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小学5年生のうちのおねーちゃん。私にとって命の恩人です。(骨髄提供者)ま、本人はあまり自覚してないみたいですが・・・。性格は、恥ずかしがりや。これは表向きで家の中ではしょっちゅうケンカ。下のチビ助と。原因はゲームの取り合い。こういうことになると思ってゲームを買い与えるのはしない、と思っていたのですが、時代の流れと言うか、周りの影響と言うか・・・。仲良く遊んでくれればそれでいいのですが・・・。そのおねーちゃん、今度はパソコンを買ってくれといい始めました。私自身、この子が大人になる頃は間違いなくパソコン社会だと思う。ほかに習い事をしている訳でもないので、今から与えてちゃんとした使い方を教えるのもいいかなとも思う。同級生の子で家族で使っていると言う子はいても自分専用で持っている子はいないとか・・・。ま、この件については今日、明日と言うこともないのでしばらく様子を見ることにしよう。今朝学校に行く子供たちを玄関で見送ったのですが、おねーちゃんのランドセルが小さくなっていました。
2006.01.31
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私が入っていた無菌室について書いてみようと思います。まず広さは8畳ぐらいでしょうか。大きな空調の機械があり、冷蔵庫、流し台(ここから出る水も殺菌した水が出ます)、空気清浄機、ベッド、ポータブルトイレ。着替えなど入れておくBOX。わりと狭く感じます。入り口があって一歩はいると透明なビニールのカーテンがかかってます。このカーテンが「ここは無菌室なんです」と言わんばかりに重みがあります。「奥さんぐらいなら入ってもいいよ」とは言われていましたが、嫁さんでさえなかなか入ってはきませんでした。この病棟は全員マスク着用。お見舞いの方なんかはナースセンターの前にある消毒液で手を消毒してマスクをして、それぞれの病室へ・・・。こんなことも言われました。「小さい子供さんにはあまり近ずかないように・・・」小さい子はいろんな菌をもっているそうです。だからウチの下の子でさえ嫁さんはあまり連れてはきませんでした。日曜日にたまに連れてきても無菌室の窓越しから元気な顔を見る程度でした。そんな時、「自分は病気なんだ」と改めて思ったものでした。
2006.01.30
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あの日は熱が出てグッタリしているときでした。お昼前でした。誰か来たなと思ったら、久しぶりに見るおフクロでした。大きな袋に果物をたくさん入れて・・・。おフクロは運転が苦手なんです。私が幼い頃事故を起こしたのです。それ以来運転はしませんでした。(10年近く)今は運転しているのですが、買い物の足代わり程度で、ドライブを楽しむと言うことはありません。片側2車線の道なんかになると緊張モードに入るみたいです。いまだにちょっと雪が降っただけでも「怖い」といっているありさま。そんなおフクロが小一時間かけて見舞いに来てくれたのでした。おフクロの顔を見た瞬間「頑張って運転してきたんだ~」と思うと涙ダーでした。具合の悪そうな私に気をつかってか、「大丈夫?」「これ食べられ」と二言三言言って部屋を出て行きました。一生懸命運転してきて、面会時間(会話らしい会話も出来なかった)3分。そしてまた小一時間かけて帰るんだな~と思うとまた涙ダーでした。「ありがたい」と感じた時でした。
2006.01.29
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無菌室にいた約2ヶ月、熱が出てぐったりしているときもあれば、調子がよく狭い室内をうろちょろしたりなんかもしてました。そんな調子の良い時を見計らってお風呂代わりの蒸しタオルで体を拭くのです。背中だけ看護士さんに拭いてもらって後は自分でやります。最初の頃です。看護士さんに出て行ってもらい全身を拭こうと思いよい場所を探しました。(急に誰かが入ってこられてもいいように)入り口からカゲになる冷蔵庫とベッドの間に入ってスッポンポンになって手際よくふきふきしてさっさと着替えをすましてふっと正面を見ると監視カメラが・・・。カメラがあるのは知っていたのですが、「誰かが入ってきたら・・」に気をとらわれてすっかりカメラの存在を忘れてしまっていたのです。(赤面)ナースセンターに無菌室の数だけのモニターがあります。でも誰かが担当でモニターをずっと見てるって事はしていないと思うので、見られたわけじゃないと思うのですが・・・。ま、私はいいんですけど、見た人がいたら申し訳なくて・・・。(粗末すぎて)
2006.01.28
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今日の富山は曇り。連日雪が降るようなことを言っているけど、積もるほどじゃない。今日はお昼からトレーニングセンター。正直なところ、行くのがおっくうな時もある。でも、★家族のため、★自分のため、★そして入院中仲良くしてもらって先に逝かれた方々のため、★そして世のため(?)がんばらなくては・・・。前向きでしょ!
