偏印の日だからです。それは、私にとって、「書きなさい」という意味の日です。ああ、だから、エミちゃんと親しくなったのだな。エミちゃんは偏印の女性だからね。彼女が、「お母さんが大好き」と、言うとき、私は気分がよくなります。こちらの方に、その思いが乗り移ってくるように感じられるからです。ああ、母のこと、一つとっても、かくことはありあまるほどです。お母さん、昔、私によく言っていたよね。「お兄ちゃんは言うことをきかないから本当はあまり可愛くない。やっぱり○○ちゃんが一番かわいい」 お兄ちゃんが、結婚する前、私よく、お兄ちゃんのアパートに掃除に行って、お小遣い貰ったりしていたでしょ。その時、お母さんが、何回も私にこう言っていた、っていう話をしたの。 お兄ちゃんが、「それは違う」「ほんとは違うんだよ」って譲らないの。 「ううん、それが、そうじゃないんだってば。お兄ちゃんは、そう思っているかもしれないけれど、本当は違うの。一番は私らしいよ。だって、何回も、何回も聞いたもん私。」 「それがサ、だから、ちがうんだって」 言い合いになって、結局、お兄ちゃんは、私が言っていることを理解できなくて、さらさら認めようとしなかったの。 母が、にやにやしている。 「ごめーん。ほんとうのことを言うと、お兄さんが一番なんだよおー。ごめんねー。わかってねえー。 女の人はみんな、そうだと思う。初めての子供だからねえ。生み終わったあと、ああ、私は○○さんの子供を生んであげたんだぞー。なんとも、いえない達成感があってねえ。初めての子供というのは特別なんだよぉー。ほら、○○ちゃんの時は、二回目だからね。 もう経験があるから、生むときは、だいたい、こんなもんだなあって、わかっているからね。」その話を聞いたのは、父の葬儀と納骨が終わって、翌朝、仙台に帰るという夜更け頃のことだった。いったん二人は寝たあと、もっと話したくなって、私が起きだして、ベッドの母の枕元に寄り添って小声で話しをし出した時のこと。私は感慨ぶかげに受け止めていた。別段、ショックとか、さびしいとか、何とも思わない。ああ、そういうものかもしれないなあ。なるほどね。そうなのね。なーんだ、そうだったのかって。母は私を信頼して、本当のことを、おしえてくれようとしているのだなあ。今そう思いながら書いている。本当のことを言ったからと言って、この子供は気を悪くなどしない。そう、わかっていたと思う。この年になって、母から、「お兄ちゃんより、○○ちゃんが可愛い。○○ちゃんが一番。」と言われても困るし、かえって気持ちわるい。私は、母の言葉に満足した。ああ、女の人はそういうものなのだ。時々、そうでないという場合もあるだろうが、おおむね、そういうものなのだと、母は言いたかったのだ。そして、先も長くないだろうから、本音を伝えておきたかったのだと思う。母は年をとってから、何でも正直に話したがるところがあるようだ。きっとそのために、言葉で損することが多々あるのではないかと心配する。今回、私が、それを受けとめられるほど、成長していることを、見て取ったのだと思われる。ああ、お母さんは、それほど、勘のいい人だってこと、わからないで、きました。傷つきやすく、悲観しやすい。人の本心が読み取れてしまうのだろうから、なおさら卑屈になりやすいのではないかと案ずる。妙なプライドが邪魔して、それが、かえって厄介だったのだろう。今の私には夫がある。夫ひとりの中に、父があり、母があり、兄がある。もう、親の甘い言葉は要らない。愛が自立したのです。もう、こんなところにまで来たのです。翌朝、兄が私を車で見送りがてら、途中、公園を散歩した。そのとき、夕べのこの話を、兄に話して聞かせた。「そんなふうに、わざわざ言わなくてもいいのにね」おまえ、そんなこと言われて可哀そうだったね。なんだってまた、たまにしか会えない、娘の気持ちを下げるような、余計なことを言うのだろうね、まったくさ。というふうでした。母の言葉は、それが全てではないということを私は知っています。それは断片的なひとかけらの言葉だということを知っています。一番目が生まれた感激を母は抑揚をつけて、楽しそうに話して聞かせる。それは、もう何遍も。また、二番目が生まれたとき、それが初めての女の子で、赤い肌の赤ちゃんだったから、きっと色白の可愛い女の子になるぞと、母が大好きなフランス人形を見つめるように、夢を見たのだろうと思われる。その話も何遍も聞かされて育ってきた。その喜びようが、もう、うれしくて、うれしくて、と生き生きした調子で話す母親の十八番の物語である。それもまた、事実であっただろう。そういう母が、この地に生存しているという事実。私は、今、母を意識して毎日を生きていこうとしています。■二〇一六年一月十八日(己亥)暴風雨
