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前回の日記からずいぶんと時間が経ってしまいました書きかけの日記と画像が奇跡的に残っていたので旅行記を完結させたいと思います。いよいよアメリカから始まった世界一周も最終日となりました。ヒルトン・ドナウ・ウィーンの部屋から見たドナウ川朝食後はドナウ川を散歩ヒルトン・ドナウの詳しい日記は、こちらそしてホテルからシャトルバスで空港へ旧市街のホテルを巡回した後なので停車は1つだったと思います。まずウィーン・シュヴェヒャート国際空港のオーストリア航空ラウンジへここであまり食べてはだめだよ、と家人に言われました。その理由は後で判明ウィーンから成田へはオーストリア航空OS051便、ウィーン国際空港を13時30分発のフライトでしたほぼ定刻にテイクオフ窓からドナウ川が見えました。そして評判どおりオーストリア航空(OS)は素晴らしかったOSはファーストクラスが無く2クラス制、ビジネスクラスにはスカイシェフなる専属のコックさんが搭乗しています。この帽子をかぶった方がスカイシェフで、お料理をサーブしてくれたりするのです。食前酒オードブルスープメインディッシュそしてコーヒーのメニューが配られメニューの中から選んだものを作ってくれますデザートのワゴンが登場ちょっと欲張ってしまいました機内食とは思えないほど豪華な夕食でした。翌日の朝食この時のコーヒーはユリウス・マインルこうして成田に戻ってきました。長い旅行記にお付き合いくださいましてありがとうございました。この後もいろいろなところへ行っているのですが、おいおいとアップしていこうと思います。
2012年03月06日
ベルヴェデーレ宮殿からトラムDに乗ってハイリゲンシュタットへ行きます。それまでの日記は、こちらトラムのハイリゲンシュタット駅今回はベートーヴェン関連はまわらずホイリゲ直行ですベートーヴェンの家をまわった日記は、こちらベート-ヴェンガング(ベートーヴェンの小径)の入口ベートーヴェン・ガングここを歩いていると自然と頭の中で交響曲第6番「田園」が鳴ります。ハイリゲンシュタットの街並み Heiligenstadt そして着きましたお目当てのホイリゲです。Mayer am Pfarrplatz(マイヤー・アム・プファールプラッツ)プファール広場のマイヤー、ホイリゲであるとともにベートーヴェンが交響曲第9番を作曲した家でもあります。ベートーヴェン・ハウスであることを示す銘板そして新酒のワインが置いてある目印入り口の軒先に小枝の束が目印としてぶら下げられています。マイヤー・アム・プファールプラッツの入口中庭中庭をはさんで左側がビュッフェ・コーナー(デリ)、右側がレストランに鳴っています。ビュッフェ・コーナーの入口ビュッフェ・コーナーホイリゲでの食べ物はビュッフェ・コーナーで購入します。チーズや自家製ハム、ソーセージやサラダなどがあり目移りします。店内ウィーン名物のゲシュプリッター Der G’spritzteその奥のワイングラスに入っているのが今年の新酒です。当然ですがまだ若いです。お料理ドイツ風のお料理はボリュームがあって美味しい長い旅の最終日ということもありゲシュプリツターをがぶ飲みしてしまいました。最高に楽しい一時でした帰りはU4のハイリゲンシュタット駅まで歩いたつもりが、道を間違えてドナウ川に突き当たってしまい。。。ドナウ川通りかかった犬の散歩のおじいさんに道をきき、トラムでU4のハイリゲンシュタット駅までカール・マルクス・ホーフ Karl Marx Hof駅前にはオットー・ワーグナーの弟子であるカール・エーン設計によるカール・マルクス・ホーフという集合住宅がありました。こちらもユーゲントシュティルの建築で、長さが全長1km以上にもおよぶそうです。ハイリゲンシュタット駅こうしてヒルトン・ドナウ・ウィーンの最寄り駅スタディオンに戻ってきました。ヒルトン・ドナウの日記は、こちら駅前のスタジアムの広場にあるバスターミナルでびっくりなんとハイリゲンシュタット行きのバスがある今度来ることがあったらこれに乗ろう。。。ヒルトン・ドナウのエグゼクティブ・ランウジこうしてロサンジェルスから始まった長い旅は終わろうとしています。明日はいよいよ帰国です、つづく。
2012年02月05日
アウエンブルク通りのマーラーの家から斜め前のベルヴェデーレ宮殿へマーラーの家の日記は、こちらベルヴェデーレ宮殿入口こちらの入口からだと下宮が近いです。下宮には昨年入っているので今回はパス。下宮にはハプスブルク帝国の総司令官であったオイゲン公(1663~1736)関連の展示品が多いです。昨年はこのオイゲン公が誰だかさっぱりわからなかったのですが、今回はイスタンブールから回ってきたのでわかりますオスマン帝国を撃破した英雄だそうです。逆にトルコ側の言い分としてはウィーンがあまりにも田舎なので、取るべきものが無かったという事らしいです。そもそもベルヴェデーレ宮殿はこのオイゲン公の夏の離宮でした。下宮から見た上宮下宮 Belvedere - Unteres Belvedere上宮が近づいてきます上宮入口 Belvedere - Oberes Belvedereグスタフ・クリムトの「接吻」をもう一度みたかったのです。シーレやココシュカの様々な代表作も展示されていて至福の時でした。宮殿内のシャンデリアイスタンブールのドルマバフチェ宮殿を見た後だから、なんだかしょぼく見えてしまいます悔しまぎれでしょうが「取るべきものが無い」といったオスマン帝国側の言い分も、なんとなくわかるような気がしました。さて、ここからまたトラムDに乗ってハイリゲンシュタットへ行きます。このトラムDはウィーンのリンク沿いを走るので、ウィーンの名所を車窓から見ることが出来ます。Schwarzenbergplazにあるフランス大使館美術史美術館自然史博物館国会議事堂中央にアテナ女神像があるギリシャ神殿風の建物。1週間前に見たギリシャの首都・アテネの国会議事堂はなんとなくドイツ風。不思議です。。。。アテネのシンタグマ広場の日記は、こちらこうして郊外のハイリゲンシュタットに着きました。ハイリゲンシュタットは新酒のワインが飲めるホイリゲの街でもあり、ベートーヴェンゆかりの地でもあります、つづく。
2012年02月04日
