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マイケル・ティルソン・トーマスの指揮、PMFオーケストラの東京公演、マーラーの第5交響曲を聴きました。7月29日サントリーホールです。マーラーの5番に先立って、ティルソン・トーマス作曲の、ブラスアンサンブルのための曲「ストリート・ソング」が演奏されました。ホルン4、トランペット4、トロンボーン3、チューバ1という編成で、ミュートも多用し、多彩な曲想が楽しい曲でしたし、ブラスの人たちのうまさも冴えていました。さてマーラーの5番。トランペット1番もホルン1番も女性で、さきほどのブラスアンサンブルには出なかった人たちでした。このトランペットの1番を吹いた人が、おそるべきうまさでした!冒頭のソロは、音量も大きく、音色も魅力的で、僕がこれまで聴いたなかで一番パワフルで立派で、光ってました。この女性奏者、もうどこかのオケで活躍してるのでしょうか、いずれ有名なオケの首席として見かけるのかなぁなどと思いながら聴いていました。ホルン1番も、腕っぷしに自信あり、という感じで、なかなかいい音を力強くだしてました。PMFオケ、以前僕が聴いたときは、木管の首席4人をウィーンフィルの名手たちが吹いていました。しかし今回はそのような助っ人なく、オール若者で、皆さんうまいことうまいこと。たいしたものです。ハープだけは、ちょっと音程があっていないようで違和感があり、第4楽章はちょっと興がそがれてしまいました。しかし他は管・弦・打とも鳴りっぷり充分で、若さとうまさとパワー充分な演奏でした。立派です。ただ、聴きながら大植/大フィルの5番をどうしても思い出してしまう自分がいました。これはこれ、あれはあれですから、比べても意味ないことはわかっているのですけど。当分の間、もしかしたら今後ずっと、5番をきくたびにこの感覚に被われてしまうことでしょう。。。それにしても今年PMFオケは、札幌でエッシェンバッハで復活をやり、そのすぐあとに大阪&東京でティルソン・トーマスで5番をやったわけで、それでこれだけの完成度を達成してしまうのですから、おどろくべき技術水準です。また次に聴ける機会が楽しみです。
2009.07.31
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7月25日、プロムジカ女声合唱団を聴きました。埼玉県の所沢、ミューズアークホール。デーネシュ・サボー氏が指導しているハンガリーの高校生、大学生の少女たちの合唱団です。もう何回も来日しているということです。僕は、2005年の来日公演で初めて彼女らの歌声を聴き、その響きの完璧な美しさに完全に魅了されました。2007年の来日公演でも同じ感動を受け、そして今年2009年、みたび彼女たちの声を聴くことができるのが、とても楽しみでした。今年は7月のはじめに来日し、兵庫、山口、島根、愛媛、大阪などで歌ったあと、横浜開港150周年の記念祭に招聘されて7月18日、20日に横浜で歌い、その後埼玉、山形とまわって、7月30日の東京オペラシティで最後のコンサートを行って帰国するという、ほぼ1ヶ月の長い日本ツアーです。コンサートの他、各地の児童合唱団との交流にも忙しい日々なのだと思います。所沢のミューズアークホールは、大きなパイプオルガンも有する、響きのとても良い大ホールです。プロムジカ合唱団は例年のように、舞台上だけでなく1階や2階の客席も曲に応じてときどき使って、ホールの空間を広く巧みに使って美しいハーモニーを聴かせてくれました。歌われたのは彼女らの定番プログラムで、近現代の作曲家(シムコ、ヘッド、ラフマニノフ、ビーブル)の宗教曲や、ハンガリーの現代作曲家のコチャール、オルバーンや、バルトーク、コダーイらの合唱曲が中心でした。たまにピアノ伴奏がありますが大半はアカペラです。そしてこれもプロムジカの定番と言える、「さくらさくら」などの日本のうたも少し歌われました。2005年、2007年と比べてプログラムに大きな変化はないですが、今回は、今年生誕75周年のコチャールの新作曲と、ジェンジェシというハンガリーの若い作曲家の曲を披露してくれたのが新しい点でした。ジェンジェシ氏の曲はグレゴリア聖歌と現代風な部分が交互に出てきて、美しかったです。なお、これもいつもと同じで、プロムジカのステージに先立って、地域の児童~高校生の合唱団が歓迎演奏を歌いました。そしてプロムジカのステージが終わったあとには、地域の合唱団全員が舞台にあがってプロムジカ合唱団と混じり合ってステージにならび、全員で「ふるさと」を歌い、さらに最後にコチャールの合唱曲を歌って、お開きとなりました。いつもながら感動です。プロムジカ合唱団は、発声に無理がなく、ひとりひとりの声がとてもきれいで、そしてハーモニーが、ともかく完璧です。ほんとうに素晴らしい。デーネシュ・サボー氏の指導のたまものなのでしょう。彼女らの歌なら、何回同じ曲を聴いても飽きません。特にビーブルのモテットと、若松正司編曲「さくらさくら」は、必聴ものです!僕はあと7月30日の東京オペラシティの公演も聴きにいく予定です。プロムジカ合唱団のハーモニーに身を浸す幸せを、もう一度体験してきます。
