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2月1日は日曜日。とあるコンサートが予定されていたので、休みの希望を出しておいたから、実質2日の月曜日からいよいよ独り立ち?言う人は良いよなぁ。でも、実際にそんな状態でよく任せられるものだと思う。ずうっとやって来られた人は、一体、どれくらいの研修期間を経て本番となられたのか、聞いてみたいものだ。 淡路島へ戻って既に25年。ずうっと現場を離れていたから、当然、帳票類までもが新しくなっているし、制度そのものも新しくなっていたりする。そして、何もかもが端末への入力。手書きの領収書さえ出せない。だから、当然時間が掛かる。チンタラチンタラ、やっているつもりはないけれど、お客さまにしてみれば、当然「何やってる!」ってことになりそうな。4連式の伝票に、一個一個日付印を押していたら、「そんなんしてたら日ぃ暮れる!」と叱られた大阪時代。その後“日暮れのおっちゃん”なんて呼んでいたけれど、手続きに時間がかかり過ぎるのはやはり問題だよなぁ。どうして手書きの領収書じゃいけないかなぁ。って、結局機械に使われていることになるんだよな。大丈夫かいな、ほんまに。お客さまのご用って、多種多様なのに。暫くは全ての人に迷惑かけそうだけど、これが私の限界。何もかも、変わり過ぎ!
2009.01.31
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以前、派遣労働者の解雇問題で大騒ぎになったとき、お友達のあどらむさんが年末に述べていらっしゃった、介護に携わる人が不足しているという問題。実際に、町を挙げて取り組んでおられるということで、地元紙『正平調』で紹介されていましたので、そのまま引用させていただきます。 『吉賀(よしか)町は島根県の山あいにある人口7千人の小さな町だ。この町が、不況で離職した人たちを対象に、「福祉留学生」を募集している◆町内の専門学校で学び、介護福祉士の資格取得を目指す人を支援する。学費などは町がいったん貸し付けるが、資格を取った後、地元で一定期間働けば免除する。その説明会が東京に続いて、2月12日に大阪で開催される◆東京都も3月から、ホームヘルパー2級の受講料全額補助などを始める。昨日の厚生労働省の発表では、今春までに、12万4千人を超す非正規労働者が職を失う見込みだ。ただ兵庫労働局の資料では、医療や福祉の新規求人はプラスに転じた。必要な資格さえあれば仕事はある◆バングラデシュの貧困削減に尽力し、ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌスさんは、人への融資は職業訓練よりも有効だと説く。すべての人に企業家の能力があり、融資によって創造性のスイッチが入るそうだ◆彼がつくったグラミン銀行は、無担保の小口融資によって女性の自立を支えた。特定の社会的目標のための融資。彼はこれをソーシャル・ビジネスと呼ぶ。吉賀町の場合も、背景に過疎などの事情はあるが、人の自立のための融資といえる◆「実現するかどうか分かりませんが」と前置きして、別の山あいの町の担当者が言った。「支給された定額給付金を集め、福祉や雇用に役立てる案も出てます」。問題の定額給付金を消費に使うだけでなく、人への融資に役立てる。地域の目線に立てば、発想がずっと柔軟になる。』 どうなるのか、定額給付金。一軒一軒を数えようとするから頭が痛い。地域で。ということにならないのかなぁ。何もかもを自治体任せにするのであれば、こんな方法もあって良いのじゃないかなぁ。地域内限定で。ということなら、結局、私が思う通りに使えるわけでもなさそうだし。『生活支援』だからって、使い方まで限定されるわけではないだろうし、経費節減の意味でも、こんな方法なら地域のためにも役立つのじゃないかな。まとまれば結構大きな金額になるよねぇ。
2009.01.31
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「楽しい方の」グループの練習は毎週金曜日。新しく、「宇宙戦艦ヤマト」と「三都物語」が加わり、それなりに楽しい練習に。そして、何と、ずうっとしまい込んだ状態だった、「カントリー・ロード」。担当のパートはアルト。なもので、メロディラインとは縁遠くなってしまう。入っていても、ほんの一瞬。それでも、この「カントリー・ロード」は、骨が折れるから主旋律になると、ホッとする。 翌朝の仕事の関係もあって、早引けさせてばかりいて、今夜は本腰を入れて練習した感じ。それでも、指導の先生から、「綺麗にハモってる♪」なんて嬉しいお言葉を戴くと、やっと峠が見えてきた感じ。何度も何度も繰り返して練習するしかないのかな。一人、二人が歌えても、全員が仕上がっていなければ、意味がないし、変なところで飛び出してもいけないし。たてのラインだって揃っていなきゃおかしいし。と、決して油断はできないけど、今日の練習で、皆さん、少しだけ安堵に近いものがあったのじゃないかなぁ。表情とかつけていくのはこれからだけど、音取りに苦労した分、仕上がったらウットリするんだろうな。正直、風邪のことも心配だったし、雨降りだったし、いつもの練習会場は車が一杯だったし、半分サボりたい気になったけど、何とか最後まで練習に参加できた。 実は、「宇宙戦艦ヤマト」「三都物語」は共に阿久悠さんが作詞され、それぞれ、宮川泰氏、谷村新司氏が曲をつけたもの。それを、ずうっと指導してくださっていた、今は亡き能本欣一郎先生が混声四部用にアレンジしてくださったようだ。能本先生直筆の楽譜が残っていることに驚く。そしてまた、パソコンで少し読みやすくしてくださったメンバー。 その分。。。研修の反省など全く手付かず。日々、新しいことが増えて行く。家で復習しようとは思うけど、実践あるのみ。みたいな感じで、まだまだ完璧に。とは行かない。課長は「大丈夫?」なんて気安く声をかけてくれるけど、そんなもん、やってみなきゃわかるかいな。何もかも、なんて無理!初等部前期訓練でさえ2週間だったのに。ま、実践あるのみ。
2009.01.30
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地元紙の淡路版に紹介されていた、山林芳則投手。母校は姫路市にある日生学園第三高校とのことで、『山林選手洲本出身後輩に語る』という記事をそのまま引用させていただきます。 『洲本市由良出身で、米大リーグ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ日生学園第三高校(姫路市夢前町)の山林(やまりん)芳則投手が29日、同校で3年生が後輩に思いを託す伝達式に臨んだ。卒業式を除けば、この日が最後。山林君は野球部の後輩に「後悔のないよう、全力で野球に取り組んで」と呼びかけた。同校でプロ契約を結んだのは初めて。 小学3年生で野球を始め、由良中学を卒業して全寮制の同校に入学した。186センチ、85キロの体から最速147キロの直球を繰り出す。 プロ以外の道は考えていなかったという。ドラフト会議で指名されなかったときは「野球を辞めよう」とさえ思ったが、バッテリーを組む上田龍太捕手に励まされた。 6月から、オーストラリアにある大リーグの野球学校で、同じようにマイナー契約を結んだ選手らと学ぶ。「世界のレベルで自分がどれだけ通用するか試せる。いつかは松井選手やイチロー選手に直球で勝負したい」。希望を胸に海を渡る。 (土井秀人)』 高校生の肩がどこまで通用するのか。なんて想像もつかないけれど、頑張る。と決心されたのだから、努力を重ねて欲しい。 海を渡る。という経験は、中学卒業と同時に経験しておられるのだから、そんじょそこらの人とは根性が違うと思う。まぁ、確かに海の規模は違うし、言葉の壁だってあるだろう。目標があるならば、やがてはメジャーへ。そして、念願をかなえて欲しい。
2009.01.30
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取り扱いの何もかもが入力作業とセットになっている昨今、兎に角、使い方を自分の物にしてしまわなければ始まらない。サービス業だから、笑顔は絶やせない!とわかってはいても、つい、モタモタしてしまって、顔は引きつっているんだろうなぁ。胸には初心者マークと研修中の文字。こんなんで2月から独り立ちできるのかなぁ。ちょっと考えが甘かったかなぁ。何もかもが入力なんだもんなぁ。「ID」だの「パスワード」だの言われてもねぇ、端末によってみんな違うんだもの。頭はもう、完全にパニック!! 明日も、明後日も無事に終えたら、いよいよ本番!一体、どういうことになりますやら。
2009.01.29
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画像はありませんが、先日、高い位置にロウバイを見つけて、驚いていたら、一緒になってすっかり膨らんだ紅梅の蕾を発見。ロウバイの黄色、そして、鮮やかな紅梅。天高く。という感じに咲いてくれているので小鳥たちは大喜びだけど、携帯画像を。というわけにはいかない私。ちょっと悔しい。でも、見上げる空は真っ青で、綺麗に映えている。なので、小鳥たちの囀りまでもが、本当に嬉しげに聞こえる。もうすぐ鮮やかな色のモクレンが開きそうだし、別のお宅の庭先ではオンシジウムがまだまだ綺麗だし。これが私の通勤経路。 果たして、このまま暖かくなるのかどうか、それにしても早朝と昼間の温度差には驚くばかり。坂道を上ると汗ばむくらいなんだもの。それだけ陽射しがきついのかなぁ。紫外線もかなりきつい気がする。ただ、こんな日の海は最高に綺麗はず。朝8時からのシフトよりも、更に30分も早く帰宅できると、こんな良い面もあるんだ♪と、海が見られる景色のところまで車を走らせる元気は無かったけど。
