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登山の時 行き交う人達が 挨拶を交わします。多分 海外の国も同様でしょう。ところが 路上で見知らぬ人同士は挨拶などしませんね。米国では散歩したり 庭先で草むしりなど していると 必ず笑顔で挨拶してきます。オフィス街では滅多に有りませんが。西欧も見知らぬ人への挨拶姿は見掛けませんでした。それどころか 町を散歩中 雨が降ってきたので 「傘を売っている店を教えてください」と 声をかけたところ「知るもんか」と睨まれましたね。まあ 人にもよりますね。道に迷い ホテルに戻れず ウロウロしていたら 若い女性が「私の車で連れていってあげます」と 同乗させて貰ったことも有ります。ちなみに 日本では私も路上で知らない人への挨拶はしません。
2014.02.27
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竜飛崎は 青森県東津軽郡外ヶ浜町三厩龍浜にある 津軽半島の最北端 津軽海峡に突き出た岬。名前はアイヌ語のタム・パ(tam-pa 刀の上端)の転訛であるとする説があります。竜飛埼、龍飛埼とも表記されることがあり 竜飛岬、龍飛岬とも言われます。周辺は灯台を中心に遊歩道となっており 天気の良い日には 津軽海峡を挟んだ北海道の松前半島や海峡を行き交う船舶が見渡せる。「津軽海峡・冬景色」の歌詞の一節に唄われていますね。私が訪れた時は 青函トンネルの工事中。飯場に泊めてもらいました。夜半 聞こえてくる霧笛の音が思い出されます。「限りなく淋しい所」でした。文字通り 本州北端 先に道は ありませんでした。太宰治の言葉が 文学碑に刻まれています。「この先に道はない」「先に進めば、海に落ちる」海から一日中強い風が吹き付ける土地柄で 冬季でも降った雪が風に飛ばされ 深く積雪することは少ない所です。北海道の白神岬は 津軽海峡を挟んで19.5キロメートルの距離があり 現在は御承知の通り地下を青函トンネルが通っています。
2014.02.25
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さぞ辛かっただろうと推察します。ただ 同じScuba Diver の私には理解出来無い点が 幾つか有ります。●ボートダイビングの場合 ボートはアンカーを降ろすのがルール。●スキューバはバディを組むのがルール。一人は海面に残り 海底の仲間をウオッチしたり 海上の天候変化を仲間に知らせるのです。●山登りと同様 ダイバーは命綱を携行するのが当たり前。とくに難破船探検には不可欠の物。お互いに綱で結び合えばバラバラになりません。●潮に流された場合は 無理に脱出を試みずに 流れに乗り 潮が島・陸地に近づいた時に脱出するのです。潮は川のように蛇行しているからです。マスコミ報道は この四点に触れて居ないので 真実は不明ですが。
2014.02.22
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大雪が続きますね。この歌を 娘の苦労を心に浮かべて口ずさむ この頃。雪の降る町を雪の降る町を思い出だけが 通りすぎてゆく雪の降る町を遠い国から 落ちてくるこの思い出をこの思い出をいつの日にか 包まんあたたかき幸せのほほえみ雪の降る町を雪の降る町を足音だけが 追いかけてゆく雪の降る町を一人こころに 満ちてくるこの哀しみをこの哀しみをいつの日か ほぐさん緑なす春の日のそよかぜ雪の降る町を雪の降る町を息吹きと共に こみあげてくる雪の降る町を誰もわからぬ わが心このむなしさをこのむなしさをいつの日か 祈らん新しき光ふる 鐘の音
2014.02.19
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私の子供の頃の遊び道具は メンコ、べい独楽、水鉄砲、パチンコでした。べい独楽以外は 手作り。メンコは丸いのと矩形のものが有り 蝋を塗って丈夫にしました。パチンコは木の枝を Y の形にしてゴムテープを取り付け 小石を飛ばすのですが 御近所の窓ガラスを割って よく怒られました。女の子は 折り紙、おはじき、あやとり、縄跳び、かごめかごめ 、隠れん坊、鬼ごっこ、ほうずき鳴らし などをやっていました。私も やりましたね。とも角 男の子 女の子ともに 店で買うような玩具とは無縁でした。私が強烈なカルチャーショックを受けたのは 父がドイツ帰りの土産に買ってきた 金属製の戦車でした。ブリキの玩具ではありません。そういえば 当時 ブリキの玩具は見たことも無いですね。