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ロス疑惑のM社長が逮捕されるきっかけになったのは、自らのブログに書き込んだ海外旅行の予定だったことがわかったとの記事があった。 興味本位に早速訪ねてみたが、なかなか個性的なブログ。 犯罪心理学者が見れば、あるいは、何かが読み取れるのでは‥‥?? 『三浦和義の独り言』 三浦和義のホームページ
2008年02月29日
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次々に面白いサイトが‥‥ ちょっとした気分転換に遊んでみると面白そう。 日経に紹介されていた「ブログで話題のサイト」から 診断サイト ザ・恋愛インタビュアー 4コマニア 診断サイト 取扱説明書メーカー 言葉・方言変換サイトの「もんじろう」 また、「こだわる大人のための趣味と生活のポータルサイト」と称してこんなサイトも。 サイドリバー
2008年02月28日
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読売新聞のコラム「ビジネス5分道場」からミューズ・アソシエイツ社長 梅田望夫氏の記事を引用。 題は『「教訓」対立概念に補助線を引け』とある。 ”「AかBか」と問われたときの大抵の正解は、脳科学の見地から言うと「AとBの両方」なのです。 茂木健一郎は講演などでよくこう語る。しかし、たとえ「両方」が正解だとしても、質問者はそんな答えでは満足しない。「A」か「B」を選べばそれ以上考えずにすみ楽になるが、「両方」となれば、さらに深い思考を継続しなければならないからだ。 新著「思考の補助線」で茂木は、対立する概念に身を挺して補助線を引くというアプローチによって、「AとBの両方」を追求し続ける。「科学と思想」「理系と文系」「厳密性と曖昧さ」「同化と個性化」「現実と仮想」「総合と専門」といった現代の様々な問題に、鮮やかな補助線を次々と引いていく。小林秀雄の名著「考えるヒント」を彷彿させる。 「芸術を愛する経験的自然科学者から、現象学的経験をも視野に含めた「自然科学者」へと変貌した」 茂木は本書冒頭で自らの今をこう語る。彼のライフワークは「精神と物質」の間に補助線を引き「なぜ脳に心が宿るのか」を解明することだ。専門に閉じこもるのではなく、「この世の森羅万象の中に飛び込み、さまざまなことに接し、感じ、涙し、取り入れ、つかみ、整理し、開くプロセス」によって、茂木は「突き抜けた達成」を目指そうとしている。 本書は、多彩な関心とマルチな才能、旺盛な行動力を武器に「現代社会の補助線」たらんと疾走する著者の生き様が結晶した、情熱的な好著である。 私たちを取り巻く現代ビジネス社会も、対立する概念に満ちている。「個と組織」「競争と協力」「社会貢献と営利重視」「長期雇用とコスト」「環境と経営」「創造性発揮と内部統制」「情報共有と情報漏洩」‥‥‥。一つひとつの難題に対して私たちは、安易に「AかBか」を選択するのではなく「AとBの両方」を追求しなければならない。身を挺して「思考の補助線」を引く本書のような知的で真摯な営みが、ビジネスでも求められる時代なのだ。” 最近、売れっ子の茂木健一郎氏。テレビの対談番組などでよく見るが、彼の姿勢はさすがに脳科学者らしく、話をじっくり聞くし、結論を急がない。自分の考えも押しつけない。 対談者の脳の中がどのように動いているのかを、よく観察しながら話しているという感じである。 それにしても『対立概念に補助線を引け』とはよくできた例えである。 今度、本屋で探してみよう。
2008年02月24日
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あのロス疑惑の当事者が逮捕のニュースが入った。なぜ、今頃??困惑させられる。 大変に穿った見方をすると、 限りなく黒に近いグレーだけれども日本の裁判では決着がついている。 なんらかの証拠なりを示されれば、日本人の心情としてそれなりの刑に服することを望む声が起きることも予想できる。 グローバルスタンダードでアメリカの司法がいよいよローカル?な司法を凌駕していくのか‥‥なんてことに‥‥??
2008年02月24日
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今日の朝日新聞の「天声人語」が面白い。 以下、一部抜粋引用。 ”若い世代の漢字力を案じる一文を、昭和49年の当欄が書いている。教え子の高校3年生から便りをもらった先生が、一読びっくりしたそうだ。「秋も段々深まりました。姉も段々色づきました」。「柿」のつもりが「姉」に間違えたらしいと、当時の筆者は苦笑ぎみだ。いまの筆者はその年に高3だった。柿を姉とは間違えなかったが、何かのおりに祖父を「粗父」と書いた。「年寄りを粗末にするな」とクラスで教師にからかわれ、頭をかいた覚えがある。‥‥‥‥‥日本語に精通する数学者ピーター・フランクルさんが愉快なことを言っている。故国ハンガリーはノーベル賞受賞者の輩出率が高い。その理由を、人々は「ハンガリー語が難しいから」と答えるそうだ(『望星』1月号)。「子どもにとって母国語が難しいことは恵み」とは、戦後すぐの「漢字廃止論」と正反対の視点だろう。漢字を操ることが子どもの力を引き出す。そんなピーターさんの意見に、不肖ながら一票を投じたく思う。” 漢字はその生い立ちや形、意味するものなどを考えると、飽きない。そんな味わい深い文字がだんだんと遠のいていくことは何か寂しい。 足元にある日本文化の良さを、もう一度 考えてみる必要があるのでは?
