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休みなく働いている娘が今日ようやく休みをもらって午後2時にまだ眠っています。西隣の家の取り壊しが本格的になり一日中ユンボがガーガーガシャガシャとすごい音がしていますが、娘はその中で眠っています。バイトを始める前は一日に12時間眠っていたので休みモードで疲れを放出しているんでしょうね。娘の手はアトピーなので毎日水仕事やレンジに焼かれて手の甲が真っ赤に焼けて傷だらけです。そこで活躍しているのが「虎杖伝説」のクリームと総合可視光線の治療器です。治療器のカーボンも無くなって来て買わなくちゃいけないし、虎杖伝説クリームもなくなって来たので買うためにここに貼り付けておきます。地球の恵み 虎杖伝説クリーム【3個セット】価格:9,000円(税込、送料込)【突破1205】【コウケントー】 カーボン灯国産カーボンSF-112A - 22種類からお選び下さい。価格:2,310円(税込、送料別)バイト先は人が足りなくて娘はフルで頑張っていますが、学校に通っていなかったために自分が人の役に立つとか限界を超えて頑張って達成感を経験するとかそう言う経験をして来なかったので、青春スポーツ根性ものなんかを見てもしらーっとしていたのですが、今とても新鮮に経験中のようです。8年半休止していた事をフル回転で吸収している感じです。ありがたいです(*^▽^*)
January 17, 2012
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娘が今度こそバイトをやると決心して一人で連絡をして電車で仙台に面接に行き、バイトが決まったのが3週間前でした。その後、研修のために泉パークタウンまで行かねばならず、そこは不便な所にあるので普通の交通機関では片道2時間掛かるため、私が車で送り迎えをして活気のあるパークタウンタピオをうろつき、先週からは近くの開店準備に入って何かと刺激を受けているこの2週間です。写真を撮ろうとしたら変顔しか撮らせてくれなかった(´・ω・`)人前に出る仕事なので娘は19歳で初めてお化粧をしました。アトピーがあるので美容部員に相談して基礎化粧品からファンデーションまで選んでもらいました。小5の担任の先生がきっかけで不登校が始まり、小6で仲良しの友達の仕打ちを知って不信感から本格的に引きこもりになってから9年7ヶ月経ち、ずっと小学生だった娘の心が徐々に変わったようです。娘は今年、私と一緒に東京に2回行った他に、11月に一人で夜行バス東京日帰り往復をしたりとある仙台のオフ会に2回参加したり、ネットで親しくなった近所の人と直接会ってお茶したりと、とてもアクティブになっていて小学生から中学生くらいには成長したようです。バイトも具合が悪くなったりちょっとした事で逃げ込んだりしても全部受け止める覚悟でいたのですが今の所は疲れつつも楽しく続けています。「いきなり飛び立った感じだね」と夫。いえいえ、いきなりじゃないよ。少しずつ心を育てていたこの9年7ヶ月。夫が仕事を辞めて家が経済的にピンチに陥ったのも娘の原動力になったようです。「昔オヤジに『すねかじり!』って言われたのが いつも気になってたんだ」経済的にも精神的にも自分で自分を支えたいと思っているようです。「来年はお母さんを Leadのライブに連れて行ってあげたい」と言ってた娘なので、Leadはやっぱり私達にとって大きな大きな支えと刺激だなぁと思いました。私もこの10年弱で苦しみ悩み考え感じ、もがいてあがいて自分を知り、成長させていただいてます。ピンチはチャンスだよね!!(^_-)☆バチッまだまだ自分を知って自分を支えるために私も頑張ります。
December 26, 2011
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先日、娘(17歳)が高校生になった。小5で不登校になり、7年間のたうち廻りながらの模索の結果が少し見えて来て娘は高校に行く事を自分で決めた。でもどこかで期待し過ぎないようにと自分に言い聞かせていた。こうすべきだと思っても自分の本心を絶対に誤魔化せない素晴らしく自分に正直な娘なので、もしかしたら建前で行動して身体が反応してアトピーが悪化したり、うつ状態になったりするかもしれないとその心の準備もしていた。これまでがいつもそう言う反応で、本心から納得していないと娘は身体が反応するから。だからオリエンテーションも入学式も内心は「ものは試し」的な思いで行った。顔が腫れて来ないか、お腹が痛くならないか。頭が痛くならないか。顔が暗くないか。笑いながらも何が来てもどんと来い!と思いながら準備した。でも娘はオリエンテーションも入学式も平気そうだった。入学式では娘のすぐ傍で、金髪ヤンキー系の少年少女達が始めから終わりまでずーーーっとしゃべりまくっていた。娘は昔、そう言う場を壊す人が嫌いだった。イライライライラして許せなかった。我慢するとアトピーが悪化して些細な事で感情が爆発した。だから今回はどうなるのかと保護者席で見ていたのだが、全てが終わって帰る道すがら聞くと「いや~~~ヤンキー兄ちゃん達が、 本当に有り得ないくらいの低俗なシモネタを ずーーっとしゃべってて、 面白くて笑ってしまった。 しかも後ろにいたお姉ちゃん達も しょうもないシモネタばっかりしゃべってて、 生のシモネタを初めて聞いて 実に面白かった~~。 その上、脇の兄ちゃん達と後ろの姉ちゃん達が 初めて会ったその場で意気投合して 一緒にシモネタ三昧してて 実に興味深かった。 でも端っこにいた真面目そうな男の子が 兄ちゃん達と姉ちゃん達に囲まれてて気の毒だった。 面白かったけどうるさくて、 校長先生の話も他の先生の話も 一切聞こえなかった」と笑っていて、とても楽しんだ様子だった。ほおおおーーー。あの気難しくデリケートで怒ってばっかりいた娘が1時間、低俗なシモネタしか語らない連中に囲まれている状況をニヤニヤしながら楽しんだだと!ほおおおおーーー。娘はいつの間にか以前とは違う視点で物事を見る人になっていたようだ。これなら大丈夫かもしれないと思った。そして今日、個人面談に一人で電車で行くと言い、生まれて初めて一人で電車に乗って出掛けて行き、一人で電車と徒歩で帰って来た。これだけ見ても、この7年の道のりは険しく多難だったが実りあるものだったと思える。多分、娘は一人で自分を見つめたこの7年間で、孤独と独自性を乗り越えて来たのだろうと思う。7年間、みんなと違う道を歩んで自分を見つけて来たのだと思う。娘はもう大丈夫かもしれないと思った。通信制の先生方は人間としていい人達だったと娘が言っていた。小学5年の時、娘のクラスメートは担任の先生を諦めた。娘は諦めなかった。だから学校に行かなくなった。大人に娘は騙せない。娘は人の心の大事な所を見抜く直感が鋭いから。その娘が通信制の先生方がとても話し易いと言った。そして7年振りに家で勉強をした。幾ら勧めても決してやろうとしなかった勉強を今日自らやっていた。何とも濃くて長い7年だった。娘は最初心身症になり、うつ状態が続き、不登校センターや小児精神科へ行ったけれど、何にも得られるものがなかった。不登校のきっかけになった担任の先生と私は心の交流を図ろうと四苦八苦したが、あの先生は自分でも気付いていない固い堅い壁で自分を守っていたので、壁を揺らす事さえ出来なかった。校長先生と何度も話し合ったが、教師を守る立場の視点しか持ち合わせない人だったので、人間としての交流はおろか教師としても理解し合える事はなかった。でも教育事務所で行っていた不登校児の保護者の会で出会ったカウンセラーさんのお陰で私は自分の問題点を知り、多角的なものの見方を掘り出す事が出来るようになった。自分を縛っているのは自分。自分を苦しめているのも自分。最近それが良く解るようになった。その間に母が認知症になり通いで看病生活が始まった。夫が仕事を辞めたり求職で苦労したりうつ病になって経済的に追い込まれた。息子が専門学校を辞めて自分の生き方探しに彷徨った。母が胆のう癌で亡くなったり、私が叔母の世話をするようになった。今思い返すと、この7年の間に沢山の大変で辛い出来事が見事に集中して続いた。自分の事はいつも後回しにするしかなくそうするとしばしば寝込んだりパニック症状や過呼吸になった。それでも自分の縛りを解いて行くうちに少しずつ寝込む回数が減り、出歩く事や生きている事が楽になって来た。それまで夫の独裁状態に怯えて逃げてばかりいた私はようやく勇気を持って夫に正面から立ち向かうようになり、飲み込んでばかりいた思いを伝えたり、夫のストレスをぶつけられる一番の被害者だった息子との間に入って守ったり、息子に我慢しないで思いを伝えるように言いたい事は何でも言うように励ました。そんな風に娘の事をきっかけに家庭内での問題点をほぐして少しずつ家の中に風が吹き徐々に「帰りたい家」に変わって行った。寝込んでばかりいた私がカウンセリングで己と対峙する事で自分で縛りつけていたあらゆるものを少しずつ外すようになった。あらゆる色んな現実と対処しつつ時々狂いそうになって夜の海で叫んでみたり、一人で図書館通いをしてみた。経済的に搾り出せる所でワークに参加したり、修学旅行や研修などに参加した事のない娘に色んな所を見せたくて、東京までLeadのライブに連れて行ったりニコ動のライブに連れて行った。パソコンを始めてタイピングを練習したりマイCDを作ったり、デジカメで写真を撮ってプリンターで加工したり、ブログを始めてネットでの交流に心浮かれたり沈んだりした。PTAの仕事を5年間やって、娘の何倍も学校に行った。凄まじい7年間だった。娘が不登校になってから私の鬱もぶり返して、掃除や片付けが殆ど出来なくなってしまった。小さい頃からいつも一人にされていた私は、一人の時間がないと家事が出来ない人間になってしまっていた。あれから家には誰かしらがいて一人になる時間がなくなってしまった。外に出ないと一人になれない家になり、私は一人じゃなくても自分のやるべき事をやれるように訓練されたのではないかと今思う。だけど奥の六畳間は溜め込んだ物や片付けないために積み上がった物で通路意外は埋められてしまっていた。私の惑いと混乱を象徴する状態がこの奥の部屋になっていた。これから娘の部屋の背の高いベッドをこの六畳間に移動するために、六畳間に溜まりに溜まった7年間の惑いと苦しみと憂いと戦いの抜け殻を綺麗にすべく片付けに挑んでいる。7年間溜め込んだ荷物をやっと片付け始めたものの、7年間溜め込んだ物も心の滓もそうそう簡単に綺麗には出来ないもので、この10日ばかりPCになるべく触らないようにして片付けに専念してる日々である。(PCを開くと何時間もいじってしまって 何もしなくなってしまうのだゎ)娘の小学校や中学校のプリントを見ただけで胸がキリキリ痛む。どうして娘だけあの先生が許せないのかとすごく悩んだものだった。「あの先生はね、仕方ないんだよ」と言っていた娘のクラスメート達のように、何故娘だけ諦めずに許さないんだろうかとすごく苦しんだものだった。不登校が始まった頃、自分が親から否定された私の辛さを娘に味合わせたくなかったから、誰にでも元気に明るく「うちの子は不登校なんです♪」と笑って言ったものだった。私が平気そうな顔をしていれば娘も自分を恥じたりしないだろうと思ったのだった。2週間、私は娘と一緒に登校して授業を受け、昼はみんなとドッジボールをし、放課後は掃除をして帰った経験で、娘が何故あの担任の先生を恐いと言い人間として信頼出来ないと感じたのかよく解ったので、私は学校に行くのを止めた娘にそれを恥ずかしいと思って欲しくなかった。娘の純粋な思いを大事にしたかった。でも反面、私に覆い被さって来る負担が辛かった。そう、今だから言うけれどとてもとても辛かった。何もかも自分のペースを壊され私はそれまでの自分を見失ってしまった。それで片付けや整理が全く出来なくなってしまった。鬱が悪化したため脳の働きが鈍ってそれまで普通にしていた事が全く出来なくなってしまった。15年前に寝込んでばかりだった体調が少しずつ良くなっていた頃だったのでこれはひどくダメージが大きかった。娘は生まれた時から私にべったりで片時も離れられない子だったので、彼女が学校に行っている間だけでも私は一人の時間を家事ですら楽しめていたのに、一人の時間がなくなってしまったのは手ひどいダメージだった。小さい時からいつも一人で置かれたので私の基本は一人なんだと思う。それが片時も離れたがらない娘がようやく学校に行って、何とか私から離れて友達と遊び廻るようになった小学5年生に学校に行かなくなってしまったので親離れが中止されてしまった。日中同じ居間で過ごし夜も同じ娘の部屋で寝る。不登校が始まって鬱になり夜一人で寝られなくなった娘はその後3年ほどは私と一緒のベッドで寝ていた。寝る時も一人になれない状況に私のストレスは増大したのだと思う。庭仕事も綺麗な花も、洋裁も絵も、大好きだったものに心が反応しなくなってしまった。実に残念だ。純粋に喜ぶ状態が失せてしまった。さあ、これから私の時間を取り戻して美しいものに感動したり作り出す喜びを堪能したりしようと思う。なんて上手く行くか解らないけど自分を信じられるようになるために自分を裏切らないで自分を見つめて知りたいと思う。自分を知り、自分らしく生きるためにもこの長くて苦しくて濃い7年間は私にとって大切で素晴らしい7年間だった。(2010・04・22 少し加筆しました)
April 14, 2010
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土曜日に通信制の高校の説明会があり、娘と二人で行って来ました(^ω^)!思った以上に多くの人がいたのでビックリしました。娘の反応は普通だったのでこのまま事を進めそうです。いつか一人で出掛けられるようになったら娘の世界も自信も広がるんだろうなぁヽ(*゚∀゚*)ノ
January 10, 2010
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昨日と今日は「第五回KHJ全国引きこもり親の会連合会・ 支援者代表交流・研修会in仙台 引きこもり支援に風と光を!」だったのに叔母の用事と実家の掃除ですっかり疲れ果てて残念ながら行けませんでした( ̄⊥ ̄lll)講演やシンポジウムや意見交換がありせめて最後だけでも行きたかったのですがやはり続けざまに用事があると限界点を超えるようで手足と頭を甲羅の中に引っ込めた亀状態になってしまうんですね。今度からは亀と呼んで下さい(((((^m^ああ、参加した方からお話を聞きたい。誰かぁ・・・・_ノ乙(、ン、)_昨夜ズルズルしていて、根性無くしてお風呂に入らないで寝たら今日は体中の痛みが強いので動くのが辛いです。やはり油断してはいけないのだ(`・ω・´)! 最近耳鳴りがひどいのでやはり血流の悪さを感じています。そして今日はピーの誕生日です。ピーも花の17歳ですが、実にシビアで老成した辛口の乙女であります。乙女と言うと「ふん!」と鼻で笑われます。こう言う斜めな所はとても夫に似ていると思われますヽ(゚∀。)ノ手作り餃子を食べたいと言うので今から歩いて材料を買いに行って来ます。リュックに荷物を詰め込むと肩や首の痛みが増しそうなのでガラガラと引っ張るキャリー形のヤツを持って行って来ます。
November 8, 2009
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昨日は起きてから腰痛体操やごろ寝体操などの背骨矯正に向けた体操をして家事をしてご飯を食べて銀行に行って図書館で本を読み野菜を買い食品を買い量販店を出た所で友人と半年振りで出会った。友人は痩せてシワシワになっており内心驚いた。友人は乳癌が見つかって癌を小さくしてから切るために抗がん剤の点滴を半年間続けるのだと言う。私の甲状腺癌の話を聞きたがりやはり癌になってみると他の人の癌の治療状況が知りたくなるらしい。甲状腺癌は抗がん剤が効かないので切り取る以外に方法がないんだよと言うととても驚かれた。ピーが小学4年の時にランドセルが壊れ掛けたために彼女の次女さんのランドセルを借りたままだったのを思い出して結局5年生からピーは不登校になってお借りしたランドセルは使わず終いだった話をした。すると彼女の次女さんは中学・高校とひどい虐めに合ったため今も人が近付き過ぎると顔が引きつってしまうと言う話を聞いた。そう言えば、人一倍元気でお転婆だった次女さんは中学生の頃から顔の表情が無くなって自分から話をしなくなっていた。思春期で話をしたくないのかなと思っていたのだけど。物を盗まれたりいたずらされて彼女の次女さんも同級生不信が根深いそうだ。担任の先生は全く当てにならなかったので我慢していただけだそうだ。次女さんもピーと同じに事を荒立てたくない性格で自分が飲み込んだだけになってしまったのかな。次女さんは沢山休んだけど高校を辞めなかったそうでそれが良かったのかどうかはこれから感じて来る事なのかな。先日、近くのスーパーに買い物に行って一昨年までPTAの仕事を何年も一緒にやっていた人に会った。彼女はそのスーパーでパートをしており時々挨拶はしているのだが、先日はたまたま暇な時だったらしくて話を少しした。彼女の長男がラーと同じ年で、大学を中退してバイトをしたのだがバイトが続かなくて今は何もしないで家にいると言う。彼女が私に息子さんの話をした事が後まで気になっていたのだがきっと私が不登校の娘の話を隠さないでPTAの場でも話していたので21歳になってから引きこもりになった息子さんの話を私にしたいと思ったのかもしれないと思った。きっと外部に相談出来る人はいないかもしれない。私に何か助けを求めていたのだろうか?そう言えば去年の4月に、ピーの同級生のHちゃんが高校入学をしてから不登校になりやはりPTAで一緒に仕事を何度もやっていたお母さんは私に色々と聞いて来たのだったがその後、どうなったのだろうか。ピーは小学5年で不登校になり私は誰にも堂々と「うちの娘は不登校です」と言っていたのだがそうしていて良かったと思う。本人が卑屈にならずに済むので私も卑屈にならずに済み、それを見ていた人が話しかけて来る。今は子供達が幾つになってもどんな状況が待っているかなんて誰にも解らない。近くを見ただけで苦しんでいる人がこんなにもいる。何かしてあげられないものかと思うが、自分の問題も解決していないから巻き込まれて自滅がおちだと思うと用心深くなってしまう。それでも今の日本のこの殺伐とした何かの中で自分に出来る事ってないのだろうか?と思ってしまう。まずは家の中を整理して掃除をしないと、と言う個人的にはひどく低レベルな状態の自分なのだが。ああ、それで昨日は寒風の中で30分も話し込んだので家に帰ってからコタツで1時間温まりまたぞろ晩御飯が遅~~~くなった。そして夜にいつものように居間で一日中テレビを見ていた夫と同じ部屋にいるのが何かいたたまれなくなって二階のベッドで本を読んでいたら歯も磨かずに眠ってしまった。10時間も眠ってしまった。ちょっと頑張ると睡眠が必要になるんだね。こうして昨日の事を思い出してみると結構大事な事を感じたんだなぁと思った。
March 22, 2009
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●ピー(娘・15歳)の迷言●何しろ外には殆ど出ず部屋にこもってパソコンで絵を描いたりネットサーフィンしているだけのピーは肉体的に軟弱です。それを踏まえたうえで。体力が無いという話をしていた時のピーの発言です。ピ「見た目は子供、 中身は70で生きてますけど、 何か?」これは名探偵コナンのパクリですね。肉体的に70歳て、余りに悲しくて笑ってしまいました。自分で言ってろ~~~\(*^0^*)/そのピーが昨日、見た夢の話をしてくれました。ピ「最後に叫んでいたんだ。 『本当は私だって 普通に学校に行って 美術学校に行きたかったんだ!』 そこで目が覚めた」ピーの目には涙がたまっていました。やっとピーも自分の本心に気づいたんだなと思いました。本心に気づいたなら自分がしたい事に向かって動き出すかもしれないと思いました。ようやくピーの人生が自分によって動かそうとし始めたと言うかその始まりが始まったと思いました。私「じゃあ、勉強して 学校に行こうよ。 勉強は私が付き合えるから」ピ「・・・・・・うん・・・・・・」その後、何もしていませんが、何しろピーは一切の勉強を拒否していたので独学以外の勉強のレベルは小学5年生で止まっています。本人がやる気にならなければ何にもなりはしないので待っていたのです。いつまで待てば良いか解らなくて一生待ち続けるのかなと最近は危惧していたのでした。ピ「一生親の脛をかじる」なんて宣言していたので。具体的に何かを始めるかどうか解らないですが、とにかく本心に気づいた事はとても良かったです。まだ15歳で、何もかもこれからです。って今なら思えるかな(^^ゞ
August 29, 2008
