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いよいよ引越作業が始まった。自宅Bar「プロイセン」の軍旗を降ろし、とにかく店の装飾品から外しにかかる。引越作業の基本は、日常的に必要が無いものから片付けることだ。東ドイツ軍の服装品やコーヒー用具一式、製菓用品などは真っ先に段ボールに詰めた。そして、不必要なものの廃棄。既にパソコンに移した古いMDもかなり捨てた。そして、父親から譲り受けたシャープのワープロがまだ残っていたことが判明。もう液晶画面がボロボロだ。時代を感じさせるよ。記憶媒体なんか、フロッピーディスクだもんな。もはや骨董品のレベルだ本やCDも先に段ボールに詰める。徐々に他の台所関係も縮小し、洗面関係が最後に残る、言うは易いが、なかなかすんなりと進まないものだ。その合間に陸送業者が来てラパンの受け渡し手続き。タマナンバーの我が「天気の子号」は、一足先に薩摩藩へ旅立つ。9月最後の出勤日、同僚の御家人衆に挨拶して回る。バタバタと時間が過ぎて、各島に東京宝塚劇場のお菓子を配るのも大急ぎであった。同じ島の姫君からは、ハンカチやクッキー、出島出張から戻って来た方からカステラまで頂いてしまった!長崎カステラ糖庵?これは素晴らしい!必ず鹿児島行きますからね!と言っていただいた人もいて、その時までに鹿児島版自宅cafe「プロイセン」を完成させなきゃ!と気持ちも昂る。みんなありがとう!嫁さんは、引越を契機に地元の奉行所を退職となったが、ご家老から「君の名は。」のDVDをもらったという(笑)。スペシャルエディション3枚組!すごい記念品だよな。鹿児島で落ち着いたら、カステラ食しながらゆっくり鑑賞しましょう!と段ボールに詰めた。いよいよ引越当日、段ボールの箱詰めも終わり、予想外にモノが多かったことに驚いた。かなり絞ったつもりだったのである。それでも家具と呼べるモノは、すぐに手で勘定できるくらいの数なんだけど。引越屋さんが来て、搬入は思ったよりさっさと進んだ。参ったのは、ドアを開けっぱなしにするから、蚊に刺されまくった、ということである。大家さんが来て、部屋のチェックをして、すべてお仕舞い!何とも呆気ないものだ。札幌から東京に来て、半年後に嫁さんが追いかけて来て、要は新婚生活を送った部屋だというのに、来月から薩摩藩への国替えを命ず、という突然の沙汰によって、ここでの生活もあっさり終わってしまった。切羽詰まっているから感傷に浸る余裕も無いのだ。とりあえず嫁さんとアパートを後にして、どうもまだ実感が湧かないから、駅までの畦道を歩いている間も、特に後ろを振り返ることもしなかった。国電に乗ってとりあえず御茶ノ水のホテルまで行った。夕方上りの国電は気が抜けたように空いていて、次第に赤く染まる夕焼け空が美しい。ホテルに着いて、とにかくホッと一息ついて、ホテル備え付けの「本当の日本の歴史」を読むハメになった(笑)。これが東京生活最後の日々の凡そである。
2019.10.13
執権殿より、薩摩藩への国替えを命ず→ハハァーッ、ありがたき幸せ、なんてことになり、一番惜しいのは自宅カフェというか自宅Bar?の閉店を余儀なくされることだ。2DKの木造アパートながら、その前時代的な雰囲気を逆手に取ってデザインしたのだが、解体してしまうのは何だか惜しい。なので、最後に閉店セレモニーをカマすことにした。森永モントンのチョコケーキがちょうど在庫としてあった。なので、あの皇妃エリザベートも愛した、オーストリアのザッハトルテを作るのだ!製作時間に限りがあるので、デーメルのような正統派ではないけどね。デーメルのザッハトルテ今回の完成品森永モントンでスポンジを作るのは慣れているけど、チョコのコーティングが難しい。今回は、生クリームと板チョコの組み合わせで製作。上部の仕上がりはまずまずだが、側面の凸凹がどうしても出来てしまう。スポンジ自体に凸凹が生じてしまうのと、2分割してアプリコットジャムを塗って挟んだ時に、微妙に歪んだりすること。生クリームのナッペだったら、いくらでも整形出来るけど、チョコはそう簡単にいかない。それでも、チョコを上からかけて下に落ちることで生じるムダを、前回と比べてかなり削減出来た。完成したら、ケーキカバーをかけて、ズレないように阪急電車のマスキングテープで仮止めして冷蔵庫で冷やしておく。都内のドライブも走り納めさて、9月15日の閉店セレモニーは、九州で勤務経験のある御家人衆をお招きしましたよ。さすが、鹿児島のことをよく知ってらっしゃって、いろいろ参考になるお話をいただく。ラパンも走り納めということで、少し脚を伸ばして新青梅街道沿いにあるガスミュージアムまでドライブ。ここは、陸の孤島と言ってもいいような所なので、クルマで来る意味もある訳だ。その日は、午後から急に晴れたので煉瓦色の建物が青空によく映える。小平市の隠れた名所である。特に、駐車場にクルマを停めると、煉瓦色の洋館をバックにクルマの撮影が出来たりする。さて、ガスミュージアムを出発し、西東京スカイタワー(田無タワー)の周囲を一巡し、多摩地方のB級感をたっぷり味わった。この界隈も走り納めのようである。走り納めで大切なお客様を乗せることが出来たことは、とっても感慨深い。もちろん、このクルマは鹿児島へ陸送予定である。そして、閉店前の最後のお茶会。お客様は、お二人とも神戸に詳しいので、「こうべさんのみや」と書かれたマスキングテープは、早速話のネタになった。もちろん計算している訳である。さて、来月から薩摩藩に国替えなどと予想していなかったから、宝塚歌劇星組の公演を見に行く予定であった。9月26日の東京宝塚劇場における公演のため、キャンセルだけは免れたのが、せめてもの救い。星組の予習を兼ねて、BSの録画していたのがあるので、それを見ながらあーでもない、こーでもない、と宝塚ネタで盛り上がる。お断りしておくが、女子会ではない。オッサンが集まって宝塚ネタで盛り上がってるんだから、ある意味異様なのかも知れない。昼下がりのゲミュートリッヒなひとときは、もうあっという間に時間が経ってしまった。今後、鹿児島で何か企画する時はよろしく!なんて話でお開きとなった。もうこれで心置きなく解体作業に入れる。とにかく、お越しいただいたゲストの皆様には、心からDanke schon!
2019.09.21
執権殿より呼び出された。来月より薩摩藩への国替えを命ず!いきなりのことであったが、ハハァーッと、その場は有難く平伏するしかなひ。薩摩藩か・・・北海道開拓使も遠かったが、東京から鹿児島への直線距離は、札幌よりも遠い。さすがに、他の御家人衆も呆気に取られていた。どうせなら琉球王国の方がいいんじゃないですか?と言う人もいて、それもアリだよな、と思ったけど、もう決まったことである。今年は九州新幹線の豪華さに感激し、九州の「あごだし」にハマっていろいろ料理を作り、元大宰府長官S氏と「宝塚の福岡公演見に遠征する?」という企画も飛び出し、九州がラッキーポイントだったそうで、だけど、そんなこと執権殿に何も言ってない、つーの。お菓子まで頂いて・・・感激です数年前、仕事でお世話になった人達と、新宿で食事会をやった。場所は歌舞伎町のイタリア料理店で、「君の名は」で印象的なシーンだったヤマダ電機のすぐ近くである。姫御前の世話をご主人に任せて時間を作っていただいた方がいて、本当にどう感謝のコトバを申し上げればいいか、かえって分からなくなってしまうほどだ。しかもその方からお菓子まで頂いてしまったよ。そうだね、江戸でいろいろ人繋がりも出来て、それなりに面白くなりかけた中での国替えなので、惜しいったら無い。常に創造的意欲を失うことなく、好奇心を絶やさず、いろんなモノを見て行かねばならない。そして、いろいろ鹿児島での経験を土産に持って行かねば。相模大野の風景も再び遠くなる相模原市に住む両親にも報告に行った。久々に訪れた相模原市、駅前や途中の国道の景色も、少しずつ変わっている。実家の近隣に大きな公園や緑道があるので、その景色をしばらく愉しんでいた。通学や通勤で何気なく使っていた道も、今や遠い思い出となった。札幌在住時代も遠い昔なのに、相模原在住時代などと、さらに遠くなりにけり、だ。伊勢丹が閉店セールを・・・相模大野駅前の伊勢丹は、9月末で閉店が決まっている。ここもまた、一つの時代が終わりかけていた。最後の連休に、伊勢丹で両親と会食することになった。三越伊勢丹HDも勢いがないのぉ。エイチツゥーオーなんか、そごう神戸を神戸阪急に、しかも阪神百貨店も増築中と、あちこちで増床しているのだ。この勢いの違いは何なのだろう。ヴィドフランス祭りも懐かしの光景に?さて、引越先の物件選びや、引越業者の選定とか、何かと慌ただしくなった。今回の引越の特徴は、クルマの陸送があることだ。ラパン「天気の子号」を持って行くのである。天気の子号となった理由は、リアにステッカーを貼ったから、というだけの話だが。クルマの陸送は、業者の都合で引き取りが早まるようだ。だから、今のうちにやることをやっておく。ショッピングモールへクルマを出したが、嫁さん情報によると、鹿児島の城下にヴィドフランスが無いという。だから今のうちに買っておく。つーか、すぐ食べるしかないんだけど。
2019.09.16
まだ平成の方が、字面として近未来的な雰囲気を持っていたように思う。4月1日のあの日、新たな元号は令和と聞いて、まるで奈良時代みたいな響きやなと一瞬ポカンとしたが、万葉集を引き合いに出して決めたというのだから、そう響くのもやむを得ない。スマホを木笏に持ち替えたような浪漫を感じつつ、ちょうどその頃満開なりし桜を見るに及び、あおによし 奈良の都は 咲く花の 薫がごとく 今盛りなりなどという一首を、拙者が愛用してる日本史通覧の中に見つけて感じ入ったというのだから、4月1日にしてはまぁ幸先のいいスタートなのかもしれない。ネットの世界はどうか知らんが、その日は特段エイプリルフールにひっかけて遊んでいる向きも見られなかった。こういう場面になると日本人は真面目なものである。もっとも、拙者だって4月1日に結婚という人生の節目を迎えており、エイプリルフールにひっかけられない事情を抱えているのである。結婚記念日という事実は事実であるから・・・その日はケーキを作っちゃう。この日のケーキは、マジックケーキミックスという新たな素材を試す。これは何かというと、オーブンで焼いているうちに、1階:もちっとフラン、2階:やわらかカスタード、3階:ふわっとスフレ、の3層構造に仕上がるというのである。もちろん、白身を泡立ててメレンゲを作るという工程は省略できない。出来たメレンゲとミックスと牛乳とか全部混ぜ合わせるんだけど、ドロドロになった液体がどうやって3層になるのか不思議でならない。型に入れたドロドロの液体をオーブンで40分焼いた結果、言われてみれば層に分かれたような感じ。切り分けて食べてみたら、3層は微妙だったけど、2層に分かれたのは確実だった。ところが味の方がイマイチで、これは拙者の性じゃない。当ブログも開始から14年を過ぎ・・・中旬まで花冷えも甚だしく、桜も長い間もっていたし、ダラダラと寒かったから季節の移ろいを実感できないでいたが、花散る頃になってあれよあれよという間に日が過ぎて行った感じがする。平成という時代が終わるという感傷に浸る余裕も無かった。でも思い返してみれば、このブログが始まったのが平成17年だったから、もう14年は経過しており、それは平成という時代の半分近くになるのだから、それはそれで少々感じ入るものがある。何故ブログをやり始めたのか?それはメモ帳で作るホームページ(→詳しくはこちら)の延長で考えていたという、若い衆には理解し難いであろう理由からだ。ブログにもhtmlタグをいちいち多用するのは、その名残である。でも初めの頃は、案外サラッとブログ記事を書いていたような気がする。編集時間が長くなって行ったのは、htmlの知識が増えてレイアウトに凝るようになったからだ。でもこれが裏目に出ることがあった。楽天ブログさんの側でテンプレート仕様が変えられたりすると、変更以前のレイアウトが微妙に合わなくなって不自然になったりしたのだ。だから、あまり凝らないように心掛けているけど、編集時間は長くなる一方である。世の中どんどんリアルタイムな投稿手段が現れるのと対照的に、こっちは全然リアルタイムで無くなっていった。「昨日こんなことがあった」がいつの間にか「先週こんなことがあった」、ひどい時は「先月こんなことがあった」である。旅行に行ったネタを書き終わるのに2ヶ月くらいかかったりする。もう鎌倉時代か室町時代のテンポだ。さて、いよいよ平成も終わりに近づいて来た。連休中は大阪の家族親戚に会ったりするので、お土産などを買っておく。大正・昭和・平成の時代を生きてこられたグロースムッターに敬意を表し、元号を意識したモノを選ぶことにした。空暖かにうち晴れし皇居二重橋をうち眺め、帰りに外苑のお店で見つけたのは、菊園という皇室御用達のお店が作っている菊最中で、天皇陛下御在位三〇年記念の桐箱入りの一品である。元号を跨いで計算する時、昭和と平成では常に往生していたが、御在位三〇年で退位されることで年数が数え易くなる。さらに、令和をR-18と表せば、何と西暦との変換も容易であるとのこと。こうして前もって準備が出来るのも、様々な意味で陛下のご配慮があったからで、ここは感謝せねばならぬ。
