全14件 (14件中 1-14件目)
1
![]()
ハードディスクの容量確保のために、番組削除をしてたら、志賀高原のパン屋さんを紹介してる番組を見つけた。 実は、そのパン屋さんというのは、『萌空姫様のスノボ道』で萌空が山籠もりをした志賀高原の「山頂のプチホテル」のモデルとして登場させたところなんよ。 だから、想定して書いた場所が映像の中に出てくるので、あとがきとして載せるね♪ この番組で流れた順番で載せるので物語のあとさき関係なしに載せる。 小さい写真にしたけどクリックで大きい写真が開くからね♪◎ここは、81ページ8行目で行板から萌空に『返事遅れてごめん、今山の下に到着した。~』とメールした、その山の下の辺り。 写真の右のほうに道路があって、冬のあいだは、ここが道路の終点になる。 山頂のプチホテルは写真右上の雲の中。 左に見えてるホテルの1階のダイニングがレストランとして営業してる。 このレストランが萌空とピーターが初めて入ったレストラン。 100ページの4行目、”ホテルの入り口前で、ピーターがフロントエッジを使って後ろの私のほうを向きながら停止する。” とあるのは、写真左のホテル前のスキー立ての前あたり。◎そのホテルを正面から見たところ。 ここは、映画『私をスキーに連れてって』で、原田貴和子さんと高橋ひとみさんがセリカGT4に乗って「凍ってるね」って言って万座温泉スキー場に向かった場所でもある(^_-)-☆◎さっきのホテルのあるところから乗るリフト。 どっかで見たことあるリフトでしょ。 ほら、『私をスキーに連れてって』で、三上博史さんが原田知世さんを追いかけて乗ったリフトやんか! ユーミンの「BLIZZARD」が鳴ってきて、映画が一気にクライマックスに向かいだすシーンやね(^_-)-☆◎ここでリフトを乗り継ぐ。 写真左に見えてるのが山頂に向かう最後のリフト。 ちなみに、このポイントから上の部分はスノーボード禁止ゲレンデ。 だから、山頂からこちら側(小説ではサンライズゲレンデ側)に下りる為には、ここから上は滑れないので、スノーボーダーはこのリフトに乗って下りなければならない。 99ページにこうある↓”サンライズゲレンデ側に下りる部分はボード禁止のためにリフトに乗らなければならない。また二人で乗るのね。恥ずかしいなぁ。~””一本リフトに乗ればボード滑走可能ゲレンデに出るので、そこからはボードで滑り下りる。ピーターについて行く。~” ここから二人で滑ったんや!って思ったら感慨深いわぁ…(^_-)-☆◎これが最後のリフト。 とても急勾配になってて、このリフトからは樹氷が綺麗に見れるんやけど霧の中で何も見えないのんが残念。◎山頂到着。 この写真の奥に電波塔がある。『私をスキーに連れてって』で三上さんがサロットの黄色いスキー靴で万座に向かったのは、その電波塔の横から。 残念ながら、この番組では霧が深くて電波塔が見える映像がなかった。◎こんな雲海も、ここからは何度も見たことがある。◎最後のリフトを降りて右側に電波塔があって左側にこの建物がある。 萌空が山籠もりした志賀高原の山頂のプチホテルは、ここをイメージして書いた。 テロップには山小屋なんて出てるけど、1階部分は鉄筋コンクリートの頑丈な建物だと思う。 大きさもそこそこあって客室も10部屋ある。 ここは標高が2305メートルあって、スキー場のゲレンデ内としては日本で一番標高が高いところ。 だから、この建物は日本で一番標高が高いところにあるスキー宿なんだ。◎このあたりは、もうスノボ滑走OK部分。 99ページの萌空とピーターが一緒に滑るくだりはこの辺りでの事。”私に背中を向けて滑っていたピーターが、目の前でフワっトワンエイティして私と対面状態になる。そして対面で並走しながらホテルを指さす。「あのホテルまで一気に行くよ!」” こんな緩斜面だから、本に書いた上のような会話ができるのも自然でしょ(^_-)-☆ 以上でテレビ番組で出て来たシーンは終わりなんやけど、肝心の萌空がいつも滑っていた、ホテルの山向こうのサンセットゲレンデ(←小説上)が全く映ってなかったのんが寂しい。 だから、手持ちの写真で探してみたらあったので載せるね♪↓◎なんと、この写真、何年前かは忘れたけど6月7日の写真やねんで! 流石に雪はゲレンデの中央部に少ししか残ってないけど、4人乗りクワッドリフトがちゃんと動いてた。 右後ろに見えてる茶色い建物がそのリフト乗り場。 96ページ2行目でピーターが萌空に話しかけたくだりは、このリフト乗り場。”「僕のボード、気になりマァスカ?」” ってピーターが言ったのは、あの茶色い建物の向こう側なんだ(^^♪ 今、スキー場のサイトに言ってみら今年は雪が多いから、僕が6月まで滑った年よりも、もっと滑れるみたいやから、まだまだいっぱい滑れるよ! 積雪がまだ160センチもあるって!(^_-)-☆志賀高原・横手山・渋峠スキー場
2015年04月24日
コメント(0)

田中哲司さんの事に気付いたのは、ドラマ『SPEC』で未来が見えるスペックを持ってる冷泉って占い師をやってた時やから、まだ最近やねんけど、その後は無茶苦茶見かけるようになった。 最近やったら『ゴーストライター』の編集長役が良かったよな♪ 味があって元々好きな俳優さんやったんやけど、この人の普段の姿を見て、めっちゃ好きになった。 ハードディスクの空き容量を増やすために録画番組を消してて、二月に撮ってた田中さんを取り上げてる番組を見つけてんね。『バナナマンの決戦は金曜日!』って番組なんやけど、見直したら面白いし車の貴重な映像があって結局消せなかった。 この番組の収録日が、田中さんの49歳の誕生日やったんやて。 でね、田中さんと撮影スタッフの待ち合わせ場所は渋谷区の代々木公園前の路上やってんね。 スタッフが歩道で待ってると、現れたのがこれ↓ ひゃん!これハコスカやん!(^_-)-☆ もう、この瞬間に田中さんに好感を持ってもた(^^♪ ハコスカってのは初代スカイラインの愛称やねんね。 で、僕のラングレーは三代目スカイラインの弟にあたる。 しやから、このハコスカは僕のラングレーのお祖父ちゃんにあたるわけよ。 しやから、僕のラングレーよりもずっと年寄りやねんで! 田中さんは、このハコスカが初めて買った車で死ぬまで乗るって決めてはるそうだ。 番組スタッフは興味ないみたいやのに、車の説明をするわ!するわ! エンジンルームを撮らせるし、エンジンの載せ替え予定の話もぺちゃくちゃぺちゃくちゃ話し続けるし、クールなイメージやったのに、登場から10秒でイメージが急転回してもたわ(^^ゞ ↑キャブレターの事を訊かれてもないのに説明し始めるし(^^ゞ キャブレターというのんは、ガソリンと空気の混合気をエンジンに送り込む機械やねんね。 今の車は機械やなくて電子制御された電子部品になってしまってるし、この番組のスタッフも何の話やらさっぱり分からんし興味も全然ないみたいやったけど、構わず説明する田中さん(^^ゞ 当時ウエバーとかソレックスなんてキャブレターが流行ってたな。 このキャブレターはウエバーの三連キャブ。 