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子供達 「胃腸風邪」 なのか、お腹の具合がよくなさげ‥。ちょっと食欲が落ちたり、下痢気味?くらいなので様子見。今は病院にいく方が危険な感じもするし、予防接種の患者さんで溢れているらしいから、暖かくして、消化のいいものを食べ、たくさん寝る、それが一番!ですね。「どちらだとしても‥」ヒーリングというものが、「有料」では駄目とか、「無料」でなければ‥、と、私自身思ったり感じている部分でもありますが、捕らわれるのは、そこではないような気がしています。ヒーリングは、お受けする側自身と同じエネルギーをお送りできれば、それが一番ぴったりに決まっているのですから、それに越した事はありません。が、「送り手」と「受け手」が同じ人でない限り、そのようなことは無理だと思っています。それは、「レイキ」だから、「エンジェル」だから、「クリスタル」だから大丈夫、ということではなく、どれも同じではないのかな?と思っています。送り手は、少しでもその差をなくすために、自身の枠を広げ、自分自身の中を掃除していく必要が在ると思っています。そして、ヒーリング後も‥。送ったエネルギーは、受けての側に必要なくなっていけばだんだんと剥がれてきます。それをそのままに放置することなく、送った側として回収する意識をもつ事。送られた側も、そのままにすることなく、「自立」という意識をして、必要なくなったものは返していく、という必要性を感じること。そのままにしておくと、本人にその気はないとしても「送り手」 は 「支配」 に「受け手」 は 「依存」 というものに繋がるかもしれませんし、苦しく感じられるようになるかもしれません。それが互いに引っ張り合い、「共依存」 のような形なってしまうかもしれません。そのようにならないためにも、互いに 「自立」 を意識しておくことが、一番大切なのかもしれませんね。
2009年10月30日
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ポッカポカのお天気、そろそろ冬支度を始めています。ついでに脂肪も蓄え中?お日様の光をコタツ布団に、ふわふわぽかぽか、でも、昼間はまだ暑かったかも‥。「わたしはわたし」まだわたしはわたしのままです。最初に、「内なる自分」 を感じた時、一緒に「恐怖」というものも感じた。ただ、恐かった。それが表面に現れてくるたびに、自分が自分ではなくなってしまいそうで‥、何かに飲み込まれてしまいそうで‥、ただただ怯えていた。わたしがわたしでなくなるわけではない。「自分自身に戻る」 だけなのたけれど、その時は、まだその意味がよくわかっていなかった。内なる声を聞いたとき、始めは、「ハート」や「みぞうち」 あたりから、声が聞こえた。わかり易いように、「私自身」の声で聞こえてくる。とくに、質問をしたわけではなく、「ふっ」 と届く声。今は、その聞こえ方も変わってくる。体全体から発せられているように、聞こえてくる。身体がひとつのスピーカーのようだ。凄く不思議な感じ。これを何度も何度も繰り返し、自分へと戻っていく。今はもう 「恐怖」は感じない。感じるとすれば、「わたしはだれなんだろう?」 という感じだろうか?
