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『いかなる活動も、それが個人の利益に基礎を置いていないかぎり、強固なものではあり得ないと思うのです。これは普遍的な、哲学上の真理です』(トルストイ)「のだめカンタビーレ」二夜連続見たらBGMにクラシックが耳に馴染むようになりました。「北京バイオリン」もとりあえず続けてみてます。バイオリン少年の男の子の顔が小学時代の同級生に似ています。男の子の汗くさいニオイが画面から伝わってきそうです。日曜から月曜の朝方5時半まで夫と久しぶりにしゃべったしゃべった。出会った頃から何を考えて生きてきたかとか。私は夫をいい気分にさせる天才で、相手の気持ちを引き立て、おべっかではない正直な賞賛に話を持っていく。しかもそれは真実である。とても充実した。そのためその日は仕事だったが精神的充実のあまり眠気を忘れた。その夜、さらに私の気持ちを引き上げるものを目にした。小学担任先生からの年賀の言葉。私はこの季節精神的ウツという自分の中での理由をつけここ数年書くべき時期の年賀は誰にも出していない。それらしきことは先回先生に宛てた郵便でさりげなく伝えた憶えが・・なので、気楽に先生のカードを受け取ることに。なぜか、きもちがぐわん!と引き上がったのだ。ぐっすり眠ったあと、顔つきがピカッ!電気のスイッチが入ったように締まりのあるいい顔つきに出来上がっていた。『○○○さんの返事は、デンワでなくていい・・・。宮沢賢治のような文章から○○○さんの声を聞くことができる。時々、お手紙から○○○さんの声を聞いて励ましてもらっています。ありがとう。良いお年を・・・・・。』だって。子どもの時は名前を呼び捨てにされていました。今、子どもの時に呼ばれたことのない呼ばれ方で書いて頂き、なんだか、りっぱな人にでも、偉い人にでもなったみたいです。子どもの時の続きではなくて、新しい今の自分を受け入れて頂いているようで・・救われた気分かな。12歳の時分の頃が本当に純真だったのだろうか?おそれや不安、よくオモワレタイという心の楽屋、考えの基準となるものもなく、とっても窮屈だった。貧しかった。ウソやつくろいが多くて、恥かし過ぎる。今の方が、よほど今の方が正直で、ばか正直で、自由がある。平安がある。先生、先生のメッセージ、私、とってもうれしかったよ。とーっても。あんな粗末で礼儀知らずの郵便物を、ただ気合いで送りつけたものを、受け留めてくださった・・十分です。ありがたい。神様の連発のへんな人と思われかねない乱暴な文を抱き締めてくださった先生。ありがとうございます。先生に、続きの文を書いてみたかったのです。文章の中でお話したいネタはたくさんあって、散らかりっぱなしで、いつか書き表してみたいこともあったのです。漠然とですが、ただ、先生が、そういうのを受け留めてくれるだろうか、と思うと、まとめる気持ちにまでいかなかったのです。コーヒーでひといき。夫が私があとでやろうとしていた洗い物をしにキッチンへ。ニッコリ笑って顔を出す。お風呂に今頃入ってるのか。私の口癖は「おにいさんと一緒になれて私はとっても幸せ」「おにいさんのような人はどこにも見つけられない」「毎日たのしい」「しあわせ」夫はの精神の基盤。BGMをバイオリンからヒーリングに変えようと思うのだけど、変えがたい。体がとても温まっている。正月あけ、食べ過ぎた胃が重たかった。が、平常の仕事リズムはそれをみごとに改善させた。朝抜き、昼抜き、日中の水2リットル、歩く、走る、汗をかく。仕事に熱中する。通勤は私の健康を保障する。仕事に集中、熱中するあまり、時間がすぐに過ぎていく。始まったかと思うと、もう終わっている。ペロッっと仕事を食べ尽くす。帰り道、走りながら、歩きながら、夫に今日の歩みをケータイにて報告。(無料ソフトバンク)夫は私の日々のコツコツの歩みをノートに記録してる。まるで一緒に仕事してるみたいだ。とすれば、それは仕事ではなくて、デートかもしれない。