このエンジンは六気筒やから、一つで二気筒づつに混合器を送りこむようになってるキャブレターが三つ並んでる。 ↑このエンジンはL20型エンジン。 当時の日産の主力エンジンで10年以上このエンジンが主力やったんとちゃうやろか? 国内用には1400ccのL14型から2400ccのL24型エンジンまで作られてた。 ロンブー亮さんの愛車ブルーバード510はL16型エンジンやし。 サニーのL14型からフェアレディ240ZのL24型まで、山ほど作られたエンジンやと思う。 とにかく丈夫なエンジンで、今でもたくさん生き残ってるんとちゃうやろか。 エンジン上部の右端のタイミングベルトの部分がプクッと膨れてるのんが可愛い♪ 無骨やけど、なんか可愛らしくて、このエンジン好きやねんわぁ(^^♪ ↑ここから、載せ替えるエンジンの事を熱く語りだすんよ。 ツインカムエンジンに載せ替えると言うんやけど、スタッフが何のこっちゃって反応やのに、めげずに話し続けてるのんが可笑しかった(^^ゞ この田中さんが積み替えるって言ってるツインカムエンジンは、S20型エンジンといって、スカイラインGTRとかフェアレディZ432に積まれてたエンジンなんよね。 めちゃくちゃ精密なエンジンで、あんなエンジン積んで街乗りしてもしゃぁないのになぁ…。 なんせ田中さん、毎日乗ってるって言うてはるもん。 L型エンジンは丈夫やし、部品も安いのんが腐るほどあるのに、死ぬまで乗るって言うてはるんやからL型のままにしといたら良いのにって思うわ。 ↑でも、こんなに楽しそうなんやから、好きにしたらいいか(^^ゞ ちなみにS20型エンジンが最初から積まれてたスカイラインGTRという車はAMラジオも着いてない車やってん。 ラジオなんか着いてても買った人はどうせすぐに取り外すからって事やってんけど、それってどういう事かというとね、スカイラインGTRって車はほとんどレース仕様やったんよ。 そのことから言ってもS20型エンジンなんか積んで街乗りしてもしゃぁないって事の意味が分かるでしょ(^_-)-☆ このあと、田中さんは人生初の人間ドックに行き、そして親友の荒川良々さんと居酒屋で飲みやったんやけど、オープニングのハコスカ話が面白すぎて、あとの話はほとんで入ってけぇへんかったわ(^^ゞ
2015年04月21日
コメント(4)

第一回の放送がされたところのフジの深夜バラエティ番組やねんね。 淳はロンブーの淳。 ぱるるというのはAKB48の島崎遥香(しまざきはるか)さんの愛称。 AKBの事なんか大人の間ではあんまり知られてないやろうけど、島崎さんは去年の選抜総選挙で7位になった娘で、最新曲「僕たちは戦わない」ではセンターをやらせてもらってるから、今やAKBの中心メンバーやねん。 去年の今頃に『萌空姫様のスノボ道』(71ページ)に「AKBの島崎遥香に顔立ちがそっくりの萌空だから…」 なんて書いたときは、まだ知名度は低かったと思うけど、もうトップアイドルなんとちゃうやろか。 あっそや!アメリカの映画サイトが毎年発表してる「世界で最も美しい顔100人」ってのがあるじゃない。 前に佐々木希さんとか桐谷美玲さんが上位に入って話題になったやつ。 あの「世界で最も美しい顔100人」に島崎さんが入ってるって聞いたことがあるから、今検索してみたら50位やて! アメリカ人がどう思うかはどうでも良いけど、美しさの目安にはなるよね♪ しやけどね、この島崎さんて娘はビジュアルとちゃう部分で話題の娘やねんね。「塩対応(しおたいおう)」って検索したら「ぱるる」「島崎遥香」ってのがザザザザザザって出てくる。 塩対応というのは「愛想のない」とか「素っ気ない」って意味。 とにかく、この娘、素っ気ないんよ(^^♪ もう、ほんまに、あらゆる事に興味がないんとちゃうやろかってぐらいに素っ気ない。 去年の大晦日のCDTVの年越しライブでAKBが歌った「心のプラカード」って歌があるねんね。歌った時間は年が明けた午前3時ぐらいやったと思う。メンバー全員が持ってるプラカードに各々の思いを書いて持って歌うんよね。紅白でも同じ歌を歌ったから覚えてる人もいてるんちゃうかな。 みなさん、必死に考えて心に残る良い言葉を書いてはる。「ラスト1年!突っ走る」とか「テレビの前のお父さん まだまだ!寝させないぞ」とか「劣化しない」とか で、島崎さんのプラカードはというと「おやすみzzz」って(^^ゞ 筋金入りの塩対応や(^^♪ これを見て、元旦の未明から僕は嬉しくて拍手をしてもたわ♪ そりゃぁ、若い娘さんが午前3時に仕事をするのが眠いのは分かるわ(^^ゞ 3年ぐらい前やったか、島崎さんがジャンケン大会で優勝した頃に知ったんやけど、この娘の塩対応を知るにつけ、僕、ほんまこの娘がおもろくてまらんようになった。 その後、「めちゃイケ」でナイナイの矢部くんが「ぱるるの塩対応を治す」って企画があったんやけど、「ぱるるの塩対応を治したらアカンやろ!」ってめっちゃ嫌やった。 結局、島崎さんの塩対応は治らへんかってんけどね(^^ゞ しやからね、島崎さんの初MCの『淳・ぱるるの○○バイト!』が楽しみやったんよ。 でね、その一回目の放送を見て、その塩対応ぶりは期待通りやってんけど、期待以上に面白くて、腹の底から「くっくっくっく」って笑いが込みが上がる事の連続で、たったの30分番組やのに見終わったらじゃっかん腹筋が痛くなってしもうたわ(^^♪ しやけど、あれ、淳やから成立したんやろな。 淳は、ほんまにやり手やと思うわ! 島崎さんから沢山の言葉と、沢山の表情を引き出してたもん。 あんな表情豊かな島崎さんは歌ってるとき以外にはあんまり見られへんもん。 それと島崎さんが、頭の良い人だってことも分かった。 この娘は、いつもナチュラルにしてるだけなんやろな。 いつも普通に思ったことを、普通のテンションでしゃべってるだけなんやろう。 淳との会話で、普通に賢い娘やってのが分かった。 島崎さんは興味のあるもの、好きなもの、認められるものの許容範囲がごっつぅ狭いってのも分かった。 だから、興味がないもの、好きでないものについて、しゃべることをせまられるとネガティブ発言になってまうのんも頷ける。 しかもその理由を明確に話すし気持ち良い♪ 面白かったのが、淳がよくしゃべるので、島崎さんが「結構しゃべるんですね、すごく耐え切れない感じ」何て事をずけっと言うわけよ。 それに対して淳が、「『淳さん話長い』とか、『淳さんの話理解できない』とかあったら、遠慮しないで正直に言うってことにしない? 俺怒んないから」って提案するのね。 それに対して島崎さんは、間をあけずに、すっと言い返すんよ。「そう言う人って怒りますよね」って。 面白かった♪ あの間をあけなくて、すっと突っ込むのが良い! 例えば指原さんやったら、かぶせるように早口で突っ込むと思う。 大島優子さんやったら、ちゃんと間をとって感情を入れた突っ込みをすると思う。 多分、島崎さんはナチュラルなんやろね。テレビなんか関係あらへん。だけど頭が良いのんで、ちゃんと相手の言葉を受け止めて咀嚼して返事をする。 この番組は、かわいすぎるバイト女子とかっこよすぎるバイト男子を紹介する番組やのに、島崎さんが酷い言いようばっかりするのんが面白かった♪ 紹介された人、テレビに出るのんを喜んではったやろうに災難やよな(^^ゞ <企画・監修>秋元康ってなってるから、秋元さんはこういう事になることを分かってはったんやろね(^^ゞ