2009年10月28日
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今日は肺と胃の健康診断に行って参りました~。一年ぶりのバリウム‥、何度飲んでも慣れる物ではない。何故どろっとしているのだろう。一口分残してみたら、「はいっ!もう一口!」 といわれてしまった。ぎゃふーーーん。「もやもや 2」昨日から続いている 「もやもや感」少しずつだけれど、治まってきている感じ。でも、いまいちまだ「わたしはだれ?」 状態。「わたし」は「わたし」。「わたし」は「わたし」であって、「私」ではない。「私」が 「わたし」の中にいる。いままでも何度か同じように感じたことはあった。けれど、その時は、「もやもや感」 というより、「恐怖」 を感じていた。自分が自分ではなくなってしまうような 「恐怖感」自分の奥のほうから、わたしの知らない 「私」を感じる。この「未知との遭遇」 を今度はちょっと楽しんでいる。もしかしたら‥、明日になったら、わたしがわたしではなくなっているのかもしれない。明日になったら、わたしが私になっているのかもしれない。
2009年10月27日
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「もやもやする‥」なんかよくわからないけれど、もやもやする。いらいらする‥というのか?落ち着かない‥というのか?自分が自分でないような?‥というのか?そんな感じがする。何かに向かって、怒りを発しているわけではなく、ただただ、もやもやする。今の自分の中にいることが、窮屈な感じがする。そのせいで、頭がうまく働かない。なんでだろう?特大の声変わり?脱皮でもするの?って感じ。背中がなんか落ち着かない。自分なんだけど、自分ではない。なんか違う。どこか違う。自分の中が、組みなおされているような‥そんな感じ。あ~何とかしてくれ~?そんな感じ。
2009年10月26日
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今日は朝から雨‥、台風の影響なのでしょうか?そんな日は、家でごろごろが一番!?ということで、家の中で雑誌を読んだり、ネットをしたりしています。「台風の爪あと」まだまだ癒えぬ私達が住む場所。まだまだ信号のお顔がまっすぐになっていないところが多い。これは実に困る。看板も倒れまくっている‥、近くの看板、斜め45度。カーポートが飛んだ人も、多々在り。実は実家も‥。シャッターを閉めていたのに、あまりの強風のためにガラスが割れた人。ついでに、瓦も飛んだ人も多々在るらしく、その瓦がご自身の車に直撃!なんとお宅もあったそうな。こんな被害をまだまだ見聞きしたりしている。先日、久々に山にお散歩に行ったら、山はもっと凄かった‥。何本も何本も倒れている木々。太い木がたくさん倒れていた。風によって、吹き飛ばされた葉っぱたち。山に登る道は、削れていた。大地というものに付着していたたくさんのものを、根こそぎ空に巻き上げていたように感じられた。元に戻るまでには、もう少し時間がかかりそうな感じがする。
2009年10月26日
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布団のシーツを剥がし、洗濯したのに‥、お空のご機嫌はいまいちのよう。夕方までに乾かないと、今夜はシーツ無しか?「私の中のどろどろしたもの‥」たっぷり噴出中。今日の空模様と同じ感じ。どんより、おもーい感じがする。でも、私の中の私は笑っている。私達の気持ちが感じている事と、私達の魂が感じていることは、すべてが同じではないこともある。私達がすっごくすっごく悩んだり、苦しんでいるのに、魂は喜んでいたりする事が在る。何故?たくさんのことを体験するために、今ここにいる。楽しい事をすることも大切。魂もたくさん喜んでいる。けれど‥、「楽しさ、楽さ」という、そこにばかり目を奪われて、必要なものを見ようとせず、目をそらしていたら、どうなるのだろう?目を塞いでいるだけだとしたら?私達が感じる苦しさと、私達の魂の感じる苦しさと、必ずしも同じものとは限らない‥。どんなことにでも、私達が今を生き、たくさんのものを見て、感じ、体験していることが大切なのだろう。
2009年10月20日