共同作業はおもしろくもある。夫は私のことを何でも知っておきたいのだ。そして、何でも知ってもらいたがるのが私。私は最も夫の価値を見出し、評価する専門家である。また、夫も最も私を評価し、あなたには天分がある才能があると賞賛上手な人だ。BGMはピアノに切り替わった。「レ・ミゼラブル2」はゆっくりゆっくり、おもに電車の中だけで読んでいる。私の中のヒーローは、今日のところ迄で「マリユス」になった。行き帰りの電車時間は片道20分、朝ドラくらいの時間で十分な充実感を積み重ねられる。わずかながらにも影響を受ける。ユゴーという人の文章も、これはリズムであって、呼吸なのです。ある種の精霊なのです。このクラシックな文章と、今の私は相性が合う。ジャズはなかなか馴染もうともしたけど、うまく馴染めないのです。私は世界文学全集の作者のようなインテリが好きだろうか?ある時、考えてみた。いいや、そういう人と付き合いたかったら、本を読めば、十分付き合うことになってます。夫はそういう本を好むインテリタイプではない。ああ、私の理想の人ははじめから決まっていました。夫のような私の寝てる間のよだれを拭いてくれるような、そういう人が夫で良かったのです。生活感たっぷりのこの方が理想の人でした。インテリタイプの人とは本の中で付き合えます。それも恋愛対象でなく、友になれるのです。その本の香りから、その人の霊が、私の霊に語りかけます。ユゴーの霊は、今も生きています。私はあなたを理解しよう。私はあなたと友達になれる。こういう長編の本がとても好きになりました。この本を手にとったのは、先生の影響です。先生、私が始めて本を読んで涙を流したのは、先生お気に入りの秀才で人格者の小学同級生のR・Kさんの影響です。彼女のお父さんは新聞社に勤務していて、彼女は勉強家で読書家でした。彼女は私に本を貸してくれました。それが「ああ無情」だったんです。先生からの贈り物がきっかけで、私はR・Kさんの小学生当時の彼女の夢を見たりしました。彼女とは尽きぬ話を何時間しても飽きなかった。帰り道一緒の道で日が暮れるまで喋っていたかった。小学六年の時、彼女と一番仲が良かったのは多分私だった。彼女が転校した先は親戚の叔母の家の近くだった。小六から中一になりかけの春休み、私は彼女と喫茶店で会いましょうと電話をかけたのだったと思う。会った。けど、その時、全く会話が弾まなかったのです。ガクン。彼女は、全く、別のことを考えているようだった。互いの霊界が合わないって感じで、一緒に時間を過ごすのが、気詰まりな感じになり。それ以来、一度も交流してない。そんなもんです。それでいいんです。それでも、私たちは、あの時の共通の思い出がある。彼女の絵が好きだった。絵も大人びていた。気品があって、色遣いも、凡人じゃなかった。習字は先生の字より秀でていた。先生も舌を巻いていた。圧倒されていた。あんな立派な人に私も近づきたい。そういう方と共に過ごせた時を誇りに思います。その人のことを思うだけで精神的に引き上がります。先生もそうだろうな。先生、先生はあの頃が一番充実していたのですね。いじめられっこの私に代わって、いじめっこたちを退治してくれたのも先生でした。先生は私を敢然と護って下さった。私は先生のもとで四年もの間、過ごす程に居心地のいいポジションを得ていった。先生、けれども、そのコは、今の自分とは別者です。今の自分の方がよっぽど、小学生らしい溌剌とした一生懸命さが溢れています。多分。先生には対面でお会いしたくはないのです。デンワも絶対しないでしょうし、葬式にも行きたくありません。同窓会などどうぞなさらないで、私を誘わないで下さいね。気が向いた時にしか郵便で文章を送ることはしません。それでも先生は私を愛弟子として愛し続けるでしょう。私からの便りを大切にしたり、心待ちにしたりするのかもしれません。心が通じ合えた貴重な存在。私の口癖「人間の中で一番おにいさんが好きです」夫は私の精神の基盤。R・Kさんも、先生も、私の精神と、友達になってくださった存在です。