アーノルド・シェーンベルクセンターから歩いて、グスタフ・マーラー(1860年~1911)が住んでいた家へアーノルド・シェーンベルクセンターの日記は、こちら昨年来た時は住所をきちんと控えてなかったので、見つけることが出来ず悔しい思いをしました。今回はすぐに見つけることが出来ましたアウエンブルク・ガッセにあります。トラム71の線路に面していて以前何度も通った場所でしたマーラーが住んでいた家 Mahler-Auenbruggergasse1階の角はカフェになっています。建物はユーゲント・シュティル(アール・ヌヴォー)の巨匠、オットー・ワーグナーの設計です。オットー・ワーグナー・パビリオン・カールスプラッツの日記は、こちら現在も現役のアパートメントとして使われています。なので外から眺めるだけです。銘板には「1898年から1909年までグスタフ・マーラーが住み作曲した」と書いてありました。この間作曲家としては交響曲第4番から第8番、大地の歌まで作曲、指揮者としては国立歌劇場の芸術監督→1907年に辞任、個人としては1902年にアルマと結婚、二人の娘の誕生、長女の死、そして自身は心臓病と診断。新婚で幸せいっぱい、仕事も順調な絶好調期から夫婦間に陰りが見え、音楽監督を辞任、アメリカへ渡るまでの激動の時期です。ちなみにマーラーがアルマと結婚式を挙げたのは、カールスプラッツにあるカールス教会です。カールス教会の日記は、こちらシュターツオパーも、カールス教会も、ここからですと全部徒歩圏です。建物の中の様子さてここから斜め前のベルヴェデーレ宮殿へベルヴェデーレ下宮の入口 Unteres Belvedereウィーン世紀末散歩のしめくくりはベルヴェデーレ宮殿のクリムトやココシュカ、シーレなどの絵です、つづく。
2012年02月03日
シュターツ・オパーの前からトラムDに乗って、アーノルド・シェーンベルクセンターへ行くことにしました。今回はウィーン世紀末散歩なので、音楽ではやっぱりシェーンベルクとマーラーははずせません。空港のインフォメーションでもらったウィーンカードのパンフレットには、トラムD、2、71のいずれかでSchwarzenbergplaz下車と書いてありました。広場をはさんでトラムは2方向に分かれるので、西側に着くトラムDよりも東側に着くトラム71の駅の方が近いように思います。シェーンベルクセンター外観 Arnold Sch?nberg CenterHaus der Industrieという美しい建物の中に入っています。まず入口のインターホンを押して正面玄関を開けてもらい、受付のガードマンに行き先を告げて入館します。この建物には石油会社のルクオイル(LUKoil)も入っていて、セキュリティーは若干きつめです。H階がルクオイル、M階があって、1階がシェーンベルクセンター、おそらくセンターは日本の2階部分にあたるかと。シェーンベルクセンターの入口センターのロゴは12音を表しています。研究所としての活動も行っていて、奥がオフィスになっています。まずビデオコーナーがありセンター監修によるビデオが上映されていました。この時上映されていたのは「ピエロ・リュネール」「ペレアスとメリザンド」「モーゼとアロン」と「5つの管弦楽曲」の演奏でした。たくさんの演奏会プログラムが飾られています。作曲家としてはもちろんのこと、指揮者や教育者でもあったシェーンベルクの業績を見ることが出来ます。ピエロ・リュネール(月に憑かれたピエロ)の楽譜シェーンベルクの肉声を聞けるコーナー晩年のロサンジェルスの仕事部屋の再現シェーンベルクはユダヤ人であったため、第二次世界大戦中にアメリカに移住しています。この書斎は作曲家のお嬢様の監修の下、再現されたようです。センターでは自画像や家族との写真なども展示されていて、家庭人としての一面もうかがうことが出来ました。センターにあった売店シェーンベルクに関する書籍や楽譜がたくさんありました。楽譜に関してはほぼ全部揃っているのではないかと思います。自画像の絵葉書やノートなどもありました。それでつい購入してしまいました。青い顔の自画像はかなりマニアックで、ちょっと怖いシェーンベルクのファンにはたまらない場所でした。さてここからすぐ近くのマーラーの住んでいた家へ昨年探せず涙をのんだ場所でもあります、つづく。
2012年02月02日
U4のケッテンブリュッケンガッセ駅からシューベルト最期の家へ行きます。ナッシマルクトからケッテンブリュッケンガッセ駅までの日記は、こちらStadtbahn Station Kettenbrueckengasseオットー・ワーグナー設計の美しい駅からシューベルトの家までは、ゆっくり歩いても5分もかかりません。じつは昨年も訪れています。その時の日記は、こちらそれから約1年半しか経っていないのに、周囲の風景は随分変わったように思います。中華系のお店がものすごく増えたような。。。周囲の景観をまったく無視したド派手な看板にビックリです。さて、1828年11月19日シューベルトが息を引き取った部屋は、現在は博物館になっています。水曜日と木曜の10時から13時、14時から18時の2日間のみという短い時間しか開館していません。集合住宅の2階(実際は3階)の一部屋が博物館になっています。昨年訪れた時は閉館日で入ることが出来ませんでした。まず入口で博物館のインターホンを押して共有の正面玄関を開けてもらいます。ドアを開けて中に入ると中庭になっていした。これは中庭から見上げたところです。今でも普通にマンションとして使われています。3階の博物館の入口 Schubert Sterbewohnung兄フェルナンドの住まいであったこの家で、フランツ・シューベルトは人生最後の日々を送りました。 この家では弦楽五重奏曲や最後の3曲のピアノソナタが作曲されました。あの偉大な弦楽五重奏曲はここで生まれたのか。。。ここはずっと来たかったところなので静かな感動に浸っていました。U4の駅に向かって歩いていたら、ちょうどバスが来たので乗ってみますバスの車窓から見たセセッシオンカールスプラッツ駅の近くの国立歌劇場(シュターツ・オパー)の前で下車シュターツオパーと言えばやっぱりお隣のホテル・ザッハです。もちろん食べましたよザッハトルテやっぱり美味しいです個人的にはデメルよりもホテルザッハの方が好きです。さてここからトラムに乗ってアーノルド・シェーンベルクセンターへつづく。
2012年02月01日