時代とともにインベーダーゲーム、ドラクエ、プレイステーションなどが流行。現代は 大の男が 携帯で なにやらゲームに熱中。あれ 面白いのでしょうか。「大人の玩具」なるものも有りますね。イヤハヤ。あれ面白いのかな。ブログもゲームかな。ままごと遊びで もてなしてくれた あの女の子を思い出して夏になれば すぐ はだしになって君のことも まだ 知らないころ君が好きな 丸い帽子 ちょこんと かぶって 歌ってた誰のことか わからないよって笑う君も見たことあるよ川のそばで ひざをかかえて いつも いつも 歌ってた山ほどの愛で いつも好き踊りだすときは いつだって 君の顔世界一 本当に きれいだよ誰も彼も 覚えてる はずさ 花や雲と 遊んでたころ風が吹いても 頭かがめて なんでもないよって 歌ってた山ほどの愛で いつも好き踊りだすときは いつだって 君の顔世界一 本当に きれいだよきれいだよー きれいだよー きれいだよー山ほどの愛で いつも好き踊りだすときは いつだって 君の顔だれよりも ほー ほー ほんとに きれいだよきれいだよー きれいだよー
2014.02.16
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好きな曲です。http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E8%8A%B1%E3%81%AF%E5%92%B2%E3%81%8F&tid=75618e7cb844e1b2daf3d304c976a82b&ei=UTF-8&rkf=2&st=youtube真っ白な 雪道に 春風香るわたしは なつかしいあの街を 思い出す叶えたい 夢もあった変わりたい 自分もいた今はただ なつかしいあの人を 思い出す誰かの歌が聞こえる誰かを励ましてる誰かの笑顔が見える悲しみの向こう側に花は 花は 花は咲くいつか生まれる君に花は 花は 花は咲くわたしは何を残しただろう夜空の 向こうの 朝の気配にわたしは なつかしいあの日々を 思い出す傷ついて 傷つけて報われず 泣いたりして今はただ 愛おしいあの人を 思い出す誰かの想いが見える誰かと結ばれてる誰かの未来が見える悲しみの向こう側に花は 花は 花は咲くいつか生まれる君に花は 花は 花は咲くわたしは何を残しただろう花は 花は 花は咲くいつか生まれる君に花は 花は 花は咲くわたしは何を残しただろう花は 花は 花は咲くいつか生まれる君に花は 花は 花は咲くいつか恋する君のために
2014.02.12
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吹雪は 降雪中の雪や積雪した雪が 強い風によって空中に舞い上げられて 視界が損なわれます。降雪がない場合には地吹雪と呼ばれ 降雪がある場合でも 空中に舞っている雪の大部分は積もった雪に由来します。激しい吹雪が起こると 雪が視界を遮ったり、太陽光が遮られたりして、見通しがきかなくなったり、視野が真っ白となったりします。極端な場合には 視界すべてが真っ白な「ホワイトアウト」と呼ばれる状態になり 見通しがきかないので 自動車や鉄道、飛行機など交通機関の通行・運行に多大な影響が出ます。建築物や地形、積雪等の風下側では風が淀み舞い上がった雪が堆積。吹き溜まりですね。気候条件によっては短時間に多量の雪が堆積することがあり 前述の「ホワイトアウト」現象と共に起こる事が多く注意が必要です。アイスホッケー合宿の時 悩まされたものです。http://www.youtube.com/watch?v=pFi6soDDFwM日に日に強まる吹雪は なお強まるかもしれない日に日に深まる暗闇 なお深まるかもしれない日に日に打ち寄せる波が 岸辺を崩すようにどこから来たかと訊くのは 年老いた者たちどこにも残らぬ島なら 名前は言えない降り積もる白いものは 羽の形をしている数えきれない数の 羽の形をしているあまりにも多過ぎて やがて気にならなくなるどこから来たかと訊くのは 年老いた者たちどこにも残らぬ島なら 名前は言えない誰も言えない はじめから無かったことになるのだろう静かになる日が来たら 雪が降るどこから来たかと訊くのは 年老いた者たち何もない闇の上を 吹雪は吹くだろう
2014.02.08