2019.04.22
今年のバレンタインデーは嫁さんがケーキ製作に初参入だった。スタンダードなチョコレートケーキだが、上の写真のとおり結構クオリティが高くって、こっちも負けてられまへんがなー、とムキになる。そうは言っても、お正月に親に持って行ったチョコレートケーキは、ザッハートルテを目指していたものの見事にハズレてしまった。やっぱり正統派のケーキにするか?と考えを巡らす。ちなみに、↑の写真のコーヒーは、今年から始めたクラシカルなペーパードリップ方式だ。甘いケーキにはガツンと苦いコーヒーに限る。チョコケーキばかり食べまくると、いい加減他のモノを食べたくなってくる。そうだ、久々に蔵造り本舗の和菓子でも食べたい!と思い立った。ちょうどその頃、「翔んで埼玉」が大ブレイクし、面白そうだから見に行こうということになって、クルマでららぽーと富士見まで行くことにする。お菓子を買うだけでなく、東宝の株主優待券を使ってしまいたかったのだ。またもや東宝以外の配給作品で優待券を使うことになってしまった。東宝大丈夫かいな。ららぽーと到着劇場内は、ほとんど埼玉県人だったのだろうか。みんな「ここ笑うとこ」を心得ていて、大盛り上がりだ。ラストの首都圏外郭放水路のシーンは、スターウォーズ新たなる希望のラストシーンを彷彿とさせるもので、拙者的に大ウケだった。帰りに蔵造り本舗でお菓子を買って撤収だ。埼玉よりも「武州」という方が威厳が格段に増す・・甘党の宿命か・・・虫歯が見つかるの巻最近、右横の歯が痛くなってしまい、歯医者に行くハメになった。状況を専門的に言ったとすると、「病名はC病名。KP施行時に歯髄に達するため、抜髄と根充が必要」とのこと。歯科助手仲間から「ご愁傷様ですね」「C3ぐらい行ってますね」と冷やかされる。先週の金曜日、ようやく「充填」までこぎつけたが、先生の技術の素晴らしさに度肝を抜かれた。その歯は、元から斜めにひん曲がってた訳だが、そんなしょうもないとこまで再現せんでもええがな、と苦笑い。とにかく一段落して、その日は金曜ロードショーの「カメ止め」を見て笑い過ぎて腹が痛い。前段の40分間、CM無しノーカットを敢行した日テレの英断は賞賛に値する。俳優さんが人のペットボトル飲んでお腹壊したり、差し入れの日本酒で泥酔したぐらいのアクシデントはカワイイもんで、麻薬取締部に逮捕されましたじゃ、あの志ん生でも噺にしにくかろう。拙者もまた「いだてん」を初回から熱心に見ていたのである。金メダルの材料になるからって昔のガラケーを奉納したり、百円の記念硬貨を買ったり、まぁささやかながらオリムピックに思い入れはある。しかも、ドラマ自体が軽妙な切り口でリラックスしながら気軽に愉しめるのだ。B級感があるだけ突っ込みどころも多くて、例えば、主人公や天狗倶楽部の連中がやたらと脱ぎたがるお前らの上半身なんか見たくもねー、食事中なんだぞこっちは・・・しかも男同士、掴みあいのケンカしたと思ったら抱き合ってみたり、暑っ苦しいったらない!キレイどころはどうした!お八重さんとエリーさんだけか?こんな感じでテレビ見ながら文句ばっかり言ってるのである。しかしながら、登場人物が煙草吸いたい放題なシーンにいちいち文句言うつもりはない。時代考証が正確なのは評価すべきだからだ。でもさすがに「ヒロポン」が登場するようなギャグは無さそうである。「いだてん」が終わり、見たくもない野郎の上半身なんか出て来る心配もなくなったところで、食後の自作ケーキ&自作コーヒーをいただく。ホワイトデー当日が平日なので、日曜日に前倒ししたのだ。今回の自作ケーキも森永モントン使用のスポンジで、基本に忠実でいく。やはりナッペの作業が難しく、今回も随分時間がかかってしまった。イチゴの高さを揃えるために部分的に包丁入れたりする要領を思い付く。これで見た目も少し改善だ。以上、まとまらない話はとりあえずこのヘンで幕。
2019.03.16
前回、S氏と鉄道博物館で盛り上がった企画の続編で、横浜の原鉄道模型博物館でも行こう!ということになった。ところが、嫁さんとかご婦人も同伴だから、まさか鉄道模型だけという訳にもいかない。ちょうど朝ドラで萬平さんが奥さんの揚げてる天ぷらをヒントに「ついに閃いた!」なんていうシーンがあったから、じゃあカップヌードルミュージアムも行きましょう!ということになった。去る2月9日土曜日、関東地方は大雪が予想されていた。電車止まったらどないしよ、やっぱり中止した方がいいか、と迷いつつ、現に雪がまだ降っていないもんだから、なんとなく決行と相成った。渋谷駅ヒカリエ前に集合し、東急の一日乗車券(中華街食事券付)を買い、東横線に乗り込む。 鉄ヲタとしては、どの会社の車両が来るか気になるところで、やって来たのは西武鉄道。武蔵小杉行の急行だった。武蔵小杉で後続の列車を待ってる間にも、埼玉高速鉄道や「青ガエル」がやって来たりしていろいろ忙しい。続いてやって来た電車もやっぱり西武鉄道だった。最近の東横線ではこういうことが起きる。元町中華街駅は巨大なドーム屋根があって、何だか大阪の御堂筋線の駅を連想させる。地上を出ると酷寒なんてもんじゃないが、幸いなことに雪はそんなに降ってはいない。 中華街の招福門で飲茶などを食し、体も温まったところで赤レンガ方面を目指す。カップヌードルミュージアムへ行く途中に寄ったのは、北朝鮮の工作船展示館である。 こんな汚らしい画像は撮りたくもないが、記念に一枚。機関銃やら対空砲やら、工作員の生々しい商売道具の数々に参加者は絶句。というか、所持品の中に「J-フォン」の携帯電話があったのが味わい深くって、早速ハナシのネタに。ちなみに約10年前ここへ来た際、写真をいろいろ撮っておいたので参考までに(→こちらのページから)こんなところでいきなり東ドイツネタ登場!相変わらず寒いけど雪もほとんどやんだのは不幸中の幸い。カップヌードルミュージアムは静かな美術館みたいな雰囲気を想像していたのが大きな間違いだった。とんでもない盛況ぶりで、これはいつものことなのか、朝ドラの影響なのか、それは分からないが、とにかく人人人・・・である。百福氏の研究小屋 裸一貫で会社をここまで大きくしたのは脱帽するしかないし、百福氏のエンジニア魂にも脱帽するしかない。この会社はとにかく投資が上手いんだなーと感じたのは、大坂なおみ選手と契約を結んでいたこと。全豪オープンの期間中、全世界にCMを流しているようなものだ。しかも朝ドラで勝手にCMをやってくれているのは承知のとおり・・・。 初めてチキンラーメンを試食販売したのが阪急百貨店うめだ本店だった、という新たな発見もあった。さすが今も昔も劇場型百貨店だったという訳だ。 さて、メインイベントはカップヌードルファクトリーでの製作!お好みの具をどう選ぶかは初めから決めている。エビやタマゴ、ネギといった、とにかくクラシカルなヌードル。カップにお好みの絵を描くことになったが、社会人として忙しい大人は、いきなり絵を描けと言われても結構困ってしまうものだ。そういう時の為にとっておいてるネタは、ずばり「アンペルマン」。 図柄が単純なのですぐ描ける。冗談半分に「DDR」とか入れておいた。小学生には絶対分からないネタだろう。ちなみに裏側には東ベルリンのテレビ塔まで描いちゃったよ。続いてみなとみらい駅から新高島駅へ。やって来た電車は横浜高速鉄道で、これは大当たりといったところ。新高島駅を降りて地上へ上がれば、そこは何と京急新本社の工事現場。それはそれで盛り上がる(笑)。鉄道模型博物館は、原信太郎氏のコレクションを集めた博物館だが、2,000両もの車両を自作していた原先生は神のような存在。今回は、原先生が撮影した写真集をいろいろ見させていただいた。宝塚ファミリーランドの電車館の写真がたくさんあって、何でこんなお宝みたいな博物館を潰してしまったのか、収蔵品はどうなったのか、何だかすごく気になってしまった。最後に、冷やかし半分激励半分で日産本社のギャラリーに立ち寄る。そこで一台のクルマに目が釘付けになる。半世紀以上前に試作された電気自動車だ。どうして普及しなかったのだろう。いくらレトロ好きな拙者でも、将来のクルマはやっぱり電気自動車だと思っている。太陽光発電の出来る家を建てて、電気自動車を給電したり蓄電させたりする・・・そういうことを真剣に考えざるを得ない時代になると思う。そんな遠いような近いような将来を思い描きつつ、ツアーはこのヘンで解散!この寒い中、参加者の皆様には心から感謝である。
2019.02.10
去る10月X日、北海道開拓時代にお世話になったS氏と、S氏が大宰府長官時代にお世話になったA女史を招いて、ちょっとしたお茶会みたいなのをやった。家族以外でお客様をお招きするのは初めてとあって、改めていろいろやることあるなーと感じた。とにかく前日にケーキを作ること!当時はまだ蒸し暑かったので、さっぱりとアプリコット風味でやるつもりだった。ケーキの1層目と2層目の間はアオハタのあんずジャム~砂糖を使わない天然のジャムで酸味を出し、デコレーションはアプリコットの缶詰を使う予定だったが、この缶詰がなかなかスーパーで見つからず、やむを得ず冨澤商店でネットで仕入れることに。ケーキは前日の夜に作った。スポンジ部分はちゃんと膨らんだのでまずは安心。ところが生クリームをナッペするところで予想外に苦戦。生クリームはメーカーによって泡立ての仕上がりが全く違う。今回買ったのは、モノが良すぎたのか、すぐ固まってしまう。ナッペの仕上がりがイマイチで、さらにデコレーションするには量が足りない・・。結局、アプリコットや解凍いちごを並べて誤魔化すという体たらくだ。 早くもトホホ感が漂い始め、とうとう本番の日を迎えた。早朝からラパンの掃除だ。特に後席は念入りに・・・軽自動車で接待とはしょぼいものだが、こういう時の要領として「あり得ないほどのキレイさ」を表現。とにかくお客様を迎える気持ちが大事!駅で二人と待ち合わせた。鉄道の造詣が深いS氏は、多摩の辺境に来たのをこれ幸いとばかり、早く家を出て遥か奥多摩まで行って戻って来たという!A女史は、田舎々々っていうけど電車を降りる人の多さに驚いた、という。一体ここへ何しに来るのか住民でも不思議に思う。クルマで駅を出て数分も走れば、畑も点在するド田舎だ。ここで国木田独歩の武蔵野の話になったが、嫁さんが愛読する婦人画報を創刊したのは独歩だということを、拙者は最近知った。しかも、モデルとして時折誌面を飾る国木田サイラさんは独歩の子孫であることも最近知った。世の中、知らないことはまだまだ多い。ケーキを切り分けて・・・このクソみたいな仕上がりは何なんだ!と自分で突っ込みを入れたくなるが、味は思ったよりマシ、という評価をいただいた。嫁さんに言わせると、これまでで一番美味しかったとのこと。ケーキがうまくいかなかった時を考えて、宝塚で買ったお菓子を残しておいたのだが、既にケーキで腹一杯となり、お菓子は余ったので持って帰ってもらうことに。BGMは、「ウィーン版ミュージカル、エリザベート」以下、ヨハンシュトラウスのワルツとか。S氏も宝塚観劇の経験をお持ちで、なんと元ジェンヌのご家族に知り合いがいるとか!「うらやましい!」と一同、感嘆の声を上げた。 うーん、拙者は池田泉州銀行の定期預金を増額させるか検討中!嫁さんはカドヤのゴマ油を買うか検討中!あの手この手でタカラヅカの抽選権と狙う戦略だ。 よく晴れた心地よい秋の一日~これぞゲミュートリッヒなひとときだ。とにかく、このような多摩の田舎町まで御足労いただいたゲストのお二人には心から感謝。
2018.10.27