カールス教会からカールス広場の工科大学沿いに歩いて、セセッシオンへ行きます金のドームが見えてきましたセセッシオン Secession この日は観光バスが横付けされてますセセッシオンの前を通過ここは昨年来た時に入ったので今回は外からみるだけ。セセッシオンの日記は、こちらそのままナッシュ・マルクトへNaschmarkt, Wien「ウィーンの胃袋」と呼ばれる食品市場で、うなぎの寝床のように細く、長く続いていました。ドライフルーツのお店トルコ系、アラブ系のお店も多かったです。ドライフルーツ類はイスタンブールのエジプシャン・バザールの品物を品よく並べたかんじ、これだと買う気がしてきますね。八百屋さんまだお昼前でしたので活気はそれほど無かったのですが、ピクルスやデリのお店などもあって見ていて飽きません。このナシュ・マルクトを抜けると見えてきましたユーゲント・シュティール(アール・ヌーボー)を代表する建築家、オットー・ワーグナーの設計した集合住宅です。昨年近くまで行って見逃して涙をのんだ建物です。その時の日記は、こちらメダイヨンハウス Medaillon Hausオットー・ワーグナーが1890年代に設計した金色の硬貨の飾りのついたマンションです。そのお隣がマジョリカハウス。Majolika hausバラの花模様のマジョリカ焼きタイルを壁面に使っているそうです。お天気が今一つなのが残念。。。マジョリカハウスの左隣もとっても綺麗そのままウィーンツァイレを真っ直ぐ行きますきれいな建物がたくさん並んでいました。ツァイレとは川筋という意味でこの地下にはウィーン川が流れているそうです。そしてU4のケッテンブリュッケンガッセ駅に着きました。カールスプラッツ駅から地下鉄1駅分歩いたことになります。Stadtbahn Station Kettenbrueckengasseこちらもオットー・ワーグナーの設計。現在も地下鉄の駅舎として現役で使われています。さてここから念願のシューベルト最期の家へこの日は週に2日しかない開館日でした、つづく。
2012年01月30日
オットー・ワーグナー・パビリオン・カールスプラッツを見た後は、お隣のカールス教会へハプスブルク家の皇帝・カール6世が、1713~14年にウィーンを襲ったペストの流行の早期終息を願って建設した教会です。この時期のもう一つの大きな歴史的な背景としては1689年に16年に及ぶオスマン帝国の侵攻を撃破した事があげられます。これによりハプスブルク家は対トルコ戦争に終止符を打ち、ウィーンの市街地がリンク(城壁)外へと一気に拡大、華麗なバロック建築がたくさん建てられるようになったそうです。 Karlskircheバロック建築の傑作だそうです。でもアテネからイスタンブールと旅をしてきた私には、とても奇妙なファザード&建築に思えてしまいます。。。正面はギリシャ神殿のイオニア風、ドームはローマカトリックの大本山・バチカンのサンピエトロ大聖堂にそっくり、おまけに両脇に2本のモニュメント(記念柱)。この記念柱はローマのトラヤヌス帝の記念柱や、マルクス・アウレリウス帝の記念柱をモデルにしたそうです。マルクス・アウレリウス帝の記念柱の日記は、こちら ですがローマでもコンスタンチノープルでもローマ帝国の記念柱と言えば広場やピッポドローム(競技場)のド真ん中にドーンと建っているものです。ハプスブルグ家がローマ帝国の正当なる継承を見せつけアピールしたかったのか、など深読みしたりして興味はつきません。内部は天井画修復のための足場が組まれていましたが、なんとこの足場に登ることが出来ました途中まではエレベーター(右側)で、そして最後は階段です。階段を一段上るごとに足場全体がミシッと揺れて怖かった途中のフレスコ画はヨハン・ミヒャエル・ロットマイヤー作で、聖カール・ボロメウス(1538?1584)をはじめ天国の様子などが描かれています。聖母マリアに支えられる聖カール・ポロメウス Carolus Borromeusこの聖人はカール6世と同名の守護聖人で、1576年にミラノで流行した伝染病(ペスト)に立ち向かった聖人です。階段を登りながら至近距離でゆっくりと見ることが出来ます。当然ですがイスタンブールのローマ帝国時代のフレスコ画とは、全然趣が違いますねぇ。。。カーリエ博物館の日記は、こちら最後の登り、高さ55.5メートルの天井部分ちょうどこの部分にあたるかと最上部のドームの天井画鳩が描かれていました。さて下へ降ります。中央の主祭壇ドイツ的というよりはローマの教会に近いですね。こうして興味はつきませんがカールス教会を後にしました。次はユーゲント・シュティルの建築を見に行きます、つづく。
2012年01月29日
ウィーンの2日目の朝です。ヒルトン・ウィーン・ドナウの朝食はアメリカン・ブレックファーストでした。ヒルトン・ドナウの詳しい日記は、こちら今日は個人的な趣味で「ウィーン世紀末散歩」をすることにしました。世紀末建築や美術、そして音楽をめぐる散歩はこちらの本を参考にしました。ヒルトンの最寄駅スタディオン駅前のスタジアムへここはショッピングセンターになっていました。ちょっとスーパーマケットをのぞいてみます。バート・イシュルのハーブソルトや、チョコレート、フルーツティーなどがたくさんあったので明日買うことにします。さてスタディオン駅からU2に乗ってショッテンリンクまで行き、U4に乗り換えてカールスプラッツへ所要時間は20分もかからないと思います。意外と近いウィーン世紀末散歩は楽友教会(ムジーク・フェライン)からスタートこの時ウィーン・フィルハーモニはちょうど日本ツアー中ガッカリというか、行き先が日本というのが悔しすぎます。さてその楽友教会の前でガックリとうなだれている(ように見える)ブラームス像そして遠くに見えるのが、オットー・ワーグナー・パビリオン・カールスプラッツとカールス教会です。まずパビリオン(展示室)に行ってみます。Otto Wagner Pavillon Karlsplatz1898年、Sバーンの駅舎としてオットー・ワーグナーが設計。白い壁と緑の鉄骨、そして金色の向日葵の装飾文様が美しいです。中は展示室になっていたので入ってみました(2ユーロ)。展示室にはオットー・ワーグナーの年表や写真、絵画代表作アム・シュタインホーフ教会などの模型などが展示してありました壁面の金の装飾が印象的イスタンブールから来たので、このような無駄を削り落としたシンプルな装飾は新鮮に見えます。床の黒と白のシンプルなタイルがユーゲント・シュティル(Jugendstil)まさにアール・ヌヴォーですね。向かい側に同じ建物がありそちらはカフェになっていました。これはパビリオンの中から見たカフェです。まだ朝が早いので開店準備中。オットー・ワーグナー・パビリオンはとても小さな博物館でした。さて次はお隣のカールス教会へ、つづく。
2012年01月28日