2015年04月20日
コメント(0)

『ようこそ、わが家へ』傘の平行持ちのシーンがカットされてる! ↑上のタイトルの意味が分かる人は良いんだけど、いくら検索しても、このことを書いておられる人が居ないので説明するね。 4月13日に放送された『ようこそ、わが家へ』を見初めて、すぐに、顔をしかめてしまうう凄く嫌な二つのシーンに引っかかってしまって、僕、このドラマを見るのんをやめようと思ったんよ。 とった録画もすぐに削除してしまった。 ところがね、今日4月20日のお昼に再放送されたものでは、その二つのうちの一つが含まれるシーンがカットされてた。 僕が顔をしかめた嫌なシーンが出てこないんよ。 でね、パンドラテレビで、4月13日に放送されたものを見てみたんよ。 すると「00:04:38」から24秒間がカットされてるのが確認できた。 さて、その24秒間にどんなシーンがあったかというとね。 主人公の青年が地下鉄の階段で傘を平行持ちして登ってるんよ。 平行というか、傘の先端を斜め後ろ下方向に向けて登ってる。 こんなん考えられへんやんか! 後ろから登って来る人の目を突いたらどうするのんよ。 都会に暮らす普通の人やったら、そんな事せぇへんし。 しかも、この青年の映像にかぶせて、この青年の人となりを説明するために、青年の心の声がナレーション風に入ってるんよね。「(前略)とにかく、まわりに迷惑をかけないように生きて来た。争い事が嫌いだから。いや違う…、本当は争いごとに関わるのが怖いからだ。人当たりがよく、思いやりがある、なんて言われることもある(後略)」 しやけど、地下鉄のホームで傘をこんなんして振り回してたら、まわりに迷惑をかけるどころか、喧嘩売りまくってるみたいなもんやんか。 もう僕、このドラマが全然入ってけぇへんと思ってんね。 しやけど、フジテレビさん、やるやんか! ちゃんと気が付いて、カットしやはったんや(^^♪ 証拠の画像を貼るね。[1]今日4月20日に再放送されたものの「00:04:38」↓[2]そして、その1秒後の「00:04:39」↓[3]これはパンドラテレビの「00:04:34」で[1]と同じシーン↓[4]パンドラテレビの[3]の24秒後の「00:04:58」のシーン↓[1]=[3]、[2]=[4]でしょ。 で、[3]~[4]のあいだのカットされてしまった24秒間にある傘の平行持ちのシーンがこれ↓ テレビ局もコンプライアンスとか言って、今は迅速に必死に対応するんやろね。 昔、どうしても我慢できなくなってテレビ局に文句の電話をしたことが数回あるけど、言葉だけは丁寧でも具体的な対応は何もしてくれへんかったもん。 このドラマ、本もキャストも、ごっつぅ良いんやと思う。 しやけど、現場がアカンのんとちゃうかなぁ…。 地下鉄に乗る常識も知らんはずないと思うから、きっと演出の人に、まわりの人が口を出せないような雰囲気の現場なんとちゃうやろか? それと、もう一つの僕が顔をしかめたシーンはカットされてなかったんやけど、あれは音声部分の繋ぎがうまいこと行けへんかったんやろな。 そのシーンはね、主人公の青年が本屋さんの平台に積んである本に傘を立て掛けて立ち読みをしてるんよ。 上と同じ、まわりに迷惑をかけないことを生き方の信条としてる青年がよ。 そりゃぁ、その傘は水けを含んだ傘でないのんは分かってるけど、そんなマナー最低のシーンをどうして撮る必要があったんやろね? この青年が行く先々で傘を忘れるってのが繰り返し流れるんやけど、その事がこの青年の人となりを紹介することなんやろうけど、僕には、それに意味があるとは思われへんかったな。 しやけど、このことって、このドラマの言いたいこととは違うけど、もっと深刻なことを思った。 あのね、このドラマの制作者は、主人公を人に迷惑を書けない人として描いてるんよね。 でも、見る人によっては「迷惑ばっかりかけてるやないか」となるわけよ。 つまりね、人なんか、大多数のたいていの人は、自分は人には迷惑をかけてないと思ってる。 しやけど、外に出ると迷惑な人間ばっかりが目につく。 みんながお互いにそう思ってるんよ。 僕なんかも、ある人から見れば迷惑ばかりかけてるんかもしれへんし。 ほら、セカオワがドラゴンナイトで歌ってるやん、♪人それぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかも知れない♪って! 人それぞれの正義ってやっかいやよな。 昔は良かったよ。 親や先生の言うことが絶対やった頃。 近所のおっちゃんにでも、絶対に逆らわれへんかったやん。 だって、そこに絶対的正義があるんやからしゃぁない。 近所のガキが悪さをしてても叱ることもでけへんやなんて、今の世の中、難しいよな(>_
2015年04月20日
コメント(0)

二つ前の記事、拙著『萌空姫様のスノボ道』 ―あとがき―(ネタバレ)からの続き。 別荘についての記述はリアル友には読まれると恥ずかしい(^^ゞ 調子に乗って書きまくってしもたからなぁ(^^ゞ っていうのが、別荘に入るときの「マシュマロのような新雪」のくだりからして僕の体験談でね、マシューの大きなピックアップトラックに新雪をならしてもらったのも、そっくりそのまま体験談なんよ。 本では149ページの最終行「マシューが予測した通り、マシュマロみたいな綺麗な雪面が別荘方向の登り坂に続いている」のところね。 実際の体験では、新雪をならしてくれたのは、たまたま犬の散歩で通りかかった近所の山荘のおっちゃんで、そのおっちゃんがわざわざダットサントラックで助けに来てくれてんね。 助けてもらったのはケイトのマツダ3やなくて、僕のラングレーやった。 そのネタ元の写真があったので、いっぱい載せるね♪ ↑ここは、写真奥に向かって、ずっと登りなんやけど、写真のわだちの所まで登ったけど雪の圧力で止まってしまい、どうしようもないので比較的平地になってる部分までバックして写真を撮った。 でね、この写真の轍(わだち)やけど両のタイヤ跡だけやなくて、タイヤとタイヤの間も全部削られてるでしょ。 これは車のお腹が擦ってて、車体全体がもう新雪の上に乗ってもうてるんよ。 本での149ぺージ7行目にあるマシューの言葉「積雪が多ければマツダ3はチェーンを着けても亀になって身動きがとれなくなるかもしれない」と言ってたのは、この状態のことやね。 で、車にチェーンを着けようとしてたのがここ↓ そこへ近所の山荘のおっちゃんが犬の散歩で通りかかってね、このおっちゃんが「この坂はチェーンを着けても無理やで。亀になるだけや。俺のトラックで新雪をならしたるわ」 なんて事を言って、犬と一緒に山の中を去って行ってんね。 