つれづれに・・ちょっと一息
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ここに日記を書くのは久しぶり封印したくなるようなのたうち回るような日々だった。なんだかんだと日々は過ぎて、子供らも大きくなり、自分も歳だけはとったなー。久しぶりにここの扉を開けたのは久しぶりに自分の心中の奥底を見ることになったから。娘は育てやすい子だったし、長いこと私の支えだった。息子がよくあれていたので、娘だけが生きる支えだった。でも最近、娘は思春期の反抗期なのか、たまたま私と折り合いが悪いのか、うまくいかないことが多い。普通の親なら、もっとどんと構えていられるだろう。私も、そうしたいけど、そうできないときがある。私は高校生の時、一瞬に世界がひっくり返ったような大変な体験をした。それ以来、どこか最後のところで、人を信じることを恐れ、信じ切ることができない自分がいる。もちろん、その世界にばかりいるわけではないが、振り幅が大きすぎるのだ。娘の些細な一言とか、態度で、一気にその不信感を刺激されるときがある。だれも信じることができない、裏切られたときの痛みとか、悲しみとか、泣き続けたままの自分がそこにいる。30年以上、泣き続けている。・・・しつこい・・・と自分でも思う。そんな時が、どうしようもなく不安定で、苦しくて、悲しくて、おかしくなりそうになる。まだ、そこにいたんだ、まだ、泣き続けているんだ・・・・・。その子が泣くのをやめるときがくるんだろうか。いったんは扉を閉めることはできる。そうしてきたから。しめた扉のおくの泣き続ける子を抱えて生きていく覚悟もした。でも、しんどいなあ。しんどい。ある人に言われた、だから、この仕事できるんだよ、と。そのしんどさを自覚できるから、外に巻き散らかさないで、抱えていけるから、たぶん、この仕事をしているんだよね。自分を知るって、大変。向き合うつらさを実感・・・でも、こういうふうに、生きていたいんだろうなー。。。娘のことだけでなく、泣いている自分の扉を開けることになったのは、ひょんなことから。ある先輩から、退行催眠の体験を聞いたからだ。退行催眠のある場面、後ろを向いた母親を絶叫して呼ぶ、という場面。もろに、泣いている私とリンクしてしまった。そう、呼んでも呼んでも、振り向いてもらえなかった、置き去りにされた感覚だけが未だに鮮明によみがえる。ちょっと収まるのに時間がかかるのだ。。。だからここに書きたくなったのだ。。。
2017.04.19
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