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亡き子をしのぶ歌 (Kindertotenlieder)は グスタフ・マーラーが作曲した声楽とオーケストラのための連作歌曲です。「子供の死の歌」とも訳されます。歌詞はフリードリヒ・リュッケルトの同名の詩によります。原詩はリュッケルトの作った425篇から成る詩集で 彼の子供のうち2人が16日のうちに相次いで死ぬという悲しい出来事のあった後 1833年から1834年までの間に書かれたものです。マーラーは425篇から5篇を選び 1901年から1904年にかけて作曲。1."Nun will die Sonn' so hell aufgeh'n." - 「いま晴れやかに陽が昇る」2."Nun seh' ich wohl, warum so dunkle Flammen." - 「なぜそんなに暗い眼差しだったのか 今にしてよくわかる」3."Wenn dein Mütterlein." - 「きみのお母さんが 戸口から入ってくるとき」4."Oft denk' ich, sie sind nur ausgegangen." - 「いつも思う。子供たちはちょっと出かけただけなのだと」5."In diesem Wetter!" - 「こんな嵐のときに」(歌詞は後述して置きましょう)歌はマーラーの後期ロマン派的な作風によって書かれており 曲が表現する雰囲気と印象は それらのタイトルによって示されています。終曲は長調で終わり超越した雰囲気があります。曲集の痛ましさは 彼がこの曲集を書いた4年後に マーラーが まさに娘マリアを猩紅熱によって4歳で失ったという事実によって増幅。彼はグイド・アドラーに書いた手紙の中で こう語っています。「私は自身を 私の子供が死んだと想定して書いたのだ。もし私が本当に私の娘を失ったあとであったなら 私は これらの歌を書けたはずがない」。フリードリヒ・ワイデマンの独唱、作曲者自身の指揮により 1905年にウィーンで 初演されたのです。[歌詞]第1曲「いま太陽が燦々と昇ろうとしている」Nun will die Sonn' so hell aufgehn,Als sei kein Unglück die Nacht geschehn.Das Unglück geschah nur mir allein,Die Sonne, sie scheinet allgemein.Du mußt nicht die Nacht in dir verschränken,Mußt sie ins ew'ge Licht versenken.Ein Lämplein verlosch in meinem Zelt,Heil sei dem Freudenlicht der Welt!今、まさに太陽が燦々と昇ろうとしている。まるで昨夜の不幸など何もなかったかのように。その不幸は私だけに訪れたものだった。太陽はあまねく照らし出す。夜を自分の中に包み込んではならない、永遠の光の中に沈めておかなければならない、と。ちっぽけでかわいらしいランプが私の天幕の中でその光を消した。この世の喜びの光に幸あれ!と。第2曲「いま私はわかった。なぜそんな暗い炎を」Nun seh ich wohl, warum so dunkle Flammen.Ihr sprühtet mir in manchem Augenblicke,O Augen! O Augen!Gleichsam um voll in einem BlickeZu drängen eure ganze Macht zusammen.Doch ahnt ich nicht, weil Nebel mich umschwammen,Gewoben vom verblendenden Geschicke,Daß sich der Strahl bereits zur Heimkehr schicke,Dorthin, von wannen alle Strahlen stammen.Ihr wolltet mir mit eurem Leuchten sagen:Wir möchten nah dir bleiben gerne,Doch ist uns das vom Schicksal abgeschlagen.Sieh uns nur an, denn bald sind wir dir ferne!Was dir nur Augen sind in diesen Tagen,In künftgen Nächten sind es dir nur Sterne.いま私はわかった。なぜそんな暗い炎をおまえたちがたびたび私に向けその瞳に照り輝かせていたかをおお、その瞳、その瞳なのだ!まるで眼差しいっぱいにおまえたちのすべてのまるで眼差しいっぱいにおまえたちのすべての力をこめたたえているかのようだった。しかし、私はわからなかったのだ。運命の織りなす深い霧のために目をあざむかれていたために。おまえたちの目の光がすでに故郷に帰ろうとしていたのが。