しばらくしたら、ドッドッドッドッドッド♪って重低音のごっついエンジン音がしてきて現れたのがこれ↓ 運転席に座ってるのんは、おっちゃんと散歩してた愛犬のサクラちゃん↓ こんな雪しか見えへん山の中で、何でこんなにピカピカやねん?っちゅうほど綺麗な車やったわ↓ この別荘に入る部分が僕の体験談だってことは、その時に一緒に山荘で過ごした二人の友人にはすぐに悟られてしまった。だってその時に山荘で食べたのがチーズフォンデュだったから、小説の内容そのままで、そりゃぁ嫌でも、「あの日のことをそっくりそのまま書きやがったな」って気が付かれて当然やねんわ(^^ゞ 冬の山荘の大変さをマシューが語ったのにこんなくだりがある↓「~一度も雪かきをしていないところは、下のほうは溶けたり凍ったりを繰り返しガチガチになってるはずだ」 これも、ほんまに大変やった体験談やねん。 ある年の真冬に山荘に行った時に、オーナーの義兄から「ベランダの雪かきをしておいてくれ」と言われてんね。 20平米ぐらいのベランダの雪かきなんか5分もかからへんって思ってたんやけど、その冬は一度も雪かきをしてなくて、下のほうはガチガチになってて氷を剥がすのに2時間近くかかって、へとへとになってしまってんね。 その事を覚えてるとも思ってなかったんやけど、書いてる流れのなかでスラスラと思いだして書いてもた。 こんな小さなことの一つでも、放置されっぱなしの雪山の別荘を使用する大変さのリアリティを増す手助けになったと思うし、義兄には感謝せなあかんて思う(^^ゞ しやけど別荘についての突っ込みは、全くなかったのは意外やな。 あそこは自分のこだわりで書き過ぎたと思ってる部分もあって、「要らんやろう」って思われてもしゃぁないなんて思ってたもん。 僕ね、この本に必要のないエピソードは極力書いてないねんね。 小説を読んでて、要らんエピソードがたくさんある本はめんどくさいねん。 一回読むのなら読んでしまうけど、僕は好きな本は何度でも読むねんね。そんで何度も読んでると、読むのがめんどくさい要らないエピソードは飛ばしてまうもん。 最初に書き始めたときは、人に読んでもらう小説本にするつもりなんか露ほどもなかったから、岩岳スキー場や白馬五竜スキー場にも行って、萌空がいろんなスノボ体験をするエピソードがいっぱいあってんね。 しやけど、こんなんはスキー場に行かない人には退屈やろうと思って、ばっさり削除してもた(^^; 白馬五竜で崖から落ちて新雪に埋もれてしまった萌空を引きずり出すところなんかは、書いててめちゃくちゃ楽しかったんやけどね(^^ゞ あほみたいやけど、僕は『萌空姫様のスノボ道』を今でも何度も何度も読んでるねんね(^^ゞ ほんで何度読んでも、ほとんど飛ばさずに読んでまう(^^ゞ「スノボギア調達」だけはは、ちょっと長かかったかなぁ、って思った。「スノボギア調達」は1ページ半書いたんやけど、あれは1ページ未満で抑えておくべきやったかもしれへん。何度も読んでるうちにそう思った。 本ができた頃は、もっと仕上げることが出来たんとちゃうかという、なんかやり残し感があったんやけど、何度も読んだ今はそんな思いはないねん。 読めば読むほど、ちゃんと仕上がってると思てまう。 今の僕には、絶対にこの本を書くことはでけへんと思う! 今の僕は、「僕には二度と小説が書けない」って言いきれる! こんな、おもろいもんを書くことは絶対に無理やもん! 新しい出会いとかの物語が展開するときの自然さは秀逸で、とても僕が書いたとは思われへんもん! 小見出しの締め方なんかも上手やわぁ。 最近は一読者として読んでまうんやけど、そうするとこの本、退屈なところがなくて、めんどくさい説明文章がほとんどない。 強いてめんどくさいところと言えば、第三章の冒頭(178ページ)の「日本にナショナルウェアがない事によって、日本人スノーボーダーだけが持ってしまっている特別な意味」の説明のくだりぐらいとちゃうやろか。 あれだけは、めんどくさい説明文になっても、理解してもらえるように丁寧に書かなしゃぁなかったからな。 だけど心配だったから読んだ人の何人かに、「第三章の冒頭を読むのがめんどくさくなかったか?」 と、訊いたんやけど、「説得力があって納得させられた」 なんて言われて安心したな。「あれが事実かどうかは知らんで。しやけど読んでて本当のことに感じたで」 なんて言ってくれた奴もおった(^^♪ もちろん、あんなのは僕のでっち上げやけど、あの事に対しての突っ込みもなかったから上手に書けてたんやと思う♪ あっ!一つだけ、めんどくさいことを書いてたわ! わざとから理屈っぽい長文メールを書いた!「パラメータ励振」についての行板から萌空への長文メール!(158ページ) スノーボードのハーフパイプとパラメータ励振の関係を書きたかった。 それはもう書きたくて仕方がなかった事やったから、どれだけ突っ込まれても、書きたいもんは書きたいねんからしゃぁない!って思って開き直って書いた。 ほら、小説の中で科学者とかの専門家が素人に難しい話をするシチュエーションってあるやん。「科学的にはそういう事もあるんだ」という事を伝えるために、一般人にはほとんど意味不明な科学理論を語るような事ってあるやんか。 そんなんに比べたら「パラメータ励振」なんか易しい話やし書いてまえ!って思って書いた(^^ゞ あのメールを書くのんは楽しかったなぁ!(^_-)-☆ この本、内容は、どう考えても僕にしか書けないことばっかりやねんけど、どうしてこんな文章を書けたのかが分からへん! 書いたときの気持ちは覚えてるけど、どうして、こんなこじゃれた文章を連ね、こじゃれた表現を交え続けて長編小説をでっちあげられたのかが信じられへんねん。 去年の今頃、僕に何かが取りついてたとしか思われへん! 本が出た当初は、本についての褒め言葉なんか、とてもじゃないけど思いつかなくて不安ばっかやったんやけど、今は好きなところしか気づかへん(^^ゞ ほんま、大好きな作家さんが書いた本みたいに、どのページも好きでたまらんねんからオメデタイこっちゃ(^^ゞ なんか、あとがきを書くのんが楽しなってきたから、小説本文より長くなるぐらい、これからもいっぱい書いたろ(^^ゞ
2015年04月18日
コメント(0)

『有吉のおーい!ひろいき村』のオープニングで「えぇ、寒の戻りに注意してください」って、有吉くんがさっき言ってたように寒いやんか! こんな晩に、コタツのスイッチが入らんようになってしまったんよ!(>__
2015年04月18日
コメント(0)
![]()
