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ワイドショーで「有名人の家のデザインに近隣から苦情」を見て感じた事を記します。 苦情は、主に「色」に対しての事の様でした。元々、「色」が背負うイメージにも、人それぞれで、あやふやさを感じています。はたして私が見ている「赤」が、他の人にも同じ「赤」として伝わって居るのか・・・。また、その「色」自体よりも、その色を受け入れる時の、その人の精神状態や、シチュエーションに、好みが大きく影響されて来た様に感じています。 その苦情を訴えている女性達からも、「色」自体への「嫌悪」だけでは無く、相手(施主や建築会社)との感覚(世界観)のズレや、対応に対しての「嫌悪」を、少なからず感じ取れます。恐らく、その女性達の大切にしているモノにも、同じ色のモノの1つや2つは在ると思いますよ。 私は生モノが苦手です。ただ、元々食べ物の好き嫌いはほとんど在りませんでした。「食べる」に興味が薄いといった方が良いですかね。他人との会話で、食べ物の好き嫌いの話題になると話が盛り上がらず、嫌いなモノが多い人に少し嫉妬に似た感覚を持っていました。 また、私は感覚的に父を苦手に感じていて避けるようにしています。 少しあてつけ気味に、父が何よりも好きな「刺身」をしばらく意識して避けていました。ある時、仲間の飲み会で久しぶりに「刺身」を食べたら体中が痒くなり、湿疹が出てしまいました。それ以来本当に生モノには一切手が出なくなりました。似たようにして、今では幾つか苦手なものが出来て好き嫌いの会話がはずむ様になり、楽しく過ごしています。 そんな事からも、モノに対する好き嫌いにも「想い」の影響を強く感じざるを得ません。よく解りませんが、トラウマなどもこんな感じなんですかね? また、よく「センスが良い」・「センスが悪い」と語られますが、センスは「良い」・「悪い」というよりも「合う」か「合わない」かだと感じています。そもそも「感じ方」に正解・不正解があろうはずもなく・・・ その人が「感じた」ことは少なくともその時のその人にとっては「真実」でしょうね。また、その「真実」も他人に強制できるモノでもないように感じます。そして、その個人の「真実」は他人の「想い」に関り、お互いの同意によって共通の「真実」(好み・常識なども含め)に成り得るように感じます。(07.8.15著)・・・・・・・・・・ 「人を見掛けで判断しないで!」 とは言え、個人的にはファッションや音楽・遊び・仕事などの「好み」(見掛け)には、ある程度その人の気質がでるように感じますね。そして同じような「好み」を持った人達には、似た気質を感じられることが少なくないですね。少なくともその「見掛け」が表に現れているその瞬間は、わりと気質を判断する要素に成りえるように感じますね。 ただ、誰の中にも色々な気質を感じますし、その一時の見掛け(気質)だけでその人を画一的なイメージに固定するのはやはり難しいのかな・・・。またどんな時も画一された自分の好きな格好を通す「オシャレ」もあれば、その場その場で自分なりに雰囲気を読んで格好を変える「オシャレ」もあるように感じますね。そしていずれも立派な「ポリシー」と感じます。 私も今の中高生達の格好を見て違和感があったりしますが、そこには自分の学生時代の強い規制と比べての嫉妬的なモノが少なからず感じられますね。その分私も大学に入ると、タガが外れたようにメチャクチャな格好をしていましたし、私の同年代には今髪を染めたりして、後になって何か噴出している人も少なくないように感じますね。(08.10.25著)・・・・・・・・・・ 「次に乗り換えるならやっぱりエコカー!」 燃費も良く、環境にも優しく、補助金も出て良いことずくめですかね。ただこんなに騒がれて皆が同じような車に乗り始めると・・・なんか気持ち悪いですね。個人的には今のエコカーのデザインには格好良さも感じませんし・・・でも今の世情から、エコの波に乗らないとなんとなく損をしてしるようだし、環境を無視した悪い人間と想われそうだし・・・。 