私は対面の人じゃない。デンワの人でない。私は文章の人です。書いて、気持ちを伝える人です。書いたら善く評価される人です。夫が言う。寝てる間に顔を撫でたり褒めたりする。起きてる間はしない。昨日も寝ている間にいっぱい頭を撫でた。なぜ?全く憶えてないのですが。それでいいんです。あなたはわからなくても、ちゃんと実はわかっています。善い待遇を受ける私の顔や頭は、そこを司っている精霊さんが知ってるということですか?だから、自然と、私はあなたを好きだ好きだと毎日言うのでしょう。私は、ほんとうにおにいさんに善くなついています。神様、いつも、おにいさんを通して、私を愛してくださる神様ありがとうございます。私はおにいさんと共に暮らす中、いつもあなたを感じることができます。神様、あなたが、こうして私を日々育てて下さっています。神様は、こうして、人を通して顕れます。とても充実している。生きていることがとても楽しい。仕事も面白い。体が温かい。気力も充実しています。昨夜1月8日(火)20:37から新月が始まりました。目標を紙に筆ペンで書きました。昨日から又4杯の水行も始めました。ひゃっ!とした冷たさを通過すると芯から温まることを知りました。
2008年01月08日
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『その日その日が一年中の最善の日である』(エマソン)布団をかぶって男の子は寝ながらテレビを観てる。スポーツ番組とかお笑いだったか、とにかく女の子には興味ない。女の子は男の子のお世話でせわしない。クルクル回っている。男の子のまわりをクルクル踊るように回っている。お皿にリンゴを運んで、さあ召し上がれ。テーブルに置いた手は、食べ終えたミカンの皮をすばやくつかみクルリと持ち去る。赤ちゃんの顔をのぞき込むよにチラっと男の子の顔をのぞく。ふわっとした顔で目を見張る。たのしい!かわいい!女の子は男の子の周囲で働いている最中にも「好き!」というおもいが充満する。どんどん、どんどん「好き!」がたまってくる。それで時々男の子の顔を見にくる。気が向いた時に部屋をのぞいては「好き!」と言いにくる。そして又、次の仕事に立ち去る。多くは台所に立っている。クルクルくるくる忙しい。男の子はじっと寝てるので寒いと言ってもう一枚布団を重ねた。女の子は暖房のない台所に通常立って仕事をしているが絶え間なく動いているため体が温かい。午後にはベランダに干した洗濯物がいい感じで仕上がっている。朝方まで映画を見ていたため午後に目が覚めた。いい天気、こんな日は窓という窓を開け放とう。玄関も奥の部屋もお日さまと風を入れてあげよう。仏さまのお水も線香も蝋燭も一気にやろう。お日さまと風が、部屋の隅々のモノを撫でて殺菌する。窓の結露拭き。部屋の清潔は、精神を清涼化する。ベランダで衣類をパンパンしてそのまま畳んで籠に入れていく。夜、部屋の寒さ防止のため、二重三重のカーテンにもうひと工夫入れようかと思いつくが、体があったまっているので、次の機会にまわすことにした。もっと寒さを感じたときにでも。大正湯たんぽに熱湯注ぎ男の子の足元へ入れてあげる。夫と私の構図は、神様の回りをチョロチョロ動き回っている天使の構図をおもわせる。神様のまわりを甲斐甲斐しくチョロチョロ動きまわる天使さん、とてもかわいいです。男の子の世話をやく女の子、とってもかわいいです。 ◇ ◇ ◇夕方Reiちゃんから電話。新春のスピリチュアルトーク。ずーっと交流の暇がなかった。一人暮らしの彼女がある日突然霊界に持って行かれたら、誰が気づいてあげられるだろうかと思ったことがある。「霊界に行く時は体がバラバラになってはいけない。体を護らないと」以前、誘拐された人が山林に隔離されたとき、(ここで死んで捨てられたとしたら死体を人に見つけてもらえるだろうか)と不安に思ったという話、彼女がしみじみそれについて語った。そうか、災害とか事故や病気で体が損傷されて霊界に行くという場合があるが、本来そうあっては霊的にもよくない問題があるのだろうな。