2016年01月18日
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E女史へ今日は早起きして返信しようと、朝五時五分にアラームをセットしました。四時五十九分に目を覚ましました。アラーム音を聞く前に目覚めたい。と、想念で意識しましたら、本当にそれが実現します。私を応援する守護霊スタッフが、マネージャーのように、援助してくれている!そう感じます。・・ありがとう・・心で言ってみます。朝、体が温まった状態で、スッキリ起きられるように、できる秘訣がわかってきました。テレビの時計が零時になったら、サッ!とスイッチを消して、電灯を消して、布団に入る。寝袋に入った状態で、その上に毛布と布団をかけて寝ると、起きるときに、体がポカポカして、起き上がるのがラクラクできます。二十四時に寝て、朝五時に起きる。毎日、移動の電車やバスの中でノートに書いています。無駄なことも、とにかく、たくさん、おもいつくままに書いています。書いているうちに、本のコンセプトや、スジが、見いだせてくる気配を感じ取ります。父へ話しかけるスタイル。父へ手紙を書いている娘の、日々を歩んでいるさま。おとうさん、という呼びかけ。これは、信仰者が、「主よ」「天のお父様」と、祈るときに呼びかけるのに通じていると感じている。八十歳のNヒサエさんはクリスチャンで、週に三度も朝七時からのミサに通われているといいます。どのように祈っていらっしゃるのですか?と、お聞きしたところ、「祈る方法なんてとくにないわよ。思ったことを、そのままお話しするように言葉にすればいいだけよ」とおっしゃいました。十二月はNヒサエさんの援助を頂きまして、朝七時から三十分だけの、ミサに三度、足を運ばせていただきました。W・K先生の研修会では、「静かな時間を過ごす」ということを学びました。父の葬儀のあと、それをどう受け止めたらいいのか、受容するための時間が必要でした。ただ、静かに過ごすというケアの時間が必要でした。W・K先生の研修会に参加する条件がありました。「肉親の死が六か月以内でないこと」送られてきた資料に注意書きがありました。父の死の知らせを受けて、Kテイ子さんにメールしました。すぐにお電話を頂きまして、「いつ、お亡くなりになったの?」「今日です」「そうでしたか・・・。それで、あなたはどうしたいの?」「私は、むしろこういうことがあったからこそ、参加したい気持ちが強くなりました」Kテイ子さんの配慮で、参加してもよいことになりました。肉親の死を体験した直後に参加すると、感情が高ぶって、大変になる人がいるのだそうです。「あなたは大丈夫そうだから参加してもいいですよ」と、言って頂きました。前もって、有給休暇を二日間とっていたので、無駄にならずに助かりました。そこで、自由参加のミサを体験しました。隣席のNヒサエさんとの出会いがありました。ミサに数回参加し、母親と同年うまれのNヒサエさんと話すことによって、気持ちの繊維を落ち着かせることができたと感じています。Nヒサエさんの通っているカトリック教会は未信者に対しても、特別待遇もなければ、よそよそしくもされず、ふつうに、ごく普通に対応してくださいます。自由なきもちで、静かな時間を過ごしに行くことができます。その教会は、十年前に勤めていた会社の通勤途中にある教会でした。職場の同僚の一人がそこに通っているようでした。博多人形のような肌がすべすべのお嬢様ふうの、しっとりした方でした。建築がモダンなつくりで、外観が美しい教会です。韓国ドラマのように、自由に出入りできるようだったらいいのに、十年前に、そう思ったことがある場所でした。わずかに思ったことが、こうして実現します。朝、五時に起きる目標をたて、できれば、アラーム音を聞かずに目覚めたいそう願ったら、それが、そのとおりに実現しました。博多人形のような元同僚の女性とは、連絡先もわかりませんが、瞑想のサークルを仲間と作ろうとしている一度だけ、帰り道が一緒だったことがあったとき、その方が、そのようなことを話していました。