2009.01.28
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気の合う者同士が集まってダイニングテーブルを囲む。思い思いにお弁当を広げてのランチタイム♪私には二度目のお正月を過ごした職場でも、まだまだ知らない人だらけ。なので、知った顔を見つけるとホッとする。 話に花を咲かせながらのランチタイム。手作りのお弁当あり、コンビニ弁当をチンしている人、カップラーメンにお湯を注いで。ということもできることになっている。 食堂といっても、自分が持ち込んだのを食べるのみ。作ったのが店頭に並んでいる。なんてことはなく、ただ、自販機では紙コップ使用で50円で温かいコーヒーが飲めることになっているし、ペットボトルやら、缶入り飲料なども少し安く購入できる。何故か、食堂の隅っこに喫煙室があって、結構利用している人がいらっしゃるのに驚く。 お天気が良いと前面北に向いた窓から降り注ぐ光で暖房は要らないくらい。そして明るい。テレビのチャンネルは、何故か一番最初に点けた人に権限があるようで、正直、国営放送になっていると、有り難い私。 朝からの研修第一日目。12時半からお昼休みということだったのに、13時に近い時間になってしまった。それでも午後は13時半から。いつもの部署なら、入った時間からきっちり取れるのになぁ。交代の人が13時半に入るのだから仕方無いかな。さて、明日は段取り良くやらないと、お昼を食べ損なうことになりそうな。
2009.01.27
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先日の給油中には気がつかなかったウォッシャー液。翌日には空から状態。いつも夫任せだったから、補給するのは初めて。恐々運転席のハンドルの下の方に付いているあのレバーを引っ張って。。。どうやったら開くのかさえもわからず、苦労して引っかかっている部分を外すレバーを発見。そのとき既に指先は真っ黒け。そんなぁ。ボンネットを開けると、つっかい棒は直ぐに分かった。以前乗っていた車よりは扱い易い♪そしてウォッシャー液を入れる部分も直ぐに判明。それにしてもまぁ、真っ黒けなのには驚いた。2月だったかに車検を受けることになってはいるけれど、確か、年末にエンジンルームも点検して貰った筈なのになぁ。オイルエレメントだって交換したし、エンジンオイルだって。点検てば、あくまでもその部分のみ。しか触らないのかなぁ。そんなぁ。 と、一体何年乗っていることになるのか、自分自身でエンジンルームを覗いたのはこれが初めてという私はとんでもない粗悪なドライバー。 ウォッシャー液の予備も倉庫では発見できなかったので、仕方なく水道水を補給。こんなので、大丈夫なのかなぁ。以前、配食サービスの仕事をしていたとき、配達で使う車に、台所用の洗剤をかなり薄めにして入れたことがある。でも、これは本当にかなり薄めにしないと、とんでもないことになってしまう。あれからどうなったのかなぁ。中性洗剤が一番良いのだとは思うけど、あれで車が駄目になるということは無いにしても、ウォッシャー液としては失敗だったみたい、今更ながらにごめんなさい。それにしても、市販の物が無かったら、何をどういう風に使えば良いのだろう。とりあえず、水道水? 今朝、夫に聞くのを忘れたばっかりに。。。でも、水道水もなぁ、純水じゃないからなぁ、機器を傷めるなんてことが無ければ良いけれど。って、抜くに抜けないんだよなぁ。半分だけにしとけば良かったのかなぁ。(もう、遅いわ!)
2009.01.26
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3月8日に行われる「淡路合唱祭」の出演団体確認と、出演順序決定のための会議。参加者は半数。団体は確か18~19だった筈なのに。無駄にするわけには行かないので、出演順序を決めることに。ただ、幾つかの団体に重複して参加していらっしゃる人も居るわけで、順番がくっつかないようにしなければならない。実は私もその一人になるけど、何とか穏便に解決。 こういう会議には決まって出席しない人がいらっしゃる。そして、文面で文句を述べられる。ならば、一体何の為の会議なんだか。例えば開催時期について。少年少女合唱団の場合、学校行事とのブッキングなどがあると合唱団活動は二の次三の次にされてしまう。結果、本番のステージに上がれるのは半数。なんてことに成りかねない。 でも、100%の人に都合の良い日。なんてあり得ない。主婦層にしても家業がある。お中元シーズンたけなわなら当然参加はできない。お寺の住職の奥さんの場合も然り。なので、今更、何故「合唱祭」を3月に、「音楽祭」を8月にしたの?なんて言っている場合ではない。一時、ずうっと日曜日に開催していたのを、土曜日に変更したら、「土曜日は仕事で無理」なんて声が挙がった。そしてまた開催を日曜日に戻し、「合唱祭」と「音楽祭」も大体、3月と8月の開催で落ち着いた。それぞれの団体の意見を尊重することはとても大事ではあるけれど、どこかで切らなければ開催できない。何かの事情で参加できないならば、次年度に。という目標で頑張るしかない。 現に、「地元の方の」グループでは、3月の予定が立たないからと練習を欠席していらっしゃる人が。それぞれに事情というものがあって、本業をおろそかにすることなどできないのだから、歌えるときは楽しんで。とするしか仕方が無い。 また、ポスターの出演団体紹介部分。出演順にしてしまうと、聴きたい人はお目当てのグループが出演するじかんだけ。みたいなことになってしまう。なのでここは順当に50音順で。と表示しようということに決定。 正直、私もすっかり飛んでいた。大慌てで、休暇の希望を入れてしまった1月18日以降の予定。しょっぱなの18日から休みで、翌週。そして翌々週も。土曜・日曜も関係無しの仕事なので、日曜日に休みたい。と申し出るのは本当に気の毒だけど、用事があるなら仕方が無い。ましてやイベントとなると、日曜日の開催はいたし方が無く、2月15日以降、3月1日、8日と連続で休まなければならない。職場の人には申し訳ないけど、ごめんなさい。
2009.01.25
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午後7時までのシフトを終えて、帰りに給油する予定だった。寒いとはいえ、走行中でも暖房するのは余り好きではないので、ガソリンスタンドで給油を終え、出発しようとしたら、フロントガラスが凍り付いている。これでは危なくてとても運転はできない。水をかけても良いかどうかサービスの人に尋ねると、「そんなことしたら余計凍りつく!」と仰る。もう一度エンジンをかけて、デフにしてヒーターを。数分でものの見事に復活。でも、その間ずうっと2~3人がかりで一生懸命に拭いてくださった。手など、カチンカチンに凍りつきそうなのに、危ないからということで続けてくださった作業。確かに、給油中に窓拭き用のスプレーをかけてはいたようだったけど、こんなに凍りつくとは思わなかった。 国道を西へ向けて走ると、一箇所だけ温度表示があって、何とマイナス1度。真っ赤な文字で走行注意!なんて出てる。真夏でも30度に近い数値だと、この『走行注意!』という表示を見た気がする。 走っている間はいいけど、明日の朝には一体どういうことになっているんだろう。寒いときにはやはりヒーターも車のためには必要なんだなぁ、と。
2009.01.24
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風はそうでもなかったのに、今朝になって見ると、殆ど倒れそうなくらいに傾いている。伸び過ぎるとやはり風には弱い。群生しているわけじゃないから、尚更風の影響を受けやすいと思う。 伸び過ぎるとか、適度に育つとか、どうやったら調整できるのかなんて私は知らない。自然のままに。だったものだから、育つ場所によって随分差があるとは感じていたけど、ここまで傾いてしまうと、後はもう折れてしまいそうな。 以前にも冬の嵐のために、水仙郷の水仙が殆ど駄目になってしまい、訪れた人には地区の人が自宅で育てられた水仙を手渡していたと聞いたことがある。雨よけとか、風よけ対策をしない、自然の群生地だからこそ、風や雨の影響を受けやすい。 今年は見事に咲き揃ったようで、風や雨のたびに、そちらが心配になってしまう。ほぼ南斜面になるので、北西の季節風の影響は受け難いけれど、南からの風はどうしても防ぎきれない。シーズンを通してずっと穏やかな日が続くことを願うばかり。
2009.01.23
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「コレステロールを下げるクスリを朝飲ませる意味がわからん」。確かに夜に飲む方が効果的だと信じて疑わなかったから、病院へ問い合わせてみた。時刻は夜の9時を回っていた。看護師さんは「ただ単に他のクスリに(飲む時間を)合わせたのだと思います」と仰る。そんなんで良いのかなぁ? 少し体重を減らすことで血圧を下げたり、コレステロールを少なくすることができること。間違いなく薬が必要な値なのか、自分の努力次第でクスリなど必要としなくできるものなのか。身体なんてその人、その人によって全部違う。機械とは違うのだから、クスリだって合う、合わないがあると思う。 職場の健康診断がきっかけで通い始めた病院。クスリの効果は全く現れない。なので、検査に次ぐ検査の繰り返し。費用はこちら持ちなのに。医者もプロだから、無駄な検査などしないと思う。ところが私の場合は初診者。問診票など全く目にしないのか、重複した質問を何度も。聴診器一つ当てるでなく、血液、尿検査のデータとにらめっこするのみ。 飲む必要の無いクスリなら、飲みたくなんかない。お金だってバカにならないのだから。ましてや、検査なんて本当にする必要があるの?ということになる。CTとエコーだって。エコーは腹部だと思うけど、絶食で。ということだから、やはり腹部なんでしょうねぇ。 歯医者さんも、初診のときはレントゲン撮影があり、結果によって治療が始まる。痛い原因を探るためのレントゲンだと思えば、これは許せる。 血液と、尿の検査で身体の殆どのことがわかるのなら、どうして内部のことまで探ろうとするのかなぁ。無駄な検査ならしたくない。無駄なお金も使いたくはない。