40代半ばのオッサンが手芸に目覚める!というのは大袈裟かもしれないが、以下のような話の流れがあった。アイロン台を覆っている布は明らかに経年劣化してきたが、それ以外はわりとしっかりしている。だから布地だけ取り換えることは可能なのか、いろいろネットで調べたところ、手芸に秀でたあるご婦人のブログに行き着いた。それによると、「台から布を取り外して型紙とする」「型紙を参考に新しい布を裁断する」「布の周囲を二重に折ってぐるりと一周ミシンをかける」「ヒモを通してアイロン台本体にかぶせる」「ヒモを引っ張って布を台にフィットさせる」なるほど!と思った。自分で作る利点は何と言っても「好きなデザインの布を選べる!」ことにある。自宅Bar「プロイセン」を開店して数年になるが、パステルカラー禁止、チープなプラスチック製品禁止、推奨色は帝政ドイツ国旗の「赤・白・黒」でまとめてきた。だから、「廃車寸前の京浜東北線みたいな色」した現状のアイロン台は明らかに失格。嫁さんからすると、何とまぁめんどくせー男だと思ったろうが、それなら自分が率先して働かないといけない。 楽天でオフホワイトのナチュラルデザインな布地を調達!布を裁断し、いよいよミシンをかける段取りとなったが、我々はミシンを持っていないから、相模原の実家へ作業しに行くこととなった。 さて・・・今回の実家訪問は拙者一人で行くことになった。となると、「クルマの中で何聴こうか」と昔録りためたMDを選ぶのに苦労する。MDはほとんどパソコンに移したけど、ウチのラパンは未だにMDデッキだから、クルマで聴くとき用にMDを残していた。うーん、ここは90年代のコレクションで行きましょうか!懐かしいMDデッキ装備の我がラパン(相模川にて) 華原朋美「I believe」鈴木亜美「Love the island」・・・うーん懐かしい!相模原市内に入り、昔懐かしい街の景色が音楽と共に流れ込んできた。別にあの時代が特別良かった訳でもなく、特に戻りたいとも思わぬが、あの時代があって今の自分があるという何とも言えぬ思いが込み上げて来た。押入れから20年ぶりにミシンを出してはみたが・・・ さて、実家の押入れにあったミシンだが、重たいだけに取り出すのも苦労した。母親曰く20年使ってないという。 こっちは30年以上ミシンというものを触っていない。上糸と下糸がどう絡むのか、小学校の家庭科で習った記憶なんて残っている訳ないから、母親に一から教わる。ところが、実際に縫ってみようとして「アクセル」を踏んでもビクとも動かない!どうやらこれは次回の粗大ごみ確定のようである。 もう手で縫った方が早い!ということになったが、裁縫だって小学校の家庭科以来である!何とか一周ぐるりと縫ったけど、最初の玉結びと最後の玉止めは母親にお願いした。これさえ出来ればなー、何とか裁縫が出来るんだけどなー。何だかアイロン台というより「謎の物体」という感じ トンネル状に縫った中をゴムヒモを通して完成だ!思ったよりうまく出来た。次なる目標はアイロンの買い換え。ドイツの「DBK」というメーカーのものが欲しいのだが、要はDBKアイロンの雰囲気に合わせたくてリメイクした、と言っても過言ではない。 さて、帰りしな「セリア」に寄って家具用の取っ手を買う。キャビネットの取っ手が壊れた箇所をしばらく直していないままだった。こっちも併せてリメイクだ。 そして、玉結びと玉止めのやり方を嫁さんにも教えてもらいながら復習!なかなか玉がうまくできない。手の器用さは少し自信があるけど、鉄道模型の「KATO阪急6300系」に 【特急】 【河原町】 の方向幕を付ける作業よりずっと難しい(笑)。
2018.02.12
今年の初詣は靖国神社だった。というのは訳があって、嫁さんが所用で飯田橋へ行っていたので、途中で合流して東京大神宮へ行こうか、という計画だった。ところが、長蛇の列を作っているのを見て行く気が失せた代わりに、じゃあ靖国の方へ行ってみようか、となったのだ。 鳥居をくぐっても行列らしきものも無いから、そのまま参拝した。正面から見る限り至って普通の神社だが、パール判事の記念碑を見つけて早くもにんまり。 遊就館のゼロ戦や蒸気機関車らしきものがガラス越しに見え、そっちも行ってみようかと建物に入った。有料ゾーンの料金が大人1,000円と聞いてびっくり。どーりで空いてると思ったよ。 1階ロビーは「フリーエリア」なんだけど、それだけでも十分お腹一杯になった。零式艦上戦闘機の実物を目にして、何とも言えぬ気持にさせられたと同時に、「映画:風立ちぬ」を思い出した、というのは戦争を知らない世代故の感想なのかも知れない。 ゼロ戦のとなりに保存されていたのは、旧国鉄の蒸気機関車C56型。ここに置かれているのは意味があって、太平洋戦争中、タイとビルマを結ぶ鉄道(泰麺鉄道)を走っていた。「映画:戦場にかける橋」のモデルとも言うべき存在。もう映画でしかイメージ湧いてこないよ。 まさに日本版カレーライスの元祖を食べるロビーに食堂があって、「海軍カレー880円!」という看板を見て迷わず入った。ネタになりそうな飯が程よい価格なのは魅力的だ。独身時代、自炊する時の参考書に「うまい!海軍めし」という本を買った。少しでも人様の間で話のネタになれば・・・という意識が働いていた訳で、案の定、ご婦人に大ウケしたことがある。カレーを筆頭にいろいろ作ったけど、肝心の味がなぁ・・・カレーにチーズマカロニ~いろいろ作った!今回食した正統派海軍カレー、ピリッとしたカレー粉の辛味と、塩味を多少効かせた程度のシンプルさ・・・せいぜい昔のカレーなんてこんなもんですよ、って味も逆に新鮮に感じる。少なくともレトルトでは出せない味だと思う。でもねぇ、肉がトロトロなんですよ。とても真似できない。大釜で大人数分作ると美味いってこのことか?左の「海軍珈琲」は、別にただのコーヒーなんだけど、カップのデザインがかわいい。7つボタンの士官の雰囲気を味わってくださいなーという感じか。神社を出て市ヶ谷駅から中央・総武線各駅停車に乗る。今年の年始は新海誠監督の映画を録画しまくったが、どの作品も鉄道の描写が多いよ!劇中で中央・総武線各駅停車が幾たびか登場していて、びっくりするような細かい描写だから、どこを描いているのかすぐ分かっちゃう。 四谷近辺は「君の名は。」新宿御苑近辺は「言の葉の庭」・・・このところ聖地が増えて増えて巡礼が追いつかない。車窓の景色を眺めつつ、映画のシーンを振り返ってみる。もう日も傾き時間切れのため、惜しいんだけどそのまま多摩方面に退散だ。
2018.01.08
毎年のことだが、年末ギリギリとなって「おせち」をどうする?って話になる。夫婦二人、重箱一段で十分だと思っているから、材料は小分けしたものが欲しい。個人的に「おせち料理」は特別好きという訳でなく、雰囲気が出れば十分だと思っているから、最小限に済ませたい・・・そうなると頼みの綱は「ローソン100」ということになる。 徒歩圏に店舗が無いから、クルマで出動だ。クルマの洗車も村のガソリンスタンドで済ます。順番待ちに随分時間がかかったのも年末の風物詩なり。平成29年もこれで走り納め 伊達巻108円、蒲鉾108円、栗きんとん108円・・・しまいに年越し蕎麦のかき揚げも108円なり。108円の栗きんとんってどんなのよ→2個だけ入ってました→十分でしょ、となる。 さすがに海老は調達できないので、最後はイオンモールに漂着するという、地方都市民にありがちな行動パターンになる訳だ。そして大体の調達は済んで、たまたま入ったインテリアショップで面白いものを発見。「光るダミーボトル」とでも言うべき商品。少しでも自宅Barの雰囲気になればなぁーと思って買った。自分が酒を飲まないので、お酒のボトルは「コンテンツ」にしか見えないのである。買い物も終わってモール内のレストランで嫁さんと軽く食事。パスタとパンケーキをそれぞれ頼んで割って食べる。取り皿くださいと言うのも恥ずかしいんだけど、節約云々以前に「あれもこれも少しずつ食べたい!」「甘いのは食べたいけど食べ過ぎも禁物」という現実的な問題もある。もちろん食べてる間にスマホの更新も済ませておくという、小市民の王道みたいな1日が過ぎる。別にさぁ、「俺は他とは違うんだ」的なめんどくせー意地なんかいいじゃん、年末なんだし(笑)。年が明けた。出来上がった「おせち」は画像上のとおり。ちゃんと雰囲気出てるじゃないの!おかず入れも108円で、正月と関係ない横文字が入ったデザインだったが、それはそれでファンシーに仕上がった。飾りなんて邪魔だから、撮影したらすぐ撤収(笑)。108円の栗きんとんは、まぁ108円だから仕方ないんだけど、「なんかもう駄菓子だよね」という感じ。そこまでして見た目にこだわらなければならないのか。108円×ネタ数で結局いくらだったのかって、百貨店で売ってる犬用おせちより遥かに安いんだけど、もうどうしよう。来年は洋風のオードブルで食べたい物を詰めるとか、なんか違うこと考えようかと思い始めたのは、年末の疲れも取れて頭冴えて来た?元旦は初詣と言えども、混んでるらしいから行く気になれん!かと言って他にやることが思い浮かばず、かと言ってイオンモールは年末行ったから、埼玉県内のとあるショッピングモールで時間を潰す。同じように考えている人間が如何に多いか・・・もう店内はごった返している!せっかく埼玉まで来たのだから、店内にあるくらづくり本舗でお菓子を買う。翌2日は両親の実家へ行く予定だから、お土産用に買うのと、自分たち用に買うのもあって、気が付いたらおせち料理なんかより、遥かにお金かけているのだな(笑)。最近、これらのお菓子にかなりハマっている・・・
2018.01.03
国電を乗り継いで新宿へ出た。嫁が買い物をしている間、ポポンデッタ新宿店で鉄道模型で遊ぶ。阪急6300系を8連化したので試運転を兼ねてだ。9300系と交えて京都線祭りという感じ。この店はお客さんが見物しやすい。お母さんに連れられた男の子が「これは何ですか!」と聞いてくれたので、ここぞとばかりアピールだ。関東の人は阪急を知らない人が多い。関西に観光した時は、JRじゃなくて阪急に乗ってや!という、阪急阪神HDの株主としての切実なアピールでもあるのだ(笑)。ちなみに、となりを走ってるロマンスカーを指さして「これは?」と聞くから、一応説明してあげた。俺のじゃないけど・・・。遊んでるだけじゃなく、用事も済ませなければならない。まずは年賀状の準備。ここ数年の伝統で「明治大正時代の復刻年賀状」をロフトで買っている。新宿ミロード店へ寄ったら、そのシリーズが売って無い。うーん、今年は売ってないのかなーと半ば諦めかけたが、帰りに吉祥寺のロフトに寄ったら、ありましたありました!犬のシールや桜のシールもあわせて買って、レトロ感にファンシーさを加えて出来上がり!クリスマスはヴィドフランス祭りと化す今年のクリスマスは、嫁さんの希望でヴィドフランス祭りと相成った。チラシを見て、フランスパンのパリジャンサンド(約8両編成)やケーキが「ビジュアル的に良さそう」だったから。今年はここで試してみるか、と予約をしておいた。 ネットニュースを拝見していると、この時期の恒例行事として「アルバイトやパートさんのクリスマスケーキ自腹購入」の話題が出る。不思議なのは、たまたま来た客の接客をしているだけなのに、何でそんな話になるのか、という素朴な疑問。大手のチェーン店となれば、個々のお店の個性など分からない。たまたま目にしたチラシやネットの情報ぐらいが頼りだ。少なくとも売り子さんを介して買う気になったということは無い。 そして、パートさんやアルバイトさんに自腹購入させるような店で買いたくもない。でもその場で確かめる訳にもいかず、そしていちいちそんなことを思い起こさせるメリークリスマスとはしょぼいもんだと苦笑いが催す。そしてささやかながら、108円のスパークリングなっちゃんで乾杯するのが恒例。ヨハンシュトラウスの皇帝円舞曲をかけて、陛下の誕生日も併せて祝って乾杯するのも恒例だ。続いてヴィドフランスのケーキ。手前はクリスマスのマトリョーシカで、大阪の親戚からいただいた。曲はまだヨハンシュトラウスが続いていて、仏墺露まぜこぜの夕べは続く。
2017.12.24
嫁さんが北海道の実家から帰って来た。の画像はお土産の数々。ファイターズのチョコ詰め合わせは、ビジュアル的に目立ったからついつい買ったという。ファイターズのチームカラーは曖昧なところがあるけど、センスの良さは思わず唸ってしまう。 札幌市内の様子で変わったことといえば、市電のループ線が完成していたこと。スマホで撮った画像を見ると、電車が歩道スレスレを走っている。写っている電車といい、何だか日本離れした光景だ。クルマの横付け駐停車厳禁でなければ成り立たないが、市民の皆さんはその辺のところはよく分かってらっしゃるのだろう。 続いては、丸井今井(ひゃー!懐かしい!)のイベント会場で売っていたソフトクリーム、「虎のしっぽ」。この極彩色が何を意味するかって?その通り、阪神タイガースに決まっとる。何でも店のオーナーさんが熱狂的なタイガースファンらしい。よくまあ弾圧されることなく生きてるな、という感じだが、北海道の虎党も予想外に多い訳である。今度、札幌に行く機会があったら食ってみたいところ。 札幌市は早くも冬支度だそうで、除雪を行うササラ電車の準備をしているとか。このササラ電車、ビジュアルがタイガース電車に見えてしまう。 そして拙者は相模原の実家へ行ってた。横浜線に乗るのも久しぶりだし、橋本駅を降りるのも久しぶり。アリオ橋本のポポンデッタを見に行ったら、ちゃんとアリオ橋本のミニチュアがあった。そして、リニア新幹線も!セブンイレブントラックが停まってたリニア新幹線の車体は、まるでBトレインショーティーみたいだ。横の学校の体育館はいかにも昭和ロマン漂う・・・。そう遠くない将来、ここにリニア新幹線の駅が出来ることをさり気なくアピールしている訳だが、駅は全て地下になるから、こんな光景は拝めない。 久々実家に泊まる。翌日は庭や道路側の植木の刈り込みを行った。かつて寝起きしていた自分の部屋も、一部私物が残っている。捨てられるものはなるべく捨てる。両親も読まなくなった本などを整理していた。実家というのはとにかく物が多い。拙者も両親も、これまで先送りしていたものに向き合い始めている、という感じでもある。
2017.10.09