イスタンブールからウィーンへは約1時間遅れで到着到着後はまずツーリスト・インフォメーションでウィーン48時間フリーパスを購入。10ユーロなり、これでウィーンの交通機関は乗り放題です。今回の滞在は2泊と短いのです。それにしても空港のインフォメーションはいつも丁寧で感心してしまいます。美術館割引特典がつくウィーンカードもあるよとか、打刻を忘れないでねとか、市外の空港から市内直前の乗車券も必要だよとか、親切に教えてくれます。この時点で夜の20時、家人は空港からタクシーを強く希望していましたが、せっかくフリーパスがあるのだから公共交通機関を使って自力で行きます今回のホテルはヒルトン・ドナウ・ウィーンです。まずウィーン空港駅からSバーンに乗ります。このSバーンがバリアフリーじゃないんだな電車に乗る時に段差があってトランク上げがツライです。そしてプラーター・シュテルン駅でUバーンに乗り換え。U2でスタディオン(Stadion)駅まで行きます。駅を降りると大きなスタジアムがありました(翌日撮影)。そうか、スタディオンってスタジアムのドイツ語なのね。「シュターディオン」の方が現地の発音に近いかも。ここからドナウ川方向へトランクをゴロゴロと転がしながら歩くこと約5分、ヒルトンが見えてきました。この間住宅街なのですが車が斜めにビシッと揃って駐車してあり感動「ああ、ドイツ語圏に来たのね」とあらためて思う。今までのアテネとイスタンブールは車の無法地帯、カオスと化していました。気のせいか空気まで澄みきっているように感じる、いや、実際きれいなのかも。旅の最後がウィーンでほんとうによかった(感涙)。Hilton Vienna Danube hotel本当はミッテ駅に近くアクセス抜群のヒルトン・ウィーンを希望していましたが、誰もがそう思うのか満室で取れませんでした。前回は旧市街のヒルトン・ウィーン・プラザに宿泊したので、今回はヒルトン・ドナウ・ウィーンにしてみました。ヒルトン・ウィーン・プラザの日記は、こちらエントランスツインルームお部屋はモダンなアメリカン・タイプ窓の外はドナウ川が流れています。部屋から見たドナウ川アメニティはおなじみのクラブツリー&イヴリンクラブ・ラウンジへ行ってみました(写真は最終日の撮影)。こちらもアメリカン・タイプで、大型ビジョンではサッカーのドイツ国内リーグが放映されていました。ヨーロッパ風のヒルトン・ウィーン・プラザのラウンジと大違いです。プラザのラウンジの日記は、こちらヨーロッパのホテルを期待していくとガッカリすると思います。飲み物類も全部セルフサービスです。でも私はこの方が気がラク~でいいです。好き勝手にいろんなものが飲めるって、何て良いのでしょう。紅茶はロンネフェルトでした。美味しいです。ドナウ川と反対方向にはライトアップされたプラーターの大観覧車が見えます。カクテルタイムの軽食朝食ドナウ川から見たヒルトンお天気の良い日は散歩にいいかもこのまま川沿いに根性で歩けばハイリゲンシュタットです(後で気づいた)。ドナウ川が近くて、静かで、とても居心地の良いホテルでした。この日はこれでおしまい、明日からウィーンの街歩きです、つづく。
2012年01月24日
ベートーヴェンのパスクァラティ・ハウスからハイリゲンシュタットへは、トラムDに乗り終点のBeethovengangまで行きます。 それまでの日記は→こちらBeethovengangとは「ベートーヴェンの散歩道」という意味、ウィーン郊外の終点まで約30分くらいゴトゴトと途中で見つけた面白い建物、ものすごく長いのです。あとで調べたらオットー・ワーグナーの弟子であるカール・エーン設計によるカール・マルクス・ホーフという集合住宅でした。全長1km以上あるそうです。さて、ハイリゲンシュタットの名を世界中に有名にしたのは、ベートーヴェンが書いたハイリゲンシュタットの遺書ですが、ここはウィーンで2番目に有名なホイリゲ街でもあります。ホイリゲとは「今年の」という意味があり、「今年のワイン」つまり新酒を意味する言葉であると同時に、それを飲ませるワイン専門の居酒屋もホイリゲと言います。ベートヴェンファンにとっては2度おいしい街、それがハイリゲンシュタットなのです。トラムDの終点、Beethovengang駅まずはベートーヴェンの散歩道から散歩好きのベートーヴェンがこの小川のせせらぎを聞いて、交響曲第6番「田園」第2楽章の楽想が生まれたそうです。iPodに「田園」を入れて持ってきたのですが、鳥のさえずりがとても綺麗だったので、あえて聴かなかったです。第2楽章の最後の鳥の鳴き声のインスピレーションはここから生まれたのかしら。。。さて、どんどん道を進んでいきます。ベートーヴェンの時代は馬車で半日かかる避暑地でしたが、今は高級住宅街となっていて、大きな邸宅が立ち並んでいました。散歩道にあるベート-ヴェン・ルーエ(休憩場)には胸像がここからハイリゲンシュタット公園方向へ向きをかえます途中住宅街を抜けていくのですが、もう夕方ということもあり、ワンコとお散歩している方が多かったです。ハイリゲンシュタット公園ここでベートーヴェンは耳の治療としての鉱泉浴をしていましたが、この湯治場跡がハイリゲンシュタット公園として残っています。そしてこれが見たかったウィーンの森をお散歩するベートーヴェンベートーヴェンが1808年に詩人のグリルパルツアーと一緒に住んだ家そしてハイリゲンシュタット遺書の家です。中央の扉を入り中庭を抜けた正面にベートーヴェンの部屋があり、現在は市立の博物館になっています。ここで書かれた遺書は彼の死後、机の中から発見されました。遺書の日付は1802年10月6日になっています(当時は31歳)。ざっくりと遺書を要約すると←すみませんっ 音楽家にとっては命の耳が聞こえないのはつらいけれど、 頑張って芸術家としての使命を全うしようという、とても前向きな内容なのです。その証拠にこれを書いた後も25年生き、偉大な作品を残しておられます。 この家で作曲された作品 交響曲第2番 さて、この遺書の家の前の道をまっすぐ行くとプファール広場に突き当たりここにもベートーヴェンが1817年に住んだ家があります。 1817年の夏に滞在し、交響曲第9番を作曲した家なのですが、現在はホイリゲとなっています。この「第9の家」=Mayer am Pfarrplatz(マイヤー・アム・プファールプラッツ)で夕食をとるのも目的のひとつでした。Mayer am Pfarrplatzは「プファール広場のマイヤー」という意味。ここが入り口です。真夏だったら中庭のテラス席がよいかもここには自家製のホイリゲワインがありました。そしてそれを炭酸水と1対1の割合で割ると、ウィーン名物のゲシュプリツターにもなります。典型的なホイリゲ料理はセルフサービスになっていて、別棟のビュッフェカウンターへ行って好きなものを選びます。こうしてウィーンでの3日目が終わろうとしています。さて明日はドレスデンに移動ですホテルに戻って荷造りをし、翌朝に出発です。次からはドイツ編になります、つづく。
