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献立は、混ぜご飯、ブリ塩焼き、きゅうりとちりめんじゃこの酢の物。添えの野菜はサニーレタス、果物はオレンジ。当初ブリの照り焼きに出し巻き卵を添える予定が、出し巻き卵が不足したため、急遽肉団子のあんかけにし、ブリを塩焼きにすることに変更して、今月最後になる献立の調理スタート。明日はブリを照り焼きにして、出し巻き卵を添えることになりますが。。。◆混ぜご飯。。。材料は、絹さやえんどう、小芋、ごぼう、シメジ、人参、油揚げ、かまぼこ。絹さやは斜め二つ切りにして、軽く塩茹でしておく。小芋は冷凍のものを袋ごと水にさらして解凍し、4つ切りにする。ごぼうは皮を剥いて1~2ミリぐらいの厚さの輪切り、または半月切りにする。シメジは小房に分けて大きいものは他の材料に馴染む程度の大きさに切る。人参は皮を剥いて斜め切りにし、更に荒いみじん切りにする。油揚げは長い方に3つに切り、更に3ミリぐらいの幅に切り揃える。かまぼこは板からはずし、5ミリ角の薄切りにする。出し汁に酒、砂糖、醤油、みりんで味を調えて煮汁を作り、絹さや以外の材料を加えて味を馴染ませる。材料に十分味が染みこんだらざるに上げて水気を切っておく。合わせ酢を作り軽く火にかけておく。米は普通に研いで昆布を載せて炊き上げる。蒸らしが終わったら、半切りに移して合わせ酢をかけ、切るように混ぜる。合わせ酢が馴染んだら、材料を混ぜ合わせる。混ぜご飯を盛り付けたところへ紅生姜、絹さやを添える。◆ブリの塩焼き。。。あらかじめグリルの天板を温めておき、クッキングシートを敷いた上へ盛り付けたときに上になる様に並べて170度で15~20分加熱する。◆肉団子のあんかけ。。。肉団子を人数分用意し、熱した油で揚げる。鍋に砂糖、醤油、みりんを加えて加熱し、沸騰したら水溶き片栗でトロミをつけ、肉団子をくぐらせ、アルミカップに盛る。◆きゅうりとちりめんじゃこの酢の物。。。材料は、きゅうり、ちりめんじゃこ、若布。若布を水に戻して水気を切り、小口切りにしておく。きゅうりはヘタを取って薄切りにし、塩をまぶしてしんなりさせ、塩気を洗って水気を切る。ちりめんじゃこは熱湯にくぐらせ水気を切っておく。砂糖、酢、醤油で合わせ酢を作り材料を馴染ませる。 ご飯が混ぜご飯なので、横に長いお弁当箱を使って左側から、混ぜご飯を盛り付け、紅生姜、絹さやを添える。真ん中の上の部分にはお漬物(柴漬け)を、下にはきゅうりとちりめんじゃこの酢の物を。右側にはオレンジを置いてサラダ菜でガードしたところへブリの塩焼きを。空いたスペースにアルミカップに入れた肉団子を置く。出し巻き卵が無いということで、急遽ブリを塩焼きにして、肉団子に甘辛味のあんをかけることに。ブリなど魚の場合の切り身は形がまちまちなのは仕方が無いけど、切り身によってはかなり小さく見えてしまうのは仕方がないのかな。重さは揃ってるけど、こればかりは。混ぜご飯に入れる具の切り込み作業が大変だったけど、明日の場合は倍以上だから、相当頑張らないと。何をおいても切り込みから。いつもはごぼうを一旦茹でて使うけど、今日は刻んだのを酢水に漬けておいて他の材料と一緒に味をつけたので、香りが良かった。本来はこうするのが良いけど、調理法によっては柔らかくならないものもあり、茹でてからになるのは仕方がないかなぁ。 今日は小雨の中だったので、対岸の沼島がガスで霞んで見え難かった。こんなこともあるんだ。さて、黒岩水仙郷ではマイクロバスが一台。昨日みたいにお天気の良い日は最高だったのに。これも決めた日だろうから仕方が無いのかなぁ。でも、なるべくなら晴れ渡った日の景色を堪能して欲しいなぁ。
2006.01.30
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サイトを全く放り出し状態で、この連休を続けて明石海峡大橋を渡ることに決め、高速バスに乗り込んだのはいつもの時間よりかなりゆっくり目。なもので、午前中の「依存症を考える会」には遅れての出席となることに。本当の目的はこの会だけだったのを、「折角出てこられたのだから」と、午後からの「知の探検」教室にも参加することに。 最初に紹介されたのは、「愛を詠む」と題した文芸詞華集から、学長が選ばれた「響きあう十三人のことば」として、『「ことば」や「愛」に誠実に対峙し、ひたむきな心で紡ぎだされた作品の数々。短歌、俳句、川柳、詩。ジャンルは異なってもその底流にある美意識や想いには、通じるものがあるのではないでしょうか。』と述べられている。。。 凄いね、学長は。こんな評論までこなしてしまわれるのだから。 さて、講義の中で興味を引いたのは、いくら鬱の人でも四六時中「鬱」なわけではなくて、一日のうちでは気持ちがわくわくする瞬間だってあるということ。何をしているときが楽しいか、何をしているときが苦しいか。改めて書き出してみると、自分の心の動きが見えてくるということ。ならば、楽しい気分が長くなるように努めればいい。と、そんなに簡単にはいかないけど。 『不安障害、双極性障害、怒りや罪悪感、自尊心の低下が自信の無さなどの状態を招いているときに、ネガティブな感情を軽減したり変容することで生産的な生活を送りやすくできる』認知(行動)療法とはまさに、その手助けとなるということを学んで、とても意義のある時間を過ごすことが出来た。相変わらずサイトは放りっ放し状態ですが。。。
2006.01.29
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午後からは、場所を姫路市民会館4階第六会議室に移しての講演会。臨床福祉心理士の勉強で面識を持つことになった方が、不登校・ひきこもりら若者支援・就労サポート事業「ふきのとう」を立ち上げられ、私は毎月行われている講演会には初参加となった。 『次世代を担う若者らに、 「ひきこもり等」の若者ら及びその家族に対する訪問サポート活動等。 電話、メール、手紙等の媒体を使った相談受付及びサポート活動等。 居場所における相談受付及びサポート活動等。 次代を担う若者らへの就労支援活動等。 講演会開催等による啓発かづどう等。 地域活動と連携、支援するため巡回相談活動等。 その他関連した諸事業を企画・立案し、実施できる体制支援の輪を拡充する等を考えている』 と、資料には記載されている。また、昨年4月6日付け読売新聞には、こんな風に紹介されていた。 『安心できる場所作り 不登校の子どもや、ひきこもりの人が一歩踏み出すきっかけになれば……。「情報センターふきのとう姫路」は、こうした若者の支援や就労サポートなどの活動を、今月から本格的に始める。 同団体を設立したのは、中学校教諭として長年生徒指導に携わり、姫路市内の小学校長を最後に退職した櫛橋行雄さん。不登校の子どもに接し、子どもが安心できる場所をつくることの大切さに気付いた。支援を行う神戸市内のNPOなどで学び、スタッフの西口和弘さん、渋谷寿美さんらと活動に取り組む。 団体名の「ふきのとう」は、冬の間、土の中で越冬し、早春に芽を出す生命力に若者をなぞらえ、内に秘めたエネルギーを引き出せればと名付けた。 櫛橋さんは「あせらず、ゆっくり。落ち着いて、生きていく場を共に作っていきたい」「一人一人の存在を認められる場をつくりたい」と話している。 講演会は定員100人で申し込みが必要。問い合わせはふきのとう(090・5046・7134) さて、講演で大きく取り扱われたのは、社会不安障害ということ。また、『神様以外は皆障害者』という言葉が、完璧主義一辺倒の世の中を痛切に批判しているようにも思えてたこと、治療には有効とされる薬が日本ではなかなか承認されないこと、また、薬と平行して、『認知行動療法』がとても有効であることを学ばせていただいた。折りしも、翌日は「依存症を考える会」のフリートーキング、午後からは「知の探検教室」があり、この認知(行動)療法について学ぶ機会が与えられましたこと、サイトを放り出し状態で、またもや明石海峡大橋を渡ることに。。。
2006.01.28
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午前中を明石市文化博物館で行われていた片岡鶴太郎さんの「夜桜」展へ。午後からは姫路市民会館へと移動して、会合に出席するつもりで、明石駅を最悪12時には出ればと踏んで、いつもよりゆっくり目の高速バスに乗り込んだ。ただ、最初の目的地が明石市とあって、降りるのは舞子のバス停。回数券は三ノ宮用なので、現金で払って。。。舞子駅からはJRで明石駅まで戻って後は徒歩。 風は冷たかったけど、お天気が良くて本当に気持ちが良い。正面には明石城もバッチリ。 会場に着くと、流石に会期は明日までとあって、かなりの人。片岡鶴太郎さんの作品を買い求める人で溢れかえっている状態に驚いたけど、先ずは入場券を求めて、二階の第一会場へ。 柴犬を飼っていらっしゃるんだろうか。いくつか柴犬の絵があって、その中に「子猫」の絵を見つけたときは本当に嬉しかった。全体はぼかした感じに仕上げているのに、目だけは本物とみまごう様な。本当に生きてる感じが伝わって来る。写実主義というのとは違うかも知れないけど、大体が水彩絵の具をぼかした感じに仕上がっていて、流石に染めの部屋では全く違う雰囲気の絵を楽しむことが出来て、またその素晴らしいこと。絵だけだと思っていたら、山頭火の詩がいくつか出品されていた。独特の字体だけど、味わい深い作品だった。これは絵葉書の中から思わずピックアップして買ってきた中の1枚。中には、「あったまろうよ」なんて添え書きがしてある素敵な作品も。色合いが本当に綺麗で、例えば魚の鯖でも、光の角度によって輝いてみえる。まさにそんな感じに描かれていて、「こんな風にも見える瞬間がある!」と。果物の柿などもいくつか出品されていたけど、本物の柿の色を出していて観れば観るほど柿そのもの。渋柿は渋いほど甘みを増すと、そんな添え書きされた渋柿は真っ赤に色づいて、本当に甘くなった渋柿を思い描くことができた。ただ、物を「見る」のじゃなく、何だか語りかけている。。。そんな作品の数々だった。
2006.01.28