『萌空姫様のスノボ道』には「あとがき」がないねんね。 書こうと思えば書けたんやけど、小説のあとがきなんか、なんか偉そうで嫌やんか。 でもね、こんな本ができてしまった経緯だけは書きたかった。 そこで、まるであとがきみたいな「作者プロフィール」を書いてみてん(^^ゞ こんなわけの分からない作者プロフィールなんか編集からNGが出るに決まってると思ってダメ元で書いたんやけど、何故かすんなりOKが出てしまってん(^^ゞ 全文を書くね↓末長 薫(すえなが かおる)赤いポンコツ車と猫2匹とともに大阪に暮らす。2014年2月ソチオリンピックに夢中になりすぎてソチロスに陥り、脱出を試みるべくスノーボードを扱った小説を読もうとするが読みたい本が存在せず、ないのであれば書いてしまおうとこの小説を書く。 書いてて「あほちゃうか」と思いながら書いた。 どうせこんなのNGで「書き直し」が来るやろうと思ってたから気楽に書いてんけどね(^^ゞ しやけど、出来てきた本を初めて見たときは「ひゃん!恥ずかしい!」って思ってもた(^^ゞ だけど、そもそも本を書くって事は恥ずかしいことやもんな。 でね、僕思ったんよ。 僕のブログって、「どうぞ馬鹿にしてやってちょうだい」ってスタンスで書いて来てんね。 そういうスタンスだと、心に枷がかからないんよね。 思ったことをなんでも書けるやん! 8年間、ずっとそんなスタンスで書いてた。 しやから恥ずかしい文章を書くことに、いつのまにか抵抗がなくなってたみたいやね。 ちょうど一年前の今頃、『萌空姫様のスノボ道』を書きだした。 まだ『萌空姫様のスノボ道』というタイトルも出来てなかったし章タイトルも小見出しもなかったけど「なぁ、萌空、スノボ行こうよ」って書きだしは書いてた。 しっかり覚えてるのが4月の16日に車で走ってて、早く家に帰りたくて仕方がなかったって事。 僕ってパソコンのキーボードに両手を置かないと一行も書けないんよね。 僕が書いてるってより、僕の両手の指が書いてるって感じなんよ。 しやから車を運転してたら、一行も書かれへんねん(>___
2015年04月13日
コメント(2)

このあいだの記事美具久留御魂神社の中で「太陽の道」に触れたんだけど、興味を持ってくれはった人もいらっしゃったので「太陽の道」のことを書くね♪ 僕が「太陽の道」のことを知ったのは、内田康夫さんの浅見光彦シリーズ『神苦楽島(上下巻)』の物語の肝に「太陽の道」をガッツリ据えて書いてはったんを読んだからやねんね。 『神苦楽島』の中に「太陽の道」は奈良の写真家・小川光三さんが発見したこと。そして当時のNHKプロデューサー・水谷慶一さんが、それをさらに厳密に検証してNHKのドキュメンタリー番組「NHK特集『謎の北緯34度32分をゆく――知られざる古代』」として放送されたことを書いてはった。 そしてNHK出版から『謎の北緯34度32分をゆく・知られざ古代』と題した本が出版されてることを知り、すぐに購入して読んだ。 読んだというより、教科書一冊勉強したって感じで付箋だらけで手垢だらけになってもた。 この本↓ 四六版ハードカバー324ページ。 昭和55年(1980年)初版発行。 最初に故松本清張さんが序文を寄せてはる↓「~この奇跡を疑う前に本書を読んでもらいたい~」と書いてはるし、ほんと、解釈はともかく、この不思議な事実は疑う余地がないんよ!「書籍横断検索システム」で、この本を検索してみたら、アマゾン中古で3冊、日本の古本屋で2冊、売ってるみたいやよ↓。 「書籍横断検索システム・知られざる古代…」 で、今回「太陽の道」を検索してみると、たくさんの人が、いろんな研究をされてて、複雑なことを書いてはってびっくりした。 しやけど、盛れば盛るほど、なんや訳分からんくなって、僕が思ってた「太陽の道」の本質が解りにくくなってる気がしたな。 多くの人が、『謎の北緯34度32分をゆく・知られざ古代』に記載されてる地図をスキャンして、そのまま貼って載せてはるし(^^; でね、ややこしい事は言わずに「太陽信仰」に限った話だけに絞って書こうと思う。 でも、勝手に書くので間違った事もあると思うけど、それは「こいつアホや」と笑ったってちょうだい(^^ゞ なんせ読んでから四年も経ってるから、記憶の中で、いろんな事が変遷してる可能性があると思うし…。 まず、今回地図を作ってみたので載せるね。 なるべく、大きい地図にするために東西に分割した。「太陽の道」東部(クリックで大きくなるよ)↓「太陽の道」西部(クリックで大きくなるよ)↓○太陽信仰 ほら、元々天皇の祖先は宮崎に天孫降臨したでしょ。 天孫降臨しはった神様はアマテラスの孫やったと思うけどニニギの尊やったかな。 宮崎は「日向の国」で太陽に向かう場所やんか。 日向から太陽の登る方向は海だけやし、日向は良い土地やったんやろね。 しやけど、もっと太陽に近い場所があるのを知り「神武東遷」で奈良の橿原にやって来るわけやん。 そして、飛鳥時代が始まるわけやけど、先祖の太陽神アマテラスを天皇と同じ屋根の下に祀るのんは不遜やとして、倭姫(やまとひめ)がアマテラスを祀る場所探しの旅に出るんよね。 で、最初に祀った場所が「4・檜原神社」やったんや。 そして、倭姫が最後に行きついた場所が「2・斎宮跡」っちゅうわけよ。 伊勢は紀伊半島の東の端で、その先は海しかないわけやんか。 ここは太陽が海から登る場所で、ここにアマテラスを祀ることで、飛鳥にお宮を設ける事が安定したんやろう。 でも、アマテラスを皇室がしっかりと祀るために「斎宮制度」を導入するねんね。 皇室の未婚の皇女(ひめみこ)が、長い時間をかけて禊をして伊勢の斎宮に赴きアマテラスを祀るんよ。 斎宮に選ばれれば、身内が罪を犯すなどして斎宮を解かれるまで結婚もできないっちゅう厳しい仕事やったわけで、太陽神アマテラスを祀ることは、皇室にとって重要やったんやろね。 ほら、大津皇子の姉・大来皇女(おおくのひめみこ)が斎宮になったけど、大津が謀反の疑いで持統天皇に処刑されたときに大来は斎宮を解かれて飛鳥に帰って来るやんか。 で、倭姫が最初に「4・檜原神社」に祀った事の意味なんやけど、ここって「3・三輪山」と「5・箸墓」の間やねんね。 箸墓というのは「倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)」のお墓なわけやねんね。 で、「3・三輪山」は大和国・一宮大神神社(おおみわじんじゃ)のご本尊やねん。大神神社には本殿がなく三輪山自体がご神体なんよね。原初の神道は磐座(いわくら)といって、自然石を神としてたみたいで、その形がそのまま残ってる最古のものが大和国一宮なんやから凄い。 倭姫は、最初は檜原神社のある場所は近いし手頃やしここしかかないと思ったんやろね。 でね、面白いのが「5・箸墓」が卑弥呼の墓である可能性があるってのが、最近の発掘調査で分かって来てるねんね。 箸墓自体は宮内庁の管轄だから発掘できないけど周辺部の発掘物が卑弥呼の生きてた時代と、めちゃくちゃ合うらしいんよ。 すぐ北側の纏向遺跡は邪馬台国である可能性が出てきてるし! だから、「卑弥呼=倭迹迹日百襲姫命説」が有力になって来てる。 で、卑弥呼がどうした?って思うやろうけど「卑弥呼=アマテラス説」があるんよ。特に安本美典さんの説が好きで、僕は、安本さんの本はほとんど読んだと思う。 さらに言うと戦前は「卑弥呼=倭姫説」が有力やってんて。 卑弥呼がアマテラスだとすると箸墓は太陽神のお墓ってことやし、倭姫だとしたら太陽神アマテラスを祀る場所を探した人のお墓ってことでしょ。 