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今日はこの時間までぜんぜんPCを開くことはできませんでした。下のWとAのバレエのサマースクールの仕上げの日ということで、朝から練習場に赴き、ビデオを撮ったり先生のお手伝いをしたり・・・、帰宅後は買い物、3つのレッスン、料理、一つの電話相談で、やっとここにいます。 バレエの方は久しぶりに子どもたちの躍る姿を見ました。バーレッスンからクラシック、コンテンポラリーの踊りまで・・・、この1年の子どもたちの成長振りには目覚しいものがあります。下のAまだレッスンを初めて2年目に入ったところ、でもすっかりバレエの基本的ポジションと動きが体の中にしみこんだようです。もちろんまだまだ筋力がないのできちんとはできないけれど、学校の先生が「Aちゃんはものすごく真剣に取り組んでくれます」といっておられたことを、ようやくこのバレエの姿を通して私も理解しました。 本当に先生を食い入るように見て全くよそ見をしません。彼女が時々「バレエの先生は怒らはると怖い」て言っていましたが、あそこまで先生に集中していたら、誰に対する言葉かけであっても、全部自分のことになってしまうでしょうね。決して家では見せない態度でした。一方5年生のWの方は言わずと知れたバレエ第一主義の彼女のこと、つまりバレエのためなら学校もやすやすと欠席するほどの傾倒ぶりですから、こちらの関心は彼女が自分のビデオを見てどんなふうに思うか?ということでした。 W「思っていたよりいいかもね。」とひと言全体を通した感想を述べ、後は動きと衣装の関係、どんなときどんな風に長いスカートが動いているかをしきりにおもしろがっていました。 どの子もきりりとしたうつくしいラインと無駄のない動き、そして動きに合った表情を目指して、着実にランクアップしていて、とても気持ちいい。 中でも今回参加者の最年長中学2年生の女の子たちのソロにはちょっと驚かされました。彼女たちのためにショパンのノクターン20番に振付けられた作品なのですが、スローテンポの中で14歳とは思えない内面を表現していたからです。 バレエの先生はずっと前から「子どもたちは噴水のようだ。バレエの基本をきちんとマスターすると内に秘めた自分の感覚を見事に噴出させるようになる。」とうとう、その時代が彼女たちには到来したのだなぁと思いました。子どもたちの未来に、拍手を送りたいです。
2009.07.31
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朝出かける前に友人からメールが入った。ちょっと声が聞きたい。お電話してみると、昨日の元気なメールとはうって変わって声が震えている。 身内ではないけれど今の自分を築くに本当に力になってくださった方が昨日天国に行かれた、と今朝聞かされたのだという。 つい先日ご自宅にうかがってお中元をお届けしたときも、家族の方が出てこられて何一つそのようなことをおっしゃらなかった。確かにこの数年、ちょっと具合がお悪いとは小耳に挟んでいたけれど、どこがどうなのかということも全く知らなかった。 あまりに突然すぎる悲しい知らせにどうしたら良いか分からない、と泣きながらぽつぽつと伝えてくださった。 本当にこういう知らせは突然やって来る。心の準備もできていないうちに、もうその方とはお会いすることはできない、という現実を突きつけられる驚きと、悲しみ。どれだけ大きなショックが友人の体と心に引き起こされたことだろうと思う。 でも亡くなったその方もご家族も、友人のことをよくよく分かっておられたのだろう。前もって友人に自分の病状や様子をお伝えしたら、もっともっと大きなショックが長く長く続くに違いない、と考えられたのだろう。「この唐突なお知らせも、きっとあなたの大切な方からのプレゼントなのね。一番あなたが受け取りやすいように、よく何度も考えて決断されたのだと思うよ。あなたは幸せな人ね、そんなにも考えてくださる方に出会えていて・・・。自分のために涙してくれるあなたのそばに、今日は何度もその方はいらしているのじゃないかしら・・・。今、よみがえってくるその方との大切な思い出や伝えたかった気持ちを、心に思い起こすといいよ。きっとその方はあなたの思いを受け取って下さると思う。その方もどんなに嬉しいでしょう。あなたが何よりしっかりとした足取りで毎日を過ごせるようになってきていること、それが自分のおかげで支えてもらったんだ、てあなたからの感謝の気持ちを受け取ったら・・・。最高の花束!天国の門に入るとき、たくさんの花束に包まれてきっと今まで経験したことのないような幸福な気持ちになられるでしょう。 悲しみにあっても平安と生きる希望をくださるその方に感謝ですね
2009.07.30
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朝、下の子どもたちがバレエのサマースクールに参加している間、私は子どもたちのレッスン場近くに住んでいる友人を訪ねた。今日友人主催の読書会が開かれるから・・・そして今日は私の担当で、去年だかここでも紹介した「子どもという哲学者」ピエーロ・フェルッチ著 草思社 を皆さんに読んでもらったんです。私も去年以来読んでなかったので、アーミッシュの本と平行してここ数週間読み進めようとしましたが、今日行きしなの電車の中でようやく半分まで辿り着いたというところでした。「子どもは親の内面を生きる」P81 子どもは僕らのもっとも深いところにあるものを、じかに明敏に感じとる。保護膜がないから、ぼくらの気持ちをぼくらより強烈に、敏感に感じてしまう。理屈に合わないようだが、僕らの心理状態を、説明も解釈も聞かないのに、ぼくら以上につかんでしまう。 このために子どもが動揺するのは、よくあることだ。彼らは大人と違って、フィルターも防御壁も持ち合わせていない。まさに透明であるわけだ。子どもは澄んだ素直な心によって、僕らが隠したいこともあばいてしまう。私も子どもにこれは言わなくてはならないと思うった時、私がこうむった被害のことは別として感情は入れまい、と普通に子どもに伝えているつもりでも、彼らは言ったのです。「何でお母さん、怒ってんの?」え、何でばれちゃうんだろう~~親子に限らず、夫婦でも友人でも、長きにわたって親しくしていれば、言葉上や表情以外のところからいろんなものを感じることができるようになっているのではないかしら・・・。だからいくら自分の内面を包み隠そうとしても、それは相手に流れていってしまうのかなぁ。それがピュアでダイレクトな子どもなら、それこそあけすけに私たちの内面を暴露してくれるわけだ。それを見せられた親たち、大人たちはどんな風になるだろう。このピエーロは正直で素直な人間でなおかつ心理療法士でもあるから、自分の見たくない心の深~いところにぎゅうぎゅう詰めにしてあるものが、子どもによって見事に掘り起こされたとしても、「やられた~~」と笑いながら冷静にそれと対面することができる。でも私たちのように普通の、心の訓練もしていない者が、そのようなおどろおどろしいものと突然目と鼻の先で出会わなければならなかったら・・・めちゃめちゃ反発して、そんなことあるはずないし~~「全部、あなたが悪いのよ~~」と子どもに当り散らすに違いない。子どもほど、厳しく親を教育してくれるものはいないね!!