お茶でたとえると、その方はミルクティーのような方です。ミルクでコトコト、弱火で煮出して作る紅茶のような方。また、会うことがあればいいな・・・そう、思っているところですから、きっと、そのうち、顔を合わせることが、あるのではないかと、思っているところです。朝五時に起きて、九時に出勤します。それまでの時間はたっぷり四時間にもなる、いま、その事実に気づきました。充分、本にすることができる。本をあつらえる時間はある。日々、私は出勤途中に書いています。行き返りの通勤電車とバスに乗っている時間が三時間あります。どれだけ活用できるかわかりません。昨年一年間に、その時間の活用で、韓国語授業を受けるための予習にあてたほか、たくさんの本を読むことができました。最近はお正月休みで、三週にわたって韓国語授業が休みでした。本読みも、このところ、セーブしています。それで、最近、乗り物に乗車中は、「ノートに書く」ということに熱中しています。書く内容は、スピリチュアル系に決まったので、読みものは、それに関連したものに的を絞ることにしました。とりあえず、本を開いて一、二ページを読み、何か、書きたいことが起こると、サッと、ノートを取り出します。ところで、E女史お勧めの本、「ブッダの幸せの瞑想」読み通しました。繰り返し読む本に適していると思われます。言葉だけで、一度で、簡単に理解できないので。一回目は、感覚的にとらえました。内容は、サーっと肌感覚で、わかる程度の理解です。二回目、三回目と、間隔をあけて、読み返して、少しずつ、理解を深めていける、そんな本だと思います。一つ、わかったことがあります。仕事が瞑想だということ。日々の仕事の仕方がわかってきました。ああ、これは呼吸法をしているのだなあ。仕事じたいが、瞑想なのだなあ。トレーニングをしているのだなあ。想念の運動をしており、そこで、思いの筋肉を動かし、試運転をしている。本当に何かしたいことをするための、日々のトレーニングで、使いたいときに、さっと使えるように、筋力を保持しているのだ。なぜ?私は、ナマものだからです。生きている人だからです。W・K先生の研修会で、ICUの集中治療室に入院していた六十代の方が、奇跡的に生還されました。その方が、言われた一言、「人生は無駄なことが一つもないっていうこと」確信ありげに、断言されました。重く気持ちに響いてきました。普通の元気な方が言われたとしても、ああ、まあ、そうなのだろうな、と思う程度ですが、その方は、生死の境目から生還されて、退院してから、その日はじめて外出したのだと言われました。どれほど、重みのある言葉でしょうか。私は無駄なことをたくさん、書いています。これからも、無駄だろうな、捨てられるだろうな、いや、自分が後に、カットする部分になるだろうな、と思われる言葉を、だらだら、書き続けます。それでも、よいのです。山ほど、そうした文章も、とりあえず、書いて、書いて、書きなぐって、ノートを何冊も、何冊も、書きつぶして、その中に砂金のような、言葉が、ちょこちょこ、抽出できれば、それでいいのだ。それでいい。このようにして、自身を励ましつつ、歩んでいる私です。E女史、いつも、メールを下さる際、心を集めて、気持ちを盛って、文に注がれるなあ。感心しながら、いつも拝見しております。E女史の存在じたいに、ありがとうございます。 K
2016年01月15日
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サダノブ父さん、去年までは、抹茶入り玄米茶を愛飲していたのですが、お父さんのお茶を持ち帰ってから、緑茶が飲みたくなってきたので、今日、作文教室の帰りに買ってきたのですよ。もう、なんか、だめ。玄米茶も、紅茶も、フィットしないのです。こまったな。お父さんの影響だな。 お父さん、何でもいいから、お茶を飲みながら、お父さんに話をし続けたいのです。 どんな話題でも、続けたいのです。お父さん、お母さんの施設が、近くにあれば、私、休みの日は必ず行っちゃうな。お母さんは、一方的にでも、話し続けてくれると思う。施設では、友達が出来たかな。はじめ、仲良くなっても、付き合いが続くうちに、不和になったり、気まずくなったり、そんなこともあるでしょうね。お母さんのことは、お兄さんが言うように、お姉さんにお任せするしかないです。