2010年05月26日
ホテルで少し休憩をとった後は、まず徒歩圏内のベートーヴェンのパスクァラティ・ハウスへヒルトン・ウィーン・プラザから徒歩で5分くらいでした。この階段を上がるとパスクァラティ・ハウスの裏側に出ます。昔の城壁の上に建っているため周りの建物より高くなっています。ここの住所「ウィーン1区、メルカーバスタイ8」からも、高台にあたることがうかがえます。バスタイは「稜堡」という意味で、城の突出部のこと。かつてはちょうどこの場所に城壁があったことを示しています。家の名はベート-ヴェンのよき理解者でもあった家主のパスクァラティ男爵の名をとっているそうです。Beethoven Pasqualatihaus重い扉を開けると、中が真っ暗でびっくりします。タイマー式の電灯なので自分でスイッチを入れなければ灯りがつかないのです。以前に訪れたことがある家人がいなかったら、階段を上るのをためらうところでした。このらせん階段を5階まで上ると、展示室があります。日本とフロアの数え方が違うため、表示では4階。ピアノとライフマスクに基づいた胸像生前の様子そのままのライフマスクと、W.J.メーラー作の肖像画(後方右)引越し魔で知られているベートーヴェンですが、ここは生涯で最も長い間住んで作曲活動の場にしていたそうです。パスクァラティ・ハウスの窓から外を撮影ベートーヴェンは見晴らしのよい住居を好んだそうです。左手に見える建物はウィーン大学です。 ここで作曲された主な作品(パンフレットによる) 交響曲第4番、第5番、第7番、第8番 歌劇「フィデリオ」ここも子供の頃から訪れたかった場所だったので、念願がかなって嬉しかったです次はトラムに乗って郊外のハイリゲンシュタットへ同じくベートーヴェンにゆかりのある場所です、つづく。
2010年05月26日
美術史美術館を観た後は、トラムでカールスプラッツへ それまでの日記は、こちらここはターミナル駅なので、滞在中何度も通りました。今回はセセッシオン方面の出口に向かいます地上に上がる階段の途中からセセッシオンの黄金のドームが見えてきましたウィーンの芸術家グループ「分離派」が自ら築いた、ユーゲントシュティール(アールヌボー)の至宝といわれている展示館です。正面からみたところ黄金のドームは「金色のキャベツ」と呼ばれているそうです。その下には、 時代にはその芸術を、芸術にはその自由をという分離派のスローガンが刻まれています。青銅の扉はグスタフ・クリムトの弟ゲオルク・クリムトの作。ここの目玉は地下にあるベートーヴェンの交響曲第9番をテーマにした、グスタフ・クリムトの連作壁画「ベートーヴェンフリース」です。ゴリラみたいな怪物も描かれていて不思議。。。その理由はパンフレットにも書いてあるのですが。あくまでもクリムトの解釈にもとづく第9なので、観る側はそれにとらわれなくても良いように思いました。次はシューベルト最後の家へ行くことに。地下鉄U4に乗って一つ先のKettenbrueckengasse駅へドイツ語の駅名は長くて最初は慣れなかったのですが、道路の名前がついていることが多いという事が判ってきました。この「Kettenbrueckengasse」も「Ketten-bruecken-gasse」と分解して、「ケッテン橋通り」となります。シュトラーセが大通り、ガッセが小さな通りになります。Kettenbrueckengasse駅を降りたところ。あまりにも綺麗なので写真におさめたのですが、この先にユーゲント・シュティールの傑作といわれているオットー・ワーグナー作のマジョリカハウスがあったのです←あとで気がついた マジョリカハウスの美しい画像は、こちら(独ウィキペディア) 後日行ったときの日記は、こちらこれを見逃したのは痛恨のきわみものすごく近くまで行っただけに悔しさ倍増です。。。(涙)さて、シューベルト最期の家は駅から5分くらいのところにありました。ここは開館が水曜日と木曜の10時から13時、14時から18時の2日間のみという情報を事前にもらっていたのですが(この日は火曜日)、どうしても外観だけでも見たかった場所です。兄フェルディナンドの家で、シューベルト最期の家。3つのピアノソナタ(D958、D959、D960)はここで生まれました。ここからまたU4でカールスプラッツへここまで美術館をふくめてかなりの距離を歩いたうえに、荷物も多かったので(塩とかチョコとかケーキとか)U2に乗り換えいったんホテルに戻ることにしましたヒルトン・ウィーン・プラザのラウンジのテラスです。この後も予定があるのであまりゆっくりもできないのですが、ちょうど出ようとした時に3時のティータイムのお菓子が並べられました。ささっとつまんでからホテルを後にしました。次は徒歩圏内のベートーヴェンのパスクァラティ・ハウスに寄ってから、郊外のハイリゲンシュタットへ、つづく。
2010年05月25日
王宮(ホーフブルク)から美術史美術館へは徒歩で移動 それまでの日記は、こちらリンク内の観光をこの順番にしたのは、王宮が9時開場、美術館が10時開場だから。入場料はウィーンカード割引で9ユーロでした。ウィーンで美術館をひとつだけ見るのなら迷わずここへ、と「地球の歩き方」に書いてありました。ヨーロッパ三大美術館の1つだそうです。昨日行ったベルヴェデーレや、ルーブル美術館などが、昔の宮殿や王宮を利用した美術館であるのに対して、ここはハプルブルク家が集めた美術品を展示するためだけに作られたとの事。その建築にあたっては期間・予算の制約を一切受けなかっただけあって建物そのものが既に超一級の芸術作品の域に達しています。エントランスホールです色大理石を惜しみなくふんだんに使い,床から天井装飾まで絢爛豪華そのもの。中央階段にあるのはカノーヴァの彫刻です。じつはここにはクリムト兄弟の作品もあるのです。絵画ではなく、壁面の装飾画の一部がクリムトによるものです。2階の絵画室にたどり着く前に、既にノックアウト状態でした。所蔵は世界最多を誇るブリューゲルのコレクションをはじめ、フェメール、ラファエロ、ルーベンスなどの傑作が目白押し。むかし美術の教科書で見た名画が、至近距離でこれでもかというくらいに登場します。しかもここは写真撮影もフラッシュを使わなければOK。ビデオを回している人もいました。時間が許せばまる1日かけて鑑賞する価値はあると思います。もう一つ特筆すべきはここのカフェです。美術館内にあるカフェ・ゲルストナーは美術館の中にあるカフェの中で世界一美しいといわれているそうです。1847年創業のハプスブルク家御用達のお菓子屋さんで、ここでお茶するのも目的のひとつでしたちょうど階段を上がったところにあります。左からマリア・テレジア(オレンジリキュールと生クリーム入りコーヒー)アプフェル・シュトゥルーデル(ウィーン風アップルパイ)とメランジェここから高いドーム天井を見上げたところ。中央部分が1階からドームまで、吹き抜けになっています。最後にここで一番心に残った絵画を。フェルメールの「画家のアトリエ(絵画芸術)」です。さて次はカールスプラッツまで行き、シューベルト最期の家ウィーン分離派(ユーゲントシュティール)建築のセセッシオンへ行く予定、つづく。