2009.07.30
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今私は,友人としてそばにいて下さる方々によって自分の毎日をより一層恵みあるものにしてもらっているような気がする。中でも私にいろんなこと考えさせてくれる人が二人、その方々の共通なものは何なんだろうと思ったら、その素直な心だった。どちらにも偏らない、やってくるものをそのまま心に受け入れて、自分の中でともに生きようとされる。自分との隔たりや好き嫌いがあったとしても、先ずは跳ね返したりせずに、自分の中に入れて、見つめようとなさる。その姿は子どものよう・・・。そうだ、うちの下の子どもたちも一丁前に自我を持ってあれこれ主張し、誰かの意見にハイ、と乗っかるのではなく、自分の考えや感じ方を徹底的に相手に伝えたいと我を張っている。もう素直に何でもハイ、とは受け取ってくれない。そんなときに現れた二人。神さまは私に透明な素直な心を忘れちゃいけないよ。彼らによってもたらされる恵みをしっかり受け取りなさい。とおっしゃっているのだと思う。
2009.07.29
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朝、高3生Sの個人懇談にて、先生「Sくん 頑張っている?もう一息 本気じゃないでしょ! 数3Cの授業で寝てるって誰か言ってたよ」S「そんなことありませんよ。数学の授業で寝るなんてできるはずがない。解かなきゃいけないんだから・・・。でもなぜかぼくが考えていたら、寝てるって勘違いするルームメイトがいるんです。」先生「そういえば、今年は他の教科の先生から、『S君が提出物出してない!』て苦情ぜんぜん聞かなくなったね。ちゃんと出してるんだ!!」S「ハイ、できるだけぼくも頑張っているんです、もっとも死んでいるときもありますけど・・・」「で、進路の方だけれど、具体的になってきた?」「それが、正直言ってこれって言うものがないです。まぁ好きな分野はあるんですが、それを仕事にしますか?て言われたら、いやぁそれはどうやろうと思ってしまうので・・・。」「Sくん理系だけれど、模試の志望校には文系のところも書いてるのね」「自分にとって意味のある勉強は何か、て考えたときに、やっぱり教育とか心理というのは必須かなっと思って・・・ 」「なるほど、確かに誰にとっても必要な勉強だと思うわね。とにかく君にとって有意義な進路にして行こう。先生、期待しているしね!!」私「そうそう、私も大いに期待しているわ」S「え!そうなん?それはちょっと・・・」私「何言っているのよ、17歳18歳のこの若いときに期待してもらわなくて何時してもらうつもり?私みたいに50歳になってから期待してもらいたいの?」
2009.07.28
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「ラムシュプリンガ」てご存知ですか?14歳で学校を卒業したアーミッシュの若者たちがグループを作って彼らが主体になって活動します。その時期を「ラムシュプリンガ」というらしいです。アーミッシュは学校を終えるともう大人扱いです。周りの世界のティーンエイジャーたちは高校や大学で自分探しをすることができるけれど、彼らにはそういうチャンスがない。だから代わりに「ラムシュプリンガ」があるらしい。若者のグループだから羽目をはずしたり、恋愛をしたり、それまで厳しくアーミッシュの生き方を仕込まれてきたけれど、ここでは比較的自由に行動をとることを許されているそうです。だから世間並みに街へ繰り出してバーで遊んでみたい海に行ったり、時には大人たちをハラハラさせるようなことをするグループもあるらしい。でもこうやって自由な時間をもらうことによって、自分たちのコミュニティーが大事にしているものや大人たちの生き方を再確認することになり、やがてそれがアーミッシュである自分というものを見つけていくことになるそうなんです。10人に9人の若者がこのコミュニティーに留まる決心をします。その自覚によって、洗礼を受け、結婚することによって「ラムシュプリンガ」を終える。「縛りを解き放つ」それがアーミッシュコミュニティーの結束を強めていたのです。まさにうちの上の子どもたちも「ラムシュプリンガ」真っ只中だ~~
2009.07.27
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今日のごミサの福音はヨハネ6章1-15節でした。結構有名で不思議な話の一つ。大麦のパン5つと魚2匹を皆で分け合ったら、およそ5000人の男の人たちが満腹に食べて、なお残ったパンくずを集めたら12のかごがいっぱいになった、というものです。何でこんな不思議なことが起こったのでしょうね。実は皆それぞれに少しずつ食べ物を持っていたのでしょうか?お説教を聞きながらアーミッシュのことを思い出しました。1900年ごろ、アメリカ、ランカスターに住み着いたアーミッシュは500人ほどでした。100年後の2000年に何人になっていたと思います?27000人、50倍以上です。アーミッシュの周りにいる非アーミッシュの人々はアーミッシュが移住してきたとき、100年後の彼らの姿を想像できたでしょうか?可愛そうな彼ら!そんなにこだわった行き方していたら、若者はすぐに離れていってアーミッシュの村はすぐに消えていくでしょう・・・、そう思っていたのではないかしら!!現実は人間の想像をはるかに超えている。こういう人間の予測や想像とはすっかりかけ離れた現実というものは確かにある。魔法的な奇跡ではなく、私たちの分からないところで多くの恵みがほとばしっているのではないかしら・・・ね!
