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《自民党は野党時代の2012年、同様の刑法改正案を国会に提出した。日弁連が「国家の威信や尊厳は本来国民の自由で自然な感情によって維持されるべきだ。刑罰で国民に強制することは国家主義を助長しかねない」などとする声明を発表するなど反発。結局、廃案となった。 与党復帰後の2021年には高市氏が顧問を務める自民党の保守系議員グループ「保守団結の会」が法案提出を目指したが実現しなかった》(2025年11月6日付東京新聞) 当時自民党の西田昌司参院議員は、毎日新聞の取材において、「国旗損壊罪」の新設について、次のように述べたという。《私にとって国旗を傷つけないことは常識であり、国旗を大切にしようとする姿勢には大賛成だ。しかし、現在の日本で日本国旗を損壊する動きがあるかというとそうではなく、国旗損壊罪を新設すると言っても、その必要性や正当性を根拠づける立法事実がない。むしろ新設することによって、日本国旗を傷つけてやろうと思う人が出てくる危険性もある。そもそも法律のベースには慣習や常識があるはずで、法律があるからではなく、われわれ日本人の慣習や常識として日本国旗を大切にしていくことが重要なのではないか》(「西田昌司のShowyou通信 西田昌司のオフィシャルブログ」2021-02-03付) これが蒸し返されて、<西田昌司やはりエセ保守だったんですね>(参照:https://www.youtube.com/watch?v=EGuDPqRHTzM)といった誹謗中傷が今湧き起こっている。 が、国旗損壊罪を主張するのが「保守」で、これに反対するのが「反日」であるかのような考え方は間違っている。本来「保守」とは、歴史や文化を重んじるものだ。が、国旗損壊罪を制定することは、歴史的経緯を踏まえたものでもなければ、文化的必要性から来るものでもない。ただ権力者が自分の思い通りに社会を縛ろうとしているに過ぎない。つまり、国旗損壊罪を主張する人達は、保守と言うよりむしろ自由を抑圧しようとするという意味で統制的であり、全体主義的なのだ。なんとなく、オーウェルが『1984』で風刺した「イングソック」を彷彿させる。Oligarchical Collectivism(少数独裁制集産主義)というやつである。【続】
2026.05.04
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毎日新聞社説は,安倍政治を次のように分析した。 昨年10月の電撃的な訪中・訪韓は北東アジアの安定、つまりは日本の平和にとって大きな前進だった。政権発足直後の首相の政治決断は高く評価できる。 首相は靖国問題でも「参拝したともしないとも言わない」あいまい戦術で、ともかくも対立の表面化を防いでいる。北朝鮮の核開発が現実的脅威となっているいま、中韓両国との関係改善の意義は大きい。 安倍政治にはこのように柔軟な現実派の側面があった。小泉政治が市場主義に走って弱者切り捨ての批判を浴びたのを踏まえ、初期の安倍政権は「再チャレンジ」を掲げるなど軌道修正を図った。 しかし、それは中途半端に終わり、途中から改憲という最終目標にむけ、教育基本法の改正、防衛庁の省への昇格、改憲手続きを定めた国民投票法の制定と強行採決も辞さず歩みを速めた。 首相は信念に忠実だったのだろうが、優先課題を見誤った。参院選の結果がそれを示している。イデオロギーを優先させた結果、年金や地方の疲弊に対する手当てを怠った。(8月15日付)が,これは私の分析とまったく異なる。 昨年10月の訪中・訪韓は,軽率極まりない「村山談話」と,事実無根の「河野談話」を踏襲すると内外に宣言することによって実現したものである。これは,首相就任早々中国と韓国との交渉の主導権を譲り渡したということである。私は安倍首相がこのような妥協からスタートしたことによって毅然さがなくなっていったのではないかと思っている。 毎日社説はこのような安倍政治を柔軟で現実的であると評価しているようであるが,二国間交渉がうまくいかなければ困るのは日本だけではなく中国や韓国も同様である。にもかかわらず日本だけが平身低頭して関係改善する様は,大昔の「朝貢外交」を彷彿(ほうふつ)させるかのようでもある。 このような形で関係が改善されても,中韓両国が北朝鮮問題で日本のことを思って対応してくれるはずもない。中国・韓国は日本の繁栄に対して嫉妬心を燃やし,歴史的に恨みを抱いているのが実状であろうから,むしろ北朝鮮問題を日本との交渉の一つのカードとして使ってくることすら予想される。 