そして、天のお父さんに、お頼みしよう。近くに母と同年代の方々が、私の親代わりとなって、私の精神のバランスを安定させてくれるのでしょう。お父さん、話題その一。今日のこと話しますね。今日はね、シニアのイベントに行ってきたのですよ。七十代くらいの方々が多かったようです。大きな四角いテーブルに、テーブルクロスをかけて、総計九人が参加されました。皆さん、ご自分で書いた原稿二、三枚程度をコピーして、配ってくださり、朗読されるんですよ。お父さん、私が、そこで、朗読するとしたら、「お父さんへの手紙」ですね。これしかないですね。(笑)今年一年のテーマは「お父さん」です。お父さんを意識しているとね、お父さんのお顔が浮かぶんですよ。そのお父さんのお顔を、上手に浮かべられるのですよ。なぜって、お父さんの写真の全てを、片づけの際、私がごっそり、貰ってきたからです。お父さんの十九歳の時のお顔が特に好きです。思い浮かべながらね、あれっ、誰かに似ているんじゃない?なんか、親しみを覚えるお顔です。ふふふ、毎日、ときどき、鏡でみる、自分の顔に、似ている・・・と、気づいたのです。お父さん、私が、お父さんと、もっと、こう過ごしたかったな・・・という思いは何かというと、お茶とお菓子を一緒に食べながら、定期的な時間を、もっと過ごしたかったということなんです。でも、それって、やっぱり、無理だったかもしれないって、そんなふうにも思うのです。だって、お父さんって、ほとんどしゃべらないでしょう。だから、いま、そういう時間がやってきたのだなって、私、そう思うことにします。それでも、穴は十分に埋められます。お父さんとの関係は、今からでも遅くないです。作文教室のエレベーターで、隣の席の方と一緒になりまして、途中まで数分歩く間に、少しお話しをしてお別れしました。さようならの挨拶のときに、「続けて通ってくださいね」と、言って頂きました。「はい」と、言ってみましたが・・・。そのあと、やっぱり、無理、と思っていました。でも、今、書きながら、とりあえず、行ってみても、まあ、いいかなあ。くらいの気持ちになってきました。今日の買い物を報告します。●ロング黒太ゴム・綿手ぬい黒糸・黄色BIGバック・すりゴマ黒・すりゴマ白・煎茶・抹茶入り玄米茶・保湿ジェル・ボディークリーム(ダイソー)●NEW辛ラーメン(KALDI)●キャベツ(市場)●ハンドフリーイヤホンマイク(ヨドバシカメラ)商品券で買いました。次回は十四日(木)にSDカードを買いに行きます。●焼き芋(生協)●七味唐辛子・パン・わかめ・チョコパイ・ワダカン昆布つゆ・永谷園さけ茶づけ・ポッカコーンスープ(イオンビック)商品券で買いました。この夜、夫Aさんがラーメン食べようよと言うので、ワカメとキャベツを煮込み、炊いておいた「黒豆・小豆入り玄米八穀ご飯」も鍋に入れて食べました。お休みの今日、電気釜を七時間保温にして作った甘酒も頂きました。Aさんが買ってきた厚焼きピーナッツクッキータイプ南部煎餅を食べました。Aさんに紅茶を入れました。焼き芋一緒に食べようよと、テーブルに誘いました。私が休みの日、Aさんと一緒にお茶とお菓子を食べる、一緒に食べるって、大事なことだったのだなあと思いながら。お父さん、食べるっていうことは、生きているってことでしょう。お父さんは倒れてから、一度も自分で噛んでも物を食べることが出来なかったから。お父さん、書きながら、充実してきました。私はお父さんと、こうして、交流しています。そして、気づきも興るのです。だって、Aさんって、お父さんに似ている人だからです。四柱推命教室に通っていた、二十年前、先生が、「夫婦の命式を書いたものを机の上に出してみて」と言われました。机を先生が見て歩いて回りました。「あんた、いい旦那、めっけたねえ。だいじになさいなよー」それは先生の授業にも出てくる、結婚が難しいタイプの私の命式と同じ例をあげて、このタイプの人がうまく結婚生活をしていくには、次のタイプ例の人しかいないという授業でした。私とAさんは、その授業の例そのものカップルなのですが、Aさんと、サダノブ父さんが、おんなじタイプなのです。私はそういう授業をたまため受けたから、夫の価値がよくわかる。夫を大事にせざるを得ない。その効果も手伝って、私は夫がどんどん好きになっていくのです。お父さん、それならば、私にとって、お父さんは、最高の父と娘の組み合わせ親子ではありませんか。