2009.07.26
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W「お母さん、このクッション作りたいんだけれど・・・」「あぁ 編み物のクッションね。棒針編み、Wちゃんできるかなぁ?W「教えて~~」A「私もやってみたい~~」「Aはちょっと難しいかもしれないから、鈎針にする?」「うん」ということで、毛糸と針を持ち出して、Wには棒針の表編み、Aには鈎針で鎖編み、細編みを教えました。さっきまでの騒々しさが嘘のように、静かな時が流れています。一目一目できていくよ、嬉しいね
2009.07.26
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お疲れさまでした!! ありがとうございました!!今日も無事院内「七夕コンサート」が終わりました。 家を出る時は土砂降りの雨で友人のNさんが車で迎えに来てくださったのですが、パーキングから病院までの数分の歩きで、すっかりびしょびしょ いつもお客さんが入ったらあつ~~くなるホールが、今日はなんと寒!!控え室も寒! 空調を新調されたらしい・・・おかげで大雨でも中はひどい湿気に襲われることなく良かったけれど、冷えて指は動きにくそうだった。友人はVcだったので余計に動きが悪くなる・・・。演奏の後、「ちょっと悔いが残るなぁ~~」と彼女。うん、私もいつでもリハーサルの時のように弾けたらどんなにいいだろうと思うけれど、本番はどうしても弓の使い方が下手になる。つまりそれだけ弓の扱いはデリケートな作業をしてるということなのですね。本番目減りはある程度は致し方ない。でも今日の演奏は皆楽しんでくださったと思う。初めてVnとVcのデュオを聴かれた方も多かったし、知的障害や多動の子どもや肢体不自由な人たちも耳をすませて聴いてくださった。ご一緒にどうぞ、て「浜辺の歌』を弾いたらそういうハンディキャップを持っている人の方がすぐに声を出してくださる。弾く人と聴く人がすぐに音でつながることができるって素晴らしいことですね。今日一緒に弾いてくださったNさんも、いつも今できるベストを見出すために、より良くするための工夫、共同の曲のイメージ作り、録音チェックなど、素直な心でして下さる。一緒にやる私もすっかり安心してやることができるのでとてもありがたいです。ありがとう!ご苦労さま、またよろしくお願いしま~~す!!
2009.07.25
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昨日友人と会ってお話したとき、「彼は、私が『~~しておいてね』とお願いしたことをすっかり忘れてしまうので、だんだん腹が立ってくる」と言われた。そのときふいに阿南慈子さんのことが頭に浮かんだ。コップ一つ自分で動かすことができなかったベットの上の彼女は、ありとあらゆることを人に委ねなければならなかった。さらに、それを言葉で伝えることも病気が進行した後は難しかった。お願いしても実現されない様々なことを彼女はどう飲み込んでいったんだろう。 「自分が実現できないことを誰かに委ねた。その時点でそれはもう私たちの手から離れてしまった。それが実現されれば奇跡、実現できなくて普通、だって、もともと自分でできないことなんだから・・・。いつも慈子さんは『ありがとう、ありがとう』ておっしゃってたよ!」友人は深くうなずいておられた。
2009.07.24
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今日から夏休みになった下のAはウキウキ気分で9時前に学校に出かけた。クラスで学習会があって、何でも好きなものを持っていって勉強する。そしてプールに入ってから家に帰ってくる。おんなじ学校でする勉強やプールだけれど、何か違うのでしょうね。自分で決められることが嬉しいのかなぁ~~小学校は前後期制だけれど、やっぱり夏休みというのは大きな区切りになります。Wも夏休みは大好き~~といいます。好きな勉強ができるからだって!午前中、友人との時間を過ごして帰ってきたら、W「もう夏休みの算数の宿題終わったし~~」日ごろの宿題とは大違いです。他にも大きな区切りを前にしている人が2人その仕上げにToさんは珍しく午前2時まで頑張ったし、娘のKは午前4時半帰宅、そして昨日の夜はとうとう帰ってこなかった。課題今日提出できたでしょうか?大学生には受難の季節です。
2009.07.23
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「コミュニティー」 一人の女性が出産する回数は6回~10回ぐらい。つまり1家族に6、7人ぐらいの子どもたちがいる。 アーミッシュのおばあちゃんがここに一人おられたら彼女のお孫さんは、大体50人ほどいらっしゃるとか?従兄弟は75人ぐらい?なんて大きな分厚い拡大家族なんでしょう!!ど==ん ど==んと親戚一同が過ごしている。「どこで誰が何をしているか?そんなの皆が知っていますよ!!」とアーミッシュの女性。教会(区)、学校、地域、職場、親戚・・・。人々は何層にも重なる人とのつながりの中で日々を過ごしているのです。濃いですね~ TVはなく、電話はやむを得ないときだけ少し・・・もちろん携帯もPCもない。子どものときからどれだけしゃべっておられるのでしょう。誰かそんなの調べてくれないかなぁ。仕事上ではない会話に一日どれぐらいの時間を費やしているか?ここ日本の都会の人と比べればどれだけの違いになるのか、ものすごく興味深いです。何十倍?そこで培われる聴くスキル、話すスキル、互いを受け入れるための自己制御力、包容力・・・。人間が共同するための力はそういうところで培われているのではないかなぁと思います。
2009.07.22
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土曜無事に終わった小学校のくすのきキャンプ!翌日、今度は教会日曜学校キャンプ!! 下のAもWも慌しく、でもウキウキ準備して朝のごミサに駆け込んで、皆で出かけて行きました。他のメンバーは:愛宕山に泊まる人、朝から課題で大学に急ぐ人、前日から福井出張中の人、劇団の集まり出かける人、同窓会に出かける人・・・ほんと、夏休みに入ったね~~という動きです。夕飯を食べたのはたった3人で、揃って食べれたのは二男と私だけ!!これが我が家の姿????久しぶりにSとゆっくりしゃべりながら食べました。いよいよ彼は来年の自分の姿についてもう少し具体的な描きを求められる段階に入ってきました。だって来週は個人懇談だよ?「『お母さんのご希望は?』なんて尋ねられたらなんて答えたらいい?て思うわ。私のご希望~ そうね、Sが興味を持って向かえるものを提供をしてくれるようなところにあなたが入ること。ちょっと変な言い方やね。簡単に言えば、あなたの学力に合わせて大学に入っても、おもしろさや手ごたえを感じないのだったら全く意味がないもの。」「それは言えてる。でも勉強してもちっとも点数伸びひんのやなぁ~これが~」「点数とはそういうものよ。ある程度蓄積しないとね!地道にやってください」「友だちも、もういやになってきた~~って言ってる。」「でSも?」「ふ~ん、まあね~。そんなとこや」「じゃぁ、お父さんに報告しておいてあげるわ。Sは嫌気がさすほど勉強しているらしいって!!」