2009.01.22
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NHKのテレビ小説『だんだん』も、いよいよ佳境に。双子の女の子の人生を扱ったドラマ。別々に生きてきた二人がふとしたことで出会って、歌手デビュー。でも、二人の思いは少しずつずれて行っているような。本当に歌いたい歌。というものが見え始めたとき、大きな決断のときでもあると思うけど、さてどうなりますことやら。 同じ歌でも、やはり人の心に響いたり、癒やされたり。というのがあって、それは勿論一人ひとり、みんな違うと思う。でも、安田陽代さんが歌うと、こんなにも素敵になってしまうんだ!と感動の一言。言葉を大切にされるのは勿論のこと、音域がメゾソプラノということで本当に染み入るように伝わってくるものがある。 CDをくださったのは、素敵な女将さんで、時折コンサートを開いていらっしゃる。以前にも私の誕生日にと、プレゼントしてくださった。今回は、オリジナルということと、『悲しい時は泣いてもいいんだよ』というタイトルに惹かれて。本当に申し訳なく思いつつ、家から一宮文化会館までの往復の間、ずうっと楽しませていただいた。車に載せたままなので、これからはどこへ行くのも一緒♪本当に有難うございました! 夕方になって、本格的に降り始めた雨。CDのお陰で、雨など気にせずに運転できました。
2009.01.21
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果たしてスズメには囀りという言葉が適当なのかどうかはわからないけど、電線にスズメが2羽。それはそれは楽しそうにお喋りしていらっしゃる。私も参加して、口でチュンチュンとやってみたけど、そんなのは勿論無視。用事を済ませて倉庫から出てくると、あれ?いつのまにか4羽になってて、それはそれは賑やかに男声合唱団よろしく歌っていらっしゃる。しかも、私が最初見たときと比べると、2~3m南側へ移動している。一体どういうわけなんだか。つがいなのかどうか、例えば2羽が一緒にいると何ともほほ笑ましい。そういえば先日も鳩が2羽庭を散歩していたなぁ、猫の恋ならず、小鳥たちにも恋の季節なのかなぁ、羨ましいなぁ。ま、猫大好きな私も、あの「猫の恋」を思わせる声にはちょっと驚くことがあり、小鳥なら囀りで済むものを。 鳥たちの言葉が分かったら楽しいだろうなぁ。カラスなんて、どちらが迷惑なのかわからないけど、生きて行くために餌をついばむ。それがたまたま人間たちが捨てた生ごみだっただけ。でも、そんなことしないで。ってカラスの大将に頼むことはできないものかなぁ。
2009.01.20
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今日付け地元紙のくらし欄で見つけたこのタイトル。そのまま引用させていただきます。 『頻繁に耳掃除をする人には外耳道炎や外耳道湿疹にかかる人が多い。東京厚生年金病院耳鼻咽喉科の石井正則部長は、こうした炎症や湿疹を毎日のように診ており、「耳かきは1センチ以上入れないようにし、耳あかは優しく取り出して」と助言する。 外耳道に炎症や湿疹が生じると痛みや出血、耳垂れ、強いかゆみなどの症状が表れる。間違った耳掃除が原因のことがあり、その根底には耳あかに対する誤解がある。 「あかという言葉のイメージは悪いのですが、耳あかには虫の侵入を防ぎ、殺菌作用、湿度を保つ働きがあります。ところが清潔好きと耳掃除の快感から、毎日のように耳あかを取り、外耳道を刺激して傷つけてしまう人が多いのです」 さらに、掃除をする場所を間違え、耳かきを入れ過ぎるのも見逃せない要因だ。耳あかの元になる物質を分泌する耳垢腺は、耳の入り口から1センチ以内にある。また、耳垢腺のすぐ奥の皮膚は極めて薄く傷つきやすい。 石井部長は、外耳道を傷つけないで耳掃除をするには次の点に注意するように勧めている。 1、耳かきの咲きから1センチのところに輪ゴムを巻いて、それ以上は耳に入れないようにする。実際綿棒の綿の部分の長さは1センチになっている。 2、耳かきはらせん状、もしくは弧を描くように使い、優しく耳あかを外に引き出す。特に金属製の耳かきを用いるときは注意した方がよい。 石井部長は、「耳掃除は1~2週間に1回程度にしてほしい」と話している。』 耳を傷つけることで、それがそのまま難聴になるとは思えないけれど、大事な機能を担っている耳だからこそ大事にして欲しい。清潔好きが講じて。ということは他にも言えそうだけど、1センチ以内に留めておくことを忘れないでおきたい。まぁ、1週間と2週間では7日間も差があることになるけど、要は毎日触る必要はない。ということかな。それにしても、耳あかそのものに殺菌作用があるなんて知らなかったなぁ。
2009.01.19
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灘・黒岩水仙郷とまではいかないにしても、我が家の庭でも、一番最後と思われる水仙が見事に花をつけてくれた。丈もそんなに高くはないので風の影響も受け難いと思う。球根の固体そのものが違うから、成長の度合いに差があるのは当り前だと思う。それでもこんなに人が手を入れるよりも見事に高低差がつくのは見事としかいいようがない。 華道師範ともなると、確かに見た目は綺麗に見事に入れられるだろう。でも、この自然の美しさにはかなわないのじゃないかなぁ。いくらお手本があって、お手本通りに入れても、こうはいかないだろうなぁ。 自然が凄いと思うのは、やはりお日様の光を浴びたいというのがとてもよくわかること。同じ土だと思っても、ちょっとの日当たりの差で成長がまるで違う。当り前と言われればそれまでだけど。 同じ品種のはずなのに丈も随分違う。風の影響のことを考えると、本当はあまり伸びない方が良さそうな。蕾をたった一つ見つけて、いつ咲くのかと楽しみにしていたのに、いつの間にか次々と咲いてしまって、水仙には申し訳ないけれど、もう少し楽しませてくれそうな。大雪があったわけでもなく、水仙たちにとってはそれが幸いだったのかな。
2009.01.19
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「劇団四季」ということだけにウキウキしていて、正直、こんな仕掛けがあったことは全く知らずにいた。 『日本の未来を担う子どもたちの問題は、社会総がかりで取り組まなければなりません。このプロジェクトは、多くの企業や行政の方々のご協賛、ご協力を得て始まりました』の一文。 かつては淡路島にも旅回りの一座というような興行があって、全校生徒が講堂に集められて鑑賞する機会があったと思う。私が小学生のときだった。最近はどうなのかなぁ。 『感動』を分かち合う。というと大袈裟かもしれないけど、ある人は舞台のセットに、また、ある人は役者さんたちの衣装に感動するかも知れない。ミュージカルなのだから、実際に演劇活動していらっしゃるかたも観劇されたかも。 全国を渡り歩いている。というと変な言い方だけど、北は青森市から南は九州鹿児島市まで公演の地は広がっている。 『みんな、同じ命。同じぬくもり』とポスターに記されていたように、ゾウだから殺してしまうのじゃなく、ゾウも人間もみんな同じ命を持っているんだ。というようなことを扱っていた。 かつて戦時下にあって、動物園の動物たちが否応なしに殺された事実。私は、勝手にそんな時代のことを思ってしまっていたけれど、もっともっと昔の時代が舞台になっていた。戦国の世、やはり『戦い』ということが切っても切り離せない関係に。 家族同様に暮らしてきたゾウ。“2008年度こころの劇場”でまだまだ他の地を巡るかもしれないので、内容について触れることはできませんが、ただ珍しいとかでもいい。感動することが大切なんだよ。みたいな語りかけが私にはとても優しかったと思う。泣くまい。とは思いつつ、最後には涙してしまった私。生きているのだから、草も木もそしてゾウも人間も、みんな同じなんだ。だから、むやみに命を奪ってしまうなんてこと、とてもできるものではないということ。例え言葉は通じなくても、通じ合うものがあるということ。 “劇団四季”なのだから、舞台設営も小道具も超一流と期待して、それだけでも十分楽しめるのに、台詞や、ゾウの仕草にも工夫が凝らされていて、大人も子どもも一緒に泣き笑いできたし、ゾウのまぁリアルなこと。耳の動きなど、本物ソックリだから驚かされるばかり。 通勤途中で見つけたロウバイ。その横で紅梅と思われる蕾を発見。お互いに生きているからこんな発見ができるのだと思う。毎日毎日が新しい発見の連続。感動することも生きていく上ではとても大事なこと。さて、明日の新たな発見は。。。?と思うと何だかワクワクしてしまう。 後、どのくらい公演を重ねられるのか、最後までどうぞご無事で。と願わずにいられない。今日は、本当に有難うございました!