井沢元彦さんは、卑弥呼は太陽信仰の化身やと言ってはる。 いずれにしても、倭姫が箸墓の近くにアマテラスをまず祀り、そこから太陽の登る真東の陸地の終わる伊勢湾にたどり着いたのが分かる気がする。 でね、太陽神アマテラスを伊勢に祀ったのなら、それより先の「1・神島」なんて島はどうでも良いやろうって思うやろうけど、神島には、「ゲーター祭」という不思議な祭りがある。 このゲーター祭は太陽を祀る祭りなんよ。 太陽にみたてた「アワ」という直径2メートルほどの輪っかを何十人の男たちが竹で持ち上げる、っちゅう語源も由来も不確かな謎の多い祭りなんだって。 そういう由来も伝承されてない祭りって、古い祭りやと思うやんか! 倭姫が斎宮跡にたどり着いた頃まで古いかも知れへんやん! 行きつくことができるもっとも太陽に近い場所で、太陽を迎える祭りをしたって、なんかとってもしっくりくる。 皇學館大學の学生さんが作りはったゲーター祭の真面目な良いyoutubeがあったので貼っておくね↓ そして、神島から東は、もう陸地がない。 愛知の伊良湖岬も静岡の御前崎も、伊豆の石廊崎も太陽の道より緯度が高いので海だけで、あとはアメリカまで陸地がない。 もしかしたら、太陽の道が渥美半島の伊良湖岬にギリでかからないってのも重要やったんかもしれへんね。 ただね伊豆半島の南にある利島って小さな島が日本の領土としてはあるんやけど、流石に海上の遠距離は地球の丸みがあるので、当時の人も知りようがなかったんやろね。 地上の東西を知るのは、太陽が一番高くなる方向の直角方向だから、一年中いつでも晴れてさえいれば知る事が出来る。 二上山の頂上からだと三輪山から淡路島まで、太陽の道を簡単に見ることができたと思う。 この写真は「4・檜原神社」前から「6・二上山」を臨んだもの↓ 「3・三輪山」から「2・斎宮跡」は、途中の山塊がすごいので、測量には何分割もしなければならなくて大変だったろうけど、当時の技術は相当優れてたんとちゃうやろか。 特に天文観測は相当なものやったろうから、存外難しいものではなかったのかも知れない。 一応、太陽の道が通る日本の領土が全部分かる地図も作ったので載せるね(クリックで大きくなるよ)↓ あとポイントについて、ちょびっと書くね。7・聖徳太子御廟 ここは、大阪府南河内郡太子町というところで、この辺りには天皇の陵墓がたくさんある。・敏達天皇陵・用明天皇陵・推古天皇陵・孝徳天皇陵・小野妹子墓 西側、太陽が沈む方向は死者のイメージがあるんやろね。 しやけど、一番太陽の道に近いのが「日出国の天使」で有名な聖徳太子のお墓なんが面白い。 聖徳太子の時代は、太陽の道の中でも一番新しいと思うので、ここは当初の太陽の道の目的とは違って、わざと太陽の道上に作ったんとちゃうやろか。 ここよりさらに西には、日本で二番目に大きい応神天皇陵なんかがある古市古墳群がある。 さらに西に行くと、日本一の大きさの仁徳天皇陵がある百舌鳥古墳群があるし、西側にお墓を作るってのが基本的やったんやろね。9・大鳥大社 ここは、太陽の道を西に向かい、海にたどり着いたところになる。 現在は、大鳥大社から海がある浜寺公園まで2キロもあるけど、当時は大鳥大社は海に面してた。 今は、海まで歩くと結構きつい! 和泉国一宮である大鳥大社が、太陽の道が海に到達した場所にある事実は良い!(^_-)-☆ 何が良いって、和泉国の住民である僕には、こんな愉快なことはあらへんやん(^^♪ 11・石上神社 ここは磐座(いわくら)があって、けっこう神秘的な場所なんよね。 女性禁制で鳥居をくぐってはならない。 だけど、女性は鳥居をくぐらずに、脇の竹藪の中の小路を通って、そこに祀られている稲荷社に参って、そこから石上神社のご神体を遥拝することは許されてる。 だけどね、僕がお詣りに行った時は、一緒に行った友人が、突然気持ち悪くなって切羽詰った感じになって「寒い寒い」と言いだしたものだから、慌ててその場を立ち去ったんよ。 僕は鈍感で何にも感じない人間だけど、あそこは体調の良いときにちゃんとした気持ちでお詣りに行ったほうが良い場所に違いない。 そんな事があったから、太陽の沈んで行く最後のポイントであるここに、ちょっと怖い印象を持ってしまったな。
2015年04月08日
コメント(0)

美具久留御魂神社から近つ飛鳥博物館へ向かった。 元々外環を右折したかったのに左折して美具久留御魂神社に来たわけだから、外環を直交して二上山に向かってずんずん行ったら良いわけで行きやすい。 でね、二上山の方に走ってると鳥居があって、この道が全部美具久留御魂神社の参道だってのが分かった。 で、何度か曲がり山間の道を入って行くと、「なんじゃ、こりゃ!」って建物が山際に出現した↓↑この写真は、帰る前に、なんとか全体の雰囲気が分かる写真を撮ろうと頑張って写した一枚。 もう時刻は4時を回ってたんで、とにかく入口前に車を付けて、受付に早く行きたかったんやけど、何やら秘密基地みたいでどこが入口なのかが分からない。 車で駐車場へ入っていくときに、どこかに安藤忠雄さんの名前を見たような気がして安藤忠雄さんの名前を口にしたんやけど、どこで見たのかは覚えてない。 僕は安藤忠雄さんに興味がないけど、姉貴は安藤忠雄ファンなものだから、「これ、安藤忠雄や!」って、建物を見てすぐに思ったみたいや。 車を停めたときには、なんせこんな姿しか見えてないんやから、コンクリートの打ちっぱなしの異形の建物としか分からへんし!↓ しやけど、僕みたいに風情のない人間からしたら、ただ単にコンクリートの打ちっぱなしのけったいな建物を見たら、安藤忠雄さんでもおかしくない、としか思われへんけどね(^^; 安藤ファンの姉貴は興奮してたなぁ(笑) とにかく、ここの建物、文字がないねん。 帰る前に一か所だけ文字を見つけたので写真を撮った↓ 大阪府立近つ飛鳥博物館と書いてあるけど、これは見逃すわ。 この大阪府立近つ飛鳥博物館と書いてあるのんは、一番上に載せた写真に写ってる意味不明の壁の一番手前やねんもん、駐車場に入ってしまったら、ここの施設名を見ることもでけへんようになってまう。 入口は建物の真裏の山側にあって表から全く見えない。 しかも、何にも書いてない↓ 上から見たら前方後円墳に見えるらしいんやけど、お客さん、上から来るわけちゃうやん! しやけど毎日生活する空間やないんやし、探検気分で訪れるんも悪くはないよね(^^ゞ ただ我々は4時過ぎに行ったわけで、閉館時間も知らんくて慌ててたもんやから、ちょっとイラッとしたわ(笑) でね、どうしてこんな山の中に、近つ飛鳥博物館が建ってるかってことなんやけど、このチラシを見て↓ この「近つ飛鳥博物館」が建ってる場所はね、「近つ飛鳥風土記の丘」って「一須賀古墳群」を保存してある広大なエリアの端に位置してるんよね。 そして、このエリアで発掘された物も「近つ飛鳥博物館」に展示されてたりしてるんよ。 そういった発掘物だけじゃなくて、古墳時代から聖徳太子の時代を中心に、いろいろ、あの時代を解説してくれてる。 しやから聖徳太子が建てた日本最古の寺である四天王寺の模型なんかも展示されてたりしてる。 