授業研究のあしあと

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2013.08.27
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カテゴリ: その他
この夏休み中に、いくつかの授業を観たり実践報告を聞いたりした。その後の研究会の中で、その授業が「難しい」と批判されることも多い。おそらく「子どもたちにとって内容が難しい」「子どもたちにそこまで考えさせる必要があるのか」という意見であろう。(「危険だ」という批判にも似ているのだが。)

しかしながら、この手の批判は基本的には成り立たない。

なぜなら授業者も多少の難しさは覚悟の上だからであり、目の前の子どもたちにとって「そこまで考えさせることが必要」だと考えているからである。さらには、これから「そこまで考えさせる」授業が求められていると授業者が主張しているのならば、なおさらであろう。

つまり、「難しい」と批判することは、授業の表面的なところしか見ず、子どもの事実から子どもの「学び」や「発展の可能性」に対して具体的な問題点を指摘することを避けているのである。

あえて「難しい」と批判する場合でも、次のよう考える必要があるのだろう。

まず、授業者が主張するように、本当に「そこまで考えさせる」ことにどのようなメリットがあるのかということである。ここでは「子どもが混乱する」というレベルのデメリットは控える。でなければ、教科等の本質に向かう深い理解を促すものであるかどうかについて検討することはできない。

そして、ある程度のメリットがある場合、その上で、子どもたちが「そこまで考えることができない」原因を挙げながら「難しい」と批判すべきであろう。できれば、「そこまで考える」ことができるようにするための代案を示したい。

とにかく、指導案と授業の表面的なところだけを見て「難しい」と批判するのではなく、授業者の「ねがい」に寄り添い授業の中の子どもの事実に目を向けることが大切である。

佐藤学先生(学習院大学)は「どんな授業からでも学ぶことができる」とよく話される。それが挑戦的な授業であるならば、なおさらであろう。





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最終更新日  2013.08.28 00:55:50
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