2009.07.26
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井上喜惟(ひさよし)指揮、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ(JMO)の第7回定期演奏会で、マーラーの交響曲第6番を聴きました。7月12日、ミューザ川崎。このオケは、井上喜惟氏のもとにマーラーの全交響曲を演奏すべく、2001年に結成されたアマチュアオーケストラです。井上氏はベルティーニの弟子だそうで、マーラーには格別な思い入れがあるようです。その井上氏に賛同して結集したオケですから、まさにマーレリアンオケですね。1~2年に1回のペースで、6番に始まり、10番からアダージョ、5番、3番、1番、2番、そして今回再び6番が取り上げられました。僕は5番以降の演奏会を聴いてきました。これまで聴いてきた井上氏のマーラーは、5番、3番は、極度に遅いテンポで、奇をてらわず、音楽が淡々と流れていくような印象がありました。テンポが遅いマーラーというと、普通は、細部へのこだわりというか、濃密な感情表現というか、どこかをことさら強調したり粘ったりなどのデフォルメ(変な表現かもしれません、すみません)が多いというイメージが、あると思います。バーンスタインや、エッシェンバッハなどがその成功例で、僕はこういった方向のマーラーは大好きです。しかし井上喜惟氏は、テンポは遅いのですけれど、これらとはまったく違う路線です。ただひたすら遅いだけで、デフォルメをしません。もちろんテンポの微妙な変化や揺れ、フレーズの終わりのタメなどはありますが、それはとても自然な、節度をこころえたものです。ともかくゆったりと、淡々と、音楽が流れていくのが井上氏のマーラーの特徴と思います。大見得を切る歌舞伎的な演奏のマーラーではなく、能のようなマーラーという感じ。特に3番の第三楽章や第六楽章はその美質が充分に発揮された名演でした。その後に演奏された1番や2番では、テンポはそれほど極端な遅さではなくなってきました。妥当なテンポの中で、ふと、ときおり歩みを遅め、目立たない部分を丁寧にやさしく美しく歌ってくれて、「温かい血の通ったマーラー」という感じがしました。たとえば1番の第2、第3楽章それぞれの中間部など、とても美しい瞬間が多々ありました。もう井上氏は極度に遅いテンポはとらなくなったのだろうか、さて今回の6番はどうなるんだろうかと、楽しみにして臨みました。きょうの演奏会は、はじめに歌曲集「さすらう若人の歌」が、蔵野蘭子さんの独唱で歌われました。蔵野さんは井上喜惟氏の信頼あついようで、昨年の復活、それからプロオケであるジャパンシンフォニアともマーラーの4番、ショーソンの「愛と海の詩」などで共演されています。演奏は、極めて遅いテンポで、蔵野さんの歌は静かに味わい深く、とても素晴らしかったです。休憩のあとの6番、これもまた、極度に遅いテンポでした。井上氏らしく、激しいテンポ変化などはとらず、丁寧で、内的に充実した演奏でした。第二楽章アンダンテの充実振りは特筆すべきで、テンポ設定も素晴らしかったです。前回のレック/東響のマーラー6番の項目で書いたアンダンテ楽章の後半のテンポは、早くならず、遅すぎもせず、ぼくにとってほぼ理想的なテンポで、美しく歌われました。最終楽章も終始おそいテンポで、良かったです。序奏部、第一主題部だけでなく、勇壮な跳躍主題が活躍する第二主題部(練習番号113~116)も遅い。ここは僕としてはバルビローリ盤のような遅さが好きです。そのような演奏に接することは殆どないのですが、今回はバルビローリ盤に匹敵するような、じっくりとした遅い足取りで、とても満足しました。ふたたび超スローテンポとなった井上氏のマーラー。しかもその足取りに確固たる確信というか貫禄がついてきて、さらに深化した、という実感を得ました。