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大好きなさだまさしさんの「天までとどけ」に次いで、「楽しい方の」コーラスグループが3月12日に行われる「淡路合唱祭」で披露することになったのは、「北の国から」。 「第九」を一緒に歌った方が、暗譜でピアノを弾かれる。思わずみんなから「おぉ~」と歓声が。楽譜も見ずにこんなに流麗に弾かれるとは。と私は驚いた。凄い!こんな方がいらっしゃったんだ、このグループには。 ご存知の通り、歌詞などはなくて、ある部分はハミングだったり、あ~だったり、う~だったり。それで四声がハモルと、どんな合唱組曲よりも立派に聴こえるから本当に不思議。それに例の方のピアノ伴奏が加わって、練習を始めて2回目だとは思えない響き。 こんなことが出来るのも、男声と女声に分かれてみっちりパート練習が出来るからこそなんだと思う。私が最初に驚いたのは、アルト、ソプラノと音を取って貰って、ソプラノが。といったときにはもうアルトの皆さんが声を出していらっしゃる。練習時間は2時間。前半を勿論準備運動や発声練習、パート練習に充てて、休憩を挟んで後半はみっちり音合わせ。何だか凄い。2~3回の音取りで、もう完璧に。と思われるくらいに仕上がっている。だから歌っていて楽しい♪それと、毎週の練習があるからこそ、仕上がりも早いのかな。同じ一ヶ月でも、毎週の練習と、一週間おき、しかも五週あっても月2回というのでは違いが出て当たり前なのかなぁ。。。
2006.01.27
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献立は、天ぷら、大豆ひじき煮、きゅうりとカニかまぼこの酢の物。添えの野菜はレタス、果物はオレンジ。◆天ぷら。。。材料はさつま芋、三度豆、人参、えび、焼き竹輪、青海苔。さつま芋は上下の黒い部分を切り取って、ピーラーで、ところどころ皮を剥いて7ミリぐらいの厚さの輪切りにし、水にさらしておく。三度豆は二つ切りにする。人参は皮を剥いて5ミリぐらいの斜め切りに。えびは尾の部分を少し切って水気をこそげ落とし、背綿を取って腹に包丁目を入れておく。焼き竹輪は斜め切りにする。小麦粉に卵を割り入れ水を加えてさっくりとこねて衣を作る。衣の一部を取り分け青海苔をたっぷり加えて焼き竹輪の磯辺揚げの衣にする。熱した油の中へ、それぞれ衣をくぐらせた材料を入れて揚げる。◆大豆ひじき煮。。。材料は大豆水煮、ひじき、油揚げ、人参、グリンピース。大豆水煮は袋から出してざるに取り、流水にさらして水気を切っておく。ひじきを水に戻して水気を切る。油揚げは縦に3つ切りぐらいにしたのを3~4ミリ幅に切り揃える。人参は皮を剥いて中の目のスライサーでついておく。グリンピースは缶から出して軽く塩茹でし、水気を切っておく。熱した鍋に油を引いてひじきを炒め、更に人参を加えて炒める。油揚げ、大豆の水煮を加えてさっと炒めだし汁を加えて一煮立ちしたら、砂糖、醤油、みりんを加えて味を調えて煮る。火を止める直前にグリンピースを加えてさっくりと混ぜておく。◆きゅうりとカニかまぼこの酢の物。。。材料はきゅうり、カニかまぼこ、若布。若布を水に戻して水気を切って小口切りにする。きゅうりはヘタを取って薄切りにし、塩をまぶしてしんなりさせ、塩を洗い流して水気を切っておく。カニかまぼこは袋から取り出して斜め切りにしたのをサッと茹でて水気を切っておく。砂糖、酢を合わせて合わせ酢を作り、材料を混ぜ合わせて味を馴染ませる。メインにはオレンジを6つ切りにしたのを置いてレタスを敷き、レタスに沿って三度豆、さつま芋、人参、焼き竹輪の磯部揚げを置いたところへ最後にえびを。(画像では何が何だかわからない感じだけど)左側には大豆ひじき煮を。これもまたひじきが真っ黒けなので、ちょっと彩りが。3番目にはきゅうりとカニかまぼこの酢の物を。天ぷらの三度豆は1本を二つ切りにして一緒に揚げたもの。先にさつま芋二枚を置く位置を決めてから三度豆をレタスに沿う様に入れ、さつま芋の左側に人参、磯部揚げにした焼き竹輪。人参の赤に重ならない様にえびを。人参を斜め切りにしたのは良いけど、ちょっと薄かったかなぁ。本数の関係で数を合わせるのに苦労したけど、本当はもう少し厚い方が。さつま芋は結構分厚いと思ったけど、芋の味が生きていて良かったと思う。さて、大豆ひじき煮とした場合、大豆が主なのか、ひじきが主なのか。。。何となくお弁当に盛り付けられたのはひじきが主って感じになってしまったけど、本当はどっちなんだろう。30人分で大豆が4袋だから、これも仕方がないのかな?きゅうりとカニかまぼこの酢の物に使うきゅうりは太い部分を半月切りに。余りにも太いのはちょっと下品な気がして。ひじきには十分に味を染み込ませたいので、一番に材料の切り込みから始めたい。
2006.01.26
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午前中はお花の教室。何と、今日はハクモクレンが登場して、すっかり春の気配に驚いた。花の世界は季節を先取りとはわかっていたつもりだったけど、添えられていたのは、アイリス。そして、淡い色のスターチス。足元にはツゲ。体芯のAあるいはD型という形に、体と用をハクモクレンにして、留めをアイリスに。ハクモクレンに苦心していた私を見かねて、結局は先生の作品みたいな感じに。初めて見る色のスターチス。何ともいえない淡い色で、先日のパープルとはまた違った雰囲気に。ハクモクレンは、間もなく花が開きそうで、それも楽しみ♪今月のお稽古はこれでおしまい。さて、来月は。ということになって、実は先週と今週とが続いて、先週の雪柳もまだまだ元気。そして今日のハクモクレンの登場とあって、続いても花がまだまだ元気そうなので、2月のお稽古は第2週と第4週の水曜日ということに。花の都合で、元気なままなら、その花を使ってアレンジしましょう。と仰ってくださる。今ある花に何かプラスすることで、全く違った花にしましょう。というお心遣いが本当に有り難い♪。アイリスも真っ青な花が開きそうだし、ハクモクレンも白く清楚に目を楽しませてくれそう。ただ、肝心の一枝が折れてしまって、とても残念。薬瓶に入れてみたけど、盛り花としての形を整えているのかどうか。。。 朝の霜が物凄かっただけに、昼間は本当にのどかに晴れ渡った淡路島南部地区。今日の配達は淡路島最南の海岸線をひた走りに走るコース。何と、今日は初めて観光バスに出会って、思わず相棒さんと二人で歓声を上げてしまった。水仙の季節になって初めて。しかもたった一台だけ。何とも寂しい水仙祭り。やはり、年末に蕾だった以外の蕾はこれから望めそうにはなさそうな。ってことは観るなら今?こればかりは自然任せなので、何とも言えないけど、やはり群生とは程遠い様な。観光協会ののぼり自体が「ふぐ料理」になってるんだもんなぁ。。。これではねえ。
2006.01.25
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2月24日が誕生日ということで、今年は免許証の更新年。何と、お弁当の配達中に、休みのお宅の前で降りて、間違いと気が付いて乗った途端にアウト。シートベルト不着用だから、改めて1時間の講義を受けなければならないことに。休みだとはじめっからわかっていたら降りなくても良かったのになぁ。道路の右側にあるからと、運転していた私が降りたばかりに、しっかりアウト。。。 免許証の更新手続きというのは各都道府県で同じなのかどうかわからないし、取得したのが大阪府で、その後淡路島に戻り、交通安全協会に入っていなかった私には更新手続きの案内通知が届く筈もなく。誕生日の翌日に最初の更新日に気づいた私は、既に手遅れ。明石運転免許試験場まで足を運ぶことに。たった1日のことだけど、はるばる明石まで出かけたのだった。 次回からは居住地の交通安全協会で手続きをして、その足で警察へ。ということになるけど、警察からの案内はがきには、交通安全協会費は『任意』です。とはっきり印刷されているし、なら支払い義務はないんだ!と、出かけてみると、やはり窓口の人は「ご協力をお願いします」と仰る。すかさず私は「任意なんでしょ?拒否します」と言う。でも、何も仰らない。ということで、今回は交通安全協会には入会せずに無事更新手続きが終了。 心配だった、視力検査も何とかパス。1時間講習の日付を聞いて退散。 淡路島では車の運転が出来ないと本当に不便な所。大阪に居たときには、まさか私が車の運転をすることになるとは夢にも思わなかったけど、淡路島へ帰ることになったとき、父が勧めてくれて、何と教習所の入学手続きまで済ませたという。これでは断りようがない。朝は父の通勤の車に乗せてもらって、帰りは歩いて。というのが何日か続いたけど、歩くことに慣れていた私は全く苦痛に思えなかった。自転車で通うにしても、帰りの坂道のことを考えると、自転車では無理で、押して歩くとなるとそれも大変。なら最初から歩いて。と、父には笑われたけど、ときどき勤務中の父を呼び出して、お昼を一緒になんてこともあったなぁ。 アマチュア無線の資格を取ったのが1973年。車の免許の方が10年余りも後ということになるので、やはり車の場合は若い方が有利なのかな?と思い知らされた気がするけど、誕生日が2月24日で、高校の卒業がその翌日。3月15日から京都で研修と決まっていた私はとても間に合わないと教習所へ行かなかった。なもので、淡路島の外では未だに運転する自信が無い。これも不便だけど、本土ならレールで繋がってるし、歩いて駅まで辿り着けば全国どこへだって行けるのだから、こんな便利なことはない。 さぁ、5年間有効の免許証を手にしたら、今度はシートベルトでアウト。なんてことにならないようにしなきゃ。スピードは。。。夫が実は探知機をつけてくれたので。。。ってこれは違法になるのかなぁ?何はともあれ、無事に済んで良かった♪
2006.01.24
