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《希望の党の小池百合子代表(東京都知事)は6日、朝日新聞のインタビューに応じ、衆院選期間中に希望の「首相指名候補」を示すかどうかについて、「基本的にはない」と述べた》(朝日新聞デジタル:10/7(土) 3:00配信) 小池女史は今回の衆院選を「政権選択選挙」だと言っているのであるから、希望の党が政権党になった場合、誰が首相になるのかを有権者が白紙委任する形になり問題である。 否、小池女史の言っている「政権選択選挙」の意味は、希望の党が単独で過半数を取るということではないのであろう。《衆院選の結果を踏まえ、希望の党が他党の国会議員を首相候補として推す案もある。希望の党内にも、単独で衆院定数の過半数(233)を獲得するのは難しいとの見方が強い。細野氏は4日のBSフジ番組で「仮に233人の候補者を立てても全員が通らないといけない。現実的には相当難しい」と語った》(日本経済新聞電子版:2017/10/6 0:12) つまり、小池女史は、連立による政権交代が最も現実的であろうとの判断から敢えて「首相指名候補」を空白にしているのではないか。 (同) 選挙結果次第で、公明党との連立、あるいは自民党の「非安倍勢力」との連立を画策しているのではないかと疑われる。《希望が選挙前に首相候補を示せなかった場合、他党と協力し、非自民の枠組みで連携する可能性もある…「自民党は羽田政権から政権を奪取するために禁じ手を使った。過去の例を振り返って思い出したところだ」。5日、小池氏は自民党が過去に政権を奪取した際の奇策に触れた。1994年当時、野党だった自民党は自衛隊の合憲性に関する基本的立場が異なる社会党の村山富市委員長を首相に担いだ。小池氏の発言もこうした戦略を念頭に置いたものとみられる》(同) 私は「然(さ)も有りなん」とは思うけれども、このような遣り方はかつての師匠・小沢一郎氏的なところがあって、小池女史の政治カラーを濁らせてしまう危険があるのではないかと思われる。《希望の党が5日時点で、小池氏と親しい関係にある自民党の石破茂元幹事長(鳥取1区)や野田聖子総務相(岐阜1区)の選挙区に対抗馬を立てていないことも臆測を呼んでいる。小池氏が選挙結果次第では、こうした自民党内の「ポスト安倍」候補と連携する可能性を視野に入れているとの見方もある》(同) 策士・小池百合子ということであれば良いが、自らのキャラに合わないようなことをやれば、「策に溺れる」という結果を招かないとも限らない。私は、もっと肩の力を抜いて自然体で臨むべきだと思うのだが…
2017.10.08
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18日より通常国会が始まる。そして一つの大きな懸案が「外国人参政権」の問題である。 が,保守政党を自負するはずの自民党の反応があまりにも鈍い。昨年暮れ,同党の保守系の国会議員を中心とする「真・保守政策研究会」が外国人参政権に反対する決議を出した。(1月11日付産經新聞「主張」)にもかかわらず,この声が盛り上がりを欠くのはなぜか。 最大の問題は,外国人参政権問題に前向きな公明党との関係を悪くしたくないためであろう。 自民党は長きにわたる自公選挙協力体制に安住してしまったがゆえに,公明党の支援なしに選挙を戦う力を失ってしまったのではないだろうか。したがって,外国人参政権問題で旗幟(きし)を鮮明にすることは避けたいというのが実情なのではないか。 さらに言えば,自民党内においてもこの法案に賛否両論が渦巻き,下手に党議拘束を掛けようものなら,造反者が出てしまいかねないという意味で,非常にデリケートな状況にあるのだと予想される。 そもそも自民党も民主党も要は55年体制を引き摺って攻防を繰り広げているだけであって,理念および哲学の下に「ガラガラポン」して政界再編しなければ,与野党が活気ある論戦を行うことなど不可能なのではなか。 理念や哲学を巡る論戦を避け,政策よりも政局ということになる。これでは,自民もダメだけれども民主もダメ,つまるところ,日本の政治はダメという政治全体の不信をますます高めるだけである。 リーマンショック以降,最も傷が浅いと言われていた日本が逆に一人負けしているのをなんとしても盛り返すためにも,政治家がもっとリーダーシップを発揮してもらわなければ困る。 党益ではなく国益を優先した議論を行うための体制造りが待たれる。
2010.01.17
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さて、今回の報告の概要は9月段階で明らかになっていた。 (9月15日付東京新聞1面) 日本の事情もよく知らず、おそらくは興味もないであろう人たちに日本の改憲について意見を求めたとてありきたりの話しか出てこないのも無理はない。 ベン英下院議員は自衛隊を明記する改憲案が理解できないと言うが、非武装条項を持つ日本が騙しだまし戦後を乗り切ってきたことがベン議員はどれほど理解しているのだろうか。ましてや日本には北朝鮮問題があり、いつ武力衝突がおこるやも知れないのである。その際、現行憲法では自衛隊の海外での活動が憲法違反となり、北朝鮮兵士を殺害した場合、たとえ交戦中であっても殺人罪に問われかねないのである。 否、たとえ9条に自衛隊保有を追記したとて、日本には「交戦権」がない。