でもやっぱり好みの車に乗らないと後悔しそうだし・・・。 ある知人はドライブが大好きで、自分で乗る車は生涯4駆と決めているようです。4駆となれば、その用途を考えれば将来的に見ても「地球に優しい」エコカーとはちょっと縁遠いようにも感じますかね。知人自体は無邪気で純粋な感じが周りからも好かれる気質ではありますが、好きなこと・モノには頑固で、あまり周りに流されない気質でもあるようです。 どんなにお金や手間がかかっても、どんなに周りから非難を受けても欲しいと思えるモノに出会えることが幸せなのかも知れませんけどね。方向性によっては怖い感覚ですが・・・。私は周りの目や評価が頭から離れないので好きなこと・モノを我慢して身動きでずに生き辛さも感じたりしましたかね。本当はそんなに好きなこと・モノなんて無いんですけどね。(笑) 逆に言えば良い周りの目や評価が最も好きなモノですかね?そういえば今「好きなこと」を出来ていると感じられている皆さんは、その「好きなこと」って意識して探して見つけられたモノなのですかね?(09.10.26著)・・・・・・・・・・ 「最近の女子高生の顔は娼婦みたいだ」 いつも辛口で高齢のコメンテーターの言葉です。「○○○アゲハ」とか、ホスト的水商売系の髪形・メイクも流行っているようですが、特に高齢の方はそんなイメージを強く残しているのでしょうかね。ただ髪形・メイクの好みより、そもそもいつから学生のオシャレに対してこんなに寛容になってしまったのですかね?学校や親も気が付いていそうなものですがね。 また携帯電話を持っている小学生も増えているようですね?「防犯のために」という声も多いようですが、私も子供が居たらやはり持たせますかね?常に繋がっていて管理・把握できるようにも感じますし、何よりもその方が色々と楽な気がしますので。私が子供の立場で感じれば、秘密も創り易く色々と軽く悪さも出来易くて嬉しいと感じるに決まっていますけどね。 外見や携帯の機能が原因の青少年を巻き込む犯罪やイジメも増えているようですが、青少年層は大きなマーケットでもあるのか携帯・化粧メーカーもそれに対して積極的な対策もとらないようですし、少子化もあり、学校もあまり締め付けを厳しくすると生徒集めが大変なんですかね?私も出来る限り子供にも気に入られたいですし、大人の都合も多いに感じますかね。 結果的にそこに子供の為(特に金銭的養育)も含まれてしまうことも少なくないですかね。色々立場でジレンマ感じますね。また是非は別として、私の学生の頃の締め付けと比べると、今の学生にはとても嫉妬は感じますけどね。その時々の立場(環境)ならではの苦労もあるのでしょうけれど、私と同年代の親さんは自分の子にそんな嫉妬も感じませんかね?(09.9.22著)・・・・・・・・・・ “This is it” 基本的に音楽は童謡や学校唱歌(滝廉太郎など)が好きですが、高校でニューウェーブやインディーズ、大学でパンク・ハードロック・プログレなど、マイナーだったり複雑・ひねくれたモノを好むことが格好(センス)が良いという環境の中にあり、それに流されてきて・・・ただ気が付くと、M・Jだけは昔からテープなどによって記録されていたりましてね・・・ キング・オブ・ポップなんですけどね(笑)今ではポップなモノの気持ちよさも素直に感じられるようになり、個人的に好きなボーカリストの3本指に入ると堂々といえますけどね。ただ相変わらす今のポップな邦楽は苦手ですが・・・(笑) 彼の言葉に「観客が望んでいるのは非日常的な時間」といったような趣旨のものがありましたかね。確かに彼の中には自分の人種に対してのコンプレックスも強く感じますが、人工的で日常では異質に感じるあの容姿が逆に人間から遠ざかって(ある意味『神』的)ステージでは一段と映えて見えますかね。今回はコンサートのメイキング的映画でして・・・ 彼の色々な拘りが見られて、今までのコンサートフィルムよりも感動も+αでして・・・ただあんなの見せられると何もやる気が失せてしまいますね。