毎日社説は,安倍政治は「再チャレンジ」を掲げるなどして小泉政治の市場主義を修正しようとしたが,イデオロギーを優先させたために中途半端となって,年金や地方の疲弊に対する手当てができなかったと言うのであるが,これも違って,そもそも小泉政治の市場原理主義は徹底することに意義があったのであって,修正を施そうとしたこと自体が誤りだったのではないだろうか。つまり,二兎を追う者は一兎をも得ずではなかったかということである。 ただ単純に公共事業を削減し,小さな政府を目指せば,これまで公共事業に依存してきた地方が疲弊するのは当然である。考えるべきは,必要な公共事業とそうでない公共事業を峻別するということであって,国家財政を健全化するために一律で公共事業を削減してきたことに問題があったのではないだろうか。さらに言えば,今後必要とされる公共事業とは,これまでのような「箱もの」ではなく,市場主義にはそぐわないが公共の便益に値する安全・環境・教育・医療といったことに向けられるべきものなのではないかと思われる。 また,地方分権が十分進んでいない状態で,公共事業を削減し,地方が使えるお金を減らしてしまったということも問題ではあっただろう。つまり,小泉政治が市場主義を拙速に進めすぎたことが地方の切り捨てとなって反発を生じてしまったということなのではないか。 イデオロギーを優先させたと言えるほど,安倍首相がなしたものは何もない。つまり,すべて中途半端となってしまった,そう私は思う。
2007.08.25
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全国学力テストの結果低迷を受けて大阪府教委が導入を計画したものの,橋下徹知事の緊急財政方針で見送られた府独自の学力テストについて府教委は28日,「ゼロ予算」でも可能な問題作成業務に限って先行着手することを決めた。(2月29日付産經新聞31面) 私はこれまでにも何度かこのテスト計画を批判してきたのであるが,予算も付けてもらえないものを見切り発車でやろうとするのはまさに「愚行」以外の何ものでもないだろう。なぜ府教委がここまで学力テスト実施に固執するのだろうか。 府教委が計画しているのは,国際学習到達度調査(PISA)型の応用力を問う国語と算数・数学のテスト。昨年の全国学力テストで,大阪府の平均正答率が小6,中3ともに全国で45番目だったことを受けて,「考える力をつけてもらいたい」と,新年度から公立校の小4~中3全員を対象に始めることを決めた。(同) が,考える力を付けるためにテストを実施するなどということは明らかに本末転倒である。考える力を付けるような授業をまず実施して,その結果をテストで確認するというのが筋であり,全国ワースト3の授業のままテストを実施しても結果は言わずもがなである。 「考える力」を付けようと考えること自体には私は賛成であるが,それは何よりも「考える力を付けるための授業」が大前提でなければならない。 が,おそらく府教委は「考える力を付けるための授業」がどれほど大変なものか分かっていないからこのような「考える力をつけてもらいたい」などと言っているのではないだろうか。 はっきり言わせていただいて,全国一斉学力テストワースト3位の今の授業力で「考える力を付けるための授業」を行うことなど絶対に無理である。 知識詰め込み型授業であれば,身に付けるべき知識を一方的に押し付けるだけでよいので教師の授業力は高くなくても成立するが,「考える力を付けるための授業」を行うためには高い授業力が必要となる。 まず,様々な生徒の疑問に答え得る知識体系が教師の側になければならない。つまり,1教えるために100知っておく必要があるということである。 さらに,考える授業では「なぜ」という疑問と「なぜなら」という理由が重要となる。そのためには,知識は相互に関連づけられ一つの体系をつくっていなければならない。つまり,教師は単なる物知り博士では駄目だということである。 また,「考える力を付けるための授業」を行うためには,生徒に考えさせなければならないから,授業形態は生徒と先生が言葉のキャッチボールを行う「対話型」とならざるを得ない。 そのためには,発問の仕方も工夫が必要となるし,生徒の質問や疑問をどうさばくのかの技量も問われる。 このようなことを勘案すれば,公立校において「考える力を付けさせる授業」を行うことがどれほど難しいかが分かるだろう。 したがって,取り敢えず大阪府の順位を例えば10位以内に引き上げるという方針のもとに授業の質の向上を図るというのが現実的だと思われる。 何か私には,府教委が全国一斉学力テスト結果から目をそらすための姑息な新テスト導入をしようとしているようにしか思われないのである。
2008.03.01