2009.01.18
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まるで離れてしまうわけではないけれど、暫く研修をして、2月からは独り立ち。ということになってしまった。今の部署を半分、新しい部署を半分。なので、新しい部署での勤務指定と、今の部署での勤務指定がかみ合わないことにはどうにもならない。 先日、一方的に新しい部署の勤務指定責任者から声をかけられ、慌てふためいてしまった。確かに、話は出ていたけれど、はて、いつから私の研修が始まるのか、どういう風にするのか。など全く知らされないまま18日、つまり今日以降2月14日までの勤務指定が出てしまった。いつもと変わらない感じ。そして、新しい部署勤務指定責任者からのお言葉と照らし合わせると、随分話が違う。 すったもんだの挙句、やっと両方の勤務指定が決まった。やれやれ。当面は朝からではなく、普通に午後1時からのシフトに入って、午後2時半から4時半までを研修に当てるとのこと。ならば初日の明日も朝早くから出勤の必要は無くなって私としてはヤレヤレ。 新しい部署では午前7時45分出勤を連続3日間。私にはこれが限界だと思う。配食サービスの仕事を、夕食用のお弁当から昼食用に変わり、身体がついていかないと辞表を出したのが、4ヵ月後。夏を越えたから体力的にもきつかったのかも知れない。でも、今の職場なら、勤務時間が3パターンあって、毎日が朝から。というのじゃないから頑張ってこられたのに。なんて書くと、毎日同じように朝早くから出勤されている人には笑われそうですが。 朝を思う存分のんびりできる仕事を5年間も続けていたらそりゃぁ、身体がなまりますって。と、これも自分自身の心がけ次第なのだとは思う。何とか新しい部署の仕事も覚えて、無事に独り立ちしなきゃ。えらいこっちゃなぁ。。。
2009.01.18
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高校を卒業して京都郵政研修所へ入り、そのまま大阪市内の特定郵便局へ配属され、当時のお給料日は17日と決まっていた。どうやら、この日が貯蓄の日ということでお給料日とされたのか、貯蓄の日と合わせてお給料日と定められたのか、今となってはわからない。民営化に伴い、大幅にずれ込んで、今は25日となってしまった。。。 そして、忘れてはならない、阪神・淡路大震災が起きた日でもある1月17日。 今日付け地元紙の『正平調』には、 『「会話が続かない」「1日ぐらいのボランティアで何ができるのか、と言われた」。丸い字、書き殴ったような字。何かしたいと被災地にやってきたが、最初は被災者とコミュニケーションをとることすらうまくいかない◆しばらく活動するうちに、気持ちが通い始める。「何時間も話を聞いた。地震だけでなく、戦争や仕事の話もありました」。1日動き回って、クタクタに疲れた体で反省会を開く。「挨拶が大事。お礼も大事」そう確認し合う。2月中旬のノートにこう書かれていた。「明日帰ります。ありがとうって言われて泣いてしまった。こちらこそ感謝です」◆日誌もノートも「生の記録」だ。生きているから、ぶつかった、支え合った。あの冬からもう14年になる。』 と記されていた。色んな形で被災者と関わったたくさんのボランティア。そして、テレビでは、息子さんを震災で亡くし、息子さんのお友達やその仲間たちをまるで息子さんのように見守ってくださる家族が紹介されていた。 家族を失った悲しみは癒えることがないにしても、そのことをきっかけに新たな絆が生まれ、その絆を大切にしようとする人たち。支え合ってこその人生なんだな。とつくづく感じさせられた一日だった。 今日付け地元紙の『正平調』では、震災被災者たちの避難所で綴られた日誌などについて述べられていた。でも、実際、「何かしたい」と駆けつけて、「一日ぐらいの。。。」という生の言葉を浴びせられた人も多く居ただろうと思う。やることは山ほどあっただろうに、実際に手をつけられることというと、限られてしまう。 避難所で生活する人たちの中にも、やがて「自分たちが使う場所だから」と、お手洗いを綺麗にしたり、使っている部分を綺麗にしたり。という行動が始まったというようなことが報じられていたと思う。極限に追い詰められた生活の中でも、人々はやはり人間性を取り戻して行く。というような、そんな記事だったと思う。 誰だって、決して一人でなんか生きてはいけない。そんなことを語りかけてくれたと思う。14年という歳月は決して長くはないかもしれないけれど、当時生まれた子がもう高校受験。そう思うと何だか。。。 改めて、犠牲となってしまわれた人のご冥福をお祈りします。そして、震災の被害者とならないための工夫を怠らないように。と願います。
2009.01.17
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『未来への警鐘』シリーズの5回目。今日付け地元紙では『住居の安全』について述べられている。そのまま引用させていただきます。 『壁紙をめくると、カビが生え、水分を含んで腐りきった部材が姿を現した。柱や筋交いにはシロアリが巣くい、基礎部分はすっかり無くなっていた。目を覆うばかりのありさまだったという。 兵庫県内で年間千件以上の住宅リフォームを手掛ける工務店「山弘」(宍粟市)が、昨年11月に手掛けた物件は、建築基準法が改正された1981年以降の「新耐震」と呼ばれる基準を適用した建物だった。しかし、長い時間を経て、耐震性は明らかに損なわれていた。同社の三渡真介事業部長は「手掛けるリフォーム物件の約3割は身耐震。しかし、その1割に当たる年間30~50件が、こうした物件だ」と明かす。 「建てたときに耐震基準をクリアしていても、20年も経過すれば耐震性が失われている住宅は多い。安全な住まいに必要なのは耐久性だ」 ■ 伝統的な木造住宅を売り物とする同社は、国土交通省が募集した「二百年住宅」をモデル事業に県内で唯一採択された。 二百年住宅は、世代を超えて住める住宅として政府が普及を目指す。昨年11月、長期優良住宅普及促進法が成立。耐震性を含めた耐久性と、間取り変更やメンテナンスが容易な構造などの要件を満たせば認定される。併せて、緊急経済対策の一環で、住宅ローン減税の上積みも打ち出された。 戦後の住宅政策は住宅難解消を目的とした大量供給が中心だった。しかし、阪神・淡路大震災を機に、耐震性など「住宅の質」がクローズアップされる。二百年住宅について、金子一義国交相は「“量から質へ”と住宅供給の大きな転換点となる」と強調。人口減少の本格化を控え、良質な中古住宅市場の形成も目指すという。 ただ、住宅瀬咲くを専門とする平山洋介神戸大大学院教授は「30年しか持たない日本の住宅寿命を延ばすことには意味があるが、今現在、本当に危ない家に住んでいる人には何の支援もない。阪神・淡路の教訓は耐震性のない家を無くすことだったはずだが」と疑問を投げかける。 ■ 住宅の耐震性強化をめぐっては、県が2007年3月、耐震改修促進計画を策定した。それによると、03年時点で、県内の住宅総数2百万戸に対し耐震化率は78%。旧耐震80万戸のうち45万戸を耐震性のない危険な住宅とみている。これを15年には6万5千戸に減らし、耐震化率97%にすると目標に掲げる。 今後、建て替えなどで自然に減ると想定する18万戸を除けば、10年間で21万戸を耐震補修しなければ達成できない。 県は旧耐震基準住宅の改修などに最大80万円を助成する補助制度を設けているが、その予算は年間2億円。計画個数は同4百戸にすぎない。耐震補修の目標戸数とは懸け離れた数字だ。 これについて、県の担当者は「制度は(耐震補修の数値目標達成を直接目指しているわけではなく)あくまでも住民の関心を高めるのが目的」と説明する。一方、工務店関係者は「数百万円払って、耐震化という目に見えない商品を買う人はいない」と口をそろえる。 施策の根底にある行政の考え方は「耐震化は住民の自助努力」。だが、住民の意識の高まりを待つだけで、住まいの安全は本当に確保できるのか。大震災は住宅政策のありようも問うている。(畑野士朗)』 日本家屋の我が家。まさか30年で建て直そうなんて考えで建てたわけじゃない。ところが今風の家というと、やがてはどこかへ引っ越すのだから。みたいな、華奢な作りが多いように思えて仕方が無い。 土地があって、家を建てて。。。一生をそこで過ごす。なんて考えは今風じゃないのかなぁ。田舎だから家と農地が切り離せない。何もかもを売り払って引っ越す。なんてことになると大変だ。 都会の人なら、まず、農地なんてことはない。土地と建物が一つだけ。しかも、お金さえあれば、どこの土地を買って家を建てようが自由。転勤が多い職種なら、一戸建ての家を建てて。なんてことは考えないだろう。 家が押し潰される。押し潰されるということは、それだけでは終わらない。撤去とか片付けのために多くの人の手が必要になる。道路だって塞がっているかもしれない。また、自分の家が倒れた為に、お隣に被害をもたらす。なんてこともあり得る。となれば、やはり人に迷惑をかけないためにも、倒れない。ということが最低条件になりそうな。 耐震と、耐火は同時には行かないかもしれないけど、住まい続けるとなればそれは必須になりそうな。 義母が使う部分、姪たち一家が住まう家を建てたときの基礎工事ときたら、それはもう。でも、今ある建物を耐震化。となるとかなり頭を痛めてしまいそうな。色々な工法が編み出されている中で、一番簡単で確実な方法は、やはりお金がかかるんだろうなぁ。その前に、やはり自分の命を守ることが一番かな?でも、あの揺れでは。。。逃げるなんてとても無理です!