というのが、ここのすぐ北には聖徳太子のお墓があるんよ。 聖徳太子のお墓は太陽の道の上だし、ここも太陽の道に近い。 だいたい、ここの地名の南河内郡太子町というのは聖徳太子の「太子」からきてるんやからね。 これは近つ飛鳥博物館(青○)の北側の地図だけど、飛鳥時代の天皇や要人のお墓(赤○)がいっぱいある↓ ↑ここは、古代エジプトで言うたら王家の谷みたいなとこやったんかもしれへんね。 ついでやから、上の地図に竹内街道(たけのうちかいどう)も紫のラインで入れてみた。 竹内街道は古道の中の古道で王様みたいな古道やねんで! 飛鳥時代には国道一号線みたいなもんやったやろうね。 飛鳥から朝鮮半島や中国に行くには、竹内街道を大阪湾に出て海路を瀬戸内海経由で向かったんやからね。 上の地図にお墓が載ってる小野妹子が聖徳太子の国書を携えて中国に行ったときも竹内街道を通って行ったわけやんもんな。「近つ飛鳥博物館」の住所は南河内郡河南町になってるんやけど、ここって太子町とちゃうのん?って思ってんね。 そんな風に思ってはる人もいてると思うので、最後にそのへんの事情が分かる地図を載せておくね↓ ↑地図の赤線の内側の薄ピンクの部分が「太子町」それ以外が「河南町」。 だから、車で来ると、ずーっと太子町で、駐車場も太子町で建物だけが河南町になってるみたいやね(^^;
2015年04月06日
コメント(0)

「花の文化園」の駐車場で、姉貴が「どっか、お宮さんお詣りしよか」 って言うから、カーナビで物色して羽曳野市の誉田八幡宮にお詣りしに行くことにした。 で、外環(国道170号線)を河内長野から羽曳野へ向けて北上した。 でね、その時僕は二車線ある外環の左車線を走ってたんやけど、ある交差点の案内標識に「近つ飛鳥博物館⇒(右折)」という字が目に飛び込んできたんよ!「近つ飛鳥博物館」って、何か聞いたことがあるし行きたい!って思った。 ほんで、もう0コンマ何秒かの判断で、その交差点を左折した。「近つ飛鳥博物館」の案内標識は右折だったんだけど、左車線を走ってたから、とりあえず左折してからUターンしようと思ったんよ。 ところがね、この左折した先の風景が、「ありゃりゃりゃりゃ?」ってなもんやったんよ!↓ ↑の写真は曲がって50メートルほどの所の駐車場に入れてから撮ったものやけど、でも、ほんま交差点を曲がってすぐに鳥居が見えたんやもん! あとで分かったんやけど、交差点名は「宮前」やった。 神社の名前は「美具久留御魂神社(みぐくるみたまじんじゃ)」 読みにくい不思議な名前でしょ。 僕は、特に「久留」の部分に引っかかったんやけど、最初は、まだあんまり何も思いつかへんかった。 由緒書きを読むと式内社だし当国二宮ってんだから、由緒正しい凄い神社やんか!↓ 薄くなってしまって見えにくいんやけど、神社案内図を見るとうしろの山を含んだ社域の広大な神社だと分かる↓ ↑摂社も10社以上あるみたいやし! 下拝殿と上拝殿があるようだし、ここ全部お詣りしたら、すごく時間がかかりそうや。 まだ早い時間やったのに社務所はもうしめてて御朱印もいただけないし、また今度はもっと早い時間に訪れようと、この日は下拝殿でだけお詣りすることにした。 で、お詣りを済ませて帰ろうと後ろを振り向いてびっくりした!↓ ↑正面に二上山が見えるやんか!(@_@) この時「久留」の字と「二上山」で、もしやと思った事があったんやけど、家に帰って調べて行くと、面白い事が分かった。 まず「久留」の字で思い出したのが淡路島の「伊勢久留麻神社(いせくるまじんじゃ)」のことで、ここには4年ほど前にお詣りした事があるねんね。 四年前に撮った伊勢久留麻神社の写真↓ どうして伊勢久留麻神社にお詣りしたかというと、伊勢久留麻神社が太陽の道の上にあったからなんよ。 で、「二上山」もまた太陽の道の上なんよ。 太陽の道というのは、北緯35度42分北緯34度32分上の伊勢湾の神島から淡路島まで繋ぐ東西の線で、この線上に古代において重要であった施設が沢山存在してるって不思議な事実なんよね。 で、まず美具久留御魂神社の緯度を調べた。 北緯34度31分05秒だった。 誤差がたったの55秒やった。 誤差55秒というのを距離にすると 4万キロ÷360÷60÷60×55=1.69キロ 僕は外環を南から北に走ってたわけやから、太陽の道に直交して走ってたんよね。 しやから時速60キロで走ってたとすると1.69キロを走るのに要する時間は 1.69÷60×60=1.69分 だから、この誤差の距離なんか1分40秒ぐらいで通り過ぎてまう勢いで走ってたんよね。 そんな風に考えたら、僕を太陽の道に留めたパワーって凄いと思わへん?「美具久留御魂」の「留」には、そんな人を留める力もあるんとちゃうかとアホな考えも浮かんだ(^^ゞ でね、次に淡路島の「伊勢久留麻神社」を調べたら、オモロイ事が分かって来た。 「伊勢久留麻神社」の氏子の方がおっしゃってた凄い事を見つけたので転載するね♪↓史書に崇神天皇が荒ぶる出雲大神を鎮祭するために創始したと伝わる最古級の大己貴命、須世理比売命他を祀る「美具久留御魂神社」。社名の通り、久留麻神社/久留真神社の総元宮と思われますぶっちゃけ、出雲大社は創建は意外に新しく、西暦713年に創建したと日本書紀は紙面の片隅でゲロしていますから、美具久留御魂神社は最古の出雲大神を鎮祭したと言われる大社。「美具久留御魂神社」が久留麻神社/久留真神社の総元宮だと『思われる』という言葉を使ってはるけど言ってはる! 伊勢久留麻神社は、三重県の久留真神社を勧請したわけやねんね。 しやから美具久留御魂神社も同じかと思ったら、美具久留御魂神社のほうが古いって言ってはるんやから凄い。『最古の出雲大神を鎮祭したと言われる大社』だって!そりゃぁ太陽の道の上にあるのんも頷けるな(^_-)-☆ そんなんで、次回は早い時間に美具久留御魂神社にお詣りして、裏の山も登り全部お詣りして御朱印もいただいてこようと思う。 それと、結局行けなかった誉田八幡宮だけど、今回の事はきっと誉田八幡様が僕を美具久留御魂神社に導いてくれたんに違いないし、お礼もかねて誉田八幡宮にお詣りしやなあかんって思った。
2015年04月05日
コメント(3)

再會、大石神社 、毘沙門堂 の三カ所を回った京都は曇りと小雨だったんやけど、翌日の4月2日はめっちゃ晴れた(^^♪ で、河内長野の「花の文化園」という植物園に行った。 花のことを僕は全然知らなくて、知ってる花はせいぜい20~30種類しかないと思う。 まぁ、完全な花オンチやね(^^ゞ しやから、どんな花を見ても「綺麗やね」って思うだけやねんけど「なんじゃこりゃぁ!」って思う花を見かけたので写真を撮った↓ これ「時計草」って言うねんて! こいつには食いついたなぁ! どれが花びらで、どれがガクなんかもよう分からへんけど、めしべとおしべは、きっとここに写ってると思う↓ 桜は満開やった! ドーン!↓ ドーン!!↓ ドーン!!!↓ それと、もう一つ食いついた花がこの「オキナグサ」↓ ↑これ、なかなかファンキーな花やと思わへん?(^_-)-☆ 花の文化園駐車場のラングレー↓ やっと、太陽を浴びてる姿を写せた♪ 右の遠くにPL平和の塔が見えてる。 やっぱ南河内に来ると、一番のランドマークの平和の塔は気にするよね(^_-)-☆