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民主党小沢代表が党代表を辞任することを表明したことに対し,私にはマスコミから漏れ伝わる情報しか知り得ないけれども,どうも周りの人たちが他人事のように思っている節がある。 小沢代表がやろうとしたことが何だったのかを考えれば,関係各位はある意味でもっと戦慄を覚えなければならないのではないのか。 おそらく(といって外れているかも知れないが)小沢代表が目指したことは「政権交代」を一足飛びにして「政界再編」ということだったのではないか。そうだとすれば,一大事であることは言うまでもない。 にもかかわらず,国会議員のみならず,マスコミからも聞こえてくるのは,シニカルな小沢批判ばかりである。そうであるなら,否,そのような暢気な連中が政治を牛耳っているのであれば,へそ曲がりな私としては,「大連立」をやって「政界再編」を行った方が良いのではないかと言いたくもなろうというものである。 ねじれ国会となって何も決まらない小田原評定的な状態は,産みの苦しみとも言えるかも知れないが,結局のところ,生産的議論の過程というよりも,何でも反対という万年野党的わがままよるものにすぎないのではないかとも思われる。 沖縄集団自決に関する教科書検定のような問題には血道をあげるにもかかわらず,インド洋上における補給活動における国際貢献問題には否定的見解を示して生産的議論に向かわない。このような状態が健全であるとはとても思われない。 ここは,シュンペーターよろしく「創造的破壊」も必要なのではないか。つまり,政界再編のための触媒としての「大連立」もありうるのではないかということである。 私は理屈において「大連立」には反対の立場ではあるけれども,政治を一新するための切っ掛けという条件付きであれば,むしろ「大連立」を押し進めるべきではないかと思った次第である。
2007.11.05
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《日銀は、新たな金融緩和策として「マイナス金利」導入に踏み切った》(榊原英資「日本経済の成長戦略は過去の遺物なのか」:2月19日付産經新聞12面「iRONNA発」) 「マイナス金利」政策がスタートしてから早3ヵ月弱であるが、この政策が奏功したという話は聞こえてこない。《日銀は2%の物価目標を掲げているが、昨年の消費者物価指数上昇率は0・73%(2015年10月のIMFによる推計)にとどまっている。また、長期のインフレ期待も1%前後と、2%目標にはまだまだ届く気配がない。 しかも、このところの石油価格などの急激な下落は、さらにインフレ期待を下げる可能性がある》(同) 第2次安倍政権発足当初は<2%の物価目標>でよかったけれども、それが何年も達成出来ずに、ただ口先だけの目標であり続けるのは宜しくない。《日本の設備投資は、金融引き締めなどを受けて平成27年度は前年実績比13・9%の増加となったが、今年はこれが続くのかどうかは不透明だ。世界経済の減速が続く中で、政府が望むように設備投資の増加や賃上げがスムーズに進むとは考えにくい。 天然資源価格が暴落し、世界経済の構造が大きく変わる中で、政府も日銀も日本経済の景気腰折れのリスクに備えておくべきなのだろう。しばらくは、インフレ率2%の達成は「夢のまた夢」ということなのではないだろうか》(同)と榊原氏は言うが、私もこのまま手を拱(こまね)いているだけでは<インフレ率2%の達成>は画餅に帰すことになると思われる。《こうしてみると、物価目標2%、あるいは成長戦略といった政策目標は過去の遺物なのではないだろうか。成熟段階に達した先進国、特に日本は「豊かなゼロ成長」の時代の果実を享受すべき局面に入っている。美しい自然や安全な国土、そして健康な国民。それを維持していくことこそが「成熟国家」日本の目標となるべきだと思うのだが…》(同) これは1つの考え方であろう。私はまだまだ日本には潜在的底力があると思っているが、現在のような浮き足立った暮らしぶりではそんな力が湧いてくるとは思われない。伸びきった姿勢からジャンプすることは出来ない。 日本人の中には未だに日本は遅れており欧米を見習うべきだと思っている人たちが少なくないように思われる。が、果たしてそうか。 日本人にしか作れないものを作り、日本人ならではのものを作り出すこと、それが戦略的に重要なのではないか。 飛躍するためには、一度深く屈(かが)まねばならない。日本の歴史や文化を深く学ぶこと、それが「急がば回れ」で必要なのではないか。
2016.05.11