2008年02月24日
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簡単、シンプルとのことで英語版のミニブログにチャレンジしてみた。 以下、Japan Internet.Comから引用。 ”「 Tumblr 」はストック型ミニブログといえる。 文章引用や画像の転載(リンク)を簡単に行うことができる。そのため「記事を書かなくても BLOG が成立する」という不思議な特質を備えている。 その結果生まれるのは、自分の好みに沿った情報の集積体だ。そこには自分の嗜好が集積されストックされる。「名言」や「気に入った画像」「気になる動画」の集合体が、 Tumblr なのだ。実際、何かに特化したサイトが人気を集めている。 類似サービスである、ブックマークサービスと違うのは画像や動画を入れることができる点だろう。またURLだけでなく言葉を抜粋できる点も便利だ。 また、もう1つの特徴としてRELOGという機能がある。他のユーザの記事を簡単に自分の Tumblr に取り込むこともできる。” 案内文に沿い、分からない英文はExite翻訳を活用して、簡単に登録ができた。実際に使ってみると、気になる写真や文章、動画などのクリッピングが簡単にでき、メモ専用ブログとしても活用できる。 外国のものは機能別に特化しシンプルで、使い勝手が良いものが多い。 Beckn's Favorite Stock 案内サイト シンプルなブログサービス「Tumblr」 Web2.0ブームに対する揺り戻し:tumblr編 アルファブロガーを魅了する“ミニブログ” Tumblr はじめてガイド tumblr (ブログとソーシャルブックマークの良いとこ取りサービス)
2008年02月24日
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プロローグはいきなりタイム誌の話題で始まる。 以下、””部抜粋引用 ”アメリカの雑誌「TIME」は2006年12月、毎年恒例の「パーソン・オブ・ザ・イヤー(今年の人)」に「You(あなた)」を選んだ。 記事はこんな内容だった。 イギリスの歴史家トーマス・カーライルによれば、世界の歴史はつまるところ、偉人の伝記の集大成である。過去の歴史の中では、パワーを持った少数の偉人が、我々の運命を握ってきたのだ。 これは確かに事実であるし、2006年もそのような少数の人々によって新たな歴史がつくられた。 しかし違う目で2006年を見れば、もうひとつの物語が見えてくる。 それはウィキペディアやユーチューブ、マイスペースなどのウェブのサービスによってつくりあげられた、かってない地球規模の共同体の誕生である。 少数の人の手に握られていたパワーは、無数の人のものとなった。人々は無償のボランティアによって互いに協力しあい、世界を確実に変えつつある。それだけではない。世界を変える方法すら、変えつつあるのである。 これは本当の革命だ。” ジャーナリスト出身らしく捉えるポイントも社会的使命感からの記述が目立つ。 そのひとつが公共性について、 「公共性」はこれまで、メディアに登場する知識人たちが担保してきたが、ブログの拡大によって今や無数の「わたし」が公共性を担保する新しい時代になるという。これが、どのような形になるのかという観点が、、難しくて理解できないが印象に残った。 深みがあり、読み応えがある本であり、概要をうまくまとめられないので目次で中身を想像してもらえれば‥‥。 第1章 フラット化するマスメディア 列車事故を撮影した市民への批判 連載『ネット君臨』 第一の危機 匿名言論の出現 匿名の「海」から現れ出るもの 第二の危機 取材の可視化 がんだるふの話 第三の危機 ブログ論壇の出現 ブログ論壇が引き起こしたもの なぜ「三つの危機」は生まれたのか 第2章 よるべなく漂流する人たち 瑞穂さんの物語 転落する人生 戦後社会とは何だったのか 戦後社会を終わらせた五つの要因 「海辺の光景」から見えるもの 瑞穂の「公共性」 隷従するゲマインシャフト 第3章 組み替えられる人間関係 三島由紀夫『鏡子の家』 インターネットのクオリア 公平性を担保しているものは何か 安斎・中村のこころみ ミクシイ かきまわされるコミュニケーション 空気の危険性 人間関係の相対性理論 第4章 公共性をだれが保証するのか 加藤紘一の絶望 西和彦の嘆き サラダボウルと坩堝 スーパーシャッフル事件 「公共性」の見えない世界へ ことのは事件 泉あい 報道機関設立プロジェクト 週刊「FLASH」発売 松永英明との4時間 河上イチロー 炎上した私のブログ ラディカルデモクラシー 新たな地平へ 最後に巻末に記載してある関連URLを付記。 まいまいクラブ「ネット君臨」 シム宇宙の内側にて 幻影随想 別館 出会い系譲の憂鬱 mine-D’s fanatic World CNET Japan 池田信夫blog ふぉーりん・あとに1の憂鬱 isoblogue 元検弁護士のつぶやき コンサルタントのネタモト帳+プラス Grande’s journal engadget
2008年02月23日
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日経プラス1の「暮らしのサプライズ」に流行語の話題が‥‥。 最近は個人が無理やり流行らせているケースも目につくが、流行語の中には‥‥‥それが出来上がる経緯や語源が定かでないものが多い。 記事では例えば「ダサイ」を取り上げている。 「田舎」と書いたものを誰かがダシャと読み、それが形容詞化されダサイになったという説。 一方、「だって、埼玉だもん」の省略形との説も根強いと書かれている。へえ~~。 いずれにしても、流行語は何がキッカケで流行り始めて、何が息が短いのか長いのか、これを読み解くのは至難の技??