すべての光が生まれたところへその場所に帰ろうとしていたことが。おまえたちはその光で私に告げようとしていたのだね。「私たちはあなたの近くにいたいのだけれど、運命が私たちにそうすることを拒絶したのです。もうじき私たちは遠くへと行ってしまうから、私たちをよく見ていてね!いまあなたを見ているこの瞳は、来たるべき夜には星になってしまうのですから。」と。第3曲「おまえたちのおかあさんが戸口から歩み入るとき」Wenn dein MütterleinTritt zur Tür hereinUnd den Kopf ich drehe,Ihr entgegensehe,Fällt auf ihr GesichtErst der Blick mir nicht,Sondern auf die Stelle,Näher nach der Schwelle,Dort wo würde deinLieb Gesichtchen sein,Wenn du freudenhelleTrätest mit hereinWie sonst, mein Töchterlein.Wenn dein MütterleinTritt zur Tür hereinMit der Kerze Schimmer,Ist es mir, als immerKämst du mit herein,Huschtest hinterdreinAls wie sonst ins Zimmer!O du, o du, des Vaters Zelle,Ach, zu schnelleErloschner Freudenschein!あなたのお母さんが戸口に歩み寄り、部屋に入ろうとして、私が頭をめぐらせ振り返り見るとき、最初の私の一瞥の視線はお母さんの顔ではなくむしろ敷居のそばの、第4曲「よく私は子供らはただ散歩に出かけただけだと考える」Oft denk ich, sie sind nur ausgegangen!Bald werden sie wieder nach Hause gelangen.Der Tag ist schön! O sei nicht bang!Sie machen nur einen weiten Gang.Ja wohl, sie sind nur ausgegangen!und werden Jetzt nach Hause gelangen.O sei nicht bang, der Tag ist schön!Sie machen nur den Gang zu jenen Höhn!Sie sind uns nur vorausgegangenUnd werden nicht wieder nach Haus verlangen!Wir holen sie ein auf jenen Höhn im Sonnenschein!Der Tag ist schön auf jenen Höhn!しばしば、私は考える、子供らはただ散歩に出かけただけだと!まもなく、家に戻って来ることになるだろう!今日はうるわしい日だ! おお、何も心配するに及ばないのだ!子供らはただ遠足に行っているにすぎないのだからそうとも、子供らはただ散歩に出かけただけなのだ。きっと今頃は家に戻って来るところだろうおお、まったく心配する必要もない、今日はうるわしい日なのだ!子供らは、ただあの高みへ行っているに過ぎないのだ!子供らは私たちに先んじて散歩に行っているだけ。そして、二度と家を恋しく思わないのだろう!私たちは子供らに追いつく、あの太陽の輝く高みの上で!あの高みの上では、一日がうるわしいのだ!第5曲「こんな嵐のような天候の中で」In diesem Wetter, in diesem Braus,Nie hätt ich gesendet die Kinder hinaus;Man hat sie getragen, getragen hinaus.Ich durfte nichts dazu sagen.In diesem Wetter, in diesem Saus,Nie hätt ich gelassen die Kinder hinaus.Ich fürchtete, sie erkranken,Das sind nun eitle Gedanken.In diesem Wetter, in diesem Graus,Nie hätt ich gelassen die Kinder hinaus.Ich sorgte, sie stürben morgen,Das ist nun nicht zu besorgen.In diesem Wetter, in diesem Graus,Nie hätt ich gesendet die Kinder hinaus.Man hat sie hinaus getragen.Ich durfte nichts dazu sagen.In diesem Wetter, in diesem Saus,in diesem Braus,Sie ruhn als wie in der Mutter Haus,Von keinem Sturm erschrecket,Von Gottes Hand bedecket.Sie ruhn wie in der Mutter Haus.