ふさの国から 晴走雨読パパの日記帳

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KAZUSANOSUKE42195

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2026.05.05
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テーマ: 日本史
カテゴリ: 旅活(旅行)
白河、二本松・・・、戊辰戦争・東北戦争の戦場を訪れた時は、いつも予想に反して雨が降る。
そして、会津若松でも、空から白いものがチラチラと舞ってきた。
ただ、この地の歴史に思いを馳せるにはちょうどいい空模様なのかもしれない。

まずは飯森山へ。
司馬遼太郎さんは、歴史の雰囲気を壊すとしてエスカレーターや土産物店を酷評していたが、今ではすっかり周囲に溶け込んでいるように思える。
「歩いたら、本当に大変でございます」の優しい自動音声に励まされて、登る急な階段の先に墓地がある。
現代の僕らは、わずかな階段で僕らは息を切らすが、白虎隊士たちは、猪苗代湖畔から飯森山まで撤退してきたのだ。現在の磐越西線でも、猪苗代湖畔駅から会津若松駅まで35Kmもある。
ヘトヘトなうえに、城下の煙を見て悲嘆にくれたに違いない。
白虎隊の悲観と覚悟が痛ましい。





なにより、16~17歳の白虎隊をはじめ、老若男女を戦いに駆りだし、甚大な犠牲を強いた藩主や藩指導者の責任は大きいと思う。
それでも、藩主・松平容保を責める気持ちにはとてもなれない。
禁門の変当時、容保は病床に伏してもなお、当事者たる責任から逃げようとしなかった。
会津戦争の局面では、洋式銃について、山本八重(新島八重)から教えを乞う必死さがあった。
会津若松城内には、容保の肖像画があった。
痩身・色白な美少年で、早すぎる時代に翻弄された木の葉のように感じた。





城を出てしばらく行ったところで、追いすがってきた高校生に声を掛けられた。
どうやら、コートのポケットから落ちた僕の手袋を拾って、追いかけてきてくれたらしい。
法を大事にし、道理に忠実な会津藩の気風が現代にも残っているようで、なにやら嬉しくなった。










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Last updated  2026.05.05 05:00:05
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