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母を眼科医院まで送る約束になっていたのに、昨夜は深夜の帰宅となった夫。しかも今朝は通常よりも1時間も早出なんて話は全く聞いていなくて、私が起きたときはもうもぬけの殻。申し訳ないと思いつつ、いつもよりゆっくり目の朝ごパン。洗濯物を干したらそのまま車へ。昨日と比べてもいくらか冷たい気がして、時間に余裕があれば診察を終えて薬を貰った母を実家まで送ろうと思ったところへ、友人からのメールに気づく。どうやら、就職が決まったとのこと。こんな嬉しい話があったのだから、ささやかなお祝いと称して母の時間待ちをしようと思っていた喫茶店で落ち合うことに。 そこで見つけた、本当に綺麗な花。ガーベラとは似ているけど、何だか白い壁に映えてとおっても綺麗だったので携帯を近づけてみた。一つの花瓶に花がセンス良く3本入れられていた。色合いといい、本当に素敵に感じて。朝はモーニングがご自慢のこの店で私が敢えて選んだのは、ケーキセット。今日はココアのシフォンケーキだった。イチゴが添えられていて、チョコレートが白いお皿を飾っている。アーモンドスライスをちりばめたところに生クリーム。シフォンケーキととっても合って本当に美味しかった♪イチゴもこういう風に添えられていると、本当に素敵。大きいのがデンと載っかっていても、何だかって感じだけど、こういうのはとても上品だと思う。 さて、前置きが長くなりましたが、献立は、焼肉、油揚げともやしの胡麻酢かけ、ほうれん草磯辺和え。添えの野菜はサラダ菜、パセリ。果物はバナナ。◆焼肉。。。材料は牛もも薄切り肉、玉葱、人参。牛もも薄切り肉は食べ易い大きさに切る。玉葱は皮を剥いて、縦半分に切り、根の部分を外して5ミリぐらいの幅に切り揃える。人参は皮を剥いて大きい目のスライサーでついておく。熱した鍋に油を引いて肉を1枚ずつほぐしながら加える。色が変わりかけたら軽く裏返し、塩、コショーし、玉葱、人参を加えて更に炒める。味付けは市販の焼肉のタレを使って調える。◆油揚げともやしの胡麻酢かけ。。。材料は油揚げ、きゅうり、人参、もやし。油揚げは熱したフライパンで両面に軽く焼き色をつけ長い方に半分に切って更に細切りにする。きゅうりはヘタをとって薄切りにし、塩をまぶしてしんなりさせ、塩を洗って水気を切っておく。人参は皮を剥いて中の目のスライサーでついて茹でて水気を切っておく。もやしは袋から出して食べ易い長さに切り揃え、水にさらしてから茹でて水気を切る。胡麻を炒ってすり鉢であたり、砂糖、酢を加えて胡麻酢を作り、材料を和える。◆ほうれん草磯辺和え。。。材料はほうれん草、刻み海苔。ほうれん草は葉の部分を2センチぐらい、茎の部分を1センチぐらいに切り揃え、水にさらして塩茹でし、冷水に取って水気を切っておく。砂糖、醤油、みりんで合わせ醤油を作り、ほうれん草に味を馴染ませ、更に刻み海苔を加えて混ぜ合わせる。3つに切ったバナナを置き、サラダ菜を載せて焼肉を、ボリューム感がある様に盛り付ける。2番目には油揚げともやしの胡麻酢がけを。3番目にはほうれん草の磯辺和えを。もやしは茹でるとかなり量が減るので、本当は3番目に盛りたい感じ。もう少しほうれん草が多ければ間違いなく2番目をほうれん草にした方が良かったのかな。焼肉といっても実際は炒め物と同じ様な感じで、もう少し玉葱が入っても良かった様な。50人分で玉葱が5個というのはちょっと少ない気がする。先週のホイル焼きでさえ30人分で5個は使った計算になるのに。玉葱は甘みが出るので、お年寄りには優しい味になったかな?胡麻酢には胡麻をたっぷりと使って香りを引き立たせ、もやしはシャキッと仕上げたい。ただ、茹で加減が難しいところ。3番目にするには多かったほうれん草。ほうれん草も物によって、茹で加減で微妙に分量が減ったりするけど、バランス的に酢の物が多いのと、お浸し味のが多いのと、どちらが良いんだろう?
2006.01.23
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私が大好きな小椋佳さんが淡路島へ来るらしい。と、夫が知らせてくれて何日過ぎた。たまたま昨夜「楽しい方の」コーラスの練習があって、その練習場所で小椋佳さんのチャリティーコンサートの話が出た。もう、チケットは残り少ないという。聴覚障害者の支援ということで建設が始まった施設の資金援助などを目的に。とあっては、以前勤務していた印刷会社とは無縁ではなかろうと、早速出かけてみた。そこで見つけたのが、このカサブランカ。専務ご夫妻の銀婚式にと、贈られたものだという。何だか凄く豪華で早速携帯を近づけてみた。それにしても、銀婚式って、25周年なんですよねえ。私たちだと後9年もあるんだ。二人が元気でいられます様に。。。 さて、オマケのように登場しましたのは、木曜日に配達したコースで見つけた咲き始めたサクラソウ。いつも本当に見事な花を楽しませてくれるのが、もう、こんなに咲き始めているのを見つけて、感動! 水仙の話題が出たところで我が家の庭にも目を向けてみたら、結構咲いている。風に揺れる水仙はちょっと変な格好になったけど。。。で、3時のおやつがコレ。 皆さんから温かいメッセージを寄せて頂きましたが、今朝、「地元のコーラス」のお世話をずうっとしていてくださった人の職場までお邪魔して、「前向きに。。。」話を進めようということに。何しろ参加者が少なければ話にはならないけど、「歌いたい♪」人が集まれば。
2006.01.21
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月の毎週第一、第三木曜日は地元のコーラスの練習。1月の場合は新年早々ということもあって、第二木曜日に変更された。私は、堺市へ出かけていたので、今年になってから今夜が初めての練習。「楽しい方」のコーラスで聞いていた通り、「淡路合唱祭」は3月12日。「淡路音楽祭」は8月6日なのだとか。ただ、私たちのコーラス。実はもう3年は大丈夫と思っていたのに、4町合併のあおりで、この4月からは「同好会」にして欲しいとのこと。まだ、そちらの結論は出ていませんが、さて、どうなることやら。ずうっとお世話をしてくださった人に、「発起人になってよ」なんて言われたけど、「それはちょっと待って。」内心は「楽しい方」のコーラス一本に絞れるならその方が有り難いと思っていた矢先だから、考えあぐねてしまう。本気で続けたい人が一体何人いるのかもわからないし、「この指と~まれ」なんて言って、協力してくださるのかどうか、全く話し合う時間も無かったし。一緒に歌っている人の中には、着付け教室に参加していらっしゃって、いち早く同好会を立ち上げたと仰っておられた。もう、11月頃からそんな話が出ていたらしい。なのに、コーラスにはどうして情報が入らなかったんだろう。。。? というわけで、かなり遅くなってしまいましたが、献立は、白身魚のホイル焼き、揚げ豆腐のあんかけ、ピーマンと小魚炒め煮。添えの野菜は、白身魚のホイル焼きにパセリ。果物はつきません。◆白身魚のホイル焼き。。。材料は、白身魚切り身、シメジ、玉葱、レモン。シメジは小房に分け更にほぐしておく。玉葱は皮を剥いて縦半分に切り、根の部分を取り、繊維に沿って薄切りにする。レモンは輪切りにする。あらかじめ魚と野菜が包み込める大きさのアルミホイルを人数分用意し、白身魚は身の部分を上にして、塩、コショーをまぶし、玉葱、シメジを載せ、最後にレモンを添えて包み込む。ホイル焼きとなっているけれど、蒸し器で20分間蒸し上げました。◆揚げ豆腐のあんかけ。。。材料は、豆腐、絹さやえんどう、筍水煮、玉葱、干ししいたけ、剥き海老。豆腐は届いた時点で包装の上から包丁を入れ逆さにして水気を切っておいたのを6等分に切り分ける。絹さやえんどうは、冷凍のものをさっと水にくぐらせて斜め切りにする。筍水煮は袋から出して縦半分に切り、水にさらしておいてから下の部分繊維を断ち切る感じに3ミリぐらいの厚さに切り、更に短冊切りに。上の柔らかい部分は形を残す様な感じで下の部分と同じぐらいの大きさに切る。玉葱は皮を剥いて縦半分に切り、根の部分を取り更に横に半分に切ってから繊維に沿って3ミリぐらいの厚さに切る。干ししいたけはぬるま湯に戻してから水気を切り、硬い部分を切り取って半分に切り、更に薄切りする。剥き海老は冷凍の物を用意し、水の中で解凍する。切り揃えた豆腐に片栗粉をまぶして、熱した油で揚げる。熱した鍋に油をひいて、剥き海老を炒め、玉葱、筍水煮を加えて更に炒め、玉葱がしんなりしてきたら、しいたけの戻し汁、水を加えて一煮立ちしたら中華出しを加えて沸騰させあくを取る。酒、醤油、みりんで味を調えて材料に十分火を通し、水溶き片栗を加えてとろみをつけ最後に絹さやえんどうを加えて火を止める。◆ピーマンと小魚の炒め煮。。。材料は人参、ピーマン、ちりめんじゃこ。人参は皮を剥いて大の目のスライサーでついておく。ピーマンはヘタを取って縦半分に切り種の部分を外して更に縦半分に切り5ミリぐらいの厚さに横に切り揃える。熱した鍋に油を引いてちりめんじゃこを炒め、人参を加えて人参がしんなりするまで炒め、ピーマンを加える。砂糖、酒、醤油で味を調え材料に味が馴染むまでかき混ぜながら煮て、汁気が飛んだところへごま油で香りをつけ火を止める。メインには白身魚のホイル焼きを置いてパセリを添える。2番目には揚げ豆腐のあんかけを。3番目にはピーマンと小魚の炒め煮を。ホイル焼きという名前ながら、いつも蒸し焼きになってしまうけど、レモンの香りが漂って、良い感じに臭みが取れてあっさりといただける。豆腐を揚げて。。。というのは、揚げ出し豆腐しか作ったことが無く、本邦初公開のお料理。豆腐を茹でて酢の物仕立てにしたのをトッピングというのはあったけど、いかにも夏向き。中華あんにするとトロミがあって冷め難いのでこんな寒い日にはうってつけだと思う。干ししいたけの戻し汁を使って香りも良く。3番目のピーマンと小魚の炒め煮には、少しゴマ油を加えるところがミソかな?手早く仕上げないとピーマンの色が変わってしまうので。今回人参を加えたのが彩り良く仕上がったと思う。
2006.01.19