2009.07.21
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「アーミッシュの昨日今日明日」論創社を読み進める中でちょっと心に止まる言葉がありました。その一つが「Joy」JはJesusのJ、OはOthersのO、YはYouのYつまり、イエスが最初、ほかのみんなが真ん中、そして最後があなた(つまり自分)のことです。これは考える順番なんです。先ず、神にとってこのことはどういうふうに映るか、神様ならどう考えるか、それを基準にした上で、次に皆のことを考え、自分のことについては最後でよい、ということなのです。物事の判断の基準を明確に示しています。本当に信仰に基づいた共同生活を優先した生き方をされているのですね。もう一つは「pride」プライドはいわば独りよがりな自分のうぬぼれ、アーミッシュの人たちが最も排除したいものです。「pride」という文字の真ん中に「I」があるでしょ?これこそが自分を中心に供えていたいうぬぼれのシンボルなのよ!!というわけです。 こんなふうに、外のアメリカ社会がもてはやす、個性や自己主張は却って人間の傲慢さを表出させているものだと考えられる。 確かに、共同で何かをしていくとき、「私が私が・・・」ということはみんなの心の中に波を作り出します。家族総出で支えあっていく農業を主な職業とする彼らにとって、自分を必要以上に主張することは不要なことですね。小さな子どもたちの働きも常に全体の中で必要とされる立派な働きと見ていく活動なのですから・・・。
2009.07.20
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今朝は一年ぶりに就園前の子どもたちのクラス「Kids クラブ」に行って演奏してきました。先週の私の体調の悪さで、結局一度も3人集まっての打ち合わせはできず終いでしたが、ここ3年ほど同じ組み立てで1時間のプログラムを行なっているので、それに準じてクラスの15分前の打ち合わせ、そしてその場での臨機応変で何とかやり終えてきました。 可愛い子どもたちばかりで、走り回っている子もいれば音楽に合わせて踊ってくれる子もいるし、音楽、生の音、楽器というものが子どもたちにどんな関わりを持つものなのか、あらためて感じさせてくれるクラスです。 大人の眼にはお行儀の悪さに思えるかもしれないけれど、これどうやって音出してるんやろ~何でできてるんやろ~つい乗ってしまう、動いてしまう、歌ってしまう・・・・それでこそ音楽です。表情や集中力も曲によって違いますね。自分でパンパンたたけるもの(今日はフイルムケースのマラカス)やハンドベルがあれば、もっともっと楽しくなる。音を出すということは、体と心に響くことなのです。実におもしろい。こうやってみて見ると、子どもたちの音楽に対する在り方は、私という人間全体で受けとめてくれているのが、本当に良く分かります。素晴らしいことですね
2009.07.20
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昨日の夕方から小学校では年に一回の大きな行事「くすのきキャンプ」がありました。6時から各コーナーでゲームを開催、お化け屋敷もあります。最後には皆で集まって花火も打ち上げました。さて、このイベントのメインは何といっても学校に泊まること!!もちろん泊まらないで帰る子どもたちもいますが、かなりの数の子どもたちが泊まります。今年はスタッフたちの負担を軽減する意味で、低学年の子どもたちは保護者同伴で体育館で寝ることになりました。寝る前のひととき、図書室ボランティア「ぽぽんた」は毎年、シアターを開きます。パワーポイントで絵を拡大して皆さんにお見せしながら、ナレーター、登場人物の声担当も分担した、ちょっと大掛かりな読み聞かせ!!今年は始まりと終わりは生の音楽、そして効果音もピアノに入っていただいて作り上げました。子どもたちがワイワイと大騒ぎしている中で始めなければならなかかったけれど、落ち着いてきたころにはとてもいい感じになり、立派な一つの作品が出来上がったかのようでした。何回かの打ち合わせだけでこれだけのものが作れるってとても素晴らしいことです。お話は「あらしの夜に」今もって、もひとつの私の体調を気遣って下さってみんなには大変申し訳なかったけれど、あの蒸し暑い中でもまずまずできたことは私自身にとっても嬉しい出来事でした。皆で何かする、本当にすてきなことですね、また良い作品を作っていきたいと思います。皆さん、お疲れ様でした!!
2009.07.19
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先週、カリタスジャパンのお話を聴いた日、午後から「アーミッシュという生き方」展をしている思文閣美術館に急いで足を運びました。 それというのもアーミッシュの研究に取り組んでいるのが私の友人で、その日講演をされることになっていたんです。ところがです。うかつにも事前に申込みをしないと講演を聞くことができないということに少しも気づいていず、前日に思文閣のHPを開いて初めて知りました。「講演は定員になりました。お申込みありがとうございました」の文字あぁ なんてことでしょう。確かにチラシをよ~~くみると講演を聴くためには申し込み必要と小さな文字で書いてありました。そこで講演終了時間に合わせて美術館に行ったのです。それでも教会の講演後昼食を挟んだらぎりぎりの時間だったので、両方を聴こうとすれば昼食を犠牲にしなくてはならなかったことになります。さてこの友人、大藪千穂さんとは高校生のときからのお付き合い。どこで出会ったと思います?? スケート場なのです。私は札幌オリンピックのときにフィギュアスケートを初めてしっかり見て、素敵~と思いました。高校生のある日、上の兄が「スケートに行こう」と誘ってくれて、その日帰る直前にようやく一人で滑れるようになった私はすっかりスケートが気に入ってしまいました。ちょっと滑れるようになると、真ん中で練習しておられるフィギュアの人みたいにバックやステップもやってみたい、と熱心になり、とうとうフィギュアを習うようになりました。その先生に同じようにフィギュアを習っておられたのが千穂さんです。偶然にも彼女もヴァイオリンを習っているっておっしゃって、そこも一緒だったのですっかり仲良しに・・・。そのときの千穂さんがまさかアーミッシュの研究をされるようになるとは・・・!私も少しだけアーミッシュのことは耳に入れていましたが、彼女に頂いた講演レジュメをゆっくり見せてもらうと、今の私が疑問に思っていることや共感を持つことがいっぱいあるのです。彼女の共訳著最新刊「アーミッシュの昨日今日明日」論創社をこれから読み進めながら少しずつご紹介していきますね。べったり一緒にいる友人でなくても、全く違った立場から同じものに向かっているそんな友人との再会はこの上なく嬉しい。今日、彼女から「ありがとう」の葉書を受け取りました。
2009.07.18