比べるレベルがズレているとも感じますが、やはり劣ると解っていて表現する気にもなれませんしね。また映画の中で自然破壊に対する途上国への批判的表現もありましたが、ちょっと興ざめも感じてしまい・・・ 個人的には純粋に彼の特に歌声によっての感動を欲していましたし、彼自身は確かに莫大な寄付もしていたようですが、それでも有り余るような贅沢な生活をしていたようですし・・・ただやっぱり彼のパフォーマンスは格好良くて・・・「それはそれ、これはこれ」・・・とても便利な言葉でヒトの本質であるようにも感じますかね。(09.12.3著)・・・・・・・・・・ 「ブラボ~!」 オーディション番組において、素人さんが一夜にしてスターになってしまったりしていますね。例えば容姿が冴えない人がとても綺麗な声で歌を唄いあげたり、また子供が大人まがいの技を見せて周りの人を驚かせたりして・・・。ただ冷静になって他のプロのヒトが見たりすると、その技だけを見ればその位の人は他にも居ると感じている人もいると感じますかね。 感動を誘った原因は、「子供」や「冴えない容姿」のような元々薄かった(低かった)期待を破られたこと・・・『ギャップ』にあると感じますかね。また、恋人から毎日の様に暴力を受けているのに、極稀に「優しさ」のようにみえるモノを忘れられず、いつまでも別れられずにいる人も居るようですが、『ギャップ』には通常よりも強く人を惹き付ける力を感じますかね。 先日目にした歴史的人物の紹介番組において、高評価であった人物が下げられ、また逆であったりされていました。科学も同様ですが、比較的歴史の分野は学者などの信念の強さが反映(現象・物質化)もされ易く、次々と新しい証拠が創ら(生ま)れ、「過去」を解き明かそうとしていても、実は「今」から創り上げられた「未来」になってしまう要素が強いとも感じます。 世の中の全ての基本に自己主張があるとするならば、既存の価値観を次々と塗り替えていく営みが常であると感じます。またこうした180°変えられて表現されてしまったモノは、既存のモノが行き詰った時など特に説得力を感じてしまいませんか?『逆転的発想』と言いますか、この手法は時にヒトの価値観を易く変えてしまう力を感じてしまいます。(11.10.24著)姉妹日記「価値」へ / 「索引1」・「索引2」・「索引3」へ
2007.12.25

「浮世絵」の技法にも今の「漫画」に繋がるモノを感じますかね。 「(セル画)アニメーション」も私の子供の頃は、単に「(TV)漫画」って言ってまして、「アニメ」という言葉のニュアンスには今でも違和感があります。個人的に何か軟弱で気持ち悪い響きなんですかね。そして子供向けとは言え、昔は良い意味でも悪い意味でも内容は重くてストレートでしたかね。 「みなしごハッチ」・「けろっこデメタン」・「樫の木モック」というTV漫画がありまして、「好き」とは別に、ほとんどの情操教育をして頂いた強烈な記憶があります。「いじめ」とか、「差別」色の強い作品でしたが、子供なりに色々感じ、毎回泣きながら見ていたように記憶しています。(竜の子プロでしたかね?ここは好みの作品がいっぱいあった記憶あります) ただ、重くてストレートな表現だっただけに、今では「いじめ」などを助長するとかいって、放映も難しそうなモノも多かったように記憶しています。一方、今の子供アニメの「正義」からは、決められたのイメージへの矯正的な教育のようなモノと「軽さ」も感じられます。是非はともかく、個人的には先入観抜きに色々な立場に感情移入できるモノが良いです。 やっぱり私の子供の頃も「いじめ」はありましたね。ただ幸いなことに、1クラスの中に複数のグループがあり、1つではじかれても他で受け入れられ、決して孤立することはありませんでした。また、調子に乗ると誰もが例外なく「いじめられっ子」の対象になっていました。私も両方の立場になり、また両立場の根底に似た気質を感じることもありましたね。 