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テレビで24時間のアレ、やってますね
まあ、最近あまりテレビ自体を見ないのと、ときどきやりすぎ感がきつくて
好きじゃないですが。
昨日、同窓会がありました
ワタシは社会人であとから入ったので、
他のメンバーはずっと若い子達ですが(笑)
あまりメージャーでない言語のコースのため
人数もこぢんまりして、なかなか参加者全員がお互い話ができる、
いい感じの会でした
え?なんでここにいるの?とお互い指を指しあったMさんとは
ワタシがマニラにいるときにお友だちで
彼がフィリピンを去るときにマウンテンバイクをもらった仲で(笑)
彼は1期生と昨日初めて知りました
観光省で働いていいるKさんはお互い似たような環境で働き
周りはものすごく共通した友人が多いんだけど、
お互いバタバタしていて、一度もちゃんと話したことがなかったので、
今回初めてイロイロおしゃべりできて、
近々ランチをあらためてする約束も
そんな中、
お世話になった先生の口から
エイコさんが亡くなった時に…
という言葉がでてきて、それって、○○エイコさん?
聞けば聞くほど、ワタシがとってもお世話になった彼女。
筋肉が少しづつ動かなくなって、自由がきかなくなる病気になっていて
数年前に亡くなられた、ということ。
家族への遺言が、焼いた後の灰はマニラ湾に撒いて、ということで
親しかった友人が実行したということ。
最後までフィリピンの従軍慰安婦だった女性たちのために
通訳やいろんな仕事をして、
生涯をフィリピンに費やして、過ごしたと。
彼女に出会えたから、
ワタシはフィリピンに行き、タガログ語を勉強し、
今の仕事にもついてるし、
娘だってフィリピンで産んだりしてなかったと思う。
とても激しい人で、
よく怒られた。
でも、とても可愛がってもいただいた。
便りのないのは元気な証拠と思ってたけど、違ってたみたい。
どこかで人違いであって欲しいと思う。
でも、その激しい最期まできくと、やっぱりワタシの知っているエイコさんなんだと。
貴女のおかげで、私は二十歳以降の人生をフィリピンと
関わる人生を送ってこれたんだと思う。
貴女の大好きなボブマーリーの曲は私の中で
永遠に貴女のテーマソングです。
憧れでもあり、反面教師でもあり、大先輩でもあり、
まだまだこれからもいっぱい褒めたり叱ったりしてくれると思ってた。
今、もし伝えられるなら
貴女にありがとう、と伝えたい。
生きているうちに、ちゃんといろんな人にありがとうを
伝えておかなきゃ、とあらためて思った昨夜です。
エイコさん、天国でケンカしないでね
ワタシにたくさんのいろんなきっかけをくれて、ありがとう。
I LOVE YOU.