なんとなく彼女の言葉が心に残った。「あの世でも私は働く使命があるから」ふうーん、まるであの世の世界に行って、よく知ってる人が言うような言い方だよね。「ただ、そう感じるからなの」ふうーん。彼女の口から聞くと信憑性大有りなんだよなあ。霊界行く時はキッチリ肉体を損傷せず終了させなければならないのね、了解。ある時、ふと思った。彼女、ちゃんと生きているだろうか。連絡が途絶えていたからである。彼女は定期的に私に連絡をつけてきていた。「今日、こんなこと感じたの」何かを伝えたくて、分かち合いたくて、スピリチャルトークを投げかけてくる。連絡がないのはちょうど仕事が忙しい状況にあることは把握していた。が、ある日突然もしや・・。ちょうど、ある仕事の帰り道の夜と、出勤する朝、彼女そっくりの女性の後ろ姿を見かけたのだった。前の顔を見て違う人と確認した。それが二日続いたため、何か、彼女の魂が私に気づかせようとしてるのかと思い、ある朝、思いきって電話してみた。「どしたの?これから出かけるとこだよ」あー生きてたんだ「ひどーい、仕事ずーっと忙しかったんだよ」はあ、うん。確かに仕事ばかりに忙殺されている彼女の毎日。そんな彼女は影で善行に生きている。無欲でシンプルで時代遅れの幽霊のような彼女。いつのまにか、彼女の魂の霊界は私よりずーっと高くりっぱになっちゃって、私の魂のレベルと合わなくなっていったのではないかな。おきざりにされちゃったような、越されちまったような、停滞してる者に、さっと風がふきぬけた。少し時が経ってから意味を解した。私は彼女が本当に生きているだろうか?それを確認したくて早朝電話してみる気になったのだが果たして彼女は鮮やかに生きていますという声を発した。彼女の古い殻は脱ぎ捨てられ、彼女は新しきものとなって生き始めたのだ。「そう思ったんだよ」電話で彼女に伝えた時、「とてもうれしい。言われてみれば、体的にも精神的にも、やっともってるような状態でその一年を駆け抜けて来た。常にギリギリだった」やはり、いつ突然霊界に持ち去られても、というギリギリすれすれの危うさがあったという。年のはじめに涙をいっぱい流したのだという。生きるために彼女には音楽が必要なのだって。体の痛みが緩和されたり修正されたりする療法効果も感じてるようだ。音楽って、そんなに人にとって大事なものなのかあー。書く時にBGMがあると、流れるように言葉が舞い踊ることできるものね。音楽の大事さ、人は言葉によって傷ついたり、また言葉によって力を与えられたり感動したりもする。彼女の求めているのは図書館などの本ではなく、歌や曲や踊りや舞台、映画、韓国人の女性の高い声、韓国人男性の太い低い声、そういうものを聴きたいのだって。それを目にし耳にしたときいっぱい涙が出てきたのだって。泣き続けて気持ちのいい涙を存分に流して、心身の隅々まで清められ、洗われ、新しく甦ったと。韓国人の人の声が働きかける。「よくやってきたね」ねぎらいの言葉を霊的に声がけしてくるのを感じるのだという。途中「私トイレ行きたくなったから又ね」「うん又ね」~彼女に影響されてBGMをK‐POPのチャンネルにしてみる。ふうん、あたしもチラリとおもった。韓ドラにどんだけ熱中してもいいから、韓国語ちょっとずつでも覚えていけたら善だよなあって。言葉は音楽だから。ハングルもいい音楽だから。神様にとって聴き心地のいい音楽だから。あなたには絶対できる。できるよ。今がチャンスだ。大運/印綬・冠帯(印綬)、流年/印綬・長生(傷官)の2008年の私。印星が2年~4年続くのですから、何かを物にしなくては。Reiちゃん、あたしもこんなことおもいついたんだよ。人が発する声は毎日微妙に違うのよ。人の声って、精霊だよ。ちょっとずつチェンジしていってるの。善くも悪くも。声って、心のおもいが形になってるの。おもしろいし、こわいよね。重要だよね。おなじ「おはようございます」が毎日微妙に違うの。