2008年02月23日
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表紙裏に書いてある文を引用 ”近年、国際化、グローバル化が盛んに唱えられ、欧米流の行き方、考え方が日本人の間にも大きく浸透してきている。そのせいもあってか、残念なことに皮相的な利己主義も蔓延ることになってしまった。かといって、かっての日本の農耕村落共同体的な価値観に戻るのも難しい。 本書では、個人主義は本来、利他主義であり、他人と和んで快適に暮らしていくためのものであるとし、日常の様々な疑問から出発し、具体例に即して考え、西欧流個人主義でもなければ伝統的団体主義でもない、これからの日本的新個人主義を提案する。無理のない、日本人の身の丈にあった、それでいて国際的にも通用する個人主義をどうやって身につけるか。” ここ20年ほどの激変する潮流のなかで、明らかに何かが変わってしまった。そのなかで、自身の生き方としてのスタンスを再度確認する必要があるように感じるが、その指針の一つをこの本が示してくれている。 本の最後に書かれている「個人主義の二十か条」から再び引用 ”個人主義はつるまない。 個人主義は他者を認めて調和する。 個人主義は思いやりの心を大切にする。 個人主義は不必要に人に干渉しない。 個人主義は自分の言行に最後まで責任を持つ。 個人主義は威張らない。 個人主義は人に無駄をおしつけない。 個人主義は自分の好みを人におしつけない。 個人主義は感情に流されない。 個人主義は約束を守る。 個人主義は時間を大切にする。 個人主義は付和雷同しない。 個人主義は流行に流されない。 個人主義は自分を自分らしく表現する。 個人主義は家族を大切にする。 個人主義は規則を守る。 個人主義は人の話をよく聴く。 個人主義は貪らない。 個人主義はいつも静かに。 個人主義は環境に配慮した暮らしをする。”
2008年02月19日
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最近、駅の周辺や構内でラックに仮置きされたフリーペーパー。R25などは飛ぶようにはけていく。 また、自宅には定期購読している新聞と一緒に「サンケイリビング」「ショッパー」「地域新聞」などが配達されてくる。 これらフリーペーパーの経営を成り立たせる土台は「記事内容」「広告確保」「配布方法」の三つとのこと。 本文の中でもスペインの「メトロ」の創業者アンデション氏の言葉が面白い。 以下引用 ”彼によれば、有料誌も無料誌も、同じものを売っている。記者は読者が読むための記事を読者に提供し、その引き換えに読者から読むために費やす時間をもらう。その読者から得た時間を広告主に売っているにすぎない。 記事が面白いから、読者は読むための時間を割く。無料誌のビジネスも、広告主の手にあるのではなく、間違いなく読者の手の中に委ねられている。読者の信頼と時間をもらえなければ、広告主に売るものは何もないからだ。” ”フリーペーパーは、民放のビジネスを紙の世界で実現したものに過ぎないと指摘する人がいる。”とも書かれているが、新しいビジネスモデルとして、今、注目に値する。
2008年02月18日
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氏の略歴には、 ”ノンフィクション作家。”個”に立ち返った現役サラリーマンおよびOBたちの人生を精力的に取材し、幅広い分野において評伝やルポルタージュを手がける。 取材した定年退職者は3000人を超え、生活者の視点から新しい日本人論を展開。無名の人々の生活を見つめ、変わりゆく日本人の姿を描き続ける。”とある。 まさにこれを地でいったような内容である。紹介されている方は約40人。現実との狭間の中で、定年後の8万時間を精一杯生きようとしている様々なドラマを垣間見ることができて参考になる。 変に脚色もされていないし、丹念に取材されていることが行間から伝わってくるのが良い。 帯にも、 ”これまでの勤労時間8万時間、これからの自由時間8万時間”と書いてあるように、この残された時間を大胆に使わない手はない。
2008年02月17日
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帯には「現役クリエイティブ・ディレクターが語る、現場からのわかりやすいコミュニケーションデザインの話」とある。 背表紙には、「インターネットの普及、情報洪水、市場の成熟などによって、消費者はガラリと変わってしまった。マスメディアへの接触が減り、広告をスルーし、しかも信じない。友人からのクチコミの方がずっと信頼される。どうしよう‥‥‥。でも不安に陥ることはない。悲観することもない。ちょっと発想を転換してコミュニケーションの仕方を変えれば、広告にもマスメディアにも、明るい「明日」が待っている。そろそろそんなポジティブな話をしようじゃないか」とある。 そして、本文冒頭には金城一紀著「映画篇」よりの引用がある。”君が人を好きになった時に取るべき最善の方法は、その人のことをきちんと知ろうと目を凝らし、耳をすますことだ。そうすると、君はその人が自分の思っていたよりも単純でないことに気づく。