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震災の記憶を綴ったら、“きなこのママさん”や、“しまちゃん”から温かいメッセージが届きました。本当に有難うございます。何回も綴りますが、実際にあの揺れでは何も出来ないこと、ただもう布団を頭から被って震えているしかなかったこと。。。避難だ、非難b袋だ。はそれからだったこと。だから兎に角家にある物に押し潰されるなんてことにならない様に、その予防が大事なんだと思う。中には家が倒壊して、ピアノのお陰で助かった。という話もありましたが。震災で犠牲となられた方のためにも、私たちが同じ道を歩むなんてことが無い様に、工夫しなければならないのでは、と思います。大切なのは『命』ただそれだけな気がします。。。 また、言い訳になってしまいますが、水曜日は朝からお花の教室へ出かけ、その後、「楽しい方」のコーラスを指導してくださっている先生とお喋りしていたもので、あたふたと出勤時間を迎えてしまい、結局はPCを立ち上げる元気も無く、淡路島最南の海岸線をひた走りに走るコースの配達を担当して、運転疲れもあり、すっかりこのていたらく。。。済みません。 皆さんから問い合わせが多い、「黒岩水仙」ですが、蕾はすっかり花が開いたと思います。南あわじに春を告げるこの黒岩水仙。見頃は今を逃しては無いかも知れないという気がしています。というのも、蕾がついていない部分が多く、今以上に開花しないのじゃないかと。年末に蕾だったのはもうすっかり開花してしまっている状態。枯れた花など見たくもありませんよね。だから、出かけるのは今が良いのかな。と考えを改めることにしました。台風の影響もあって、地肌が丸見えの部分があって、とても群生というところまでは至りません。あの台風の被害を目の当たりにした方なら、こんな風に復旧できただけでも凄いことだと言わざるを得ない状態。。。たった一つの花を楽しめる方でしたら、十分に満足いただけると思いますが、お出かけされるには、是非快晴の晴れ渡った風の穏やかな日をお勧め。。。と、これもお天気任せですから、決めた日が雨だったり風が強かったりしたら、「もう、二度と淡路島など行きたくない!」なんて思われることが、一番悲しいです。皆様が訪れる日が、快晴であります様に。。。 さて、前置きが随分長くなりましたが、雪柳を使って、雪柳の枝ぶりの面白さを十分に楽しむ様な生け花になりました♪脚の長いタイプの花器に初挑戦。メインは雪柳で、雪柳の枝ぶりを楽しむ体芯の横体、垂体という形に。真ん中にはピンクのキンギョソウ、足元には黄色の小菊をあしらって。春の風を感じさせる様に、ミスカンサスを加える。中心になる雪柳をかなり左に傾けて右に用、左手前には留めを。折角のピンクの色がかわいいキンギョソウなので、小菊は適当に花をつまんで少な目にしたつもりだけど、殆ど開花してしまっていたので、やはり目だってしまったかな?キンギョソウはあくまでも基本に忠実な位置に活け、手前の足元には必ず小菊を。 自宅で入れ直したのは、仕事から戻って。ということになったので、イメージが違うし、花器も脚の付いたのは持ってなくて、投げ入れに挑戦してみたけどまとまりがつかなくて、復習のつもりで思いっきり雪柳の枝ぶりの妙というのを楽しんでみました♪
2006.01.18
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と題することが出来るだろうか。今日付けの地元紙の『正平調』ではやはり、阪神・淡路大震災のことが取り上げられている。そのまま引用させていただきます。。。 『「希望の灯(あか)り」は神戸の東遊園地にある。阪神・淡路大震災の犠牲者を悼み、助け合うことの大事さを語り継ぐ象徴として燃え続ける◆その火をランタンに移して持ち帰るのが「分灯」だ。ことしは、昨夕までに40件を超す分灯があった。運ばれる先はさまざまで、グループもあれば個人もいる。それぞれ、小さな灯りに11年前の「あの日」を思う。加古川市立神吉中学校もそんな分灯先の一つだ◆被災地の学校ではない。しかし震災が奪ったもの、震災から得たことを自分たちの日々に重ねてみないか。学ぶことがたくさんあるのではないか。生徒会と教師がそう話し合い、02年から「1・17」の集まりを始めた。以来、分灯を欠かさない◆きょう、644人の生徒が、ランタンから移したロウソクの火を見ながら、追悼の集まりを開く。大切な家族や友人のことを考える。災害が絶えない現実に思いをはせる。「強く生きる」。灯りにそんな願いを込めたい、と教師は言った◆ささやかでも意義のある取り組みだろう。ときがたつほどに、少しずつ少しずつ記憶は薄れる。しかし、きょう一日はちょっと立ち止まってみたい。あの日、なにを思ったか。なにに怒ったか。小さな灯りは、この11年間を振り返らせてくれる◆官邸や国会も灯りを持ち帰ってほしかった。大震災にかかわったすべての官公庁や団体が分灯を机に置いたなら、その周りでどんな会話が生まれるだろうか。大震災をもっと手繰り寄せたい。丸11年になる「1・17」に、そう願う。』 叔母から頂いた結婚祝いの高価な食器がことごとく粉々になってしまって、形あるものはいつかは。。。なんて思っても、思い出が一杯詰まった食器、手に馴染んだ食器の数々。。。それがほんの数分でごみの山と化してしまった。 避難、避難というけど、実際あの揺れの中で一体何が出来ただろう。布団を頭から被ってただ震えているだけだった。そしてあの梁がバキッと音をたてたときは、もう駄目だ!と思ってもどうすることも出来ない。やや時間があって、枕元のラジオでは阪神高速道路の一部が倒壊したと伝えている。これはただ事ではないと思い知らされる。 観音開きの食器棚を揺れに併せるかの様に南北に置いていたからたまらない。食器は引力に任せて落ちるしかなかったのだから。 でも、幸いにして怪我とか倒壊ということはなくて、一部損壊程度で済んだのが不思議なくらい。あの音だから、もう助からないと覚悟を決めてしまった。でも実際に外へ出ようなどという気にならなかった。揺れが酷いときはそんなものだと思う。 さて、揺れが収まって外に出ようとするとき、やはり素足だとか靴下のままでは危険極まりないと思う。飛び散った食器のかけらが至るところで見つかる。せめてスリッパは履かないと。 よく、災害のときは何が?と聞かれる。でも、避難するための道具。。。脱出する為の道具が先ず必要なのではないだろうか。災害はいつやって来るかわからない。明るいうちだったら何とか様子が見えるけど、暗くなってから、しかも停電なんてことになると、何が何だかまるでわけがわからない。そして、揺れのすさまじさを物語る様に、サッシの鍵などは外れて吹っ飛んでいた。ただ事ではなかったんだと思い知らされる。 我が家では命に関わるような怪我とか事故とかはなかったけど、ストーブによる引火で大火災が発生して、そのために犠牲となってしまった方が随分出てしまったこと。本当に残念で仕方がない。でも、生きている人たちだって、随分苦しまれたと思う。だから、今生きている人がどうかこれからもお元気で。と私は祈りたい。命を落としてしまわれた人たちの供養の為にも。
2006.01.17
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風邪気味ということもあって、月曜日の献立をUPするのがこんな時間に。。。一旦家へ戻って夕食の用意やら、寝具の整頓やら、洗濯物の片付けやらしていて、夫が帰宅するまでの間にPCを立ち上げてメールを確認したり、返事を書いたりしていて夫が帰宅して夕食、片付け、入浴などしていたら、もう何だか疲れ果ててしまった感じで、申し訳ありません。。。 さて、献立は鶏肉ゆうあん焼き、おから煮、ひじきの酢の物。添えの野菜はレタス、ブロッコリー。果物はりんご。◆鶏肉ゆうあん焼き。。。材料は鶏もも肉、ゆず。砂糖、酒、しょうゆ、みりんで味を調えた合わせ醤油を作る。ゆずは丁寧に洗って、皮をおろし金ですりおろし、半分に切って種が入らない様に絞って加え、鶏もも肉を漬け込んでおく。グリルの天板を温めて、クッキングシートを敷いて皮を上にして鶏肉を並べて180度ぐらいで20分加熱し、焼き加減をみて調節し、削ぎ切りにしておく。◆おから煮。。。材料はおから、人参、葱、干ししいたけ、卵。干ししいたけをぬるめのお湯で戻しておく。人参は皮を剥いて中の目のスライサーで短くついておく。葱は根の部分を切って小口切りにする。干ししいたけは水気を切って硬い部分をはずし、薄切りにする。卵は割りほぐしておく。熱した鍋に油を引いておからを炒め、十分に炒まったら、干ししいたけ、人参を加え、しいたけの戻し汁、出し、砂糖、醤油、みりんなどで味を調え十分に火を通す。割りほぐした卵を加えよくかき混ぜながら卵に十分火を通す。最後に葱を加えて混ぜ、火を止める。◆ひじきの酢の物。。。材料はひじき、カニかまぼこ、きゅうり。ひじきは水に戻して水気を切って軽く茹でる。カニかまぼこは袋から取り出し、5ミリぐらいの厚さの斜め切りにする。きゅうりはヘタを取って薄切りにし、塩をまぶしてしんなりさせ、塩を洗って水気を切る。用意した材料を混ぜ合わせ、砂糖、酢で作った合わせ酢で十分味を馴染ませる。きゅうりから水気が出るので、必要ならもう一度合わせ酢を作って馴染ませる。うさぎにしたりんごを置き、レタスをバリアにして鶏肉ゆうあん焼きを載せる。空いたところへブロッコリーを飾る。2番目にはおから煮を。3番目にはひじきの酢の物を。メインに添えたブロッコリーは軽く塩茹でしているけど、2日目には小さく切ってマヨネーズで和えアルミカップに入れてみた。お年寄りにはどちらが食べ易いのだろう。ブロッコリーでも少し味が付いていると食べ易いのかな?2番目のおから煮にはもう少し葱の青みがあっても良かった様な。。。3番目のひじきの酢の物は本邦初公開ということで、作るのも全く初めて。戻しただけのひじきではまずいだろうと下茹でしてみたけれど、やはり炊くのと違って味が馴染み難い。少しごま油で炒めてから合わせ酢に入れた方が味が馴染み易かったのかなぁ。果物のりんごは散々迷って大きいのを上と下を切り落として長さを揃える感じにしてからうさぎにしたので、ちょっと不細工になったけど、入らないのは仕方が無いので。。。でも廃棄した部分の方が勿体無い様な。。。 月曜日の配達は、淡路島最南の海岸線をひた走りに走るコース。途中には全国的にも有名になった灘黒岩水仙郷がある。それをチラッと観ながら。。。残念なことに人影はまばら。それも仕方が無いのかな。台風の影響はまだまだあるみたいで、芽を出しているのもまばらな気がする。ところどころ地肌が見えているし、花も満足には付けられないみたいで。ただ、ここの水仙は自生を売り物にしているので、こればかりは仕方がないのかな。ただ、青い空が青い海に反映すると思うので、淡路島へ来られるときは、絶対にお天気の良い日を選んで欲しい。冬色の空だと、海も何だか悲し気で、折角の淡路島の景色も台無しな気がする。といっても、行こうと決めた日が雨だったりしたら、そればかりは。。。自然を相手の水仙の開花。これも、神のみぞ知るとしておいた方が。。。と、観光協会の人には叱られそうなコメントですが。。。
2006.01.16