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日本国憲法は1946年に起草されたものであるから新しい権利である「環境権」が含まれなかったのも無理はないが,かといってこのままこの不備を放置しておいてよいことにはならないだろう。 駒沢大の西修教授(憲法)によると,1990年以降に制定された85カ国の新憲法を調べたところ,フィンランドやスイス,東ティモールなど8割の68カ国が環境権や環境保護条項を備えていた。環境権の確立は世界的潮流でもある。(2007年4月25日付産經新聞4面) 環境権のような新しい権利を憲法に盛り込むことを望むのは本来リベラル派の人たちであるのかと思いきや,<護憲派には「憲法に環境権が明文化されていなくても,環境基本法などの法律を充実すれば対応できる」との慎重論がある>(同)ようなのである。が,これは少しおかしな議論であろう。 恐らく本当は環境権のような新しい権利をリベラル派は盛り込みたいのであろうと思われる。が,そのために憲法改正の流れができてしまうと,9条まで変えられてしまいかねない。それを嫌ってすべての改憲に反対の立場をとるということなのであろう。が,これは明らかにごまかしであろう。 憲法とは国の大本なのであるから,環境権なる権利が必要なら憲法を書き換えてちゃんと条文化しなければならない。憲法で規定されていないにもかかわらず環境基本法などの下位法を充実されるなどということは,法的根拠がない法律を制定するということなのであって,不健全極まりないやり方である。 早稲田大法科大学院の大塚直教授(環境法)は,環境権の議論が9条改正の露払いとなることを懸念しつつも次のように指摘する。憲法13条(幸福追求権),25条(生存権)などに環境権が内包されると解釈することはできるが,明文化の有無で大きく違う。明文規定がないと,予算獲得も含め,国会や内閣も将来を見据えた環境保全に目が向かないのではないか。国の環境保護義務を定めるのが基本だ(同) 環境権を新たに憲法に書き込むことに反対する人はおそらくいないであろう。が,環境権の問題を持ち出すと,改憲の気運が高まり,やぶ蛇となって,9条改正に弾みがつきかねない。それを護憲派は心配するのであろうが,それはあまりにも弱腰ではないか。9条を改憲する必要がないという信念があるのなら,9条の改正が不要であることを正々堂々と国民に説明し,国民を説得すればいいのではないか。自分たちにその説得力がないからといって,必要な改憲作業までもストップしてしまうというのは筋違いの行為であると思われる。
2007.05.24
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鳩山由紀夫首相が国連総会一般討論演説において《これまで日本は、過去の誤った行動に起因する歴史的な事情もあり、この地域で積極的な役割を果たすことに躊躇(ちゅうちょ)がありました》(「土日に書く」10月17日付産經新聞13面)と述べたことに対し,産經新聞の千野境子(ちの・けいこ)記者が過去の歴史的事情から躊躇や内省をしつつ、しかしこの地域で応分の貢献をしたいと願い、行動してきたのが日本ではなかったか(同)と異を唱えている。その証として千野記者は,ASEAN事務局長のスリン元タイ外相の言葉を借りる。《アジアには日本の協力なしでは解決しなかった出来事があった。カンボジア紛争では国連の明石代表が尽力し、東ティモール危機では日本の資金協力で、ASEANとして初めて紛争地域へ軍隊派遣を実現させた。アジア通貨危機でも宮沢基金のような資金協力がなければ、われわれは経済的に生き残るのは難しかったろう》(平成17年11月25日付読売新聞)(同) 鳩山首相の言う<過去の誤った行動>とは,直截(ちょくさい)に言えば「日本のアジア侵略」ということであろう。が,日本がアジアを侵略したという歴史観はまさに「東京裁判史観」に呪縛されたものである。アジアと英仏蘭領植民地で日本が勝てたのは,現地協力者の活動があったからだ。(『アメリカの鏡・日本』(メディアファクトリー),p. 368)とヘレン・ミアーズ女史は言う。日本に協力したのは,ほとんどの場合,それぞれの国を代表する人たちだった。彼らは…対日協力の動機は純粋に愛国心であると胸を張っていえた。なぜなら,戦争は日本と現地政府の間ではなく,日本とヨーロッパの異民族支配者の間で戦われていたからである。(pp. 371-2)この『アメリカの鏡・日本』は,1949年にGHQ最高司令官マッカーサーが日本での翻訳出版を禁じた曰(いわ)く付きの書である。 が,「村山談話」に対しはっきりNOを突きつける気概のある国会議員がどれ位いるのか。その点で正直私は悲観的なのである。
2009.11.01