極端なことを言えば、君はその人のことを実は何も知っていなかったのを思い知る。” 第一章ではラブレターをたとえ話にして、全く変わってしまった消費者へのアプローチのあり方をわかりやすく考えさせてくれる。 コンタクトポイント、コミュニケーションデザイン、ネオ茶の間、メディアニュートラル、クロスメディアなどがキーワードとして出てくるが、なかでも茶の間を切り口にした話が面白い。 「お茶の間」の消滅、それに続く「ネオ茶の間」の出現。 昔は茶の間があり、皆の焦点は「テレビ」であり、そこから話題が広がった。そこに広告を流しておけば、強力に伝わった。この画一化されたパターンでの「宣伝力」が中心であった。が、今は茶の間は消え、皆、思いおもいに過ごしている。 しかし近年は個々人がテレビを見ながら、携帯とパソコンを操作してダブル、トリプルのウィンドウを駆使して外部の人とコミュニケーションを図っている。それを「ネオ茶の間」と定義している。 著者も最後に述べているが、消費者の環境が激変しているなかで、どう宣伝していくかを考えることは大変に楽しいことである。 再度、「おしまいに」から引用。 ”激しい変化がまだまだ続きそうなのもワクワクする。変化はチャンス。変化の時代に生きられるのはとてもラッキーなことだし、たまたまそこに居合わせられるのは実にエキサイティングである。それをご一緒に楽しめたら、と思うのである。” WWW.さとなお.COM
2008年02月17日
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身の回りにある自然界のもので、何とか工夫して創り上げる。そこから生まれる意外性、新しい発見、感動、創り上げる喜びや面白さ―― このようなことが大切であるということを最近よく聞く。 昔の「自給自足」の生活や「手作り」の世界が一部で復活しつつあるのもそこにあるのだろう。 現代の科学技術の進歩で「退化していくもの」を取り戻す重要性。 「進歩」と「退化」のパラドックスの中で、どのように生きていくのか、現代が抱えた深遠なテーマである。 昨日のNHK「坂崎写真館」で加藤和彦氏が語っていた。 「60~70年代の音楽のほうが今のものより確実に質がよかった。今は技術が進んで何でもカバーしてしまって、いいものが育たない‥‥」というような話をしていた。 環境問題も含めて、人間らしくバランスが取れるような方向へこれからの社会は進んでいかなければいけないのだろう。あらゆる意味で‥‥。そんな中で、どう「技術」とつきあっていくかが課題である。
2008年02月16日
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日経コラム「明日への話題」に書かれていた防衛大学校長である五百旗頭真氏の記事が目を引いた。 以下一部抜粋引用 ”若いケネディ大統領の言葉が、ライシャワー教授を日本大使に赴かせたと、前に書いた。米国民は新しい時代への希望を新大統領に感じた。母校ハーバード大学を中心にアメリカの知性(ブレーン)が政権に集められ、それが国民に発信する言葉を豊かにした。 日本でも同じことが必要ではないか。そう本気で考えた人がいた。サンケイ新聞の記者だった楠田實氏(故人)である。氏は政治記者として、政治家たちの政略と政争を見た。また官僚機構が司々で固める政策過程も見た。しかしこれでは国民と共感をもって歩む政治にならない。そう感じていた楠田氏は、ケネディ政治のように、日本の英知を集めて政治を脱皮させたい。 しかし誰なのか。楠田氏が見初めたのは、ケネディと対照的な佐藤栄作だった。‥‥‥‥日本社会の英知を政治のサーチライトにしたいと願って、梅棹忠夫、高坂正堯、京極純一、山崎正和らを首相に引き合わせ、司馬遼太郎らの本を首相に読ませた。刻々の厳しい政務に没頭する日本の総理に、国家的・文明的な視野をもってもらおうとしたのである。‥” 芸能ショー化する政治舞台に、国民が日々踊らされることに慣れっこになりつつある現在、大所高所からの良い政治が、良い社会の根底を形作っていくという考えのもとに、日本の政治の水準を高められるような優秀なブレーンがいると信じたいが‥‥‥。
2008年02月16日
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市川崑監督が亡くなった。92歳。 氏の作品の一つであった「東京オリンピック」 望遠レンズを活用して選手たちの表情などにアップで迫る独特の技法を駆使した映画であった記憶が残っている。 当時中学生であった私にはその意味を理解する由もなく面白くないという印象を持った。 当時、国内で物議をかもし、その作風に批判が渦巻いていた。 人は理解できないと、批判的に見る習性がある。 もう一度見てみたい。そうすれば、氏が何を考え、何を作品に収めたかったのか、今となって少しは理解できそうな気がする。
2008年02月15日