2010年05月25日
ウィーン第2日目はまずリンク内の王宮(ホーフブルク宮殿)からスタート、ホテルのヒルトン・ウィーン・プラザからトラムに乗って行きますヨーゼフ2世の騎馬像があるヨーゼフ広場昨日見たミヒャエル門からではなく、ブルク門からの入場です。 昨日の日記は、こちらシェーンブルン宮殿のシシィ・チケットで王宮も入場可能ハプスブルク家が13世紀後半から1918年まで、約600年以上にわたって住居としてきた王宮だそうです。郊外にあるシェーンブルン宮殿と違って都心の宮殿のため敷地が限られているところに歴代の君主たちが建て増しを繰り返したため、ご覧のように色々な形式の建物が並んでいます。そのためごちゃごちゃした印象がゆがめないうえに、最低限の標識しかないため入口が分かりにくいのですまず「銀器コレクション」からスタート銀器だけかと思ったら、金器、陶器など、ハプスブルク家の膨大な食器などがずらりと並んでいました。東洋趣味を反映する伊万里や景徳鎮のコレクションもあります。ここから3階へ上がり「シシィ博物館」から「皇帝の部屋」へシシィ博物館の入り口です。シシィとはハプスブルク家の事実上最後の皇后エリザベートのこと。シルエットに注目です身長172センチ、体重50キロ(そのうち髪の重さが5キロ)、ウエスト50センチこのプロポーションは生涯変わらなかったとか。そのために過酷な絶食と過度の運動を続けたそうです。シシィの部屋には吊り輪やハシゴなどの運動道具がおかれていました。あと実際に着用したドレスも展示されていたのですが、たしかにウエストは細かったです。皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の執務室には、こちらのシシィの肖像画が飾られていました。シシィの肖像画ではヴィンターハルターが描いた星のドレスを纏った舞踏会姿のものが有名ですが、私はこちらの方が好きです。質実剛健だった皇帝の部屋は質素そのもので装飾のない簡素なシングルベッドが哀愁を帯びていました。この日は朝一の入場だったせいか来場客がいなくて貸し切り状態、係員のほうが多い、という贅沢な環境でした。王宮内のアウグスティーナ教会へ17世紀からハプスブルク家の儀式が行われた宮廷教会で、マリアテレジアとフランツ1世、ナポレオンとマリールイーズ、フランツヨーゼフ1世とエリザベートの結婚式も行なわれたそうです。ここでは随時音楽会を開催しているようです。訪れた時にはパイプオルガンとチェロのリハーサルが行われていて、1730年に作られたロココ様式のパイプオルガンの音を聞くことが出来ましたさてここからトラムで美術史美術館へ行きますここでは名画の数々に圧倒されることとなります、つづく。
2010年05月24日
ウィーンでのショッピングで代表的な通りをまずは前にもかいたのですが、シュテファン寺院のはす向かいのグラーベン通りです。グラーベンは歩行者天国で一番道幅が広い通りです。カフェのパラソルがたくさん。ここにあったH&Mは歴史ある建物をそのまま使ってました。リーズナブルな価格でウィーンでも大人気、人でいっぱいでしたが、ここはH&Mの上位ラインのコレクションラインの商品が中心だそうです。けっこう寒かったのでストールと、旅行に持ってくるのを忘れてしまったチークをパパッと購入。メイクはまだ日本には入っていないのではないでしょうか。二つ合わせて10ユーロ以下だったかと。次は正面に絢爛豪華なハプスブルク王宮ミヒャエル門がそびえるコールマルクト通りです。たった150m間にカルチェ、バーバリー、Gアルマーニ、シャネル、グッチ、ルイヴィトン、フェラガモ、D&G、ティファニー、ブルガリなどの高級ブランド店が並んでます。デメルもここにあります。この密集度は他になく、あまり動きたくない人にとっては非常に便利な通りだといえます。ここではついついこれをGETネヴァーフルは日本でも良く見ますが、EU圏でも大人気。石を投げれば持っている人にあたるのでは?と思うくらいの所持率で、なんだかつられて購入してしまいました(440ユーロ)。ここでタックスリファウンドの手続きをしましたが、気をつけなければならないことがあります。オーストリアではブランド品はバッグと財布を一人一個ずつしか申請出来ないとの事。免税で購入出来るのは自分の分だけでした。EU外居住者で購入した品物をEU外で消費することが証明できる物として、パスポートを提示する必要があります。(場合によっては帰りの航空券も)この申請用紙をEU最終出国空港の税関で購入品と共に提出し、EU税関からスタンプとサインをもらって、用紙をポストに投函して終了です。付加価値税(消費税)20%のうち諸経費を差し引かれた金額が数ヶ月後に口座に戻ってくる予定です。さてルイ・ヴィトンですがやっぱり人が多いです、特にロシア人と中国人が多かった。ちゃんと中国人の店員さんもいるんですよね。私は旅行するとスーパーマーケットに行くのですが、ウィーンではBILLA(ビラ)とSUPER(スパー)をよく見かけました。こちらはカールスプラッツにあったスパーです。ザルツブルクの岩塩やモーツアルトチョコレートなどを購入しました。お土産屋さんで買うよりもお徳ですよさて次からはウィーン2日目の日記になります、つづく。
2010年05月21日