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ピーの本音。昨日の午後にピーが面接に行ったコンビニのオーナーから電話が入りました。ピーが不登校だった事を聞いて、従業員と上手くやれるのか接客が出来るのかを見たいので2時間くらい試しに働いてはどうかと言う親切な申し出でした。不登校だったと解って雇ってくれる所はなかなか無いと思われるのでオーナーの誠実な対応にいたく感動しました。それで有難~く申し出を受け入れました。そしてピーに報告をしました。するとピ「えーーもうダメだと思って安心していたのに」・・・・・・・・・・・・・・・・・・。安心していた?イヤだって事?自分で始めたのに?そう言えば面接申し込みの電話をして口内炎が4個出たと言っていたっけ。私「したくないって事?」ピ「・・・・・・・・・・・・・・・・・」私「出来そうもないと思っていても やってみると以外と出来ちゃう事もあるよ」ピ「・・・・・・・・・・・・・・・・・」ポロリと涙を流すピー。驚いて焦った私。ですが、私はピーの友人のYさんとメールのやり取りをしていて(最近ピーは疎遠になったけど 私はYさんとやり取りしている)Yさんに「バイトは心配していないけどまだ15歳なのに家の経済状況を心配し過ぎているのが心配」と言うメールを貰っていたのでピーが、実は自分のためにバイトを始めようとしたのではないのかもしれないと思ってはいたのです。でも何がきっかけであっても自らの力で動き出すと言うのはとても良い事だと思っていたので成り行きを見守っていたのでした。それにピーの面接の日に私は実家に行っていて実際のピーの情況を見ていませんでした。ピーは電話と面接で全力を使い果たしたそうで疲れが取れないと言っていました。これは無理かなと思いつつも動き出したら以外に出来たって事にならなくもないなんて思ってもいたのでした。で、ピーの無言の涙となったのでこれはもう無理だなと思ったのでした。Yさんのメールを思い出してうちの経済状況をピーに詳しく話し、そんなに心配しなくても当分は大丈夫だよと言いました。ピーがそこまで心配してくれているなんて思いませんでした。確かに去年あたりは崖っぷちでしたし、今年も夫が休職した事で先が見えない不安がありました。でも夫は自分のペースを創り出そうと色々試みており顔を見ていると楽しそうで大丈夫なようです。ピーは学校に行かない分、家の中の情況を見過ぎてしまったのでしょう。だから家の事を心配したんでしょうね。普段口は辛いけど基本的に優しい子なんだなと思いました。かくして始動したピーは一度目の始動を胸にまた静かな生活に戻ったのでした。でも、自分で動いただけでも凄いですから経験が無駄になる事はないでしょう♪私の野望は肩・腕・手・背中・下肢の痛みとしびれと力が入らないのを治したらや、ちょっと良くなったら石垣島に行ってみたいなぁ~~~\(*^0^*)/ピーが行かなくても一人ででも行きたいなぁ~~~ヽ(´▽`)ノ”ぼんやりのどかに南の空と海を眺めて過ごしてみたいなぁ~~~(-_☆)キラーンいつが安いかなぁ~~~♪空が綺麗なのはいつなのかなぁ~~♪ううう。野望は広がるのだぁ====(_≧Д≦)ノ彡☆
May 26, 2008
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ピー始動。先日ジャスコで買い物をした時に素適な和傘がありました。ピーはそれが欲しかったのですが、靴2足と下駄一つを買ったので自重して遠慮したのでした。それでピーはアルバイトをしようと思い立ったようです。自分で働いて自分が欲しい物を買おうと思ったようです。アルバイトをしたいと言い出しました。先日、駅近くのスーパー前の花屋さんで「アルバイト募集」のチラシがぶら下がっていました。「健康で明るい接客できる人」と書いてあったので、それをピーに伝えると「不健康で暗くて人見知りの間逆なワシ」と言っていました。だからそれで終ったのかと思っていました。数日経って「花屋のバイト、 してみようかな」と言いました。昨日、花屋さんに行ってみました。「15歳は雇ってもらえないですか?」と聞くと「もう一軒ラーメン屋をやっていて 花屋が暇な時はそっちもやって欲しいから 接客が出来ないと・・・。 15歳は・・・ね」と言われました。残念でしたが、ピーの社会進出第一歩です。動き出したのですもの。帰りにスーパーでWorkinとJobという無料の仕事探しの雑誌を貰って来ました。帰って来てから雑誌をめくるピー。「15歳はないなぁ。 高卒ばっかりだな」「新聞配達でも 午後の部は少ないよ」と言うと5年間家でじっとパソコンだけをやっていたので体がなまっており、新聞配達は無理とピーは言いました。「製造ラインなんかは?」と言うと「一日の仕事は持たないと思う」とピー。スーパーのレジ係り募集しているよと言うと「表はイヤだ。 裏方をやりたい」との事。しばらく求人雑誌とにらめっこして現実社会を垣間見たピーは「コンビニやってみようかな」と言い出しました。コンビニは表仕事だけどと言うと「そんなの考えなかったとでも?」と反撃。ふ~~~ん。裏方一本槍は止めたようです。しばら~く電話の子機を持ってうろうろしていましたが、「明日電話する」と言い部屋に戻りました。今日の昼過ぎに起きたピーはそわそわそわそわしていました。「ワシに電話をする力をくれwww」「ワシに電話を掛けるパワーをくれwwwwww」と何度も何度も言いしばらくして子機のある部屋に移動して行きました。そして戻った時に「手が震える。 手が震える。。」と手を差し出して笑っていました。そりゃ~~家族と友人以外の人に自ら電話をしたのは多分初めてかもしれません。友達に電話をしたのさえ、何ヶ月前か解りません。それでコンビニにバイトしたいと電話をしたのですからそりゃ~緊張と恐怖で震えが走るでしょうね。ピーはしばらくコタツに座ってじっとしていました。「面接はいつなの? 私は水・木と山形に行くので 送って行けないよ」と言うと「自転車で行く」との答え。「ワシは親から送り迎えをしてもらう ひ弱なヤツにはならない」などと断言するピー。へ~~。そんな風に思っているんだ、ラーの事を。「自転車は2本ともパンクしているから 直さないと乗れないよ」と言うと「ちょっと見てくる」と家の裏に見に行ったピー。私はこの間、夫にメールして自転車が必要になった件と自転車の修理について質問しました。結局、5年間放置していた自転車は使い物にならずに買い換える事にしました。私の自転車はラーがどこかに乗り捨ててしまったので行方不明のままです。夕方、ラーをバイト先に送ってから近所のホームセンターに寄ると昔は扱っていた自転車を今は置いていないというので、急遽、ジャスコの近くのホームセンターへ。「安いのでいい」と言うピーを尻目に坂道しかない街なので右のグリップ操作で3段変則に出来ると言う優れものが目に留まり、それにしては安目の自転車を買いました。所がこの自転車、ワゴンRの後ろに入りませんでした!それでピーは5年振りに自転車に乗り途中のヨークの衣類館で落ち合う事にしました。車では5分ほどの距離ですが、何しろ5年振りの自転車であり、何しろ暗くなっている事もあり、先に着いてから心配でずっと道路を見ておりました。ドキドキでした。何しろ5年振りなもので(しつこい)。思った以上の時間が経ってようやく暗闇の向こうに自転車の覚束ない灯りが見えた時の安堵感。5年振りの自転車で3キロ程を走ったピーは汗をかいて疲れ果てておりました。何故に衣類館かと言うとピーの服はオシャレな物かパジャマ代わりのものしかなくコンビニでバイトをするとなった場合に着る服がないんです。それでGパンを買いに行きました。そう、ピーは小学生以来Gパンを買っていませんでした。「動悸がww」と言いながら胸を押さえて苦しむピー。5年間座っている生活だけですから勿論筋肉は殆ど無いです。心臓も静かな生活用に使っていただけなので自転車をこぐのも過激な運動になるわけです。しばら~~く経ってようやく落ち着いたピーでした。家に帰って来てから「自転車通勤とはじめてのバイトでは 二重苦になるから 仕事に慣れるまでは 送り迎えをしてあげるよ」と言いましたがピーは「いい、 親から送ってもらいたくない」と頑なに言うのでした。頑固者?夫と似て頑張り屋さん?ふ~~~ん。心細くて送ってと言うかと思ったら、絶対自力で行くそうです。動き出したら凄いかも、のピーを感じました。夫も会社までの片道12キロを自転車で通っています。昔知人から譲って頂いた自転車をすごくお金を掛けて自分の身体にピッタリに造り直し通勤した第一日目の帰り道で歩道の段差でコケて膝と肘を擦りむいて帰って来ました。一日で無駄になるかと思いきやあれから毎日のように自転車で通勤しています。体が締まって来て、痩せてきて、充実感が顔にも表れてとても元気で楽しそうです。かなり早目に出て、県立図書館に行って自分探しの本を借りたり寄り道して友達に会いに行ったり、兎に角楽しそうです。やるとなったら徹底している夫です。今日のピーはそんな夫の強い面を彷彿とさせました。ピーがその気になったら強いんだろうと思いました。いつも私を当てにする軟弱なラーとは違い(笑)楽な事ばかり考える私と違い(笑)ピーがどんな大人の人間になって行くのかなぁとちょっとばかり楽しみになりました(^_^)でもコンビニで使って貰えるかも自転車通勤が続くかもまだ解らないのですが。とにかく、ピーが始動しました。
May 19, 2008
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今日は娘の中学の卒業式でした。娘は出ないのですが、私だけ卒業式を見に行きました。何事も無駄な事はなくて大きな気付きがありました!朝、夫とちょっとした行き違いでモメました。卒業式が始まってからそれをクロッキーブックに書き付けいていました。娘には「お母さんがお父さんと結婚した理由と、今まで離婚しなかった理由が解らない」とまで言われました。その事をしっかり考えないといけないなぁと最近思っていたのでやり取りで思った事を正直に書いていました。するとイライラが収まって来て今度は意識が卒業式に向いました。娘が出ていないのに母親が出席している卒業式の矛盾について。行事や儀式が苦手な私だけがこうして出席している矛盾。名前を呼ばれてようやく誰か解った15歳の娘の同窓生達。私の中では皆が小学5年生から成長が止まっているようでした。娘が本当に不登校になるきっかけを作った○ちゃんも感動した顔で賞状を貰っていました。それを見ているとどうしても○ちゃんに直接「良かったね、あなたの思惑通りに ピーは学校に全く来れなかったね」とイヤミの一つも言いたくなりました。言いたくて言いたくてムカムカしながら思いを綴っていました。これまでの逡巡を思い出し怒りと苦しさとで胸がイッパイになりました。何とも言えない苦しさに満ちてどうして私はこんな所にいるのだろうか?と思ってしまいました。そんな思いをずーーーっと書きながら辺りも見ていたのですが、卒業生が一斉にザッ!と立ったりザッ!と座ったり、在校生も一緒にザッ!と立ったりザッ!と向こうを向いたり一斉に国歌や校歌を歌うのを見ているとまるで軍隊のように感じました。こんなにも一律な動き、反応を生徒達は教え込まれているわけで、これはもしも○ちゃんの意地悪がなかったとしてもピーがこんなに一律で集団の中でいかに皆に溶け込むか、と言った事を中心にした日本の中学では絶対にいつかはみ出して学校に行きたくなくなったであろう事は想像に難くないないのでした。なぁ~~んだ。○ちゃんの事が無かったとしてもピーほど自分の考えをはっきり強く持っている人が集団の中で折り合いを付けて自分を回りに合わせて行くのが中心になっているような学生生活を喜んでして行くとは思えません。きっとピーはいつか学校に行きたくなくなったろうと思われそうすると○ちゃんの事は単なる一キッカケに過ぎずピーはあくまでもピーとしての人生をどんな情況であれ、どんな事態であれ、自分らしさを求めて苦しんで生きているであろうと思われ、自分らしくいられない集団の中ではきっと苦しくなって登校拒否しただろうと思うと内心で笑いたいほどの快感が生まれたのでした。どっちにしてもピーはこんな情況には合わない人だよ~♪そして私は○ちゃんの事はもう気にしなくても良い事なんだと心の底から思う事が出来たのでした(*^_^*)そうするとこれまでは、皆が得ている楽しそうな顔をピーが得られなかったと言う後悔がずっとあったのに、これは一律に馴らされている同窓生達が得る事が出来なかった事をピーは自分の力で沢山持っていると言う事に気付いて気持ちがパーーッと晴れたのでした。そうして私は卒業式の間中ずっと気持ちを綴り続けて始めは○ちゃんへの恨み辛みでイッパイだったのに1時間半経った時にはすっきりさっぱりしており胸の痛みも消えてとてもいい気持ちなのでした。卒業式の間に私は大きな気付きを得てしまったのでした。こんな事もあるものだと、この事を知っているのは私だけでだから私一人で胸の中は幸せに満ちて周りの人とは全く違う幸せでしたが、とても納得して2時間後に体育館を後にする事が出来たのでした。家に帰って来てからピーに私の気付きを話すとにっこりしていたピーでした。ピーはもうすでにそんな所は乗り越えていたんでしょうね~♪ピーはお風呂に入ってご飯を食べてから夫と私と3人で中学に向いました。約束の2時半を少し過ぎていましたが、校長先生から賞状を頂くと言う事だったのでとても気楽な気持ちで出掛けました。すると、もう一人の不登校の生徒さんとお母さん、3年生の担任の先生方や主任の先生、音楽の先生と教頭先生までおられてイスに座って皆さんで私達を待っていたのでした!私達はビックリして恐縮しました。のん気に来たので待たせてしまったし、まさか皆さんでミニ卒業式を始めるなんて思っていませんでした。あちこちを省いたミニ卒業式は儀式の形を取りながらも参加された先生方の心のこもったものでした。先生方の思いやりのこもったこのミニ卒業式はとてもありがたいものでした。終ってから担任の先生と話をして1時間ちょっとで帰って来ました。校舎を出たピーの一言は「ああ~~やっと解放された」でした。本当だ。本来あるべき「義務教育」からかけ離れた所で娘は皆と同じ事をするようにという事に縛られ続けて来た訳で、これでピーはようやく一人間として縛りのない状態で自分の人生を考える事が出来るようになったのでした。ああ~~さっぱりした!と考えていたら、なんと給食費の返却を貰いに行かねばならなかった事を思い出しました。ああ~~また中学に行かねばならないよぉ。ぐずぐずしてたからぁ~~。私のバカァ~~~(涙)こんな間抜けなオチです。(^^; でも、無駄な事なんて一つもないな~とつくづく思いました。卒業式に参加して苦しさを正面から見つめたお陰で大きな大きな気付きを得る事が出来たのでした。これは私にとって大きな大きな転換点となると思いました。
March 8, 2008
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卒業文集に書くものを昨日娘の同級生達が持って来てくれました。「名前」と「似顔絵」と「自己PR」と「将来の夢」「実は私、ぼく・・・・・」「三組に一言」を1枚の紙に書くのです。昨夜私は寝る前にどうしようかと惑いつつそれでもそのまんま普通に言いました。取りあえず伝えて寝ました。今日起きて午前中に言うともう出来ており、驚きました!!だってこの4年、文集に載せる文については毎年ひと悶着あったのです。去年なんかは担任の先生が粘ったため娘は泣いてしまったのでした。だから頭が痛い問題でした。なのに、するりと一晩で書いてあったのです。聞いてみるとそれはチャット友達のYさん(先月遊びに来た)が娘をその気にしてくれたようなのでした。一緒に文面を考えてくれたようなのでした。Yさんも中学生の時は行き渋りに苦しみ親や教師と闘った経験があるので娘の思いも、大人の思いも解るようなのです。経験者の言葉はなんと素晴らしいのでしょうか。私が逆立ちしたって出来ない事をYさんはしてくれたのでした。ああ~~~ありがたい。不登校児の親としての重たい肩の荷が少し楽になりました。娘の自立に向けての荷物をちょっと持ってくれる人がいると言うありがた~~い事実。娘がチャットを通して選んだ友人達。娘が信用出来る友人達はネットで繋がっています。こうして娘は少しずつ自立して行くのかなぁ。面白い時代ですね。
March 5, 2008
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I先生が担当する「教育相談会」が27日に終ってしまいました。私の個人のカウンセリングは終ったのでもうI先生と対面してお会いするのは最後でした。私は名残惜しくて先生の腕をさすっていたのですが(笑)ぐわあっと感情の波が来そうだったので取り乱すのが恐くてしっかり挨拶をしないで逃げ出してしまいました。最後の教育相談会は4時55分まで続き、4年半続いたI先生とのカウンセリングは終わりました。やはり、子供の不登校になった時期によって親の思いや情況は違っており、そ言う点がよく解るようになって来たので面白いなあと思いました。また、初めていらした方でも自分の問題、子供の問題をしっかり分けて考えている方がいて、感情に流されずに情況を見つめていたのでとても驚きました。すごいです。どうしてそんな事が出来るのでしょうか?共依存にならずに済みますねそう言う方は。自分の人生をしっかり生きておられて、子供は子供の人生として見ておられて。私もそんな風になりたいものです。自分の人生、子供の人生。この問題は私の問題。その問題はあなたの問題。そんな風にしっかり分けて考えられるときちんと一つ一つを分けて対処して、そしたら混乱せずに必要な事だけ済ませる。ううむ。なんて素適な事だろうか。ううむ。なんて単純で解りやすい事だろうか。I先生を中心とした相談会で知り合った優しい人や豊かな人が沢山います。ワークで知り合った人もいます。土日はこちらにいらっしゃるそうですが、ワークに出かけて行ってお会いしたとしても対面式の濃いやり取りは無いのでとても残念に思っていました。I先生との濃いやり取りが大好きです。いつも得る物が沢山あります。毎回勉強になります。ああ、もったいないです。これをキッカケにして何かを生むことが出来たら良いなぁと思っています!自分を育てるキッカケに出来たら良いなぁと思います。
February 28, 2008
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風邪を引いたらしいです(;´д`)。昨日から寒気がします。昨日は疲れ果てて全く全く何も出来ませんでした~~(涙)寒くてハードな東京旅行で疲れが出たのでしょうか?丸二日間ビタミンCを飲まなかったせいで具合が悪くなったのでしょうか?今日はI先生が最後に担当する「教育相談会」ですのに!!!岩沼まで行くので早目に出なければなりませんのに!!沢山のビタミンCと生姜紅茶を飲んで体力快復を狙っています。娘のオフ会(修学旅行の振り替えにしました)のメンバーについて昨日少し詳しく聞きました。うちに泊まりに来たYさんのレスに集まって来た仲間だそうです。福岡から来た二十代の女性や、青森から出張中の二十代のサラリーマン、三十代のセクシーな女性や16歳の美形のホスト風青年やイケメン19歳や傷心の素適な女性幹事(二十代)など、確か9人くらいが集まって居酒屋に繰り出し深夜にはオールでカラオケに行き、朝方からは男性陣と分かれて女性陣は女性の部屋に泊まりに行き、昼前にはまた集合して渋谷に行き午後はお台場に行ったそうです。夕方5時過ぎに東京駅で会った時には寒さと疲れとで超超超~~~~不機嫌になっていた娘がおりました(笑)Yさんは困り切っており娘の保護者の大変さを痛感しておりましたね~(_≧Д≦)ノ彡☆まあ、1年以上のお付き合いの人達で信頼関係はしっかりしていても人見知りの激しい娘が初めて私から離れて、初めてお会いする人達と二日間も過ごし、初めて居酒屋に行って初めてカラオケに行って初めて友人の家に泊まりに行って初めて渋谷やお台場にいってと初めて尽くしだったので私としてはそれでもよくやったねと思いました。途中でSOSの電話が来るのかなと内心少し不安だったのです。最後まで皆と一緒に行動出来てとても良い経験をしたと思います。日本中、大嵐だったんですね。昨日ニュースを見て驚きました。無事に帰って来れて感謝しました。人の海のようだった東京駅。凄まじかったです。私は初めて東京は人が多くて辛いと思いました。Leadのファンの方とは昼に渋谷駅のハチ公前で待ち合わせをしたのですが、何しろ泊めていただいた義姉の家が東西線にあり、直前まで強風のために止まっていて混み合い、山手線では落下物による急停車を経験し、20分も遅れてしまいました。Kさんはいつも情報に疎い、もしくは忘れやすい私にメールで色々教えて下さる親切な方なんです。初めてお会いしたとは思えない感じでワーワー話しました(笑)私は一回りも年上なので引かれるかと思ったのですが、全くそう言う事を気にされない方でLead話しに盛り上がりました。下北沢に行ったのはLeadがスカパーのMUSIC ONと言うチャンネルでやっている番組で、街をぶらついて紹介していたためです。Leadが紹介して食べていたイタ飯屋さんでスパゲティーとピザを分けっこしながら食べて、Leadのこれまでの事やこれからの事など際限なく話をしました~~~(*^_^*)娘は最近佐藤健君(去年の仮面ライダー)や天才女形の早乙女太一君などに萌えていてLeadは私のお付き合い度が強いこの頃です。なので、あのコンサートのあのシーンが!あのDVDのあのシーンが!!!宏宜が!!!伸也が!!!敬多が!!!輝が!!!4人が仲良しで!!!4人が良い子達で!!!Leadのここが魅力!!!と次々と同じ思いのレベルで話せるのは気持ち良いものでしたねぇ~~~(((((^m^)初めてお会いしたのに4時間半くらい一緒にいたんですよ。面白いですねぇ。不思議な出会いですねぇ。片や娘もチャット仲間と二日間を過ごしていた訳で夫はこれらの件に関しては「時代は変わった」と何度も何度も感慨深げに言うのです。ですよね~。娘のチャット仲間についてはYさんを励ましつついたぶる会みたいなもんで、Yさんを好きな人達ですが歯に衣着せぬ物言いでグサグサグサグサ厳しいやり合いがあるようです。Yさんと言うのが実に不思議な人で変人でしょうねぇあの人は。( ̄ー ̄)☆すべてオープンなんです。裏から表から何でもあけすけに報告するんです。純真で正直でどんな人とも垣根なく話をする人です。仲間からは5歳児と言われているそうですが(((((^m^)その人の周りに集まって来た人達ですから皆気持ちの良い人ばかりのようです。正直者の集まり?繕わない集まり?三十代から十代までの友人て普通は考えられないですよね。文字だけの付き合いだからこそ本音や本質が見えて付き合えるんじゃないかと思います。(Yさんはラジオ放送もしますが)年令や環境に関係なく本質で付き合える間柄。それは私なんかのように本質が合う人になかなか出会えずに孤独だった人間にとってはうらやましいばかりの時代とも言えます。娘はチャットではグサグサ本音で言い散らすのに直接会うと何も言えなくなるので、それもあって帰りに悶々していたようでした。昨日、皆でチャットをやって本音を出し合いようやく爽やかな顔になっていました。これが直接会った時にも本音が言えるようになると、きっと自立に向けての成長がぽんと進むと思いました。まあ私も自分の感情については鈍いのでそこを育てたい所です。ハードで寒くて混んでしんどかったですが母娘で新しい経験をしました~~~♪