「交戦権」とは何かという問題もあるが、一般的には交戦中の諸権利とされている。日本は9条2項で交戦権を否定しているので、捕虜となった場合、保護される権利はないということになる。このような状態で戦うことを自衛隊員に強要することは道義的に許されるのかということは国会でしっかり議論されてしかりである。 スウェーデン信仰もそろそろやめにすべきではないか。日本人の中には、スウェーデンが教育先進国であるかのような誤解を持っている人たちがいる。本当にそうなら、スウェーデンはもっと世界に冠たる国となっているはずである。また、スウェーデン人がもっと世界で活躍していなければならないはずである。 そのことは<憲法改正は幅広い会派の合意に基づくべきだ。延々と議論しても仕方ない>などと宣(のたま)うエイナション氏の軽薄さからも窺える。延々と議論すべきものもあればする必要もないものもあるだろう。物事には「時(時間)と処(場所)と位(立場)に応じた基準」(熊沢番山)があるということである。こんなこともわからない教育先進国って一体なんなのだ。 <憲法のような基本ルールを定める場合は、共通認識を醸成する努力をすべきだ>などという当たり前の話を経済破綻しかけているイタリアまで聞きに行く必要がどこにあるのだろうか。こう言えば、日本も借金大国ではないかと反論してくる人もいるであろうが、日本の借金は政府の借金であって、そのほとんどが国内のものであるから破綻することはない。 <共通認識>があればそれでいいのかと言えばそうではない。ヒトラーは大衆の圧倒的支持を得てあのような暴挙に出たのである。 <憲法のような基本ルール>は、その国の歴史・文化・伝統を踏まえるべきである。踏まえるべき歴史・文化・伝統がない国であればいざ知らず、日本にはそれがあるのであるから、この歴史の叡智を踏まえる形で憲法は構成されるべきではないか。 歴史・文化・伝統を参照しない憲法改正は正統なものとは言えないのである。(了)
2017.12.04
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《捜査や刑事裁判にかかわる法案はしばしば深刻な対立を引きおこす。「治安の維持、安全の確保」という要請と、「市民の自由や権利、プライバシーの擁護」という要請とが、真っ向から衝突するからだ。 二つの価値をどう両立させ、バランスをどこに求めるか。 その際大切なのは、見解の異なる人の話も聞き、事実に即して意見を交わし、合意形成をめざす姿勢だ。どの法律もそうだが、とりわけ刑事立法の場合、独善と強権からは多くの理解を得られるものは生まれない》(6月16日付朝日新聞社説) 確かにそうだ。が、《その観点からふり返った時、共謀罪法案で見せた政府の姿勢はあまりにも問題が多かった。277もの犯罪について、実行されなくても計画段階から処罰できるようにするという、刑事法の原則の転換につながる法案であるにもかかわらずだ。 マフィアなどによる金銭目的の国際犯罪の防止をめざす条約に加わるための立法なのに、政府はテロ対策に必要だと訴え、首相は「この法案がなければ五輪は開けない」とまで述べた。まやかしを指摘されても態度を変えることはなかった》(同)などと一方的に政府を批判しても始まらない。こういった指摘を野党が説得的に行えなかった、否、行おうとしなかったことが問題なのではないか。「共謀罪」の何が問題なのかに目を向けるのではなく、いかに安倍政権を叩くのかに目を向けてしまったために議論が深まることはなかった。「森友問題」「加計問題」に終始し、日本にとって、そして日本国民にとってはるかに重要な「共謀罪」についての議論がお座なりになり煮詰まらなかった。このことは<国会の歴史に重大な汚点を残しての制定>(※)と言うべきではないか。《権力の乱用が懸念される共謀罪法案が、むき出しの権力の行使によって成立したことは、この国に大きな傷を残した。 きょうからただちに息苦しい毎日に転換するわけではない。だが、謙抑を欠き、「何でもあり」の政権が産み落としたこの法律は、市民の自由と権利を蚕食する危険をはらむ》(同) 国民の支持が得られないマスコミが<謙抑を欠き、「何でもあり」の政権>などと言っても虚しいだけである。むしろ批判は自らの説得力のなさに向けられるべきである。 が、そのことを差し引いた上で、私は社説子のような懸念を持たないわけではない。確かに<この法律は、市民の自由と権利を蚕食する危険をはらむ>。私が懸念するのは、間隙(かんげき)を縫って菅直人のような<議会制民主主義は期限を切った独裁>などという人物が権力を握ることである。 このような独善的な人物が出てきても悪用されないような十全な法律でなければならない。にもかかわらず、議論が生煮えでは危険極まりないのである。(続)※《委員会での審議・採決を飛ばして本会議でいきなり決着させるという、国会の歴史に重大な汚点を残しての制定である》(同)
2017.06.17