オケも全体的にかなり頑張っていて、技術的にも昨年までよりかなりの進歩をみせていたように思いました。とても充実した演奏会でした。こまかなことを幾つか書いておきます。ハンマー、トロンボーン隊、カウベル、鐘についてなど、です。まずハンマーの打撃は2回。ハンマー本体は、普通の感じの大きな木槌でした。ハンマーが叩く台が、ユニークでした。なんと木の切り株がそのままおいてあって、それをハンマーで上から叩くんです。切り株の直径はそれほど大きくないので、重いハンマーを正確にうち下ろすのは難しかったと思いますが、体格の良い男性奏者がきれいなフォームで見事にうち下ろしていました。(音は、僕の席からは良く聞き取れませんでしたが。。。)そして、1回目のハンマーの打撃にすぐ引き続くトロンボーンの咆哮が、破壊的なパワーが絶大でした!スコアではここは、トロンボーンが吹く長い音符としては全曲中で唯一、fffの指示があるところです。(ハンマー2回目の打撃のところではffの指示。あと短い音符には終楽章のほかの箇所にfffの指示が少しありますが、長い音符にはここだけです。)したがって、ここでトロンボーンはパワーを全開し、全曲中最大にするところなのですが、そのパワーの凄かったこと!音量といい、重くひしゃげたような音色というか音圧というか、すべてを破壊し尽くすような凄みに、圧倒されました!トロンボーン隊、あっぱれです。(このオケのトロンボーン隊の底力にはいつも感心していますが、ここをはじめとして今回も素晴らしかったです。)そうそうカウベルのことを書かないと。今回のカウベルは、第一・第四楽章の舞台裏での鳴らせ方に、井上氏の独創的な工夫がありました。普通は、舞台の下手、(あるいは上手)の1箇所のドアをあけて、その裏でカウベルが鳴らされますね。今回は、舞台の下手と上手、両方のドアを開けて、左右それぞれの舞台裏からカウベルが鳴らされたのです!このような「舞台裏の両翼配置」に接したのは初めてでした。やや強めに鳴らされたカウベル音が、舞台裏からステレオ的に、ホール全体に響きわたりました。その響きはとても美しく、豊かでした!しかし第一楽章ですでにこれほど美しく豊かに鳴らされてしまうと、アンダンテ楽章の舞台上のカウベルがどうなるのか、逆に心配になりました。開演前にあらかじめ確認したところでは、舞台上には、左右の2箇所に2個ずつのカウベルが置いてありましたので、一応複数箇所配置ではありましたが、吊り下げ方式ではなかったし、この4個だけで、あの豊かな響きに匹敵する、あるいはそれ以上の響きを出せるのだろうか、といささか心配な気持ちになったんです。そして迎えたアンダンテ楽章。舞台上のカウベルは、かなり控えめに鳴らされ、特にどうということもない響きで終わってしまい、肩透かしをくらった感じでした。これは一体・・・・。井上氏は敢えて、カウベルをアンダンテ楽章ではなく、両端楽章で美しく響かせることに専心したのでしょうか。だとすれば、その狙いは大成功です。これはこれでユニークでおもしろい試みかもしれません。舞台裏、すなわち遠い世界のカウベルが夢のように美しく、舞台上、すなわち今ここがその場所であるはずの平安なユートピア世界のカウベルが、味気ない音。そうすることで、ユートピア世界が現実にはありえない世界だという意味を、逆説的に強く浮かび上がらせようとした?(考え過ぎか?)しかし僕としては素朴に、やはりアンダンテ楽章のカウベルは、両端楽章よりも前向きな意味を持った、存在感を主張する響きとして、しっかり響かせて欲しいと、思います。カウベルについては、今回はこのくらいにしておきます。ともかく両端楽章に限って言えば、これほど美しく印象的なカウベルは聴いたことがなく、貴重な体験でした。なお終楽章での舞台裏の鐘も、いい音色でした。どういう鐘を使ったのかは見てはないので想像ですが、音色からは、板状のものを打っていたのかなと思いました。しかも井上氏はここでも、一工夫みせてくれました。通常は、舞台裏のカウベルと鐘は同じような場所で鳴らされ、それらの音は同じドアのところを通ってホールに抜けてくることになります。しかし井上氏は、カウベルと鐘をわざわざ違うところに配置するという細心さでした。すなわちカウベルは舞台の左右のドアの裏で鳴らしたのに対して、鐘は2階左側の客席のドアを開けて、その外で鳴らさせていました。つまり鐘の音がカウベルよりも高い位置から響いてくるように工夫していたわけで、その効果はかなりありました。昨年の復活のときも、詳しくは省きますが、井上氏は、舞台の外の空間の使い方に関して、細心な注意を払って、ミューザ川崎の構造・空間特性を生かした、かなり効果的な音響を実現していました。井上氏は、空間の中での音の響かせ方に関して、繊細な感性と新鮮な発想があって、すばらしいと思います。氏の今後のマーラー演奏、引き続き注目していきたいと思います。