2009.01.16
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阪神・淡路大震災から14年ということで、地元紙では『未来への警鐘』として、災害への対策など、シリーズで続けられている。その4回目として、今日はゲリラ豪雨を扱っていたので、そのまま引用させていただきます。 『「危険を認識しているかどうか。それによって行動は変わる。逃げるか逃げないか。一瞬の判断が命を救う」 今月13日、神戸大(神戸市灘区)であった土木学会「都賀川水難事故調査団」の会合。京大防災研究所の多々納裕一教授(災害リスクマネジメント)は強調した。 昨年7月、突然の大雨で神戸市灘区の都賀川は急激に増水し、親水施設にいた5人が流され死亡した。その日は朝から青空が広がり、気温は30度超の真夏日。不気味な黒雲が現れたせつな、突然激しい雨が降りだした。 多々納教授らは昨秋、親水施設の利用者に聞き取り調査した。「どのタイミングで逃げるか」の問いに3人に1人が「雨が降ってきた」を挙げ、「空が暗くなってきた」も5人に1人いた。「事故後だけに意識は高い」と同教授。都賀川は当時、わずか10分間で約1.3メートルも水位が上昇した。迷っている余裕はない。 2008年、短時間で局地的に大雨が降る「ゲリラ豪雨」の被害が、全国で相次いだ。これを受け、情報発信の迅速化に取り組む。ただし、気象情報の「過信」には危険も潜む。 ■ 都賀川の水害から約1ヵ月後、兵庫県は、親水施設のある河川に、大雨や洪水の注意報、警報が出たことを知らせる回転灯を設置することを決めた。近く都賀川で着工し、順次広げていく。 しかし「その情報だけに頼らないで」と、神戸海洋気象台の草川和康・防災気象官は訴える。ゲリラ豪雨は、狭い範囲で急速に発達する積乱雲でもたらされることが多く、予測が難しいためだ。 ゲリラ豪雨と同時に、積乱雲が原因の現象に竜巻がある。気象庁は昨年3月、「竜巻注意情報」の発表を始めた。積乱雲の動きなどをとらえ、突風の発生を予測するが、昨年末までに発生した62件のうち、事前に捕捉できたのは14件のみ。逆に有効時間内に予測が当たらない「空振り」発表は153件に上った。 突然現れる積乱雲をとらえるのはそれほど難しい。そのため、親水施設のある河川に回転灯が完成しても、過信は禁物だ。草川防災気象官は重ねて強調する。「回転灯が作動しないから大丈夫とは思わないでほしい。逆に、回転していなくても、空を見て危ないと感じたら逃げてほしい」 ■ 体感情報を重視し、高い確度を実現した気象予測がある。76.7%。昨年10月、民間気象情報会社ウェザーニュース(東京)が発表したゲリラ豪雨の捕捉率(東京都内)は、かなり高率だった。 同社が携帯電話を使った「ゲリラ豪雨メール」サービスを始めたのは、都賀川水害の2日後。全国約1万1千人の協力者から、空の様子を報告してもらい、気象データと照らし合わせ、豪雨の発生を予測した。協力者が10キロ四方内に150人以上いれば、捕捉率は90%を超えたという。 「湿った風が吹いてきた」「急に雲が発達している」など、寄せられた情報はすべて、協力者自らが肌で感じた内容だ。同社広報担当の上山亮祐さんは「大事なのは自ら異変を察知すること。情報を待つだけでは備えにならない」と話す。 最新技術に基づく防災情報と、危険を知る体感情報。ともに精度が上がれば、身を守ることのできる確率は高まる。(岸本達也)』 風を感じる。などという文学的な表現があるけれど、実際に生暖かい風とか、雨が降りそうだとかは感覚的というか、実際に経験しなければわからないかもしれない。春らしくとか、夏らしくとかは全て身体で感じ取ることだとは思うけど、エアコンの普及で、夏も冬も快適に暮らせるようになったから、それだけ肌で感じ取るということができなくなってしまったのじゃないかなぁ。冬には冬の刺す様な冷たさを味わって、少しは身体を動かして薄着で過ごせる工夫をした方が良いのじゃないかなぁ。 やはり、夕方から夜にかけてのみぞれ。昼間は晴れていても傘は必要な気がする。
2009.01.15
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1月13日付け地元紙、地域ニュース欄で今年も紹介されていた、フェニックス合唱団。紹介文をそのまま引用させていただきます。 『阪神・淡路大震災から丸14年を迎える17日に淡路市小倉の北淡震災記念公園で開かれる追悼行事で歌声を披露する「フェニックス合唱団」が、本番に向けて練習に励んでいる。今年の楽曲は人気歌手アンジェラ・アキさんが作詞・作曲した「手紙」で、15歳の少年が将来への不安を抱えながらも前向きに生きようとする姿を歌う。メンバーたちは「復興への願いを込め、人々を勇気づけるような歌声を響かせたい」と意気込んでいる。(西尾和高) 同合唱団は、被災した市民や同公園の食品ら約150人で構成。公園内の震災慰霊碑前で2001年から毎年、地震があった午前5時46分の黙とう後に合唱している。 12日には3回目の練習会が同公園であり、約20人が参加。同市富島出身で西宮市在住のジャズシンガー藤岡まゆみさんの手ほどきを受け、高音の出し方など最後の仕上げに取り組んだ。 毎年、メンバーとして追悼行事に参加している原田智恵子さんは「ようやく心をこめて歌えるようになってきた。被災した人たちのことを思い出しながら、しっかりと歌いたい」と話していた。』 穏やかな原田さんの口ぶりが手に取るように伝わってくる気がする。同じ淡路島の中とはいえ、かなりの距離がある震災記念公園。早朝のことでもあるし、移動には十分に気をつけて欲しい。 続けるのは並大抵のことじゃなかったと思う。お天気が悪かろうが良かろうがずうっとここまで続けられたことが凄い。 25日の会議にはまた元気なお顔を見せてくださるのかな。17日の震災が起こった時間。今年は穏やかであって欲しい。 “活断層”という言葉を耳にしたのはこの、阪神・淡路大震災がきっかけだったと思う。淡路島でも被害が大きかったところには活断層の存在があった。自動車でさえ浮き上がったというのだから、その力の凄まじさときたら。 その時、南北に揺れるか、東西に揺れるか。なんてわからない。ならば食器棚などは固定し、家具類は転倒防止策を。また、むやみやたらに物を置かない。なども被害を食い止める手立てにはなりそうだ。 実際、あの揺れでは布団を被って震えているしかなかったのだから。
2009.01.14
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今朝の天気予報では軒並み雪マーク。兵庫、大阪に加え、和歌山。そして四国は香川、徳島にも。こうなれば淡路島に雪が降らないわけはなさそうな。空は鉛色をしている。出勤じゃなかったから、ラッキーとは思うけど、洗濯物を干す手の冷たいこと。かじかむを通り越して凍りつきそうだ。洗濯そのものは機械がやってくれるけど、干すところまではやってくれない。冬場の一番きつい作業に思えてしまう。 これで、氷点下なんてことになったら一体。。。?今のところ南あわじ市は氷点下を迎えてはいないけど、折角咲いた水仙も寒さに震えていそうな。でも、膨らみ始めた桜など、暖かくなれば一気に開きそうな。 成人式は淡路島の三市とも昨日のうちに終えたようだ。着慣れない晴れ着に足元や襟元を気にしながら。という一日だっただろう。 冬の寒さが無ければ冬野菜は育たない。白菜一つの値段は農家にとっても一大事。冬には冬の、夏には夏の気温がなければ野菜は育たない。雪で埋もれる。なんてことが無いのが農家にとっては有り難いことなのかも知れない。寒さに強い玉葱を作付けし、冬の間、少しだけのんびりできる、まぁ、野菜農家じゃこうはいかないけれど。
2009.01.12