後にリメイクされた作品もあるようですが、是非オリジナルも見て頂きたいですね。漫画+擬人的表現の作品に、ストレートな表現を緩和する意図も感じますが、より「人」から遠ざけてあったので、小さい頃から世の中に「裏表」を感じていた私には、その分入り込み易かったように感じています。ただ、今はあまり見たいと思いませんがね。(笑)(07.11.14著)・・・・・・・・・ 「スポ根」モノも大好きでした。 昔の漫画に比べ、今のは精神的な描写も深くなって来ているように感じます。他人と関わって、精神的な変化が起きる点では変わりませんが、今のモノは、自分の内面に強くその目が向けられ、それぞれ自分自身で意識的に精神的な変化を起こしていくような感じですね。私の気質もそうなので、共感を持っています。 ただ、昔のひたすら「根性!」の頃は、他人によって無意識に精神的な変化を起こされるような感覚に、今のモノより、他人との関わりの深さを感じられ、憧れを感じているのも事実です。また、今のモノは製作者の世界観は深くなっている分、それを見る側の人それぞれの感覚を画一的な世界観に導入するような、「マニュアル」的な力も感じてしまいます。 「マニュアル」に従う側は、事前に事態を把握したような感覚になり、ある意味「安心」や「信頼」も置き易いと感じますが、様々な所でその「マニュアル」的な対応が歪を生んでいることも少なくないようにも感じます。私は少し窮屈さも感じてしまいますが、今やっていることも少なからずそれに値するので自分の中でジレンマも感じています。 皆さんにも漫画から強く影響を受けている世界観の1つもあるんじゃないですか?そして、昔、「漫画」で想像されたモノが、予想より速いペースで沢山現実のモノになっていますね。想像されたモノの現実化はとても大変なことですが、「無からの想像」にもとても大切さを感じます。(07.11.16著)・・・・・・・・・・ 昔の漫画の実写映画も最近増えていますかね。 私もロボット漫画が好きでして・・・というよりも、動物や怪獣など、色々な形があるモノに惹かれるといいましょうか・・・初代の「○○ダム」も好きでしたね(イデ派でしたが)。放映されていた頃はもう中学~高校生と、いい歳でしたがね。プラモデルを買うために子供に混ざって並んだり、完成したプラモデルを品評会に出展し、賞も貰ったりしていましたかね。 ただその頃は、表立って「○○ダム(アニメ)好き」とは言いづらい雰囲気が強くありましたかね。「オタク」的イメージはとても体裁悪かったように感じますね。今では「アニメ」世代が一線で活躍する歳になり、尊敬や憧れたりする有名人やクリエーターの映画・ドラマ等のマスコミにおける一種の「カミングアウト」のお陰で割りと認知もされてきていますかね。 私も歳をとって、自然に「○○ダム」好きも薄らいでしまいましたが、特に日本のドラマや映画においては、シリアスなモノよりも、漫画のような大袈裟な芝居や世界観のモノを今でも好みますかね。スケール的問題もありますが、シリアスなモノは、特に日本の役者さんは日常(裏)がチラついて、照れ臭くなってどうにもストーリーに集中できないのですよね。 そういえば先日TVの新作映画紹介で、「エウ○○セブン」というアニメを目にしました。元々TVで放映されていたモノらしいですね。その中の表現に幾つか共感出来るモノがありましてね・・・例えば「思考はエネルギー」とか・・・?久しぶりに今(?)のアニメをちょっと覗いて見ようかな。(09.9.10著)・・・・・・・・・・ 私はディズニーランドが苦手でしてね・・・。 デートなどで好きな人を連れて行くぶんには話題に事欠かず、会話も弾んで便利なのですが・・・そこにいるキャラクター達が苦手なんですよ。だって人が入っているんですよ!抱き付いたりしている人も見ますが、信じられない!大人同士ならまだ割り切り(ノリ)もありますが、私に子供がいたら逆に説明に困りそうです。もっとも本物でも困りますがね。