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なんか朝からバタバタとしています。ちょっとお疲れ‥。ついでにお腹もお疲れらしく、「やさいがたべたーい!」 と叫び、大量の野菜たちを買ってきました。昨日は 「温野菜」 ブロッコリーにジャガイモ、にんじん、キャベツを蒸していただきました。今日は 「大根」 です。「子供たち」先週友人と子供の事について話している時の事。そのお子さんは、ピアノを習っているのですが、とても耳がいいと感じているそうです。それでお母さんが、「どうして離れていても、何の音かわかるの?」とたずねてみたそう‥。その答えは「音符さんが教えてくれるの♪」だったそうです。以前テレビを見ていたとき、「中野裕太さん」という俳優さんが、「共感覚者」だという事をお話されていました。この方「平成教育委員会」でも、何度か拝見させていただいていて、その中で水道橋博士がこの方の事を 「とても頭がいい」 とおっしゃられていました。「共感覚者」共感覚(きょうかんかく、synesthesia, synæsthesia)とは、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚現象をいう。 例えば、共感覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、形に味を感じたりする。ということらしいのですが、他の子供にも話していたときに、「すべてではないが、色で見えるときが在る」ということを教えてもらいました。「音符が話しかけてくる」「文字等に色を感じる」「オーラが見える」 などなど、同じようなものなのかはわかりませんが、そのように感じている子供たちは、「楽しい」とか「好き」という 「枠」ではなく、もっともっと枠を広げ、そのものが放っている意識と「共鳴」「共振」しているのかもしれませんね。「楽しい」 「ワクワクする」 ということもとても大切だと思います。が、まだその言葉の中に「枠」というものが存在しているような感じがします。その枠をもっともっ広げ、そのような言葉の枠にとらわれることなくいけたらいいな~、と思っています。
2009年10月19日
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今日は実家のお祭りに行ってきました~。が、朝から 「雨‥」 結局家の中に閉じこまっているしかない。でもでも、おいしいものを食べて、久々にビールなんか飲んじゃったりして、ついでに昼寝なんかしちゃって、と、ぐうたら主婦になりまくって楽しい一日を過ごさせていただきました。「批判」自分の中から湧き上がってくる「たくさんの思い」を言葉にして書かさせていただいていました。が、それがいつしか私の中で 「批判」というものに変わっていたようです。それは、前回の書き終え、その夜夕食の支度をしていた時、ふと、「批判という攻撃」 という言葉が 「体」 の中をよぎります。「あ~、ブログの中でいつのまにか、いろいろな「あら捜し」というものをしていたんだ。今日のブログに書き込んでいたものは、自分の中の言葉や思いではなく、批判に変わっていたんだ」と、気がつくことに‥。そして、私から発せられた「批判」のエネルギーは、その夜直ぐに戻ってくることになりました。それも目に見える形で‥。同じ事を書いていても、自分の中から発しているものが違えば、「批判」や「攻撃」になったりします。それが戻ってきたとき、「相手」から戻ってきたと思うかもしれませんが、「自分自身」 から発せられたものが、ただ還ってきただけなのです。私の中に在る 「批判」 というものに対して‥。自分から発せられるものに対して、もっともっと 「責任」 というものを感じていかなれりばならない。と感じた出来事でした。tama♪さんが、ブログにて感想を書いていただきました。ありがとうございます。こちらです。
2009年10月17日
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最近、朝露なのか、夜雨が降ったのか、ベランダがぬれている事が多いです。朝日と共に?布団を干したい私、雑巾片手に、ふきふきしまくっています。「光と闇と攻撃‥」ハートを突き刺すものに、苦しくて苦しくてしょうがなかった時、何かが乗っかっている様で、息がうまくできなくなった時、何かが突き刺さっているように、頭が痛くて痛くてしょうがなかった時、何でこんな目に在るんだろう‥だれがこのような苦しさをもたらしているのだろう‥と何度も何度も感じていました。その「答え」というものを「外」にばかり求めていました。「どこかにいる誰か‥」 がそのようなことをしたのではなく、自分の中に在るものが、、苦しさを呼び起こしていただけ。めぐりめぐって、自分から発せられたものが還ってきただけ。「自分だけは‥」 という特別意識がそのように思わせていただけ。それを 「攻撃」 と感じているとしたら、なんのための攻撃なのでしょうか。その「痛み」というものを感じていなかったら、きっと、自分自身を見つめる事などしてこなかったでしょう。それを 「攻撃」 と感じることで、自分と周りと分離している事に繋がることにもなります。反面だけを見るのではなく、その両面を見てみてください。きっと、その裏側に在る思いを感じることが出来るでしょう。
2009年10月15日