「都市鉱山からつくる!みんなのメダルプロジェクト!」というネタを最近になって知った。使用済携帯電話から金属を抽出して、メダル製造に利用しようというプロジェクトらしい。これで全メダルの製造がまかなえるの?そうであるなら素晴らしい!実は拙者も古い携帯電話の処分をしないままでいた。京ぽんだなんて懐かしい。それでも当時は、携帯電話でPC向けホームページも閲覧できることが画期的だと言われていたのだ。よくもまあ、あんな小さなパケット数で用が足りたもんだと当時を振り返る。携帯電話の回収ボックスが役場の入口に設置してあるのを最近見つけた。意を決して託すことにする。工事中の新国立競技場 さて、所要で千駄ヶ谷へ行った際、クレーンが高々と上がっている光景を目にして、ちょっと様子を見に行って来た。なるほど、今こんな感じなのか・・・。1964年東京五輪の残像を手にして・・・ 最近、亡き祖父の遺品を何点か譲り受ける機会があったが、興味深いものがあった。一つは昭和39年の東京オリンピック記念メダル(丹銅)。東京オリンピック資金財団が発売したもので、大蔵省造幣局の打刻によるものらしい。かなり公的な意味合いがありそうで、要は資金集めに売ったんだろな、と予想した。銅を集めるのではなく、銅を売って円貨を集めるのが当時のやり方だったのである。東京オリンピック記念メダル ネットでいろいろ調べたが、銅だから価値もほとんど無いらしい。かなり大量に出回ったそうで、実家の片付けをしていたら出て来た、なんてケースはザラにあるという。まぁ、当時のメダルのデザインが確認できる資料でもあるので、しばらくこのまま持っておくことにした。 東京オリンピックに関する遺品の二つ目は、大会記念の千円硬貨。譲り受けた直後は錆だらけで、何の記念硬貨なのかも分からないくらいだった。ネットでいろいろ調べる。錆びの落とし方や、これはそもそも何なのか、等々・・・。 ワインビネガーに浸けて青錆を取り除き、残りは消しゴムで汚れを落としていく。やってるうちに輝きが増して来た。これは千円銀貨であることも分かって来た。なるほど、銀は錆びやすいのだ。かなりキレイになった千円銀貨 硬貨を磨くなんて行為自体、生まれて初めて経験することだった。日頃、革靴を磨き、クルマを定期的に磨き、雑巾を捨てる直前にベランダの手すりを磨き、今度は硬貨を磨くことまで追加である。忙しくなるわい・・・。
2017.10.08
大阪旅行最終日、お墓参りのついでに橿原神宮でも参拝することにした。お墓が近鉄南大阪線の線路にちょっと近いから、空いた時間を有効活用したかったのだ。だから吉野までは行けない、せめて橿原神宮ぐらい行っておこう!と云う訳だ。昔参拝したのは子供の頃、もう三十数年ぶりである。さて、近鉄南大阪線に乗るのも三十数年ぶりかもしれない。やって来た河内長野行準急は6両編成、途中で乗り換えた吉野行急行はたった4両編成~さらに途中駅で接続する普通列車は僅か2両編成、進むたびに両数が激減して行くのは乗降客数を考慮してのことだろう。阪急や阪神と比べてローカルな雰囲気をぐっと感じるよ。奈良県内に入ると、やっぱり奈良は静かだなーと感じた。古びた瓦屋根の家が目立ち始め、青々とした山々が周囲を取り囲み始め、何を育ててるか分からない畑地が絶えず地面を埋めている。到着したのは昼前~食べる所なんかありませんよー的なオーラが漂っていたが、鳥居の前にある「橿原観光ホテル」の1階がレストラン。どんだけすんだろ、とメニュー表を見たら「日替ランチ1080円」とえらい良心的な価格設定。シャンデリアに絨毯、ソファに座って食べられるだけでも有り難い。クリームコロッケは給食センターで製造された感満載だったが、冷やしポタージュにコーヒー、パンにはご丁寧にバターまで添えられていた。十分休憩も出来たので、いよいよ神社の鳥居をくぐる。天候は素晴らしい!交通整理に使うらしい簡易ガードレールに「橿原神宮庁」と云う表示を見て、旧内務省の出先機関みたいなオーラを感じてしまった。親戚に言わせると、橿原なんて明治政府が勝手に作った「明治神宮レベルのやつ」とボロクソだが、戦前は国家機関と同様の権威があったんだろう。神宮を一回りして、やっぱり「明治神宮感あるなー」を感じてしまった。まだ時間があるから考古学博物館に立ち寄る。さっきから本当に人が歩いていないし、お店らしきものも無い。観光地的なごちゃごちゃ感が無いところが奈良って感じだが、地面を掘ったら国宝並みの遺物がゴロゴロ転がっているのだ。いかにもって感じがするのが埴輪の展示。個人的には馬の埴輪がかわいくてたまらない。古代中国やエジプトの墳墓から出て来るものと云えば、王家の威光を感じずにはおれない威圧感があるが、埴輪に至っては幼児の玩具のようで、これでも一応偉い人のお墓に並べるものなんだけど、権威と云った雰囲気は皆無だな。このユルさはどういう意図か分からないけど、日本人独特の表現なのは確かだ。
2017.09.09
まさかそんな災難が起こるとも思わず、連休初日は嫁と呑気に新宿をブラブラ。ルミネのイートモア スープ&ブレッドで昼食を。これぞ「ゲミュートリッヒ」なひと時だ。メタボ直行のパンケーキは嫁さんとシェアだ 連休2日目は、天気も良くないから「明日何をするか」を考える。ネットでたまたま見つかったのだが、映画「この世界の片隅に」を川崎市民ミュージアムで上映するというネタ。8月は「平和を考える月」に相応しい映画を連日上映しているそうで、企画自体に古いサヨク臭がもよおす訳だが、「この世界の片隅に」は一度見たいと思っていたし、600円という値段に惹かれた。 600円で映画を見るためには、それなりの苦労が必要だ。この川崎市民ミュージアムは等々力緑地という場所にあって、半ば陸の孤島だ。電車やバスを乗り継ぐ場合の交通費を考えるとクルマで行く方が有利だが、駐車場に入れないリスクもある。当日券を午前10時30分から発売するそうだが、「もっと前から並んでるでしょ」と予想した。相当早く出発せねばならない。 いよいよ3連休最終日、早朝からラパンで川崎方面を目指す。等々力緑地に着いたのは10時10分前。それでも市民ミュージアム前駐車場は満車だ。今日はフロンターレの試合もあるらしく、駐車場に入れず企画倒れか?と思いきや、ミュージアムから一番遠い駐車場に空きがあって救われる。 そしてミュージアムに入ると・・・ホール入口は長蛇の列を作っている。本日の分は終了で企画倒れか?と思いきや、列に並んで何とか券を買うことが出来た。 さて映画の方だが、後知恵排除の徹底した時代考証が高い評価を受けているだけあって、戦時中の日常生活のリアルさが良く理解できる内容だったと思う。自宅の庭先が既に戦場と化した緊迫感も素晴らしい。ラジオの空襲警報の緊迫した放送がリアル過ぎて、本当にこの場から逃げ出したい恐怖感を感じる。 広島の原爆については間接的な描写に留めているが、広島市内から飛んできた窓枠が木に引っ掛かっているシーン、全身が腐敗したような被爆者がうずくまったまま亡くなったシーンなどは、原爆の真の恐ろしさを強烈に訴える表現だと思う。ただ、九州まで聴こえたとされる原爆の爆発音が呉で聴こえず、衝撃波だけ伝わっている表現は「?」と思ったが。 主人公「すず」が、周囲の光景に対して自身が得意とする絵画と空想力をそのまま「絵」として用いる表現は、アニメだからこそ出来るワザだよなーと感心して見ていた。主人公「すず」の声を務めた「のん」さんも素晴らしい。クドい広島弁もリアルだし、主人公「すず」の常にワンテンポ遅れた、おっとりした雰囲気を良く表現していた。もっと活躍していい女優さんなのに・・・。 終戦時の苦労を想えば、現代の我々は何と恵まれ・・・と思いきや、家に戻ったらトイレのレバーを動かしても水が流れない事件が。トイレの水は、レバーで重りを引っ張り上げることで水が流れる訳だが、レバーの軸が劣化して折れたのだ。水洗トイレという、戦時中の人々からすれば夢のようなトイレも、故障したら元も子もない。 世界で最もトイレに敏感な日本民族だけに、これはすぐに直さねばならない。お盆でアパートの管理会社は休み、これって自分で何とかせぇって話? まずはネットで情報集め。そしたら、水道工事の会社が丁寧にレバーの交換の手順を説明してくださっていた。有り難い反面、「人から金取れる程の技術を、無料でブログなんかに公開することの是非」を考える。現に、ホームセンターで部品買って自分で出来ることが分かってしまった訳だから。 とはいえ、イナックス対応の部品を手に入れるため、ホームセンターを3軒はしごすることになった。自家用車の機動力をこれほど有り難いと思ったことは無い。 いよいよ作業開始!やってみると意外に簡単だった。唯一苦戦したのは、重りをつなぐ鎖の接続。本来は水道を止めてタンクの水も排出して作業するらしいが、水を貯めた状態のまま作業することも出来た。最後に「大小」のシールを貼って完成だ。「大小」の文字がデカ過ぎるよ(笑)。この世界の片隅で、「これまで当たり前だった日常」に素直に感謝だ。
2017.08.13
平成29年もいよいよ半分を経過しようとしている。そんな言い方をすると、とにかく年齢を重ねるほど年月の経過が速く感じるというトホホな話に行き尽く訳だが・・・。 拙者は、男たるもの人生(=年齢)の積み重ねだと思って割り切っているが、ご婦人にとって年齢を重ねていくのは有り難くない話。だから、嫁さんの誕生日も単純に御めでたいんだか何だかよく分からない感じでもある。せめてケーキぐらい買うか!と思い立って、それは自分が食いたいもんだからその通り食いたいものを買う。帝政ドイツ萌え~な拙者が自然と足を運んだのはユーハイムのお店。実は嫁さんから「帰り卵買ってきて!」とメールが来てたんだけど、ケーキ何するかでメールなんか全く気づいていない。というよりメールを確認する習慣が根付いていない(笑)。ウチへ帰ったら嫁さんが「え?これ卵?」って何の話やねんという感じ。ある意味卵料理の一種なんだけど。 記念日に相当するものと言えば、誕生日の他に結婚記念日というのもある。役場に届け出を出したその日のことよりも、嫁さんがはるばる北海道から片道切符の飛行機に乗ってやって来た日の方が思い出深い。というのは、空港で何となくケーキを買って家でむしゃむしゃ食ったというのが未だに忘れられないのだ。 だから、結婚記念日の前日になって急にケーキが食いたくなった。急にそう思ったのが自宅近くのスーパーにいる時なので、とりあえずそこで物色していたら、カップに入った小さなケーキに目が行く。たった198円ながら、一つは抹茶スポンジにあずき、サツマイモの和風仕立て、もう一つはチョコを含ませたクリームやプリンが微妙な濃淡を表現したチョコ尽くしの一品、よくまぁ198円でこんな小宇宙的作品に仕上げたものだと勝手に感動して買って帰る。 そして本日は都心へ出て買い物を。白金高輪のアンペルマンショップで定期入れを買い換えた。アンペルマンの説明をしていたら長くなるので割愛するが、店がここしか無いからわざわざここまで来たのだ。目的達成後、品川方面へ歩く。嫁さんが読んでる「東京いい道、しぶい道(泉麻人著)」で紹介されている、昭和8年落成「高輪消防署二本榎出張所」を見たかったのだ。周囲は「高野山東京別院」もあって、そこで見たものの話とかも割愛するが、まー品川駅まで随分と歩いた。京急の駅ビル内の「ハーブス」でケーキを・・・。予算の関係でハーフサイズで我慢だが、純白のカップになみなみと注がれたコーヒーが美しい!これぞゲミュートリッヒなひとときだ。
2017.06.11
ある日ある時、突如として結石がぽろっと出て来た。本当に一瞬の出来事だった。やれやれと思いつつ、これからも油断が出来ないなと思った。それでもいろんなことを改善したと思う。水分摂取は積極的にやっている。麦茶かルイボスティーか白湯が原則で、シュウ酸が含まれているコーヒー紅茶は制限せざるを得なかった。 1日やることも終えて、カフェオレで一杯・・・これがちょっと前までの「ゲミュートリッヒ(独:心地いい、くつろいだ気分、等)」であったけど、今や一週間が終わって嫁さんとコメダ珈琲へ行ったり、ちょっと足を延ばして東京駅前に出来た三月のライオンカフェへ行ったり、とにかく週末にまとめて「ゲミュートリッヒ」にするしかない。行って来ました!三月のライオンカフェ コーヒー系の飲み物が無いと落ち着かないというのは改めないと・・・。 日曜日、ジムへ行って帰って小腹が減ったから菓子パンとコロッケを食べながら、昔はカフェオレだったけど牛乳になっちゃったなーと思いながら、それでも「自宅BAR」でまったり過ごしている時間も「ゲミュートリッヒ」に感じて、ちょっと嬉しい。体の心配から解放された心地よさなんだな。 さて、親戚の方々に年賀状を作ることになる。昨年はロフトで「大正・昭和初期の復刻年賀状」を見つけて一人で大ウケ状態だった。今年もちゃんとありましたよ。しかも「酉年」を意識したデザイン。「つがい」なのが味わい深いというか、我々夫婦二人に合った設定だと思う。 去年は「おみくじ」「猿」のデコシールを併せて買ったが、今年はハガキのデザインを考えて「桜の花びら」「ニワトリ」のシールをチョイス。ニワトリのシールは毛がフサフサしていて、立体感が出る。 かわいい・・・レトロというよりファンシーな雰囲気に。少なくとも40代のオッサンが作った年賀状じゃねーよこりゃ。 やること終えて、天皇誕生日の夕食は近くのケンタッキーで唐揚げを2個買って、昨年同様シャンパンの代わりにスパークリングなっちゃんで乾杯とする。シュトラウスの「皇帝円舞曲」をかけるのをうっかり忘れた・・・。 クリスマスイヴの夕食は、京王百貨店で小樽のお店「なると」の半身揚げを買って、やはりスパークリングなっちゃんで乾杯とする。クリスマス当日は、ネタも尽きたから「いなげや」のフライドチキンを2個買って、乾杯するものも無いから御飯と味噌汁と一緒に。実は「いなげや」のフライドチキンが一番美味かった? オマケに、知り合いからもらった「ポリポリムツゴロウ」を食す。 これ、ビジュアル的に「エイリアンの死骸」ぐらいにしか見えない・・・。食べてみたら普通の佃煮みたいな感じです。 いよいよ年末も迫って忙しくなる。三連休の暇つぶしに借りたDVD「砂の器」のオリジナルサントラを借りて聴いたり、そういえば実家に京浜東北線103系の鉄道模型が残っていて、国鉄蒲田操車場殺人事件のジオラマが作れそうだとか妙な妄想をしているうちに時間はあっという間に過ぎる。続いておせち料理の買い出し。 夫婦二人だし、元旦初日に食べきるつもりだから量は極少でいい!伊達巻はローソン100で本当に100円のやつ、海老は2個で350円、栗きんとんは3個で450円、煮物は正月バージョンじゃない普通の煮物で・・・全部足しても、どっかの百貨店で売ってた「犬用おせち」より安いな。俺たちは犬以下ということか。 ちなみに年越しソバのかき揚げは、あまりの値段の高さに毎年「天かす」で代用していたが、今年はローソン100で100円のかき揚げを買うことが出来た。なかなかついている。 嫁が「今からおせちつくるね」→10分くらいして「出来た!」・・・速い!速過ぎる!詰めるだけだから速い訳だ。もうビジュアルが100%だと思っているから、雰囲気だけでOK。ささやかながら正月気分を味わえるだけでも十分だし、それを何とか出来た、ということの大切さを噛みしめる。 ラパンをコイン洗車場でキレイにして、やることも全て終えて、嫁とコメダ珈琲で一服。この時間はまさに「ゲミュートリッヒ」と言うべきか・・・。明日実家へ行ったら京浜東北線103系をどこにしまったか探そう・・・。