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新年明けましておめでとう御座います。本年もよろしくお願いしたします。 さて,「1年の計は元旦にあり」と言いますが,今日は特別にこれからの日本がどのような国家作りを目指すべきかを考えてみたいと思います。 昨年は,かのトヨタをはじめとして,輸出依存型企業が円高と米国のサブプライムローンに端を発する消費落ち込みの影響をもろに受け,利益を大幅にダウンさせてしまいました。 これをもって円高を悪玉視する傾向が見られるわけですが,確かに急激な円高は歓迎されないのだとしても,日本が発展すれば,円高傾向とならざるを得ないのです。 そこでよく持ち出される話は,「内需拡大」ということなのですが,おそらく多くの日本人には今以上の消費を望むものは少ないでしょうから,下手な内需拡大策は,80年代のバブルの二の舞を演じるだけだと思われます。 やはり日本人には物作りが似合っているのであって,円高でも利益の得られる方途を模索すべきなのではないでしょうか。 円高時代において私たちが目指すべき分野は,例えば,「医療」「環境」「食糧」「エネルギー」といったものでしょう。こういった分野は,人間が生きていく上で必要不可欠なものですから,円高の影響をあまり受けないと予想されるわけです。 最近,未だ見ぬ新型インフルエンザが世界を襲う「パンデミック」(pandemic)が心配されています。あるいは地球温暖化問題も喫緊の課題です。また,世界の人口増加に伴って食糧不足が懸念され,さらに,石油などの化石燃料は,遠くない将来枯渇してしまうと予想されています。 こういった問題に果敢にチャレンジすることが先進国日本の務めであると同時に日本の将来の繁栄のための鍵となるのではないでしょうか。
2009.01.01
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《このまま北朝鮮と米国が互いに軍事的威嚇をエスカレートさせれば不測の事態を招き、朝鮮半島や日本にも戦禍が広がる可能性を否定できない。無謀な賭けに踏み込まぬよう双方が自制し、周辺国を含め話し合いによる危機回避へ手を尽くすべきである》(4月17日付京都新聞社説) ちょっと待ってくれ。米国が軍事的威嚇を止めれば北朝鮮も核開発を止めるという話ではない。問題は北朝鮮にある。これまでの経緯からすれば、北朝鮮は核開発を止めないだろう。このまま北朝鮮を放置して核ミサイル保有国となってしまってからでは遅いのである。《北朝鮮のミサイル発射は、軍事的圧力を強める米国をけん制する狙いが明らかだ》(同) よくこんないい加減なことが書けるものだ。北朝鮮は米国の圧力とは関係なしに何度もミサイルを発射している。また、北朝鮮がミサイルを発射したとて米国の軍事行動に何の関係もない。《いら立ちを募らせるのがトランプ政権だ。北朝鮮の米本土への攻撃力保有が近づいていると警戒し、前政権の「戦略的忍耐」から「あらゆる選択肢」を強調した圧力強化へかじを切った。シリア攻撃や過激派組織「イスラム国」施設への大規模爆風爆弾の使用で圧倒的な軍事力を見せつけた上、原子力空母を朝鮮半島近海へ向かわせたが、力任せの脅しでも北朝鮮を止められない現実がある》(同) これらは「間接的な脅し」に過ぎないから北朝鮮を止め切れないのだと思われるが、それでも金正恩は内心穏やかではないだろうと思われる。 我々は北朝鮮を買い被っているのではないか。北朝鮮のGDPはわずか150億ドルに過ぎず、米国の1000分の1に過ぎない。言っちゃなんだが「吹けば飛ぶような存在」に過ぎないのである。だからこそ、核開発を急いでいるわけである。《米国の思惑には、単独での武力行使も辞さぬ強い姿勢によって中国に北朝鮮への圧力強化を迫る狙いも透ける。だが、北朝鮮の暴発を不安視する中国は「平和的方法での解決」を主張し、緊張激化に懸念を示している》(同) このあたりの分析もずれている。これまで北朝鮮を日米韓との緩衝帯として利用してきた中国もここに来て対応に迷いが見られる。果たして北朝鮮を中国の支配下に置き続けることが出来るのか。もし北朝鮮が核ミサイルを開発すれば、中国に対してもそれ相応の圧力を掛けてくるのではないか、と疑心暗鬼になっているのではないだろうか。 そこにロシアが北朝鮮に入り込む隙が出来た。このあたりが北朝鮮の狡賢いところだと言えようが、中国が駄目ならロシアを利用して生き残りを図り、それが嫌なら中国に譲歩させるという小国が大国に揺さぶりを掛けるという謂わば「キャスティング・ボート」を握ったかのような戦術は敵ながら天晴れと言う他はない。(了)
2017.04.26