ベルヴェデーレ宮殿・下宮からトラム71に乗って中央墓地へそれまでの日記は、こちら中央墓地の第2門(Zentralfriedhof Zweite Tor) で下車。広大な中央墓地はトラムの停車所だけ4駅ありますので、停車駅には注意が必要です。ここまでかなり距離があり、トラムで30分近くかかりました。まず入り口のお花屋さんでバラを買ってから、ウィーンに縁のある有名人が眠る名誉区のうち、楽聖たちの眠る第32区Aに向かいました左がベート-ヴェン、右がシューベルトのお墓です。お花がたくさん供えられていました。ブラームスのお墓です。ここは子供の頃から行きたかった場所なので、静かな感動に浸っていました。さて、ここから旧市街へもどります。帰路はトラム71では時間がかかりすぎるので、Simmeringで途中下車して地下鉄U3に乗り換えシュテファンプラッツ駅で下車、旧市街へウィーンの象徴・シュテファン大聖堂教会内部です。いずれも大きすぎてカメラに収まらずさてここまで当初の計画通り順調に進んだので、ちょっと町歩きをしてみることに表通りを一歩抜けると、それは美しい路地や町並みがあります。街全体が美術館のようです。そして何らかの歴史的な事が起きた場所には、オーストリアの旗とプレートが置かれています。上の画像の左手にもみえますが、じつは赤い建物にも旗は無いのですが銘板がかかげられていました。ロベルト・シューマンがウィーンで過ごした家だそうです。さてここからお買い物へ(内容は次回に詳しく書きますね)シュテファン大聖堂のはす向かいのグラーベン通りです。グラーベンは歩行者天国で一番道幅が広い通りです。長さ200m程度の通りの真ん中にあるのはペストの記念柱。そして正面にハプスブルク王宮ミヒャエル門がそびえるコールマルクト通りへたった150m間にカルチェ、バーバリー、Gアルマーニ、シャネル、グッチ、ルイヴィトン、フェラガモ、D&G、ティファニー、ブルガリなどの高級ブランド店が並んでます。ザッハトルテのお店「デメル」もここにあります。そのコールマルクト通りの入り口には、アドルフ・ロースが設計したロースハウスが絢爛豪華なハプスブルク王宮に向き合うように建っています。世紀末芸術の建築で、今回見たかったものの一つです。装飾を完全否定した先鋭的なデザインで、これもウィーンのもう一つの顔になっています。ここから地下鉄を乗り継いで、宿泊先のヒルトン・ウィーン・プラザに戻りました。エグゼクティブ・ラウンジからの眺めです。軽いお食事をとる事もできました。長い一日がおわろうとしています。明日は王宮を中心としたリンク内の観光と、郊外のハイリゲンシュタットへ行く予定です、つづく。
2010年05月21日
シェーンブルン宮殿から地下鉄U2でカールスプラッツ駅へ。 ここまでの日記は→こちらここはU1、U2とU4が通るターミナル駅です。地上には大通りを渡る横断歩道が無いので、移動はすべて地下道経由となります。とは言っても新宿や大手町、梅田などの地下街に比べたらはるかに規模が小さく、ご覧の通り地下部分も浅いので、日本人だったら楽勝だと思われます。ベルヴェデーレ宮殿はここからトラムで向かうのですが、その前に国立オペラ座(シュターツ・オパー)に寄りますオパー方面の出口地上に上がれば、すぐにシュターツ・オパーです。滞在中は「カルメン」や「トスカ」などの上演があったのですが、早い時期にソールドアウトでした、遅かったオペラ座の一つ隣ブロックに、ホテル・ザッハーがあります。そして面白いことにザッハーの前には、スターバックスがカフェ文化のウィーンのど真ん中で営業中。さてホテル・ザッハーでは、ザッハ・トルテとメランジェを美味しかったですこのあたりはショッピング街にもなっています。そこでロクシタンを発見ここで家族に頼まれたものを購入。そしてシュターツ・オパーの前からトラムDに乗り、ベルヴェデーレ宮殿へベルヴェデーレ宮殿の上宮です。20世紀のオーストリア絵画を展示した美術館になっていて、特にグスタフ・クリムトのコレクションは世界最大だそうです。ここでは上宮+下宮のコンビチケットを購入、ウィーンカード割引で10.50ユーロ。「美しい眺め」の意味を持つヴェルヴェデーレ宮殿。オスマン・トルコ軍を撃退したオイゲン公が建てた離宮で、現在は上宮・下宮とも美術館となっています。特に上宮の所蔵は圧巻で、クリムトの代表作「接吻」やエゴン・シーレの「死と乙女」ココシュカなどウィーン世紀末の作品を中心に納められていました。この旅行を通して絵画や美術品をを浴びるように見たのですが、ここのクリムトがなんと言っても一番印象深かった実際のクリムトの絵画は色が淡くて、とても繊細、しかも若い頃の作品は「まとも」で驚く。ピカソもそうだけれど、端正な絵も描ける方だったのですね。内部は撮影禁止なのですが、数々の名画をほんとうに至近距離で鑑賞でき、絶妙な色遣いやタッチを間近に見ることが出来ます。まさに手を伸ばせば触れられる距離で、囲いなども無く、所蔵する側と鑑賞側の信頼関係で成り立っています。上宮を出て、下宮へ行く途中で振り返ったところ。下宮にかけてはゆるやかな下り坂になっていて、その間に噴水や美しい庭園がありました。下宮です。こちらはオイゲン公を中心とした展示ですが、そもそもこの方をよく知らないのでさくっと見ただけそして下宮の出口から出てトラムの駅へ最寄り駅はUnteres Belvedere(ベルヴェデーレ下宮)になります。 ここからトラムで郊外の中央墓地へベートーヴェンやシューベルトなど音楽家の眠る墓地をお参りしてからウィーン旧市街へ戻る予定です、つづく。
2010年05月20日
ウィーンの滞在は3泊ですが、実質動けるのは2日間ですので、今回は綿密なスケジュールを立てました。1日目はウィーンのリンク外の観光です。まずは今回の滞在先、ヒルトン・ウィーン・プラザの朝食からここは10階のエグゼクティブラウンジです。外のバルコニーにはテラス席もあり、そこからは近くのヴォティーフ教会から旧市街のシュテファン教会まで見え、とても居心地が良い場所でした。ここはいつ行っても人が少なかったです。お客様は単身のビジネスマンが多かったです。でもシェーンブルン宮殿は8時半から開園なので、あまりゆっくりしている時間もありません。ホテルから地下鉄U2で終点の「カールスプラッツ」まで行き、U4に乗り換え「シェーンブルン」で下車ここから正門まで約5分くらいで到着シェーンブルン宮殿は、1695年レオポルド1世が夏の離宮としてハプスブルク家の狩猟の森に建てた宮殿だそうです。世界遺産に登録されています。各種のチケットが発売されていますが、私たちはシシィ・チケットに決めていました(ウィーンカード割引20ユーロ)。シシィとは最後の皇后・エリザベートの愛称です。これは待ち時間無しでグランドツアー(見学可能な40室すべて見学可能)と、旧市街の王宮(皇帝の部屋、シシィ博物館、銀器コレンクションなど)への入場が可能、購入日から1年間有効というお得なものです。宮殿内部はもう豪華で、シシィも綺麗でため息ものなのですが、それが次から次へと続くので、だんだん感覚がマヒしてきます。当時流行の東洋趣味も至る所に反映されていて、中央の小ギャラリーの隣には「中国の小部屋」があったり、高価な中国の美術工芸品や日本の食器が展示されていて面白かったです。内部は撮影禁止なので、画像がないのが残念です。さて宮殿の見学が終わり、庭園にでます。大噴水はネプチューンの泉、その奥の小高い丘に上にはグロリエッテがあります。