2006.01.27
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人によっていろんなところに副作用がでるみたいです。ある方は目にでたそうです。「目が乾く」とか言ってたかな。それで眼科に行って、目の玉に軟膏を塗ってました。目の玉にですよ~。そのため見るものがすべてボヤけてみえるそうです。ある夜トイレに行こうとしたんでしょうが、ボヤけているし暗いしでベッドにぶつかっておられました。またある方は顔も含めて全身の皮膚の色が赤黒くなっておられました。見てるだけで気の毒になります。これはほとんどの方なんですけど、髪の毛が抜けます。私も抜けました。ある朝枕元が髪の毛だらけでした。「そのうち抜けるヨ」とは聞いていたので、「ついに来たか」って感じで、残っている髪の毛をつまんで引っ張ってみるとスッと抜けるんです。面白いくらいに・・・。そして痛くない。当然かもしれませんが、抜けたのは頭だけではなかったです。中学の頃の校則で男子は坊主頭となっていたので坊主頭になったのは気にもなりませんでした。ただ女性の方は気の毒にナ~と思いました。バンダナとか毛糸の帽子なんかをかぶっておられました。
2006.01.27
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ゆっくりする日だったのですが、お昼前に懐かしい方から電話がありました。一つ上の先輩で、昔はよく遊んでもらったりしていましたが、十数年顔も見ていませんでした。親同士が今でも付き合いがあって、私が入院したのも知っておられて、退院したときに先輩のお母さんにはあいさつをしました。(その時先輩はいなかった)その時に私の電話番号を渡して「暇なときにでも電話下さい」とだけ言っていたのです。で今日仕事が休みだったらしく本当に暇みたいで急きょ「昼飯でも」ということになり久々に会いました。日ごろお昼ご飯などは食べないのですが、ましてや外食などしないのですが、今日は特別と言うことで、チェーン店のラーメン屋さんに入りました。当然味は分かりません(味覚障害のため)。でも昔話やら病気の話しやらで盛り上がってしまい、ペロっとたいらげてしまいました。こんな時は勢いで食べれたりする事と、味覚はいま一つだけど食欲の欲の方は以前より出てきたなと言うことが確認できた日でした。
2006.01.26
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ゲリ、熱もそうですが口内炎もよくなる症状みたいです。私もなりました。無菌室を出て4人部屋のときでした。前歯の裏の付根あたりにできました。舌が触れただけでも痛く感じました。ただでさえ味覚が変わって食事もまともに取ってないのにますます食欲が低下しました。私のはまだ軽い方で、ある方は口の中にできる腫れ物みたいなモノが食道の内側にできたみたいで、ものを飲み込むときにすごく痛いらしい。亡くなった本田さんの追悼番組を見たとき本田さんもそうなったのか口に氷を入れて解けた水で水分補給していたといっていました。私の場合は本当の白血病ではなかったし、ミニ移植だったので前治療も一度だけだったからか、重い副作用にならなかったのかもしれないナ。
2006.01.26
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今日もお昼からトレーニングセンターに行ってきました。通い始めたとき3ヶ月券を買ったので行かないと損。あと一か月分はある。それまでは出来れば週3回ペースで頑張ろう!私のメニューはエアロバイク40分、いろいろな筋トレのマシーンを順番にやって約10分。10分休憩して1サイクル。これをもう一回やって約2時間。こんな感じでやってます。今日はエアロバイクの負荷を重くしてやっていたのでいい汗がかけました。その後娘の学校へ。今日はスキー教室だったので特別にお迎え。楽しく滑れたみたいだ・・・。
2006.01.25