(笑) また建物に遣われているコンクリート製の偽石や偽木・飾りの「張りぼて」感がなんとも気持ち悪くて・・・。建築の勉強をしていたこともありましょうが、至る所で偽物的感覚を感じてしまい、あの世界観に浸ることが出来ないのですよね。子供の頃はよくヒーローアトラクションを見に行ったんですけどね。ほんと、スレましたね。感動も減りましたね。(笑) よく女性が好きな男性の条件に「嘘をつかない男性」を上位にあげていますが、言った本人はたっぷりお化粧をしていたり・・・あれ、お化粧は相手に気遣った身だしなみでしたっけ?個人的にお化粧は苦手なのでつい突っつきたく・・・。(笑)反れましたが、私のように「嘘」(気遣いも含め)を多用する人間に限って、他人の嘘に過敏だったりもするんですよね。 また夢のある世界観を創造出来る人ほど裏に厳しい現実(現実主義)を強く知(持)っていたり、理屈(理性的・男性的)人が意外とロマンチックな理想主義だったり、感覚(感情的・女性的)人が意外と物質欲の強い現実主義だったり・・・。夢があったり悪意が無ければ嘘も悪くないってことなんでしょうが、感じる「気持ち悪さ」に嘘もつけず。(09.12.15著)・・・・・・・・・・ 最近めっきり涙もろくなって・・・ 私はとてもドライな性格なので、悲劇のドラマや映画を見てもめったに涙を流しませんかね。私がドラマや映画に求めるモノが主に映像技術やアイディアであることも要因になりますかね。特に日本の役者の演技においてはシラケてしまうことが少なくなく、動物やロボット、アニメーション等の擬人的表現になると感情移入できて泣けてしまったりするんですよね。 私もスタジオジ○リの作品は大体見ていると思いますが、その世界観や丁寧な作品作りなども含めて感動させて頂いています。ただそのアニメーションであっても、戦闘や暴力・災害など、時に「死」にも絡むシーンがないと物足りなさも感じてしまいましてね・・・ほのぼのとした懐かしい世界観や純な恋愛・家族兄弟愛描写等だけでは気持ちが動かないのですよね。 ニュースやドキュメンタリーでは悲劇的なシーンを見ても涙が出ることは無いですね。偏った立場ではなく、同時に複数の立場に常(無意識)に自分を置いているのですよね。ただ涙を流している人を直接見ると私も涙が出てくるんですよ。悲しんでいる原因からくる同情的な「悲しい・悔しい」の感覚はなく、つられるようにとにかく涙が出てしまい・・・ そういえば音楽(歌詞の無いモノが多いですかね)を聴いている時や、施術の時に同じような感覚を得られることがありますかね?そしてまた常にその自分を感じている冷静な別の自分がいるのです。(10.12.8著)・・・・・・・・・・ 「アニメのキャラクターは裏切らないから♪」 TVでオタクと呼ばれる人達が言っていました。私も実写モノの作品よりもアニメーションのモノの方が感情移入し易いと感じていましてね・・・特に日本のモノは役者さんの日常(裏)的なモノがどうしてもチラついてしまいましてね・・・そういった意味においては彼等のそういった発言にも共感も持てますし、純粋さなども感じたりしますかね。 ただそのアニメのキャラクター達もヒトが創ったものですよね。おそらくそれでお金儲けをする意図も少なからず含まれているでしょうし、その対象として当然そのオタクと呼ばれる人達が事前から当てられているでしょうし・・・つまりは実質的には私も含め、そのアニメのキャラクター達に騙されて(裏切られて)いるということになってしまうのでしょうかね? 少し反れますが、最近K-POPが世界中でJ-POPを凌ぐように人気だそうですね。長い時間やお金を賭けてアイドルを育てるそうで、私も確かに日本のそれよりも洗練されたクオリティの高さも感じますかね。ただ日本がアイドルの育成法において遅れているとは感じないのですよね・・・K的育成法は数十年前に既に日本が通ってきた道のように感じますかね。 