February 26, 2008
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今日は富谷町の武道館で行なわれた北部の「教育相談会」に参加して来ました。「教育相談会」とは教育事務所が主催する不登校児や引きこもりや行き渋りなどの子供達とその親が、カウンセラーさんと話し合ったり講話を聞いたり皆で話したりする場です。今日は娘(中3)は行きませんでした。その代わりじゃないですが、段々今の自分の情況を正面から見つめるようになって来た夫が行くと言い、二人で出掛けました。毎回、集まった人達やその時々の情況で話し合いの雰囲気や内容が違うのですが、今日の話し合いはとても濃くて必死に考えたり、思いを巡らしたりしたらしくて、家に帰り着いてからすっかり疲れ果てて2~3時間コタツで爆睡しました。いつも思う事ではあるのですが、子供が不登校や行き渋りになる事で親は誤魔化したり逃げたり出来なくなるため、真正面から情況に立ち向う人達が集まって来るのです。皆さん一生懸命考え、思いを突き詰めたり眺めたり自分の中や子供の思いや情況に真摯に立ち向っているのです。だからその人達はみんな素適な魅力を持っていて、私にはキラキラ輝いて見えます。多分、逃げている親はこんな場には来ないのかもしれません。自分の間違いや歪みや家庭の闇をみんなの前でさらけ出せる人がやって来るのです。それだけの覚悟を持っている人が集まるので正直に話し合いをし、暖かい交流をし、励まし合ったり気付きを貰ったり激励し合ったり出来るんだと思います。今日も沢山の力と智慧と生き様を分けて貰って来ました。だから疲れたんだと思います。今日お会いした皆様。ありがとうございました。他の人の話を聞くと、私は客観的になれるので自分の悩みや情況を外側から見ることが出来るようになるんです。今日も色んな気付きを貰って思いや膠着した現実に刺激を貰いました。あ~り~が~とぉ~~ご~ざ~い~ま~~すぅ~~~~\(~o~)/明日からまた自分の生活を省みて元気な自分に向って行きたいです。(*^_^*)
February 6, 2008
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うつ病で病気療養中の夫が内心の焦りのせいか調子の良い時はブルドーザーのように動き回り私と娘をなぎ倒して行くので二人ともすっかり神経が参ってしまって、昨日は二人で買い物の前に民芸風の趣のある喫茶店に行って珈琲とココアを飲みながら散々愚痴を語り合い、のんびりして来ました。(((((^m^)娘が高校に行かないと言い出したのは夫が色々話をしてからなのですが、その後も毎日のように夫は、どんな生活をするつもりなのか?どんな生き方をするつもりなのか?絵を描いて生きたいなら東京の叔母さん叔父さんに(夫の姉、兄)絵画教室やグラフィックデザインの現場を見せてもらうのも勉強になるぞ。ああ~したらどうだ?こうしたらどうだ?ソフトを買って本格的に絵を描いたら良いんじゃないか?色んな募集の応募作品を送ってはどうか?と矢継ぎ早に畳み掛けるように娘に質問と提案を投げかけていたのでした。それで娘はすっかり参ってしまったのでした。 入口の上にぶら下がっていたミニシャンデリア??キラキラ綺麗でした。渋い店の造りとジャズ音楽はとても落ち着いて楽な気持ちになりました。最初の1時間くらいの間娘は腫れ浮腫んだ顔でため息ばっかりついていたのですが、私が話しかけて「お父さんのここが辛いよね話し」をずっとしたり(((((^m^)「お母さんが若かった頃の マンガかドラマのような話し」等をしていたら少しずつ娘の顔に表情が戻って来ました。1時間経った頃に「じゃあ買い物に行こうか」と言うと娘は私の手を掴んで「まだ」と言いました。それから30分ほど話をしました。私「あなたはどうして自分の気持ちを 話してくれないの? お父さんにも不快だったらその時に言えば そんなに苦しくならないんじゃない?」娘「その時はよく解らない。 時間が掛かる」私「じゃあ、後でも良いから 解った時に話してみて。 ムカッとしたとか イラッとしたとかの感情だけでも良いから。 そうして気持ちを 自分で確かめるようにして行こうよ」娘「うん解った」 そうして話をし続けていると娘はようやく穏かな表情になって来たのでした。今日は二人で出掛けようと話していたのですが、私がぐずぐずしていたせいで行けませんでした。その間にも夫はグラフィックデザイナーの兄に電話をしてソフトは何が良いかを聞いて早速電気店に行って「フォトなんとか」(ちゃんと聞いてない)を買って来て娘のノートパソコンに入れたのでした。メモリもバージョンアップしてサクサク動くようになりました。夫は作業があるのがうれしそうで浮き浮きしながら作業をしていました。夜私は7時から地区中学育成会(PTA)の役員選出会に出掛けました。難航してくじ引きで決めて後は班毎に決めてもらいました。それでようやく家に帰り着いたのは9時半でした。娘は元気が無くてノートパソコンの前で転がっていました。時々起き上がってマシロに寄り添ったり落ち着かない様子でしたが、終いには私の真後ろに来てピタッとくっ付きました。それは娘が小さい頃に良くやっていた事でした。しばらく私にくっ付いた後、寝ると言って部屋に行きました。娘はぐったりしていました。いつもより起きている時間が短いです。それで夫に娘が夫のスピードに追い付けなくて参っているので、しばらくそっとしておいて欲しいと伝えました。それから心配なので娘の部屋に行くと暗くした部屋の中で娘はひっそりと泣いていました。私「何がそんなに辛いの?」娘「オヤジうるさい」私「解るわぁ~~。 一人で舞い上がっているよね。 何かをせずにいられないんだよね」娘「・・・・・・・・・・」 私「○さんが動くと 周りの人間を全部巻き込んでしまうんだよね。 本人は自覚していないんだよね。 私が言うと怒るし」娘「・・・・・・・・・」私「声に出して色々と焦りに付いて愚痴るから 心配して話をすると 『どうして流さない!!』 って言うんだよね。 だったらどうして声に出して言うんだろう? 気にして欲しいから声に出して 人に同情してもらいたがっているように見えるよね」娘「一々うるさい。 家の中にいるだけでイライラする」私「仕事が出来ない自分に焦っているんだよね。 だからあなたのために 何かしたかったんだね」娘「黙って絵を描かせて欲しい」私「何か言わずにいられないんだね」娘「オヤジが家にいるとうるさい」背中を撫でながら泣くのが落ち着いてから、私の若い頃のおバカな友人の話しや有り得ない偶然の話しなどをしているうちに娘はようやく笑ったのでした。そうして私は1時間近く娘の部屋にいて居間に戻ると、夫は娘の様子を心配していたのでした。夫「どうだった?」私「泣いていたよ」夫「私はどうしたら良いのかな? 〇〇に何をしてあげれるかな?」私「私と〇〇は何年も一緒にいたけど お互い自分のする事に集中して 相手の邪魔をしないし、 用事がある時だけ交流するだけだから ずっと一緒にいても苦にならないんだけど、 ○さんがいると ブルドーザーのように皆をなぎ倒して行くから すごく疲れ果てるんだよね。 それに居間にいる時は いつも返事を待っていると言うか、 いつも気にしてもらいたがっていると言うか。 自分が始めた事を 私達にも同じように要求するでしょう? 疲れるんだよね。 〇〇は一人になりたいと思うから 部屋にパソコンのコードを引いてあげるのはどうかな?」なんて話をしました。パソコンの作業を終えた夫は寝る時に夫「じゃあ私は自分の部屋にいて ここには来ないようにするから」と言いました。そう言う事では解決しないんじゃないかと思うのですが。仕事を休んでいる夫の焦りも、家にいる間に娘に何かしてあげたいと思う気持ちも解るのですが、難しい問題です。目の前にいて体調が悪い日に「ああ~~くそう!!」と叫んだり、「また寝てしまった!! なんでこんなに寝るんだろう!!」と一日に何度も言ったりするのです。焦っても良くはならないし、結局また悪くなるとしか思えないです。でもそれを言うと「先回りをするから成長出来ない」と言われたので、私は昨日今日はご希望通りに全く流しました。私や娘に聞かせたいのではないの?思い通りにならない自分を罵る言葉を私と娘に聞かせるのは何故?真冬の寒い時だと明るい方向に向けない悲しさがありますね。日が幾らか短くなったのがうれしいところです♪
January 23, 2008
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昨夜、ようやく夫からバトンタッチしてパソコンに向ってメールチェックを始めた深夜1時ごろ、突然蒸すmが誰にともなく一言いいました。娘「それじゃ目標の無いワシは どうしたら良いの?」何のことだろうか?と驚いて振り向くと娘は黙って虚空を見つめていました。何が何だか解らないので私「どうしたの?」と聞くと娘「目的を強く持ったないと 高校に言っても続かないって言われた」私「誰に?」娘「お父さん」私「〇さん、〇〇に何を話したの?」隣りの台所にいた夫がやって来ました。そして午前中に娘と話した内容を話しました。今まで家にいたのだから、急に人の中に出て行くのは大変だろうから目的を持った方が良いんじゃないかと話しただけだと夫は言いました。娘の中の迷いを大きくするだけの余計な事をしたのじゃないかと思って思わず夫を睨みつけていました。夫「だって〇〇は 自分から学校を見に行こうとか 積極的なことを何もしていないから 本当に行きたいのかどうか知りたかったし」などと夫が話していると娘は横で静かに泣き始めたのでした。全然情況が理解出来ませんでした。夫「〇〇 本当は高校には行きたくないんじゃないの?」すると娘は頷いたのでした。昨日はここまで書いて、この先をまとめられなくなったのでした。そうしてメンテにも引っ掛かり更新できませんでした。後は夫とバトルしました。娘の事ではなく数日前に話をした事の続きでした。結果を言えば夫婦というのは難しくて余計な事を言い過ぎてしまったり大事な事を言わないでしまったり、自分の事も解らないので夫の事も解るわけはなくて難しい難しいですが久しぶりに本気で本音を言い合ったので今日はスッキリしています。娘が何をどう思っているのかはまだ話をする機会が無くて解らないです。どんな生き方も出来ますがいつか自立して欲しいなぁ~。しばらく前に「いつかお父さんとお母さんは あなたより先に死ぬんだから あなたは時間を掛けて 一人で生きて行けるように準備してね」と言ったら娘は「そこの所を一つ曲げてもらって どうか永遠に生きるって事で譲歩して下さい」などと笑わす事を語ったのでした。これも余計な発言だったかしら。娘の不安を掻き立てただけだったのかしら。娘は生まれたての赤ちゃんの時からお風呂に入ると緊張して硬直する珍しい子でした。片時も私は傍を離れられませんでした。ようやくの思いでお風呂に入っていると夫が泣いている娘を抱っこして「泣き止まない」とやって来て、私は風呂くらい入らせて欲しい悲しいと思ったものでした。デリケートな所があるのは知ってたので、きっと今までは集団生活から離れていて急に集団生活をする事の不安があるのかもしれません。それとも学力に対する不安が大きいんでしょうか。でも私が教えようと言っても勉強はしないと言います。解らないなぁ。だけど中卒では娘のしたいバイトも難しくないだろうか?家にいるだけで本当に良いのだろうか?娘の気分が良い時に聞いてみようと思います。日本列島が寒さに包まれるようですね。皆さん風邪や事故などにあいませんように。
January 20, 2008
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今日は大和町まほろばの里で行なわれた第3回北部の教育相談会に行って来ました。娘は寝不足のために起きれず私が一人で行って来ました。三浦大知のアルバム「D-ROCK with U」を熱唱しながらなんてこの人は歌が上手いんだろうとか地声と裏声の境が解らないほど大知君の高音はどこまでも高く出るのだなあとか、そんな所を堪能しながら楽しく車を運転しました。(三浦大知のYou'll Be Mine・Keep It Goin’On No Limit・DMC(+O,Touch)の動画です。 この人はダンスも素晴らしく上手です)今日は新しい人がいなくて古株4人が集まりました。各々の事情を知っている人達であり、I先生を通して知った他のワークやセミナーで時々お会いする気心の知れた面子でもあったので気楽な感じで始まりました。教育相談会(旧わかばの会)に参加して4年2ヶ月でこういうメンバーは初めてでした。紹介は抜きで話しが始まり、とても濃い内容の話し合いになりました。皆さんの話しを聞いていて触発された自分の思いは「親子だって相性があるよね」「私って、偉かったなあ~。 あんなに軽んじられ侮られ 感情をぶつけられていたのに、 私は疲れていたお母さんのために 一生懸命家事をしていたし、 高校だって惨めさを抱えながら ちゃんと行ったし、 先生たちに悪感情の先入観で見られて 嫌な思いを沢山したのに 私は学校に行って卒業したよね。 大学だって自分で行きたかったわけじゃないのに 親への育ててもらった恩義で 頑張って卒業だけはしたよね。 私、偉かったよね。 すごく頑張ったもの。 頑張って頑張って 堪えていたよね。 あれはみんな お母さんに 受け入れて欲しいからだったのかもしれない。 お母さんに愛して欲しかったのだろうな。 そして今もお母さんに 愛して欲しいと思っているのかもしれない」でした。死んでしまったお母さんに今も愛して欲しいと思っているんだな~とそう思いました。お母さんに受け入れてもらいたい少女を慰めてあげたMさん。味方が一人でもいれば何とかなるかもしれないと思いました。私も何とかなりました。私は担任の先生が私を認めてくれたので生きていられたのでした。そんな風に、今日は自分についてあれこれ感じました。今思う事はこんな所です。私は時間を掛けてじっくり考えないと理解が浅いのでこれから数日考えてみようと思います。後半は低気圧のせいですごく目が廻って来て具合が悪くなりました。家に帰ってから暫らく寝ました。今も目が廻っています。それで娘からノートパソコンを借りて日記を書いています。コメントの返事は明日こそ致します。すみませんm(_ _)m今日も早目に寝ます。そうそう。自律神経に良い爪もみを始めました。忘れていたのです。爪もみを。昼夜逆転を戻して家の中の整理整頓お掃除をするために爪もみしています。これが私にはてき面効くのです!!!爪もみに興味のある方はこちらをご覧下さい。
December 5, 2007
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一昨日、ピー(娘・中3)の担任の先生がプリント類を届けに来て下さった。3年生の担任の先生はまめに家に来てくださる先生です。1年生の担任は学校でじっくりと1時間くらい話し込んでくれる聞き上手な男性の先生でした。2年生の担任は学校を中心としてたまに家にも来てくださる女性の先生でした。3年制の先生は男性の先生で、温和で暖かい感じの方です。3人とも独身である事に今日気付いて驚きました。ピーが不登校になるキッカケになった担任の先生は女性で独身。6年生の先生も男性の独身でした。これまでの担任7人のうち5人が独身でした。この事実にちょっと驚きました。さて、プリントをピーがなかなかチェックしないので私がチェックしていたのですが、英語の単語で、過去形や現在進行形や複数形などはピーは全く知りません。数学も、証明問題も三角形の角度を求める式も何も知りません。それどころか、ご飯の用意も米研ぎも出来ません。部屋の片付け方も自己管理も教えていません。ピーが嫌がるからです。ピーは自分がしたい事意外は何もしようとしないのです。それは我儘になってしまうのか、無理してやるとまた神経症になってしまうのかと不安になり解らなくなるのでした。私は自分の事さえしんどくて何も出来ないので娘の指導なんか出来るわけないのです。それで急にひどく焦ってしまったようでピーに対してキツイ言いようをしてしまった気がしました。最近私は時々夫の送り迎えをしているのですが、この時に日常の出来事の話や思っている事の話をするようになりました。これで近くにいるだけで夫にイライラしていたのですが段々許せる存在になって来ました。やはり交流が大切なんだなと改めて感じています。それでこの日も夫にピーの話しや自分が感じた事を話しました。すると自分がひどく焦っている事に気が付いたのでした。何もして来なかった自分に胸がひりひりするくらいに焦っている自分に気付いたのでした。自分一人で心の整理をするのは時間が掛かる事がありますが、人と話をしているうちにふっと気持ちが見える事があるんだな~と人との交流の大事さに気付いたのでした。私は普段、娘と話すくらいしか人との交流がありません。寝込むようになってから人が変わって人に会いたくなくなってしまったのでした。家に帰って来てから娘に謝ると「何が?」と言われたので事情を話すと「ふ~ん」で終わりました。でも感じたその時々に話をするのは大事な事だと思います。心に溜め込まずに済むからです。気持ちと気持ちのやり取りが出来易くなると思うのです。今も娘に何もしてあげていない焦りはありますが、この焦りは私の焦りであり、ピーの焦りではないですし問題とは別のものだろうと思います。どうしたら良いか解らないですが何も出来なくなっている私でも出来る事を少しずつやって行こうと思いました。何が出来るのかなぁ。まずは味噌汁作りの手伝いとか?
December 3, 2007
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昨日はピー(娘・中3)の三者面談でした。今年初めて?二度目?の制服を着て出かけたピー。長い髪は垂らしたままです。「校則で長い髪は 結わなくちゃいけないんじゃなかったの?」と言うと「ワシは校則なんかで縛られない人間なの」などとぬかしました。それで文化祭以来ぶりで登校したピー。(私はしばしば登校してます(^^; )わかばの会で高校の事を聞いてから個人で行動出来て人間関係に煩わされない通信制の高校に行く事にしたピーは先生が調べてくれた資料を見て初めて「修学旅行・生徒会活動・運動会」などに参加しなければならない事を知り衝撃を受けたのでした。途中から涙目になったピーを見てオカシイ?と思っていた私ですが、昇降口から出る所で「なんだよ運動会とか修学旅行とか しなくちゃいけないなんて知らなかったよ。 そんなのしたくないよ!」とぶちぶち言っていたのでああ、それが原因かと知ったのでした。そして私は「まあ学校と言うのは勉強だけじゃなくて 社会性を育てる所でもあるからね」と言いました。ピーはふてくされモードに突入し怒っていました。「じゃあ中学卒業にしとく?」と言うと「やだ」と言い、車の後ろの席で横になってしまいました。「今は何て言うのか解らないんだけど 以前は大検と言うのがあって 自分で勉強すれば 高校卒業の資格が取れるのがあるよ。 でもピーは自分で勉強しないよね。 だから難しいよね」「・・・・・・・・・・・」もうその辺から寝込みモードです。寝込みましたねピーは。その後買い物に行っても車の中で寝ていました。家に戻っても自室に篭って寝ていました。まあ1時間後にカップラーメンで釣って誘い出しました(笑)もう数日経って落ち着いたら何をどう感じたのか、どうしたいのか聞き出してみようと思います。興奮している時は聞き出せないからです。どう考えたらいいのか解らないです。だって自分の好きな事だけで生きていけないと思うし。嫌な事も世の中には満ち満ちている訳だし。超正直者のピーは自分をほどほどに出来ないんです。はあ~(*´д`*)~З!