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これも移植前の説明で先生から聞いていた。熱と言えば今考えると、高校生以来のことだと思う。それまでカゼはひいても、せきがひどかったり、鼻水がダーだったりで、熱を出したことは無かったと思う。久しぶりに体験したあのだるさ。布団を2枚にしてもらったり、湯たんぽを入れてもらってもブルブル震えて寒い。当たり前だけど、何もしたくない、できない、何も考えたくない。こんなのが日を置いて何度かあった。熱がでると熱を下げる注射を打ってもらう。注射といっても首から通っている管に流すだけ。痛くは無い。これらの症状は治るために通らなければいけない道のようなものだそうです。これらの症状が出ると言うことは、自分の悪い骨髄と移植した良い骨髄とが戦っている証拠なのだそうです。だから耐えるしかない。「きっと良くなる」「もう少しで良くなる」って・・・。
2006.01.25
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2日目の朝です。ホテルの窓から撮った一枚です。夕べの話で「明日雪が降っていたら滑るのやめようか」みたいなことを言っていたのですが、この天気を見せ付けられたら気分はもうゲレンデでした。
2006.01.24
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移植後の症状として現れたのがゲリ。これもある意味苦しかったです。ポータブルトイレが友達でした。ゲリや発熱に関しては移植前に先生から説明をうけてました。不思議なもので、この時ももちろん何も食べてません。体に入れるものと言えば、時々飲む清涼飲料水と栄養分が入った点滴と薬的な点滴だけ。どれも液体です。だから出てくるときはオシッコでと思うのですが、お尻からも出るのです。液体で・・・。なにが苦しかったかといえば、もよおす時間がランダムでいつ来るか分からないと言うことです。当然夜中だろうと・・・。「お、これは出るゾ」とベッドから起き、点滴の棒を引っ張って急いでポータブルトイレに座るとガスだけだったり、出そうででなかったり・・・。ある時は間に合わなかったり・・・。夜中にポータブルトイレに座っていたときは外の夜景を見ながらいろんな事を想ってました。
2006.01.23
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PM5:30ごろ帰って来ました。楽しい思い出が作れました。初日は天気は良かったのですが、風があって寒かった。約一年ぶりのスキー。感覚を取り戻すのに苦労しました。楽しみにしてた宴。この日はっきり分かりました。宴を楽しむ余裕がないことを・・・。(疲れてしまって)(年齢的に)頂いた缶ビールも一本空けるのがやっと・・・。2日目の朝(今日)。前日の疲れを吹っ飛ばすようないい天気。バイキングの朝食をしっかり食べ着替えをしてゲレンデへ。子供たちはかなり上達してきました。(転ばずに下まで滑れればOK!)問題はウチの嫁さん。ドンクサイ!でも彼女なりに楽しんでいたようです。体調的には全然問題なし。半年ほど前まで入院していたとは思えないような滑り。一緒に行った方々からいろいろ気を使ってもらったり、「大丈夫?」と声をかけてもらったりもして楽しかった2日間でした。感謝です。
2006.01.22
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今日は毎年恒例のご近所5家族スキー旅行の日です。一泊で白馬村のスキー場に行ってきます。この日のためにトレーニングセンターへ行って頑張りました。(と言うのは冗談ですが・・・)せっかく行くのだからそれなりに滑りたいし、またちゃんと子供達も見てあげないといけないし。(うちの嫁さんはあまり上手ではないので)(かといって私もそんなに上手なほうではありませんが)今日、明日はめ~いっぱい「お父さん」しようと思います。体力的にあまり自信はないのですが、自分のペースで雪を楽しもうと思ってます。それと楽しみは夜の宴。ご近所といえども、普段なかなか会えない。久しぶりに顔を合わせて飲むお酒も楽しみたい。こうやって毎年恒例の行事に参加できることに感謝です!