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《朝鮮学校を高校授業料無償化の対象外としたのは違法だとして、国に処分取り消しを命じた28日の大阪地裁判決(西田降裕裁判長)は、北朝鮮の独裁体制を礼賛するような歴史教育が行われていても、本国による「不当な支配」(教育基本法16条1項)には当たらず、学校の「自主性」は保たれているとして、朝鮮学校側の主張を追認した。北朝鮮や在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の強い影響下にあるとした先の広島地裁判決とは正反対の内容で、拉致問題が解決を見ない中で切今回の司法判断は議論を呼びそうだ》(7月29日付産経新聞1面) 私はこの異様な判決を黙過出来ない。《無償化は民主党政権が2010年に始めたが、朝鮮半島情勢を理由に適用を見送った。第2次安倍内閣では下村博文・文科相が拉致問題などを理由に「国民の理解が得られない」とし、13年2月、不支給を決めた。 大阪地裁はこうした国の対応を「教育の機会均等の確保とは無関係な外交的、政治的判断に基づき、法の趣旨を逸脱し、違法で無効だ」と結論づけた》(7月30日付朝日新聞社説) 憲法における「教育の機会均等」とはあくまでも日本国民を対象とするものであって、外国人に対しては適用され得ないしされるべきでもない。第14条第1項 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。第26条第1項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。 こんな至極当然のことがどうして分からないのか。裁判官失格である。 否、失格どころではない。おそらくは分かっていながら憲法を歪めてこのような判決を出したのであろうから、裁判長は北朝鮮に共感を覚える人物としか考えられず、このような日本国民と外国人の区別が出来ない人物が司法に巣食っているとすれば由々しき問題だと言える。 教育基本法にも次のように書かれている。第3条 (教育の機会均等) すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。 在日朝鮮人は日本国民ではない。だから在日朝鮮人が区別されることは当然のことである。これは「区別」であって「差別」ではない。《いま、朝鮮学校に通う生徒は日本で生まれ育った在日コリアン4世が中心だ。民族の言葉や文化を大切にしながら、日本で生きていきたいと学んでいる。 多様なルーツや教育の自主性を尊重するのか。問われているのは、社会のあり方だ》(7月30日付朝日新聞社説) 在日朝鮮人が日本において自由に生活することと、朝鮮学校に補助金を支給することとは別の話である。このあたりをわざと混同させて論じるところが朝日の常套(じょうとう)手段である。 <多様なルーツや教育の自主性を尊重するのか>どうかと補助金を出すのかどうかとは次元の違う話である。 拉致問題が解決していない中で、北朝鮮の学校に補助金を出すことなど有り得ない。
2017.07.31
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《政府はすべての国民に公正・公平に向き合い、首相との距離によって対応に差が出るようなことがあってはならない》(5月18日付朝日新聞社説) 「道徳論」のつもりなのだろうか。が、政府がすべての国民に公平に向き合うことなど不可能である。こんな出来もしないことを<民主主義国家の当たり前の原則>などという朝日社説子は妄想に取り憑かれていると言わざるを得ない。 加計学園問題は、<首相との距離によって対応に差が出>たわけではない。52年間既得権益を守る形で獣医学部の新設を拒否してきた文部科学省に安倍政権が特区という形で風穴を開けただけである。他にも新設しようとしているところがあって、競合する中で加計学園を贔屓したと言うのならいざ知らず、誰も手を挙げなかったのである。どこに問題があるのか分からない。 はっきり言って、朝日はただ安倍政権に言い掛かりを付けているだけにしか思われない。今日本が抱えている本質的な問題から余りにもかけ離れている。 北朝鮮、そして憲法9条の問題は平穏な今こそ吟味すべきことであって、日本にミサイルが打ち込まれてからでは遅いのである。経済においても「アベノミクス」という中身のない名前だけの政策の問題をどうして追及しないのか。教育問題にしても、変えれば良くなるという信仰の元に進められているかのような教育改革をどうして批判しないのか。東北復興の問題も遅々として進まない印象が拭えない。《岡山市の学校法人が国家戦略特区に獣医学部を新設する計画について、特区を担当する内閣府が文科省に対し「官邸の最高レベルが言っている」「総理のご意向だと聞いている」と手続きを進めるよう促した記録がある》(同) これはむしろ既得権益を守ろうとする文部科学省に問題があるのであって、役人天国に風穴を開けようとした安倍政権は評価されるべきである。《記載が事実であれば、内閣府が「総理のご意向」をかざして首相の友人に便宜をはかろうと動いたととれる》(同) 既得権益構造に風穴を開けようとしたのがそんなに悪いことなのか。<友人に便宜をはかろうと動いた>などというのは物事の本質が分からない「脳足りん」である。《野党側は、長く認可されなかった学部新設が同学園に限って認められたことに「首相と理事長の個人的な関係が影響したのではないか」と指摘する》(同) 問題は52年間学部新設を文部科学省が認めなかったことの方にある。獣医学部が増えると既得権益が脅かされるということで、文科省が学部新設を認めなかったことが妥当適切だったかどうかが問われるのである。 朝日の指摘は的外れというか「為にする議論」でしかない。(続)
2017.05.26
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