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久しぶりに保育中の幼稚園にお邪魔してきました。それというのもこの幼稚園ができた頃からずっと先生として子供たちのそばにいてくださったN先生が最後の日を今日過ごされるということを聞いたからです。N先生、この幼稚園に50年もいてくださったんです。ひょっとしたらこの幼稚園を作られた元、そして前園長先生よりも永きに渡って見守ってくださっていたのではないでしょうか!今日、園では子どもたちとN先生とのお別れの会を開いておられました。私たち大人は途中から入れていただいたのですが、ちょうど「大きなかぶ」のおしばいを先生方がなさっていて、そこにN先生が助っ人に現れて、見事大きな大きなかぶが抜けました。お別れ、お別れと寂しいムードではなく、これからも違った形でずっと続くN先生とのつながりを子どもたちも喜びを持って迎えられるようにと気持ちのこもった中身です。プレゼントを渡したのち、お母さんたちが昔からこの園で歌い継がれている歌を歌う中、子どもたちは一人一人、N先生と握手して言葉を交わしてお別れしていきました。子供たちの屈託のないいつもの握手と言葉こそがN先生にとっては何よりのプレゼントだったことでしょう。お母さんたちが残ったとき、N先生は皆に語りかけてくださいました。「皆さんのおかげでこんなに長い間幸せな時間を過ごさせていただいて、本当にありがとうございました。どうか、子どもたちの今を見つめてください。楽しんでください。子どもたちの未来を願い、祈り、待っていてください。」希望を持ち、神様とタイアップして子どもを見つめ、子どものうちに秘められた力がぐんぐん蓄えられるのを待つ。これは最高の見守りの姿勢ですね。さすが幼稚園の「グレートマザーN先生」です。素敵な言葉をありがとうございます。ソフィア(父母の会)からのプレゼントは手編みのぞうり、赤い花束、植木、先生へのお手紙やカードの箱詰め(100通以上集まったそうです)、そしてN先生ご希望の万歩計とウォーキングシューズ・・・これからも変わらずお健やかに、今まで出来ずにいて残念って思っておられたこと、いっぱいやってください。そして時々、幼稚園の子どもたちをまた見守りに来てくださいね本当にありがとうございました。
2009.07.17
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昨日は午後から、オーディションのための録音をしました。チューニングのためのチューナーの使い方 どんな風に弾いた音で合わせたらみんなの音が合いやすくなるか、から始まっていつもと違うムードです。ね~ ちょっと音階練習しませんか?一人一人の音階感覚を一致させておいたら和声も作りやすくなるし・・・じゃぁ 和音でやろう。二人ずつペアになって、三度の和音を作って音階を弾こう。一人一人の美しいと感じる和音とはほんの少しずつ違っている。互いに聴きあって、その美意識を揃えていくというのもいい練習かもしれない。私のようにセカンドヴァイオリンを担当していると、和音を作る張本人であるから、メロディーラインから引き出してくる和声と低弦から沸いてくる和音とのギャップに出くわして、あたふたしてしまうことがよくある。それをキチンを合せられるようになることがクァルテットの醍醐味オーディションや録音ということがあれば、こうやって普段扱わないことにまで皆で一生懸命になれるというのも、ありがたいことです。そんな長い前置きを経て、いざ録音したら、最初の1楽章は結構緊張してしまっていたんだけれど、その後はいい感じで録音できました。1曲目がちょっとゆっくりなテンポだったから、それだけ取り直して気持ちよく終わりました。2時間、録音中はなるだけ咳をしないように頑張った。で終えてみると、録音担当をしていたファーストのIさん「ごっごめん!!何でか知らんけど、後から録ったのが全部入ってない。あるのは一番最初に録音した1楽章だけや~~」「え~~ それは困った。もう録音できるチャンスはないぞ!」「良いじゃないですか、その1楽章だけ送っておけば・・・ それで落とされたらそれだけのこと、いい、いい」「そうやね、演奏会は自分たちで企画すればいつだってできるんだし・・・」それで今日、その1楽章の録音を聞いてみた。思っていたより悪くない。それに2週間前に録音したものとは雲泥の差で美しい。やっぱり音階練習は良いかもね~~
2009.07.16
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ここまでの「これこそが彼の仕事!」をもう一度読み返して思った。虐待や差別や殺人、なんて恐ろしいこと・・・ そんなこと絶対にしないし!!とそう思っている私、私たちがどこまでお馬鹿さんなのか、ということを。私たちは直接ではないけれど明らかにそういうことに関与していますね。本当に無知とは恐ろしいことです。高3になってもなかなか進むべき道の分からない二男に私は新しい課題をあげることにしました。人の役に立つ人間になりたいのなら、先ず国際関係の勉強をしなさい。そして英語もね!!(もちろん国内にも同じ問題はありますが・・・。)彼は「ヘ????」とびっくりしています
2009.07.15
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彼はもう一つの実践例を教えてくださいました。それはバングラデシュのこと。国全体はベンガル人の人が多くイスラム教が主流の社会で暮らす他民族である少数民族の方々の話です。彼らは東部山岳地帯で暮らしています。もともと彼らは平野部で農業を営んでいました。何世代にも渡ってです。でも教養もなく文字も読めず、また宗教的にも異教徒で、国の法律も全く知りません。そのことに気がついたベンガル人が、彼らの生活している地域の土地の登記をかってに役所でやってきて、言います。「ここは俺の持ち物だ。さっさと立ち退け!!」少数民族の人々はわけの分からないままに、先祖の土地を追われ、その繰り返しでどんどん所有者のいない山岳地方に追いやられてしまいました。ここの大きな問題はやはり教育がないこと、そして社会制度から忘れ去られた存在であることです。では学校を! いいえ、ちょっと待ってください。お金をここに持ってきて、学校を建て先生を連れてきても、誰も学校には行きません。その必要を本当には感じていないからです。「援助活動の主役は常に被援助者である。彼らの自らの思いで動いていくことが大切である。」どうしてぼくたちはだまされたのだろう。今ぼくたちに必要なことは何なのだろう。それを考えてもらって、「じゃぁ こんなことを繰り返さないために勉強をしよう!」そうなってから、みんなの手で学校をつくり、民族の中から少しでも教養のある人を見つけてきて先生になってもらい、「お金はないけれどお米を給料にしてください、」ともらってもらう。それだけではどうしても先生の生活が成り立たないので、その部分をカリタスジャパンがずっと援助していくそうです。そうやって学校が始まると、実に子どもたちは一生懸命に勉強をするそうです。ここで学んだことが私たちの力になる、どの子も真剣に取り組み、「将来は先生になりたい」、という子どもがほとんどだそうです。先生は子ども達に夢を与える仕事なのです。子供たちへの教育は家族の生活を変える。「お母さん、食器は時々お日様に干すとばい菌がいなくなって良いそうよ」「そうなの?じゃぁ 外に干せるように棚を作りましょう」粗末な竹を編んだだけの棚だけれど、皆がそこで食器を干すようになってから、感染の病気が激減したそうです。保健衛生の援助といえばすぐに薬や衛生製品を思い浮かべるけれど、違うんですね。本当にそこに必要なよい知恵を伝えることで大きく変えることができる。本当に一口に「援助」といってもただぽんと物やお金を放り込んでおけば良いのではないということがよくわかります。互いの信頼と理解を得て、人間同士共に生きるところから始まるのですね。慢性的な貧困、差別への支援の第一歩は 自分のこととして受け止める。 そして知り続けることです。と彼はお話を締めくくられました。