2006.01.21
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普通にならぶ食卓のおかず。おいしいものがおいしいと感じられるってことは、幸せなことなんだと思います。入院中なにがイヤかというと、食事の時間でした。決まった時間に看護士さんが運んで来てくれるのですが、その30分前から気分はブルーでした。今でもそうなんですが、白いご飯がダメ。入院中はおかゆにしてもらっていました。それも小盛。そしてその半分を食べるのがやっと。おかずも箸をちょっとつけては「あっやっぱりダメ!」と全部食べたことはありませんでした。だから食事の時間は5分。「ごめんなさい」と食べ物の神様に謝って片付けていました。でも果物はそれなりに食べれました。食事についてきた、スイカなんかはおいしかったなぁ。
2006.01.20
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夕方、コタツでヌクヌクしていると子供たちの声が聞こえました。最近は雪も降らずに周りの雪もだいぶ解けてます。今日も晴れ間があったりしました。さすが風の子、元気に外で遊んでいるようです。ときどき聞こえるのが何人かで「フォ~」「フォ~」と連呼してます。TVの影響ですね。きっと学校の休み時間なんかも言っているのでしょね。私もあの方、結構好きだったりします。
2006.01.19
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2ヶ月間は何も口にはしませんでした。ときどきポカリみたいなのは飲んでいました。(でも味が違う)おかげで20kgぐらい痩せました。毎朝体重を量るのですが、おもしろいように毎日1kgずつ減っていきました。もともと太っていた方なので、はじめのころはダイエット感覚で楽しんでいたのですが、50kg台になってきた頃には「ちょっとやばいかな」と思うようになりました。今現在の事なのですが、体重は53kgです。(入院する前は73kg)おかげで体は軽くなりました。よけいな脂も落ちたせいか、やたらと寒さには弱くなりました。今がまさにつらい季節です。それと今まではいていたパンツがゆるゆるになり一つ下のサイズに買い換えました。普段はくGパンも買い換えました。身長から計算してあと5kgは増えてもいいとの事。とにかく食べて筋肉を付けなくては・・・。
2006.01.19
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お昼からトレーニングセンターに行ってきました。リハビリのつもりで、12月ごろから通い始めました。(週2回のペース)一番最初に行った時、体力測定をしてもらいました。その結果、体力年齢という項目があって、「持久力」「瞬発力」「柔軟性」とかあって、ほとんどが70歳でした。笑ってしまいました。約2時間ほど時間をかけてゆっくりやってます。程よく疲れていい感じです。少しですが前よりは体力がついたんじゃないかな。階段とかも楽に昇り降りできるようになったし・・・。こんな感じで社会復帰に向けて頑張ってます。
2006.01.18
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味が変わった日から食べることを止めました。(約2ヶ月間)その間点滴で栄養を補って生きていました。先生や看護士さんからは「とにかく食べなさい」「何でもいいから食べなさい」といつも言われていました。体に物を入れないと胃や腸が働かなくなるのでこれも良くないとの事。そんなある日、嫁さんが帰り際に「とにかく食べないとネ」と言いました。先生や看護士さんに言われると「ハイ」と言うくせに、嫁さんだから甘えがでたんでしょうね、あの時は「食べる」ってことにものすごく焦りを感じていました。イライラしてました。「おまえ!ウ○チ食べれるか!!」と怒鳴ってしまいました。(あとで充分反省しました)どういうことかと言うと、私もウ○チなんて食べたことがありません。どんな味がするのか分かりません。今まで食べたことの無いものを口にするって事はある意味怖いことだと思うんです。あの時は、ご飯だろうがバナナだろうが、お菓子だろうが全部違う味に感じるのです。そして不味い。どんな味がするのか分からないもの、そして不味いもの、そんなの食べれますか?という意味で「ウ○チ」をたとえに言ってしまいました。しかも怒鳴り口調で・・・。黙って部屋を出て行った嫁さん。嫁さんの気持ちを考えると涙して反省しました。
2006.01.18
