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2011.11.23
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カテゴリ: 戦争映画
原爆の子1.jpg


太平洋戦争敗戦の日本は焼け跡だけが残り
終戦直後の広島では被爆救護活動を行っていた。
被爆した少年少女の手記を集めて平和教育を訴えた
長田新の原作を新藤兼人が監督したのが
1952年、近代映画協会「原爆の子」である。

昭和二十年八月七日・原爆が投下された時
広島に住んでいた石川孝子(乙羽信子)は
家族の中で唯一生き残った。

その後、瀬戸内海の小さな島で女教員をしていた孝子は

その後の消息を知りたいと思い、夏休みを利用して
久しぶりに広島を訪れた。

街は美しく復興していたが当時の子供たちは
果たしてどんなふうに成長しているだろうか?
幼稚園で共に働いた旧友の夏江(斎藤美和)から
住所を聞いて次々と訪問していく孝子だった。

三平も敏子も平太も中学生になっていた。

三平は子だくさんな貧しい父母の元で靴磨きをして
家を助けており、一方の敏子は原爆症で寝ていた。

孤児の彼女は教会に引き取られて看護されていたが
明るい顔をして生きており、平太も親を失って

一家は明るくまじめに生き抜いていた。

孝子は亡き父母の下で働いていた岩吉爺さん(滝沢修)に
出会ったが息子夫婦を原爆で失い老衰し、
盲目になり七歳になる孫の太郎と乏食小屋で
暮らしているのだった。


どうしても承知しないので太郎だけでも引き取りたいと思った。

初めは承知しなかった岩吉も孫の将来のために
ようやく太郎を手離す事にした。

孝子は広島を訪れた事によって色々と人生勉強をし
また幼い太郎を立派に育てようという希望を持って
島へ帰っていくのだった・・・

この映画は戦後に初めて原爆を直接取り上げた映画で
1953年、カンヌ国際映画祭に出品されるも
米国がこの作品に圧力をかけ、受賞妨害に外務省が工作を試みた。

西ドイツでは反戦映画として軍当局に没収されるなど
各国で物議を醸したが“原爆許すまじ”という
世界の声に合致し各国で大きな反響を呼び
1954年には第8回カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭平和賞
1956年に第10回英国アカデミー賞国連平和賞や
ポーランドジャーナリスト協会名誉賞など多くの賞を受賞し
世界に於いて反核映画の第1号となりました。

また監督の新藤兼人はこの頃、妻子がいたが
主演の乙羽信子と愛人関係になってしまい
「籍を入れない日陰の身でもかまわない」と言う乙羽は
売り出してもらった大映を辞め
新藤のいる近代映画協会へ入る事になりました。


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Last updated  2011.11.23 18:27:15
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