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昨日の帰りに観た雪景色は、本当に最高だった♪寒くなるだろうと覚悟はしていたけれど、ホールに居る間、淡路島でもあられが交じったような雨に見舞われていたらしい。帰り道の高速バス車窓からの眺めは最高だった。 さて、今朝も冷たいながらも風があったおかげでフロントガラスが凍り付いているということはなかった。昨日と違って雨の心配はないだろうと、傘を持たずに出たものの、お昼過ぎから何やら怪しげな雲行き。そして、白い物が舞い始めた。時間にしてどのくらいだっただろう。相変わらず西よりの風がきついようで、職場から見えるお向かいの窓に残されたすだれが風にあおられていた。このお陰で雨雲ならぬ、雪を降らせた雲もどこへやら。午後2時45分までの勤務を終え、車に乗り込んで暫く走ったところで、ワイパー無しでは見えないくらいの雪。パラパラと音がしていたからあられだったのかも。 どこまで降り続くのかと心配だったけど、積もるには至らなかったのでヤレヤレ。確かに観るには綺麗な雪景色だけど、車を走らせる分には不安が一杯。勝手だとは思いながらも、ワイパーを少し動かしただけで済んで良かった♪ 寒いのと、暑いのと、どちらが過ごし易いのか考えてみる。暑いのはやりきれない。でも、寒いのは何か着込むことで少しは暖かくなれる気がする。だから私はとことん暖房器具も使いたくない。暑いときの冷房の方が私には心地良く感じられる。自然に逆らって妙に暖房温度を上げるのはどうかなぁ。衣装そのものは冬用なのだから、やはりそれに応じた温度に設定して欲しい。
2009.01.11
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何と言っても印象に残ったのは、鼓笛隊っぽく入場された中学生たち。懐かしさに思わず涙ぐんでしまった私。 朝比奈先生は、指揮だけじゃなく、雰囲気を和らげるお喋りをモットーとしていらっしゃるようで、そのお喋りが楽しみで席を埋めていたりする。音楽活動をしていらっしゃる人も、そうでない人にも本当にわかり易く説明してくださる。 ニューイヤーコンサートは、『神戸元町ライオンズクラブが心血を注ぎ取り組んで参りました』と紹介されている。私が知る限りでは中学生たちもステージに上がる。だからこそ尚更客席は勿論満席状態。 本当は早起きして高石市の叔母さんちへ新年のご挨拶に伺う予定だった。ところが、目覚めたのが何と7時20分。私の予定ではこの時間、そろそろ明石海峡大橋を渡ろうか。という時刻。開演時間が午後2時なのだから、逆算しても高石市往復を含めると、やはり早朝のうちには明石海峡大橋を渡っておきたかった。 なので、観たかったイベントをメインに、神戸のとあるデパート内で時間を過ごすことに決定。何しろ明日の朝はまた8時からのシフトなので、そんなに疲れるようなことはしたくない。終演後もそそくさと三宮へ戻らねばならないのだから。 さて、開演前には今日はオーボエ四重奏をロビーで。これがなかなか綺麗な響き。私が会場へ着いたときに既にこの演奏は始まっていて、いつもの席が空いているかどうかを確認したくて、残念だけど脇目を振らずにホールへ急ぐ。 パンフレットによると、今日の中学生ゲストは3校からとある。本番になって納得。鼓笛隊編成だから、大太鼓・小太鼓、フルート・ピッコロによる編成。各学校それぞれ何人居たのか私にはわからないけど、『ボギー大佐』の合同演奏前に行進しながらの入場。私にはとても懐かしい曲だったし、一生懸命な姿に思わず涙してしまった。 私自身が担当していたのがアルトサックスだったから、オブリガートの部分を吹くのに、その音が大き過ぎるとよく指摘されたのをまるで昨日のことのように思い出してしまった。映画にも使われたから『クワイ川マーチ』というと馴染みがある人が多いかな?勿論、ここでも朝比奈先生は、「口笛での参加もどうぞ」なんて仰る。 『希望に歩み幸福に舞う』。。。『音楽が始まる前に』と響敏也氏による、こんなコメントが。 『音楽は、心臓の鼓動を源泉にしている。 だから、興奮したときに心臓が速く大きく打つように、激しい感情を表す音楽は早いテンポで大きい音になる。その逆も、同じように言える。 もうひとつ、歩くリズム。これも音楽の基本に近い。日頃、歩くのが速い人が演奏をすると、ついついテンポも速くなる(逆も同じこと)。 新しい年へと歩み出すこの時期、きょうは音楽でそれを応援する曲が並んだ。歩いたり駆けたりの行進曲と、踊り出すワルツ。 希望に歩み幸福に舞う、そんな新年が届く』 と解説していらっしゃる。 実際、マーチが流れると元気になれそうな気がするから不思議だ。元々ブラスバンドには縁が深い朝比奈先生。だからこその響きなのだと思う。マーチが一番ピッタリするような気がするのは、もしかしたら私だけなのかなぁ。 ここぞ。の「ラデッキー行進曲」。演奏曲目により、楽器の入れ換えとかもあるけれど、私が一番注目していたフルートの○原さん、ピッコロを携えての登場。カッコ良かったなぁ。届いた招待状の封筒の裏側に、「私は思いっきり楽しみました。朝比奈先生が、4楽章のソロは、何かが乗り移っていた様だったと。。。ハイ、時々、キツネかタヌキか。。。」と認められており、実は楽しみにしていたけれど、見事でしたねぇ♪ 今日は、中学生たちにも元気を戴いて、本当に素敵な時間となりました。皆様、演奏会無事終了、おめでとうございます!次回は6月ですね。
2009.01.10
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松山さんのお友達、しまちゃんさんからこんな素敵な画像が届きました。ソシンロウバイというのだそうで、青空に映えて本当に綺麗♪ 通勤途中に、何の木か全くわからないまま、そのうち芽なのか蕾なのかわからないでいたら、どうやらロウバイっぽい花を見つけて感動していたら、物知りさんに尋ねると、ロウバイは冬の花だとのこと。春めいてきたときに梅より一足先に咲くものだとばかり思っていたら、寒くても平気なのだとか。 淡路島の水仙(灘黒岩水仙郷)も、丁度見頃を迎えたとのこと。甘い香りを漂わせるのは、共通している気がする。水仙は2月中旬まで楽しむことができるのだそう。ただ、こちらはお天気の良い、風の穏やかな日に行かないと急斜面ゆえ。。。
2009.01.09
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ずうっとシリーズで掲載されていたと思う。8日付け地元紙くらし欄。『心が見えますか』の9回目。精神科医でもあり、作詞家でもある、きたやまおさむ氏述べていらっしゃいますので、そのまま引用させていただきます。 『かつて日本人は、人間の腹の中をのぞくことができなかった。だから、解剖学は医学の基本だが、その始まりである「腑分け」においては、「神経」や「心臓」などの名前を付けることが初期の解剖学者の仕事だった。おかげで内科でも外科でも、これが腎臓と名指すことで、治療的に取り扱えるのである。 心の解剖学でも動揺に、目に見えない「腹の中」について、言葉で名付けることが、その取り扱いのためにも重要である。そこで、不安、衝動、葛藤、欲望というような言葉が活用されるのである。 そういう語彙をまず学んだ上で、この「腹の中」の思いに耳を傾けていると、面白いことが観察される。それは、安心できる場所で安心できる相手と面接を重ねていると、人間の話が過去へとさかのぼるという傾向である。それで見えてくるのが「三つ子の魂」と言うように、人間は幼いころから同じことを大人になっても繰り返すという現象である。これを「スズメ百まで踊りを忘れず」とも言う。 私たちは、幼いころ、心の柔らかいうちに書き込まれた台本を、その後も無意識に相手役を代えながら繰り返すという「過去からの反復」が癖、業、性になっているのだ。特に問題行動や症状を抱えている人々は、その台本を悲劇やまずい筋書きとして、あるいは逃避や失敗という形で繰り返しておられる。そして、この反復をとらえ、ふさわしい言葉で描き出すという作業が、治療の第一歩になりうる。 例えば、母親や父親とやったことを、結婚してからも配偶者を「父さん」「母さん」と呼び合いながら繰り返している。そして、勝つのが怖い、貧乏くじをひく、苦労性、お山の大将、悲劇の主人公、権威に反抗する、甘えん坊、などという生き方は、重要な他者を相手にして繰り返される台本なのだ。 だから、この文章の読者も、多少警戒しながらこれを読んでおられるかもしれぬが、その警戒する態度がかつての父親に対する態度の反復かもしれない。そう考えてみるなら、自分の反復が少し見えてくるかもしれない。(精神科医・作詞家)』 歴史は繰り返すというけれど、こんなところに原因があったのかなぁ。過去に遡って。という心理療法はあったと思う。論理療法と組み合わせたり、また森田療法のようにあるがままを受け入れるところから始まったり。。。 何をしたいのか。を言う前に、日常だと仕事のことがメインになってしまう。それでも、朝目覚めて一日が始まる。適度に排便があって夜には安眠。たったこれだけのことだけど、身体が頑張ってくれている。凄いことだと思う。これが機械なら方法に従って操作しないと動いてくれないのに。 「三つ子の魂」と、ある種のトラウマ。ギョッとしたことは一生忘れられない。父親からはよく「おじみそ」とバカにされていた。物怖じ、特に危ないことは避けてきた気がする。何かしようとすると、先ず危険を想定している。だから動けない。。。外で遊ぶことが本当に苦手だったから、部屋の中で過ごすしかなかった私。 今は。。。?確かに、グランドでスポーツなんてこととはまるっきり縁がないなぁ。部屋の中で過ごすことの方が遥かに多い。でも、コレって本当は身体には一番悪いこと。今更何を。だけど、歩ける機会があればどんどん歩かなくっちゃ。