2016.12.31
ある朝、自分の尿の色が変だということに気が付いた。茶色い色に近くて、何となく赤みを帯びている感じもする。とりあえずその日は出勤し、職場のトイレで都度観察していたが、やはり濃い感じ。 土曜日・・・やはり朝から色が濃い感じなので、こりゃ病院に行かねばならんな!と堪忍した。すぐにネットで検索する。そもそも!オラが村に泌尿器科ってあるんか? ちょっと遠くに大きい病院があるが、泌尿器科の先生は週1回しか来ないらしい。それでは話にならんので、近くの診療所で内科・泌尿器科をやってる医院へ行って来た。尿検査の結果は何と血尿! ということは→尿管結石の疑いがあるから、ということでレントゲンを撮った。ところが石が見当たらないという。後は膀胱に異変が無いかどうか見なければいけない。そうなるとCTを撮る必要があって、立川の医療機関へ行くということになった。先生は素早く電話をかけて日時の打ち合わせをしている。早口の先生だけあってやることも早い(笑)。 要は・・・最悪の場合膀胱癌の可能性があるのだ。無自覚というところが気持ち悪い。松田優作じゃあるまいし、どうせなら結石とか言われる方が気が紛れたかも知れない。40代だから・・・その可能性は低いんだけど医者だから分かりませんじゃ済まないんですよ、と先生はおっしゃった。もちろん拙者もきちんと理由を知りたい。 とりあえずその日は家へ引き揚げた。嫁さんが心配しちゃって・・・心配してくれる女がいるという幸せと、心配をかけてしまった申し訳なさで頭はごっちゃだ。もっと気持ち悪いのは、しばらくして尿が普通っぽくなったこと。これで大したことない!と油断してはいけないらしい。 翌日、立川の某医療機関へCTを撮ってもらいに行った。頭の中は真っ白・・・指定時刻に出向き、初めてCTというのを体験する。点滴をつなぎ、CTの機器に仰向けに寝て、後は担当者の指示どおり息を吸ったり吐いたりを繰り返す。造影剤を注入されると熱く感じますよと言われ、全くそのとおりだった。なぜかこの時テンションが上がる。体が熱くなったからか?撮影は意外にすんなりと終わり、頭も真っ白なまま家路に就く。 週明け・・・仕事なんか身に入らないよ。頭の中は真っ白で視野が半分ぐらいしかない。もちろん執権殿には事の次第を報告し、他の御家人衆には概要だけ話しておく。無理な残業は控えて家へ帰ると・・・嫁さんの手料理がやたらと充実している。今更遅いつーか・・・でも感謝だな。何としてでもこの逆境を乗り切るしか無いのだが、やはり心は折れかけている。 よく分からないまま迎えた水曜日の夜中、鈍い痛みに目が覚めた。お腹が下ったのかと思ったが、微妙に違う。左の背中あたりが痛くてたまらない。寒気もしてきた。30分くらい経ったか、痛みは急になくなりそのまま自分も眠ってしまった。 朝が明けて・・・やっぱり血尿が出た。ということは?→結石かもしれない! 会社へ電話して休暇を申請し、すぐに泌尿器科へ行った。そしたらCTの結果も出ていて、「癌とかはありません」「結石もありません(?)」なんだと。 左の背中が痛くなった旨申告すると・・・先生はCTの一部を指して「これかもな」と言った。左腎に小さな石が認められるという。ところが、「こんなの治療する必要ないよ」とのこと。 つまり、尿管に付着していないから「尿管結石」にもならないという。途中で痛みが出たら困るだろうから、と座薬を渡されてそれで終わってしまった。 んー癌は見つからなくて良かったし、石と言っても治療の必要のないレベル、というのも良かったかもしれない。でも腎臓に残った石はずっと残るのだろうか。俺は一生座薬を持ち歩く人生ってこと?松田優作状態は逃れたとしても、こりゃお笑い芸人のネタだよ。 ネットでいろいろ検索した。片っ端から検索したと言っていい。おぼろげながら分かってきたのは、腎臓に石が出来たからって手術する訳じゃない、ということ。もう手の付けられない大きさになってしまえば体外衝撃波か何かで破壊するそうだが、それ以前の状態なら自然に流すしかない。だから余計大変でもある。尿管結石の痛さから逃れたいなら、今ある石をこれ以上大きくしないことに尽きる。 とにかく水分を摂取すること、ホウレンソウ等のシュウ酸が多い食べ物は控える、肉類より魚類へ・・・先生に言われたんじゃない。ネットで自分で検索して分かった。大丈夫かなあの先生・・・。
2016.10.30
実家から札幌へ出て数年の一人暮らしを経験したが、その時のアパートは「収納場所が6か所もあるから家具が要らない」と言っても過言では無かった。デザイナーズマンションのたぐいだが、地方だから家賃も安く済んだのだ。ここで「ホテルで寝起きするような暮らし」も悪くないと思った。 どうせ数年もすれば転勤するんだし、モノは最小限にして身軽になっておこう!こうした理由で拙者もミニマリスト的な志向が定着していった。一例を挙げると、音楽をフラッシュメモリに貯めるのが当たり前になり、新たにCDを買うこともほとんどなくなり、MDを使うこともなくなった。鉄道模型を買ってもレンタルレイアウトで走らせる方が楽しいことも学んだ。趣味の変化もミニマム化を後押ししたと思う。 それから・・・東京へ転勤となり、その後に新婚生活が始まった。東京と言ってもタマ地方だが、一丁前に家賃は高い。だから玄関ナシの「ドア開けたらいらっしゃいませ」的なアパート~それなら発想を変えてお店のような自宅Bar風に~「ワイマール」時代のドイツを勝手にイメージしてみた。→自宅Barのネタはこちらでもどうぞ・・・ 帝政ドイツの三色旗(赤・白・黒)に倣い、生活物資はこの3色でまとめるというルールを設定!なので緑のスポンジや黄色のサランラップの箱などが犯罪的に浮いて見える(笑)。 リビングに設置した安物のカーテン式クローゼットも、自分の好きなカーテンを付けられる製品を選ぶ。窓のカーテンと揃えることで統一感が出せるのだ。ここでも(赤・白・黒)の色合いが基本。和室は敢えて「パーテーション以外、何も置かない!」を徹底。そのためには、持ち物の総量規制が必要となる。ちなみに最近やったことは、「西部警察の番組で爆破された広電の模型を買うために、長らく作らないまま放置していたドイツ海軍戦艦ドイッチュラントのプラモをハードオフで売却した」ということ(笑)。これで収納スペースを確保する。 なぜ和室に何も置かないか・・・それは「布団敷いて寝るから」・・・思い切り布団を敷いて、どこにもブチ当たらないのも一つの贅沢だと思う。旅館みたいにね。でも一つ悩みがあった。それは、「あまりにも殺風景」なこと。 床の間とかあれば絵になるだろうが、なにせアパートの和室。モノが無いと殺風景なこと甚だしい。ミニマリスト的な考え方は、取捨選択の決断力を養ったりする上では有効だと思うが、見た目が殺風景過ぎると何かが欲しくなる。ということで壁にウォールステッカーでも貼ろうということになった。 でもやっぱり殺風景・・・禅の美意識など何も伝わってこない。無という空間も、功罪半ばということか。ところが、夜になって二人分の布団を敷けば畳の部屋は十分埋まり、何だかちょっと幸せな気分に。この微妙さは何と表現していいか分からないが、要はミニマリスト志向にも限界があるということだ。布団も処分して寝袋でいいや、まで突き進んだら、ある種の心の病だろう。汚部屋は論外だが極端なミニマリストも困りもの~バランス感覚をどう保って行くかは自分の問題として常に模索して行かねばならない・・・。
2016.09.22
札幌赴任生活が終わる僅か3日前、彼女の実家に挨拶しに行った。余市町は素晴らしい秋晴れで、これで何もかもやり遂げたという思いで一杯だった。今から約2年前のことだ。 札幌市内のアパートを引き払い、豊平川の河川敷に咲くコスモスとヒマワリを眺め、時折ドンボが飛び交う青空を眺めながらあの街を後にした思い出は、恐らく死ぬまで忘れることはないだろう。東京での新婚生活も落ち着き、ホッキョクグマのごとく暑さに弱い嫁さんのための「涼しい場所探し」もネタが尽きたもんだから、今年の夏は北海道へ行こう!ということになった。 北海道新幹線~鉄道模型コンテストの一コマ ところで・・・内地の人間は北海道の広さを舐めてる、というネタをテレビで見たことがある。札幌行ったついでに富良野行って、帰りに函館寄ろう、などと軽く言うな!ということだが、拙者も北海道に数年いたにもかかわらず、未だに北海道の広さを理解できないでいた。北海道新幹線が函館まで開通!というニュースを聞いて、「函館まで新幹線で行けるなら、2日目は函館から列車で余市まで行って帰って来れるのでは?」と思ったのだ。函館本線で長万部→倶知安→余市といけば何とかなりそうと早合点したが、これが大間違いもいいところ。 最速で4時間半程度かかるが、これは函館空港から新千歳空港まで飛行機を利用した場合(笑)。JRの特急を使っても5時間半はかかる!函館から札幌を経由した場合のルートだ。 函館本線でニセコ→倶知安を経由した場合はどうか。普通列車しかなく、途中駅での待ち時間が生じるため所要時間は何と7時間39分!これでほぼ1日が終わってしまう。結局、今回は空路での旅となった。詳しいネタはこちらから・・・男41歳~初めてディズニーシーへ行くの巻 晩夏の余興はディズニーシー。ディズニーに全く興味が無いだけに、これは全て嫁さん任せだ。高校生の時分「ランド」へ行った際に「この舟は明らかにレールの上を動いているよな」などと言ってるくらいだから、そりゃモテる訳ないし、そうこうしてるうちに41歳。もう何も信じなくなるのはある意味仕方ない。というより、ビッグバンドビートが口パクなのか、そうじゃないのか、そんなのどうでもいいというのが正直なところ。 とにかく御家人衆へのおみやげを買う時だけ真剣だった。おみやげを配る際、「何乗りました?」と言われて困るのは、アトラクションの名前が未だに覚えられないこと。「エレベーターみたいなやつ」「一瞬だけ外が見えたかと思うと滑り落ちるやつ・・・」 こんなに記憶力が無いとは自分でも驚く。 自分達用に嫁さんが買ったのは、ユーハイムのバウムクーヘン。拙者が好きなユーハイムがこんな所にあるとは知らなかった。人間40年もやってると、正面に書いてある品名より、箱の裏側に書いてる製造者名を確認して中身がどんなもんか予想するようになる。手に取って、すぐに裏を見る(笑)・・・ある意味哀愁が漂う仕草かも知れない。拙者的に一番気に入ったのは、ディズニーリゾート管内を巡回するバス。レトロ感溢れるメタルパーツに萌えるし、「習志野ナンバー」というところがええな。ここはあくまで「チバ県」なのである。
2016.09.11