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起きたときは雨が降ってるし、枕元のラジオでは大鳴門橋は強風のため速度制限が行われていると伝えている。午後から始まるコンサートへは、お昼前の11時8分最寄り高速バスのバス停発のに乗りたいと思っていた。傘をさすかささないか微妙な雨脚だったからそんなに気にはしないでいたら、淡路島の北へ向かうに連れて濃い霧に驚いた。いつもは綺麗に観える明石海峡大橋も途中で霧の中。皆さんの注目を集めたのは、やはり「わだやま少年少女オーケストラ」ではなかっただろうか。ふるさと創生資金を何とこの和田山町では、『新しい和田山の音楽文化の振興とこころ豊かな青少年の育成をめざす』ことに使おうという声が高まり、1990年に結成されたという。本当に素晴らしい。オーケストラに入団されると先ずヴァイオリンの練習が始まり、ピアノ、ソルフェージュとこなすことになっていて、その響きの綺麗なこと。最小学年は小学2年生だという。これからもずうっと頑張って腕を磨いて欲しいと願わずにはいられない。合同の演奏となった『モルダウ』もとても素晴らしかった♪ 個人的に私が大好きな外山雄三の『ラプソディー』が挿入されていて、とても感動的だった。私が実際にブラスバンドで演奏した経験がある『八木節』が最後に登場して、本当に懐かしかった。勿論楽器の編成そのものが違うのだから、迫力もまるで違う。 で、第一部の演奏中ずうっとアンケート欄を埋めていたのに、二つ折にしてプログラムにはさんでおいたのが、いつの間にか落ちたらしい。隣に座った女性が目にも留まらぬ速さで拾い、くしゃくしゃにして自分のコートのポケットへ突っ込んでしまった。。。こんなことってあるんだぁ!確かに、プログラムには色んなコンサートのチラシがはさまれていたから、自分が落とした物と勘違いするのも無理はないけど、確かめもせずに。。。といってもしょうがない。落としたのは私なんだから。と、そのことで何だかガックリ。声を掛ける間も無かったもんなぁ。。。開演までの時間、お隣の人とやや専門的?と思われる会話を声高にしていたので、何だかな。という気もあったし声を掛けられる雰囲気でもなかったけど。それにしてもなぁ。。。 朝比奈千足先生が登場すると会場からは惜しみない拍手。やはり挨拶の最初にお天気のことを心配されていらっしゃったことが伝わってくる。土曜日ということもあって各地で色んなコンサートがあったらしく、高速バスに乗り込んだ途端、大阪へ向かうご夫妻とバッタリ。大阪大学グリークラブの演奏会があると仰って、私も誘ってくださったけど事情を説明してお断りすることに。それにしても聴きたいのがどうして同じ日に重なってしまうんだろう?でも、雨にも関わらず会場を埋め尽くす人への先生からのお言葉が会場を和ませる。これだから止められない。音楽を是非皆さんで楽しんでいただきたい。そんな思いがそこかしこに溢れている。演奏される皆さんもかなりきつい練習に耐えてこられたと思うけど、それはやはり『音』になって表れていた気がする。本当にお疲れ様!そして有難う♪
2006.01.14
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こつこつ積み上げてきたものが全てパーになってしまった。修理を依頼していた業者から連絡があり、ハードディスクもアウトだとのこと。ならばもうただの箱。全くバックアップを取ってなかったのは私のミスだけど、貴重なメアドまで消えてしまうのは、本当に残念。皆さんから届けて頂いた画像は何とか画像掲示板に残っているので助かったとしても、メールで送っていただいた画像は全てアウト。何だか。。。バックアップを侮っていては泣きを見ることになる。 まさかハードディスクまでとは思っていなくて、少々楽観視していたけど、これではどうにもお手上げ。 言い訳の続きみたくなってしまうけど、午後2時に開演する神戸市での演奏会を聴く予定になっていて、家を10時半過ぎには出たいので、またもやresも満足に出来ないままの家出ということに。。。 何とかメールは送受信出来ることになったけど、画像の保存はこれからに。なもので、11日にUPするつもりだった1月11・12・13日共通のお弁当(11日付けの日記に)、12日の演奏会の模様(12日付けの日記に)、考えたら昨日の日記もまだだけど、今から出かけるまでの時間を溜まりに溜まっていたメールのお返事に。
2006.01.14
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散々迷った挙句、往復フェリーを利用することに決めてひとまず津名港へ。フェリーに乗るのは本当に久しぶり。昼間のイベントなら大阪府下でも三ノ宮経由で十分帰って来られるけど、午後7時開演のイベントだと、こうは行かない。おまけに演奏会が終わったところでそそくさと帰るなんてのは余りにも勿体無くて、そうすると最終が午後10時半に出るという三ノ宮発の高速バスには到底間に合わない。以前は午後11時40分発だった、泉佐野港からのフェリーが何と、午前0時15分発に変わっている。でも、これはどうにもならない。車を運転する人なら時間など関係無く移動は出来るけど、やはり私の様に島の外で車を運転したことが無い者にとっては、本当に島は島。演奏会も泊りがけで。なんてことになりかねない。 さて、演奏会が始まるまでの時間を私は叔母の家に立ち寄ることに決めて、着いたのが午後3時前だったのかな。たまたま叔母にはお孫さんが来ていらっしゃって、話が弾む。理学療法士の資格を取って、叔母の訪問リハビリの役を買って出ているしっかり者。もうすっかりお母さんが板についてきたみたいで、そのことにも驚かされる。人の成長って本当に早い。叔母さんには3人の女の子のお孫さんがいらっしゃって、結局は3人共お嫁に行ってしまったと、末のお孫さんの結婚写真やら、上のお孫さんの赤ちゃんの写真やらを見せて貰うなどして話が弾む。 さて、本題の『第九』。今年は阪哲朗指揮、管弦楽は何と、アンサンブル神戸。兵庫県民でありながら、この楽団のことを全く知らなかったのは、何だかちょっと恥ずかしい。 いよいよ時間になって、ずらりと勢揃いする。先ず驚いたのは、普通は客席からだと一番右に位置を占めるコントラバスの人たちが何と、私の真正面という感じに、一番左側にいらっしゃる。この並びには驚いたけど、私自身は低音が響き渡るのが好きなので、たまらなく良い感じだった。楽団員に続いてもう合唱団員が登場している。これにも驚いたけど、なるほど座っての待機。それでも決して楽ではないんですよね。合唱が始まるまでじっと待っていなきゃならないのだから。 合唱団員は総勢110人余り。私たちとは随分違う。ソプラノなどは34名。なのに素晴らしい音量。考えたら110人余りの合唱というのも私には初めてな気がする。一昨年の12月に聞いた加古川での演奏会はどうだったのかなぁ。 ずうっと外山雄三指揮で。というイメージがあったから、ここ数年随分色んな指揮者の方がタクトを振っている。今回の阪さんも私には初めて。しかも、楽団も初めて。それでもコンパクトながらとても聴き応えのある演奏だったし、何といっても合唱団員の皆さんの表情が実に良い。歌うのが楽しくて仕方がないといった感じ。音楽って、本当はこういうのを言うんじゃないのかな。聴く人も演奏する人も共に楽しむ。といった様な。。。 演奏会の後、団長さんにおねだりして交流会にも参加させていただいた。本当に、歌ってて楽しかったという声があちこちで聞かれ、全く新しい感じの演奏がとても身体に馴染んでいたんだな。と。 思わず会場で一緒に口ずさんでしまってて、最後の部分には本当に驚いたけど、こんな形の演奏もアリなんだな。と感動を新たにすることが出来た。今度は9月の演奏会に向けての練習が始まるけど、さて、出し物は。。。? 考えたら淡路島へ戻ってもう23年にもなるのに、こうして温かく迎えてくださるメンバーの人にも感謝♪ いくらフェリーの時間に余裕があるといっても、そんなに長くは居られないと、適当に座を外して、タクシーを拾うのに、りんくうタウン駅が良いのか、泉佐野駅が良いのか、堺駅で確かめると、泉佐野駅の方が確実だというので、泉佐野駅で降りて。。。それでも時間は少しあるし。と、ふと初めて入ったお店がとても感じ良くて。「今度は9月に!」なんて約束までしてしまった。楽しみがまた一つ増えた堺行きとなることに♪
2006.01.12
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まだまだ臨時のPCに慣れていなくて、キーボードを見ながらの入力作業。時間がかかって仕方がない。微妙なキーの位置が違うもので、(例えば右手の小指が担当する。。。)と、言い訳を並べながら、結局昨日は我が家で伊勢講というのがあって、男性が4名と夫の5人で座を囲むというスタイルで、お料理は仕出し屋さんに頼んで、ご飯とかお漬物、お味噌汁は用意しなければいけないし、また別の来客もあったりで、お相手をしていたら、結局お客様たちもそそくさと帰ってしまわれて、今度は後片付け。仕出し屋さんからの鍋とかは中身を取り除いただけだけど、お酒を飲んでるので、お銚子とか杯とか、兎に角我が家の食器棚から出して使った食器だけでも片付けておきたいし。などとやっていたら、案外遅くなってしまって、UPする予定だったお弁当(実は今日は仕事を休んである所へ)のUPも出来ずじまい。 さて、母を行きたいという場所へ送ったら私は一路高石市目指して家出ということに。堺市であるイベントの時間のために、私の様に島外で車を運転したことがない、あるいは運転免許証を持たない人の帰りのルートといえば、結局深夜を15分過ぎる泉佐野港発のフェリーに乗るしかないわけで、これで金曜日の仕事は大丈夫なんだろうか。と思いつつ、母との約束の時間が迫ってきましたので、そろそろ家出になります。お出かけくださった方のところへもお伺い出来ず申し訳ありません。
2006.01.12