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此の度の東日本大震災は,菅直人首相のみならず与党の民主党が政権担当能力を有しているかどうかを判断するためのリトマス試験紙となった。 皮肉にも仙石由人官房長官(当時)が「暴力装置」と称した自衛隊が被災地救済に八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍を見せている。《公共事業を目の敵にして事業仕分けするから建設業者がブルドーザーなど重機を中国や東南アジアに売ってしまい,災害地の瓦礫を撤去する者が少なく,自衛隊施設大隊に頼らざるを得ないのだ》(佐々淳行:3月16日付産経新聞『正論』) 菅氏が救済に必要な自衛隊員数を2万人から5万人,5万人から10万人と増やすように命じたのは,《たった2日の間に危機管理の禁忌である「兵力の逐次投入」の愚》(同)であった。2万人なら2万人態勢の準備と調整が必要であり,それを5万,10万ところころ変えられては現場も組織も混乱する。いかに菅氏には大局観が無く,場当たり的に,そして思い付きで事にあたっているかがうかがえる。 隊員不足を補うために戦後初めて予備自衛官が非常招集されもしたが,森本敏氏は,このような事態を招いたのは,自衛隊の要員数不足があると指摘する。《新防衛大綱を作る際になぜ,防衛省内の反対を押し切って陸上自衛隊の定員を削減したのか理解に苦しむ。政権に国家の安全や防衛について知識と展望が欠落していたといわざるを得ない》(3月17日付産経新聞『正論』)(続)
2011.03.18
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安倍晋三首相は米ワシントン・ポスト紙のインタビューの中で「慰安婦」について次のように述べた。On the question of comfort women, when my thought goes to these people, who have been victimized by human trafficking and gone through immeasurable pain and suffering beyond description, my heart aches.(Washington Post, March 26 2015)(慰安婦問題では、人身売買の犠牲となり筆舌に尽くしがたい計り知れない痛みと苦しみを経験されたこういった方々のことを思うと心が痛みます)このように「慰安婦」がhuman trafficking(人身売買)であるという認識が公に示されたのは初めてであろうと思われるけれども、よくぞここまで踏み込んだと私は拍手を送りたい気分である。「慰安婦の強制連行」とは「朝鮮人女衒を介した人身売買」であるということは私も再三指摘してきたことであるので真実に向けて一歩前進と言えよう。 ただし少し気になるのは、安倍氏の文脈では慰安婦が全て人身売買のように受け取られかねないので、今後はもう少し丁寧な言い回しと言葉遣いが望まれよう。 それにしても安倍氏の戦術は見事である。米紙のインタビューでこのように述べれば、様々な緩衝帯があって発言に対する批判も弱まる。もし同じことを国会で口にしたとすれば、上を下への大騒ぎとなったことは間違いない。And on this point, my thought has not changed at all from previous prime ministers. Hitherto in history, many wars have been waged. In this context, women’s human rights were violated. My hope is that the 21st century will be the first century where there will be no violation of human rights, and to that end, Japan would like to do our outmost.(そしてこの点に関して、私の考えは従来の首相と全く変わっていません。これまで歴史上、多くの戦争がなされてきました。このような状況において、女性の人権が侵害されました。私が希望しますのは21世紀が人権侵害のない初めての世紀となることであり、そのために、日本は最善の努力を払う所存です) 産經新聞は《首相は慰安婦問題によって「女性の人権が侵害された」と指摘》(3月29日付産經新聞2面)としているが、英文からは一般論として戦下において女性の人権が侵害されたとしか読めない。だとすれば、このように述べたのも巧妙ということになろう。David Ignatius: I want to ask you: Is it accurate to say that you are a revisionist–that you would like to revise the picture of Japan so that it is, in your view, more accurate?