November 17, 2007
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なるべく信号に引っ掛からない道を通って片道50分。今日は岩沼で行われた南部の「教育相談会」に参加して来ました。午後1時半から4時半までです。とても気持ちの良いお天気上々の日で雲が縞々の面白い形でした。太陽の光を受けて虹色に輝いていました。 残念ながら、虹色は写真に写りませんでした。あんな虹色の雲は初めて見ました。名取、岩沼に向かう道は田んぼの中で海岸の近くのため見晴らしが良くて広い空を見ながら気持ちよくドライブしました。 今日の「教育相談会」は途中で帰る方々、途中で来た方々が沢山いたので何かじっくり話しを聞くと言う感じではなく何となく慌しい感じがしました。毎回、メンバーによって雰囲気も生まれるものも感じるものも得るものもすごく違うな~と思いました。今日私が感じたのは他人の話ほどよく解るという事でした。渦中にいる当人は必死なので混乱しておりそれを見ている他人は事情がよく解るのでした。そのように、自分の事を他人に置き換えて考えられたら自分を良く知り、自分を客観的に見て狂った優先順位に振り回されたりしないで済むのに、とつくづく思いました。そしてうちは夫が私に甘え、私は子ども達に甘え、子供達は自分で何とかしている。と言う図式が出来ている、と言う事に気付きました。夫の愚痴を子ども達には言うまい、と思いました。友達に言わずに、事情を良く知る子供達に話しをしてしまうのです。それでは子供たちが抱え込んでしまうな~と反省しました。帰り道の黄昏は澄んだ空と美しい夕陽でした。気持ちの良い空でした。 帰り道でいつもは元気の良いAさんが元気が無かったのに気づきました。私はいつも後にならないと気付かないんです。遅いんです。Aさん、どうしたのかな。元気が無かった。帰りにちゃんと話しかければ良かったのに。12月にはお会い出来るでしょうか。
October 12, 2007
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今日は中部の十符の里で行われた「教育相談会」に行って来ました。今日は風邪気味で体調が悪くて二度寝、三度寝してしまい、なかなか起きれず動けずで10分ほど遅刻してしまいました。喉が痛かったのと、傷病みとで頭が働かなかった事もあり、今日は聞き役中心でした。今日のお母さん方は愛情豊かな人ばかりでした。皆さんの話しを聞いていて子供達はお母さんが大好きなんだな~と強く感じました。私は子どもの頃母が嫌いだったので、お母さんが好きな子供と言うのはとても素晴らしい事だと思いました。大好きなお母さんを守ろうと頑張っているお子さんの話を聞いているうちに何度も涙がにじんで来ました。子供達は子供達に出来る精一杯の所で健気に頑張っているのでした。健気に頑張る人に弱い私は考えただけで涙が湧いてくるのでした。暖かい思いを頂いた今日でした。一昨日も今日も発言しなかった娘ですが、明日も岩沼の「教育相談会」に参加したいと言いました。追い詰められた大人が真摯に真剣に話し合う姿は娘の心にどんな宝物を残してくれるのでしょうか。それを思うと娘は貴重な経験をさせて頂いていると感謝の思いがしました。明日までに風邪が良くなっていると良いのですが、急に夜に寒くなったこの頃の気温差に付いて行けないようです。明日、岩沼にお邪魔しますね~~~(^_^)/~
October 11, 2007
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昨日は大和町のまほろばホールでの北部の「教育相談会」に参加して来ました。「教育相談会」と言うのは以前の「わかばの会」で、教育事務所の主催による、不登校児の親や子供、悩みを抱えた親や子供が話し合いをしたり、カウンセラーの講和を聞いたりする会です。昨日はとても中身の濃い集りでした。私自身はと言えば家事が以前のように出来なくなって家の中がぐちゃぐちゃなのでとても後ろめたいけれども、やっぱり何もしたくなくて何が問題か解らない・・・と言う事を話しました。5年前まで普通にしていた事がひどく負担になっています。特に整理整頓、片付け、食事作り、掃除、が大嫌いです。整理整頓などは何をどうして良いか頭が働かなくなってしまい物がどんどん積み重なっている事を話ました。カウンセラーのI先生は家によって「普通」とされているものが違いその違いを認識しないと「普通」じゃない事で自分を責めてしまうと言う話しをされました。I先生には私の母について沢山話して来たので「聞く限りでは MYさんのお母さんはとてもとても キチンとしている方ですよね」うんうん、と頷く私。「必要以上にキチンとしている事を要求されて、 今も自分に求めてしまうんじゃないですか?」うんうん、そうかもしれない。私は片付けないと、母や夫に怒られると思ってしまうのです。「本当は嫌いな家事を長い間 すごく頑張って来たから、 限界を超してしまったので 家事が出来なくなったのではないですか?」そうかもしれないです。私はじっと座って作業をしたり、本を読んだり、絵を描いたり、空を眺めたりするのが大好きです。でも、結婚してからはそれが出来ず、子供が生まれてからは苦手な家事を何人分もして来たわけでもう沢山だと感じてしまったのかもしれません。嫌いな事を「必要だから」と頑張って頑張って頑張って来たからプッツンと頑張りの糸が切れてしまったのかもしれません。「頑張らなくても良いんじゃないですか」でも、と思ってしまうのです。でも私が頑張らないと、と思ってしまうのです。でも母の事で家にいないと居ない成りに何とかなっていたのです。でも、したくないからしないなんて、わがままでズルイような気がしてしまうのです。母の思惑通りに行動しないと「わがままだ!」と怒られていたので、「人の期待を裏切る事は悪い事だ」と私は思い込んでいるようです。だから人に断る事が凄く難しいんです。人にお願い事をするのもとても難しいです。人の期待を裏切ると悪い事をしたような気がしてしまうんです。自分を第一に考えるのが悪い事のように感じてしまうのです。小さい頃から母が基準だったからでしょうね。母がいつも正しくて、他の人は間違っている。と言う家だったのです。中学までは言いなりでした。これは子供時代に刷り込まれた私の考え方のクセです。自分を大事に出来ない私の困ったクセです。それを以前から知ってはいたのですが、今回は尚強く感じました。他所では何でも無い事が、私の家では大事だったのです。例えば、味噌汁をこぼしただけですごく叱られました。大きくなって、他所の家で味噌汁をこぼすと火傷しなくて良かったねと言われる事もうちでは責める理由にしかなりませんでした。些細な事で一々すごく叱られました。だから私の中には失敗をするとひどく惨めになり、ビクビクしてしまう所もあります。私はうちの長男が小さい時、やはり些細な事にすごく反応していた時期がありました。それは息子が中学生の頃に気付いたのでした。自分が些細な事で大騒ぎするので息子がナイーブになっていると気付いたのでした。親の対応一つで子供はとても変るもので、私は些細な事や驚く事でも黙って見守る事を知り、自分の親のようにはなるまいと決心したのでした。すると、中学時代に親とは殆ど口を利かなかった息子も今は屁理屈大王と化して口の減らないおしゃべりとなりました。子供への対応を変える事が出来たのだから、自分への強いプレッシャーを弱める事はいつか出来るかもしれないと今思いました。難しいけれど、いつか自分に優しく出来るかもしれないと希望を持っています。
October 10, 2007
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今日は娘(中3)の中学の合唱コンクールでした。1時間遅れて行ったのですが、学年ごとの変化や各クラスが頑張った成果が見れて楽しめました。しかも全学年歌い終わった後で全教職員による歌まであったんです!!!先生方は忙しい中、3回練習し(でも全員が揃った事は無かったそうです)大きい声で元気に楽しく2曲も歌ったのでした。良い学校だと思いました。先生達も最後に歌うなんて。うるうるしてしまいました。全学年合唱、2・3年合唱、3年合唱の後審査結果発表を待つ間に小学校から一緒だった2人と小学校が違う指揮をやった女子の3人が娘を見つけてやって来て、ノリノリのまんまで娘をクラスの席まで連れて行ったのでした!娘は初め「ノー!ノー!!」と断っていたのですが、元気なクラスメートに乗せられて一緒に走って行きました。私は内心ドキドキでした。「本当は凄く嫌だった」なんて後でヤサグレて悶々したら後々の精神的な影響はどうなるだろう?とか「疲れた。緊張した」と言って寝込んだり、アトピーが悪化したりしないかな?とか。娘のクラスは学年で最優秀賞を取り、指揮者も賞を貰いました。体育祭と合わせての2連勝です。元気でノリの良い行動力のある楽しいクラスのようです。最終的に、ステージ上での写真撮影まで参加してピーは戻って来たのでした。(私はデジカメのメモリーカードを忘れて 写真は1枚も撮れませんでしただだ・・・)そして帰りの車の中で「色々気にしているのはワシの方だけで 皆は何にも考えていないみたいだ」と娘は言ったのでした。「うん。 皆を見ていると『屈託』が無いよね。 〇は『屈託』があるんだね。 沢山苦しんだしね。 学校で毎日ワーワー過ごしていると 何でもない事になって行く事があるんだろうね」と私が言うと娘は考えているようでした。それから家に戻って少し休み、先生方が戻る5時ごろに中学に出直しました。母の蔵書の「サザエさん」「いじわるばあさん」等を中学の図書館に寄付するためと、先日の報告をするためでした。すると担任と学年主任の先生の他に校長先生もいらしてとても楽しくお話しをする事が出来ました。校長先生と話しをするのは初めてですが、気さくで楽しい方でした。つまり私と娘の前でとても朗らかで優しくてほがらかな先生が3人娘の事を心から喜んでくれたのでした。娘が不登校である事なんか全く気にしていない先生方に囲まれてすごく恵まれているな~と感じました。不登校児であるだけで冷たい扱いをされる人もいるので、「〇の中学の先生方は 素適な方たちで良かったね~」と帰り道で娘に言うと「それなのに学校行っていないワシ」と言って笑っていました。娘は自分の中で色々とプレッシャーになっているんだろうな~と思いました。でも、いつか娘が一人で歩き出す日のためのとても良いエネルギーを得る事が出来た今日でした(^_^)
September 14, 2007
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敬語について話している時にI先生に質問されました。I「○○さんはご主人に対して 敬語を使われますよね? でもご主人は普通に話していますよね? ・・・・・・・・・ ピーちゃんは見ていてどう思う?」ピ「・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・ 小さい時から見て来たから それが普通」本当だ!!!私は夫に対して敬語で話します。夫は普通に私に話します。子供が生まれた時、夫に対して私の事は「お母さん」じゃなくて名前で呼ぶように強くお願いしました。ふ「私はあなたの『お母さん』じゃないから 名前で呼んで下さい」と強くお願いしました。それ以外には「発音を明瞭にして下さい」(口を開かず、省略して言うので 何を言っているのか解らなかったので)「主語、述語を付けて下さい」(「誰が」「何を」等を省略するので 本人以外には意味が解らないので)「ご飯を食べる時には 口を閉じて下さい」(女子寮にいた時、 食事中に口を開けて くちゃくちゃ音を立てる人がおりまして ダメになったんです。 食欲が失せるんです)などをお願いし続けて来ました。だって何度言っても流されるもんで。昔の事を思い出してみると、夫は末っ子で常に一番下で育って来た為私には理解し難いコンプレックスがあって些細な事で怒り出したり少しでも軽んじられると怒り出し、いきり立ち、仕返しをしたのです。私から見ると夫は過敏な反応をしていたので敬意を払う事によって夫の気持ちを穏やかにしたいと思ったのが始まりだったと思います。大切にされていると感じることが夫には大事なようなんです。家庭内の平和に良いと思い、とにかく夫の機嫌を損なわないようにとそして隙を突かれない様に丁寧に話しているうちに敬語になって行ったものと思います。それらはずっと意識にあったのですが、この度I先生に聞かれてよくよく考えてみると人には言えないような後ろめたい思いをする動機もあった事に気づきました。それは「夫との距離を取る為に 丁寧な言葉使いで牽制していた」のかもしれないという気持ちでした。そうだ、きっと夫に必要以上に近寄られないように敬語で身を守っていたのかもしれない。だって、夫は攻撃的で、些細な事で怒って、そのくせすぐに甘えて私を利用しようとするので私は絶えず自分の身を守らなければならなかったのでした。それだな。敬語で身を守っていた。。。。。。夫に敬語で話す事で敬意を払う事と共に、これ以上私の心に踏み込んで来るなと言う私の要求もあったかもしれない、とこの度初めて気付いて驚きました。I先生は国に文化があり、地域に文化があり、自分の家にも文化があり、実家の文化をも持ち込んでいる。と話されたのでした。なるほど、敬語の使い方一つでも文化が見えるものだと驚いた次第です。
August 19, 2007
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●7月24日25日の「教育相談会」に参加しました●(まとめられずにぐずぐずしていたら 1ヶ月経ってしまいそうです(^^ゞ)7月24日(火)まほろばホールで北部の「教育相談会」(旧「わかばの会」)がありました。 寝不足のピー(中3・娘)を起してヒビの入った左手のひらにダンボールを挟み、小指に負担が掛からないように親指・人差し指・中指の3本でギアチェンジをして片道35分。大和町まほろばホールでの教育相談会に行って来ました。昨年度までは「わかばの会」として行なっていた不登校児とその親がカウンセラーさんの講話を聞いたり皆で話し合ったりする会を、予算の都合で縮小したものが「教育相談会」です。不登校児が年々増えているのにどうして県では不登校対策の経費を削るのか全く理解に苦しみます。経費削減の厳しい中、相談員の方とI先生は遣り繰りして相談会を立ち上げたのでした。私とピーが5分前に着いてみると一人の方が急遽キャンセルしたので何と私達親子のみの対面相談会になってしまいました。北部での集まりはいつも人数が少ないそうです。私は驚いた半面、I先生を3時間も独り占め出来る!と内心喜びました。私の母の看病生活の事。放蕩息子の事。娘のあれこれ。夫の仕事と生活の不安。私自身の心の動き。など沢山話しました。ピーは殆んど話さないので私がずーーっと話していたのですが、一人で話していると自分が話した事やI先生が話された事を整理したりまとめたりする余裕が無くなり、最後の方はすっかり混乱してしまいました。何を話したのかも大分抜けてしまいました。(^^; 25日(水)の利府「十符の里」で行なわれた教育相談会では他人の話を聞きながら自分の事を当てはめて整理しながら客観的に考える事が出来ました。私は人の話しを聞くとよく解るけれど自分の話しは全く客観視出来ないのだ、と言う事をつくづく思い知りました。24日と25日ではそれほど違う経験をしたのでした。でも、直接I先生がピーに話しをしてピーに必要な事を話して下さったのはとても良かったと思いました。これまでピーは1対1のカウンセリングは受けていなかったので、直接ピーだけに必要な話しやアドバイスにはなっていませんでした。8月末にカウンセリングの予約をしたのですが母の心配がなければピーと二人で行こうと思っています。ピーの初カウンセリングです~♪混乱していた24日でしたが、そんな中でも目からウロコはありました。I先生がこうおっしゃいました。I「気遣って聞かないとかではなく 聞きたいから聞く。 言いたい時に言う」I「聞きたくない自由。 言いたくない自由」そうだ、全ては自分が選んでいると言う事。イヤイヤ話そうが、場に合わせていようが、それもこれも自分が選んでいる事なのだ。自分を大事にしたければ、イヤだと思ったら黙っていれば良いし聞かなければ良いのだ。私は自分の心にちゃんと気持ちを向けていないから自分に正直になれないのだと思う。身に染み込んだ「空気を読む」習慣。小さい頃からの環境で身に付けた周りの情況に合わせてしまっている習慣。知らずに選んでしまっていた自分の考え方の「クセ」。―長くなったので2に続きます―
August 19, 2007
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昨夜、たまたま変えたテレビのチャンネルに「夜回り先生」が出ていました。夜回り先生とは水谷修さんの事です。 ・「夜回り先生」水谷修・夜回り先生インタビュー 「子どもたちから、1万通を超える相談メールが殺到 」 ・反戦な家づくり「夜回り先生の告発」・おやじのつぶやき『「夜回り先生」の講演会に参加しました』・夜回り先生HP ・水谷修の春不遠水谷修さんは高校の先生をしながら不眠不休で子ども達を守っている方です。渋谷で彷徨う子ども達に話しかけ、電話で助けを求めて来た子ども達と心からの話をし、色んな所で講演をしては子ども達の心の話しをし、子供達を守っています。私の娘(ピー・中3)は小学5年生の6月から担任の教師がキッカケで不登校になりました。(詳しくは左側にある「Category」の中の「娘の不登校」をクリックして頂くと書いてあります)ピーは感性と観察力が鋭く、人間性を見抜いてしまう子です。だから、外見や言葉ではごまかされないのです。そして担任の「逃げる人間性」を見抜き、混乱している教室に耐えられなくなったのです。先日私は、「地球が100人の村だったら」と言うドキュメント番組を見始めましたがピーにとっても私にとっても刺激が強過ぎたようでした。そして自分の、無力感を激しく実感しました。ピーは悲しいドキュメントを見ると悲しくなるので見たがりません。うつが誘発されるからです。不登校になった頃、2年間ほどはうつ状態でした。同じ世代の若者達が話し合う番組も嫌いです。人が争うのを見るのも嫌いだからです。人とぶつかり合う事が恐いようです。でもピーは夜回り先生の話しはいつも真剣に向い合うのです。水谷先生の真摯で誠実な人柄を信頼しているのだと思います。それで昨夜、二人一緒に夜回り先生の話をテレビで見ました。ピーはずっと涙を流しながら厳しく真摯で悲しい話を聞いていました。私は私で、子ども時代の怒りや十代の頃の孤独感やリスカの経験、他の色んな過ちの経験が頭をもたげて辛さがぶり返して来ました。そして、居場所が無くて死のうとしていた小学4年生の男の子の話しを聞いているうちに泣いていました。私とピーはそれぞれの思いに浸りながら黙って泣いて見ていました。水谷先生の番組が終ってから、ピーは泣きながら話し始めました。ピ「○イや○○ミの事を平気だって言っていたけど 本当はすごく傷付いていて、 だから同級生を信用出来ないんだね。 だから学校に行きたくないんだね」ピーはあれから3年経ってようやく自分の心の傷を自覚したのでした。「○イちゃんと○○ミちゃん」はピーが担任の人格と教室内の目茶苦茶な情況に耐えられなくなって学校に行けなくなった時、親切に女子全員からの励ましの手紙を持って来てくれたり、学校の返りにしばしば立ち寄って「明日は学校に来いよ!!」などと声を掛けてくれたりしていた同級生です。所が、6年生になって担任が変わってピーが登校出来る様になってから○イちゃんと○○ミちゃんの一見親切な行為は実はピーにプレッシャーを掛けるためにワザとやって楽しんでいた行為だったと解ったのでした。それで6年生になったピーは2週間普通に登校していたのですが、今度は同級生の行為に傷付いてまた不登校になってしまったのでした。そしてその傷は深く、同級生達と遊ぶこともしなくなり、不登校中も続いていたエアロビも辞めてしまい、外に出なくなってしまったのでした。でもピーは「○イらしいよ。 あいつは性格が悪いんだ。 気にしていないよ」とずっと言い続けていたのです。私はと言えば、学校帰りに私と一緒に歩きながら話をしていたあの○イちゃんが、実は裏で何を考えているのか私は少しも気付かないで話をしていた訳で、相当にショックでした。○○ミちゃんとはあまり話しをした事が無くて私に近づかない子だったのと、私と良く話しをした子が○○ミちゃんに振り回されて時々泣いていたのを知っていたので驚かなかったのでした。でもピーが○イちゃんの事を平気だと言い続けていたので「でも私はショックだった」と言っただけでした。しかも○イちゃんの事を教えてくれたのが、当時ピーと一番仲の良かった○エちゃんで、ピーは○エちゃんを初めて出来た親友だと言っていました。ですが、○イちゃんが恐い○エちゃんは次第にピーから離れて行きました。そして○エちゃんは中学でも○イちゃんとクラスが一緒になったために部活も○イちゃんと同じ所に入り「恐くて違う所に行けない」と言っていたのでした。そして今では全く○エちゃんとの交流は途絶えてしまったのでした。初めての親友との仲も○イちゃんの影響で失ってしまった訳で、やはりピーは今は自覚していないかもしれないですが、本当は離れて行った○エちゃんに対しての失望感もあるのではないか?と私はピーに対して厳しい質問を投げ掛けました。最近の我が家はピーの不登校については当たり前の事になってしまって特に話し合いをしたりしなくなっていました。それに私の母の病気と看病や、夫の仕事や経済的な事、息子の行く末などで心配事が絶えずありピーの不登校=通常生活と言う風になってしまっていたのでした。だから良い機会だと思ったのでした。ピーが初めて「○イちゃんと○○ミちゃん」の行為により心が傷付いていたのだと言う自覚をした大事な気付きの時となったのでした。私は「復讐は互いの傷しか生まない」と思っているのですが、○イちゃんに関しては中学に行く度に見掛ける楽しそうに中学生活を謳歌している○イちゃんの様子を見ると、あなたが蒔いた毒の結果を自覚しているのか?と詰め寄りたくなります。何も生まないと解っていても傷付いて泣いているピーを見ると楽しそうに過ごしている○イちゃんに憎しみを感じてしまうのです。憎しみや復讐は良いものは生み出さない。だけど、○イちゃんはこのまましたい放題で楽しく生きて行くのか?何の心の痛みも無く、何の躊躇も無く、笑って楽しく部活や勉強や友達との交流をして行くのか?ピーは泣いているのに?校内やグラウンドで会っても知らん振りしている○イちゃん。ピーは私と一緒でなければ学校には行けなくなりました。ピーは心が真っ直ぐな自分に正直な人間です。私がこれまで出会った中でも一番自分に正直な人間です。だから言葉や~あるべきと言う事で自分を偽れないのです。「わかばの会」で出会った大人の人達を信頼出来るようになったピーは少しだけ前に進み出したと感じました。でも同級生に対しては信用出来なくなったままなのです。6年生で仲良くなって、ピーが不登校になっても訪ねてくれる○ナちゃんや○○ナちゃんがいるのにそれでもピーの心の中に積み重なったかさぶたはまだ残ったままなんだと思います。○ナちゃんや○○ナちゃんの愛と友情より○イちゃんの向けた悪意の方が勝ってしまうなんて。それを○イちゃんは何とも思わず暮らしているなんてとても不公平な気がしてしまって。それに直接○イちゃんから悪意を聞いた訳ではないので、本人から真実を確認したいと言う思いもあります。○イちゃんのお母さんもお祖母ちゃんも私は何度も会った事があるのです。あの家の何が○イちゃんをそんな風にしたのだろう?と言う疑問もずっとあります。ですがピーにその話しをしたら「○イは本当の事は言わないよ。 腹黒だから」そうか。直接話しをしたら私のようにストレートでバカ正直な人間はもっとイヤな思いをしてしまうだけなのかな。この思いは去年からグルグル廻っています。本人に確認をしたい。本人に自覚してもらいたい。無駄な事なのかな。悪意を生むだけなのかな。グルグル思いが廻っていて良い判断が出来ません。でもピーと話が出来て良かったです。「今は勉強が付いて行けないのが不安だ」と言っていました。出来るだけ教えようと言いましたら、初めて肯定的な反応をしました。今まで4年間と言うもの、勉強に関しては全く否定的だったのです。夜回り先生の話を聞いてピーの心の中で何かが動き始めたのかもしれません。こうして「夜回り先生」と言うキッカケは静まり返った湖に投げた小石のように波紋を広げて何かしらの結果を残してくれました。ありがとうございます。夜回り先生こと水谷修先生。m(_ _)m
July 7, 2007