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今日は外来の日でした。最初に耳鼻科。去年の12月ごろから、左ミミの鼓膜の炎症を診てもらっていたのですけど、結果は良好。「もうしばらく薬を飲んで様子を見ましょう」とのこと。次に血液内科。最初に採血、検尿をして自分の順番を待つ。この待ち時間が長い。こんなときは自分がお世話になった病棟に遊びに行くことにしている。といっても入院当時仲良くなった方がまだ入院されているのでお見舞いがてら時間つぶし・・・。血液内科の結果は「異常なし」。あとは食べて体力をつけるだけって感じ。お昼に帰ってきて、台所にあったパンをかじった。やっぱりいまひとつ・・・。(味が・・)
2006.01.17
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コメントしてくださった皆さんありがとうございます。セカンドバースディー、ほんと生まれ変わったような気がします。(血液型もO型からA型になったし・・・)骨髄移植って私が思うに、移植自体は昨日書いた通りなのですが、本当の闘いは、その後でいろんな後遺症が出てきます。人によって様々なんですが・・。移植して2・3日してからだったと思うのですが、まずは味覚障害。味が変わって感じるのです。舌の感覚が麻痺しているのでしょうか・・・?そのせいで食事をしようという気がなくなります。これはほとんどの方がなるみたいです。これは無菌室を出て4人部屋に移ったときの朝の食事がおわり洗面所での会話です。「今日は食べれた?」「あんまり食べれなっかた。」「薬だと思って食べないとね」こんなのがあいさつがわりでした。実は今も完全には戻っていません。
2006.01.17
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そして移植の日。この日は私の誕生日。37歳になりました。生涯忘れられない日になりました。無菌室のベッドに横になりながら、今まで通していた点滴から、娘から採取した骨髄液に切り替えて、点滴を流すように骨髄液を流し移植スタート。血液内科の先生方や看護士さん数人に囲まれながら担当の先生が、「必要な量は採れましたから」とひとこと。最後の一滴が入り終わるまでの数時間。いろんな事を考えました。家族のことはもちろん、友達のこと、今までお世話になった人のこと、昔のこと、これからの事・・・。(ちょっと涙もしました)移植そのものはこんな感じでした。痛くもかゆくもありませんでした。大変なのはこれからなのでした・・・。
2006.01.16
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そして移植の前日。娘が病院に来ました。骨髄移植って簡単に言うと、ドナーからの骨髄液を点滴を通すのと同じようにするだけなんです。だから貰う方は、何も痛くはありません。むしろ痛いのはドナーの方。といっても骨髄液を採取する時は、全身麻酔で眠っているときに採るみたいで、本人も痛いという感覚は無いみたいですが・・・。娘も全身麻酔をかけられたわけなんですが、その前に点滴の管を通したそうです。私もそうなんですが娘も血管が細いみたいで、なかなかいい場所が見つからなく、婦長さんまで出てこられて看護師さん3・4人に囲まれて「こっちはどう」「こっちにしてみようか」と4・5箇所刺しかえられたみたいで、この話しを後から嫁さんに聞いて「痛かったろうに」「俺のために申し訳ない」と涙してしまいました。娘は何度刺されても頑張って泣かなかったそうです。
2006.01.15
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風呂以外は病室(無菌室)から出られないので、一番仲良くしていたのがテレビでした。思い出したけど部屋が変わるたびに真っ先にしたことはテレビの設置。アンテナの線を取り替えて、本体の置き場所を考えて・・・。これをしないと落ち着かなかった。(ここで言っているテレビとはチューナーを付けたポータブルDVDのこと)このころ、ハマったのがNHKの朝のドラマ。15分間のヤツ。アンテナを付け替えるとBSも見れたので、朝7:30から今のヤツを見て7:45から昔のを見ていた。どーしても見てしまいますね。続きが気になって・・・。入院する前は仕事で夜ばかり働いていた(トラックの運ちゃん)のでテレビなんかまともに見たことは無かった。朝帰ってきても寝るだけなので(寝るのも仕事みたいなものだった)ほんとテレビの世界は分からなかった。今は普通にはやりのアイドルさんとか芸人さんとかについて子供と会話が出来るようになりました。
2006.01.14