2009.07.13
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大植/ハノーファーの偉大なマーラー9番の影に隠れてしまいましたが、6月にもうひとつ、すばらしいマーラーの演奏会を聴きました。大植さんのマーラー9番の興奮がやっと少しおさまってきた今、忘れないうちに書いておこうと思います。6月13日サントリーホール、東京交響楽団第568回定期演奏会、マーラーの交響曲第6番。指揮はシュテファン・アントン・レックさんという人。この人のことは、この演奏会までまったく知りませんでしたが、風貌がどことなくテンシュッテットに似ているのからして好印象(^^)です。開演前にステージを見ると、カウベルの配置が実に気合が入っています。ステージ中央奥に、吊り下げられたカウベル8個が並んでいるのがまず目をひきますが、それだけでないのです。ステージ右奥の木琴のところと、左奥の打楽器群の中に、それぞれふたつずつのカウベルが、さりげなくおかれてあるのです。つまりステージの右から左まで、カウベルが実に3ヵ所に配置してあるわけです!(舞台上のカウベルは1ヵ所に置かれるのが普通です。)カウベルについてマーラーは、スコアに「放牧牛の鈴の音をリアルに模倣して。だが、この技術上の指示は描写的な解釈を許すものではない」と指示していますね。実際、このガランガランという音をきいても、アルプスに住んだことのない僕などには、アルプスののどかな放牧の光景は思い浮かびませんし、それほど牧歌的な感じはしません。しかしともかくカウベルの音が、現実世界ではありえない、平安、調和に満ちた世界を象徴したものだということは思います。あるいは世界そのものというより、そういう世界を志向し希求する存在を象徴するものだ、といったら的はずれでしょうか。このカウベルが出てくるのが、第一・第四楽章の途中の、平安で静かな安らぎの雰囲気の場面です。これら両端楽章ではカウベルが、このようなユートピア的世界が、はるか彼方の世界であって、現実にはありえないということを意味するかのように、遠くから(舞台裏から)響きます。そしてもうひとつ、カウベルが出てくるのがアンダンテ楽章です。アドルノのマーラー論をわかりやすく紹介している村井翔氏によると、この楽章は、”第一楽章展開部の挿入部や終楽章の第二主題部と雰囲気的に同質の非現実的な安らぎに満ちた音楽で、この楽章全体をまるごと「一時止揚」としてもよい。”(音楽の友社、「人と作曲家シリーズ マーラー」234ページ)とあります。この楽章の本質をついた表現だと思います。この楽章全体が束の間の平安、束の間の魂の安らぎ、ユートピア的世界をあらわす。だからこそ、この楽章でのみカウベルが、舞台裏からでなく舞台上で、オケの中で鳴らされるのです。したがって、このアンダンテ楽章でカウベルを舞台上の複数箇所から鳴らすという方法は、通常のように一箇所から点音源としてカウベルの音が出てくるよりも、ステレオ的効果で舞台の広範囲から音が出てくることにより、この舞台全体が、そしてこの会場全体が、今この瞬間において現実と離れた異次元的平安世界である、ということをより明確に表現できる、すぐれた方法と思います。この方法、とっても賛同します。そもそもこのカウベル複数箇所配置方式に僕が気づいたのは、2006年サントリーホールでのアバド/ルツェルン祝祭管のコンサートのときでした。このときアバドは、大小さまざまのカウベル数個を1セットとして、舞台上の右と左にそれぞれ1セットずつ配置したのでした。いわば「カウベルの両翼配置」に、さすがアバドと感心し、いささか興奮したことを覚えています。この複数箇所配置方式は、それ以後の演奏会で遭遇したことがなかったので、思わず期待が高まりました。僕がもうひとつカウベルでこだわりたいのが、鳴らし方です。普通は手で持って揺らして鳴らしますよね。ユニークで素晴らしかったのが、今年2月のサントリーでのハイティンク/シカゴ響の演奏でした。このときハイティンクは、舞台上のカウベルを吊り下げておいて、それをマレットでそっとたたいて鳴らさせたのでした。これ、すばらしく繊細できれいな、もはや放牧牛云々を超越し、より抽象的普遍的な、夢のように美しい音でした。