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日経夕刊 「エンジョイ読書」から 目利きが選ぶ今週の3冊で、スポーツジャーナリストの二宮清純が星五つ(★★★★★)で、あの「我、いまだ黙鶏に至らず」の名言を残した双葉山著の「横綱の品格」の書評を書いている。 以下、一部抜粋引用 ”文章は平易だが、文意は深い。こんなくだりがある。” たとえは悪いが、思わず、車を運転している時の状況を浮かべてしまった。 どういう事情か後ろから迫ってくる車に対して、絶対に抜かれてなるものかと運転している車を時々見かけるが、そのような心境に陥る人間の性と二重写しにして読んでしまった。 因みに、★★★★★これを読まなくては損をする、と冒頭に記されている。
2008年02月13日
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日経コラム「子供が好きな名画十選」でアートディレクターの結城昌子氏が1回目に取り上げたのはムンクの「叫び」 以下、一部抜粋引用 ”ご存じ「叫び」。「実存の恐怖」と長く語られてきた作品だ。子供たちに、叫びの正体を想像し絵を描こうと、小学生新聞の私のコーナーで呼びかけてみた。驚くことに全国から届いた絵の中で一番多かったのが「きゃー、○○○が飛ぶー」という叫びだった。 風が、猫が、盗人が○○○を奪い去っていく。傍らには「楽しかった。またやりたいです」と律儀な感想が添えられている。大人の恐怖を笑いに変えてしまう子供の智慧だろうか。あるいはお笑いの影響か。記念碑的作品も彼らにかかれば一緒に遊んでくれる愉快な友達なのだと了解した。” ○○○は「かつら」。 悲壮な叫びもユーモラスな叫びに一変して、朝の新聞も何やら楽しく読むことができた。
2008年02月11日
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従来は会社で配布されるワンパターンの名刺が多かったが、最近、パソコンやプリンターなどの文明の利器を活用しての個性的でバラエティに富んだ名刺が多い。 個人で好きなことを事業化して、名刺もその一環で最大限に生かす道具としてのそれである。 そんなところを切り口にこの方が本を出した。「すごい名刺」 毎日、名刺をやり取りしていて、その多彩さをヒントに出版につなげてしまう。 これには思わず、うまいところに目をつけたなあ~。が実感! 今、ブランディングの時代。小さな紙切れを活かさない手はない。 一方、同じ名刺つながりの話題ということで、‥‥‥ 先日、日経コラム「サラリーマン生態学」に幸田真音氏が「2枚目の名刺」との題で記事を書いていた。 以下、抜粋引用 ”‥‥名刺交換をする時に、やおら名刺入れからもう一枚、別の名刺を取り出して二枚差し出す人がたて続けに現れた。「いやあ、実は私、最近こんなことを始めるようになりましてね」と、はにかんだ表情で手渡される新しい名刺には、所属の企業のものとはまったく違った、見慣れない名称が書かれている。” これからの生き方のヒントがここにもある。 ----------------------------------------------------●売り込まずに、商品や自分を売り込みたい方へ別にこちらから売り込んだわけでもないのに、名刺交換した相手から、「ぜひ、その商品を売ってください」「もっと詳しい話を聞かせてください」などと言われるようになるとしたら、あなたはうれしくないですか?そのためには、セールストークを磨きますか?それとも、きれいなパンフレットを作って渡しますか?いいえ。そんなことをしなくても大丈夫です。むしろ、初対面でチラシやパンフレットを渡したら、何か売り込まれるんじゃないかと思われて、かえって逆効果です。では、どうすればいいのか?それは、名刺をほんの少し工夫するだけでいいのです。そんな名刺の工夫の仕方がわかるだけでなく、その場で名刺の原案まで作れてしまうセミナーがあります。詳しくはこちらをご覧ください。http://www.elm.rdy.jp/e/080221meishi-seminar.htm----------------------------------------------------
2008年02月10日
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今日、港区で主要7カ国の会議が開かれて、世界経済について「困難で不確実な環境に直面している」と減速懸念を明確に示した共同声明を発表した。との記事があった。 減速要因としては(1)米国住宅市場のさらなる悪化(2)金融市場の混乱の長期化による金融機関の貸し出しの厳格化(3)原油や一次産品の価格高騰などを挙げている。 この文面だけでは深いことが読み取れないが、短いながらも非常に厳しい言葉が羅列されている。 日本は「建国記念の日」まで三連休。この日は世界の市場が動いている。 短期的に見れば、連休明けのいろいろな動きが気になるところである。
2008年02月09日
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本命の大学入試が終わって帰宅した娘に訊ねた。 「試験どうだった?」 「うん、楽しかったよ!」 なるほど最近はこういう回答もあるのか? 美大の試験という要素はあるにしても、回答がない時代に回答を2種類しか予想しなかったのは、もはや時代遅れか?
