人生の楽しみは後半にあり!

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2026年07月30日
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カテゴリ: Oの人生論
昨日は母の命日だった。
亡くなってから4年になる。

3年近く一人暮らしだった。

近所の人が良くしてくれたが、
さみしかっただろうと思う。

母をひと言で言うと、
「過剰な心配性」だった。

近所の人も口をそろえて言う。

何か事故があったニュースを見ると、


「あんたな、こんなことがあったんやに。
気をつけやんとあかんよ」

とにかく、
悪い方悪い方へ考えるタイプだった。

娘がこう言った。
「おばあちゃんはお父さんのこと、
鳥かごに入れて、ずっとそばに置いておきたいんじゃない」
それくらいいつも心配心配だった。

うっとおしいと思うことがどれほどあったか。
友だちに愚痴を言うと、
「心配してくれるのは母親くらいや」と、

もうちょっと深く考察してほしいものだ。

ぼくは、
子どもにとって母の言葉は大きいと思う。

心配してくれるのはありがたいことだが、
度が過ぎると、

トラウマとして残ってしまうのだ。

だからと言って母親だけを責めることはできない。
母親の母親、つまりぼくの祖母だが、
母に輪をかけてひどい心配性だった。

母も祖母から、
「あれは危険」
「気をつけなあかん」
とさんざん言われて育ったのだと思う。

心配性の親が心配性の子どもを作る。

ある小学生は動物が嫌い。
特に犬には近づけない。
実は、その子の母親も犬嫌い。
「犬は怖い」と小さな子どもに植え付けていた。

話を聞くと、
おばあちゃんも犬嫌い、動物嫌い。
ひいおばあちゃんも。

このままだと、
この家系はほぼ永遠に動物嫌いが続くだろう。

別に犬が嫌いでもかまわないけれども、
心配性も不安も恐怖も怒りも喜びも。
感情の多くが、
親、その親、さらにその親・・・の感情や行動、価値観を学習して作られたものなのかもしれない、
と考えてみてはどうだろうか。

ぼくも心配性だ。
母から学習したものだろう。

そう思うと、自分の性格だと思い込んでいいたものを、
少しは客観的に見ることができる。
だからと言って、
親を恨むのではなく、
学習したものだから、
何とか変えることもできるはずだと、
情報の上書きを試みればいいのだ。

「心配」を「大丈夫」に変えればいい。

母の命日、
仏壇に手を合わせ、
お墓参りをして、
母のことを考えていた。
大事に育ててくれた。
ありがたいことだ。

しかし、
この歳になっても、
親の価値観に縛られているところもある。

「心配」という縄で次の世代も縛るのは、
できるだけなくしたい。

母も苦しかったに違いから。

それも感謝の気持ちだ。













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Last updated  2026年07月30日 09時17分32秒
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