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12日は休暇を取って出かける予定になっていたのでと、11日にUPするのがこんな時間になってしまいましたが、献立は、山菜ご飯、鮭塩焼き(添えに出し巻き卵)、煮物、ほうれん草エノキ和え。添えの野菜はレタス、ブロッコリー。果物は温州みかん。◆山菜ご飯。。。材料は山菜の塩茹で、人参、焼き竹輪。米は普通に研いで分量の水を加え出しこんぶを載せておく。山菜の塩茹では袋から取り出して流水にさらして塩抜きする。人参は皮を剥いて中の目のスライサーでついておく。焼き竹輪は薄い半月切りにする。塩抜きした山菜、人参、焼き竹輪を混ぜ合わせご飯の上に載せ、酒、醤油、みりんで味を調え炊飯器で炊き上げる。適度に蒸らしたら昆布をはずして満遍なく材料が行き渡るようにさっくりと混ぜ合わせる。◆鮭の塩焼き。。。材料は鮭の切り身、大根。グリルの天板を熱しておいて、クッキングシートを敷いて鮭を並べ、上から塩を振って170度ぐらいの温度で15分加熱し、焼き加減を見て調節する。大根は皮を剥いてすりおろす。添えのだし巻き卵は袋ごと湯煎し、8等分に切り分ける。◆煮物。。。材料は、高野豆腐、三度豆、ホタテ、海老。高野豆腐を水で戻し、流水の中で絞り、6つ切りにする。三度豆は斜め二つ切りにする。ホタテは冷凍のものを袋ごと水にさらして解答しておく。海老は背綿を取っておく。だし汁に砂糖、酒、醤油、みりんで味を調えた煮汁で高野豆腐から煮て、その煮汁を別の鍋に取り、三度豆を軽く加熱する。高野豆腐を鍋から出して、海老、ホタテの順に煮ていく。◆ほうれん草エノキ和え。。。材料はほうれん草、エノキ、人参。ほうれん草は葉の部分を2センチぐらいに、茎の部分は1センチぐらいに切り揃え水にさらしておいてから塩茹でし、冷水にとってあくを取り、水気を切る。エノキは根の部分をはずし長ければ3つ切りにし、軽く茹でて水気を切る。人参は皮を剥いて中の目のスライサーでついて、塩茹でして水気を切っておく。用意した材料を混ぜ合わせ、砂糖、醤油、みりんで味を調えた合わせ醤油で和え、アルミカップに取り分けておく。ご飯が山菜ご飯なので、細長いお弁当箱を使って、先ず右からメインには温州みかんを置いたところへバリアのレタスをおき、鮭の塩焼き、出し巻き卵、大根おろしを。ただ、この画像そのものは11日のものなので、温州みかんと鮭のバリアにはバランを使い、レタスを小さく切った物と、きゅうりの塩もみをフレンチドレッシングで和えたものをアルミカップに入れ、空いたスペースにブロッコリーを。真ん中の上の部分にはいつもはお漬物が入ることになるけど、みかんが大きくてスペースが無かったので、お漬物を止めてアルミカップに入れたほうれん草エノキ和えを。下には煮物を。先ず高野豆腐を二切れ、左側にホタテを右側に海老を置いて最後に三度豆で彩りを。左側には山菜ご飯を盛り、真ん中に紅生姜をあしらう。2日目、3日目には温州みかんを小にしてもらって、レタスがバリアになるように置いて鮭を。なもので見た感じは少し違いますが。。。ただ、あくまでも山菜ご飯というなら人参はどうかな?と思いつつ彩りは良いのかな?ほうれん草エノキ和えにも人参を加えるのは初めてだけど、赤いのが少し入ることで、目にも鮮やかに。
2006.01.11
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月曜日が成人の日で休みだった配食サービス。なもので、火曜日(10日)限定のお弁当となります。相変わらずPCが不調の為、画像は掲載出来ないままですが。。。 献立は、ポークチャップ、ほうれん草白和え、穴子ときゅうりの辛子和え。添えの野菜はサニーレタス、茹でたブロッコリー。果物はバナナ。◆ポークチャップ。。。材料は、豚ロース肉、シメジ、玉葱、人参。豚ロース肉は手の平で軽く伸ばし、ボールに塩、コショーをまぶしながら加え、熱した天板にクッキングシートを敷いて並べ、パン粉を軽く振り、角切りにした無塩バターを載せて170度ぐらいで12~15分焼いて焼き加減を見る。食べ易い大きさに切っておく。シメジは小房に分ける。玉葱は皮を剥いて縦半分に切って根の部分を取り、横に半分に切って更に繊維に沿って1.5センチぐらいの幅に切り揃える。人参は皮を剥いて太いところはいちょう切りに、細いところは半月に3ミリぐらいの厚さに切り、軽く下茹でしておく。熱した鍋に油を引いて、シメジ、玉葱、人参を炒め十分に火が通ったら塩、コショー、ケチャップ、ウスターソースで味を調えて煮込む。◆ほうれん草白和え。。。材料は、ほうれん草、人参、絞り豆腐、ごま、味噌。ほうれん草は、葉の部分を1.5センチぐらいに、茎の部分は1センチぐらいに切り、塩茹でしたのを水にさらして水気を切る。人参は皮を剥いて、中の目のスライサーでついて、みりんと醤油、砂糖などで軽く下味をつけておく。ごまを炒ってすり鉢であたり、絞り豆腐を加えてよくなじませ、更に味噌、砂糖を加えて味を調えたところへ、ほうれん草、人参を加えて和える。◆穴子ときゅうりの辛子和え。。。材料は焼き穴子、きゅうり、オオバ。焼き穴子は熱した天板に並べて軽くあぶる程度に火を通し、1.5センチ幅に切り揃える。きゅうりはヘタを取って薄切りにし、塩をまぶしてしんなりさせ、塩を洗って水気を切る。オオバは大きさによって縦2つか3つに切り、更に横に細切りにする。穴子の荒熱が取れたら材料を合わせ、砂糖、醤油で味を調えた合わせ醤油を作り、水で溶いた辛子を加えた辛子醤油で和える。メインにはバナナを3つ切りにしたものを置いたところへサニーレタスをバリア代わりに敷いて豚肉を置き、野菜が入ったルーをたっぷりとかける。(豚肉を熱したフライパンで焼くのではなく、オーブンで焼く形にして上からルーを掛けるやり方にしました)茹でておいたブロッコリーを添える。2番目はほうれん草の白和えを。3番目には穴子ときゅうりの辛子和えを。材料が98人分だったところ、今日の食数は88食とあって、きゅうりをちょっと減らしたのがいけなかったのか、メインのポークチャップに使う豚肉はもう少しあっても良かったのかな?と思うけど、白和えに使う豆腐、穴子などたんぱく質たっぷりなので、ちょっと少な目なのは仕方が無いのかな?普通に付け焼きにするよりは柔らかく仕上がって食べ易いと思う。2番目のほうれん草はちょっと多過ぎたのかな?とも思ったけど、どうなんだろう?何しろ品物が品物だったので、良い部分をより分けするのに時間がかかってしまった。こんな時期だから仕方がないのかなぁ?と、明日からもほうれん草を使った献立があるのになぁ。3番目のきゅうりと穴子の辛子和えには、もう少しきゅうりが欲しいかな?ということに。オオバと辛子の香りで穴子の臭みを和らげる一品に。
2006.01.10
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皆さんにはご心配をおかけしてしまいましたが、違うPCだとログインできないものと思い、ずうっと日記の更新が出来ずにいましたが、試しにやってみたら、難なくログインできたのがとても嬉しくて、早速、今日の日記から更新してみます。 今日の地元紙のくらし欄に、「成人の日に寄せて」と題して水谷修氏のコラムが載っていたので、そのまま引用させていただきます。 『新成人の若者たちに向けて、「夜回り先生」として知られる水谷修さんに寄稿してもらった。 私は、14年間夜の町を歩き回ってきました。夜の街の若者たちに声をかけ、エッチなビラや看板をはがし、若者たちをねらう大人たちと対峙(たいじ)しー。また、2年前からは、メールや電話を通して、日本各地で夜眠れずに苦しむ若者たちとともに生きてきました。既に10万人近い若者たちと触れあっています。そのほとんどは、10代後半から20代前半の若者たちです。その中には今年成人式を迎える多くの若者もいます。 今若者たちの生きているこの時代は、憎しみや哀しみ、そして怒りに満ちています。君たちの今までの人生を振り返ってみてください。どうですか、優しいことばと哀しいことば、どちらをいっぱいもらってきましたか。多分ほとんどの人は、後者、哀しい厳しいことばでしょう。 世界を見回しても、イラクでの哀しい戦い、世界各地でのテロ、わが国と韓国や中国との悪化し続ける関係、優しさや思いやりはどこかに置き去りにされ、不信感に満ちています。何かこの世界中が憎しみで満ちています。家庭や学校でさえもです。 このような中、多くの若者が明日を見失っています。社会に出ることを捨てる若者、深夜の町で非行を繰り返す若者、薬物に救いを求める若者、死を考え苦しむ若者。多くの若者の悲鳴が私の元に届きます。 それらほとんどの若者は、親や教師、大人たちからの日々の厳しいことばの暴力の中で、自信を失い、自らは何の存在価値もない人間だと失望しています。私は彼らに必ずこういいます。「周りに優しさを配ってごらん、人のために何かしてごらん。返ってくる笑顔や感謝のことばが君の明日を生きる力になります」 成人式を迎えたみなさん、お願いです。人と人とが優しくふれあい、世界が笑顔で満ちる時代をつくってください。これは決して難しいことではありません。まずはみなさん一人一人が、周りに優しさを、人のために何かをすればいいのです。 今を苦しむ皆さんには、特にお願いです。ぜひもう一度自分の殻から外に出てください。苦しむのは答えが出ないから。過去や答えの出ないことで今を汚さず、今を明日のために使いませんか。すべての人の中には、優しさがあります。今の時代はそれが見えにくい時代です。でも、もう一度人を信じてみませんか。優しさを配ることで、返ってくる笑顔やありがとうのことばが、必ずみなさんの明日を開いてくれます。(元高校教諭)みずたに・おさむ…1956年横浜市生まれ。若者の非行防止と更正のため「夜回り」と呼ばれる深夜パトロールや、講演活動を続ける。著作に「夜回り先生」「いいじゃない、いいんだよ」など。』 何か、そこにたたずんでいるだけで、人をほんわかとした雰囲気で包んでしまう、そんな先生の温かさが伝わってくるような。。。 昨日は、最寄の高速バスのバス停7時38分発のバスに乗って神戸へ出ていた。臨床福祉心理士(中級)の7回目の講義があったことと、午前中は、「依存症を考える会」に一度は出てみたいというのもあって、特別に午後からの講義だったにもかかわらず、朝から家出。 教室に入る前に立ち寄った喫茶店で、たまたま空いていた席のお隣に、犬を連れた方がいらっしゃって、とても嬉しそうに持参したジャーキーをあげている。私は。。。正直猫ならためらわずに手が出せたんだけど、そのまた愛くるしい表情に、たまらなくなって、見つめていたら、飼い主さんもとても嬉しそうになさる。で、ジャーキーを1本。私にあげて。と頼まれる。なので、こわごわ。。。すると、嬉しそうに食べてくれた。頼んだカフェオレ以上に、何か温まるものがあって、本当に嬉しかった♪ 壊れたPCで使っているメルアドとパスワードさえあればログインできるかも。と思い立ったのは、つい先ほど。難なくクリアできるとは思ってもみなかった。こんなことなら最初から出来たのになぁ。 ご心配をおかけしましたが、週明けには壊れたPCの修理にかかる費用とかが知らされて、修理はそれからになります。まだ、このVAIOには指が慣れていなくて、時間がかかりそうですが、そろそろ。。。ということで、ご心配をおかけしました皆さん、すみませんでした。ぼちぼちですが頑張ります。