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今日は娘(ピ・中3)の中学の体育祭でした~♪一日中グラウンドを歩き回ったり、カメラを忘れたと思って家に戻ったりしたので沢山歩きました。PTAの競技には夫にお願いして出てもらいました。それで珍しく3人で歩いて行きました。夫はすぐに帰って行きました。ピーは私服で行きました。彼女は校舎に入らない限り、私服で行きます。逆に目立つんですが(笑)中学最後の体育祭はピーのクラス連合が優勝しました。ピーの中学は1組連合、2組連合、3組連合、4組連合、5組連合に分かれて1年~3年が縦割りになるんです。そして、近隣の中学には無いくらいの燃える応援合戦があります。年々生徒数が少なくなって来たので息子が在学時の迫力はありませんが、それでも見応えがあるので応援合戦の時間になると沢山のギャラリーが集まって来ます。これでもう体育祭を見に行く事はないのだと思い、最後までしっかり見て来ました。何が印象的かと言えば、ピーが小学1年生の時から一人授業参観をして来た私は皆が一年生の頃の記憶が昨日のように甦ってくるので、皆が大きくなって人前で挨拶をしたり、体操をしたりするのが感動でした。ああ~ピーが一人で過ごしている間に皆は集団でしか出来ない事をしていたんだな~と思いました。ピーもそれを感じたらしくて「ワシは友達と誰も話しが合わないくらい 濃いオタクだけど、 ワシは一人の時間を過ごして 濃いオタクになって良かったと思っているよ」と言っていました。自分が人と違っている事を受け入れてその事実を認めたんだな~と感じました。そのようにして、ピーは自分を客観的に見る事をし始めたのだと思いました。また、小学6年生までは親友だったMちゃんが去年はクラス旗を描いて賞を貰えなかったので泣いていました。それを見ていたピーは「あんな事でどうして泣くんだろう」と冷ややかな感じで見ていたのですが、今年は暖かい目で見ていました。「去年はMが泣いた理由が解らなくて 冷たい事を言ったけど、 今年はMの気持ちが解る気がするよ。 ワシ自身は泣かないけどね。 皆が燃えて泣いているのを見ると、 ワシはああいう風になれない シビアな子なんだと思うよ。 皆のように熱くなれない 淋しい子なんだと思うよ。 でもワシはシビアな子で良いよ。 ワシは燃えて泣いたりしない子なんだ」そんな事も言っていました。少しずつですが、ピーはピーなりに成長をしており、自分をハッキリ持っている面白い人になって来ているのがとてもうれしいです。これで自分の考えを人に対して表現する事ができるようになるとピーも楽になると思いました。ピー中学生最後の体育祭の応援合戦の写真です。 ただもう、風が強くて強くて寒くて辛かったです。風邪を引かないように帽子の上にコートのフードまで被ってマフラーを巻いて身を守りました。勿論ピーから笑い者にされましたよ~~~~。ふふんだ。風邪を引かなければ良しです!家に帰り着いたのが4時でした。庭仕事をしたかったのですが疲れ果ててしまい、総合可視光線で何とか快復してご飯を作りました。こうして今年の行事はこれからも感慨深い思いでこなして行くのでしょうね。●今日のく~たん●夫の部屋に用事で行くとく~たんが夫の足元にくっついて甘えていたので、写真を撮ろうと急いでカメラを持って行ったら、く~たんはすでに甘えの状態を脱していてコタツの上に立っておりました。にゃ~~とキレイな声で鳴いて外に出て行ったく~にゃんこです。 ●今日のマシロッち●トイレに行くと、必ずドアの外でカリカリカリと柱で爪とぎします。誰がトイレに行っても必ず訪問して入れてと言います。 ピーと私は、このもこもこした猫を「むくく猫」と呼んでいます。く~たんとは違った「むくく」状態です。
May 20, 2007
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(昨日の続きです)ピー(中3・娘)は記憶力が良いので小さかった時の話も出来ます。夫や息子の話し、私の話しもしました。ふ「どうしてあなたのお父さんと話していると 話しが通じないんだろうね? ピーやラー(息子・19歳)と話していても 別に不都合や 訳が解らないと思う事は無いんだよね。 あ、ラーは時々言い過ぎるから イラッとする事はあるけど」ピ「ふふふ(笑)・・・あるある!! イライラさせる名人だよ」ふ「あなたのお父さんと話していると しょっちゅう通じなくなるんだよね」ピ「うん。 解りづらいよね、話し方が」ふ「どうしてなんだろうな~~。 ・・・・・・・・・・・・。 ピーやラーは 相手に解るように話してくれるけど Kさんが話すと 自分の中で解っている事しか話さないから、 相手には通じないんだよね。 ああそうか!!!それだそれだ!! Kさんは 相手の立場に立って考える事をしないから 相手に伝えるために話しているんじゃなくて 自分が話したい事を話したいように話すから 相手に通じないんだ!!! それだそれだ!!! ノートに書いておこう!!」ピ「あああ~~~~~~~~。 それだね(笑)」 ふ「だから訳が解んなくて いつもイライラしちゃうって言うか。 話しが見えないって言うか。 近くにいるだけで緊張するって言うか」ピ「お母さんは 今までオヤジにやられて来た事を思い出すから、 きっと緊張が抜けないんだよ。 さっきお母さんが言ってた、 心の入れ物の底に貯まった嫌な事が オヤジが近くに来るだけで攪拌されて イヤな思いが上に上がってくるんじゃない?」ふ「あああ~~~~~~!!! それだね、だから近くにいるだけで ゾッとしちゃうんだね。 最近は温和になったけど、 でも油断も出来ないしね」ピ「ワシ、この間の○○ちゃんのJUNONの記事の話しを お母さんがオヤジにしているのを聞いていて すっげ~~イライラしたんだ」これは、以前に日記に書いた「悲しくて怒りも感じています 」の内容を夫が出張から帰って来た時に留守中の出来事の報告としてかいつまんで話した時の事をピーが言っているのです。 その時の夫はこんな反応でした。夫「○○ちゃんはそんな事も考えられないくらいに 子どもだったんじゃない?」ふ「それはそうなんだろうけど、 でも私とピーだってLeadのファンだって よく知っているはずだし、 そう言うファンの心情なんかは 分かり合えてるって思っていたんだよね」夫「だから、Mさんが(←私)思うより 子どもだったんじゃない?」ふ「そうだとは思うんだけど、 やっぱり原本を自分が取っちゃうって所が びっくりしたんだよね、 そんな子だと思ってなかったから。」夫「理性的に考えれば○○ちゃんの気持ちも 解らなくはないんじゃない?」ふ「・・・・・・それは何ですか? 私の対応が悪かったって事なんですか?」夫「誰もそんな事言ってないじゃない」ふ「そう言う風に聞こえます。 ・・・・・・・・・・・私はただ、 悲しい思いをしたんだねって 言ってもらいたかったんだと思います。 あなたが言うような事は 散々考えましたから」 と、報告のつもりが些細なすれ違いに発展した事があったのでした。この時もピーは、私たちのやり取りを目の前にいて聞いていたのでした。ピ「あれはオヤジが 自分と○○ちゃんが似ているから ○○ちゃんを擁護したんじゃないかな? オヤジは相手の気持ちを考えられない人だから、 だからお母さんの気持ちが解らなかったんだよ」ふ「ほお~~~~~~~~~~! なるほどね!! 4人兄弟の末っ子同士で似ている所があって、 Kさんは○○ちゃんの気持ちになった、と。 ピー!!すごい発見だ!!」ピ「あれはワシも聞いててイライラしたんだ」ふ「あ、ピーも思った? どうして私が責められるのか 解らなかったんだよね。 そうか、 Kさんは○○ちゃんの気持ちなら解るんだ」ピ「オヤジならやりかねないかもね」そんな会話もありました。ここ半年の間にピーは随分成長したんだと実感しました。始まりは貧乏は悲しいのか?から始まったような話し合いでしたが、娘は以前のように逃げ出さずに心を落ち着けて私の話を聞いただけではなく、自分の考えや観察の話もしてくれた訳でとっても収穫の多い話し合いになりました。いつもそこに座ってパソコンをしながらじっと話を聞いていたピーが 実は心の奥では色々な思いや感想があり、それが積み重なって成長しているんだと驚きました。実は24日のカウンセリングでピーがわかばの会で大人の話を聞いていたり、夫婦の話しを聞いているけれど何がしたいのか良く解らないとI先生に話したのですが、I先生はピーが黙って話を聞きながら「自分の心を整理しているのではないですか?」と仰ったのです。へ~~そうなんだと思ったのですが、その次の日にはこうしてピーが黙って聞きながらも感じて考えている、そうして少しずつ心を整理しながら成長していると言う事を知りました。びっくりです。成長って、知らない間に少しずつ確かなモノとして心の中に築き上げられて行くモノなんですね!!!と言うわけで、娘との初めての2時間半のジックリ話し合いはとても有意義なものになりました。うれしいです(*^_^*)●ピーの絵●少し前にピーが描いたゲームに出てくる少年だそうです。「佐助」 「人形師」えんぴつ描き
April 26, 2007
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昨日の日記に沢山の方が反応してくださったので驚きました。同じような思いをしたり似たような感情を味わっている方が多いのだな~と思いました。人を操作しようとする人は身近に沢山いるんですね。そして、そう言う人とは闘わないと油断すると言いなりにされてしまうんですよね。こころ穏やかな日々は遠いですね。納得して生きて行きたいものです。でもこれが難しい~~~~~(T_T)昨夜、娘が物欲に突き動かされていました。ピ「ああ~~金が欲しい~~。 中卒じゃバイトも無いし」ふ「あなたバイトしたいの? 欲しい物がまだあるの?」(ちなみに娘はまだ中3です)我が家はこの2年2ヶ月と言うもの、夫の辞職から始まり、救職や再就職が上手く行かない状態や休職に再々就職と金銭的に余裕が無いかなり切り詰めた生活をしているのですが、それまでは考えも無しに欲しい物をどんどん買い込んでいた娘にとっては遣り繰りしながら物を買う事はとても良い経験だと思っています。でも、質素な食事をしているのとたまには美味しいものも食べたくなるので娘とこっそりお茶をしたり、娘にはたま~~~~に服を買ってあげたりしています。私は自分用にはこの2年半でCD以外にはスカートを1枚買っただけです。(しかも千円ぜよ!(〃∇〃))でも娘にはひねり出してごくたまに服を買ってあげるのです。(勿論、千円とか千五百円とかの 超安物しか買えないのですが)最近、ピーはオシャレに目覚めたのです。ちょっとは協力してあげたいと思うのが親心(親バカ心?)なんです。娘は私の母から貰ったお金でコミックをバンバン買い込んでいます。こんな情況でこれ以上何が欲しいの?と思うと、悲しくなりました。私は子供の頃に持っていた服なんて、下着も含めてタンスに一段だけでした。中学生の時に、たった1枚買ってもらったオレンジ色のワンピースを大事に大事に着ていた人間です。勿論時代が違うので比べる事なんか出来ないのですが、あれも欲しい、これも欲しいと言い出したら人間の欲望なんて止まる所がなくピーの欲望もそんな風かなと思うと私に何が出来るんだろうか?と途方に暮れて泣けてきました。ふ「お母さんはお金が無い中で ピーには随分買ってあげているんだけど。 服も沢山あるでしょう? コミックも沢山あるでしょう? それでもまだまだ欲しい? キリが無いんじゃない?」するとピーも泣き出しました。娘はポロポロ涙を流していました。ふ「責めているんじゃないないよ? 私はみんなが心に穴が開いていて その穴を埋めようと物を買ったり 何かをしたりせずには いられないじゃないかって気がするんだよね。 ピーも心の穴を埋めようとして 欲しいものを次々に買わずにいられないのかな? ピーの心の穴は何なんだろう? どんな穴なんだろうね?」ピ「解んない。 でも欲しいものがイッパイある。 物欲がイッパイある。 どうして涙が出て来るんだろう? どうして泣くのか解んない」ふ「それはピーの心が悲しいと 感じているからだよ。 イッパイ泣いた方が良いよ。 心が感じた事を貯め込むと 辛い思いだけが貯まって行くから」それでカウンセラーのI先生がよく話してくれる大きな入れ物を心に例えた話をしました。入れ物の底に苦しい思いだけが沈殿してしまうから、悲しみを感じたらそれを受け入れて泣いた方が良いんだよ、って。その後、色々二人で話しました。殆んど私が話したのですが、ピーも話をしました。それはすごい成長です。小さい頃からピーは泣いたら最後、話しなんか出来ない状態になるのです。布団の中に潜り込んで泣き続けるのです。所が今回は2階のベッドに逃げ込まないで私の近くにいて話をしていました。ふ「ピーが逃げて行かないよ。 これはすごい成長だね!」ピ「え?」ふ「あなたは小さい時から いつも泣くとパニック状態になって 会話なんか出来なかったんだから こんな風にしている事は すごい事だよ」ピ「あ~~~~~。 ワシ、暴れてた記憶がある」ふ「ね?!! それがちゃんとこうして 会話を続けているんだよ」ピ「うん。そうだね」だから、泣いた後も会話を続けているピーはとても成長したんだと思います。(その2に続く)
April 25, 2007
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『出張「わかばの会」存続出来るのか?』のその後の報告です。県の財政課にはその後も電話をしたのですが担当の方がいなくてお話が聞けませんでした。一度電話を下さったらしいのですが、私が留守の時でした。そしてようやく話しが出来たのが水曜日あたりでしょうか。風邪で体調が悪かったため今まで書きまとめる事が出来ませんでした。財政課の方が申しますには国の事業内容が変わると言う教育庁からの達しがあり今、切り替わりの最中なのだそうです。別の行事に切り替わるだけで、予算を削ったと言う事は無いと言われました。「不登校支援事業」は別の形で存続するはずです、とも言われました。それで、詳しくは義務教育課に直接聞いて下さい。と言われたので義務教育課に電話しました。義務教育課の方と言うのは先日電話で話をした教育委員会の方でした。担当と言うのは、「義務教育課」の事だったようです。その方は私の事をよく憶えていて下さっていて、先日の話しをした内容についても憶えていて下さったために、話をし易かったです。財政課の方と話しをした所、こちらで詳しく聞いて下さいと言われた旨を伝えますとやはり、2006年度と2007年度では国の事業内容が変わるため切り替わりの手続きがあって、予算も違う所を使っての不登校児対策となるため現在は急いで予算の振り割りをしている最中のため5月以降にならないと事業が再開出来ないとの事でした。つまり、予算内容が変わるので見積もりや事業内容も変わって来て今予定を編纂中と言う事です。「と言う事は出張の『わかばの会』は 存続するんですか?」と聞くと「今までは仙台事務所だけでやっていたのですが これからは県の事業になるため 県内の色んな所での集まりを 予定しています。 ですから、 回数や場所などは変わって来るかと思うのですが 出張して地区での不登校対策支援は これからも県の規模で 行なわれる事になりました」との事でした。「でもさっき 教育事務所の相談員の方に お話を聞いた所では 全くそういったお話は無くて、 普通のカウンセリングの時間内で、 しかも教育事務所内の応接セットの所で 集まりをやろうと言う事で進めている という事だったんですが」と言いました。そうなんです。私、念のために県の財政課から聞いた直後に教育事務所に確認を取っていたんです。教育事務所の相談員の方は新しい事業については全くご存じ無いのでした。それで義務教育課の方にその事をお聞きしたのでした。すると「予算が国から許可されないと 進められないんです。 許可されるかどうかも解らないうちに 話を進めて、 ダメでしたと言う訳にはいかないので 話しが決まるまで 予算や予定も組めずにいたため 話は進めていなかったんです。 でも、 国からの許可が出たので 今急いで予算を組んで 予定を立てている所です。 ですから5月以降には 名前が変わるかとは思うのですが 「わかばの会」のような集まりが 県内のあちこちで 行なわれるようになります」と言う事でした。なるほど、予算が決まらないうちは動けないと言う事なんですね。でもね、教育事務所の相談員の方達はそんな事は全く知らなくて去年度に立てていた予定や「わかばの会」の会場予約を全てキャンセルして今まで取り組んで来た事をゼロにならないようにと心を砕いて必死でなんとか最善を尽くそうとしておられるんですよ。I先生もそうなんですよ。教育事務所の方たちが知らないなんておかしくないですか?そう言う動きや予定があるなら、前もってこういう事を予定に組んでいてまだ未定だが前年度とは違う方針での行事になるかもしれない予定があると言うお達しがあっても良いのではないでしょうか?イキナリよりいいんじゃないですか?現場ではガッカリするでしょう?ゼロにされそうになってビックリしますでしょう?それっておかしくないですか?私はしつこく聞きまわったから解ったけれど不安に思って残念に思って悲しんでいる人も他にいらっしゃるでしょうし。「わかばの会」でお世話になっているmotherさんも私のブログを見て驚いて電話してみるとコメントを書いてくださったんですが、きっと行動力のあるmotherさんの事だから私よりサクサクと早く電話のやり取りをして下さったんじゃないかと思います。だって、財政課の方も義務教育課の方もよどみの無い語り方でしたから。初めての説明と言う感じではなく話し慣れた感じでした。初めて電話した頃とは話し振りが違いますもん。センキュウーmotherさん!!!一人より二人は心強いですよねぇ♪でもまあ、不登校対策支援がどういう形になって行くのかまだ解らないんですが、今回の事で教育委員会や県の財政課に「わかばの会」がいかに有意義な集まりでこれで私や他の方達がどんなに救われて助けになったかを話す事が出来たので良しとします。いえ、とても良い経験になりました。私のような者でも質問をすれば教育委員会でも県の財政課でもちゃんと返事をしてくれてまともに対応してくれるんだなと言う事を知りました。教育委員会では「かわばの会」やIカウンセラーさんがとても素晴らしい存在である事をかなり知ってはいるようでホッとしました。もっと知ってもらえればもっと良い方向に行くのかな~と思いました。公的な関係の人達の中での話し合いだけではなく、対象となっている親や子ども達からの感想や思いを伝える事の大事さを知りました。「わかばの会」は無くなる様ですが、また別の集まりが始まるのはありがたいです。さて、教育委員会の方が仰っていたようにちゃんと現場の方々が満足行くような行事になるのかどうか、待ちましょう。
April 22, 2007
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いつもぼやぼやしていて出遅れてしまう私は4月も1週間過ぎてからようやく教育事務所に電話を入れてI先生とのカウンセリングの予約を取りました。それが、早くも24日の朝9時以外には5月まで埋まってしまっていたのでした。それで朝に弱い私ですが、根性で行く事にしました。日中は車で40分で教育事務所に行けるのですが、朝のラッシュ時には1時間半掛かると思われ、7時半には出るとなると6時には起きなければならず、それは普段の私の寝る時間に近く相当頑張らねばなりません(大汗)今日は中学校に行ってピー(娘・中3)の新しい担任の先生にお会いして来ました。気の良さそうな30代前半の男性の先生でホッとしました。でもプリント類の中に「わかばの会」のお知らせがなかったので相談員の方にお聞きしました。すると、なんと教育委員会から出された出張しての「わかばの会」の予算が県議会で削られて決定されてしまったため「わかばの会」が出来なくなってしまい、スケジュールを作り直していると言うのです!!!!!(゜ロ゜)!!!!!もうビックリして寝耳に水で硬直してしまいました。( ̄□ ̄;)!!!!!!!!!!!憤りが塊りになって身体の中から噴出して来て何かをせずにいられない思いに駆られました。だって、「わかばの会」があってこそI先生に出会えたのです!!最近は北部・中部・南部と仙台の「わかばの会」を娘と二人で全て網羅して来たので仙台での情況が大分見えて来た訳です。(『昨日、わかばの会に行きました』 『南部の「わかばの会」にも行きました』 『1月23日のわかばの会(不登校児の親の会)にも行きました 』 『今年度、北部最後のわかばの会に行きました』 『南部の最後の「わかばの会」に参加して来ました』などなどです。) せっかく去年は相談員のお二人がもっと沢山の人に参加して欲しいと言う事で恒例化していた開催場所を変えて普段は参加しない人も出席し易くして下さったのに。それで昨年度の後半は初めての参加の人が多く出席して、泣いていた人も困惑していた人も悲しみに支配されていた人も思い込みに縛られていた人もI先生の深くて広がりのある話を聞いたり同じ悩みを持つ人間の苦しみを見て重たい荷を降ろして帰りの顔は別人のように晴れ晴れしている人が沢山いる事を見て来たのに。そして個別カウンセリングを受けて気付きを沢山経験して子ども達と共に親も爽やかになり、生き方すら変えて行く事になったりしているのに。なのに入口の出張「わかばの会」が無くなったら出席出来る人も少なくなると思われ、これは大変な事になりそうだと私の気持ちは爆発しそうに加熱しました。それで私は教育委員会に電話をしました。「わかばの会が出来なくなったのは どうしてでしょうか?」と言う内容の事を聞いたのでした。担当の人に代わって貰ってから、いかにI先生がカウンセラーとして素晴らしいか。娘は学校には行かないけれども最近は毎回「わかばの会」に出席するように良い影響を受けている事。前年度の取り組みで場所を変えた事で初めて来る人が沢山いた事。初めて来る人は苦しみ悩みで混乱していても帰る時は希望が広がり明るい顔で帰って行く事。私は「わかばの会」でI先生を知りカウンセリングを受けて多くの気付きを経験し、苦しみの元が分ったり、生活する上で多くの益があった事。せっかく相談員の方々がなるべく多くの人を迎え入れようとしているのに宮城県は損失を被る事をしている、等等。興奮に任せて私は沢山語ったのでした。意外にも教育委員会の担当の方は私の訴えがよく分っているようでした。そして予算が通らなくてとても残念でいる事を語ったのでした。なあぁ~んだ、教育委員会の方でも在宅不登校対策事業についてはもっと進めて行きたいと思っていたのか。でも県の財政課の方で削ったと言う事らしい。教育委員会の担当の方は「保護者の方からの貴重なご意見 ありがとうございます」と言って下さいました。少しホッとしました。思ったほど腐っていないかもしれないと思いました。それでついでに「宮城県ではスクールカウンセラーを 臨床心理士の資格が無い人は 辞めさせている所があると 聞いたのですが。 実際カウンセラーさんと 直接お会いしている私が感じるのは カウンセラーさんは 私達を人間として扱って下さり、 共に苦しみを乗り越えようとしてくれる 人間として素晴らしい人が多いのですが、 資格だけと言う点で言うと 病院のドクターなどは私達を 患者としてしか見ていないので 人間として扱ってもらえず 辛い思いや惨めな思いをした事が 沢山あります。 それで宮城県では カウンセラーさんの存在が貴重である事を 認識して頂いているかどうかと思いまして この機会にお聞きしたいと思いました」と語りましたら、「臨床心理士の資格の他に 5年以上のカウンセリングの経験がある方を 採用させて頂いています。 臨床心理士だけと言う訳ではありません」と言う返答でしたので、医者と言う資格だけで人間を知ろうとしない人が多いので是非にカウンセラーさん達を大切にして下さいとお願いしました。私の出来る事には限界があるのであまり多くの事は出来ないのですが、なんとか現場の声を聞いて貰いたいと思ったのでした。そして私は次に宮城県庁の財政課に電話をし、「在宅不登校支援の対策事業としての 『わかばの会』の予算が削られてしまい 出張の形での『わかばの会』が 出来なくなってしまった と聞いたのですが、 これはとても有意義な懇談会なのに 何故それを削ったのかお聞きしたい」と言いました。すると担当の者がいないので後ほど連絡差し上げますと言われました。でも5時20分だったのでお役所仕事の常で電話は今日中には来ないだろう思っていたらやっぱり電話は来ませんでした。明日の朝、早く起きて待っていないと。その様子を見ていた娘は「お母さんて面白いね」と語ったのでした。「だってあーた、 『わかばの会が』出来なくなったら どうするの?!!! 『わかばの会』が無かったら I 先生にだって出会えなかったんだし そしたら私達は今も暴君にかしずく 奴隷のままだったかも知れず、 そしたらこんなに元気で 明るくいられなかったんだよ!!!! 同じように苦しんでいる人が 沢山いるに違いないのに その入口の『かわばの会』が閉ざされたら 悩み苦しむ人が増えるんだよ!!! おかしい事をおかしいと訴えないと 現場を知らない議会の人なんかは 数字や資格だけで決めて行くんだから 言うべき時は言わないと!!!!!」と、熱く熱く語った私。ふん。興奮すると私、別人が浮上するんです。自分の事よりも他人が関係すると私すごくなるんです。おかしいぞ宮城県議会!!!!!せっかく現場の人達がこつこつ築き上げたものを一発でひっくり返して台無しにした。「わかばの会」は不登校児とその親の駆け込み寺のような存在なのに!!!!うううう。。。。。。プンプンプンプンプン。。。。怒ってます、私。怒りも私の一つの感情。不登校児の数が減っているのは生徒数が減っているからなんだぞ!!!現状を数字だけで見てるんだろう!!ぷんぷん。ヽ(≧Д≦;)ノ●I先生のブログはこちらです
April 9, 2007
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亘理町の「わかばの会」に参加して来ました。「わかばの会」とは教育事務所が主催している不登校児の親がカウンセラーさんや相談員と皆さんで懇談したり、カウンセラーさんの講話を聞いたりするとても有意義な集まりです。亘理町は初めて行きました。片道1時間45分掛かりました。ピー(中2・娘)と夫の3人で出掛けて行きました。道はとても混んでいました。私の前を走るトラックの助手席から外に向って中身の入ったビニール袋をポイと捨てやがりましたっヽ(≧Д≦;)ノごみを捨ててはいけません!!!プンプン(゜ロ゜)!!!!! やっと着いた亘理町の公民館は大きな建物で、椅子の座り心地が良かったです。新しい方が多く、参加した方も多かったので(うちだけで3人ですし)一人一人にじっくり時間を掛ける事は出来ませんでしたが逆にとても濃くて充実した話し合いがなされました。ピーも5回目の「わかばの会」なので大分慣れて来て絵を描きながら大人の会話に耳を澄ませているだけではなく今回は話をしている人の顔を見たり、I先生が書く説明図や言葉などもじっと見ていました。私も、月に3回も出席していると何度か聞き憶えのある内容の時もあるのですが、聞く度に別の角度から心の中に入って来て違うものが見えて来ます。全くI先生は、初めて会う人と10分くらいの話しを聞いてその人や家庭が持つ悩みを把握して問題の根本が分るように分析して図解しながら説明してくれます。人の持つ惑いや悩みによるその人の必要なものがI先生には分るんです。I先生はその点で天才だと思います。人の生活の歪みを見抜く最高の心の目を持っているカウンセラーです。来年度も是非、教育事務所で不登校児関連のカウンセラーを続けて欲しいと思います。県の教育事務所のカウンセラーは毎年更新なんだそうです。「わかばの会」でお会いしたカウンセラーさんはI先生を始めとして優秀なカウンセラーさん達が集合しています。これは珍しい事だと思います。素晴らしい皆さんが来年度も宮城県の色んな地区のカウンセラーを続けていただけますように!