嫁が働きに出ることになった。近所の農家の手伝いとか、そういう次元じゃなくてお台場まで通勤するというのだ。嫁のこれまでの感覚はというと、大通(札幌市!)まで地下鉄で15分・・・ぐらいが通勤だったというから、これじゃあ毎日旅行じゃんけ、ということになる。 とにかくお台場の地理を知らないといけないから、ということで先週、二人で現地へ行って来た。中央線で都心へ・・・車内のモニターに「沿線各地の天気予報」が時々表示される。東京:31℃ 立川:33℃ 大月:36℃! という感じで田舎へ行くほど暑くなるのは定番。(逆に冬だと 東京:13℃ 立川:11℃ 大月:8℃・・・という感じで田舎へ行くほど寒くなるのである。) 暑いからとにかく海岸の方へ避難せよ!というのは半分冗談で半分大真面目。 そしてお台場へ着いて・・・どっかで見た光景だと思ったら、これは近未来の札幌大通?にわかに札幌在住時代が懐かしく感じられた。 そして拙者は行きたいところがあった。東京ビックサイトで開催されている「鉄道模型コンテスト」である。先ほどの中央線の画像は、高校生のみなさんが製作したジオラマの一部。全国各地から、リアルさや表現の面白さを競って力作がズラリと並ぶ。関西からの出場校は、やはり関西の風景を作ってるし、広島の出場校は宮島とか広島電鉄の風景を作っている。広島関連の作品はいろいろ感銘を受けたので「広島~平和を願う旅」のコーナーで後ほど取り上げて行こうと思う。嫁がお台場へ出勤し始めると、日常生活も多少変わった。嫁は4時に起きて化粧をし始めてる!早過ぎにも程があるけど、遠過ぎて毎日旅行じゃんけ、というレベルなのでやむを得ない。残業があると嫁の帰宅が遅くなる日も出て来た。さぁ困った!拙者が夕飯を準備することになった。札幌時代、彼女がウチに来た時にカッコ付けてよく料理をした。味はいかほどか自分でも自信は無かったが、女の前でカッコ付けようとすると結構頑張れるものなのである(とか言っといて、一番多かったのがお好み焼きだった!料理とは言えんわ・・)。その当時の余韻を思い出して厨房に立つ。鯖のワイン煮込み~どうだろねー。小瓶のワインとか安いの売ってるんですよ。料理用みたいなワインだけど、余ったらワイングラスに入れて「それなりの感じ」を演出・・・またある日はドイツ行進曲を聴きながら作ったんだけど、ソーセージにザワークラウト、ポテトフライにホワイトアスパラ・・・全然青野菜が無い!ドイツ軍の野戦食じゃあるまいし、色合いが単調過ぎてこれでは駄目である。そう、昔から料理する時は音楽をかける。シューマンのピアノ協奏曲を聴きながらおでん、東ドイツ軍の行進曲を聴きながらお好み焼き・・・嫁はさぞかし妙な男だと思っただろう・・・。
2016.08.11
嫁が所用で実家へ帰って行った。実家があるところと言えば遥か北海道は余市町。朝ドラ「マッサン」の舞台になった余市である。新千歳空港から快速エアポートで札幌→小樽まで行き、そこからディーゼルカーに乗り換えて3駅か4駅目だったと思うけど、実家へ挨拶に行った時の印象では「小樽から一駅がとにかく長かった」訳である。 ニッカウヰスキー余市蒸留所は朝ドラで一気にメジャーな観光地になってしまったが、実家へ挨拶に行った時は見学する時間もなく、嫁が撮って来た写真が貴重なお土産だ。今回の写真もすごかった。 これですもん。日本じゃないよこの景色は・・・。ちなみに開店直後に入ったからこのような写真が撮れたそうで、この後ドヤドヤと観光客が押し寄せたという。 さて、拙者も自分の実家へ帰った。両親との会食で登場したのは余市から送られてきたニッカのお酒。 その中でもアップルワインが好評だった。普段、酒より甘い物を好む拙者もこれなら飲めた。甘さにつられて飲んだら勢いよく酔いが回る。アルコール度数は普通のワインより格段に高いようで・・・。朝ドラ「マッサン」の話題になり、劇中の俊兄(八嶋智人)が開発したことになっているから、俊兄には感謝だな。正直、拙者もウヰスキーの薀蓄を語るほどの教養がない。劇中にある「お湯で割ってハチミツを混ぜて風邪薬の代わりに」だったら飲めるかも。嫁が帰って来て、待ってましたのお土産。ウヰスキーは要らないからお菓子くれ!と言っておいたから、このとおり。 おまけに雪ミクキャラメルと、ガチャガチャで獲得したのは札幌市電。市電は大通からすすきのまでループ線が完成し、環状運転が実現した。市電に乗ったのは、札幌から引っ越す最終日に1回だけ記念乗車したっけ。雪ミクも、雪像が倒れて大騒ぎしたり、雪ミク仕様の市電が走ったりと、懐かしいネタを思い出す。札幌在住時代は確実に遠のいて行くばかりだ。
2016.02.07
厄年を侮ってはいけない、と母親から散々言われていたから、年明けは大国魂神社へ行こうと決めていた。ところが神社でお祓いを受ける経験が無いものだから、どのような段取りになるのか調べないといけない。まず費用だが、神社のホームページを見ると「5千円から」らしい。しかも、現ナマを受付の巫女さんに渡すのはご法度らしく、きちんと包むのが礼儀だという。スタートは、お金を入れる袋作りからだ。 100円ショップで袋を買ってくるのも一苦労。神社へ渡すときの袋ってどのデザインがいいのか。バリバリ結婚式みたいなのもおかしいし、お年玉の袋もおかしい。「御祝用」の没個性的かつ中程度な袋!いろいろ調べた結果、こう行き着いた。 続いて、袋になんて書くか。「玉串料」「初穂料」など書くらしいが、「初穂料」の方が一般的らしいので、そう書いておく。もちろん自分の「氏名」も書かねばならない。 さて、考えられるだけの準備をして神社に赴いた。お祓いの受付はすぐに分かった。大きい看板が出ている。さすが大国魂神社、お祓いを受ける人が多いのだろう。大きな筆記台があって、申込み用紙(それも何種類もある)に必要事項をあらかじめ記入しておく。書き終わったら、受付で「初穂料」を納めた。受付の巫女さんは、いかにも大学生でバイトやってます風で、それを見て「袋に入れるほどでも無かったか?」と思ったよ。このヘンはもう気持ちの問題レベルかも。 受付が終わると、番号札を渡されて控所で待つことになる。控所は仮設テントだが、暖房が効いていて予想以上に暖かい。待つ間、液晶モニターでお祓いを受ける段取りが上映されていた。なるほど、うまくできてるもんだ。 いよいよ番号が呼ばれて、ゾロゾロと拝殿へ向かう訳だ。拝殿内部は畳なので、靴はもちろん脱ぐ。神職さんが名前を一人ずつ読み上げていくので長時間の正座となるが、ここは有り難い場面なのでじっと我慢である。 お祓いが無事済み、神様から賜った品々を受領して拝殿から退出する。神社から渡された手提げ袋の中に絵馬が入っているので、忘れずに絵馬を吊るしてから帰る。 さて、神様から頂いた品々であるが、実名の入ったお札(すごい、受付したら速攻で名前入れてるんだ・・・)、お神酒、お米、絵馬のサブレ(絵が描いてあってかわいらしい)、御守り、であった。ウチは日本酒を誰も飲まないので、即座に豚汁の調味料と消える運命だ。 御守りに描かれているのは、嫁の天敵「カラス」だ。おいおい、俺はこの1年、烏殿に守られるって訳か。アパートのゴミ置き場を荒らしに来ても何もできないって訳か(笑)。けれどこの御守り、グロテスクなだけ魔除けとしては効きそうな気がする。
2016.01.09
大正時代や昭和初期、こんな年賀状が本当に作られていたのか?ロフトで見つけた「レトロな年賀状」を見て、すさまじく前時代的デザインに苦笑いが催した。そして結局それを買っているのだから世話ない。とにかくレトロなデザインに弱いのである。 嫁が見つけた「猿のデコシール:ちゃんと毛がフサフサしてる」そして拙者が見つけた「おみくじシール:全部大吉らしい・・・」を組み合わせて完成!おみくじに限らず、何か商品が当たるシールとか、コンビニで飲み物を交換できるシールとか、もっといろんなバージョンを作って欲しい・・・。 さて、前々から「23日はピザを買ってシャンパンを開け、ケーキを食べる」と決めていた。ケーキは、近所で老夫婦が営む洋菓子店で購入。これは普通の流れだが、シャンパンは「スパークリングなっちゃん」、せめてピザぐらい宅配にするのだろうと想像していたが、嫁は迷わずスーパーの冷凍食品売り場へ・・・「マルゲリータ:278円」なり。 おー、昼マックと大して変わらぬ費用で出来た晩餐会~結局何を祝うのかよく分からなくなってきたが、皇帝円舞曲(シュトラウス)を聴きながら「陛下の誕生日を祝ってなっちゃんで乾杯!」ということに。 余興で、明らかに飲み忘れていた「リタハイボール」で締める。一人で飲みきれないので二人で割ったが、これけっこうキツい。甘いから拙者でも飲めると思っていたが、脳に響く重さを感じるのがウヰスキー。マッサンが偉大なのは分かっているが、それだけでウヰスキーが好きになれるもんじゃない。(嫁が余市出身というだけで好きになれるものでもないな・・。)
2015.12.23
向かった先は立川。立川といえば、昔はこんな感じこんな感じ中距離電車脱線してるし・・・こんなイメージだったが、今やこれだもんなぁ。伊勢丹に入ったものの、値札を一瞬見ただけで、失礼しましたとすぐに店を出た(笑)。もっとキメ細かなニーズに応える店はないんかい(笑)、とあちこち周ったが、この日は結論が出ず。正直指輪の話なんて男に聞かれても困るだけで、「鑑定」は嫁に任せるしかない。 唯一、自分が持ってるネタとして強みがあるのは「金の積立」をしていること。管理会社から毎年、等価交換できるカタログを送ってくれる。だけど、積立てた金を引き出すのはもったい無かった。長年の積立で含み益が出ており、いざという時に換金できるのは強みだからだ。 数週間、あれこれ迷った挙句、百貨店は敷居が高すぎるから、某複合ビルで消去法的に探すということになる。とにかく、この某複合ビルは女の園という感じ。休憩がてら喫茶店に入ったが、嫁同伴でないと入る度胸はない。とにかく周囲は女女女・・・。 で、その複合ビルの一角にある店で、どうだろ・・・拙者はよく分からないが、値段と材質を勘案した結果「いいんじゃないかい?」という結論に至る。サイズ合わせをして、モノが完成して受取まで半月ぐらいかかったか。そして拙者には次なる格闘が待っていた。それは、 朝家を出るときすぐ忘れる ということだ。忘れないように、目覚まし時計(阪急電鉄:京とれいん)のすぐ横に置いておく。外さないで寝ればいい?そうだよね(笑)。
2015.11.01
今日は相模原の実家に帰省の日。相模原に来たからには、SC相模原(J3)の試合を見なあかん!と意気込んだ。札幌在住時代、相模原がJ2に上がってコンサドーレと一戦やらねーかなぁと、無茶な希望を抱いたが果たせず、結局自分が東京へ戻ってきた。そしたら、運よくJ3が出来て、何だか横滑り的に相模原にJリーグチームが誕生することになったのだ。複雑な心境なり。 嫁にもご同席いただく為にもいろいろ腐心しまして、まず「北海道の弱々しい太陽の元で生きていた嫁にとって、本州の直射日光は厳禁」だと思ってるから、何が何でも屋根つきの席を確保する。麻溝公園競技場は、A席以上は屋根がある。A席はちょっと値段が張るから、コンビニで前売り券を買っておいた。 これで万全なり。案の定、相模原市内はこの天気。9月とはいえ、日光が強烈に感じる。競技場に入り、A席の北側の中間あたりに座った。太陽の方向から、まぁここなら日差しは来ないだろうと計算する。この競技場の屋根だが、あんまり大きくないので席全体が影にならないのだ。いよいよ選手入場~ここで、日本サッカー界の父と呼ばれるデットマール・クラマー氏を追悼して1分間の黙祷が捧げられた。この緊張感ある空気から、やっぱりここは本物のサッカーが行われる場所なんだと感じ取る。試合開始!今日はアンダー22選抜との試合です。我々が座ったところは相手側の席だったようで、アンダー22のサポーターと見られる方がチラホラ。各企業のユニフォーム姿をいろいろ見ることが出来て、それはそれで面白かった。「DENSO」と書かれた赤いユニフォームは、明らかにトヨタ系だと思うが、誰の応援なのか全く分からなかった。世の中、知らないことが多すぎる。試合は2-1でSC相模原がリード。ヘディングシュートが速過ぎて、誰が合わせたのか分からない。さすがJリーガーじゃのう!と感心していたが、ここで感心するのは早い。後半も半分が経過して、ここで高原氏がついに登場!確かにねぇ、彼の特徴を上手くとらえているんだけど、本人は内心ムッとしてない?と思ってしまう。しかし!広告塔じゃなく、本当にこの人は凄いんだというのが素人でも分かった。え?と思うところにボールを進めておいて、実は味方に届いている。一つのプレーごとにどよめきが起こるのは、彼だけだ。やっぱり違う?なんか違うよね?と。結局高原さんは、2人のディフェンダーを抜いてあっさりシュートを決めた。3-2で勝利できたのは、やはり高原さんのおかげだよね。
2015.09.20
梅雨も明け、とうとう夏本番がやってきた。北海道出身の嫁は、氷まくらを抱いて茫然としている。その姿は、氷の差し入れを肌身離さずにいる天王寺動物園のホッキョクグマと同じだな(笑)。 扇風機もフル回転だ。後ろに見えるのは電気暖炉。シーズンオフも「オブジェ」として定位置に置いているが、暑すぎて見るのも苦痛になってきた。 昨日は暑さしのぎと暇つぶしに村の図書館へ行った。図書館はクラシックのCDが大量に並んでいて、面白そうなのを物色する。笑えたのは、「交響曲第1番 (佐村河内守)」も堂々とあったことだ。世間の批判にも毅然として置いてるのか、ただ前から置きっ放しにしているだけなのかは分からないが・・・。 結局借りたのは、ラフマニノフ:ピアノ協奏曲全集で、アシュケナージ演奏の「第4番」の録音がカセットテープのままだったので、さすがにもう1回、新しく録音したいと思ったから。第4番は、アシュケナージ演奏&アンドレ・プレヴィン指揮の録音に異様なこだわりを持っていて、これでなくては脳神経に響かない。さて、今日の暑さも相当なものと予想されたため、朝から村を「脱出!」することにした。東京は、多摩の奥地に行けば行くほど夏は暑い。だから海岸線を目指すのだ。今日はお台場まで繰り出したが、いったい何回乗り換えたか分からなくなるほど遠い!ちょっとした旅行だなこりゃ。 お台場のショッピングモールで、特に何を買うという訳でなかったが、ニトリに入って急に思い出したことがある。実家の旧自分の部屋のブラインドが壊れていた。もう住まないからといって放ったらかしにするのも申し訳ないので、カーテンとカーテンレールを買って実家へ配送を依頼する。「あの部屋にブラインドを付ける」という、当時の自分のセンスの悪さに今更呆れていた。現代的なもの程いい!と思い込んでいた訳だが、それが180度変わって今やレトロ志向一直線という、自分の変わり様もすさまじいな・・・。