(お尋ねします。あなたは歴史修正主義者で、日本像をあなたの見解においてより正確なものとなるように書き換えたいと思っていると言うことで間違いありませんか)PRIME MINISTER SHINZO ABE: My opinion is that politicians should be humble in the face of history. And whenever history is a matter of debate, it should be left in the hands of historians and experts.(思いますに、政治家は歴史と謙虚に向き合うべきだということです。そして歴史が議論の問題となれば、歴史家や専門家の手に委ねるべきだということです) この考え方は日本人にはお馴染みのものであるが、米国人に安倍氏の考えをわかってもらうのは非常に有効であろうと思われる。 総じてこのインタビューは安倍氏にとって、そして日本にとって有益であったと思われる。
2015.04.01
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今回の共同宣言中で問題となったのは次の件(くだり)である。《日本政府は歴史教科書歪曲と独島の領有権主張により,後世に誤った歴史を教え,平和を損なおうとする試みを直ちに中断しなければならない》(3月10日付産經新聞5面)つまり,韓国が実行支配している竹島(韓国名:独島)の領有権を主張することを日本に止めろというのである。 この共同宣言の日本側代表が民主党の土肥隆一衆院議員であった。土肥氏は,「共同宣言の文面を十分に精査しなかった結果だ。うかつだった。心から国民におわびする」(3月11日付産經新聞1面)と陳謝しているが,事が大きくなる前,「個人的には,竹島は日本の領土とは一概にはいえないのではと思っている」(3月9日付産經新聞夕刊1面)とも産經新聞の取材に応えている。 3日に分けて検証してきた通り,これは単に竹島うんぬんの話ではない。戦後進歩的文化人によく見られた無責任な日本叩きの変奏曲である。 野党議員であればいざ知らず,与党議員が外国を焚き付けて日本を叩くのは自傷行為というべきであって,結局は自党政権の足を引っ張ることとなるのである。 土肥氏は,与党とは何たるかが分かっていない,つまり,与党議員の自覚に欠けるということである。否,与党の水に合っていない,ないしは,野党が性に合っていると言うべきか。(了)
2011.03.12
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《過激派組織「イスラム国」とみられる組織が、邦人2人の殺害を予告する映像をインターネット上で公開した。人質解放の条件として、日本政府に対し、72時間以内に2億ドル(約236億円)の身代金を支払うよう要求している。2人は、湯川遥菜さんと、ジャーナリストの後藤健二さんとみられる。 湯川さんは昨年8月、シリア北部で写真を撮ろうとした際、イスラム国に拘束された。後藤さんは、湯川さん救出と取材のため、シリアに入国したとされる》(1月21日付読売新聞社説) 各紙とも「断じて許されない」としているが、そもそも湯川氏は自殺願望よろしく自から好んでイスラム国に捕らえられた人物である。やはり自業自得というより他はない。《2人が拘束された経緯ははっきりしないが、どんな事情で現地にいたにせよ、人命の重みを最優先に対応すべきだ》(朝日新聞社説)と朝日社説子は書く。が、このような姿勢では「ダッカ日航機ハイジャック事件」の二の舞となりかねない。 「ダッカ事件」では、福田赳夫首相(当時)が「一人の生命は地球より重い」と言って身代金を渡し、超法規的措置として獄中メンバーを釈放してしまった。その後、これは国際的に大きな非難を浴び、いまだに日本の大失態として語り継がれている。「人命を盾に脅迫することは許し難い行為で、強い憤りを覚える。日本人に危害を加えないよう、直ちに解放するよう強く要求する」「国際社会は断固としてテロに屈せず、対応していく必要がある」(産經新聞主張)と安倍首相は述べたが、「人命尊重」でなく「テロルに屈しない」ということを第1として、出来うる限りの救出努力を政府に試みてもらいたいと思う。
2015.01.21