March 14, 2007
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今日は大和町の「まほろばの里」で「わかばの会」がありました。「わかばの会」は宮城県教育事務所主催で行われる不登校児の親がカウンセラーさんや相談員さん達と一緒に話し合いをしたり、講和を聞いたりするとても有意義な集まりです。今日もピーが一緒に行きました。 快晴で気持ちの良い天気でした。風が冷たくて寒かったです。裏道を通って近道しました。私は早めに出て、何と前回行った富谷町の武道館に行ってしまいました。 20分も前に着いて余裕綽々でおりました。所が人がいない、あれ?何か違うぞ。ここは富谷町の武道館。私は確か、「まほろばホール」に向かったはずだが????あれ???まほろばは大和町????私、どうして富谷に来ちゃったの???????????多分、昔に「まほろばホール」でバリ島のケチャダンスを見た事と先日行った富谷町がごっちゃになってしまったらしくああ~~~~私、記憶と認識が危なくないか??!!!ガックリしながら隣町の大和町に大急ぎで向かいました。折角早目に着いたと自信満々だったのに、10分の遅刻になっちまいました~~~(涙)北部の集りは人数が少ないのでみっちり話しが出来ます。ピー(娘・中2)は途中でI先生に話し掛けられ超ビビッていました~~(笑)ピーはとても観察力が鋭いのです。問題の核心を突くので凄いです。でもとても人見知りなので家族や親しい友人以外の人と話しをするのが苦手でなかなか話しができません。でも、帰りにピーに聞くとなかなか鋭い事を言ったりします。今日のI先生の話しは「感情を出すのと、感情を人にぶつけるのは違う」「身体の中にある苦しい不快を外に出す」「自分の中の不快を自覚する」この順番で自分の中を整理していけば自分の中に不快を溜め込んで身動きできないと言うところから脱出出来る良い話を聞きました。自分の中にある感情を認識する。それはとても大事な事なんですね。思春期の女子は「明るくしていなければならない」事が多いらしい。ピーがよく言っていたのは、「一人が言い出すと、 皆が同じ事をしなければいけなくなる。 どうして違っていてはいけないのか? どうして一緒でなければいけないのか?」この点に関してはしゅうべえさんが面白そうな本を紹介してくれました。「女の子どうしって、ややこしい!」と言う本です。学校の図書館でカウンセラーお勧めのコーナーにこの本を置いた所沢山の生徒達が反応したそうです。そしてこれまでになく沢山の生徒が借りて読んでいるそうです。女子同士は気を遣い合ってとても難しいんですね。思えば私は、とてもマイペースな中学生でした。人からどう思われるかなんて気にせず、正しいと思ったら苛められようがいたぶられようが無視していました。私はその頃は自分を育てていたんだと思いました。ああ~なのに、いつから人の事に気を取られまくる人間になったんだろう?I先生は「あなたにとっての真実を見つめる事によって アイデンティティーが出来上がる」と話していました。人の反応は外の問題。アイデンティティーを育てるのは自分の心の中。親の問題としては「私達の時代にはそんなものは無かった」と言う考え方で行くと子どもを責めるだけになるので親が考え方を柔らかくして行くのが大事。子どもが自分を見つける見つけ方が解らないので親もまた解らないから、一緒に考えて行く。(゚ー゚)(。_。)(゚-゚)(。_。)。親も解っていないですよね。時代が変れば価値観も必要な事も表現の仕方も色~んな事が変ってしまったので親にとっても初めての事ばかりですもんね。それから不登校児や途中編入出来る高校を教えてもらいました。そう、何歳からだってやり直せる。違う生き方を模索して自分が納得出来る生き方を見つけるのが一番!!!などなど、今日も沢山の収穫がありました。ありがとうございました。I先生、しゅうべえさん。相談員の皆さん。そして今日共に話し合った親の皆さん。晴れ晴れとした気持ちで帰って来ました。ピーがわかばの会に参加するのは、三分の一ある理由があります。それはいずれ書きます。それでピーに質問しました。ふ「残りの三分の二は何のため?」ピ「大人の話を聞くため。 ピーはまだ未熟な子どもですから」(((((^m^;やっぱりピーは面白いです。帰り途中でピーの要望により寄ったジャスコの中のお店の中の素適な照明器具です。 ピーと二人でお茶しちゃいました。しかもピーのおごりです。\(*^0^*)/
March 1, 2007
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先週、娘(ピー・中2)の担任の先生から学年の文集に載せる一言が欲しいと言うFAXが届き、娘に何度か尋ねたのですが無言でFAXをノートパソコンのキーボードと画面の隙間からそ~っと寄越したりして今思えば抵抗を示していました。その後も何度か先生から電話が来て今日も話をしました。先「どうですか~?」ふ「はあ、空欄でお願いしたいのですが」先「空欄だと間違いだと思われたりするし、 クラスメートは○○さんを同級生として見ているので、 何かクラスメートへ思いを残して欲しいんですが」ふ「でも、多分ピーは学校に行っていない事で 学校に関わっていないと言う思いがあると思うのですが」先「でも○○さんは合唱コンクールや 体育祭や文化祭に出席して みんなと会っているし、 みんなはクラスメートとして認識しているんですよね」ふ「はあ。でもピーはこれと決めたら 動かない人なんですよね。 だから空欄でお願い出来ないでしょうか?」先「じゃ、『空欄』とか『ノーコメント』とか『・・・。』 とか、何でも良いので何かを書いて欲しいんですが もう一度○○さんに聞いていただけますか?」ふ「はあ。ではもう一度聞いてみます」それでピーに聞いてみました。ふ「先生から『空欄』とか『ノーコメント』とか『・・・。』とか 何でも良いから載せて欲しいって言われたんだけど、 どうする? お母さんは先生に話さなくちゃいけないから お母さんに解るように話してくれない?」ピ「んん~~~~~~」と言いつつピーはソファに背中を預け頭の後ろで両手を組んでのけぞったまま動かなくなりました。ピーは大事な事ほど言えなくなるのです。つまりこれは大切な思いがあるので上手に話せない状況にあると言う事です。ふ「イヤだって事? 先生はクラスメートへの 何らかのメッセージを求めているみたいなんだよね」ピ「・・・・・・・・・・・・・」ふ「話してくれないとお母さんも先生に 説明出来ないんだよね」ピ「・・・・・・・・・・・・・・・・」この辺でピーは泣き出してしまいました。ひっそりと静かに顔を隠して涙を流すのです。こうなるともう話は出来なくなります。だから私の方から質問をしてピーの思いを聞き出して行きます。ふ「学校に属している事さえイヤだから 文集に言葉を載せるのがイヤだとか?」ピ「うん」ふ「もしかして、 名前を載せる事さえイヤだとか?」 ピ「うん」ふ「そんなに学校が嫌い?」ピ「うん」ふ「組織に組み込まれると 自分らしくいられないから?」ピ「うん」ふ「組織の一員だと 自分じゃなくなるみたいな気がするから?」ピ「うん」ふ「学校に属している事もイヤで、 名前さえ消したいとか?」ピ「うん」 ふ「よっぽど学校が嫌いなんだねぇ~~!!(笑)」ピ「(笑)」昼に胸の下部、胃の上の肋骨の一番下の骨の真ん中の辺りが痛いと言っていた事を思い出して両手をこすり合わせて暖めて掌でピーの痛かった所を暖めてあげました。何度も暖めているうちにピーの緊張もほぐれて来たのでちょっと気楽な話をしました。ピ「『空欄』でいいよ」ふ「え?本当に良いの? 言葉無しにしたいんじゃないの?」ピ「良いよ『空欄』て文字で」ふ「無理していない?」ピ「良いよそれで」結局『空欄』と言う文字でお願いしたい事を担任の先生に連絡しました。泣かしてしまった事も話しました。文集に文字を残す事が娘にとって大きな問題である事も話しました。先生は驚いているようでした。ピーは個性的な人なので多数派ではないのです。だから言われた通りにする事がこんなにも問題になる、と言う事が先生には驚きだったんじゃないでしょうか。学校では生徒は選ぶ事より従う事が多いので、先生が言った事が滞りなく染み渡るのが普通なんだと思います。「悩ませてゴメンネって言って下さい」と先生は言っていました。先生にピーの惑いの幾らかでも伝われば良いのですが、電話を終えてからピーにふ「それにしてもそこまで組織が嫌いって、 第二子で一人狼ってすごいね」ピ「(にやり)」ふ「一匹狼って言うとカッコイイね」ピ「(にやり)」ふ「一匹狼のピーたん」ピ「それはちょっと」ふ「一匹狼のぴくりん」ピ「それもちょっと」ふ「一匹狼のぴっくるぽ~」ピ「幾らなんでも」ふ「じゃ一匹狼ピッピ」ピ「ぶぶぶぶ(爆笑)」こうしていつものピーと私になった訳ですが先生の強いプッシュによって、今のピーの気持ちが解ったって事で良しとします。こんな機会がなければピーが学校から名前を消したいくらいに組織に組み込まれる事が嫌いだと言う事が解らなかったわけです。先生にプッシュされて辛かったですが。何が何でも何かを載せたいって先生にとってはそんなにも大事なんでしょうね。でもピーにとっては泣くくらいに嫌いな事なんだ~~。でもピーは付き合いで嫌いだって事を誤魔化さないんだ。そして一人でも平気なんだ~~~。いっそ一人の方が自分らしくいられて楽なんだ~~。下の子なのに一人でも平気なんだ~~。ある意味で凄く強くないか?この子は。そう思って私の思いの中から出て来たのが「一匹狼」だったんでしょうね。でも私には甘えん坊の一匹狼ピッピ(((((^m^;うちの個性的で頑固者で自分を誤魔化さない一匹狼のピッピを宜しく!!!(笑) ピーとマシロ。
February 26, 2007
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1月23日の岩沼の「わかばの会」にもピー(中2・娘)が付いて行きました。「わかばの会」と言うのは宮城県教育事務所が主催している、不登校児の親が集まってカウンセラーの講話を聞いたり自分の思いや現状を話し合ったりする前向きで有益な集まりです。私はここで素晴らしいカウンセラーのI先生に出会い、不登校に苦しむ子どもがきっかけで自分探しを始めた個性的な人達にも出会ったのでした。岩沼も先日の富谷のように国道を通り抜けても寄った事が無い街でした。早く着き過ぎたのでコンビニを求めて走るうちに囲まれたヨークベニマルに行き着き、帰り道が解らなくなりましたが頭の中の地図を頼りに走るとドンピシャリで「あいプラザ」に出ました。( ̄ー ̄)☆I先生が「葛藤や摩擦を避けて自分を引くと苦しい」「出て行くと摩擦が激しくて大変になる」と言う事から「私らしさを出しながら、 どう折り合いを付けて行くか」と話し「苦しみは考えるチャンス」と方向をちょっと変えて見るコツを教えてくれるのでした。人が一人になりたがる脳の働きについても聞きました。「周りに合わせていると『本能』が疲れて来る」「自分らしくいるために一人を好む」 「好きな事をしていると自己肯定感が増える」私もその通りの事を無意識にやっています。誰にも何も言われない環境を求める自分がいます。だから深夜の読書が大切な時間になるのだと思います。自分で自分を修復する時間が大切なのは自己肯定しているんでしょうね。不登校児はまず一人になりたがる人が多いと思います。皆と同じ事が出来ない自分を否定されるので一人になって自己肯定をして修復しなければ自分を保てなくなるんでしょうね。それ程に皆と同じじゃない事は抵抗が大きい重い事です。日本では皆と同じじゃないと弾かれますからね。「人間関係の辛い事は心の傷になっている。 ある人に触発されて思い出す。 心の傷について昇華させると傷が治って行く」私にも思い当たる傷は山ほどあってどうしたら昇華出来るのか知りたいと思いました。先日行ったブレスワークが心の傷の昇華に繋がるかもしれません。(*^_^*)
February 15, 2007
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●17日の「わかばの会」の感想●「わかばの会」と言うのは宮城県教育事務所主催の不登校児の親を対象にしたカウンセラーさんと話したり講話を聞いたり、話し合ったりする有意義な集まりです。17日は初めて多賀城で「わかばの会」が行われました。いつもは利府で行われています。参加人数が多くて、初めての人達が多かった事や挨拶に教育委員会の人が不登校児を失くすのが目的、みたいな話しをしたためまるで悪い事を相談に来たみたいな感じがしてしまって私は耳をふさぎたくなったのでした。でも教育事務所の相談員の方の話やカウンセラーのI先生の話しなどでいつもの調子に戻ってホッとしました。初参加のピー(中2の娘)は俯いてずっと話を聞いていました。途中からは絵を描きながら耳では話しを聞いていました。今回は殆んど聞き役の私、夫、ピーでした。ピーは色んなパターンの家庭があり、親があり、事情があり、子どもがいる話しをじっと聞いていました。私にはI先生の始まりの話しがいつも胸をグッと掴むものです。「大人も子どもも、『社会の中で自分らしく生きて行けるように』 と言う願いがあってカウンセリングをしています」なんと力強くて頼もしい言葉なんでしょうか!聞く度に涙がこみ上げてくるのです。世界中の人が自分らしく生きていけたら今の悲惨な事件や生き方は無いだろうと思わずにはいられないからです。私も自分らしく生きられたら生きているのがうれしいと感じて幸せになれるのだろうと思います。初めて「わかばの会」に参加した方は大抵悲壮な表情で苦しみに満ちた様子をしています。涙にくれる人もいます。でも「わかばの会」で同じような悩みを持っている人が他にも沢山いると知ったり、カウンセラーのI先生の話しを聞いて学校に毎日行く事だけが生きる事ではなく生き方は幾通りもあって人それぞれ、子どももそれぞれの生き方があるのだ!と気付いて帰る時の皆さんの顔は安堵感に満たされてうれしそうな人が多いのです。この日も、皆さんは始まった時の固い表情から一変して終りには和やかで柔らかい表情になって帰って行かれました。I先生や相談員の皆さんの願いが悲しい思いをしている親達を救ったのだと感じました。親を安心させる事は不登校児達が居心地良い環境で生活が出来る事になります。誰しも追立てられ責められる毎日では苦しくて悲しくて動けなくなってしまうと思います。ただでさえ行きたくない学校、行けない学校なのに唯一の居場所の家で責められたら自分の部屋の中、ベッドの中しかいる所が無くなってしまいます。学校に行かなくても自分らしく生きられればどこにいても何をしていてもきっと素適な人生になると思います。皆と同じレールじゃないとダメなんて誰が決める事が出来ると言うのでしょうか。人が皆違うのだから生き方も皆違って当然なはずなのに、きっと管理しやすいかどうかで決められてしまうのでしょうね。「自分と対峙するために、自分を育てる。 学校では人とのやり取りを学ぶが、 一人でいる時に自分を育てる」私は子供の頃から孤独感に苛まされていたので孤独に対して悪いイメージしかなかったのですが、I先生のこの言葉で私が一人でいた時間は私の心を育てるための大事な時間だったのだと気付いて感動したものでした。何度聞いても孤独をこんなに肯定して素晴らしい時間だと言ってくれる頼もしい人はいませんでしたから、とてもとてもうれしくなります。学校に行くのを辞めた子ども達は自分を育てているのですね。これは自分でしか出来ない事ですからなんて素適な事でしょうか。学校に行かない子ども達は一人で自分を育てているのです。それを考えるとにんまりしてしまいます。心強い限りです。
January 30, 2007
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昨日、富谷町の武道館で行われた「わかばの会」に行って来ました。「わかばの会」は宮城県教育事務所が主催する不登校児の親がカウンセラーのI先生と話し合ったり講和を聞いたりする会です。私はこれでI先生と知り合い、自分探しが出来るようになりました。富谷町は国道を通り抜ける事はあっても訪問した事はなかったので、裏の近道を通って初めての道できょろきょろしながら途中で人に道を聞いたりしながら行って来ました。 参加者が少なかったので珍しく私の事をたっぷり聞いて頂けました。息子の話が中心で息子の進路決定と息子の本心がどこにあるのかと言った事が中心でした。春になったら専門学校に復学すると息子は言っていて、夕方の6時から深夜の2時までのアルバイトは続けると言っていたので、私はきっと身体を壊して去年と同じ事になるのじゃないか?と心配していたのでした。それに息子は心の奥にしまってある本心から保育士になりたいのかどうかと言う疑問がありました。その点でI先生のお話や相談員の皆さん他の方達とも話しているうちに選択肢は沢山あって息子には見えていないだけだと気付きました。決めてしまうと見えない沢山の生き方や道が皆さんと話合ううちにパーッと開けて見えた気がしました。世界が広がって見えて来た気がしました。昨夜息子とは会えなかったのでまだ何も話してはいないのですが、近いうちにゆっくり話し合おうと思いました。娘については一昨日、担任の先生から電話があり、修学旅行の調査内容によるグループ分けはどうしましょうかと聞かれました。昨日娘に聞いてみると「『歴史文化』で良い」と言いましたが、ハッキリした意図が見えなかったので「行く気はある?」と聞いた所「行かない」との事でした。「でも集団で行ける最後の旅行だよ その時になったら行きたくならないだろうか?」と聞いたら「行ったらウツになると思う。 絶対行かないと思う」と言われたので修学旅行は行かないであろう事をわかばの会でも話しました。休憩時間にある方が質問して娘への質問の仕方で娘が修学旅行に行くかもしれないと言う選択肢を断ち切ってしまったのではないか?と言って来ました。「うちの娘は私の言葉で気持ちを変える事はないです」と言いましたがその方は納得が行かなかったらしくて再度、聞き方を変えた方が良かったのではないか?と聞いて来られました。「うちの娘は自分で決める人間なので私の聞き方で気持ちが変ったりしません」などと言いましたがやはり納得しない様でまた聞いて来たので「うちの娘は自分の気持ちに正直なので人に影響されないんです」と言い、その後も何度か同じ事を話ました。その方に納得していただけたかどうか解りませんが私自身は、うちのピーが人に影響されない正直な人間であんなに自分に正直な人間はなかなかいないのではないか?ピーはとても珍しい自分をはっきり持っている人間ではないのか?と娘の性格について再確認出来たのでした。やはり色んな人との会話で気付かされる事が多いとつくづく思いました。こうして楽しい気持ちで裏道を通って40分程のドライブをしました。一人で気楽なドライブは好きです。今日は午後から多賀城での「わかばの会」に出席します。娘にはI先生について色々話をしているのですが昨日は娘の傍で「わかばの会」で気付いた息子の性格や進路についての話を夫と長時間していたので考える事があったらしく今日、一緒に「わかばの会」に行くと言いました!いつかI先生に会いたいと娘は言っていたのですがうちの娘にとっては大人の話を聞かせて大事な事を聞いた方が良いのだと思いました。さてどうなりますかね?富谷町の武道館の外は松林でした。
January 17, 2007
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●今日の失敗から●今日は中学校の2学期の終業式だったので担任の先生からのお誘いで中学校に行って来ました。ピー(娘・中)も行く予定でしたが直前に行きたくないと言うので私一人で行って来ました。学校の敷地に入った所でグラウンドから3人の女子生徒が校舎に向かって歩いているのが見えました。近づくと、その3人の中の一人がメ○ちゃんだと解りました。メ○ちゃんと言うのは以前にも書いたのですが、ピーと小学校でクラスがずっと一緒だった子で不登校になったピーに親切に誘いに来たり、クラスの女子全員の励ましの手紙を持って来てくれていたのですが後になってピーにプレッシャーを掛けるためだったと言う事が解ったと言う事件の子です。すると私はメ○ちゃんの顔を見たとたんにムラムラと怒りが込み上げてきて思わずぎっちりと見ていました。以前なら無視されても笑って手を振っていたのですが。そして駐車場に車を置いて担任の先生と相談室に行って話をしました。すると私は自分の子ども時代の話やうちの猫の話やいろいろ、あれこれ、しゃべるしゃべる。口から溢れるように話しまくりました。帰る車の中で落ち込みました。なんであんなにしゃべくったんだろ~~。確かに私は緊張すると隙間を埋めようとして際限なく話しまくるのです。久々でした。状況を無視して話しまくる私は。最近は落ち着いていたのにな~とガッカリしました。そして、どうしてこんなに緊張してしゃべくりまくったのか?と考えてみたのですが、先生に会う直前にメ○ちゃんを見掛けた事が私の中に緊張をもたらしたのではないかな?と思いました。6年生になってからは登校出来ていたのにメ○ちゃんの悪意がきっかけでまた不登校になってしまったピー。でもよく考えると真偽の程は解らないんです。何しろ本人に確認していません。だから本人に確認すべきかもしれないと思いました。そうだ、メ○ちゃんは笑って同級生達と楽しそうだった。メ○ちゃんはピーがあれからずっと学校に行けなくなってうれしかったんだろうか?2年以上も前の話でもう忘れてしまったんだろうか?だとしたら、それも悔しい。イヤ、復讐は神のもの。でもとにかく本当かどうかを確認すべきではないだろうか?じゃないと私もピーのあの時から先に行けなくなっているのかもしれない。なんて考えていました。そして自分の中にあるそう言う思いが高まっていたのできっと無意識に緊張してひたすらしゃべり続けていたのかもしれないと思い当たりました。まあね。メ○ちゃんに電話して聞いてみようかな。失敗から生まれた心の奥に溜まっていたわだかまりを発見。て事でしょうか。ああ、担任の先生巻き込んでごめんなさい。
December 22, 2006
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今度は南部の「わかばの会」に行って来ました。21日は中央、22日は南部と二日続けて「わかばの会」に行きました!二日続けては初めてです。体力に不安があったのですが大丈夫でした。ヽ(´▽`)ノ”夫は体調不調で行けませんでした。一人なので暢気にUVERworldを大声で歌いながら行きました。ストレス発散に最高でした。いつの間にか11月も後半となり白鷺も南に飛んで行ってしまったので車の運転は真面目にしました。(((((^m^;南部の「わかばの会」は名取市市役所の6階の会議室で1時半から行われました。6階なので見晴らしが良くて仙台の八木山も見えました。高い所から見ると仙台が思った以上に近かったです。そして黒っぽい東の雲と明るい白っぽい西の雲の間に大きな虹が現れたのです!私は空を見渡せる位置に座っていたので虹が消えるまでの時間をとても贅沢に過ごしました~♪今回はカウンセラーのI先生が一番初めに話された事がとても素晴らしかったので記しておきたいと思いました。「私がカウンセリングをしているのは 不登校児を学校へ行かせる為ではなく 子ども達が自分らしく生きるために カウンセリングをしているのです。 どこにいても 生き生きと暮らせるようになるために カウンセリングをしているのです。 学校へ行く行かないは 小さな問題です。 何歳になっても学校へは行けます。 子ども達には 今を生き生きと生きて欲しいのです」うるうるしてしまいました~。なんて力強くて頼もしい言葉なんでしょうか!!どこにいても生き生きと生きる。それは不登校児だけの事では無く子ども達の事だけでも無く大人も含めた人間全ての目標かもしれませんね。それからI先生は「思春期」の事を「さなぎ」と言う事があって、「中ですごい変化が起きている」と話していました。そう、さなぎの中では成虫になるために幼虫だった時代の体が一旦どろどろに溶けて再構築するのです。人間のさなぎ時代が思春期だとしたら小学校高学年・中学時代はその後に生きて行くために一番大事な時期だと言えます。また他にも「今まで親が建てた家に住んでいたが、 それを壊して自分で家を建てているのが 思春期と言われています」とも話していました。自分の住む家を建てている十代。これは人生の中の「土台作り」ですよね。思春期を過ごしている皆さん。今を大事に生きて下さい。これからも生き生きと生きるために! PS.一緒に参加していた方に「面白い面白い」と褒められました(^^ゞ「面白いから講師で来て!」と冗談を言われました。私は実際に会うと面白いらしいです(^^ゞ