「挨拶が一番大事」今の会社の研修を担当した方が一番繰り返した言葉。全くそのとおりだとしみじみおもう。きちんとした挨拶をするために、ぎりぎりに会社にセーフしていたんじゃだめです。だから、起きて、一番先に挨拶しなきゃならない人は、人間じゃなく神様なのですよ。挨拶は祈りなり。挨拶は短いもの。長いのがいいというわけではないのです。手紙もそうだ。スピーチも文も長いのは嫌われる。親に葉書書こう。手紙でなく。時々、朝、シャワー浴びてから出勤した日も多かった。私を覆う霊界が気持ちよく整っているのを感じた。祈れなければ、お経をウォーミングアップとしてあげてみるのもいいかも。理屈がなければ私はお経などあげられません。本を声を出して読んでみる。うーん、いいかも。私は演劇をやりたい、何度か去年もおもったことあったな。大きな声を出したい願望。やってみよう、やってみよう。朝、発声練習もしてみたい。・・どうぞ、行動に移せますように。
2008年01月03日
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『あなたの心の庭に忍耐を植えよ。その根は苦くとも、その実は甘い』(オースティン)お父様、あなたに会いたくなりました。ゆうべ書いたら、めちゃめちゃ力が沸き出しました。書いたことによって力を得たを思いました。そこから私はなかなかできなかった山盛りの洗濯をクリーニング屋さんのように集中しました。ゆうべ書いた水をかぶるのとお湯につかるというのは西式の健康療法だったのだなと思いました。加えて裸療法を試みました。その後、ヌカ風呂でヌカのエキスの油分で髪を洗ったら、とっても気持ちがいいのです。こんなにシャキン、スカッとするなら、これからはドシドシ張りきって試みようかと思います。キリリとする寒さの中で、洗濯の水洗い、手足をお湯につけ、温め温めしながら、どんどんすすぎの水を流します。寒さがキリリを刺すようで、腹式呼吸に気合いが入ります。その勢いで床拭き、玄関拭き、家の中もさっぱりさせました。ふと、刺す冷気にソマリアの女性の痛み悲しみを思いました。その時、ふと思ったのです。人類の悲しみ、特定の人の悲しみ、それとおんなじ分の痛みを、神様もおなじく痛手を受けているのだな。だから、早くなんとかしなければいけないのだ。時を急がなければならないのだ。どうか私に出来うる道が与えられますように。そんなことを思いながら涙ぐんだ。こういうのが祈りというものなのか。西式療法、生活の中でもっといろいろ試してみようと思う。ヌカ風呂に浸かってアカスリをして、スカッとなったところで休憩した。ストーブで腰を温めながらみかん、ほしいも、せんべい、チョコフレーク食べながら映画『パッチギ』夫と一緒に観た。イムジン河の歌の場面で泣けてきた。映画の中の短気な人々、「自分もその昔短気だったがしだいになおっていった」と言ったのは夫。へえ、短気な人と思ったことは記憶にないくらい私の前では穏やかな人だけど。神様、きっとあなたにも短気な面はあるのではないでしょうか。あなたもそれを押さえていらっしゃる。私はやはりあなたをわかりたい。あなたを求めたい。あなたが大好きです。夫の前で私が言う言葉はいつも決まっていて。好きだとか、かっこいいとか、かわいいとかなんだけど。ある時、ふっと思ったんです。神様の周囲の天使たちも、こんなふうに神様のまわりではしゃいだり、うたったり、さわいでいたんだなと。その賛美するきゃあきゃあした言葉は音楽のように耳ざわりのいい音だったのだなと。ああ、神様、そうそう、神様、神様という呼びかけ、そうせざるを得ない衝動、わきいずるおもい、こういう時間をつくらなきゃ生きてて意味がない。仕事ばっかりは嫌です。家で家事ばっかりも嫌です。私には神的刺激も必要だ。世界文学全集、どんどん読み進めていこう。こういう喜びがあったなんて。キリスト教の基盤のもとに書かれているので必ず聖書の引用らしきものが出てくる。もっと若い時期だったら、絶対理解できなかった。いま、今のあたしに必要な、ぴったりな本なんだ。