2008年02月08日
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”‥‥‥本質探求を怠り、さまつな事柄にこだわるのをトリビアリズムという。個人が雑学を好むのは自由だが、国会の先生方はガソリン代ばかりに夢中でいいのだろうか。トリビア国会の行く末は?” 日経コラム「波音」から抜粋引用 国の行く末を真に考えて、日本丸が難破しないよう、ただただ祈るばかりである‥‥。
2008年02月08日
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あの勝間さんが‥‥ 「くるみん」の記事の中で 以下、一部抜粋引用 ”私はワーキングマザーに「1日0.25%の改善」をアドバイスしています。‥‥毎日0.25%の複利だと約1年で倍になります。わずかな改善でも、1年で生産性がぐんとアップします。” 実に数字は端的にあらわす。 これを時間で考えると、1日にたった1/400だけ改善して無駄な時間を減らすと、1年で時間が2倍になる勘定。 もっとも、複利計算なので1日いちにちの向上が日増しにきつくなっていくが、それでも小さな積み重ねは本当にバカにならない。
2008年02月07日
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休みの日などは購読している日経以外の朝日や読売、毎日新聞などを極力読むようにしている。 新聞の銘柄が違っても、発信される情報はある程度限られているという仮設に立てば、あまり、意味がないことかもしれないが‥‥。 そこに登場した「あらたにす」。 「あらたにす」は、「新しくする」の古語で日経、朝日、読売の3紙の叡智を結集し、新しいことを次々生み出していきたいという願いが込められていて、今春を目処に、各種コンテンツ・機能を増強する予定らしい。 なぜ、毎日、産経などが入っていないのか、その辺の思惑は分からないが‥‥。 とりあえずはコラム「天声人語」「春秋」「編集手帳」や書評などの読み比べに活用してみたい。
2008年02月05日
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副題には自分をグーグル化する方法とある。 10倍とか100倍とかが表題に記された本は、あまり手を出す気にはならなかったが、パラパラとめくって何かが引っかかったので購入した。 それは幼少期からIT機器に携わってきたことでのコンピューターに対する感性の高さと、情報先進国である外資系企業での経験の豊富さに基づくからである。 知的生産と名を打った、この手の本は以前からあったが、今の情報化時代を読み込んだ技術は一読に値する。 本書には、本質を突いた言葉やキーとなる言葉がたくさん含まれている。 以下、キーワード的な言葉や文章を本文からピックアップすると ”・情報こそが現代の通貨である、 ・情報主義とは情報を持っていない人から情報を持っている 人へお金が移動する仕組み、 ・情報洪水といえるほど実は情報を浴びていない、 ・自分のテーマは複数あったほうがいいでしょう。そして何か ちょっとでも気になった時はそのテーマをもとに常に検索する クセをつける、 ・テーマの見つけ方としては実体験として困っていることを探す、 ・情報の発信者になればとても楽に情報が収集できるようになる、 ・Gmailはある意味情報の貯金箱、 ・ノートパソコンを補助脳にしよう、 ・自分が得意なことに集中する、 ・Not to do list を作ること、 ・自分メディア、 ・情報にタグやインデックスをつける、 ・私たち自身が情報源として魅力的になる、 ・再現性、 ・本を読むときに大事なことは文字という媒体を通じて著者が 伝えたかったイメージ、論理、経験、フレームワークなどを 感じとること、 ・情報は一定量集めると質に転換する、 ・最低3つの視点から眺める知の3点測定法をお薦めします、 ・情報をどのような複眼的視点で見るかということ、 ・共感覚、 ・軸を発見する、 ・プロトコルを合わせる、 ・自分が知っている言葉からしか話し言葉も書き言葉も出てこない、 ・様々な文芸書や歴史書エッセイなどを読むことでいろいろな 表現の仕方言い回し比喩的表現を自分のデータベースに蓄積しておく、 ・自分が取得している情報について数値に置き換えて考える クセをつける、 ・身の回りのものをいつも計測して皮膚感覚で数値をつかめる ようにし、日常生活の中でさらにその数値を活用するという 繰り返しをする、 ・日常のささいなことに気づいてそのことに疑問を感じて調べて みて新しいことを発見するという繰り返しがアウトプットの技術、 ・いかに枝葉の情報を切り落として本質的なものに集中するかと いうこと、 ・絞込みの基本は簡略化、簡略化の次は階層化、最後に必要な 絞込みはフレームワーク化、 ・簡略化がある立体を上から見た図階層化が横から見た図とした 場合にフレームワーク化というのは簡略化と階層化を合わせて 立体的にした図と考えるとわかりやすい、 ・いかにある情報を再現性がある形で分解し再構築ができるかと いうことがアウトプットの技術の最大のポイント、 ・有料の情報は優良な情報である、 ・本を出すと人生のステージが変わる、 ・本人にアウトプット力が備わっていれば自ずと機会は訪れる それまではブログで力を蓄えよう、 ・真に高い生産性に必要なのは五感を使うこと、 ・良い情報をせっせと手に入れてそれをもとにちょこまかと 改善を試してみることそうやって自己昇華作用を続けられる限り 私たちがグーグルに負けることはないはず、 ・インターネットが大きく変えたのは人と人がつながる技術だと 私は考えます、 ・これまで数十年あるいは一生かけても構築できなかったような 人脈が1年もかけずに構築できる、 ・自分以外の人と協力し合って生産性を上げる場合に大きなカギに なるのは知的生産の成果を起点とした人脈なのです、 ・知恵の共有+人とのつながりの組合せはインターネットという 