November 23, 2006
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昨日、私の住んでいる中央地区の今年最後の「わかばの会」に行って来ました。「わかばの会」と言うのは宮城教育事務所主催の不登校児の親がカウンセラーや他の親達と話し合いをしたり講和を聞いたりする集まりです。今回も色々と感じる事があったのでメモしておこうと思います。カウンセラーのI先生の「今の子ども達は 集団の中では気を使うので 疲れてしまい、 自分らしくいられなくなる。 自分の嫌な気分を 表現出来ない子が多い」「学校へ行けないと言うより 学校へ行かないと 自分で決めた事は 納得が行く」と言う話を聞いて自分らしくしていられないから苦しいとピーも訴えていたなと思いました。「どうして皆に合わせなくちゃいけないのか 解らない。 自分だけ違う事を言えない雰囲気だから 本当の事が言えない」とピーが以前言っていたのでした。でも本当はピーのように感じている子はもっともっと沢山いて、ただピーのように自分の感情を正直に見つめていないかしょうがないと流しているんだろうと思いました。私は小中学校でいじめられてたんですが小学生の時は自分の考えしかないので他人の思惑に思い付かなくてその日その日を乗り切り、中学生の時は友人達のやっている事を「あの人のやっている事は 間違っている。 故に無視する」で私が全く取り合わないでいて乗り切ったと言う感じでした。今思えば、随分ハッキリした考えがある子どもだったかもしれません。今の子ども達は情報の渦のような生活の中にいて私が子どもだった頃より随分複雑な中にいると思います。単純ではない子ども達が優しさ故に苦しむ事があると思いました。I先生は今の親について「過去の価値観を引きずって 将来を悲観し、 今の子ども達にプレッシャーを掛けている」と言う話をしていました。競争社会で生き抜く事や学校に行っていない事や自分達が経験していない事を勝手に悲観してしまうのだろうと思いました。だから今の若者達は逞しくも自分の生き方を模索して色んな規定されない生き方を試しているんじゃないかと思いました。I先生はある女性徒の話をしました。「中学校で不登校だった子が 高校でも苦しみつつも前向きに生きていて 途中で挫折しそうになりながらも 頑張っていて、 他の子のカウンセリングをしていると その子の名前が良く出て来て その子が年齢や学年やクラスの違う 苦しんでいる子達に 声を掛けていた事が解った。 自分も傷付いているのに 他の傷付いている子に声を掛ける優しい子。 学校に行く行かないでは無く どんな子を育てているのか。 一人一人が喜びを持って 生きているか。 それが大事な事です」確かそんな内容の話でした。私は泣きそうになりました。自分が苦しい思いをしたから他の人の苦しみも解る事が出来る。素適な人に育っているな~と思うとその健気さに胸がジンとしました。不登校は色んな問題がありますがそれ故に本人も周りの親も本気で考え、本気で対処して本気で生きようとするので発見が多くて他では得られない経験をする事が出来るんだな~と思います。他にも色々気付きや感じる事があったのですがまた思い付いた時に書きます。
November 22, 2006
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「娘と友人について1・2」で書いたAちゃんから今日電話がありました。娘は本当の気持ちの話をするのがとても苦手です。それで私が先に電話で話をしました。ふ「この間○○○に二人で行った帰りに Aちゃんに『不登校なのに 一人でも友達がいる事を 感謝しろよ』 と言われた事で娘が とても気持ちが傷付いて 落ち込んでいるの。 積極的に遊びに来てくれるのは Aちゃんだけで感謝はしてるんだけど 友達ってなってもらうとか なってやるってものじゃないと思うの。 それで、 いつもそう言う事を Aちゃんに言われるのであれば 友達でいるのが辛いって 娘が言っているんだけど」と言うような事を私はAちゃんに話ました。するとAちゃんは驚いてA「あの事で〇(娘)が そんなに傷付くなんて思わなかった。 私としては友達でいる事を 感謝して貰いたかったって言うか」そんな風な事を言いました。私としてはすごく納得した訳ではなかったのですが故意に意地悪しようと思っての事では無いと感じたので、友達って仲良くしていたいって言う気持ちが大事なんじゃないかな。なんて事を話してから娘に電話を渡したのでした。しばらくすると娘がやって来て娘「美術部の先生が妊娠して辞めるから プレゼントを買いに行きたいんだけど ジャスコに乗せていってくれない?」と言いますのでふ「Aちゃんと行くの?」娘「うん」ふ「Aちゃんが謝ったの?」娘「うん」ふ「もう良いの? 大丈夫なの?」娘「うん」ふ「今度からはイヤな事はイヤだって 自分でその時に言うようにするんだよ。 そう言う事を言われると傷付くって 自分で言っても Aちゃんはきっと大丈夫だよ」と言いました。でも次も娘は飲み込んで苦しんでしまうのでしょうが。その時はまた力付けてあげたいと思います。そう言う訳で着替えをして準備をして歩いてやって来たAちゃんと娘と3人でジャスコに買い物に行きました。Aちゃんは玄関で「すみませんでした。迷惑掛けて」と言って、その後は全くいつも通りにサクサクと話していました。ジャスコでは先生へのプレゼントの他にお母さんへのバレッタとお誕生日の近いお友達へのプレゼントとかを選んでいました。「お母さんだけじゃお父さんが可哀想だ」と探していました。家庭内でのごたごたも私の邪推だったかもしれません。(^^ゞAちゃんは少し太っているのですが、娘が細くてスカートが似合う事をうらやましいとか自分に似合うスカートは無いとか言っていたので、身体的なコンプレックスがあるようですが、それも根の深い感じではなく友達や家族への愛情が沢山ある子なんだと思いました。だから娘の事も心配しているようです。部活皆でのプレゼントが安っぽいのでもうちょっと見栄えのするものを先生に上げたいと言っていました。きっと後腐れしないさっぱりした性格なんだと思います。その分、デリカシーも無い時も多いのですが娘は友達を失わずに済んだと言う訳です。本当の思いを話せるようになったら本当の友達になるんでしょうね。今回はその入り口が見つかったと言う事でしょうか。ご心配をお掛けしました。m(_ _)mまだ始まったばかりと言う気がしますが。デリケートで心が深い娘とデリカシーが無いけどおおらかなAちゃん。友達って自分の無いものを持っている人に惹かれるってありますよね。私がK子ちゃんを好きになったのは自分に正直な人だったからでした。私は未だに自分の本心を捜し求めています。自分に正直じゃない事に最近気付いたばかりです。(^^ゞ
November 19, 2006
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今日は娘(ピー・中3)の三者面談に行って来ました。4時40分からの一番最後でした。廊下で待つ間、外の空を飛び廻るカラスの大群を見ていました。最初は何十羽と言う数のカラスが空を飛んでいたのですが段々増えて何百羽になって飛んでいるのをほお~~と驚きつつ二人でふざけ合いつつ見ていました。数の多さとその食事を賄う食べ物があるんだと言う事実とネグラにする所があるんだと言う事実に驚きました。二人でふざけているとカラスの多さも映画のワンシーンを見ているみたいにお気楽に見ていられたのでした。娘の担任のS先生は気さくでデリカシーのある方です。だから、美術部で来週に美術館に行くのでピーも一緒にいかがですか?と誘って頂いた時に美術部にはユ○ちゃんがいるので先生にどう言おうかと私は躊躇してピーに「先生にあの話をしても良いかな?」と聞くと「いいよ」とピーが言うので簡単にかいつまんでピーがユ○ちゃんに「不登校なのに 友達が一人でもいる事を 感謝しろよ」と言われた事(1・2)をS先生に話しました。S先生はピーに対して「ピーはどうしたいの? 来週ユ○の三者面談があるから その時先生が話してあげるし もしもピーとお母さんと ユ○だけで話したいなら 先生は何も言わないし、 でも○○が困ったら SOSを出してくれれば 先生はいつだって協力するから」と言ってくださったのでした。実に頼もしい担任の先生です。ピーは「お母さんとユ○と私だけで 話したい」と言いました。「ユ○のお母さんは強いから」とピー。「ユ○ちゃんのお母さんがいる所で話すと ユ○ちゃんが怒られて イヤな思いをするんじゃないかって ピーは思っているの?」と聞くと、うんと頷くピー。すると先生は「ピーは優しいから ユ○がイヤな思いをしないように 考えるんだろうけど、 でもだからと言って 友達はなってあげるんでもないし お互いの友達って言う気持ちが 大事なんだから ピーがそんな事を言われる事は おかしいんだよ。 ピーがイヤな思いを 一人で我慢する必要は無いんだよ。 ユ○が謝って その後はどうするか○○が決める事だけれど でもユ○は謝らないといけない事を 言ったんだよ」とはっきりと言って下さったのでした。私はとっても安心しました。人の心が通じる誠実な先生で良かったな~と思いました。S先生にはピーとの接触が少ないのでこれまではピーの人と成りがあまり見えなかったのかもしれませんが今日話した事でピーの気持ちが幾らかでも解って貰えてとてもうれしかったです。これからはS先生にピーの毎日を簡単にメールしようかしら?と思いました。
November 14, 2006
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昨日の続きを書きます。そしてそういう関係って、私にも記憶があるぞとこれを書いているうちに思い出しました。私が高校1年まで住んでいた所の近所の女ボスが怖くて、それで私はいつも一人で家にいたのでした。私だけ小学校入学まで母の実家で過ごしていた為近所の子達から見れば私は新参者で同じ年の女ボスによくいじめられたのでした。彼女のその日の気分次第でどんな扱いを受けるか解らず、2歳年下の私の弟も外では弱虫なので私が守らなければならないためいつもビクビクしていました。だから弟は遠くの友達の家に出掛けて行き私は家の中で一人で猫と遊び、絵を描いて本を読んでいました。その女ボスは中学2,3年の頃には態度が大分落ち着き私とクラスと部活も一緒だったためかなり仲良しになっていましたが、私の心の奥には警戒心が消えないでいた事を思い出しました。中学3年の時に何か事件があったらしくて雨のそぼ降る秋の夜に、私の家の庭先で二人で傘を差して向かい合っていた記憶があります。彼女が「親友だと思っていたのに」と捨て台詞を吐いて立ち去ったのです。私の心の中はと言えば、彼女に中学1年まで虐められていたのでそんな事を言われたって虐められた不信感は簡単には拭えないよ、と冷ややかな気持ちで思っていた事をはっきりと憶えています。彼女とは二十代中ごろまで付き合いがありましたが今は全く途絶えています。彼女の前で本当の自分を出した記憶が無いんです。いつも彼女に合わせていた自分しか思い出せないんです。なのに「親友」と言われて親友って一体何だろうか?と考えたものでした。反面、親友だと思っていたと言われても冷ややかな感情しか沸いてこなかった自分の冷たい人間の一面を知った出来事でもありました。どんなにお人好しでも誰にも助けてもらえない子供は冷ややかさも持ち併せざるを得ないと思います。娘は嘘が付けず、自分をだましたり誤魔化したり出来ない自分に正直な人間ですから娘の反応をよく見ていればAちゃんを嫌う意味がもっと早く解ったはずだと反省しました。その夜は、まだAちゃんに対する気持ちがもやもやしているままで二つの山になった洗濯物を畳みながらテレビを見ていました。するとたまたま教育テレビでETV特集の夜回り先生のドキュメント番組をやっていました。夜回り先生の事はご存知でしょうか?夜の世界で苦しむ子供達と交流して子供達を一人でも助けたいと夜回りをしている水谷修さんの事です。テレビを見ていたのは私と夫と娘でした。0時から3時まで、以前に放送したものの再放送と(「いいもんだよ、生きるって・ 夜回り先生水谷修のメッセージ」その次の新しいドキュメントでした。(「教育シリーズ 生きていてくれて、 ありがとう」夜眠れない子たちたちを救う)玄関ホールを挟んだ八畳間で、息子と友人達が大騒ぎをして鍋を食べている声が聞こえて来るリビングで娘は涙を流しながら夫は苦渋の表情をしながら私はむつむつと洗濯物を畳みながら生と死の苦しみと再生の話を見ていたのでした。娘は水谷先生の話を聞きながらずっと涙を流しているので「チャンネルを変えようか?」と聞いたのですが娘は首を振ってティシューで涙を拭きながら鼻をかみながらオンラインゲームをしつつ、苦しむ子どもたちの話をじっと聞いていました。夫は「この人は凄いなあ~」と言ったきりずっと黙って見ていました。私は複雑な思いが脳裏を巡るので感情を封じ込めて洗濯物を畳んでいました。何故子どもが非行に走るのか、何故優しい子が悪い事に走るのか、今、子ども達が何に苦しんでいるのか。SOSを発信している様子をそこから脱出するためにどんなに大変かをそして脱出出来ずに死んでいった子たちの事を水谷先生は熱く語っていました。後半の番組では、眠らない子ども達では無く眠れない子ども達が中心でした。苦しみを表に出せないため、自分をいたぶるしか乗り越える道が無い子ども達。「生きるために リストカットをするんです。 生きたいから リストカットをするんです。 リストカットは隠してはいけない。 生きるためのSOSなんだから 親の前で、学校でリストカットをしなさい」と水谷先生は何度も言っていました。「リストカットを目の前で見たら 周りの誰かが動き出すから そして助けてくれる人が 必ず現れるから リストカットは隠してはいけない」そうだったんだ~。隠してはいけなかったんだ~。でも私が子どもの頃はリストカットする人なんて余りいなかったしきっと親の前でリストカットをしたら家名に泥を塗ったと罵られて往復びんたでは足りずに箒の柄で体中殴られて、傷口に塩を摺り込まれるだけでは無く益々傷を深く刃で切り裂かれたろう事は想像に難くないわけで。。。。私の場合はすぐにそんな風に自分の場合に置き換えて考えてしまうので感情的になってしまって複雑な思いで気持ちが深く深く沈んで行くのです。私が子どもの頃は子どもが親の持ち物みたいに扱われても誰も助けてはくれなかったし、一人の人間として対応してくれる人も稀だったので、今の子ども達は複雑で大変な反面、夜回り先生みたいに救ってくれる人もいるんだな~とうらやましい思いがしました。「『本当に夜回り先生っていたんだ。 これで僕は安心して死ねる』 と言う電話が 小学4年生の男の子から来ました。 『パチンコに負けるとお父さんもお母さんも お尻にタバコの火を当てるから 僕のお尻はぼこぼこなの。 お風呂に入れて貰えないから 僕は臭くて 小学1年の時からずっといじめられているの。 でも僕は本当に臭いからしょうがないの。 だから眠る前に紐で首を絞めると 安心して眠れるの。 でももう、首を絞めても眠れなくなったから 僕今日死ぬんだ』 そういう電話でした」そんな親から少年を夜回り先生が救い出してあげて、通っていた小学校の校長先生が養子にしたそうです。少年の現状に気付いてあげれなかった事を悔やんだ校長先生が養子にしたのだそうです。私は泣きそうになる気持ちを自分で抑えてしまいました。そんな悲しい、苦しい話がずーーーーっと続くのです。でもこれは現実で目を背けたとしてもその事は消えるわけでは無いのです。そうして私は、ふとAちゃんが娘やBちゃんに感情をぶつけてストレス解消をしているとしたら,Aちゃんのストレスとなるものがあって、それは家の中での事かもしれないと思いました。例えばAちゃんが捨てられていた子猫を拾って行ったら「世話が大変だから動物は飼わないって お母さんに言われた」と私に言っていた事を思い出しました。そして何軒か連れて行き、断られてうちに連れて来たのです。そう言えば少し前にもAちゃんが言っていました。「お父さんに猫を飼いたいと言ったら トイレの世話が大変だから駄目だって言われた」Aちゃんの家ではAちゃんのお願いは簡単に却下されるんだと思いました。勿論、お願いを簡単に却下される家庭は沢山あると思うのですが。でも経済的に大変とかアレルギーがあって無理とか車が危険で死なせるのがイヤとか心の温かさが伝わるような理由で無い事が私は引っかかってはいたのでした。つまり、Aちゃんはもしかしたら娘がうらやましいのかな?と思ったのでした。娘は行きたくないから学校に行かない。可哀想だから子猫を飼う。パソコンをしたいから自分用のパソコンがある。イヤな事はしなくても良い。困った時は家族と言う味方がいる。そう言う点で、もしかしたらうらやましいと思う所がちょっとあってしかも無意識レベルであって、そして言い逆らわない子だから感情をぶつけるのが簡単なのかもしれないと思ったのでした。これは私の単なる推測なんですが。でもAちゃんの方から考えてみると何か原因や要因はあるはずなのでだとしたら詰問するよりも話を聞いてあげてそれでも娘やBちゃんみたいに優しい子を攻撃しても平気と言う事であればその時に考えた方が良いかもしれないと思いました。夜回り先生の己の命を削って子ども達を助けようと言う凄まじい生き様はそのようにして私の加熱した思いを冷ましてくれたのでした。私は物事に対処する時は少し時間を置いて冷静になってから行動した方が良いと普段から思ってはいたのですが、夜回り先生や夜の子どもたちの話を聞いているうちに360度で色んな所から見る、と言う客観性を教えて貰った気がしたのでした。翌日、娘に聞いてみました。「Aちゃんが〇(娘)と仲良くしている理由は 何だと思う?」しばらく考えていた娘は「漫画なんかの趣味が似ているし、 後は小学生の時に 皆から嫌われていたのに ワシが仲良くしたから 恩義を感じているのかもしれない」と言いました。少なくとも娘はAちゃんの気まぐれの感情の対象に過ぎないだけの存在って感じていたわけでは無かったようなのでホッとしました。(↑解りにくい表現ですね。 被害者意識のみではないと解って ホッとしたって事でしょうか)そんな訳で、「不登校なのに 友達が一人でもいる事を感謝しろよ」と言われた事件は解決した訳ではないのですがAちゃんが家にやって来たらそんなに感情的にならずに静かに質問したり出来そうです。「Aちゃんは何かイライラする事があるの?」「キツイ言葉を投げつけられるとうれしいと思う?」こんな風に聞いてみようかなと今の所考えています。
November 6, 2006
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昨日、娘は友達に誘われて近くでやっていたサークルの漫画の展示会に一人で出掛けました。私無しで一人で出掛けるのは多分2年ぶりくらいです。私無しで外出するなんてすごく良い事だと思っていました。でも夕方帰って来た娘は疲れ切ってやつれて怒っていました。娘を誘ったAちゃんは小学6年の時に仲良くなった子で今も家まで遊びに来たりする数少ない友人の一人です。しかも行事の時に娘をクラスに連れて行ったり部活に連れて行ったりと活発で行動派の女子です。でも娘は普段からAちゃんが苦手で最近は来て欲しくないと思っています。何故ならやり方が強引だったり娘を無視していたりキツイ言葉を投げつけたりするので娘が疲れてしまうからです。私も日記更新のためにパソコンでメモを書いているとAちゃんが横にやって来てA「あ、そこ違う!」A「私もパソコン打ちたいな~」A「あっ、また間違えた!私が打ってやる!」と言われて無理やりパソコンを取り上げられそうになりその強引さに驚いた事がありました。またはましろを拾って来たのは自分だから子猫の名前は私が付ける!と言い切った強引さに驚いた事もありました。でもそれは、自分の言葉が周りに及ぼす影響に気付いていない鈍い所がある子なのかなと私は思っていたのでした。歩いて帰って来た娘はソファーにどさりと倒れ込み「あ~~~~もういやだ! 疲れたし Aがひどいし。もういやだ」とぐったりしながら言うので何があったのかを聞きました。「Aが帰りにこっちに行った事が無いって言うから 『行った事あるよ』って言ったら じゃあそっちに行こうって○が言って どんどん勝手に行って、 奥の方の知らない所まで行くから 『ここからは知らない』って言ったら 『〇(娘)の言う事は当てにならない!』 って言うんだよね。 なんか色々言われてムカついたから 『もう帰って良い?』って帰って来た」と娘。娘を約束の場所まで車で送った帰りの途中で、ましろをAちゃんと一緒に拾って時々うちに遊びに来るようになったBちゃんを見かけていたので「Bちゃんも一緒だったんじゃないの?」と聞くと「うん。でもAが無視したから Bが怒って別行動だった。 AがBを馬鹿にしてて いつもの事みたいだった」Bちゃんは穏かでおっとりしたいつもニコニコしている女の子です。小学校では同じクラスだったので私はずっとみていた訳ですがBちゃんが怒った所を見た事がありませんでした。だから余程の事なんだろうと思いました。私「AちゃんはBちゃんには いつもキツイの?」娘「そうみたい」私「部活ではどうなの?」娘「部活の人とは上手くやってる」美術部の人達とは上手くやっていると言う事は状況判断が出来ると言う事で、つまりAちゃんは「相手によって対応が違う」と言う事なのかな、と気付きました。Bちゃんはいつも許してくれるからAちゃんは言いたい放題なのかなと思いました。Aちゃんが娘に対しても言いたい放題って事は娘が言いたい事を飲み込んでしまう性格だから言いたい事をバンバン言えると言う事なんだと気付きました。娘「『今日の服はゴスロリみたいで嫌いだ』 ってAに言われた」人の服装の好みをそこまで言うのは相手に嫌われても平気って事かな、と思いました。娘「『お前、不登校なんだから 友達が一人でもいる事を感謝しろよな!』 ってAに言われた」これは最初ピンと来なくてこの意味が染み込むまで鈍い私は時間が掛かりました。娘が二階に着替えに行き、そのまま戻って来なくなりその間ずっと『お前、不登校なんだから 友達が一人でもいる事を感謝しろよな!』が私の頭の中を巡り、段々腹が立って来ました。娘が何故あんなにぐったりしているのかようやく腑に落ちた気がしました。娘がAちゃんに会う事を嫌がっている理由がようやく私の中でピントが合った気がしました。私の中でもAちゃんが娘と付き合う理由がずっと解らなかったのです。娘がAちゃんと仲良くなったのは5年の担任が転任して行き、クラス替えと担任替えがあった6年の時に4月の3週間だけ登校していた期間があり、隣の席になったAちゃんと仲良くなったのです。「Aは我儘で皆から嫌われているんだけど 席が隣になって話してみたら 結構良い子だったよ。 人の言う事を鵜呑みにしちゃいけないね」と、当時の娘はとてもうれしそうに私に話していたのです。そして又娘が学校に行けなくなったのは小学3年から仲の良かったCちゃんが娘が不登校中の5年生の期間にしばしばうちに来て「明日は学校においで!」と誘ったり、クラスの女子全員から励ましの手紙を集めて持って来てくれたりしていたのですがそれが実は娘に対するプレッシャーをあおるために嫌がらせにやっていた、と言う事が解ってしまった翌日から娘は学校に行けなくなってしまったのでした。Cちゃんの家は祖父母と両親と弟の6人家族で、ふわふわした感じの優しそうで綺麗なお母さんとやっぱり優しそうな腰の低いお祖母ちゃんに会った事があります。特にお母さんとは何度も会った事があり、Cちゃんがストレス解消に娘をいたぶる理由が思い付きませんでした。私も娘と一緒に授業を受けていた5年生の期間は帰り道はいつもCちゃんと一緒に話をしていたんです。何故あの子が?当時の私は今ほど肝が据わっておらず、今ほど沢山の事を理解していなかったのでその事にショックをうけながらもそのままにしてしまったのでした。6年生の担任の先生には話したのですが今思えばこの先生も不登校については解っていなかったので「へ~あの子が?」と言って終わってしまったのでした。結局、娘と一番気が合って仲の良かった「初めて出来た親友」と言っていたDちゃんはCちゃんが怖くて娘から段々離れて行きました。DちゃんはCちゃんと中学でクラスも部活も一緒なのでその影響からは脱する事も出来ず、たまに行事で会う事があっても挨拶さえしなくなりました。それは娘の気持ちを大きく傷つけたと思います。私もショックでした。Dちゃんはとてもしっかりした娘さんで小さい時から皆に好かれてグズグズしない行動派で、しかも優しくて娘と色んな趣味がピッタリ合ったのです。二人が一緒にいた頃はそれはそれは二人ともうれしそうに話し込んでいました。今思うに、きっと優しい子は激しい子に飲み込まれてしまうんじゃないでしょうか。そんな事があったので、Aちゃんが昔と変わらず家に来て娘と遊んでいるのを見るとうれしいと思っていたのです。それが『お前、不登校なんだから 友達が一人でもいる事を感謝しろよな!』と言ったと言う事は純粋な友情だけでは無いと言う事なんだろうか?と初めて思い至った訳です。何を言っても許してくれるBちゃんと何を言っても飲み込む娘には配慮も無く言いたい放題って。。。。それは友情と言えるのだろうか?初めて疑問に思いました。二階の娘の部屋に上がって行くとやはり娘はベッドの中で布団をかぶっていました。「寝た?」と声を掛けると「ううん」とくぐもった声で返事がありました。「私、Aちゃんに言われた 『お前、不登校なんだから 友達が一人でもいる事を感謝しろよな!』 がじわじわ染み込んで来て ちょっとかなり失礼な事を言われたなって言う 怒りが込み上げてきたんだけど」と言ったら「遅い」と娘は笑っていました。精神的な疲労は娘を打ちのめしたのでベッドの中で悶々としていたのです。「今度Aちゃんが来たら、 どうしてそんなヒドイ事を言うのか 私が直接聞いも良い?」と聞いてみると「いいよ」と娘。「もしかして、家に電話して すぐにでも色々聞いてみようかな。 でもそうしたらAちゃんが怒って 来なくなるかもしれないね」と言うと「むしろ来ないでもらいたい」と娘。そんなにイヤだったのかと改めて思いました。その後、私も悶々と考えていました。なぜAちゃんは娘の所に来るのだろうか?Aちゃんは娘に友情を感じているのだろうか?そう言えば娘がAちゃんにペンタブのソフトを貸した後で、Aちゃんが娘の留守中にやって来て「ペンタブを貸して下さい」と言って勝手に息子からペンタブを借り出して行った事があり、娘が怒っていたのを思い出しました。「ソフトは貸すけど、 ペンタブは貸さないってはっきり言ったのに!」私は娘とAちゃんは仲が良いのだろうと思っていたのでその辺のやり取りの意味があまり解りませんでした。娘は怒りでイライラしつつもAちゃんに対してどうして良いか解らずにいたので私が電話してペンタブを返して欲しいと伝え、その足で返してもらいにAちゃんの家に向かったのでした。そうだ、思えばそんな細かい事があれこれあったと今になれば思い出されます。(長くなったので明日に続きます)
