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男と女と欲たぶん、今の時点での最後のテーマとなるのだと思っている‥。気分的観測かもしれないけれど‥。約20年ほど前、今の日本はバブル真っ只中‥。その世界での私はまさにそのテーマの中に住み着いていた気がしている。自己の中心に 「弧(円)」 を描くのではなくただただ 「欲」 という塊を中に収めていた。欲という名のゲームというものをしていたのかもしれない。そして、男と女の間には、「欲望」 というもので成り立っている‥と思っていたのかもしれない。今になり、頭の中に残っているものは、「空虚」 だけである。ただただ、むなしい思いだけ‥。男と女、男性性と女性性その間に在るものとは、なんなのだろう?「欲」 ではない事だけは、確かな答えである。その中に在る 「糸」(意図) を見つけることが出来たならば‥。大きな方の荷物が降ろせそうな気がしている。
2009年03月31日
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「信じる」 ということ。 最近、私の中に何度も何度も、この言葉が通り過ぎてくる。 「信じる‥」 信じるということは、どのようなことなのだろう? いままで、私が思っていた、感じてきた 「信じる」 ということとは、 全く別物なのではないのだろうか? と、感じている。 私の中で、本当に信じていたのだとしたら、 「裏切り」 という言葉を感じたのだろうか‥? 常に頭の中に 「疑惑」 と 「裏切り」 という言葉が交差し、 相手が、私の思うどおりに動いてくれると期待している‥。 相手は、思ったように裏切ってくれると期待している‥。 そして、相手は裏切ってくれると信じていた‥、のではないのか? 最初から、なにも信じていなかったのではないのか? 「信じる」 ということ。 ただただ、「無償に‥」 それがあれば、 「裏切り」 や 「疑惑」 というものを感じなかったのではないのか? と思ったりもしている‥。
2009年03月27日
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「神様のいたずら」子供とのお風呂での会話。些細な子供のした失敗 「神様のいたずら」 だと話し始める。机の上にあった 「色鉛筆」 を引っ掛け、落としていた。それが始まりだった。私達の生活の中で、何もない所で躓いたり、些細なミスをしたりすることが在る。そんなことを、「神様のいたずら」 だと話す。だれにでも在ることだと‥。「神様のいたずら」神様は何でそのような事をするのだろうか。いだずらの後、私達がどうするのだろうか? と、微笑みながら見守っているのかもしれない。「怒っているだろうか?」「何も気づかずに、過ぎ去っているだろうか?」「何か見落としていた事に、気がついているのだろうか?」「一呼吸する、そんな時間が出来た事に感謝しているだろうか?」そんな些細な事のあとにも、きっとたくさんの選択が在ることに気がつくだろう。私達の 「今」 には、すべてに意味が在る、神様は、そんなことを教えてくれているのかもしれません‥ね。
2009年03月16日
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上で起きた事は、「時差」 があるかもしれないけれど、この私達現実の世界でも、同じように起こったりする。エネルギー体が、上の世界で色々な取り組みをし、少しずつ、本来の魂の状態にに近づけていく。私達がするべきことは、上の世界、エネルギー体だけの問題ではなく、今、この 「現実」 という世界に生きている私達、その私達が、目の前に抱えている問題に取り組んでこと‥、上と今、その両方をクリアしていく事が、必要である。いくらエネルギー体が、高上していったとしても、今という時間を生きている私達が何もしなかったとしたら‥。苗木を植え、その枝が伸び、葉が生い茂ったとしても、根っこは最初のまま。ドンドン伸びていく木、いつか、その大木を支えることが出来なくなってしまうかもしれない。どちらが先に‥ということではなく、両方で同じリズムで‥がいいのではないのでしょうか?
2009年03月13日
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自分の中で、少しずつこれから歩んでいく道が姿を出してきた時‥。そんな時‥、新たな試練が足音をさせずに忍び寄ってくる。「見事!」 と思えるほどのタイミングで‥。私が見つけた新しい地図。その地図を手にして、前に進んでいく。ふっと‥目をそらした瞬間に、私の手の中からその地図はこぼれ落ちる。そして、私の足元にはいつのまにか、目にしたこともない「金の地図」 と 「銀の地図」が落ちていることに気がつく。そのふたつを手にした瞬間に、また、私の中の 「欲」 や 「我」 というものが顔を出してくる。私の進むべき道は、このような道でなければならない。私はこのような道を捜し求めていたに違いない。と‥。やっと、新しく私の中にを湧き出て、今、手にとることが出来たものを「捨ててしまえ!」 というんばかりに。もう一度、よーく足元を探してみよう。私の地図は、何度でも消え、何度でも現れる。私の 「うち」 を確認するように‥。そして、もう一度 「うち」 と一体になることを促すように‥。ふと目を落とすと、また手の中にある 「地図」 を発見する事が出来るしょう。私の地図は、まだまだ出来たばかりの 「赤ちゃん」 である。その完成品が、そのような 「金」 や 「銀」 の地図なのかもしれない‥が、今の私が、まだ手にすることが出来るものではない。これからの私の体験が、その赤ちゃん地図を変化させる。そして、光輝かせていくことになるのだから。
2009年03月11日
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最近 「愛」 ということばが、よく頭の中をよぎる。今までヒーリングさせていただいてきた中で、お送りしているエネルギーというものに対し、最初の頃は、「受けての方の必要な所に‥」と思い、させていただいていた。それが少しずつ変わっていく、「受けての方の魂さまに‥」というように、色々試行錯誤しながらヒーリングということをさせていただいていた。が‥今、そのような言葉は、必要ないのではないか?と思っている。言葉をつけてしまうことで、そのエネルギーというものを凝り固めてしまってはいなかったのだろうか?自分本位な 「愛の形」 というものに変化させていなかっただろうか?と考えたりしている。私自身 「愛」というものの 欠片(ピース) を集めている最中である。私からしたら 「苦しみ」 としか取れなかったものさえも、反対側からしたら 「愛」私にしたら、「憎しみ」 としか取れないものもでも、相手からしたら 「愛」なのである。 それを少しずつ感じ、知っていく事で、そのピースは埋まっていく。そして、自分自身の 「うち」 に在る大きく、そして無限に在る 「愛」 に触れることへとつながっていく。それはあまりにも大きすぎて、「愛」 という言葉に閉じ込めてしまうのも躊躇されてしまうほど‥。そして、「言葉」 というものの中に閉じ込めることは出来ないものなのだから。
2009年03月10日
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