これらの分厚い本を聖書を読んだことのない人が読んで本当に理解できるんだろうか。できないよと思う。ぜったい。いや、あるところまでの理解は可能だ。人は本性があるから、実は聖書の基盤がなくても、本当は理解できるし、心が感じるし、わかるんだ。誰の心にも、神様の本性は植え付けられている。苦いと思えるものが、実は甘いんだ。初対面の夫をあれだけ疎んだ始めの自分。後になるほど、こんなに甘い夫の味が身に沁みて身に沁みて、こんなに素敵な人がいるだろうかと私の歌は鳴り止まない。はじめに嫌とおもったものには実は妙味がある。きっとある。必ずある。洗濯もの外に干し終わりました。神様が下さるお日さまと風さんと一緒に衣類を気持ちよく仕上げる一日の始まりです。毎日神様を感じる一日を創造したいです。そういう暮らし、なんでも神様に関連づけるの。そうすると喜びが倍増するの。きっと神様も私のことかわいいコだとおもってると思う。
2008年01月02日
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『充実した一日が幸せな眠りをもたらすように、充実した一生は幸福な死をもたらす』(レオナルド・ダ・ビンチ)夫が私にくれたメッセージの中で心に響いた励ましがあった。「最初と最後が決めて。コツコツやれ。どんどん充実してくる。それが人に影響を及ぼす。お客さんに伝わる。自身の充実感こそが大事」こんな内容として解釈した。なるほど。そのとおり。こつこつ忍耐強く続けていくと、どんどん自分自身がノッテクル。顔がどんどんイイ顔つき、目の光、表情を醸し出すようになる。イイ感じで血液が循環していますという状態。無心。そんな中で、私は「大丈夫だ。できる!」信じられる境地を体験した。結果をゆだねられる心地を体験した。結果は神様、あなたがお決めなさること。私は無心でコツコツとやるべきことを行うのみです。結果的に数字が揃わなかったとしても、翌月から給料が下がったとしても、ああ、この仕事が好きになってしまいました。その賃金でも私はこの仕事が楽しいものですから、はやり続けていくことでしょう。きもちにゆとりが出てきた。世界文学全集「レ・ミゼラブル2」に入っていて、ジャンバルジャンが入り込んだ修道院に関するページが100ページにも及んでおり、ページは中々進まず、ここで私はあることを思いついた。その数字の実が成るように成るようにと、家から帰った直後、水をかぶることを思いついたのである。最初は小さなどんぶりほどの器に四杯、その後しだいに慣れてくると桶で四杯、頭から水をかぶるというその日一日の締めくくり。これは非常に善い思いつきで功を奏した。水をかぶると寒い冷たい、そのため必ず熱い湯に浸かって体を温めることになる。体がふやける。垢が出る。アカスリをすることになる。気分がめちゃめちゃ爽快になるのだ。いきなり水をかぶるという行為にはたして慣れることはなかった。最終日まで、かぶるごとに飛び上がってヒイヒイいっていた。しかし、だんだん快感に思えるようになっていった。目に見える形を整えたいという目標があったのだったが、そのことを途中から忘れるおもいだった。水をかぶる行為、熱い湯で体を温める行為、結果毎日アカスリすることとなった。このことじたいが活気をくれた。このことじたいが喜びとなり、こういう生活習慣がとてもいい!と充実感がもたらされた。目的は数字という形にあったのではなく、こういう引き締められた生活の方のあったのではないのか。このことじたいがとても楽しいとおもえた。こうして私は外から持ちかえった雑多な霊も、埃や煙草のにおいや、仕事をしている間中もらいうける電磁波やマイナス的な出来事やストレスの原因となるもろもろのことを洗い流した。よって、その日一日のいいこと悪いことすっかり自分から抜け出た。まっさらな新品の状態で心地よく食べ、心地よく眠った。温泉地の宿に泊まる気分となっていた。書いているうちに日が暮れた。広い窓、これが冬場アダになった。