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久々に歩いてきました。久々のリフレッシュ!身体がかるーいような気が‥、そんなわけないのですが。過ごし易い季節になり、食べ物もおいしく、もう少しこの感覚を楽しんでいたい気分です。「信じるということ‥」私達にとって必要なものは、引き寄せたりしようと思わなくても手の届く場所に現れると思っています。「自我」と「魂」の分離がなくなり、本来の姿へと戻っていく事で、そのようなことが多く感じられるようになっていくのでしょう。もしかしたら、「引き寄せる」 という言葉そのものに、意味、興味というものを感じなくなっているかもしれません。それは、必要なものは自分の周りに在ることをきっと「知っている」「信じている」からなのだと思います。もし、まだ「信じる」という心の中に「不安」や「あせり」という感情が少なからず存在しているとしたら、その必要なものは、あなたの周りにひとつではなく、いくつもの姿を見せることになるでしょう。「自我」と「魂」の両方から現れたものが‥あなたの目の前に現れることになるでしょう。その選択をしなければならないことで、「損をした」と感じるかもしれません。それも体験です。「信じる」に「迷い」の分が少し足されてしまったのでょう。いろいろなことを体験することで、色々なものか見えてくきます。そのことを知ることで、次に繋がります。「信じるということ‥」私の中にも、まだたくさんの不安や焦りが存在しています。でも、それを感じることが出来たから、その中に隠されたものに気づく事もあると思っています。
2009年10月14日
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本日、秋休みのため子供達4連休中。何のための休み?といいたい!一日増やした秋休み、その一日分夏休み削ってよ~~~~、と、叫んでみたい秋の空‥でした。「何も語らない‥」2前回の日記を、私自身もう少し掘り下げて書いてみようかな?と思っています。私達の周りにいる存在たちは、確かにいると思い、感じています。でも、生まれたばかりの赤ちゃんを育てるように、手取り足取り、私達に手を貸してくれているわけではありません。その存在たちは、私達が転ばないように先回りして石を退けたりすることはありません。そして、もし転んだとしても手を貸してくれたりはしません。ただただ、見守っているだけです‥。私達が、その泥だらけの体をきれいにするための泉を照らしているだけです。その存在たちは 「泉は、こちらに在るよ」 と導いてくれたりはしません。私達がきちんと前を向いてさえすれば、その泉を見つけることが出来ると信じているから‥です。もし間違っているとわかっていても、私達がする選択に口を出したりはしません。だれよりも、私達の成長を望んでいるからです。その先、私達に 「こうすればいいよ‥」 とアドバイスしてくれる事はありません。そのようなことをすると、「依存」 につながる事をしっているからです。最後に、「私達は、たくさんの存在から守られているから、大丈夫」 と思われていることが在るかもしれませんが、大丈夫という言葉の裏側には、「自分だけは‥」 という思いが存在している時があります。守ってくれているのではなく、見守ってくれているだけなのです。もし、いろいろなことを教えてくれる存在がいたとしたら‥、もう一度、よく考えてほしいと思います。それが本当に私達の成長に繋がるものなのかを‥。
2009年10月13日
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今日は、久々に朝寝坊させていただきました。寝れる、寝れる、13時間‥。さすがに寝すぎて身体が痛くなってきたのでおきましたが、あと3時間は寝れたかも~。惜しい!昨日は、校区の運動会、おとといはフリマ、ちょっと張り切りすぎたか?「浄化」台風が過ぎ去り、空気が澄み、穏やかな時間の流れを感じています。今回の台風、「浄化」 といえば、その通り‥。でも、みんなでいらないものを手放すから、一緒に持っていって浄化‥。というものではなかったような?気がしています。色々な場所に突き刺さっている 「杭」私達の頭の上に棚上げされている 「宿題」誰かにくっつけて在る 「コード」誰かから背負わされている 「荷物」などなど。すべてのものをその 「持ち主」のもとにもどしていた‥。そんな気がしています。そんなたくさんの 「エゴ」というものが、台風とともに空を移動していく‥。そして、本来の持ち主の元に戻る。実感するまでには、まだ少し時間がかかるかもしれません。この大地、地球に長い間突き刺さっていた 「杭」私達が 「よかれ‥」 と思っている行っている行為や、エネルギーなど、傷ついている地球のために、つかれきった大地のために、と思いしていることでも、エネルギーの流れというものをせき止めてしまっていたり、エゴという重石を背負わせていたりしている事があります。どのようなことを相手が望んでいるのか‥、もう一度よく考えてみていただけたら‥。外側から何かをするということではなく、私達が、私達に戻るという事が、地球が、地球に戻る事に繋がるのではないのでしょうか?