確かにクオリティの高さに違いは感じますが、メディア等の発達で現在の環境全体のクオリティが上がって、昔よりも高感覚・高クオリティなスタッフが増えただけで、日本の芸能界はある意味成熟してしまったため、次の育成法としてファン参加型のモノに移行し、ある意味素人的・子供的・幼稚的・漫画的なアイドルがウケているひとつの要因のようにも感じますかね。 某アイドルグループの人気ランキング1・2位は、割と普通(素人的で馴染みやすい?)な容姿の子であるようにも感じますかね。まあ財のあるファンが一人で何回も投票している様なので、今の人気の発端の信憑性には少し疑問も残りますが・・・?そしてオタク達によって大きくして貰ったのに、彼等を気色悪がる仕草を目にしたときは、切なさも感じましたけどね。 他の国では子供の大人顔負けのパフォーマンスがウケることはざらに見ますが、日本のように子供が子供そのままに、あるいは大人の子供的・漫画的な一見未熟な表現もウケる国もそう無いと感じますかね。大人でも漫画を普通に読む国民性でもあり、裕福な環境がいつまでも精神的に子供で居させてくれるのか、また建前的気質が純粋なモノを強く求めるのか・・・ 男女問わず基本的なロリコン(純粋を好む?)気質を根本の要因にも感じますが、好き嫌いは別として見れば、今のアイドルの形がある意味日本のオリジナル性を強く具えた一つの形なのかな?(11.12.18著)姉妹日記「日本」へ / 「索引1」・「索引2」・「索引3」へ
2007.12.18

そもそも陶器を作るきっかけは、失業でしたね。 会社に対して不信を持ち、争って、結局会社に居づらくなって辞めました。しばらくその不信感から再就職する気持も失せ、家で何もせずにいました。だんだん居心地が悪くなり、少し体裁を整える「安心を得る」ために粘土をいじったのが正直なきっかけです。まして母の大好きな陶芸だったのでその名分には最適でしたかね。 ただ、その期間は必死で作りましたね。ある意味追い詰められていましたからね。ただ、やはり気持(体裁)の悪さは常について回りました。そして、縁があり、再就職する訳ですが、経済的・体裁的に満たされてしまうとモノ創りしたい気持が失せてしまいます。そして忙しくなって「仕事だけ」な感覚になると「変化を得る」ためのモノ創りが恋しくなります。 小さい頃は、やはり存在を「認められたい」・「褒めてもらいたい」的にモノ創りをしていたように感じます。また人との直接のコミュニケーションが苦手であった私にとってはスポーツ等と同様その手段であったことも感じています。ただ、社会人になって仕事でそういった欲求がある程度満たされると、「安心・変化を得る」ような意味合いが強くなったように感じます。 そしてまたモノ創りには、自分にしか理解できない世界観を創ることにより、その世界観の中においては、誰よりも上位で居られるといった「安心感」も得られたりするんですよね。結局この「安心・変化」も「認められ(解ってもらい)たい」ですかね。いずれにしろ、純粋に「好き」といった感覚ではないように感じます。言い訳や溜まったモノを吐き出すような。 美術館に行くと頭痛がするのは、「共鳴」とか言って、そんな自分の感覚を他人の作品に当てはめるからかもしれませんね。もちろん日常的に好きなこと(欲求を満たす)をしている(勝手な私の想い込みですが)人への「嫉妬」は大きいと感じていますが。もっとも、「好き」という感覚も、欲求が満たされた行為・モノに当てられることが多いようにも感じられます。 会社に反抗している時は、仕事よりも「反抗」自体にやりがいを感じていましたね。「変化」を求めるように。そして辞める(変化が起こる)と、今度は「安定」が欲しくなるんですね。これまでの人生、それの繰り返しのように感じています。また、反抗したくなるきっかけも、表向きのモノとそうでないモノとをいつも一緒に感じています。 人は、「変化」も「安定」も求めるんですよね。矛盾しますよね。究極の「安定」(安心)を求める過程が「変化」(不安)とか?でも私は常に刺激が欲しいし・・・。「攻・守」や「活・休」・「静・動」・「陰・陽」とかいうバランスの話になるんですかね?