角部屋の広い窓が冬、めちゃめちゃ寒いのである。三重に厚手カーテンで寒さ防止をした。間をあけて空気の層を作ってあげる。この冬、一番きっちり寒さ防止がうまく出来た。それで今はとってもあったかい部屋に生まれ変わった。結露も最小限に押さえる効果あり。こうして書いているうちにどんどん充足してきた。気の充足。気持ちがどんどん柔らかになってきて、考えたり物事を建設的に整理していってみようかなという前向きな思考になりつつあり。汚れを洗い流したら、次は書いて計画を練ってみようよ。自作のカレンダーづくりしてみようよ。やりたいことを書き出してみようよ。書いたことを実現させてみようよ。充実、魅力ある自分に充足してみようよ。楽しんでみようよ。人に善い影響を与えてみようよ。
2008年01月01日
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『自分が立っている所を深く掘れ。そこからきっと泉が湧き出る』(高山樗牛)ずーっと書くことをすーっかり忘れてしまったかのようです。自由に書くというこの遊びを忘れさってしまったかのように。しだいに心の中でしゃべるということもしなくなっていたのでした。日々の生活の中でパソコンも不用、音楽も不用、この部屋も無ければ無いなりの暮らしをするだろうし。実際、仕事の数字ばかりを追っていた一ヶ月、この部屋に寄りつきもしなかったのでした。12月、会社、お風呂、食事、家のトイレに貼り付けたその月果たすべき目標数字を見る、トイレに行くたびに目に入れる。寝る、起きる、韓ドラの録画ビデオと朝ドラ観てまた会社、電車では本を読む。昼には夫からの仕事の励ましメールを目にし、帰り道には夫に今日の仕事結果を報告し、目標数字は仕事納めの最終日に形が整っていた。こんな私でもやればできるのか・・いい締めくくりを与えられた一年。心がチリヂリに乱れた季節が涙ぐましく思い出され・・けれど私は何も失ってはいなかった。失ったかのように思えて、その実、ほんとははじめから何もありはしなかった。だから何も失ってない。むしろ本当に何かを果たしたいと思ったら、「できないこともない」できうるということを学ぶことができたのだと思う。私の心の中からその間、無駄と思われるものが消えていった。数字ばかりを追っていたから。心の中の言葉も、祈りも、吹き飛んでいた。いざ、今年最初に神様に挨拶をと思ったところ、情緒的な言葉が、挨拶の言葉が浮んでこなかった。仕事ばかりで毎日が消費されるのは嫌だ。「ちりとてちん」これまで見た中で一番心に響いた言葉は小次郎叔父ちゃんのセリフ、乱雑な物が整理されてないナツコさんの部屋に入っていって発した言葉「宝の山やあ!」ハタから見ればガラクタと思えるものを手にして目を輝かせて言う男。(ほう、片付けられない女と判断するのでなく、その整理されてない中に妙味を見出してくれる人なのかコノ人は!)よし!この人に決めた!心をゆるすナツコさん。私も奥の物置部屋と化した四畳半をガラクタ部屋と称するのでなく「あそこの宝の山」と思えるようになった。楽しみながら整理して行こう。きっとホントの宝が見つけられるはずだ。そう、ここに連ねる言葉たちも、無駄なヒトリゴトを書いているようで心苦しくもあるのですが、きっと書く中に光明が見つけられるはずだ。そうそう、こういう作業をしながらにして、私は霊界の精霊さんたちとうち合わせなる会議をしているのだ。夫はさっきまで眠っていたが、出掛けたようだ。買い物が大好きみたい。夫が寝ている部屋ではどうしても本が読めない、文が書けない。あくまでも寝る部屋であり、テレビを見る部屋であり。その部屋は暖かいのであるが、私は本を読む部屋は暖房もないキッチンが集中できる。また書く場所はこのヒンヤリした空気のこの音楽のある部屋がいい。さあ、閉じ込められていた自分を掘り出すのだ。
2008年01月01日
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