2009.01.08
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早出だから午前7時45分から。というのはわからないでもない。でも、今のシフトだって、早いときは午前8時からという時間帯があって、たまにだから何とかこなしてこられたけれど、最低2週間は。なんていうと、続くかどうかが問題。業務そのものよりも、時間的なことが私には重くのしかかってくる。 そんなに真剣に考える必要は無いようなものの、前の職場(配食サービス)を辞めた理由が夕食用のお弁当の配達から、昼食に変わったこと。夕食用のお弁当の調理なら食品衛生上の問題もあり、午後からの勤務で十分だった。だから何とか勤められたのに、お昼のお弁当に変わり、必然的に午前中、しかも午前8時半出勤になってしまった。「届けるなら、お昼用でも夕食用でも一緒やん!」。制度を立ち上げた元事務局長の尊い意思はどこへやら。本来の目的は独居高齢者の安否確認だった筈。にもかかわらず、一食なら昼食用でも構わない。みたいな職員の言葉。私には信じがたいことだったけど、決められてしまったことには従わなければいけない。5月にスタートして、9月の末には辞表を出すことになってしまった。 朝7時半を過ぎれば家を出なければならないことに、身体がついていけなかった。午前中を思いきりのんびりできた、その習慣が身体に沁み込んでいて、ストレスは溜まる一方だった。 そして、今の仕事を見つけ、シフトがまちまちなら、午前中の勤務だって毎日ではないし、通勤距離の差はたった3キロ。ならやってやれないことは無いかな?と思ったのがきっかけだった。 さて、最低2週間が一体何日間になるのか、午前7時45分からの仕事をこなしてしまえば後は、夜勤との3日間交代?夜型人間の私には有り難いことだけど、一体いつからなのか、はたまた、3日間交代という私の要望が聞き入れられるものかどうか、兎に角毎朝7時45分出勤なんて、私には不可能。こういう選択肢も今の時代には贅沢でしかないのかなぁ。
2009.01.07
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地元紙の社会欄でずっと続いていたシリーズ『話す・聞く・笑う』の今日は5回目。『小話に学ぶ』とあり、『言葉の力 次代に伝える』という言葉が目を惹いたので、そのまま引用させていただきます。 『4年前、伊丹市教委は市内全17小学校で学力調査を実施した。解答用紙には白紙が目立った。「面倒くさい」「よく分からないし」。児童の話す理由に、担当者はがくぜんとした。 「基礎的な言葉の力が足りない」。市教委は2006年度から、小学校の授業に「ことば科」を設けた。国語とは別に週1回、総合学習の時間を使う。昨年度から落語を取り入れた。 昨年12月、伊丹小学校。 黒板前に作られた高座で、宝塚市出身の林家染左が口を開く。4年生約90人が体育座りで耳を傾ける。 「立派なサクラ。満開や。木の下でイヌも喜んでいる。ネコもいるわ。キツネも出てきた。あっ、タヌキや…」 笑い声。染左がすかさず口を挟む。「いろんな風景が頭に浮かんできたよね。でも、それは一人一人違う。百人いれば百通りの楽しみ方があるんだよ」 落語を生で聞いた経験がある児童はまれだ。染左は、テレビとの違いなどを説いた。 「人の考え方も百通りある。違う人間同士をつなぐのが言葉であり、しぐさなんです」 落語は、教科書にも載っている。東京の三遊亭えん窓が台本形式で書き下ろし、児童が演じ分けることもできる。「語り口調などで人物像を想像しながら聞く。自分もどう語ればいいかが分かる」。教育出版(東京)が狙いを説明する。 地域で落語を体験する機会も増えている。昨年12月。神戸・新開地のNPO法人が企画した親子向け講座を訪ねた。 小道具の扇子は筆や刀、手ぬぐいは紙や焼き芋に早変わり。落語家の介添えを受けながら、手の動かし方、表情、目線などの表現を学んだ。 神戸市東灘区の小学6年、中辻直斗は“焼き芋”にかぶりついた。「落語は間の取り方が独得で面白いです」と目を輝かせた。 特に説明はしないのに、小話を聞き、言葉を掛けたオチを理解する。染左は、子どもたちの変化を感じ取る。 そこで、普段は上級生向けという、おなじみの古典落語「時うどん」を演じてみた。 うどんをすするしぐさに笑い声が上がる。実は、はしに見せた扇子そのものは特別な動きはしていない。表情が伴って、はしの演技が生きてくる。 染左が心の中で語り掛ける。 「頭の中にどれくらい絵を描けていますか。自ら思い描かないと、相手にも伝わらないよ」 幼くても奔放な感性が答えを返す。前に進んでいる。そう思える時間を大切にしゃべり続けようと、染左は思う。 (敬称略) (高田康夫)』 私が特に思ったのは、人の考え方も百通りある。ということ。算数の計算問題なら、公式があって、当てはめれば答えは一つということになる。ところが、人の考え方に、「正しい」「間違い」などの判断はできないということ。ということは、自分の考えを人に押し付けるやり方は、駄目ということになる。ディスカッションは大いに結構だけれど。 また、頭の中に絵を描くこと。相手に説明するときの手段として、これはとても有効な気がする。それだけ、自分の頭の中も絵で一杯にしておかなくちゃ。ってことはそれだけ、言葉を知っていなきゃいけないことになる。日々勉強。とは本当によく云ったものだと思う。
2009.01.06
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私自身が要約筆記通訳者養成講座に参加したいと思ったのは、“要約”という言葉に惹かれたからで、難聴とか、中途失聴とかの言葉をよく知らなかった。あわよくば、国語の勉強になれば。というのが正直な気持ちだった。 今日の地元紙の地元版に、手がかりとなるような記事を見つけましたので、そのまま引用させていただきます。 『苦しみ共有できる場を』として、『人挑み道拓く』シリーズの第一回目。『チャレンジャー群像』とある。 『失った音 にこやかな笑顔で、相手の顔を見据える。聞こえるのは人工内耳からのかすかな音。でも口の動きを見て会話を進める。「大きな声で話してくれれば、一対一の会話なら大丈夫ですよ」。思いのほかはっきりとした声が返ってきた。 聴力を失ったのは38歳のとき。食事ができないほどのひどい肩こりにしばらく悩まされた。やがて歯茎が腫れ40度の高熱にうなされた。熱は数日で下がったが、変わり果てた目の前の“光景”。がくぜんとした。 わが子が何かをしゃべろうと、口をぱくぱくさせている。実は「わたしが聞こえなくなっていたんです」。病院でも耳の異常は見つからなかった。それでも聞こえない。「治療方法はない」と言われた。 当時、次男は小学生。子育ても忙しい時期だった。誰とも話したくない。外出するのも嫌になり、人を避けるようになった。家に閉じこもりがちな日々。そんな暮らしのなかで「人とはなしたい」という欲求は逆に強まった。 やがて手話サークルに通いだした。手話で少しずつ会話ができるようになると、自然と心が安らいでいった。 「中途失聴者は、当り前のように聞こえていた聴覚を失う。そこに苦しみ、つらさがある。同じ苦しみを持つ人たちをサポートしたい」。1991年に淡路中途失聴・難聴者の会を設立した。 島内の中途失聴者は当時、高齢者が多かった。「自分と同じように孤独を感じているのではないか」。淡路島で初の取り組みは、「読話」を学んだり、仲間づくりをしたりする場として定着し、月1回の活動は今も続く。 夫に二人の息子、そして5人の孫。家族は普通に接してくれた。それがうれしかった。「子育てに主婦、仕事。