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最近手元には「白血病と言われたら」(白血病について書かれた本)を置いている。(病院で買った)こうやって日記を付けている以上、あまりいい加減なことは書かない方がいいと思い読み返すようにしている。たまたま目に入ったのが「ミニ移植」のページ。「そーだ私の場合、ミニ移植だったんだ。」「そーいえば先生もそんなこと言てたっけ」と今になって思い出しているありさま。「だから前処置とか少なかったんだ・・」ミニ移植とは今までの大量の化学療法を行わずに、免疫抑制剤を中心とした弱めの化学療法、弱めの放射線療法のみで行う移植のこと。(「白血病と言われたら」から抜粋してみました。)最近日本でも急速に普及している移植法だということです。
2006.01.13
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せっかく移った窓側のベッドも3日ほどいただろうか。無菌室への引越しとなった。その直前に隣に入ってきた、前田さん。話しをしていると家が近所だった。結構仲良しになりました。お互い元気になったら飲もうねといって先に退院した私は楽しみにしていたのにあれから8ヵ月後、先月、悲しいお別れをしました。ショックでした。そして無菌室。大きな空気清浄機がベッドの枕元にありました。水道も殺菌した水がでるとのこと。トイレはポータブルのモノで、シャワーは無かった。入り口を入ってすぐにある透明なビニールのカーテン。身内でさえあまりそのカーテンよりベッド側には入らないようにとのこと。ある意味隔離された状態。「本当に移植するんだ・・・」そして前処置がはじまった。(放射線とか坑ガン剤とかして白血球を死滅する)私の場合本当の白血病じゃないからか、この前処置は一回だけだった。本当なら4サイクル~5サイクルほどするんじゃないかな。(一ヶ月ほどかけて)移植までは短い期間で事が進められました。
2006.01.12
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娘の学校の行事なんかを照らし合わせて移植の日が決められた。それは4月14日。私の誕生日でした。(偶然にも)37歳の誕生日に改めて生まれ変わる感じです。私の方も移植に向けて準備が進められました。まず点滴を通す管をつけました。はじめは胸のあたりから通すはずでしたが、うまく通せず(これも痛かった)、時間を置いて場所を変えて首から通すことになりました。場所を変えてと言うのは最初病棟の処置室でやっていたのですが、今度は本当の手術室でやることになりました。初めて入る手術室。本当にTVのドラマで見るような感じで、冷たい雰囲気でした。緊張しました。この管は退院する直前まで付けていました。そして点滴を吊るす棒もお風呂以外ずーっと連れて回ることに・・・。(寝るときが煩わしかった)「骨髄移植をするんだ」と実感が湧き始めました。
2006.01.11
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骨髄移植と言えば「本田美奈子さん」(当時闘病中)。「CMの骨髄バンクにご協力を」とか「自分に合う骨髄がなかったら」とか「お金っていくらかかるのか」「払えるのか?」いろんな事が頭の中をグルグルしていた。翌日母親に電話で事情を話した。母親と弟が協力してくれることになった。それと小学5年生になったばかりの娘。この3人から骨髄の型を合わせてみることになりました。その結果、娘の骨髄が一番近いということで、娘から貰うということに決まりました。年齢的にはビミョーなところだったのですが、体重的にOKでした。(ポッチャリした体系だったもので・・・。)この時娘はどう思ったのでしょうか?「お父さんの為なら」と思ってくれたのでしょうか?嫁さんが上手にはなしをしてくれたんだと思いますが・・・。そしてこの時から娘には一生、頭が上がらなくなりました。(立場上・・)
2006.01.10
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移植する方がまだ生きれる可能性があるワケで選択肢は一つみたいなモノですよね。私「移植でお願いします」先「それじゃ移植の方向で段取りしましょう」先「移植をする場合、まず身内の方から骨髄の型を見ます。親、子、兄弟で協力してくれる人を探しておいてください。身内で型が合わなかったらバンク で探してみましょう」と言う感じで(もう少し細かい話しをされて)話しは終わりました。嫁さんも夕飯の支度とかあるので「細かいところは明日また話そう」と言うことで家に帰した。エレベータまでの見送りでしたが、気落ちしている嫁さんに「あまり深く考えるなよ!運転気をつけてな!」と逆に私が励まし見送りました。その後眠りにつくまで(といってもあまり寝れなっかったような・・・)いろんなことが頭の中をグルグルしてました。