お父さん。ああ、気持ちが高揚してきました。お父さんにとってより、私にとって、ありがたい、お父さんの存在なのです。お父さん、友達になった、職場の友達に、「ねえ、○○ちゃんのお父さんは何歳で亡くなくなったの?」不用意な質問をしてしまいました。「私ね、一度も会ったことがないの」という返事が返ってきたのです。彼女は、そのあと、非常に沈んだのです。「複雑な事情のあるウチなの」難しい顔色になり、動揺しているのが見てとれました。ああ、とりかえしのつかない、言葉で人を傷つけてしまいました私。その方は、私よりも年上の方ですから、やはり、その方のお父さんという方は、霊界にいらっしゃるのだと思うのです。サダノブ父さん、もし、あちらで、お会いするようなことがあったら、声をかけてみてもらえないですか。きっと、その方も、複雑な気持ちを持ち続けていらっしゃると思いますから。もし、そういう機会があればですが、ああ、友達なくしたかもしれないな、と思っています。仕方ないです。でも、静かに、その方の心の痛みを、思いやっていきたいと思います。お父さん、毎日、夜二十一時半とかに家に帰るでしょう。夜空に星を見るわけです。ウチのお父さんは星になったのだなあって、いちばん光を放つ、星を見て、思うのです。お父さん、神様に祈るって、こんなかんじかなあ。もう、寝なくちゃいけない。朝、早く起きて、洗濯をしないといけないので。では、お父さん、またね。また、一緒に、お茶しようね。おやすみ。
2016年01月09日
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E女史への手紙昨年は大変お世話になりました。今後、私の仕事休みの日程もあとで報告します。何かあれば声をかけて頂きたいと思いまして。変更予定のおしらせでも、なんでも。「体調わるくて倒れているから、ご飯つくりにきて」と連絡きたら、とんでいきます。E女史のところの書生のような気持ちでいます。Fまさ子画伯が来仙されましたとき、「彼女、手伝ってくれて、うんと助かるの」と私を紹介してくださり、画伯が「あなたの人徳よ」というやりとりを、なさっている間、私はこんなことを考えていました。E女史のこと、「老後のお世話もしてさしあげたい」私の心が、そのようにつぶやいていました。E女史、昨日も、E女史のことを思ってノートに書いていました。あと十年したら私は○三歳です。E女史は○七歳!そのように考えましたとき、私が出会っているE女史は、今が一番若いということです。E女史の、その気迫、その凄み、迫力。永遠に、いつでも、会えるというわけではなく、いつでも、手に入るわけでなく、今だけの、貴重なE女史の口から出てくる言葉だと感じたのです。そう思いましたとき、「今のE女史を、つかまえておかないといけない」そう、考えたわけです。E女史と私がコラボして、一冊の本づくりを仕上げるというのは、今だけしか、できないものを、形にするということなのだと、非常に重厚に考えさせられたわけです。今のE女史、非常にかっこいいです。E女史が私の目標です。最近、書くことが楽しくなってきました。E女史と出会ってから半年です。今までで一番、調子づいてきたな、波に乗ってきたな、いいものが書けるのではないかな…という兆し。書いていて予感だけは手ごたえを感じているこの頃です。ところで、E女史から頂いた、ブーツ風ふくらはぎウォーマーのクリスマスプレゼント!ありがとうございました。毎日、九時間、着装しています。穿(は)くとき、「本づくり!いいものできる!」と気合をいれて穿きます。毎日、身に着けることが、本づくりの意識づけとなっています。E女史、こちらこそ、今年もどうぞよろしくお願いいたします。■■■ □□□ ■■■ □□□ ■■■ □□□ ■■■ □□□ ■■■E女史からのメールKさま昨年は、いっぱい優しいお心遣いを頂きありがとうございます。お父様は、お嬢さんのことを、黄泉の国から見守ってくださっているのでしょうね。ご自分の想いを、どのような言葉に表現されるのか楽しみにしております。さて、北朝鮮には困ったものですね。早く、お好きな珈琲を飲ませてあげたいと思いつつ、心配しております。明日八日(金)は、本業のご年始のため午前中市外に出ます。午後まで戻れるか?です。間に合うときは、携帯にメールを入れますね。 どうぞよろしくお願い致 します。 E