普通に生きることができたのはみんなのおかげ」 1996年に、人工内耳を埋める手術を決意した。孫の声を聞きたいと思ったからだ。 「でもね、やっぱり聞こえにくいの。わたしがとんちんかんな返事をすると、小学2年生の孫が“おばあちゃん、おかしい”って笑うの。コミュニケーションって難しい」と語る表情はうれしげだ。 正社員、パートと約40年勤めた会社を昨年7月に退社した。いまは、会の活動とボランティアをしながら毎日、幸せをかみしめる。そんな感謝の気持ちを形にと、洲本市社会福祉協議会へ毎月、寄付を始めた。「ほんの少しだけど、自分も頑張るために続けていきたい」 (高森 亮)』 突然音を失う。ということは誰にでも起こり得ること。というのを養成講座で学んではいたけれど、こう、具体的に体験談として伝えられると、真に迫ってくるものがある。 私自身、国語の勉強が出来れば。のつもりで養成講座に参加し、あれよあれよという間に、のじぎく兵庫国体、障害者スポーツ大会が始まった。。。 恥ずかしい話、淡路島中途失聴・難聴者の会を立ち上げられたという、この小嶋朝子さんの存在すら知らないでいた。先日、神戸市で開かれた会に同席されたのが私には初顔合わせだった。 先輩と後輩。養成講座を終えたら、サークルに入る入らないは勿論個人の意思。一応は継続したいと、サークルに名を連ねてはみたけれど、南あわじ市在住の私は、南あわじ市での活動に限っての参加となる。勿論、淡路島は南北に長いから、南あわじ市から北の方への移動は大変だ。でも、正直、洲本市にサークルの本部があり、私の勤務先も洲本市ならば、地域限定というのはきついものがある。 困った人に手を差し伸べる。。。というのとはちょっとかけ離れている気がしているこのごろ。支援される側の思いと、支援させていただく側の思いに上手く馴染めないでいる。 二人書きの場合でも、実際には現場には健聴者もいらっしゃるのだから、輔筆者への申し送りの声が余りにも大きくて耳障りで、肝心の講師の声が全く聞こえない。みたいな。そんな場面にも遭遇しているので、支援のあり方に、ちょっと疑問を抱いてしまう私。正直、この先、ボランティア活動が続けていけるかどうか、全く自信が無いし、こんな疑問だらけではサークル員の足を引っ張ってしまいそうだ。 文字による情報保証としての手段。と一言で言えばそうだけど、実際、読み辛い文字では読み手には気の毒でしかないし、目で追う作業だって、大変。高齢になればなるほど、耳だけじゃなく、目で文字を追うことの辛さ。もっと要約筆記者がわかっていなければならないのじゃないかなぁ。。。
2009.01.05
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画像は2年前の物ですが、『新酒の香り漂う酒蔵へ』という案内メールが届いたので、早速出かけることに。この時期にしかない新酒。仕込んだのは勿論昨年だけど、『槽掛け天秤搾り』がこちらの酒蔵で、1月3日から始まったらしい。昨日に引き続き、今日も見られるというので、仕事休みの一日、美容院の後お邪魔することに。 天秤搾りが行われている部屋の扉の前に立つと、もうほのかな甘い香りが漂っている。甘酒を仕込むときとはまた違った、格調高い香り。甘酒なんて、母が仕込んでいたのはもう40年余りも前のことになる。それでも覚えているのだから、この感覚は一体、何なんだろう? 歴史を感じさせる、樫の木。機械とは違い、こういう搾り方に拘った社長の意気込みも凄いと思う。ゆっくりゆっくり時間をかけて搾るからこそ味わい深い味になる気がする。『垂れ口から滴り落ちる』という新酒を、流石にハンドルを握らなければならない私は味わうことができなかったけど、甘い香りというのを十分に堪能することはできた。 室温は8℃程度に保たれているようだ。醗酵は温度の影響を受け易いとのこと。気温や湿度によっても微妙に違ってくる。だから同じ材料を同じ様に使っても、その年の味というものが誕生するのだそうで、この味の違いがわかるようになるまで、私には相当時間がかかりそうだけど、今のところ外気温は丁度良いのだそう。お天気も良くて、8℃というと、ちょっとヒンヤリ。という感じかな? どう見てもあの石は、江戸時代拷問に使っていた石のように思えて仕方が無い。総重量1トンなのだとか。それをも持ち上げる力で圧縮して行くのだから迫力あります。
2009.01.04
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この季節には少し時期はずれな感じだけど、この冬の山茶花を収めたくて携帯を近づけてみた。お花の師匠宅で拝見する山茶花はまるで薔薇の花を思わせるような。それは見事に剪定されているので、惚れ惚れしてしまう。 我が家のは、やはり剪定はしたけれど、一体いつになったら咲くのやら。と言う状態。それでも見事に咲かせてくれたのを発見(いつも既に咲いた後だったので)したのが嬉しい。 実は、お正月用にと入れた薔薇は水揚げが上手く行かなかったのか、首をうなだれさせてしまって、花の部分だけを水に入れ替えることに。そういえば、クリスマス用のガーベラも直ぐに駄目にしてしまったなぁ。 水に嬉しい言葉をかけると、決して濁らないそうで、怒ったような言葉をかけると、たちまち腐ってしまうというけれど、もしかしたら思うような撮影ができずにいて、いらだっていたせいもあるのかなぁ? 今年は丑年。どっしりと、踏ん張っていたい。そう思っても、ついつい苛立って、声を荒げてしまう私。思い通りにならないことは山ほどあるのが現実。ちょっとは風に揺れを任せて尚且つしなやかに咲き続ける水仙のようにありたい。 今朝の地元紙・『正平調』にも、 『小林多喜二の「蟹工船」が読まれた2008年は「苦しい時代の始まりの年」だといわれる。長いトンネルを抜けるにはまだしばらくかかりそうだ。こんなときは、柴又の人たちのようなあったかい笑顔と「お互いさま」の励まし合いで、歩いていこう。』 と、紹介されている。笑顔が一番。今朝の山茶花の発見が、ちょっと気分を変えてくれた気がしましたので、紹介させていただきました。
2009.01.03
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たたずんでいるのは見たことがあっても、まさか車の前を横切られるとは思っていなかった。しかも、前の車に気を取られて、左側に居た鹿のことなど、全く目に入っていなかった。気がついたときには私の車の前を横切る感じに。とっさのブレーキは間に合ったと、ほんの一瞬だけど動けなかった私。 時折見かける野性の鹿。なんて書くと、一体どんな山の中を走ってるねん?と笑われそうだけど、帰りのルートとしてはとても便利なので、こちらが悪ささえしなければ、襲われることは無いだろうと、走っているけど、実際に目の前を横切られるとは驚いた。体当たりも良いところ。 鹿も私も、一瞬、何が起こったのか。といった感じではあったけど、鹿も必死。大慌てで斜面を駆け上がろうとしていた。 山の中だから鹿との遭遇はこれからも起こるかもしれないけど、怖がっていても仕方ないし、今夜の場合、団体さんじゃなかったから良かったのかなぁ。
2009.01.02
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「新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくお願いします。」と義母の挨拶。ここで先ずは一献。というところなのに、私が午後1時からのシフトの為、アルコールは一切禁止。 お雑煮はいつも義母が丹精を込めて用意してくださる。そして本来なら私が手作りした御節のお重が並ぶところを、今年は姪の旦那様のお母様が丹精込めてくださった。本当に有り難いこと♪ 黒豆・田作りは夫が市販の物を購入したのを私がお皿に盛り付けただけ。三段のお重に、何を詰めようかと悩みながら。ということから開放された私。本当は紅白膾ぐらいは用意したかったのに、具材の買出しにも行けなかった。。。?と言うと言い訳になるかな? 新年早々、人様の支えがあったからこそ元旦行事を終えることができた。本当にありがたいこと。今年もどれだけ沢山の人のお世話になりながら一年を過ごすことになるのか、予想さえできないけれど、今年もどうぞ宜しくお願いします。
2009.01.01
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