2009.07.14
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日本のサラリーマンの平均年収は435万だそうです。さてこの年収は世界の人々の年収序列の中でどのあたりに位置づけされると思いますか?Top3,5%に入るそうですよ!やっぱりそんなにお金持ちな国なんです、この日本は!!彼はこの贅沢な生活は世界の90%の方々の犠牲の上に成り立っている、と言われました。例えば、スリランカ(セイロン)は紅茶の生産で持っているような国です。その紅茶畑で働いている人々はイギリス統治時代にインドから連れてこられたタミール人、もう既に何世代にも渡って、ずっと紅茶畑で働き続けています。全く学校教育も受けていません。一週間働いて、週末にお金をもらって、そのほとんどをお酒で飲みつくし、少しだけ家のことに使います。子どものときからそのようにしてずっと働いています。もちろん文字は読めません。自分たちの生活がどのようなものなのか、その中にずっといるので比べるものすらないので、これでいいと考えています。しかし一歩外から彼らの生活を見ると、劣悪な条件下で奴隷のように働かされているのと全く変わりはないのです。彼らが満足しているからそれでいいのでしょうか?衛生についての知識も全くないので、ばたばたと子どもたちは亡くなり、大人たちもちょっとしたことですぐに病気になってしまいます。紅茶畑にいたる道路にこんな看板があるそうです。「***(日本の企業)おかげさまで**紅茶(ペットボトル)は誕生20周年を迎えました。みなさまの尊い働きによるものです。ありがとうございます。・・・」というようなものです。この会社は現地の人々に役立ててもらおうと図書館などを建ててくれたりしています。でも、現地の人は全く本が読めないのです。働く人々、その家族たちに本当に必要なものは何だと思いますか? と彼。そうですね、文字が読めるようになるための教育機関、学校です。じゃぁ なぜ学校を作らないのか!先ず学校はずっとずっと継続した何年、何十年という援助をしなければならない。「ハイ、~~をあげます」では終わらないのです。ここの働く人々が最低限の教育、小学校を終え、きちんとした労働に対する対価を給料としてもらったら、きっとペットボトルは一本1000円になるでしょう。彼らのために、あなたは紅茶のペットボトルを1000円で買うことができますか?これが世界の90%の人々の犠牲の上に立つ私たちの贅沢です。と彼はきっぱり言い切りました。街の中に在るペットボトルの姿を思い浮かべると、痛ましくて涙が出てきます。あっちこっちにほかされて、飲みかけのまま、いかにも安っぽく・・・その製品のために、たくさんの命が削られ亡くなっているというのに・・・
2009.07.13
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今日、出会う一つ一つのことに自分という人間のベストで応えよう、学ぼう、共感しよう、そして生きることはすばらしいことだ、という実体験をなさっている方に出会いました。 そのさわやかな方はたぶんまだ30代で国際NGO組織の日本窓口の1員としてお仕事をなさってします。皆さん、カリタスジャパン(国際カリタス)てご存知ですか?そこが彼の仕事場です。今日のお話は「貧困について」でした。また詳しくはいつか機会を作ってお伝えしたいなぁと思いますが、最も印象的だったのは、次のような言葉でした。食べ物もない、着る物もない、住むところもない、少し歩くうちにいくつもの子どもたちの亡くなった姿に出会わないといけないようなところに行って、こんなところではぼくは何もすることができない、と落ち込んでしまった。それはきっと誰でもそうだろうと思う・・・。豊な国からきたら、あまりにも劣悪な環境。小さな子どもがやってきて、「一緒にお誕生日をお祝いしよう」という。そう、ここでは本当に生きていることはお祝いに等しい。今年の誕生日を祝うことがどんなにすばらしいことなのか、子どもはちゃんと知っている。ここに生きる人たちは、豊な心を持っている人も多いと気づき始めた。この私を、このあなたを大切にしましょう、という思いに出会える。今日、私の心に刻まれた一つの言葉でした。
2009.07.12
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昨日の続きは「孤独」ですよく翻訳物の小説などを読んでいたら「孤独ほど恐ろしいものはない」というくだりにであったりしませんか?私は欧米の社会は個人主義が広く浸透しているのだから、「孤独をおびえる」というのが不思議に思えていたときもありました。自分らしく生きようとしたら、時として孤独に出会わなければならないことだってあるじゃないか、と思ってね・・・。でもカナダで暮らしてみて少し分かりました。彼らは相手が違っていることをそれで良いんだよ、と受け止めることができる個人主義を持っているのです。決してお前のことは知らない、というのではないんです。むしろお互い違っていることを知って理解しあうことをとても大切にしているし、いざとなればいつでも力になるもの同士でいよう、ということで気持ちよくご挨拶します。アメリカやカナダに行かれたことのある方は、全く面識のないもの同士でも道端で出会ったら必ずご挨拶するのに、びっくりされたのではありませんか?でもここに来て、この日本にこそ、その欧米の人々が怖がっている「孤独」というものがどんどん広がっているような気がする。どういうのでしょう。こんなに町にはたくさんの人がいて、ものもいっぱいあって、しゃべろうと思えば、誰彼となくしゃべれそうな環境なのに、じつは本当の自分の気持ちを誰にもずっと伝えることがなく、虐げられた重い気持ちを抱えながら過ごしている人々がおられる。カナダの大平原の中でぽつんとキャンプしていて孤独なのはあまり孤独でない。ただしゃべる相手がいないだけでしょう。理解されないとか、分かってもらえないとか、そんな思いはどこにもないのに・・・どうしてこうなっちゃったんだろう・・・少しずつでいいにっこり会釈できるようになりたい 少しずつでいい互いにあいさつできるようにしよう少しずつでいい互いの言葉に耳を傾けるようにしよう少しずつでいい互いの心を語ろうよ!!