新しい技術をきっかけに人脈作りの最効果的勝つ本質的な方法と してブレークしている、 ・私たちが発信する情報は付加価値があるものでないといけません、 ・ブランディング、 ・心の架け橋(ラポール)、 ・何らかの共通の興味を基軸に自分に対して集まってくる人たちを 作りこむという経験は人脈形成上とても重要なスキルです、 ・知的生産の成果に仕組みを加えると科学融合がはじまり、コンテ ンツに人が集まり結果として知恵も人脈も結集するという好循環を ぜひ体験してみてください、 ・情報を発信してメールを活用してコミュニティを作ってランチを するこの繰り返しになる、 ・自分が最も得意な方法で知的生産を行いその成果を自分が最も 得意なコミュニケーションスタイルで相手に情報のGive5乗をする、 ・自分自身の魅力を増すことが究極的な人脈の技術、 ・成果は知識×実行割合×定着率で決まる、 ・いかに新しく得た知識を行動に移せるかという転換率がその人の 成果を決めてしまう、” この中でも特に印象に残り、ためになったのは、情報の「空→雨→傘」に ついてである。 以下、抜粋引用 ”情報処理のプロ集団であるマッキンゼーに入社した時にはじめに教わったのは 情報には「空、雨、傘の三段階がある」ということでした。 自分メディアで情報を考える際には、いま手に入った情報が空、雨、傘のどこに 位置づけられるのか、考えておくととても便利です。 「空」というのは私たちが空を見上げた時の事実です。雲が出てきたら、「空が 曇ってきた」という事実になります。 「雨」というのは、その空を見たときの私たちの解釈を指します。すなわち、「雨雲 がでてきたので、雨が降りそうだ」と解釈を重ねるわけです。 最後の「傘」というのは、その解釈に対しての行動を指します。すなわち、「雨が 降りそうだから、傘を持っていこう」という行動に結びつくわけです。 この訓練がないと、自分メディアで手に入れた情報が客観的なものなのか、自分の 主観がはいったものなのか、ゴチャゴチャになってしまいます。また、マスメディアの 問題点は、「空・雨・傘」のうち、空がどれだけ客観的かがわからないまま、雨や 傘を提示されるので、私たちは騙されてしまうし、混乱もするのです。 情報収集は、自然体で行えばよく、無理矢理、雨や傘の意味合いを出そうと すると、疲れてしまいます。したがって、空の量を一定量集めてくると、自然に その意味合いがわかってきて、雨や傘に転じると思っていればいいのです。 ですので、変にフィルターをかけずに、まずはあるがままの情報をあるがままに 受け入れることが、自分メディアのコツです。” 最近、感じていたことや考えていたこととフェーズが合い、そしてそれをさらに 深く広く掘り下げていたので一気に読んでしまった。 ★★★★☆(買いましょう。素晴らしい本です)
2008年02月04日
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近くのお寺で節分会があり、知人に紹介されて初めて参加した。 雪の中を50名ほどの人がお堂に会した。冒頭、住職が「今日は雪が降っていて寒いので早めに護摩を炊きましょうね」の声に、場の雰囲気が和む。 経を読み、護摩を炊いた後、枡とお札を火にかざして、最後は皆で経文を読んで終了した。 そのあとは本堂で、皆で食事歓談して楽しんだ。 このような地場でのつながりはいつまでも続いてほしいものである。
2008年02月03日
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朝起きると久しぶりに外は雪。 雪の降る朝は何となく空気が知らせてくれるものだが、今は天気予報が発達しすぎていて、意外性が少ないのがちと面白くない。 雪を見ると子供は大はしゃぎ。大人は次の日の凍てついた残雪との闘いを想像してしまって、今をなかなか楽しめないが‥‥。 しんしんと降り続く景色を眺めている。 兼好法師風にいえば「‥‥も、いとをかし」の風情。 積もった雪が音を吸収して心が落ち着く。普段の見慣れたカラフルな風景を、モノトーンの色調に変えてくれるのが良い。 数年に一度、あるかないかのこのひととき。 自然現象にふれて活動を休め、真っ白な雪景色を見ながらいろいろなことに思いを馳せる時間も貴重である。 思えば、こんな時間を持てるのも単純に考えるとあと10回くらいかな。
2008年02月03日
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久しぶりにコンサートを聞きに千葉県文化会館へ行った。この会館に足を踏み入れるのは35年くらい前に行った「赤い鳥」のコンサート?以来だろうか? 懐かしい。 高橋孝 32歳 2歳半で初舞台を踏み、民謡と津軽三味線が本業。 小椋佳がその声を賞賛している通り、甘く、独特のこぶしで余韻が残る歌い方である。会場には50,60代の人を中心に女性が6~7割。千葉出身ということで会場が熱気に満ちていた。 民謡も数曲歌ったが、民謡のよさを今にして実感した。 途中で小椋佳が加わり、ジョイントで会場はさらに盛り上がった。 これからますますの活躍が期待できそうな歌い手である。
2008年02月02日