いずれも「欲求」(ワガママ)の形とも感じますがね。「無いモノねだり」と言いましょうか・・・。 少なくともこんな私には、生きていく上で大切な無限の「想い」サイクルであることは実感しています。ただ、「安定」(安心)も「不安定」(不安)からの変化でしょうし、逆も含め、世の中常に変化なんでしょうけどね。(笑)(07.12.15著)・・・・・・・・・・ 私は「片付け」が苦手です。 何か建設的でなくて、とても無駄なことのように感じるんですよね。もっとも仕事となれば別ですが・・・お金になるので、ある意味建設的に感じるのでしょうね。そして一度「片付け」を始めてしまうと止まらなくなるんですよね。部屋の「片付け」を始めると、全く別の部屋になってしまいますね。新しい家具を造り増したり、逆に何も無くなってしまったり・・・。 「片付け」をするにあたって自分の中に建設的な「言い訳」が欲しいようです。そして一度始めると徹底してやらなければ気が済まなく、とても大事になるので始めることがとても憂鬱になってしまうようにも感じます。私の周りの芸術家的気質の人にも同じような癖を感じることが少なくないですね。何かバランスをとるような感覚さえ感じます。(08.9.18著)・・・・・・・・・・ 学生時代に美術の「自由課題」で作品を提出出来なかったことがあり・・・ 完全に自由だったので、どうしたら良いか解らなくなってしまったんですよね。あまりにも選択範囲が広すぎて、創るモノのきっかけが掴めないといいましょうか・・・。その点建築には色々な規則が沢山ありまして、とても計画(計算)的なイメージもありますが、それを一つ一つクリアしていくことで、時に思いも付かないデザインが出てきたりするんですよね。 例えば金属やコンクリートなどで造られた角ばって固いイメージのモノを、例えば布や毛糸など角を出しにくい柔らかい材料で、ある意味無理やり再現してみただけで、なんとも想像もしていなかった別の創造物(オリジナル)のようになったりしませんか?これも「規制」(材料の性質の違い)による一つの効果だと感じますかね。逆転的発想でもありますかね? どうですかね?デザインに拘らず、時にはそういった「規則」の中にいることで、逆に色々なアイデアが広がったりしませんかね。何をやったら良いか迷う辛さもなく、逆に楽に過ごせたりしませんか?例えば・・・「最近の女子高生は、休日でも制服で遊ぶ」・・・先日TVで見ました。普段の制服とは別に、「なんちゃって制服」とかいうモノを持っているようです。 「高校生の時にしか出来ない格好だから」という答えが多い中、ある女子高生のインタビューで「私服になるとどんな格好して良いか判らない」と言っていましたね。自分のセンスに自信がなく、服選びやコーディネートに煩わしさを感じているようですね。ある程度大まかに決められたルールの中で細かい所で個性を出しているようですね。 私は大学生の時は、2日と同じ格好をするのが気持ち悪くて頻繁に髪型や服を変えていましたね。周りの反応も楽しかったのですが、1週間に3度自分でパーマをかけ直して髪の毛がブッツリ切れたり、ズボンを裏返して穿いてみたり、新しいモノを切ったり縫ったり折ったり重ねたりして3日でダメにしたり・・・恥ずかしいから実家には帰ってくるな!って。(笑) そのうちに周りが期待しているような気がして、自分自身で変なプレッシャーを創り、やめられなくなって毎日が辛くなっていましたね。その反動からか今ではもっぱら無地の一張羅で毎日を過ごす事が多いです。ただお店に行くとどうしても派手目な服に目が行くのですが、「何処に着ていくの?」と自問し、昔の派手な服も箪笥の肥しとなっています。(09.7.8著)・・・・・・・・・・ 日本は外国からなめられる? 最近の領土問題に対する日本政府の対応の甘さにそんな懸念も出てくるでしょうね。私も、特にその日本の対応に対しての外国の反応を見ると腹も立ちましたが、国益を守ると称し、主に経済的なモノを最優先したような日本の態度にもがっかりもしましたかね。