2006.01.09
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7日付地元紙の政治欄人の座標はどうかわったか06冬として、作家の辺見庸氏のコラムを見つけましたので、そのまま引用させていただきます。。。 『人々の価値観、取り巻く世界が劇的に変わりつつある中、2004年に脳出血で倒れ、05年末からはがんと闘いながらも、時代に抗(あらが)う論考を執筆し続けている作家・辺見庸氏が、揺らぐ「人の座標」をめぐる評論を寄せた。 ◆ 脳出血で倒れて入院していたころ、私と一緒につらいリハビリをしていた50歳代とおぼしい男がある日突然、声を絞りだすようにして独りごちた。怪しい呂律(ろれつ)だったが「こうまで苦労して生きていく価値があるのかなあ…」と聞こえた。言葉が耳朶(じだ)に残り、いつしか私も同じような独り言を呟(つぶや)くようになった。この世の中で頑張る意味ってあるのかなあ。リハビリのつらさを言いたいのではない。行き続ける労苦が周りの風景とつり合わなくなってきた、何だか甲斐(かい)がないな、という気分がため息をつかせるのである。 久方ぶりに復帰した社会は、清貧も精励も美徳ではなくなっただけでなく、どうかすると嘲(あざけ)られかねない。消費と投資がもてはやされ、射幸心を持つも煽(あお)るも罪悪視されなくなった。以前からそうだったと言えばそうだが、人が生きていく価値の座標が目下、劇的に変わりつつあるのは疑いない。 競馬の天皇賞を2005年秋、天皇自身が観戦した。眩暈(めまい)がするほど大きな価値観の転換を私は感じた。仰天のわけは、それまで長きにわたり観戦を控えてきた理由の消失にそのまま重なる。競馬にせよ株にせよ、一攫千金を狙うのはもはや恥でも罪でもなくなりつつある。 1980年代に、吉本・埴谷論争というのがあった。かつて日米安保闘争に加わった詩人、吉本隆明が、あろうことか、女性誌にコム・デ・ギャルソンを着て登場、作家、埴谷雄高がこれをなじったことに端を発する議論だ。外野は半ば苦笑しながら論争を見守ったものだが、今思うに深刻な意味を秘めていた。資本主義的生活スタイルを否定的に語る埴谷に対し、吉本は高度成長それ自体は悪ではないと主張し、生産と消費の価値はいつの日か逆転するだろう、と予言してみせた。 幸か不幸か、吉本の予言は当たった。生産、労働、刻苦(こっく)精励、終身雇用、労組、年功序列といった価値が退潮し、消費資本主義ともカジノ資本主義とも呼ばれる資本の全域制覇の時代をいま迎えている。ほぼ同時期に戦後民主主義や憲法九条といった「思想の堤防」が決壊しつつあるのは何も偶然ではない。自明だったことどもの一切が自明性を失ったのだ。 問題は人が生きることの内奥(ないおう)の重みや光が果たしてここにあるのか、ということだ。他者の悲しみや苦悩はそれとして感じられているのだろうか。風景は満目、発泡スチロールのように軽く、ひたすら嘘(うそ)っぽくなった。たとえば“小泉チルドレン”などかたるも虚(むな)しい。 罪ならぬ罪、無意識の倒錯が実は氾濫(はんらん)しているようだ。2003年のイラク開戦日、日本では大きな反戦デモはなかったけれども、テレビ番組が高視聴率を記録した。バグダッド猛爆の最中に開催された格闘技戦に数万の観客が押しかけ、テレビの瞬間最高視聴率が30%近くになったりもした。 犯意も廉恥心(れんちしん)もありはしない。と訝(いぶか)る心の羅針盤が狂ってきてはいないか、戦争、地震、津波、ハリケーンのたびに被災者を慮(おもんぱか)るのではなく、株価とにらめっこする人々が増えてきた。その中には、高校生や大学生の「投資家」もいる。インターネットで株価の動向を追うのには長(た)けていても、彼方(かなた)の悲鳴に心を痛める想像力に欠ける。 おそらく人倫の基本がかつてなく揺らいでいる。旧式の価格体系は資本に食い破られたけど、新しい価値観が人の魂を安息に導いているとは到底言いがたい。正気だった世界に透明な狂気が入り込んできて、狂気が正気を僭称(せんしょう)するようになった。この世には生きる真の価値があるのか、と訝(いぶか)る内心の声は老若を問わずこれからも減りはしないだろう。「世界の涙の総量は不変だ」。ベケットの戯曲「ゴッドーを待ちながら」に出てくる台詞(せりふ)だ。昔はうなずいて読んだものだ。今、そうだろうか、と首を傾げる。世界の涙の総量は増え続けているのかもしれない。』 臨床福祉心理士(中級)の講義の7回目は交流分析ということについての研究。その中で、講師の先生が来る途中の車のラジオで聴いた言葉を教えてくださって、メモっておいた。 一 語(一日ひとつ何か読みましょう) 十 笑(一日10回は笑いましょう) 百 呼(一日100回深呼吸しましょう) 千 字(一日千字は書きましょう) 万 歩(一日万歩は歩きましょう) これが健康の秘訣なのだとか。な~るほど。ただ、毎日続けることが大事なんですよ、とのこと。案外、基本的なことはこんなところにあるのかも知れないなぁ。。。
2006.01.08
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地元紙の随想欄に、今日は桂文珍さんが登場している。とても興味がある内容だったので、そのまま引用させていただきます。 『落語家という言の葉の職に就いて40年近くになりつつある。笑いをお届けするプロとして寄席や全国で年間百回を数える独演会を開く中で、人は人によってお笑いになる部分が異なることに気付いています。 Aさんは笑っていても隣のBさんは笑っておられない…てなことは、しょっちゅうです。こちらはその日の会場のお客様の一番お好みの数の多いところの笑いをお届けするのがプロなのです。 ところがこれが言うは易し、噺(はな)すは難しなのです。その為には、いち早くお客様のお好みを見つけ多くの引き出しの中から一番アジャストするものをお届けし、そして、その日演じたい噺へとご案内してさしあげるのが、プロとしての仕事だと考えています。 人は泣く部分はよく似通った部分で泣きますが、笑いは違います。人によって異なります。これを私は、人に涙腺(るいせん)があるのと同じく笑腺(造語ですが)があるのだと、考えています。その場が和み、ささくれ立った心をやわらかく包む。そして、癒してくれるのです。また、人と人とのコミュニケーションの仲で潤滑油の役割をし、相手との心の壁を取りのぞきバリアフリーにしてくれます。関西人は昔からそれを商いの場でも用い、商は笑なりともいいます。また、笑う門に福来たるという言葉があるように、笑いは力を持ちます。医療の現場からも笑いは免疫力も高めるというレポート、長期入院している子どもたちに遊びや会話を通じて笑顔を届けるクリニクラウン(臨床道化師)さんもいます。今年は共に1回でも多く笑える、そんな一年にしたいものです。かつら・ぶんちん…落語家。1948年篠山市生まれ。大阪産業大学卒業。五代目桂文枝の三番弟子で、上方落語界を代表する人気落語家。古典落語を中心に活躍。飛行機の操縦など多趣味で知られる。主な著書に「落語的学問のすすめ」など。神戸市在住。』 NHKの連続テレビ小説でも登場されていて、最初は驚いたけど、もうそろそろ出番はおしまいなのかな。それがちょっと残念。。。でも、これからもお元気で活躍されて欲しい。 笑う門には福来る。。。本当に、苦虫を噛み潰した顔では福も逃げて行ってしまいそうな。。。これはそして、私の仕事にも言えること。。。
2006.01.07
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今年初めての配食サービス。と言っても、PCが駄目になって、実際にUPしているのは9日にもなってから。しかも、画像が付けられなくて申し訳ありません。 献立は、鶏肉唐揚げ、添えに大根サラダ、白菜と厚揚げの煮物、きゅうりとわかめの酢の物。添えの野菜はレタス。果物は(レシピではバナナになっていたのを、業者の都合で5日にはりんごを、6日にはバナナ)◆鶏肉唐揚げ。。。材料は、鶏もも肉、生姜、にんにく。生姜とにんにくはすりおろす。鶏もも肉は食べ易い大きさに切り、すりおろしたにんにく、生姜に漬け込んで、片栗粉をまぶして熱した油で揚げる。◆添えの大根サラダ。。。材料は、大根、人参、オオバ、ロースハム。大根は皮を剥いて、中の目のスライサーでつき、塩をまぶしてしんんなりさせ、塩気を洗って水気を切る。人参も同様に皮を剥いて、中の目のスライサーでつき、軽く塩茹でし、水気を切っておく。オオバは縦半分に切って更に横に細切りにする。ロースハムは半分に切り、大根、人参と同じ太さに切り揃える。マヨネーズと味噌を合わせ、材料を和え、アルミカップに入れる。◆白菜と厚揚げの煮物。。。材料は、白菜、厚揚げ。白菜は食べ易い大きさに切り揃える。厚揚げは三角のものを二つ切りにする。熱した鍋に油を引いて白菜を炒め、一旦取り出してだし汁に砂糖、みりん、酒、醤油で味を調えた煮汁で煮含め、十分に味がなじんだところへ白菜を加えて一煮立ちしたら火を止める。◆きゅうりと若布の酢の物。。。材料はきゅうり、若布、オオバ。きゅうりはヘタを取って薄切りにし、塩をまぶしてしんなりさせ、塩を洗って水気を切る。若布は水で戻し、水気を切って小口切りにする。オオバは縦半分に切って更に横に細切りにする。砂糖、酢を合わせて合わせ酢を作り、用意した材料を合わせる。 画像は、PCが直ってからということになりそうですが、メインは果物を置いたところへレタスの色紙切りを果物のバリアになるように置き、唐揚げを。左隅の三角を合わせる様に、大根サラダを入れたアルミカップを盛る。2番目には白菜と厚揚げの煮物を。隣が大根サラダの冷たい物になるので、温度差を考えて盛り付ける。3番目にはきゅうりと若布の酢の物を。ただ、正味きゅうりだけなので、若布をレシピよりも多目に用意しました。オオバの香りを効かせて。
2006.01.05
