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2013.06.25
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カテゴリ: その他
先日、ある小さな研究会で若手教師の授業ビデオを観る。やはり、ビデオ視聴後に話題になったのは子どもと授業者のズレである。授業者の教材に対する思いの強さから、提示された課題に対して誠実に答えようとしている子どもの発言が、ほとんど取り上げられない。おそらく授業者の意図と異なる発言だったのだろう。

その研究会の最後に、授業者の「今、授業がおもしろくない」という本音を聞いた。おそらく、「授業が思うように進まない。子どもの発言が分からない」という悩みであろう。私は、この「悩み」に対して、次のように発言した。

「週に一回でいいので自分の授業をビデオに撮り、見てみてはどうか。私が授業リフレクションに取り組み始めた当時は、週三回の理科の授業をボイスレコーダーで録音し、帰宅する車の中で聞いた。」(おそらく、こんなアドバイスでは自分の授業ビデオを見て、リフレクションしようという気にはならないだろうが・・・。)

 この「子どもをみる、授業を見る」ことについて、石井順治先生(東海国語教育を学ぶ会)は「学びのたより」(2013.6月号)に「事実を『みる』目を磨く」として、次のように書かれている。(この「学びのたより」は、東海国語教育を学ぶ会のHPでダウンロードすることができます。)

・・・・・

午前中、ある学校の報告に関する協議の最後に、わたしは次のようなことを述べました。
「すべては、子どもの事実、授業の事実、教師の事実をみることから出発しましょう」

(中略)

 授業において教師が心がけなければならないことは多々あります。そのなかで、「みる」と いうことは、もっとも心がけなければならないことだとわたしは考えています。それは、学 びは一人ひとりの子どもの内に生まれるものだからです。どこがわからないか、どんなこと でつまずいているか、どんな考え方をしているか、何に興味を抱いているか、どうして興味 を失っているか、どんなことに心を動かしているか、どんな発見をしているかなど、子ども の学びの事実は一人ひとり異なります。しかも、わたしたちが目指す「協同的な学び」「学び 合う学び」においては、それら一人ひとりに生まれるものがつながり合い、かかわり合いま す。そのつながりとかかわりがどういうものなのかは学びの実現に深くかかわります。です から、教師は、できる限りの方法と感覚を駆使して、それらの事実をとらえる努力をしなけ ればなりません。その最たるものが「みる」という行為なのです。



 すべての子どもが生きる、すべての子どもの学びを保障するということは、それぞれの子どもの考えに存在する値打ちを感動と喜びを伴って受けとめることによって可能になるのです。そうすれば、どんな子どもでも、学びに参加できるようになります。
 では、どうすれば、子どもの考えに潜む値打ちが「みえる」ようになるのでしょうか。それについては即効的な特効薬はありません。もちろんわたしのみえていることもたかが知れています。そのたかが知れているようなみえ方でも、そこにはわたしの授業者としての歩みが詰まっているのです。長い時間をかけて育んできたものなのです。

 先生方に願いたいのは、子どものことを一人ひとりみることについては、今すぐにでも始めてもらいたいということです。誠実に、丁寧に、心をこめて「みる」ことに努めれば、それまで気づくことのできなかったことがみえてきます。そのうれしさが、もっとみようという意欲になります。
 子どもの考えの値打ちについては、学びの素材に対する専門性とつながることだけに、子どもをみるだけでは身につきません。教科書程度、指導書程度の知識で授業していてはその専門性はいつまでたっても培っていけないでしょう。学びの素材に対する研究と修養にどれだけのエネルギーをかけるか、それがカギです。その専門性と、子どもをみる目がつながったとき、学びを「みる」目が確かになっていくでしょう。

・・・・・

「自分の授業のビデオを見ることはつらい」という教師も多い。それは、ビデオを見て「反省」するからであろう。しかし、少し子どもや授業が「みえる」ようになると、そこには「驚き」や「発見」がある。このことが、石井先生がいわれる「そのうれしさが、もっとみようという意欲」につながるのだろう。

そして、「たかが知れているようなみえ方でも、そこにはわたしの授業者としての歩みが詰まっている」ということ。本年度4月から、研究授業などで多くの授業を「みて」授業について発言しているのだが、「私の授業者としての歩み」は、どのように受け止められているのだろうか・・・。

(つづく)





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最終更新日  2013.06.25 13:31:07
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