「放牧牛の鈴の音をリアルに」というマーラーの指示からは逸脱しているかもしれませんが、カウベルでこんな繊細な響きが出るなんて、驚きの聴体験でしたし、ハイティンクの意外に(失礼!)細やかな感性に、完全に敬服しました。このときはカウベルは1ヵ所配置の点音源方式でした。さてさて、話を今回の演奏会に戻しますと、今回は3ヵ所配置の面音源方式、しかも中央の主力部隊は吊り下げ方式なのです!アバドとハイティンクの良いところを合わせた最強の(?)布陣!これはどんなカウベルの響きを聴かせてくれるのだろうかと、いやがうえにも期待が高まりました。ただし一方で、これだけカウベルの舞台上配置を充実させてしまうと、カウベルが出払ってしまっているのではないか、それで第一・第四楽章のカウベルを便宜的に舞台上で鳴らしてすませてしまうのではないか、という一抹の不安がよぎりました。しかしそれは杞憂でした。レックさん、そんな安易なことはしません。第一楽章ではきっちりと舞台裏からカウベルを鳴らしてくれました。そして曲はいよいよ、アンダンテ楽章のカウベルのところに来ました。3ヵ所のカウベルが同時に静かに鳴らされます。その効果はいかに?・・・うーん、面音源の効果は確かにありますが、吊り下げ方式のメリットがない。折角中央の吊り下げカウベルから繊細な音が発信されている(はず)なのに、両脇のカウベルが通常の手持ち揺さぶり方式なので、普通のガランガランという響きになり、中央のカウベルの音色の繊細さが消されてしまったのは残念でした。。。これを聴いた僕としては、すべて吊り下げ方式のカウベルを複数箇所に配置するのがベストかと思います。どなたかそこまでこだわって演奏してくれないでしょうか。大植さんかエッシェンバッハさんあたりに期待したいところです。カウベルのことばかり書いてしまいましたが、それを別にしても、このレックさんの指揮による悲劇的は、それはそれはすばらしい演奏でした。第一楽章冒頭はやや速めのテンポで開始され、それが楽章全体の基本テンポなのですが、そこかしこに、微妙な「ため」や「揺らし」があって、マーラーのつぼをばっちりおさえ、単調に流れることがありません。第二主題も、躍動性と落ち着きの両面がどちらもしっかりと表現されています。これはなかなかすごいことです。第二楽章スケルツォも、同じようなスタイルで安心してきけました。そして第三楽章アンダンテ。レックさんはこの楽章では終始指揮棒を指揮台に置き、手だけで、ゆっくりとしたテンポでじっくり歌っていきます。レックさんがいかにアンダンテ楽章をいつくしんで大切に思っているか、それが充分に音として伝わってきました。アンダンテ楽章の演奏で、僕のこだわるもうひとつは、テンポ設定です。多くの演奏では、楽章前半部に比べて、楽章の後半の盛り上がるところ(練習番号59以降)でテンポをやや速めてしまいます。たとえば大植/大阪フィル。この楽章の前半はすばらしかったのですが、楽章後半で著しい加速をして、一気呵成に急いで駆け抜けてしまい、個人的には大きな不満を持ちました。これまで聴いた大植さんのマーラー(6,3,5,9番)で、唯一不満を覚えた点です。多くの演奏ではこれほど極端な加速をしませんけれど、テンポを早めることがかなり多いかと思います。なぜなのか。スコアを見ると、この楽章の音楽の頂点である練習番号60や61のところにNicht schleppen(引きずらずに)と書いてあります。それで、引きずるまいとして、かえってテンポを早くしてしまう結果になるのだろうか、などと思っています。しかしレックさんは違いました。ここで歩みをまったく早めません。むしろ、もともとゆっくりの歩みをさらにテンポを落とし、じっくりと頂点の歌を歌ってくれました。結果的にはやや緊張が弛緩する感じもしましたが、こういう方向の演奏は大好きで、うれしかったです。そして第四楽章。ふたたび基本テンポはやや速めに戻り、マーラーのつぼをおさえた引き締まった演奏が繰り広げられます。この楽章でも、ところどころにある「一時止揚」的な憧憬の部分を、レックさんはとても大切に扱っていて、非常に好感が持てました。東京交響楽団も、実に良い音を出していました。先日、西村智美さんの指揮で復活をやったときとは別次元のオケの音。やはりオケの音は指揮者次第なのだなぁとあらためて思いました。なお、この日の楽章順は、いまどき貴重な第二楽章スケルツオ、第三楽章アンダンテでした。長くなりましたので、楽章順については、また別の機会に書こうと思います。レックさんのマーラー、大注目です。
2009.07.08
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