November 5, 2006
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私の娘(ピー・中2)は不登校生活が丸3年5ヶ月になりました。毎日絵を描いたりネットでゲームをしています。以前の娘の絵は、崖の上に座って下を見下ろしていたり広い空間の中にポツンと立っていたりしました。色彩もブルーが中心のどこか淋しげな、何か悲しげな絵が多いのでした。人間が小さく描いてあるのが多かったです。その頃の娘の好みの絵も、危ういバランスの暗いものが多かったです。ちょっと怪しげな危険な匂いがするものにも惹かれていました。所が最近の娘の絵は大きいアップもあったり明るい色彩のものが多くなって来ました。表情も生き生きして明るくなっています。「最近ピーの絵は明るくなって来たね」と言いましたら「うん、前はうつ状態だったからね」と返事をしました。そうか、娘は最近まで長い間うつ状態だったんだ。と改めて知りました。それを今は自分で認識しているんだと思いました。不登校になって1年くらい経ってからのピーは元気になったと私は思っていました。毎日、一日中一緒に過ごしていても解らないものだと思いました。小学4年までの担任に対して多大な信頼を寄せていたピーにとって5年の時の担任は人間として尊敬も敬意を払うにも値しない人として写ったのだと思います。それまでの「先生への信頼感」が崩壊したのだと思います。そして自分を支えられなくなっていたのでしょうか。小学生にとっての学校は生活の中心ですからその中心が崩壊してしまったのでしょうか。みんなと違う生活をしている事も後ろめたさを助長させたのでしょうか。ピーは「これが嫌い」「あいつが嫌い」「これはしたい」「あれはイヤ」と自分の気持ちがはっきりしている人です。小さい時は感情的になって発露するのでぎゃーぎゃー叫んだり泣いたりしていました。小学高学年の時は自分の気持ちを表せなくなったいた気がします。それが最近になって「あの時はこう思っていた」「あの時は実はこう感じていた」と話してくれるようになりました。今の感情についても話せるようになって来ました。きっとどんどん成長しているんだと思います。実は未だに何をしてあげるのが良いのか解ってはいません。でも納得して、幸せな思いをしていればと思います。いずれは自分で考え始めると思います。きっとみんなとは違うかもしれないピーの経験による、ピーの人生を考え始めると思います。最近のピーの絵です。ブログに載せたいので何か送ってと言ったらこれを送ってくれました。 楽しそうでしょう?(*^_^*)
October 20, 2006
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一昨日だったか一昨昨日だったか、夫が私の近くに来て「私は反省している」と言いました。夫に反省される憶えは山ほどあるので何の事だろうと聞く体勢に入りました。「最近の中学生の自殺の報道を見ていて 学校の先生だからと言って みんな敬意を払うべき人間だとは 限らないと思ったんだ。 それで、 ピーの小学校に 校長に話をしに行った時、 学校側と上手く付き合うと言う事しか 考えていなくて 校長のご機嫌取りみたいに なってしまった。 それを反省している」私からの質問も織り交ぜつつそんな事を夫は言いました。娘が不登校になった小学5年の夏、私は教室で起きている不可解な事実を伝えるために校長に会いに行きました。それは校長先生からの要請でもありました。その前に5月と6月に、娘と一緒に登校して授業を受けていた時、校長先生から呼ばれて話をした事がある私は女性だけでは軽く見られると感じていたので夏休みになってから呼ばれた時には夫にも付いて行ってもらったのでした。その時の事情については「娘の不登校生活が始まりました・1」に詳しくかいてあります。その時の夫はひたすら校長先生のご機嫌取りをして事実を話した私を責めました。だから「あの時の事は、 私は間違っていると思った事がないので 大丈夫だよ」と言いました。すると「いや、そうじゃなくて 私が間違っていたと反省したんだ」と夫が言いました。自分の間違いを言える事はとても良い事だと思います。以前は自分の良い事意外は受け付けない人でしたから。事実を話すと怒り出しましたから。でも、ですね。でも、責められて理不尽な思いをした私に対して謝るって事ではないのだとガッカリしました。やっぱり自分の思いしかなくてあの時どれほど私が孤軍奮闘して夫はやっぱり信用ならないぞと思ってキリキリと一人で頑張ったのか、私の気持ちなんか考えられないんですよね~。自分が間違った、と言う所で終るんですね。派生して広がらないんだと思いました。まあ、「教師」と言う単語に振り回されていたと言う事実に気付いた事はうれしいですが。まあ、そんなもんだなとまた諦めの体勢。。。は危ないぞ自分!!以前書いた「娘の不登校生活が始まりました・1」を読み返したら泣けて来ました。今、マスコミが騒ぐ事でようやく当てられ始めた学校の閉鎖性についての一部を私は書いていました。自ら命を絶った少年が受けた惨めさを思うと学校の閉鎖性や子供達の世界が学校しかない事、多感で成長期にある少年少女達の表現や対処が上手く行かずに一人で抱え込んでしまう、その孤独を思って泣いてしまいます。私は子供時代家で孤独だったため外に逃げた訳ですが家族に心配を掛けたくないから一人で背負い込んでしまうなんて、心優しいから追い込まれてしまうなんてこんな世の中はやっぱり間違っていると強く思います。どうしたらいいのか解らないですが。ピー(娘)の友達が「ピーは将来どうするの? 就職出来るの?」と心配して私に言いました。「生き方なんか 幾らでもあるから 大丈夫だよ!」と私は言いました。でも社会が敷いたレールしか知らない子供達にとって学校に行かなくて生きて行けるって事がきっと解らないんでしょうね。私もカウンセリングを受ける前はそう言う事がいつも頭を巡っていましたから。学校なんか行かなくたって幾らでも生き方はあるって、学校に行けない子や苛められて耐えながら学校に行っている子達にもっと教えてあげたらいいのにと思うのですが、きっと先生が学校しかないと思っているんでしょうね。日本人はもっとカウンセラーを活用して本質を見つけ出して行けば器用な人種なんだからきっともっと喜べる人生を送れるに違いないと思っています。安部首相の教育改革が本質的に改革されれば良いのにと願って止みません。今までの教育改革は素人の私が見ても始めから上辺だけのものでしたから。でも、教育改革に力を注いでいると言う点はとても期待しています。だって子供達が上辺だけの教育を受けても悲しい苦しい大人の生活が待っていて日本と言う国が雪崩のように崩れてしまうと思います。ああ、どんどん外れて行きました。世界中の人がいつか本当に喜びに満ちた人生を送れますように。今日は悲しい知らせがあって悲しい思いで満たされています。何か出来る事があれば良いのだけど。
October 18, 2006
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●娘の不登校生活が始まりました・2●記憶がかなり定かじゃ無くなって来たのでかなりはしょって書くかもしれません。ようやく2月10日に書いた日記の続きを書こうと思います。(それまでの経緯は「娘の不登校の発端について1・2・3・4・5・6・7 娘の不登校生活が始まりました・1」をご覧下さい)2003年の5月から6月に掛けて三週間、娘と一緒に登校した後娘は体調不良を訴えるようになり家にいるようになりました。その頃の娘の体調はアトピー性皮膚炎が悪化して肘や膝や首の他に顔も赤く腫れていました。車に乗ると酔うようになりました。その前までは走る車の中で本を読めるくらいに三半規管は丈夫でした。人の多い所に行くと人に酔うようになりました。寝るまで何時間も掛かるようになりました。ですから寝付くのは遅い時間で、起きるのも昼近くになりました。頭やお腹が痛いと言いました。ですから全体的に元気がありませんでした。私は無い知恵を絞って考えました。とにかく身体的に悪い所があるかどうかを掛かり付けのドクターに見てもらおうと思いました。ドクターは悪い所は無いので精神的な問題だろうと言いました。次に近くの心療内科に行きました。すると小学5年は小さ過ぎるからとある小児精神科を紹介されました。小児精神科では事情を話して安定剤をもらいました。カウンセリングなどはありませんでした。ただ薬をもらうだけでした。そこでまた考えて小学校から貰った資料の中に不登校の相談をする所が書いてあった事を思い出しました。沢山書いてあってどこに相談して良いのか分からないのでとりあえず不登校○○○○と言う所に電話をしました。事情を話すと直接私や子供と会って話をしてはどうか?と勧められたので、娘を連れて出掛けて行きました。2度ほど二人一緒に話をしました。と言っても娘は人見知りが激しいので話しをしていたのは私だけです。その後は娘と私は別々に話をしました。後で聞くと娘はどうも箱庭療法をしていたようです。私は専門家のカウンセラーではない人に1時間話をしました。いつもうんうんと聞いて下さるのですが愚痴を言っているだけの気がしました。話ても何も得る所がないのでただ行ったと言う満足感だけでした。そうしているうちに小学校の校長先生から教育事務所主催の不登校の親の会「わかばの会」に出席を勧められました。不登校児を持つ親が集まってどんな話をすると言うのだろうかと正直な話、全く期待しないで出掛けました。一度は行ってみようと言う簡単な思いだけでした。それはうちから車で5分ほどで行けるとても近い所での集まりでした。しかも連絡しなくても当日参加しても良いと言う実に私向きでした。私は急に体調が悪くなる時があるので約束事は不安なのです。「わかばの会」はカウンセラーのI先生が中心になって話し合いや講和がある理性的な集まりでした。ただの愚痴の会じゃないかと思っていたのでとても驚きました。脳の仕組みによる物事の把握の仕方や表現の仕方や整理の仕方なども話しがありました。親が話をするとI先生がそれを整理整頓して行くのです。そこには感傷的なものはなく理路整然としていて私向きの納得の行くカウンセラーだと言う事をはっきりと理解しました。人間の心にとって大事な核を大事にする方だ、とも思いました。人間として素適な方だ、とも思いました。こんな方なら話が出来るかもしれないとも思いました。それで、教育事務所で個別のカウンセリングも行っていると知ってすぐに申し込みました。予約制でしたので随分先まで埋まっていました。今思えばそれがあったために今があると思います。このI先生との出会いがなければあの後我が家はどうなっていたやら恐ろしいです。何しろその頃はクラスの皆があの担任に耐えているのにどうしてうちの子だけが耐えられないのだろう?と、それしか考えていませんでした。どうしたら学校へ行けるようになるんだろうか?と、そう言う目の前の事しか考えていませんでした。夫は時々娘が家にいる事に気付くと「どうして学校に行かないんだ!」「我儘だ!!さっさと行きなさい!!」と怒鳴るだけでしたので私は夫からも娘を守らなければなりませんでした。私自身はと言えば学校に通って授業や掃除に参加したり先生に会いに行ったり病院に通ったりと普通の人がしない事をしなければならず体が丈夫じゃないので色んな事がひどく応えてくたびれていました。そしていつも胸が苦しくて悲しくてうつ状態が続いていました。それまでも長い間神経内科から坑うつ剤と安定剤を貰って飲んでいたのですが、その頃は体調が安定していたので朝に坑うつ剤、夜に安定剤を飲んでいたのを朝夜にどちらも飲むようにしました。私が何故坑うつ剤と安定剤を飲んでいたのかと言うと私自身が子供時代から沢山の問題を抱えていたのですが結婚生活で我慢に我慢を重ねた生活をしているうちにすっかり寝たきりになった時期がありそれがようやく良くなって来た所だったのです。15年ほど前から沢山の病院で診て貰っても原因や治療法が分らずただただ安定剤を飲みつつ遠い整形外科に通ってマッサージや背骨の矯正をしたり、朝鮮人参の漢方薬を飲み、沢山のサプリメントを飲み、総合可視光線で一日何時間も治療をすると言う事を何年も続けてようやく起きていられるようになって来た所でした。それがI先生とのカウンセリングでその理由や情況まで理解出来るようになりました。つづく。
August 18, 2006
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娘の不登校生活についてのブログを中途半端にしていたツケが来てしまいました。2月10日に書いた日記に「意見者」と言う方から批判のコメントをいただきました。どこのどなたなのか分らない方からの一方的な批判にどう反応すべきかをしばらくの間悩み、パソコンから逃げるようになりました。かといって無視も出来ず、かと言って中途半端にレスをするのもいやなのでどうしようか毎日悩んでいました。それで、ちょっとキツクなりましたが本心を書かせていただきました。だって「意見者」なんてまるで昔のうちの母みたいに上から下を見下した威圧的なネームで始まっているんですもの。かなり抵抗がありました。感想ならまだしも、意見をしてやろうと言う初めから見下す人に対して私がどんな対応が出来るんだろうか?毎日考えました。「意見者」さんが怒るのも分らないじゃないです。でもあの文章は途中までのものです。それに公式な文章ではなく、私の記録としての私の経験です。あれから自分や家庭の問題点に気付きそれをいかに克服するかの闘いをこの日記にずっと綴って来たのです。ですから、毎日見て下さっている方は私が娘の不登校の原因を学校に押し付けている訳ではない事を分っていらっしゃると思います。きっかけでしたが、原因だとは思っていません。きっかけはいつかどこかで出会ったかもしれません。あの担任の先生の人間性は問題がありましたが、他の子達は頑張って乗り越えました。(あの先生も 生きるのが大変だろうと思います)校長先生の態度にも問題を感じましたがだからと言って自分達に問題がないなんて思っていません。でも最初は分らなかったのです。うちの子だけが不登校になったのは何故だろうかと当初はずっと思っていたのです。その後の教育事務所のI先生とのカウンセリングで大事な事に沢山気付きました。自分がどれほど深刻な問題を抱えていたのか、家庭が歪んでいたのか、私や家庭の代わりに娘が矛盾を吐き出していた事に段々気付いて来たのです。その事をここに書いて来ましたが、娘の不登校生活と言う題では書いていなかったので中途半端なものになっておりその日記しか読んでいないゲストの方には学校批判に取れたのだろうと思います。(でも学校にも問題はあると思います。 つまり社会全体に問題はあると思います)母から非難ばかりされて育ったため一方的に批判する人に対してはガードを堅く高くしてしまう私です。だから「意見者」さんから批判されて固まってしまいました。これを普通に受け止めて普通に返す事が出来るようになりたいです。残念ながら今はまだ難しいです。ですが、きちんと娘の不登校についての続きを書かなければいけない事を思い出させてくれた「意見者」さんにその点で感謝したいと思いました。省みる良い機会になりました。娘が不登校になって以後の事もなるべく早く書きたいと思いました。生きるのが苦しい皆さんもあまり考えないと言う皆さんも是非カウンセリングについて知っていただきたいと思います。カウンセリングは自分の心の底に潜む本当の自分を知る事が出来ます。私は自分で知らなかった自分を、いえ知ろうとしなかった自分をカウンセリングによって知る事が出来ました。そして、自分の事だけではなく人間について多角的に見る事が出来るようになりました。ほんの少しの情報でも問題点が見える事があります。自分の事もそれくらいに問題点がすぐに見つけ出せたら良いのですが。自分の事は客観視が難しくてそれが出来ないのです。だからカウンセリングが必要になってくるわけです。 調度、I先生の7月22日のブログでカウンセリングの効用について書いてありますので興味のある方は飛んで行って読んで下さい。「私はどうして”わたし”なの?」←クリックしてくださいhttp://blog.livedoor.jp/toroi831/
August 10, 2006
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昨日は名取市で開かれた「わかばの会」に参加して来ました。(不登校児の親とカウンセラーや 相談員などによる懇談会です)自分の地区以外でのわかばの会参加は初めてでした。うちから車で45分くらいです。渋滞を避けて裏道を行きました。田んぼが続く真っ直ぐな道でラクチンです。暖かくなるとやって来るシラサギが沢山いました。 繊細な姿が美しくて大好きです。 昔、名取の整形外科に長い間通っていました。甲状腺の癌を見つけてくれた例の整形外科です。 娘を連れて通っていたので二人でシラサギを見つけると大喜びしたものでした。 田んぼでシラサギが突いていると言う事は農薬でやられていないと言う事ですよね。シラサギは土壌の良し悪しも教えてくれるとおもいます。だからシラサギをみかけるととてもうれしくなります~♪近くを通って整形外科に何年間も通っていましたが、こんなに近くに市役所があるとは知りませんでした。広い土地に市役所があるので庭も広くて気持ちが良いのでした。別棟の前にある前庭は芝生でした。 私が住んでいる市はごちゃごちゃしているのでこんな優雅な庭がありません。 二階から見た所です。場所や人間が違うと雰囲気や進み方や関係も違ってとても楽しい経験をする事が出来ました。夕方帰り着くと庭から現れたく~たんは玄関先で待っているんですね。 呼んでも家の中には入らず待っているんです。 何を待っているのかと言うと多分私が外に出て庭いじりをするのを待っているんです。 私が水撒きや草取りや植え替えをしているとく~たんはうれしくて近くをウロウロしているんです。 抱くと威嚇するんですが、人間が近くにいると安心するく~たんです。●庭の花達●赤い一重咲きのミニバラです。 これは情けなくなってしょぼくれたミニバラなんです。(;_;) うちのフェンスと駐車場の所です。 毎年地味なので、今年は派手な色合いにしてみました。 遠くから見ても色が映えるようにと思いました。 理想の土と言う粒状物を買って植えたらすごい咲き様です!!!可憐な都忘れが大好きです。 放っておいても立派に咲く大きな赤い薔薇です。 ツル薔薇は蕾一つ付けません(;_;)今年は失敗です~~~ヽ(≧Д≦;)ノ!
June 8, 2006
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昨日は今年度初の「わかばの会」でした。わかばの会と言うのは教育事務所で主催している不登校児の親とカウンセラーとが話し合いをしたり、講和を聞いたりする集まりです。昨日はすごく個性的で素適な方がいました。初めてお会いするお父さんでした。お父さんが「わかばの会」に出席されるのは結構珍しいのです。私の夫は最近わりと出席しているのですが、他のお父さんにお会いしたのはこれで2人目くらいです。2年8ヶ月と言う期間を考えるとお父さんが参加する事の少なさには問題がありそうですね。子育てに参加していないお父さんが多いという現われでしょうか。昨日お会いしたSさんと言う方は「息子が不登校になった事を 正面から立ち向いたい」「(充実しているので) 毎日朝が来るのが待ち遠しくて 3時半には目が覚めてしまう」と生き生きした顔で話しておられました。「子供の目が輝いていない。 元気が無くて楽しくなさそうだ。 内戦などで苦しい生活をしている子供達が 遠くから通って喜んで勉強をしているのに、 日本の子供達は目が輝いていない。 どうしたら子供達の目が輝くように 出来るのだろうか。 自分から発した物は楽しい。 今の日本は『させられる教育』なので 子供達がイライラするのは当然だろう」Sさんの話はどれをとっても大事なものばかりでした。人間としてどう生きて行くか、と言う基本的で根本的な話でした。Sさんは目を閉じて、心の中から思いを探り出して話ていました。自分は楽しいのに子供達は楽しくなさそうで何とかしたいと何度も話していました。今の日本人が抱える心の貧しさについて、簡単な質問なのに大事な事を教えてもらった気がしました。確かに『させられるもの』は辛くて喜べず惨めな気持ちがすると思います。その点、自分から発した事のなんと快い事か! 自分もそうでしたが、若い皆さんのブログを読むと勉強する楽しみよりは勉強させられる苦しみが強くて納得して勉強している人があまりいないと思います。Sさんは自分の感じた事を話す事で日本の教育の基本的な間違いを正していた気がしました。果たしてSさんのように毎日を喜びをもって生きている大人はどれほど日本にいるのでしょうか。大人のしでかした間違いを子供が遺産として引き継いでしまっているんだと思いました。 朝が待遠しくて寝ていられないなんてすごくないですか?私の生き方についても人間として大事な事を忘れているのじゃないかと問いかけられた気がしました。私が長い間抱えてきた間違いを何故間違う羽目になったのかを問われたような気がしました。昨日のブログに載せた「元ブロガー」さんの疑問にも大いに関係している事だと思いました。人は皆喜びながら生きる事が出来る。自分から発した事によって。ハローワークで仕事選びの支援をしているカウンセラーの方がおっしゃっていましたがハローワークに来るのは以前はリストラされた方が多かったそうですが、最近は大卒後1年働いて会社を辞めてしまった人やどんな仕事をして良いか分からない若い人が多いそうです。今の日本は変換点にいると思いました。皆が自分の生き方を心の奥から探り出す良い時期なのではないかと思いました。Sさんのお話を聞けて昨日は大いに触発されました。「わかばの会」のカウンセラーのI先生、教育事務所の相談員の皆様、いつもお世話になっています。ありがとうございます。人間として改めて生きて行く問題を探り出す機会を与えていただいて感謝していますm(_ _)m●最近の写真●優しい色の夕昏でした。 紅葉越しの夕陽です。本当はもっと紫がかったブルーです。どうも今度のカメラは赤系の色をあまり拾えないようです。
May 24, 2006
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