2009.07.11
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先日書いた日記に703さんとTetsuoさんがいろいろとコメントを下さって、自分でもそれまでに気がついていなかったことに出合った気がしました。その一つは聖書の創世記に出てくるアダムとエバの知恵の木の実をとって食べてしまう話、今まで一度もまじめに考えたことがなかった。神さまがおつくりなった楽園というものが本当に人間にとっての楽園であるならば、そこに知恵の木がある必要はないはず。神さまは最初から人間が楽園に暮らすことに満足しないだろうということをご存知だったということではないかしら・・・。人間が動物のままではいられず自分に与えられた頭脳と知性、そして経験から独自の判断を持つようになるということを知っておられた。その力を持ってあなたたちが平安な世界を築けるように、と神様は願った。でもそれは簡単なことではなかった。知恵の木のみを食べた罰として女は苦しんで子を産み、男は汗水たらして食するものを手に入れなければならなくなった、ということになってはいるけれど、これ本当に罰かなぁと思う。女は苦しんで子を産むけれど、苦しむからこそ無事の誕生に大喜びと安堵をいただく。大きなリスクを負うからこそ、成し遂げた奇跡を思う。男は簡単に手に入れられない食べ物を工夫に工夫を重ねて、自然の実りに感謝できるようになる。喜びと感謝のない世界そこは人間の居場所はない、そういうことではないかなぁ~~もう一つは次の機会に!!
2009.07.10
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朝起きたら あぁ~こりゃ~熱だわ~ 今日は動けない・・・洗濯機をうごかしてくれているToさんにごめん、長男Aに生協の荷物の受け取りお願いしといて・・・それから夜までずっと布団の上にいました。考えることも読むこともできない。病気ってすごいね。心も頭も空っぽにしてくれる。夜子供たちが寝る頃になってようやく坐れる状態になって、子どもたちの音読にお付き合いしました。Aちゃん 爪伸びてるねA「うん、自分できってみるわ 初めてや~~」そういって彼女は足の爪を切りました。とても熱心です。次は手の爪、右手の爪は特に一生懸命に切っていました。切り過ぎないように注意してね~~うん爪と爪きりの刃をしっかり見つめながら声だけが返ってきました。可愛い姿!!
2009.07.09
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5年生のWは今日学校から「スチューデントシティ京都」に行ってきました。うちの子どもとしては初めてです。ここは会社に就職したらどんな仕事が待っているんだろうということで、仕事体験、そしてお金の流れの体験ができるところだそうです。行く前からその町にある会社、銀行、新聞社、製造業、伝統産業・・・などいろいろな分野の中から自分のしたい仕事を見つけて、履歴書を書いて自己アピールするところから始まります。WはPC入力が小学生のわりにはできるということで、友人たちの推薦で、情報処理の仕事を選んだら、公務員・区役所が当たりました。最初のピリオードの時はさっぱり「何?何?」て分からないことだらけだったみたいですが、セカンドピリオードはとってもすらすらできて、大満足。館内でだけ通用するお金もあって、自分が頂いた給料で京八橋も買ってきました。帰宅第一声「あぁ 何でスチューデントシティって一回しかないんやろ~ また行きたい!!」そうそう働くことって楽しいですよね。人とのやり取りやら、ものづくりやら・・・少しでも手ごたえのある一日が過ごせてよかった!!でも帰宅後出かけたバレエでは力尽きてへロヘロだったそうです。そりゃ~~ 当たり前だわ! 精一杯頑張ったんだものね、バレエの先生には目をつむってもらいましょう。
2009.07.08
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七夕、ですねつまりうちのKの誕生日です。おめでとう!!Kちゃん ついに君も大人の仲間入りしてしまいました。大人になったら30歳になっても50歳になっても70歳も100歳も皆同じ大人です。どうしますか?昨日寝る前に「こんな大人やったらあかんなぁ~」と言っていたあなたですけど・・・じゃぁどんな大人だったらいいのでしょう~~ね一日、一日を過ごす中で自分にふさわしい大人像をこの社会の中で見つけていってくださいね。とうとう4人目が成人したか!残り3人、まだまだ続く~~~~!!さ~~て、短冊にはなんて書こうかな・・・まずは 「感謝、ありがとう!!」「にこやかな毎日をみんなに!!」
2009.07.07
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この前ちらっとToさんと一緒に本屋さんに行って目についた本が「親をせめるな」野口善國著でした。非行に走った子どもたちと、いつも悪いのは親、と標的にされがちな親たちへの理解と手助けを実践する弁護士さんからのメッセージです。神戸の連続児童殺傷事件の弁護団長を務められた野口さん。我が子の非行に悩む親たち、そして本人への理解こそが何よりも大切だ、とおっしゃっています。そうですよね、誰だって最初から悪い人間になろうと思っているわけでもないし、悪い人間に育てようなんて、思ってもいませんから・・・もしこの社会の中からこういった少年たちの非行を無くそうと思うなら、どうしてそれが生まれてきたのか、を良く考える必要があるでしょう。信頼や良心はどのように育っていくのか?赦すとはどういうことか?家族とはどういうものなのか?本の後ろの方には裁判員裁判のシュミレーションもあって、とても考えさせられるものでした。
2009.07.06
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朝のミサでは第2朗読をToさんが読みました。 「パウロのコリントの教会への手紙」(第2コリント12章7b~10) パウロはどうやら病気を頂いたらしく、その病気のことを自分が思い上がらないための一つの試練と考えられたようです。でもどうか力になってくださいと神さまに3度願ったら・・・すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。(9) ということでした。弱さを知ること!!確かに皆からちやほやされている自分こそが自分の姿だって思っているよりも、強がって格好つけているだけなんだ、と本当の自分に気づく方がずっと人の姿に気づけるかもしれませんね。わたしなんて、何のとりえもなく誰からも相手にされず、ダメな人間と思われているに違いないと考えている方が、実は割り切って失敗を恐れず頑張りとおすことができるかもしれない。なんていうか、無欲無心偶然からいただける恵みにも気づける自分への信頼は透き通る心から・・・・さっちゃんの一人深読でした。
2009.07.05