2016年01月09日
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2016/01/04神様 おはようございます。今日は洋子さんが旅立って、一周年記念です。ああ、知らぬまに、父の四十九日が昨年12月30日で終わっていました。父は、その期間、耐えがたき期間を過ごしたのでしょうか。いまは、落ち着くべきところに、おちつかれたでしょうか?昨日まで六連勤で働いていました。年末年始を。神様、神様のことを、お父さんって、呼んでもいいですか?うちのサダノブお父さんと、神様を重ねて呼んでみてもいいですか?いいですよね。そうしたら、私が出そうとしている「私の大好きなお父さん」というタイトルも重厚な意味が増して、私はうれしいです。E女史が、「これしかないねって思ったのよ。出す本に、自分のことを書いてどうするのよ。私の大好きなお父さんって、なかなか、言ってもらえないよ。お父さん喜ぶと思う。一周忌に集まる人に配ったらいいじゃない」いいえ、配りません。そうはしないけど、そもそも、一周忌など、やりませんし。高齢の父の兄弟の多くは亡くなっており、生きている人たちもヨボヨボで、読もうとするような、そもそも、そんな近しい距離にもないのです。大人になってから、じっくり、一人ひとりの方々と、お話しをしたこともありません。父が倒れてから逝かれるまでの二週間ほどの期間。母と沢山おしゃべりが出来たことは私にとって有意義でした。母はかわいらしいお顔つきになっており、どれだけでもしゃべり続けられるというほど、言葉が豊富でした。施設に入られた母。距離が近ければ、定期的に通っていることでしょう。ミチコ叔母が逝かれるときには、兄が教えてくれたらいいです。そうしたら、親戚の方々ともお会いでき、その帰りに母の施設に寄ることも出来るでしょう。お父さん、天のお父さん、私の父のこと、よろしく頼みます。そうだ、天のお父さんに、お頼みすればいいんだ。サダノブ父さんのこと。ピアノ音を聞きながら書いています。お父さん、今日は休みなんですよ。久々の休みで、生き返るようです。私の全身の細胞のひとつひとつが。仕事の時は、私がオフとなり、全部がマシン化します。そうだ、お父さん、最近私が読んだ本をお話ししますね。お父さん、生きている間、会話が少なかった私たち。私が話したいことは、他愛もないことです。本の話をしたら、いくらでも、会話が続きますし、お茶やお菓子も、楽しくなりますよね。『ブッダの幸せな瞑想』マインドフルネスを生きる―― ティク・ナット・ハンが伝える プラムヴィレッジの実践[第二版]著:ティク・ナット・ハン 刊:サンガ定期的に読書会があるって、いいでしょう。お茶とお菓子を挟んで。私の読書を語り合える場。上の本はE女史が薦めて下さり、貸してくださいました。仕事をしている時間が、瞑想だと思えるようになりました。一日八時間拘束されています。間にプラス一時間の昼休憩があります。トイレ休憩は八時間のうち二十五分まで時間を頂いています。不自由そうだと思われますか?いいえ、そのような規制が、健康にも良い影響を与えて下さっています。昼休憩にこれまでは、ほぼ食べなかったのに、最近はちょこちょこ食べているんですよ。友達ができました。エミちゃん。一つ年上の方です。もう一年も前から研修が一緒で、席が隣ということから、ちょこちょこ話はしていたのでしたが、サダノブ父さんが亡くなってから、沢山話をするようになりました。エミちゃんは母親を十年にわたり介護してこられた方です。八十歳で亡くなったんですって。昨日、聞きました。エミちゃんは、話はじめると、途切れなく話し続けられます。私が途中、口を挟みたいので、話が途切れそうな息継ぎの間を常に狙っていますが、なかなか間が出来ない。ですが、話は面白いし、絵に浮かぶようなので、それを伝えました。「そう?私の話って絵に浮かぶようなの?」そうです。ですから、書くことを薦めてみました。私は書く仲間を求めています。書いたものを見せ合いたいのです。神様、さきほど、フシミさんから家の電話に連絡を頂きました。家の管理が大変なので、マンションを買おうかなと言っていました。エミちゃんと似ているタイプと今わかりました。続
2016年01月04日
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