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早くもお正月三が日が終わってしまって、明日から仕事。元旦に比べるとまるで厳冬に戻ったかの様な空に、思わず震えてしまいそうな。 さて、3日付けの地元紙の分化欄で見つけたコラム『深呼吸』では、美術家でいらっしゃる、高嶺格氏のこんなタイトルが付けられていて目を惹きましたので、そのまま引用させていただきます。 『今の自分が現在に至るまでに、一体どれだけ意識的だったか?人生の選択は無理にあるわけで、99%の偶然と無意識。そして残りほんのわずかの「オレが選んだ」選択によって、現在を生きるわけだ。人間は自我の形成とともに価値観(らしきもの)を身に付けるが、適性と価値観はほとんどの場合関係なく、両者のすり合わせは一生かけて行われる悩ましい作業だといっていいだろう。 幼い時から人の手を煩わせる子だった。祖父の一周忌のときに読経していた坊さんは、僕が池に落ちる「ドボン」という音をきいて、袈裟のまま飛び込んで助けてくれた。僕は逆さにされ大いに水を吐いたが、池に落ちたのは集まったみんなの注目を引くためだった。 祖母の葬式も2歳のときだった。葬儀の邪魔にならぬよう、子供はみな二階に集められた。僕は「しょーちゅうびんにへーをひってかすんでみーたらくーさかった」(焼酎瓶に屁をこいて嗅いでみたらくさかった、の鹿児島弁)という、自作のいいかげんなメロディーを延々と歌い続け、一階の葬儀を台無しにした。 祖父の家の前は竹林で、親戚の子供が集まるとよくオニごっこをして遊んだ。ヨチヨチ歩きの僕はまだオニにされることはなく、竹林の中に逃げ込んだ姉をただただ追って、ある日転んだ。振り返った姉は、真っ赤に染まった僕の顔を見て腰を抜かし、泣き叫んだ。その声にびっくりして僕も泣きはじめた。鋭く斜めに切られた竹の切り株が、頭の真ん中にグサリと突き刺さったのだった。 大人数人に両手をつかまれて、身動きがとれない。僕は命の限りに泣き叫びながら、いったんはほどいて病院の廊下まで出たものの、どっちに逃げるか一瞬迷ったすきに、再び取り押さえられて銀色に光る針を続けさまに頭に刺され(麻酔だった)、「殺される!」と思った。これが、僕の最初の記憶である。 たかみね・ただす…68年鹿児島県生まれ。京都市芸大、国際情報科学芸術アカデミー卒。映像や立体、パフォーマンスなど多様な表現で注目されている。2003年のベネチアビエンナーレなど、内外の展覧会に参加』 何だか、とんでもないイタズラっ子という気がしたけど、どことなく憎めない。。。って、お葬式をめちゃめちゃにしてしまう。といっても、子供には理解し難い儀式だし、大勢人が詰め掛けて、一体何事?というのが正直なところなんじゃないかな?でも、池に飛び込むだなんて。これは絶対に真似をして欲しくないなぁ。 年始早々、悲しい火事の話が飛び込んできて、なんともいたたまれない。おまけに、今日の淡路島の空といったら、元旦とはまるで違う冬空。穏やかな一年であります様。。。とお祈りしたばかりだったのに、やはりお友達が仰る様に、今年も波乱に満ちた年となるのかなぁ?
2006.01.04
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臨床福祉心理士の勉強をしている学校の教室そのものが移転することになって、私の場合は8日の日曜日にそこで今年初めての授業があるので、これは下調べをしておかなければ。と、夫を同窓会に送り出して、一人で高速バスに乗った。 バスからJR神戸線に乗り換える。本当は淡路島からだと戻る感じに明石姫路方面行きのホームへ。目指すは兵庫駅。教室の移転先はもう少し遠くなる感じで、私には簡単に見つかると思っていた。一番ヒントになったのは、何と銭湯の煙突。高いビルディングに囲まれていたら見落とすかも知れないけど、周りが個人の住宅だったら、こんな立派な目印はない。 で、無事に目的の学校を探し当てて、学長に電話してみる。で、お逢い出来ることになって、今度は更に西へ西へと加古川駅へ。実は、加古川駅へは何度か降り立ったこともあるし、先生のお住まいは加古川市だとばかり思っていたので、これはとんだ勘違いだったことが後でわかって本当に申し訳なかったけど、お忙しい中を時間をやりくりして約束の場所に駆けつけてくださり、暫しティータイムとなる。 先生とお別れして、一旦は三ノ宮へ。考えたらお昼過ぎの高速バスに乗って、兎に角第一の目的を果たさねばと、お昼はまだだったことを思い出し、何度か一人で入ったこともあるお店へ。そこで登場したのがこのおでん。ごく普通のおでんだと思ったら、何と綺麗に大根の上にとろろこんぶが載っている。こんなの初めて♪それに、こんにゃくの上には小口切りにした葱が。一体、この葱を刻んだのは。。。なんて思うと、何だか楽しくなってしまう。機械ではなさそうな。。。何となく幅が微妙に違う様な。良く手入れされた包丁で小気味良く切ったんだろうなぁ。と。とても見事な包丁さばき。実は、高速バスを降りて三ノ宮駅のホームに立った時点で、携帯の電池が2つになって、後はもう直ぐに赤が一つ状態。なもので、あれもこれもと画像を残すことが出来なかったのが本当に残念。 兎も角、新しい教室も探し当てることが出来たし、学長にもお逢いすることが出来たし、美味しいお料理にも舌鼓を打つことが出来たし。。。大満足の1日でした。夫は。。。勿論二次会へ出席する筈もなく、某食品会社のカップうどんのカップが転がってました。。。まぁ、たまにはこんなことも(笑
2006.01.03
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2日はご存知の通り新聞休刊日。だから元旦に届けられた新聞の今年初めの地元紙の『正平調』というコラムには、こんなことが述べられている。いつも、本当に言い得て妙。という思いで引用させて頂いているけど、今日もまた。。。 『「山頂」と呼ぶのは、ちょっとためらう。しかし、堂々とした標柱が、こう告げる。「唐船(からせん)山山頂 標高19M」。ここが兵庫県内で一番低い山、と聞いた◆赤穂市の南端、千種川の河口わきに唐船山はある。ふもとから小道伝いにほんの1、2歩も歩けば頂上につくが、その道の両側にヒサカキやハゼノキ、クヌギなどが生い茂る。頭上でさえずる小鳥が人の気配に飛び立つ。まぎれもなく山の風情だ◆伝説がある。昔、唐の国の難破船が千種川の砂に埋もれて島になった。さらに砂が積もり、陸とつながって山に。だから山頂部分を強く踏めば、今も船の内部が「ドンドン」と響くーと。踏んでみたが、そう聞こえるような聞こえないような◆2年前、市民グループが、国土地理院の地図に載る県内一の低山、と気づいた。グループ名を「唐船組」とし、美化や緑化活動に取り組んだ。登山証明書をつくり、シンボルマークも決めた。標高に合わせた1月9日が、ことしの登り初めという◆低さを楽しむとはなんて愉快な話だろう。高さや速さを競い、効率や経済性を大事にして日本は成長してきた。でもそれは危うさと紙一重だと去年1年で痛感した。だからこそ、高さとも効率とも縁のない小さな山が、よりいとおしく見える◆いただきから瀬戸内が一望できる。小豆島が前に、家島群島が左手にかすむ。耳を澄ませば、切り立った下から届くのは潮騒。ぜいたくなひとときである。標高19メートルに吹く風を胸いっぱいに吸ってみる。すがすがしさが体に満ちていく。』 実家へ向かう道は小高い山々に囲まれている。さて、実家は一体標高何メートルの高さにあるんだろう。無線で交信していると、例えばアンテナの高さが地上高何メートルなどと得意気になって紹介している。でも、実際実家の様な場所だと、標高というのもとても利得になっている気がする。一度地図で調べてみなきゃ。 高いと思われていた、生コンクリートのプラントも、何階建てかの病院の屋根も我が家からすると、遥かに下になるんだけどなぁ。。。淡路島に津波が押し寄せたとして、実家が水に浸かる。なんてことになったら、淡路島は恐らくアウトになるんじゃないかなぁ。って、そんなことになったら怖いけど。
2006.01.02
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明けましておめでとうございます。元旦早々余りにもお天気が良かったので、嫌がる夫を連れ出して歩いて初詣に。夫にすれば結構な距離だったけど(田舎の人は本当に歩かない!)頑張って歩いて回った。これも、本当にのどかなお天気だったから出来たこと。でも、流石に二人連れで歩いていたら、注目の的。どうしてこんなにお天気が良いのに、みんな歩こうとはしないんだろう。 我が家からは程近いところにある、おのころ島神社。映画「男はつらいよ」で渥美清さん語るところの口上には必ず出て来る、「国の始めが淡路島」の通り、おのころ島伝説にも出て来る大鳥居で有名になった、おのころ島神社。先ずはそちらから参拝してみることに。国の成り立ちなどは日本書紀とか古事記にも出ているとかで、詳しくはこちらから(ただし、平成17年1月11日より南あわじ市になったにも関わらず三原町のままですが)南あわじ島人としては鼻が高かったりする。 余りにもお天気が良かったので、一旦家に戻ってお昼、年賀状のチェックを済ませてから、ドライブすることに。夫にデジカメ撮影をお願いして、いざ出発。出かけた先は、いざなぎ神宮。夫に運転を任せて私は助手席へ。綺麗な空の色が海に反映して、本当に綺麗で、思わず携帯で。と、水平線の感じなどは速度のせいで、適当にシャッターを押しただけになったけど。 お天気に誘われてドライブがてら。というご家族が多かったのか、駐車場はどこも一杯。淡路島にもこんなに人が集まるんだ!と思うほど。賽銭箱までがなかなか進まない。こんなに人が一杯では落ち着いて散策どころの騒ぎではない。賽銭を入れてそそくさと引き揚げることに。おかげで夫に頼んだデジカメも何の役にも立たず。元旦だから意味がある?というのと、やはりお天気が良かったのが人を集める原因にもなったのかな?それとも、淡路島の人たちって、皆さん信仰心が。。。?お天気が良かったから、家でじっとしてるなんて勿体無い。って人が多かったんじゃないかな? 20年ほど前に、写植の勉強を一緒に頑張った方からの年賀状に携帯のメアドが印刷されていたので、ためらわずにメールを送ってみた。そしたら、お住まいの岐阜では雪に覆われているとのこと。のどかなこの淡路島だから肥沃な田圃が広がるんだなぁ。と改めて思った次第。冬は雪に覆われて農業なんて考えられない地区のことを思うと、本当にのどか。有り難い。
2006.01.01
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