こんな嵐のような天候の中で私は決して子供たちを外に出したりはしない。誰かが子供らを戸外へつれて行った。私はそれに対して口出すことさえ許されなかった。こんなに荒れ狂う天候の中で私は決して子供たちを戸外に送り出しはしない。私は子供らが病気になりはしないかと心配だった。今やそれはむなしい考えごとであった。こんな恐ろしい天候の中で私は決して子供らを外へ出したりはしない。私は子らが翌朝亡くなるのではと気がかりだった。それは今や心配することさえなくなった。こんな恐ろしい天候の中で私は決して子供らを戸外に送り出したりはしない。誰かが子供らを戸外へ連れ出したのだ。私はそれに対して口を挟むことさえ許されなかったのだ。こんな荒れ狂う天候の中でこんな嵐の中で彼女らはまるで生家にいるかのようにもうどんな嵐も驚くことなく神の手におおわれて彼女らはまるで生家にいるかのように
2014.02.04
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ゴディバは誰でもご存じでしょう。ゴディバは1926年 ブリュッセルでジョセフ・ドラップスが設立。1958年パリに販売店を開いて国外進出。1966年に キャンベル・スープ・カンパニーの支援を受けてアメリカにも進出。1972年に キャンベル社が買収。その傘下に入る。2007年になると 経営戦略の違いなどからキャンベル社は 売却を決め トルコの企業であるユルドゥス・ホールディングス(同国最大の食品企業「ウルケル・グループ」の親会社)が買収するにいたった。私の味覚では ベルギーゴディバより米国ゴディバの方が美味しいですね。ちなみに ベルギーでは ゴディバは あまり評価されず むしろレオニダスとかノイハウスとかピエール・マルコーニなどが 高級視されていましたね。●レオニダス レオニダス(Leonidas)は 世界各国に事業を展開しているベルギーのチョコレート製造業者。主要製品は プラリネ(ミルクチョコペーストなどソフトな食感の素材をチョコレートで覆ったもの)で その他にマルチパン、固形チョコレートなど さまざまな菓子を扱っています。レオニダスの名は ギリシャ人の創設者、レオニダス・ケステキディスの名を取って 付けたものなのです。彼は1900年代初頭にアメリカで菓子作りを学び 1910年 ギリシア代表派遣団としてアメリカから 初めてベルギーに渡り ブリュッセルの万国博覧会に参加。彼が作ったチョコレート菓子が銅メダル、彼自身がパティシエとして金メダルを受賞。●ノイハウス1857年 ブリュッセルで薬と菓子を商う店として誕生。当時 チョコレートの原料であるカカオは 薬と同様、薬剤師に その扱いが任されており 一般の菓子店とは区別され薬剤師のいる店に置かれていたようです。スイス人の薬剤師であったジャン・ノイハウスは チョコレートを販売するだけではなく 意欲的に新しいレシピを研究し チョコレートの美味しさを極めることに没頭。それは息子フレデリック・ノイハウスにも受け継がれ 1895年チョコレート専門店をオープン。厳選された素材を使用した独自のレシピと伝統の製法でつくられる品質の高いチョコレートは ベルギー王室御用達として認定されています。●ピエール・マルコーニピエールマルコリーニは ベルギー生まれの高級チョコレート販売店。ベルギーを はじめ、ロンドン、パリ、ニューヨークと世界各地に進出。2003年には 同店のラズベリー・チョコレート・キャラメルなどの種類のアイスクリームショップが併設され 高級アイスクリームの草分け的存在になっています。王室御用達といえばガレーも有ります。ついで ですが レンタカーでザルツブルグに向かう途中の村に かってのハプスブルグ家御用達の店が有り 生チョコで細工物の品を作っていました。土産に買いましたが 帰国して開いたところ 無残に溶けていました。日本に細工物の生チョコ製品は有るのでしょうかね。
2014.02.02
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