2015.07.26
参連休弐日目、本日の帝都は気温34度が予想されていた。と云うことは、拙者が住む多磨地方の村々は36度くらいみておいた方がいい。悲鳴を上げたのが北海道出身の嫁さん。とにかく涼しい所へ脱出しようと云うことになったが、近場と云えば埼玉か山梨なのが現実で、是では余計に暑い。元相模原市民である拙者が考えた秘策は、ずばり「箱根」であった。嫁さんは、「もし噴火してあなたが死んだら余市の実家へ帰るしかなひから其れは困る」と云う。二人で行くのに、何故か自分だけ生きて帰って来る前提なのだから、可笑しくて堪らぬ。取り敢えず行ってみなければ分からぬので、四時に起きて旅支度をして新宿まで出た。一体どんだけ多磨の奥地に住んでんだ!と思われるかも知れぬが、早く起きたのには訳がある。七時発のロマンスカー「はこね壱号」に乗りたかったから。最古参のロマンスカーに乗る昭和の雰囲気が残る車体だ。始発のためか、ロマンスカーは空席が目立った。乗客の多くは小田原で降りてしまい、箱根湯本へ着いても乗客はまばらである。箱根登山電車に乗ったが、是また最古参の車両だ。或る意味いい記念になったかも知れぬ。八時五○分発の電車であったが、電車は空いてて座りたいところに座れた。時間が早いためか、噴火の影響か、実はよく分からない。乗った電車はエアコンも無かったが、涼しい風が外から来て其れで十分だ。やっぱり箱根は涼しい?強羅駅に到着せり噴火の影響は此処から本格的に始まっていて、ロープウェーに乗れないのが我慢ポイント。上空からの絶景を拝めないのはさすがに痛い。芦ノ湖まで行くためには、代行バスを利用することになる。バスが出る時間も40~50分に一本のため、時間になるまで強羅公園でも散策する。此の界隈では、少々暑いが苦痛ではない程度だ。強羅駅へ戻って、代行バスを待つ行列に並ぶ。箱根フリーパスを所持している前提で案内されていて、駅員が切符にスタンプを押していく。出発時刻になると、駅員の先導で行列は踏切を超えて、所定の乗り場で待機しているバスに乗る。此処ではターンテーブルがあって、バスは方向転換している。場所が狭いのだ。代行バスはけっこう混んでいた。桃源台まで30分程度で、仙石原などを経由して走っている。さっきまで晴れていたが、急に霧が濃くなってきた。霧と云うより、雲の中にいる訳だ。芦ノ湖は寒いくらいの気温なり海賊船に乗ったが、風が猛烈で「下界が30度以上なのが信じられない」くらいの寒さ(笑)。涼を得たいと云う目的は、もう有難過ぎるくらい達成できた。海賊船は、強風のため箱根町港の発着となっていた。箱根町港は、駅伝ミュージアムや関所のある方だ。霧も濃くなるばかりで、視界は30メートルくらい。箱根神社は、おかげで何だか幻想的な雰囲気を堪能できた。境内はそれなりに観光客がいたが、「通常こんな感じ」が分からないから、何時もより空いているのかは分からなかった。寒気を催しながら次第に下界へ降りて来た訳だが、うだるような暑さが徐々に込み上げて来た。箱根湯本もかなり暑くなっている。ロマンスカーVSEの車内に入ってホッと一息。新宿へ到着であります。弐種類のロマンスカーに乗る事ができ、少々得した気分であります。
2015.07.20
結婚して数ヶ月、大阪の家族親戚に挨拶するため、泊りがけの大阪旅行をすることになった。ネットで新幹線付き泊まりプランなどを「下から順番に検索」して行くと、ホテルの立地はどうしても十三や西中島南方なんてことになる。嫁さんは北海道人、十三や西中島南方と言われたって雰囲気すら分からない訳だし、そもそも十三を「じゅうそう」と読めないだろう。しょぼい話ばかりしてるうちに、親から「新婚なんだし・・・アベノハルカスくらい泊まりなさい」と一枚のパンフレットをいただく。近畿日本ツーリストのパンフレットだ。日本一高い超高層ビルと鳴り物入りで登場したアベノハルカス、そこの高層階に位置するのは大阪マリオネット都ホテルだ。そのパンフレットを見て「おや?」と思った。結構安いのだ。最寄りの近畿日本ツーリストの支店へ入ってみた。実は近ツーの店舗に入るのは初めてだと思う。担当者によると、ホテルの部屋もまだ空きがあるとのことで、結局「新幹線往復+大阪マリオネット都ホテル(朝食付)」を予約してしまった。★いよいよ「あべのハルカス」に入城の巻天王寺駅を降りて、地下街の光景が全く変わってしまって戸惑った。昔は近鉄百貨店の入り口以外は、古びた喫茶店ぐらいしか無かったように記憶している。あべのキューズモールもなくて、ディープな商店街が軒を連ねていたっけ。昔の雰囲気が残るのは阪堺電車。相変わらず阪堺電車のラッピングはどぎつい。キン肉マンやパンダは許せるが、霊柩車のようなラッピング(葬儀屋さん)はいただけない(笑)。付近を散策してたらあっと言う間に時間が過ぎた。とりあえずホテルへチェックイン~受付では外国人観光客の姿も多数見られた。さて、我々が泊まる部屋は43階の何とかルームという一番安い部屋。天王寺だし、全く期待はしていなかったが、部屋を見て茫然とした。壁一面に広がるガラス張りからは、堺方面の景色が一望できる。全てのビルやマンションを見下ろせる位置だ。しかも、部屋のセンスも悪くない。備え付けのテレビ何インチ?冷蔵庫の上にはエスプレッソマシンが。テーブルも広いし、チェアのデザインもなかなか。バスルームのクオリティの高さも目を見張った。ドアはガラス張り、壁もガラス張りっつーことは風呂が部屋から丸見えなのである(笑)。見せたくない時はブラインドか目隠しのドアを使用することになっている。★展望台に上がってみた! 建築物のデザインという観点でアベノハルカスを評すると、「まだ工事中?」というのが拙者の感想。鉄骨を武骨に積み上げた外観は、正直面白くない。ただ背が高いだけでしょ、という訳である。展望台からの眺望が唯一の魅力か。ホテルの宿泊者は、早朝の営業時間前に展望台に上がれる。エレベーターの光の演出は面白かった。徹底的に近未来を表現している訳で、「天王寺」「ミナミ」「近鉄南大阪線」という従来のディープなイメージを完全否定しているかのようだ。天王寺駅、動物園、そして通天閣もこんなに小さく見えてしまう。やはりここは「異次元」の空間だと思った。かつて、ごちゃごちゃした商店街が軒を連ね、百貨店のショーウインドーの前でおっちゃんが半裸で寝そべっていた天王寺駅前~ここでしか見られなかった空間は次々と消えていった。かといって新しいものからは「結局何を表現したいのか」がいまいち伝わってこない。展望台からは「スーパー玉手」のどぎつい看板が見えた。あー、天王寺らしいものがまだ残っている。新と旧の凄まじい落差を痛感。★開き直って回顧趣味へ?通天閣★大阪レトロモダンな雰囲気を愉しむ 嫁と夜の街へ繰り出した。天王寺駅から動物園前駅へ、そこから堺筋線へ乗り換えた。堺筋線ホームに入線したのはマルーンの光沢眩しい京都河原町行。嫁はそこでめでたく阪急電車初乗車である(笑)。恵美須町で降りて地上へ上がった。そこにはネオン輝く通天閣が。商店街のスナックからは、前につんのめってコケそうな勢いのド演歌が漏れ聞こえる。うーん、これは昭和の雰囲気である。さて、通天閣の入り口を見て早くも感服モードになった。入口通路は阪堺電車の車内をモチーフにした装飾で、「そや、昔こんなんやった!」と懐かしい気持ちにさせてくれた。通天閣は、過去にも行ったことがあるが、このような演出は無かった。どうも「100周年記念事業」の関係でいろいろ改装を行ったらしい。そして展望台でビリケンさんを拝む。 エレベーターで下に降りる。エレベーターも改装されていて、過去へタイムスリップを意識した演出が施されていた。アベノハルカスと真逆の表現である。なるほど3階は、ちょっとした回顧趣味的な博物館のようになっている。100年前の新世界を表現したジオラマが展示してあった。昔、このような展示物は無かったと思う。牛さんが荷車を引っ張っているよ(笑)。阪堺電車恵美須町駅ってこんなに立派だったのか。ジオラマを見ながら、100年という時代の流れに思いを馳せる。展示物はジオラマだけではなく、大阪の様々な写真等がパネル展示してあって、まさに大阪レトロ博物館という雰囲気だ。通天閣そのものの古さを活かすとなると、もう開き直って過去という逆方向の時間へ向かうしか無いのだろう。さて、地下鉄御堂筋線に再び乗車したが、今回もポールスターに乗ることは出来なかった!けれども天王寺駅で素敵な出会いがあった。たまたま向こうのホームに入線したのが、過去の復刻塗装を施した列車。うーん、大阪レトロモダンを十二分に堪能したという感じ。この夜は、余興に道頓堀も散策する。驚いたのは、観光船が頻繁に行き来していること。どの船もグリコのネオン看板の前でしばし停船した。そらそうだよね。中には停船したかと思ったら、いきなりジャズの演奏を始める船もあった。道頓堀ってやっぱり面白い!
2015.06.13
さて、いよいよトルコ海軍フリゲート艦ゲディズへ乗艦することになった。トルコ側の受付場があって、先ほど海自が設営した受付と同じように、来艦者記帳をする。ここではみんなローマ字で書いていた。何故だかよう分からん(笑)。入口に恰幅のいい士官がいて、来艦者一人一人に握手するという「念の入れよう」である。まずは甲板を歩いて船首へ向かった。途中に水兵さんが立っていて、記念撮影に収まったりポーズを取ったりしてサービスしている。船首へ立つと、海上自衛隊護衛艦の「たかなみ」がよく見えた。続いて艦内へ入り、はしご同然の急階段を登る。前の女性がスカートだと、中は確実に見えると言っていい(笑)。前の女性は嫁さんだったから、後ろについていて良かったと逆に思った訳だが。そんなに大きな艦では無いから、艦橋からの景色は「まぁまぁ」だ。それより、甲板に立っているイケメン士官さんのサービスぶりを見ている方がおかしかった。小さい子供が来ると、決まって帽子を被せてあげている(笑)。艦尾のヘリポートでは、トルコ女性の皆さん(大使館の人?)が、コーヒーをサービスしてくれた。あの辺の国々の「嗜好品系は甘い」と予想していたが、案の定、口がゆがむ程の甘さだった(笑)。なんぼなんでも砂糖入れすぎやと思ったが、これが普通なのかも知れない。さらに・・・向こうでは士官さんが一人一人に「Tシャツ」を配っていた。嫁さんがもらって来たので、オチは何だ?と思って開けてみたら、なるほど、串本ですか。ここまでくると、ほんまに泣けてくるなぁ。国際関係でみれば、日本とトルコをつなぐパイプはまだ竹串のように細く感じる。遠いなぁ、イスタンブールは。ちなみに拙者は、和歌山県の串本にある記念館を訪問したことがあります。 和歌山県の串本を訪問した際の写真です。→詳しくはこちらから
2015.06.07
日本・トルコ友好125周年にあたり、トルコ海軍艦艇(フリゲート艦ゲディズ)が遠路はるばる日本へやってきた。和歌山県串本における追悼式典に参加した後、晴海埠頭へ寄港した同艦は、先週の金曜日から一般公開をやっている。 今から125年前、和歌山県串本町沖で発生した「エルトゥールル号」の遭難事件が、日本・トルコ友好の出発点となった話は、まぁこの写真を見にいらした方はよくご存知だと思うので、ここでは省略する。とにかく、トルコ海軍の艦艇が来るということ自体が珍しいと思ったので、嫁を連れて出かけることにした。東京駅でお茶でもして、という餌で釣った訳だが(笑)。さて、東京駅で「お茶」した後、晴海埠頭行きの都バスに乗った。有楽町、銀座、そして歌舞伎座の前をバスは通り過ぎて行くが、バス停に停まる毎に乗客は増えて行き、終点に着く頃は超満員になっていた。そんなに皆、トルコ海軍を見たいのかと不思議に思ったが、まぁ両国の親善の為を思うとそれは悪いことではなかろう。終点へ着いて、我々は思わず絶句!トルコ艦艇の前に長蛇の列があるではないか!まず、海上自衛隊が設営した受付へ並び、来艦者記帳と手荷物検査を済ませて、いよいよ見学の列に並んだ。手前には、ホストシップとなった海上自衛隊の護衛艦「たかなみ」が停泊していたが、来場者の99%はトルコ側へ並んでいる。「たかなみ」へ行ってる人は、そこからトルコ艦艇を撮影するために上艦しているようだ。洋上では、巡視艇が警戒していた。向こうに見えるのは工事中の豊洲新市場と思われる。さて、いよいよ「ゲディズ」を目の前に見ることとなった。続きはこちらからどうぞ!