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《日本維新の会の橋下徹、石原慎太郎共同代表ら党幹部は19日、名古屋市で橋下氏の慰安婦をめぐる発言に関し対応を協議し、発言の撤回は不要との認識で一致した》(5月20日付産經新聞1面) また、松井一郎大阪府知事は大阪市で記者団に歴史認識について「それぞれの価値観を認め合うことを確認した」(同)と述べたというのであるが、そもそも価値観の違う人たちがどうして一つの党を形成しているのか分からない。昨年末の総選挙前は、飛ぶ鳥を落とす勢いの維新の会に石原氏が乗っかったということであろうが、今では分裂すれば、有権者に相手にされなくなり消滅の危機に晒されかねないということか。《日本維新の会の石原慎太郎共同代表は17日、先の大戦の旧日本軍の行為について「侵略じゃない。あの戦争が侵略だと規定することは自虐でしかない。歴史に関しての無知」と語り、侵略とした橋下徹共同代表の見解を否定した》(2013年05月18日04時58分朝日デジタル) 「侵略でない」と言えば言いすぎかもしれないが、簡単に「侵略」と決めつけられないことは確かである。満洲はもともと支那にとって「化外の地」であったのであるから決して侵略ではないし、戦線が支那全土に広がったのは、盧溝橋において支那共産党、日本軍と国民党軍を戦わせて漁夫の利を得ようと両軍に発砲したことがその発端にある、等々。《石原氏は、橋下氏が「敗戦の結果として侵略だと受け止めないといけない。反省とおわびはしなければいけない」と述べたことについて「全然違う。正確な歴史観、世界観を持っていないとだめだ」と批判した》(同) 戦後教育の申し子橋下氏とかの戦争を肌で知っている石原氏とでは歴史観が違うのも無理はない。「東京裁判で決められた価値観にのっとって歴史を規定することは間違いだ」(同) まったく同感である。橋下氏の歴史認識は戦後教育そのものである。その歴史認識をベースにして、「従軍慰安婦問題」といった部分に噛み付いてみたところで、一貫性がなく、したがって、説得力がない。 石原グループは高齢者ばかりなので、若い橋下グループの力を借りようとしたのであろうが、これほど認識が異なる2つのグループが「同舟」することはやはり無理があるのではないか。
2013.05.20
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《政府はすべての国民に公正・公平に向き合い、首相との距離によって対応に差が出るようなことがあってはならない》(5月18日付朝日新聞社説) 「道徳論」のつもりなのだろうか。が、政府がすべての国民に公平に向き合うことなど不可能である。こんな出来もしないことを<民主主義国家の当たり前の原則>などという朝日社説子は妄想に取り憑かれていると言わざるを得ない。 加計学園問題は、<首相との距離によって対応に差が出>たわけではない。52年間既得権益を守る形で獣医学部の新設を拒否してきた文部科学省に安倍政権が特区という形で風穴を開けただけである。他にも新設しようとしているところがあって、競合する中で加計学園を贔屓したと言うのならいざ知らず、誰も手を挙げなかったのである。どこに問題があるのか分からない。 はっきり言って、朝日はただ安倍政権に言い掛かりを付けているだけにしか思われない。今日本が抱えている本質的な問題から余りにもかけ離れている。 北朝鮮、そして憲法9条の問題は平穏な今こそ吟味すべきことであって、日本にミサイルが打ち込まれてからでは遅いのである。経済においても「アベノミクス」という中身のない名前だけの政策の問題をどうして追及しないのか。教育問題にしても、変えれば良くなるという信仰の元に進められているかのような教育改革をどうして批判しないのか。東北復興の問題も遅々として進まない印象が拭えない。《岡山市の学校法人が国家戦略特区に獣医学部を新設する計画について、特区を担当する内閣府が文科省に対し「官邸の最高レベルが言っている」「総理のご意向だと聞いている」と手続きを進めるよう促した記録がある》(同) これはむしろ既得権益を守ろうとする文部科学省に問題があるのであって、役人天国に風穴を開けようとした安倍政権は評価されるべきである。《記載が事実であれば、内閣府が「総理のご意向」をかざして首相の友人に便宜をはかろうと動いたととれる》(同) 既得権益構造に風穴を開けようとしたのがそんなに悪いことなのか。<友人に便宜をはかろうと動いた>などというのは物事の本質が分からない「脳足りん」である。《野党側は、長く認可されなかった学部新設が同学園に限って認められたことに「首相と理事長の個人的な関係が影響したのではないか」と指摘する》(同) 問題は52年間学部新設を文部科学省が認めなかったことの方にある。獣医学部が増えると既得権益が脅かされるということで、文科省が学部新設を認めなかったことが妥当適切だったかどうかが問われるのである。 朝日の指摘は的外れというか「為にする議論」でしかない。(続)
2017.05.26
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