2009年10月12日
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昨日はフリマ、今日は校区運動会と、少し疲れ気味の私‥。そして学校は二学期制のため、火曜日も休み。三連休なんだから、そんな休みはいらないように感じるのは私だけでしょうか~?はぁ~疲れます。「振動」少し前から、自分自身の体が小刻みに 「振動」 していることがあります。「震度2」くらいの地震のような、小さな揺れを感じるようになりました。これは、初めてではありません。たぶん、2年ほど前にもブログで書いていたような気がしています。私が感じていると同時に、周りにいる人からも同じようなことを耳にします。その小さな揺れは、自分自身の中から感じてきます。そして、どんどんと大きくなってきているような感じが‥しています。ふと、思う‥、地球が起している、この大地の揺れというものを、私達が、少しずつ吸収しているのだろうか?と‥。地球と同調し合い、その揺れをたくさんの人が感じることで、、大地の揺れは、少しずつ吸収されていくのではないのでしょうか?
2009年10月11日
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まだまだ台風の爪あとがあちらこちらにありまくっています。一番困るのが、「信号」 あさっての方向を向いています。そのおかげで、見えにくいったらありません!が、しょうがない‥、ここだけではないのだから、そして、公園の大木なども何本か折れたようで、業者の方がその折れた樹を切断していたりしました。公園や駐車場のすみっこには、たくさんの折れた枝が山ずみに‥、まだまだ時間がかかりそうな感じです。「何も語らない‥」色々な不思議が起こったり、色々な不思議が見えたり、いろいろな音や音楽を感じたり、たくさんの光が舞っていたり、暗闇を明るくしたり、自分自身、まだ理解できていない所がたくさんあります。そんなたくさんの 「不思議」 を体験していく中で、私の周りにいる存在たちは、何も語らず、ただただ私を見つめ、私に微笑んでくれています。そして、私がする質問には、一指し指を口に当てて、「しー」と、ただただ笑っているだけ‥、その声を聞かせてくれることは、もう、ほとんどありません。「感じるのはあなた‥」「答えを導くのもあなた‥」といわんばかりに、私を見つめています。「どうしても‥」と御願いしても、ちょっと首をかしげて、ちょっと困ったふりをするだけ‥。今は、その声をきくこともほとんどなくなってきました。「教えることはとても簡単。でも、その答えを導く事があなたの成長に繋がります。あなたが、たくさんのことを経験するために‥私達は、見守っています。」答えはいつも同じ‥。その存在たちは、何も語らない‥、でも、いつも側で見守ってくれています。そう、答えは私のうちにある‥、外にはない、その答えをうちから探し出すだけ、その声を聞き逃さないように‥私達の魂は、いつも、語りかけてくれています。
2009年10月10日
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明日はフリマに出店する予定。子供達も大きくなってくると、使わなくなるものが出てきて、家の中を占拠しています。ということで、小さくなった自転車、乗らなくなった一輪車、ローラースケート、ホッピングなどなど、使っていただける方にお渡しできたらいいな~と思っています。「苦しさ‥」自分の道を歩いていく上で、「苦しい‥」 「いやだなぁ~」 「見たくない!」 「面倒くさいな~」と思ったり、感じたりすることなど、多々在ると思います。私?私もしょっちゅうです。今もひとつ、咽喉に引っかかった小骨のようなものがあります。これも、ながーいお付き合いしている最中、目を塞いできたけれど、そろそろ手放す時がきた感じがしています。もし、それをほっといたとしたら、どうなるのでしょうか?まあ、「臭いものにはふたをしろ!」 ではありませんが、暫らくの間、「棚上げ」 することは可能だと思います。が、あなた自身がひとつずつステップをあがっていく中で、「棚上げ」 しているものは、だんだんと重くなり、重力に逆らう事が出来なくなるように、あなたの頭の上に乗っかってきます。