2006.01.09
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入院して3日目あたりの夕方、「奥さんにも居てもらってください」と言われ、いつも着替えだけ置いて軽く会話して帰る嫁さんを引き止めておいて、先生の話しを聞くことに。先「病名は骨髄異型性症候群です」私「なにそれ?」(心の中で)先「ほっとけば、あと1年半から2年です(余命)」私「・・・。」嫁 泣いている(私も泣きたかった)先「血液を造る元の方に異常があり、ちゃんとした血液が送られない・・」と細かく説明が続いた。私「で、どうすれば良いのですか?」先「移植してみますか」「ほかに治療するとしても2年と言っていたところを もう3年延ばせるかどうかです。どっちにしろ死にます。」 「移植しても完全に直るかどうかも分かりません。」なんか「お前はもうだめだ」と言われているみたいで、逆に顔が笑った。
2006.01.08
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私の部屋は病棟の一番奥の4人部屋。窓側と廊下側とで分けるなら廊下側。こっちの方が窓側より少し狭い。(しばらくして窓側が空いたので窓側にしてもらったけど・・)このころはまだ検査段階で、髪の毛もまだあったし、食欲もあった。元気だった。毎日が退屈だった。私の部屋は私以外に年配の方が3人。一人の方が毎日奥さんがそばにおられた。徐々になじんでいきいろいろ話しかけてもらいました。果物とかもらったりして・・・。(もらいっぱなしだった)人と話しをするということは精神的に和らぎますよね。(病室という重い雰囲気の中では)その方は年齢的に移植は出来ないそうです。たぶん白血球だったと思うけど数値があがらいみたいで定期的に通われてやばくなると入院して輸血して様子を見ると言った感じで、入退院を繰り返されていた。ずーっとあとになってからですが、外来でこられた時、「北海道に行って来た」と言われ、写真を見せてもらった。カメラが好きみたいで、きれいな風景がいっぱいでした。人生を楽しんでいるんだなって思いました。
2006.01.07
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後輩の福田君と私は同じポータプルDVDプレーヤーを持っていたんです。彼はトラックの中で使う目的でチューナーも持っていたのです。そのチューナーだけ借りることにしました。取り付けはいたって簡単。それぞれのベッドの枕元にきているテレビ用のアンテナの差込口に差すだけ。だから画像もくっきり。5・6ヶ月カードを買って見続けることを考えたら、画面の小ささは気になりません。持ち運びも楽だし、これから入院される方にはおススメです。でも病院によってはダメなところもあるかも・・・。テレビといえば先に入院していた病院でのこと。夜の9時ぐらいだったかな、今入れていたカードが切れ新しいカードを差し込んで番組を楽しんでいたのですが、気がついたら朝・・・。「あれ?」って感じ。たぶん1000円分のカードだったと思うのですが、まるまる1000円損した気がして落ち込みました。でもそのチューナーを借りた日からはそんなことはなくなりました。よかった、良かった。
2006.01.07
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体調は良かったので嫁さんに車で送ってもらい、一人で病院へ入っていった。しょっぱなから入院受付の場所を間違えてしまった。人間は間違えて覚えるものと開き直り、案内されたとおりに行き手続き完了。そしてまた案内された私を待っている病棟へとエレベーターのボタンを押しました。荷物は大きめのスポーツバッグ一つ。中身は下着関係と洗面道具ぐらいだったかな。足りないものは後から嫁さんに持ってきてもらうことにしてあった。今回は事前に携帯ラジオを購入しておきこれも入れといた。しかしあまり聞くことはなかった。それはテレビをただで見ることができたから・・・。(セコイかな)あのテレビを見るためのカード。短い入院なら「ま、いいか」と何枚か買い続けてしまいそうだけど、長期ならそうはいきませんよね。ただでさえ入院費にいくらかかるのかとか傷病手当っていくらもらえるのかっていろいろ考えてしまうのに、テレビ代だけでもバカになりません。(じゃ見るなって話しですけど)そこで登場したのが、職場の後輩。いいヤツなんです。(喧嘩もよくした)