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朝目覚めるとキッチンの方からK(19)の笑い声が聞こえてきます。珍しい、土曜の朝に彼女が目覚めているなんて!!今日はクラブのライブが野外であって、彼女は売店の売り子さんを浴衣を着てやるんだって!K「お母さん、メガネが合わなくなったから眼鏡屋さんにも寄りたいし、はやく浴衣着せてね。」さっちゃん「え、私朝はクァルテットの練習に行くけど・・・。Hちゃんにお願いしたら?彼女なら毎週のように京舞の練習のとき浴衣着ているから。K「H、浴衣着せてくれる?」H「私も朝から出かけるから・・・とにかく早くしよう。先ず浴衣羽織っといて!」K「羽織る?」H「そう、袖に手を通して左右対称にこことここと持って前で合わせるの!」いつも着ているHはすっかり身についているんだけれど、着ているのと人に着せてあげるのはまた違うから、精一杯Kが自分でできるように指導するようです。A(7)「お母さん、ねえ~ アイス食べてもいい?」さっちゃん「今から食べちゃったら、後で暑くなったときに困るんじゃない?」A「どうしようかなぁ~~」W「お母さん 髪の毛、ポニーテールにくくってくれる?もうすぐバレエに行かなあかん。」Kの方から離れてWの髪の毛をくくり、今度は表の夾竹桃の落花を掃きにでようとするとW「やっぱり、お団子もして、このごろうまくできひんねん」ということで引き返してWの髪をシニヨンにする。彼女は髪の毛がとってもきれいなんだけれど、結構多くて長くなってきたからお団子作るの難しくなってきたかもしれませんね。さっちゃん「私ももうすぐ出かけるから・・・ A(25)ごめん、食器洗っといてくれる?それとみんなの麦茶も作らなきゃ~ いい?」A「了解!!やっとくわ」外を掃いていたらちょうどVn1のIさんが迎えに来てくださって、いざ出発。今日のクァルテットは「夏の風」 シューベルトの「死と乙女」の1,2楽章でした。この前初めてこの曲の1楽章に取り組んだ時は「ブラームスの3番よりは分かりやすい!!」と思ったんだけれど、どうやらそれは甘かったみたい。合わすの結構難しいわ!!その後私はバレエへ そうそう、Kのメガネのお話をしないとね。以前Kがメガネを買いに行ったら、まぁたしかに格好いいの買ってきたんだけれど、高校の先生が値段を聞いて、「そんな高いもの、高校生が使ったらあかんやん」と言われたそうな!!そうよね、学生なんだから格好よくても自分の身に合ったものにしないと!そこで今日は一人では行かすまいと、大学に出かける前のToさんに一緒についていってもらったんです。以下、同行したToさんからの報告K「お父さん、こっち(右)とこっち(左)、どっちがいい?」To「う~~ん 右かなぁ!!」K「やっぱり!!良い物は高いもんやなぁ~~」さっちゃん「え、それで良い物を買ったわけ?」To「そう、出世払い!て言ってたけど・・・」さっちゃん「な~~んだ。Toさんまでもうまいこと丸め込まれたわけね。 彼女は出世しないつもりだから・・・」やれやれ じゃぁ今夜のメニューは健康的に梅干と納豆 そして玄米ご飯ということにしょうかなぁ~~
2009.07.04
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昨日の夜はクァルテット「名無しの権兵衛」の練習で、今度15日に録音することになったモーツアルトの練習を主にしました。さすがに録音前の練習ともなれば、皆いつもよりも細やかな神経を使って自分たちの演奏を聴き感じて、それを言葉にして少しずつ良さ気な方向に持っていけるように努力します。その分密度か高いので、練習としてもとてもおもしろい。皆が共通の感覚を持つこと、これがアンサンブルの最大のキー注意深く弾けば弾くほど、共通感覚は養われますね。さて練習の終わりになってVc「さっちゃん、グループのアピー文 1600字ですけど大丈夫ですか?」と質問が飛んできて、あぁ~~そうだった、アピール文まで書かなくてはならないのだった!!と思い出してしまった。それで皆が帰った後、とにかく何でも思いつくことをたらたらと書いたら、約2000字やった!!後は削るだけだわそして今日は小学校キャンプでするシアターの打ち合わせにグループのリーダーが来てくださってお話とそれに挿入する音楽を決めることができました。あぁ~~よかった!!どうなるかなぁ~~と思うことがそのまま心の中に残って日にちだけが過ぎていくの、て心が落ち着かなくて困るけれど、とんとん拍子ですっきり決まったから嬉しい!!頂いた仕事は気持ちよく~~やっていこう
2009.07.03
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久しぶりにシスターとゆっくりしゃべりました。「聖書深読会」だったのだけれど、二人だったのでじっくりと・・・。 シスターは子どものころかお習字をなさっていてね~、今でも教えていらっしゃるんです。前回のときにせっかくだから、深読の後にちょっと墨の世界を味わうのも素敵ですね~~と私が言ったのをちゃんと覚えていて下さって、紙だとか筆だとかもってきてくださったんです。言った私は忘れてしまってましたが・・・シスター「今日の深読の箇所(マルコ6章1~6)で心に残った言葉を書きましょう」「う~~ん 何にしようかなぁ・・・?じゃぁ・・・「奇跡をみつける」にしました。 深読の中でイエスがご自分のふるさとに帰られたとき、子どものころのイエスと宣教活動をするようになったイエスの姿、言葉はふるさとの人々にとってはあまりに違っていたのでしょう。奇跡を行なうイエスはむしろ大きな偏見の中で悲しまれることになってしまった。それで多くの奇跡はおできになれなかった(5,6節)というのがあったのです。私たちの社会もいろいろ勉強して賢くなって、様々なことを人の手で成し遂げられるようになった。だけど思い通りにはならず、腹を立てたり失敗がないかと不安になったり、失敗をする人を信用することができなくなったり・・・だからできるだけ理屈を考えないで生きていたいそのままを受け止めようそこに喜びがあるはずで「奇跡をみつける」なのです。
2009.07.02
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図書ボランティアでは今度夏休み直前のPTA行事の学校キャンプでシアターをします。学校で泊まろう~~ のキャンプ 去年は100名近い子どもたちが泊まったのです。うちの学校PTA行事で最も大規模なそして最も力の入ったイベントです。シアターはおやすみ前の一時をちょっと落ち着いた気持ちで過ごしていただこうと、いつもの読み聞かせの拡大版として企画します。もうあんまり時間はないのだけれど、音楽付きでやってみようということで昨日決まりました。さてさて、どんな作品がつくれることでしょうか?先ず題材になる絵本がまだ決まっていないんです。それが決まらないととても音楽だって想像できません。何かいいものありますか?テーマは 夏、夜、夏休み・・・そんな感じかなぁ物語のどこかで自然の恵みや人の暖かさが感じられるようなストーリーがいいですよね上演は夜の9時からです!!
2009.07.01
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