「苦しさを手放す」 という言葉がありますが、何も見ずに、何も感じず、自分というものを曝け出すことなく、手放せる事はない‥と、私は思っています。そして、その 「苦しさ」は、たまねぎの皮をむくように何層にもなっていることがあります。一旦は手放したとしても、きっとまた新たなステージで発見することでしょう。もしかしたら、その手放したつもりのもの、はあなたの周りの人が持ってくれているだけなのかもしれません。おなじ思いを抱えている人に、預かっても貰っているだけかもしれません。それは、いつか必ず戻ってきます。その手放したつもりのものは、人の手に渡ることで、利子がついてもどってきます。減るのではなく、増えて還ってくるのです。そうならないためにも、自分の中に感じた 「違和感」 というものから目を背けることなく、きちんと向き合っていただきたいと思っています。
2009年10月09日
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昨日の台風の足跡が、あちらこちらに残っていました。倒れている看板や木々、向きを変えてしまった信号などなど、びっくりすること‥。台風は、なにを知らせてくれたのでしょうね。「周りにいる‥」先日の続きになりますが、その存在は私達と、「繋がる」時、上のほうにいる存在と電話のような線で繋がっている、または、降りてくる、と今までは思ったりしていました、が、何か違うのでは‥と最近感じることとなりました。なにが違うのかといいますと、「遠くの次元にいる」ということではなく、「すべての次元に存在している」という感じではないのでしょうか?そして、私達自身、そして‥目に見えているものもすべて、同じ次元に存在しているわけではなく、それぞれのエネルギー状態にあった立ち居地に存在している、と思っています。どちらが上とか、どちらが下とか言うことではなく‥です。今の自分というものが存在している次元の中で、その目に見えない存在たちのその次元に在る、その一部と触れ合う事が出来るのでは‥と感じています。ですから、ご自身のステージの変っていく中で、触れ合う部分が少しずつ大きくなっていきます。「逆三角形の円すい」 のようなものなのでしょうか?自分の幅か広がれば、触れる部分も広がるように‥きっとたくさんのことを感じ取る事が出来るでしょう。今は、自分の周りに在る殻が邪魔をしたり、自分自身の幅というものが、縮こまっていたりすることで、触れ合う事が出来ず、なかなかその存在を感じることできなかったりしているかもしれません。ですから、本来はだれでも感じれるものであるということ、それは、特別なのではないのだという事をもっともっと信じていただけたらと思います。そして、無理やりに、引っ張ってくる事も出来ます。が、本来はそのようなことは望ましくないと思っています。無理やりに引っ張ってくることは、色々な中継地点をとおり、自分と繋がります。その中継点は、あなたの周りにいる友人だったり、家族だったりすることもあります。でも、その人のフィルターを通す事で、きっと、本来の感じ方と変化してしまう事も在るでしょう。その声は、本来の意図とは違うものになっているのかもしれません。目に見えない存在は、手を伸ばせば側にいます。そのために、あなたは一枚一枚いらない殻を脱ぎ捨て、自分自身に戻っていきましょう。目に見えない存在に対し、私達が感じている部分はほんの一部です。それぞれの次元で受け取り方も違ったりしますある人には、恐怖として感じるかもしれません。ある人には、光として感じるかもしれません。今のあなたの目には、どのように映っているのでしょうか。
2009年10月09日