2015.06.07
金曜日、嫁が実家へ里帰りした。(別に喧嘩した訳じゃないです、所用で・・) 羽田空港へ行くのに、どの行き方が便利か?という話になって、こんなタマ地方の奥地でもリムジンバスがあることはあるが、渋滞に巻き込まれたら厄介だ、京急で行った方が安全だということになった。嫁はまだ首都圏の鉄道に疎いから、「京急って何だっけ」的レベルであり、説明するこっちもうーん、京急といえばこんな電車 古い!古すぎる!でも今は色で説明できない(笑)~それだけいろんな電車が通るんだなぁ。京成とか北総線とか・・・とにかく羽田空港行と書かれたのに乗ればいいだけの話。便利になった訳じゃ・・・。 どうやら無事に札幌まで着いた嫁から来た写真がこれ。札幌駅だ。拙者も札幌から帰ってまだ半年ちょっとしか経っていないが、懐かしい限りだ。 拙者も実家のある相模原市へ帰った。横浜線もえらい新しくて「近代的な」車両が走っている。車内のモニター画面で天気予報もやっている!しかぁし、八王子、町田、横浜の天気だけ表示しといて、「なんで相模原は出ぇへんのや?」と不満が噴出・・・ 実家へ着いて、旧自分の部屋のベッドで大の字に寝転ぶ。札幌へ赴任する前までの時代が急に蘇ってくる訳だ。そして「前みたいに母親を駅まで送り迎え」も久しぶりにやる。昔はこの時間帯にFMさがみの、とある番組をいつも聴いていて、時々拙者のコメントを読んでもらったことなど、懐かしく思い出される。「新生活」もちょっとばかり休憩というか、頭の中をリセットしてみよう。
2015.05.24
嫁の誕生日がやってきた。出身地である余市のご家族より、誕生日祝いに贈っていただいたのは、なんと「マロングラッセ~竹鶴ピュアモルト」・・・甘党である拙者にとっては、ウヰスキーよりもありがたい(まるで自分宛に来たごとく食べる気満々なのだ)。 箱を見て「おー、マッサンとリタ夫人の写真まで~雰囲気出てるやないか」・・・そしてすぐに分かったのは、栗はイタリア産ということ。じぇじぇ、イタリアって栗が採れるのか・・・。栗はどこ産でもいいが、とにかく一口食べて「うまいー!」の一言だ。 このお菓子、メリーチョコレートカムパニーという会社が製造しているらしい。じぇじぇ、ニッカウヰスキーが作っている訳じゃないのね。お菓子製造が本業ではないからだろうが、それも何だかもったいない気がした。お酒は飲まないけれど、お酒が微妙に入ったお菓子は大好き!という層は、拙者を含めて少なくないはずで、本気で開拓していい市場だと思ったが・・・。 まるで自分宛に来たみたいに喜んでしまったが、嫁が誕生日を迎えるという一大事、明日はケーキを買いに街さ出るべし。
2015.05.16
俗にいう「新婚旅行」なるものを予定していない。何というか・・・人生とは長い訳で、初めのうちにあれもこれもやってしまうと、後に何が残るのか?という、けっこう大真面目な懸念が自分の中にあった。世の中、まるで結婚式を挙げるために、新婚旅行に行くために結婚するような人がいるが、そうじゃない。大事なのはあくまで実質なのであって・・・などと妙な考えにとらわれている自分について来る嫁は、本当に掛け替えのない存在! でもさすがにGWだし、どっか行きますか!と選んだのは埼玉県川越市。前から一度は行ってみたいと思っていた。相模原在住時代は「わざわざそこまで行く気にもなれなかった」けど、今住んでいるところが「西武電車ですぐ行ける!」距離にあるから、自然とそういう流れになる。東村山でレッドアロー号を発見!新婚旅行だし、有料特急でも乗りたいなぁーと思ったけど、西武新宿から乗ると遠回りだし、途中から乗ると距離が短すぎる。結局、昔懐かしい「2000系」の各駅停車で本川越まで・・・。電柱のない青空を久しぶりに見た(^^;) さて、旧市街をいろいろ散策していて、川越は侮れないと思った。明治・大正時代の洋館から江戸時代の商家まで丁寧に保存されていて、そのほとんどは土産物屋さんと化しているものの、売ってるものも「工場で大量生産したものを並べただけ」的なものではなく、如何にも地産したような雰囲気があるから、何だか重厚感がただよう。 先月、職場の人達がいろいろ激励会みたいなのをやってくれたので、お土産はじっくりと選ぶ。川越市といえばさつま芋、「川越金時」というお菓子がビジュアル的に気に入る。さつま芋をミニチュアにしたようなお菓子で、1本ずつ袋に入っているが、1本300円くらいする。職場の「島」の数を勘定して眩暈がしてきたが、頑張って買った!そして頑張って買った甲斐もあった。食べた人の感想を聞くと「お腹いっぱい!」だったという。さつま芋だからね・・・。 おしまいに、どこかで食事をしようと思ったけど、あまりにも混んでいた。嫁が、「池袋という街を見てみたい」との要望で、食事は池袋で済ませることにする。拙者も実は、池袋には詳しくない。西武百貨店と東武百貨店をはしごして、三桁のメニューがありそうな店を意地でも探す。池袋に詳しい方は、東西どっちに行ったかすぐ分かりますかね・・・。
2015.05.10
拙者は大阪生まれの相模原育ち、そして嫁は北海道は余市出身~家族・親戚もあちこちに住んでいるのは言うまでもない。距離的な問題だけではないのだが、地域毎に家族・親戚を集めてお食事会を開くのが一番妥当だろうという結論に至った訳だ。今日は、両親が住む相模原で近隣の親戚を招いてのお食事会だ。 さて、嫁は髪を結う関係で美容室に行くので、また1時間早く家を出て行った。拙者は嫁の一番踵の高いハイヒールを持って後から出発する。新宿から小田急線に乗り、かつてよく見た景色をしみじみと眺め直す。もちろん、そういう時は、かつてこうして車窓を眺めていた時代の「気分」が戻ってくる。決して、いつも希望に満ちていた時代では無かった。むしろ前途が見えない、悶々とした時代が圧倒的に長かったと思う。相模原在住時代というのは、明らかに下積み時代である訳で、いい時代とは決して言えなかった。 さて、相模大野駅へ着いた。駅ビル「ステーションスクエア」はいつ見ても壮観だ。相模原市南区を代表する駅に相応しい。改札で嫁と合流して、すいませんが今回は駅ビルは使いません!伊勢丹相模原店へ向かう。ここの7階にあるレストラン「○○亭」は、半個室みたいなスペースがあり、この種のイベントには最適な感じだ。 ささやかながら、事前に引き出物の用意をしておいた。お菓子はあらかじめ調達しておいたバウムクーヘン。年輪を重ねていく縁起の良さから、こういう時に重宝する訳だ。お菓子の他に、カタログギフトを付ける(阪急百貨店のカタログギフト・・・池田泉州銀行カードで買ったら得だから・・・なんてローカルなネタだ!) 両親以外の参加者は久しぶりの再会となった。久しぶりなもんだから、随分と時代を巻き戻さないと話が通じない。先ほど、前途が見えない悶々とした時代が長かったと申し上げたが、正にそこから話を始めなければならない。「なんで貴方がそんな目に遭わなければならないのか?」と一人が聞いた。今となっては過ぎた話だが、結果としてそれで北海道へ行くことになり、嫁と出会うことになるのだ。映画「幸福の黄色いハンカチ」で、高倉健が北海道へ行くまでの成り行きを語るシーンと微妙に重なり合った。 食事会は無事終了!参加者と両親を見送って、二人で相模大野駅へ向かう。新宿までのロマンスカーの券を買った。今日ぐらい、このくらいの贅沢も許されるだろう。さぁて、ロマンスカーは何が来るのか内心楽しみにしていたが、「ただのEXE」でがっかり。それでも嫁は「Uシートとは比べもんにならないくらい豪華だ」とはしゃいでいる。EXEとかUシートとか、何の話か分からない方、すいません・・・。
2015.05.04
いよいよ寫眞撮影当日となった。スタヂオからの案内によると、新婦殿は1時間早く来てくださいとのこと。全くその通りだと思うので、嫁さんは1時間早く家を出て行った。こっちは髭を剃るくらいなもんで、身支度なんぞ五分もかからない。まぁ昨日は散髪ぐらいは行ったよ(QBハウス)。男はなぁ、バリカンでがぁーっと、是に尽きる。舞い散る桜の花弁で掃除が大変極まりない我がアパートを1時間遅れで出発。国電に乗って吉祥寺を降り、スタヂオに到着したら、スタッフさんが拙者の衣装を用意してくれていた。もちろん、男の着るものなんて着替えに五分もかからない。嫁さんの支度が終わるのを待っていたが、その間どうしていいか分からず、貸し衣装を着たままボーッと佇んでいるのは恐ろしく間が抜けている。いよいよ撮影!これね、どう表現していいか分からない。と云うのは、プロのカメラマンに写された経験がないもんだから、目が完全に泳いでいて、(@@)こんな感じなのだ。とにかく、恥づかしくってたまらない。撮影のセットは、古びた壁に古びたチェストと洋書が置かれたセット。セピア色に色あせた作品を勝手に妄想する。寫眞と云う技術が生まれて以来、より鮮明に写るよう努力が重ねられ、多くの人がそれを望んでいた訳だが、それを「余計なお世話」と考えてしまうこともある。多少、あいまいな表現の方がありがたいと思うこともある。大正時代あたりの、爆発するようなフラッシュで「ドン!」と撮った寫眞の方が、作品として味があるのではないか?撮影終了!出来上がり結果をパソコンで見せられる。スタッフさんから「いいのを選んでくださゐ」と云われて、実は二人で途方に暮れた。表情がいいけどポーズが間が抜けていたり、ポーズはいいけど顔が怖かったり、最後は消去法的に選ばざるを得ないところに哀愁を感じる。云って見ればそれは当たり前か。俺たちはモデルじゃない。これまで楽ありゃ苦もある人生を刻んできた顔そのものだし、被写体として相応しい表情やポーズをすぐにとれる訳じゃない。数週間して完成品が届く。何だか本当に色褪せた作品に仕上がり、或る意味ホッとする。親戚に送る葉書用の切手を買いに郵便局へ。慶事切手を買うのも一生に一度くらいだろうか。富士通のワープロで宛名を印刷し、郵送へ出す。職場の女の人がね、寫眞見せろと煩い。実家の向かいの奥さんも、寫眞見せろと煩いらしい。なんで女の人は、こーゆうの見たがるんでしょうかねえ。
2015.04.25
結婚届を出した後の初めての食事は100円マック、その後は神社で手をパンパーン!と打って終了!そんな絵に描いたような「ジミ婚」である我々だが、結婚写真は大真面目に作ることになった。写真を作ることは、自分たちのセンスの問題が多少試されると思うから大真面目になれる。嫁さんが買って来た「ゼクシイ」を見て、早速途方に暮れた。こう云う雑誌はいいことばっかり書いているから、店を選ぼうにも何を基準に決めていいか分からない。とにかく一度、スタジオを自分達の目で確かめようと云うことになり、或るスタジオに向かった。場所は、地下鉄東西線○○駅にあるスタジオ。我々が住む多摩の農村と正反対の、東西線快速運転区間にある駅だ(云い方自体、やたらと鉄分濃いな)。〇〇駅を出ると、周囲はスーパー、団地、倉庫、セレモニーホール、スーパー、団地、倉庫・・・こんな感じの街を歩くこと十数分、何だか作ったような「メルヘン」な建物を発見、此処か?店に入るのもおっかなびっくりで、中にいる店員さんに「実は・・・け、結婚写真を・・・」なんて云ったら、衣装のリストを渡されて、此処から選んで下さい、などと案内される。 嫁さんの表情がどうも冴えない。天気が悪いせいか、これまで歩いて来た「スーパー、団地、倉庫、セレモニーホール・・・」と云う街の雰囲気のせいか、店の雰囲気のせいか、それは分からない。ただ、何となく気が乗らないのは拙者も同じだった。まぁ検討しましょうと此処は一先ず退散だ。再び東西線に乗り、浦安から快速電車に乗って中野へ到着。マルイで食事してお開きとなった。実は、先程の〇〇駅は食べるところも無かったように記憶している。翌週、今度は吉祥寺にあるスタジオを見学する。駅前の繁華街にほど近い店で、店内は何だか活気を感じる。何となく、じゃあこの店にしようか?と云うことになった。雰囲気に呑まれたのである。さて、衣装を選ぶことになったが、男の「衣装」なんてはっきり云って限りなくどうでもいい世界。主役は嫁さんなんだから、こっちは地味でいいのだ。と云う嫁さんも何だか地味な、ありふれた感じのドレスを選んできた。内心、カタログの最後の方にあるマルーンのやつが好みだったが、それは阪急電車に萌え過ぎな拙者の悪い癖?(なんでこんなに鉄分濃いんだ・・・)何となくこの色に萌えてしまう・・・撮影の日時なんかを予約して、まずはホッとする。帰りに吉祥寺駅の高架下にある「アトレ」で食事をした。電車の高架下とはいえ、まるでデパ地下のようにスイーツや惣菜の店舗がひしめき、レストランもあちこちにあり、こんな猫の額のやうな狭いスペースで何で此処まで店を詰め込むのかと妙な感心をする。其処がまぁ東京らしいところで、其の雰囲気に浸るのも悪かぁ無い。
2015.04.18
嫁さんの引っ越し荷物も届き、整頓作業もまぁ順調。クローゼットを増設しておいたので、服がほぼ収まった。クローゼットと云っても、カーテン式の一番安いやつ。でも、今回は上手い買い物をしたと思った。カーテンレールが汎用なので、好きなカーテンを付けられる優れものである。要は、窓のカーテンと合わせることで、うまくコーディネートできるのだ。六畳の小さなリビングだけど、ソファの後ろは嫁さんが札幌から持って来たチェストがある。鏡を買えば、ちょっとした鏡の間が作れる。六畳でここまで出来るのには、一工夫必要だった。ソファも「二人用としてはギリギリの大きさ」だ。テレビもあまり大きくなくて、かえって助かった。テレビ台も大幅にサイズダウンし、その代わりアイアン飾りのデザイン重視のものを。寝室はバリバリ和室。勝手に和モダンなペンダントを仕掛けた。百貨店で買えば参万円だが、ネットで買えば参千円で手に入る(さすがにメーカーは違うと思うが)。和室はモノをおかず、布団をダダーン!と敷いて大の字になって寝る!布団も買い換えた。押入れの奥行が80センチなので、一人あたりのマット(=敷布団)の幅も80センチだ。残念ながら大の字になったらはみ出す。寝台列車よりはマシだと割り切るのだ。全てがミニサイズだが、狭いアパートで一丁前の雰囲気を出すためには、必然的にこんなことになる。 では、おやすみなさい・・・
2015.04.06
七時半に起きて、とにかく拙者は二人分の朝食を作った。巣篭り卵は「ほうれんそう」を沢山食べることができる。これを毎日食べるようになって、何だか風邪をひかなくなったように思い、だからおまじないのように食べていた。朝食もすませ、着替えが済んだらいよいよ出発だ。彼女は札幌在住時代、「ウィズユーカード(ひゃー懐かしい!)」ばかり使っていたのでIC乗車券を持ってないと云う。そう云えば拙者は「キタカ」を持っていたので、是は彼女に使ってもらうことにする。ICカード乗車券は、もう全国何処でも使える時代になった訳だ。ちなみに拙者は池田泉州銀行のピタパを使っている。東京人に自慢しても通じないネタだ。さて、早速二人で村役場へ行き、婚姻届を出した。村役場の職員に「おめでとうごぜーます」と云われたところで、場の雰囲気からして云われたほうも恥ずかしい。あまりに事務的なところで「そう云う雰囲気じゃない」のである。手続きに時間がかかり、待ち時間に何をしていいのか迷った。嫁さんの携帯がスマホなので、ネットニュースなどを見たりして時間を潰す。昼前にやっと終わり、小腹がすいたので何か食べることになったが、嫁さんが飛行機乗った際「マックの飲み物サービス券」を入手したらしいので、じゃあマックに行こうと云うことになる。そして、何か特別食べたいものも無かったので、二人とも百圓マック、払ったのは本当に百圓マックの分だけと、随分安上がりに済んだ。結婚して初めての食事が百圓マックと云うのも凄まじいが、二人で初めての食事だって680圓のパフェだった訳だ。パフェがハンバーガーの6.8倍もするのは、正しいことなのかどうか分からないが。大國魂神社へ参拝せり夕方、相模大野で両親と会食する予定だが、時間が余っているので寄り道をした。府中の大国魂神社へ参拝する。此処で余った壱圓玉に願いを託した。しだれ桜が見事で、みんな写真を撮って帰っている。拙者もつられてカメラを構えた。其の後は、府中本町駅から南武線に乗る。仕事で乗ったことがあったが、数年でいろいろ様変わりしていた。南武線に快速が走っている!しかも稲城長沼あたりも高架線になっている!登戸で小田急線に乗ったが、此の界隈はさほど変わっていない。登戸駅下りホームも、まだ中途半端なままだった。相模大野駅で降りたが、此処の駅前もかなり様変わりしている。駅の西側に出来たのはボーノ相模大野で、昔の「銀座商店街」は完全に消えてしまっている。ちなみに今日、両親と会食したのは、ボーノではなく伊勢丹相模原店内のレストランだった。親戚を招いての食事会も、此処でやろうと云うことになり、その下見を兼ねて。是から忙しくなるな・・・。
2015.04.01
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