2015年04月05日
コメント(0)

昨日の記事に書いた大石神社は京都の山科区の南の方にあるんやけど、そこから山科区の北の端にある毘沙門堂に行った。 姉貴が急に毘沙門堂に行きたいって言いだして、ややこしいところやったら嫌やなぁ…、なんて思った。 でぇ、再會のウェイトレスさんに毘沙門堂の事を尋ねると、細い道を山に入らなければならないけど車だったらすぐだって教えてくれたので行くことにした。 山科の山に入るってのも興味があったしね。 昔、ごっつぅ好きだった宮本輝さんの『錦繍』って小説の印象的なシーンに山科の料亭が出てくるんよ。 その料亭の庭の向こうの階段を登ると展望が広がる祠があって、そこで亜紀(主人公)が父親に重要な事を告げるシーンがある。 そこから見える紅葉のことが描写されてて、そのすごい描写が、そのシーンの気分と相まって印象深くて、もしも見れるなら見てみたいと思ってたんよ。 今は春だけど、秋の紅葉をイメージして、その料亭がどのあたりなのかなんてことを思いながら行くのも良いと思った。 京都外環状線を北上すると、JR山科駅に突き当り、そのあと細い道をさらに北上すると毘沙門堂に突き当たった。 突き当りに急な階段があって、その上が毘沙門堂で、こんなん登るのん大変や!って思ったけど左に回り込むと、毘沙門堂と同じ高さまで車で登れて毘沙門堂の西側入り口の前に駐車することが出来た。 ↓西側入り口から境内に入るといきなり大きな枝垂桜が出迎えてくれた。 ↓ねじりスティックパンみたいな桜の木があった(@_@) ↓たまにはアップも撮ってみた。 左にボケてるのが毘沙門堂の本堂。 ↓毘沙門堂の説明文に、 「春の枝垂桜と秋の紅葉が美しい」と書いてあった。 やっぱり「錦繍」に出て来た料亭はこのあたりなのかもしれない。 ↓本堂をサイドから。 ↓正面の急階段を上がった所の山門から本堂を見る。 ↓駐車場のラングレー。 写真の上に見える山の向こうは滋賀県の大津、 そして琵琶湖があるはず。
2015年04月04日
コメント(2)

昨日の記事 に書いた再會からは3分ほどで大石神社に着いた。 昭和の初めに創建された神社で、大石内蔵助良雄を祀ってる神社なんだって! 参道の桜が満開で桜のトンネルになってた↓ 手水の前にも良い具合に桜が咲いてた↓ ちょうど前日の3月31日の晩にやってた浜ちゃんの『芸能人格付けチェック』で「手水の作法」をやっててんね。 作法もくそも、哀川翔さんや梅宮辰夫さんは手水に気づかずにスルーしてもたやんか(^^ゞ あれは、あかんよね! で、その番組で正しい作法を教えてくれた。「柄杓1杯の水で5つを清める」なんだって。 左手、右手、口、左手、柄杓の柄ってのは知ってたけど、「1回5分の1」ってのを僕は知らなくて、今までは何度も汲んでたんよ(>_
2015年04月03日
コメント(0)

ちょっと面白かった姉貴と二人で行った花見の事を書くね♪ 4月の1日に花見に行こうみたいな事を言ってたんやけど、 3月31日のこと、姉貴からメールが来た↓『(前略))明日は山科の再会というカフェにいきたいの=(中略)すぐ近くに大石神社だよ=』 えっ?『再会』って僕が何十年か前に度々行ってたお店ちゃうのん? なんて思ってググったら、確かに僕がよく行ってた『再會』の近くに大石神社があるし、間違いないやんか!! あの山科のお店、今でもあるんや!ってびっくりしてもた!(@_@) でぇ、『そのお店、僕、昔何度も行ったことがる…』 なんて返信を書き始めたんやけど、フッと思いついて書き変えた↓『了解=オールOKやよ=』 ってだけ返信した(^J^) ふふふふ(^^♪ 姉貴にしたら、良い店見つけたってもんで僕を連れて行ったろう、なんて思ったんやろね。 しかもすぐ近所の大石神社は枝垂桜が有名みたいやし、神社好きの僕を懐柔するためのエサとしても申し分ない良いプランやと思ったんや(^^ゞ ここは何も知らないことにしたままお店に行ってやろうって思ったわけよ(^_-) 再會は好きな店やったし、まだあるのなら是非行きたいと思ったし楽しみやったけど、姉貴をだますのんが楽しみやったなぁ(^^ゞ まぁ、一種のどっきりやね(^_-)-☆ で、花見の季節やしお昼の12時ぐらい着になりそうやったから、満席やったらせっかくのどっきりが失敗するから予約の電話を入れておいた。 「明日4月1日お昼の12時頃、入って左側の暖炉のある部屋で2名予約お願いします」 そうなんよ! ここね、大きな暖炉があって、昔に行ってたときに、ここの暖炉にいつも火が入ってて、店員さんが暖炉の火の世話をしてるのを興味深く見てたんよ! 鞴(ふいご)とかの暖炉道具が素敵で、ここにあった道具を参考にして山荘の薪ストーブの道具を買ったりしたこともあったんよ! ところがね、もう暖かくなってるから暖炉にもう火は入れてないと、電話予約のときに言われたのんは残念やったけど、あの懐かしい暖炉を見れるだけでも嬉しかった。 ↑これが、その暖炉! 暖炉の前に置いてあるのが鞴(ふいご)。 こんな鞴が欲しかったんやけど、こんな本格的なのは、めちゃくちゃ高くて結局安物を買ったんやけど、それでも鞴の威力は凄くて団扇や火吹き棒よりもずっと強力やった! 僕らは暖炉のすぐ前の席に案内された。 でぇ、席について、僕がおもむろに、「良いやろ!ここの暖炉♪山荘に僕が持ち込んだ鞴は、ほら、そこの暖炉の前に置いてある鞴を見て、どうしても欲しくなって買ってんで」 なんて事を切りだした。 姉貴は、意味が分からず、何やらきょとんとしてた。 それから、じっくりと、この再會という店は、何十年も前やけど好きで度々来てた事をばらしたった(^^♪ 姉貴は、めっちゃ驚いてくれたわ(^^♪ だってさぁ、京都の山科といえば大阪から遠いし、東山のどてっぱらにトンネルを掘って、阪神高速京都線が山科南部まで通じるまでは、再會なんか、めっちゃ行きにくいとこやったもん(^_-)-☆ まさか、そんな所に僕の十八番のお店があるやなんて想像もつかへんかったに決まってるもん! でも、その後、姉貴も知ってる僕の友人を何人も再會に連れて来たことがある事を知ると悔しそうやったけど、弟の十八番のお店を姉貴にすべて伝えるわけもないし、しゃぁないやんなぁ(^^ゞ ↓お店全景。 ↓横から見ると屋根の左側に暖炉の四角い煙突が見える。 それと、赤いポンコツ車・ラングレーも入れてみてん(^^ゞ あっ、僕、食べ物を写真に撮るのって、何故かほとんどなくて撮ってないんやけど、この日の日替わりランチ「チキン南蛮」を大変おいしくいただきました♪ で、その次に花見を兼ねてお詣りした大石神社のことは、もしかしたらまた書くかもね(^_-)-☆
2015年04月02日
コメント(4)
全14件 (14件中 1-14件目)
1
![]()
![]()