ただ、日本国民が某国のように他国の旗を燃やすような気質であったらそれもがっかりですかね? おそらく諸外国の反応を見て、「ガキみたいな・・・」的印象を持った人も少なくないと感じますが、日本人の多くは表向きの勝利だけでは全ての欲求を満足できる気質ではなさそうですね?時には「負けるが勝ち」的、もう少し志の高いと感じられる勝利を好んでいたりもしますかね?もっともその「志の高さ」も日本の勝手な価値観であるようにも感じますがね? 自分ではもっと次元の高い所で勝負して勝ったつもりになっているのに相手はそれに気が付かず、解り易い表向きの勝負に勝って喜んでいる相手の姿を見てシャクに触ってみたり・・・ただそれを相手に理解させようと説明することもその「志の高さ」から外れるような気がしてプライドが許さなく、結局自己満足で我慢するしかなくて消化不良になって・・・ 実力のある外国人横綱を「品格が無い!」として追い出した国ですし、おそらくここまで我慢(無関心?)出来る民族は他には少ないと感じますから、今回の政府の対応の結果には国家間のいざこざを治めた「大人な国」として、もう少し理解を示しても良さそうな気もしますがね?ただ政治家からは「志の高さ」よりも自己保守的な対応しか感じませんでしたけどね。 「ガキみたいな・・・」国に認められて嬉しいですか?残念なことに少なくとも悪い気はしなかったりするんですよね?やっぱり自己満足に終わるのではなく、例えそれが尊敬を置かない人達であっても、他人に認められて初めて満たされることが世の中少なくなく、人により生きる意味などがそんなところにあったりもするんでしょうね?また巡りました。(10.11.7著)・・・・・・・・・・ ‘11を象徴する漢字は「絆」でしたね。 大きな震災に対し、全国から沢山の寄付や志が集ったり、現地での秩序ある行動が世界的にも尊敬を受けたりして、日本人全体の気質を褒められているようで誇らしささえ感じましたかね。私は直接被災した立場ではないのでそこに便乗している感があり、同時に少し引け目も感じていますがね。そして同時に「絆」の薄さも露呈してしまったようにも感じますかね。 例えば政治家達の対応ですが、相変わらず自分達の身をほとんど削ろうとせずに、「日本全体で痛みを分かち合おう!」的な体裁の良い名目を掲げ、消費税を上げる話が先に進んでしまっているようで・・・そしてまた、瓦礫の処理に対して他県への協力の要請があるにも拘らず、受け入れ先からは反対の声が少なからず上がってしまっているようで・・・ 前者に関して「日本全体で痛みを分かち合おう!」的な考えで言えば、例えば議員定数などを削る方法では一部の人達だけが痛みを被るので、議員全員の歳費を3分の1くらいまで下げれば良いと感じますがね。そもそもこんな事態でなくても一般の給料の平均が500万円にも満たないのなら、その税金で養われている彼らの給料は3分の1でも多いくらいじゃ・・・? 後者に対しては、表向きは「日本全体で痛みを分かち合おう!」的な対応になっているように感じますが、それによって実際に強く被害(風評等)を被るのは一部の職業の人であって、そこから外れる人達はなにか自分も役に立った感覚に満足も出来そうですが、実質的には「日本全体・・・」というところからは大きく外れてしまっているようにも感じますかね。 私に子供がいたり、風評を強く受ける職業に就いていた立場であったなら、そこを押してでも賛成にまわれる自信もないですかね?というよりも、私の気質上そういった自分の正義観を通せないような立場には最初から身を置かないのでしょうけれどね。そしてヒトの基本に「欲求を満たす」があるのなら、その正義観自体も様々で信用は置けないですが・・・(12.1.7著)姉妹日記「気遣い」へ / 「索引1」・「索引2」・「索引3」へ
2007.12.16
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