画像の人の大きさで判断していただきたいのですが、写真で見るよりも奥行きがあり、丘も高いのです。この間日陰が少ないので、真夏はきつそうです。今回グロリエッテまで登り、そのまま東に進み(写真では左上)、東門にあたるマリア・テレジア門から出て、公共バスに乗る予定ネプチューンの泉の横に動物園の入り口があります。ここにはパンダがいるというので、パンダフリークとしてははずせす、ちょっと寄り道を動物園はマリア・テレジアの夫フランツ1世が、1752年に創立した、世界最古の歴史を誇る動物園だそうです。動物園の中央にあるパビリオン。こちらもテレジア・イエローの外観になっています。ここで皇帝夫妻が動物を眺めながら朝食を取ったらしいです。今はカフェレストランになっています。さてこの動物園、どこに何がいるのかという標識が極めて少なく、観客に見せる気は無いのでは?と思われても仕方が無いような作りでした。なのでいきなりトラが現れたりしてビックリします。逆に「見せる」というよりは、周りを木で囲ってあったりして、わざと見にくいようになっていたりする場所もあり、あくまで動物中心の展示になっているのだともいえます。その分動物たちはゆったりと過ごしているように見えました。パンダさんはシェーンブルンの豪邸で静かに暮らしていました。着いたときはそわそわと外を動き回っていたのですが、どうやら食事の時間の直前だったようです。そうなのです、さすがにドイツ語圏だけあって、お食事の時間がきっちりと決められているらしいのです。北京動物園ではつねに笹が置かれていて出入り自由だったので、これはちょっと意外でした。北京動物園の日記は→こちらこちらはコアラです。もともと夜行性なので睡眠中ですが、照明がついていて明るいです。だれも騒がず子供を含めて皆さん大人の対応なので、安心しきってぐっすりと眠っています。そして目玉の双子の白クマです。こちらも穏やかな表情をしていました。シェーンブルン動物園、おすすめです動物園のあとは丘の上のグロリエッテを目指します急坂を息を切らしながら登ると、素晴らしい風景が広がり息をのみます。ここから東門のマリア・テレジア門までの道は、まさにウィーンの森とよぶに相応しい静かな道でした。門を出たたところにバス停があります。ここからU4のMeidling-Hauptstr駅まで行き(シェーンブルン駅の1つ手前)ふたたびU4に乗り「カールスプラッツ」まで戻りました次はクリムトの絵画をたくさん所蔵しているベルヴェデーレ宮殿へその前にオペラ座のあたりを散策予定お目当てはザッハ・トルテです、つづく。
2010年05月19日
GWにかけてヨーロッパに旅行していました。これからすこしづつ書いていこうと思っています。どうぞよろしくお願い申し上げます。エアーはルフトハンザ航空LH715まずミュンヘンまで。この時はアイスランド火山の噴火は沈静化され、定刻に成田を出発。初ルフトハンザでしたが、機内が美しかったです。びしっと掃除が行き届いていて、空気が澄み切っている、ゴミを置いてもすぐ片付けてくれる、などさすが掃除大国ドイツ。CAも優しくて親切で、とても快適なフライトでした。清潔さにおいては日本のエアラインよりも上だと思いました。振り返ってアメリカの航空会社って、何なんでしょうね飛行時間は約12時間10分。機内では「アバター」を「ふつうに」観ました。何もしないでただ食べ続けるだけの半日ですので食事はすべて日本食をチョイス(ミールサービスは2回)。ミュンヘンへはほぼ定刻着入国審査を経て、ルフトハンザのセネター・ラウンジへルフトのラウンジはファーストクラスラウンジ、セネターラウンジと、ビジネスラウンジの3つあるようです。食べ物もスイーツもドリンク類も豊富に揃っていました。ミュンヘンの免税店です。この写真を後から見て気がついたのですが、ミュンヘンにジョー・マローンがあったのね気がつかなかった。。。。MACの裏面に大好きなジョー・マローンありお隣のカウンターはNYのキールズです。このあたりはアメリカコスメのブロックでしたが、ものすごく高かったです。ここで国内線に乗り換え、LH3560でウィーンへ飛行機までバスで移動、あいにくの雨です今回特典ビジネスで行ったので、国内線もすべてCクラス、ここではCクラスのみ食事がでました。所要時間は1時間なので、CAは大忙しです。。国内線は通常のシートの前4列のみCクラスで、3席を二人で使用します。真ん中の席はデスクになっています。機内持ち込みバッグはレスポ・シルバーグリッターのアンナです。ウィーンに近づいてきましたドナウ川です、こちらは晴れてましたこの時で夜の8時近くです。サマータイムを採用しているせいもありますが、まだ明るいです。ウィーン国際空港ではまず「ウィーン・カード」の72時間を購入。これは交通機関がすべて無料、美術館の割引もある、というお得なカードなのです。ただし空港はウィーン市外にあるため、差額分(1.8ユーロ)を支払います。空港からリンク内へ行くのはシティ・エアポート・トレインという快速列車が早いのですが、せっかくウィンーカードを購入したので、Sバーン+Uバーン(地下鉄)で行くことにしました。ぜんぜんバリアフリーではないので、電車に乗るのにトランクの階段上げがありますEU圏の電車はこのようなケースが多かったです。プラーターシュテルンでU2に乗り換え、ホテルの最寄り駅のウニヴェルジテートの階段を上がると、ライトアップされたヴォティーフ教会がこの2つの尖塔はとても高くて、圧倒的でした。ここでやっとウィーンに着いたんだ、という実感がわいてきました。そしてウィーンのホテル、ヒルトン・ウィーン・プラザに到着。エグゼクティブ・フロアの部屋です。バーコーナーとソファー、机の上はウェルカムフルーツ&スイーツです。アメニティはお約束のクラブツリー&イヴリンウィーンのホテルは最初は「ヒルトン・ウィーン・ドナウ」を予約していましたが、やっぱりリンク内のほうが便利ではないかということで、予約を変更しています。リンクにはあともうひとつ「ヒルトン・ウィーン」があって、こちらはウィーン・ミッテ駅の隣でアクセスが非常によく、最後まで迷いました。ですが以前に仕事で来たことがある家人が、プライヴェートの時くらい昔のヨーロッパ風のホテルがよい、ということでプラザにしました。結果的にこちらにしてよかったと思います。非常に居心地の良いホテルでした。エグゼクティブ・ラウンジからの展望もすばらしかったです。この日は移動だけでおわり、長い1日でした。観光は明日からです。
2010年05月18日
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