2006.01.06
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3月の連休を挟んで大きい病院へと転院することになりました。その連休中に急にドライブをすることにしました。場所は石川にある遊園地。なぜ、急にそう思ったかと言うと、車をファミリーカーに変えたけど、ドライブらしいドライブはしていなかったのと、正直これが最後になるかもと思ったからです。いい天気でした。ウルトラマンショーとかやっていて、下の子には特にうけてました。楽しいドライブとなりました。連休が明け「絶対治そう」という気持ちで大きい病院へと場所を移しました。
2006.01.05
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骨髄が原因なら病院を変わったほうがいいと言われました。骨髄を採取してから4日後に照会状をもって大きな病院へと行きました。それほど待たされることなく診察室へ・・・。その後私の主治医となる先生は封筒から書類を広げ、目を通していた。開口一番「骨髄を採ってみましょう」「はぁ~」と私。4日前に採ったばかりで照会状の中にもそれらしいデータみたいなものも入っているだろうになんで・・・。「4日前は胸から採ったから今度は腰から採ってください」とお願いしたのですが、「大丈夫、大丈夫」と言われ、上の服を脱ぎました。消毒の薬を塗って、麻酔をうって・・・。また涙でした。
2006.01.04
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そして骨髄を採る日が来ました。看護婦さんのお迎えで処置室へ・・・。十数年前に採ったときは腰から採ったのでてっきり今回も腰からかと思っていたら、「上の服を脱いでください」って言われ胸骨から採るというのです。「腰よりも痛そう」と思いながら後は言われるままに・・。処置用の紙みたいなものを顔に覆わされるのでどんな道具でどのようにするのか見えないようにされます。(見たくないけど・・・)局部麻酔はするのですが、あの押されるような痛みと言うか涙です。時間にして10分位で終わるのですが、悪夢のような10分でした。(一度採ればこれで当分採られることはないだろうと思っていました。しかし4日後にまた採られることになるのです・・・。)そして結果発表。このときは「骨髄異型性症候群」とは言われなかったような気がします。でも原因は骨髄にあるということでした。(骨髄=血液を造るところ)
2006.01.03
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最初、先生のはなしでは、「体のどこかから血がもれているのでは・・・」ということで日を置いて口からとお尻からカメラを入れて検査しました。とにかくこんなことは初めてなので、ドキドキでした。特にお尻から入れたときは、下っ腹の中で動いている感じがなんとも言えませんでした。それと恥ずかしかたです。自分でもモニターを通して見れるんですよね。初めて見る自分の内臓。正直、思ったのは「退院したらホルモン食べに行こう!」でした。このころは、まだ気持ちに余裕がありました。自分で見ててもきれいな内蔵でした。このカメラの検査は「異常なし」。となると後は「骨髄か」ということで、骨髄をとることに・・・。実は十数年まえにも別の理由で骨髄を採った経験があり、あのときの痛かった思い出が甦りました。骨髄を採る日が告げられ、それまでの数日はブルーでした。
2006.01.02
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ここ富山は一日いい天気の元日でした。寒かったけど・・・。午前中にいつも行く神社に家族4人でお参りしてきました。「世界平和」と「家内安全」。病気の話しに戻るとして、今までに医者になんかかかった事のなかった私が、入院するなんてめちゃくちゃ驚きました。その日は夕方から仕事だったので、会社には電話しなくちゃいけないし、一旦帰って、入院の仕度はしなくちゃいけないしで、とんでもないことになりました。初めての入院、不安の方が大きかったけど、正直楽しみでもありました。でもその「楽しみ」は一週間で「苦痛」に変わりました。特に痛いことをした(検査等)わけでもないのですが、わりと縛られた生活になると精神的にくるものがありますよね。
2006.01.01
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