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台風18号、凄かったです。私が住む東海地方は、ほぼ直撃状態でした。夜中の風の凄い事、凄い事、ほんと!言葉だけ表すのは 「ムリ!」 ちゅーくらいの凄さでした。なんたって、家が揺れるんです。マジで。そのおかげで、ほぼ眠れず‥朝まで起きている事に‥。そして、朝方の停電‥。使えるものは、ガスと携帯のみ。どうなんねん。オール電化の友人は大変だったそうです。なんたってお湯も沸かせない。そのままコンビニへいったそうなのですが、コンビにも真っ暗‥、アイスなど壊滅状態だったそうです。まだまだ困る。テレビも映らない、今の状況を判断する術がない‥のに、学校、どうなるんでしょう?結局、携帯から実家や友人と連絡をとり、警報解除を知ることが出来ました。でも、電気が使えないっちゅーのは、ほんに困りました。今までレンジで 「チン♪」 していたものが、あらあら、大変。蒸し器を出してきて、冷ご飯を温め、シュウマイを蒸す。軽くいつもの倍、時間がかかりました。文明の力、使えなくては意味がなし‥でしたね。この 「台風」 浄化と思うか‥、それとも、私達のエゴや手放した苦しみの塊と思うか‥、さてさて、どちらなのでしょうね。
2009年10月08日
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台風が来ていますね。私が住む東海地方も、今夜から明日にかけて台風が接近、もしかしたら、直撃?するような感じです。雨が激しくなり、暫らくすると風を伴う大雨になりそうです。「自分自身で‥」私達をサポートしているたくさんの存在たち。その存在それぞれに、私達人間がつけたたくさんの 「名前」 があります。私自身は、そのような 「名前」 というものも、本来は必要ないのではないのかな~?とも思ったりしていますが、きっと、在るほうが便利な人がいるからなのでしようね。そして、その中で私自身、ワークの中で「誰々のような存在を感じました。」ということを感想の中で書かせていただいたりすることがありますが、それは、私自身が感じたことであり、受けての方が感じたことではありません。ですから、その言葉を書いている私が言うのもなんですが、その言葉をそのまま受け取る‥のではなく、私達の周りに誰かいたのねっ、位に思ってもらったほうがいいのかな?と思います。その存在たちは、私達の前に現しているのはほんの一部分です。一部ではなく、少しずつ大きな部分に触れるほどその存在は、寡黙になっていくように思います。そして私たち自身、いまどのステージに立っているか‥で、又、その感じ方も違います。同じ存在を感じたとしても、みんなが同じように感じるとはいえません。名前という固定観念、先入観を外し、周りにいる存在に依存することなく、感じ、見、信じ、繋がるべきものは自分自身なのだと‥。きっとその存在たちも望んでいることと思います。
2009年10月07日
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今日はいいお天気でしたね~。そのおかげで布団はほっかほか、洗濯物もとても気持ちよく乾いていました。私、私はというと、一週間ぶりに山にお散歩に‥。が、まだまだ体力ついていかず‥です。脳みそにも刺激してくれるらしいので、来週もお天気と相談しながら、山に行く予定です。「操作」自分の欲望で、大きなものを動かそうとする‥、それは、自然の流れというものを捻じ曲げている事があります。その「欲望」 というエネルギーが、その流れそのものを引き寄せ、変化させてしまうでしょう。それで、終わりと言う訳ではありません。その捻じ曲がった自然の流れというものは、その手を離れ、「暴走」 を始めたりする事があります。水が溢れ、川が氾濫し、町を飲み込むように‥。私達が必要なものは、そのように願わなくとも、自然に手に入ってくるでしょう‥。自分自身が望んでいる、いないにかかわらず。もしかしたら頭に浮かんだ時には、もう手の中に在るのかもしれません。自然の流れは、私たちの中にも在ると思います。互いの流れを損なうことなく、進んでいく事。今は、その流れを感じることが出来ないかもしれませんが、それは、ちょっと河原で腰をおろしているのか、石が目の前に塞いでいるだけかもしれません。きっと、目を凝らせばあなたに必要な何かを見つけることが出来るでしょう。
2009年10月01日
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