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頭に「不」がつくユニークな題名の本。何かの宣伝を思い出してしまう。 「不勉強」---ある程度の年代になると、誰でもが感じること?? と思いたいが‥‥? 表紙の裏に導入文が載っている。 ”40歳を過ぎた。親として子に何かを教えようとしたとき、ふと、自分の生きざまを問われ、恥じ入りたい気持ちになる。子供に読んでやる文章が、自分自身の身にしみる。この年になってやっと、本当の勉強の意味に気づいた気がする。‥‥しかし現在の日本人の不勉強ぶりは、‥‥‥‥自戒を込めて言えば、すでに大人からしてダメである。本書は、凡庸な親が自分も勉強しなくてはならないと考え、しかし何をどうやって学ぶべきか、そもそも勉強とは何だっけ、といった事柄を、国語・倫理・歴史・自然科学といった広い分野にわたって思い悩むドキュメントである。” 序章から始まり、全七章で章の終わりには基本図書ガイド欄があり、どのような図書がお勧めかのガイダンスがある。 以下、 第三章 倫理は教えられるか学べるか から一部抜粋引用 ”刷り込みとしての道徳的読書 ‥‥もっとも、覚えたからといって、覚えた時点でその内容までちゃんと理解できているかというと、それは疑問だ。わかっていないと思ったほうがいい。だが、それでもいいのではないか、と思う。内容への理解は後からついてくる。肝心なことは、人生の分岐点にさしかかったときに、その人間を支えてくれるような言葉を、記憶の底に刷り込んでやることだ、と私は思っている。” ‥‥ここからは私の空想なのだが、親は子供に教えるために、『論語』などの書物を読み直す。それはたしかに自分も子供の頃に読んだはずの本なのである。自分も寺子屋で教わったし、その前に親からも教えられた。自分が子供だったときには、小難しくてよく分からなかった。好きではなかった。それがいま、わが子に立派な人間になってほしくて、これを教えようとしたとき、はじめて親は身にしみて『論語』を熟読し、理解するのではないか。こういう読書こそが、身にしみる。身にしみて、これから『論語』を学ぶわが子に恥じないように、自分のだらけた生活を、ちっとは改めてみようと思ったりするのである。 ‥‥大人は世間知を身につけて、こすからくなっている。そんな大人が道徳的な訓戒を処世術としてではなく、倫理それ自体として受け取るのは、わが子に恥じぬように道徳を語るという目的を持ったときくらいのものだろう。それならば、そんな機会を利用しない手はない。そうして今現在の社会を動かしている大人たちが道徳的に本を読めば、それ自体が社会の倫理水準を上げることにつながる。名言を口伝えで語ること以上に、そうやって親たちが大人になっても「道」を求めている姿を目の当たりにすることが、子供たちに倫理的にも努力をすることの必要性と尊さを正確に伝える道でもある。あらゆる教育内容は、教える者自らが学ぶ情熱を持っていることを前提にしてしか、伝わらないものだが、特に倫理観はそういうものだ。” 本の内容を判断する際に、巻末の主要参考文献をパラパラと見るとその中身の濃さや傾向がある程度想像できるが、そこには約50冊もの文献が記載されている。 これだけの本を書く人が不勉強と言われたら、立つ瀬がない。 ★★★☆☆(社会人として読むべき一冊です) <私の評価基準> ★★★★★(お薦めです!家宝となるでしょう) ★★★★☆(買いましょう。素晴らしい本です) ★★★☆☆(社会人として読むべき一冊です) ★★☆☆☆(時間とお金に余裕があればぜひ) ★☆☆☆☆(人によっては価値を見い出すかも。) ☆☆☆☆☆(こういう本は掲載しません) 到知出版社発行 安岡正泰著 「安岡正篤 一日一言」から引用 2月2日 学んで覚める 人間、学ばないというと、つまらぬことにどこまでも迷って、ぼんやりと眠っておるのと同然、何もわからない。しかし、学べば星が輝いておるように心中明るく冴える。学んでも覚めなければこれは学ばざるにひとしい。まず自ら反って覚(さと)ろうではないか。
2008年02月02日
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副題に「政官財暴との死闘2500日」とある。 慶応医学部出身の佐々木吉之助が、医師から不動産の実業家に変身して、千万円の資本金と役員もいない社員二十名足らずの桃源社により、一時期、九千億円の資産を持ったというバブルの寵児の物語。 蒲田地区の再開発に絡んで、入札から破綻までの出来事が記されている。 医者である著者は、その習性からメモを詳細に取っていた。いろいろな人との会話を含めて、時系列にこれほど細かく記録されているのは珍しいのでは‥‥。 そこで語られるバブルの裏側。不動産バブルの時代とは、どういうことが行われていたのか。何だったのか。理解を深めるのには、良い本である。 巻末の佐野眞一の解説「天に向かっての墜落」の第三者的批評も理解を助けてくれる。 ”バブルといい、バブルの崩壊という。あるいはいささか文学的に「失われた十年」という。 ‥‥これらの常套句は往々にして‥‥自然災害の文脈で使われている。 ‥‥それは極めて人為的に仕組まれた巨大経済事件にほかならなかった。これが本書を貫く基本戦慄である。 佐野氏が著者を強い幼児的自己愛の持ち主と断定している。その著者が抱いていた夢 ”医学界には「小医は病を癒し、中医は人を癒し、大医は世を癒す」という言葉がある。不動産業界という巨額のカネが乱舞する世界で得たカネを、いまだ解明には程遠い自然界の秘密、生物界の未知、宇宙の研究にすべて投入しようとしていた夢想。それがいま、やぶれつつあることを、佐々木はこの時点で知った。” バブル崩壊に伴う桃源社の破綻ということだけで、通り過ぎてしまった出来事として記憶のかなたにいってしまうところ、この本により、その時代を少し反芻できた気がする。 土地を舞台にした金儲けで、いろいろな思惑や夢や渦巻いた二十世紀の最終章。 本論も面白いが、筋を離れた、以下の二つの記事も気を引いた。 1.終わりに から抜粋引用 ”本書執筆中、二度吐血した。過去の自分を振り返ることは身を引き裂かれる地獄を再び味わうことでもあった。一度は死を覚悟した。牛乳パック4本分の血を吐いたが、右往左往する周囲を制し、救急車を呼ばなかった。呼んでいたら、胃潰瘍からの出血と診断されて手術台行きとなって、死んでいただろう。佐々木は医者だから、それが分かった。結局、野菜ジュースを何本も飲んでじっと横たわっていただけで、二三日後には仕事に復帰した。” 2.第五章 厭世 夢独り残る から抜粋引用 ”かくして、佐々木の輝かしい夢を乗せた「蒲田行進曲」は、「蒲田狂想曲」または「蒲田葬送曲」となって、この地に利権と覇権を求めた巨大なオールジャパン連合の手に渡ることになった。‥‥ ”‥‥94年4月、忙中閑を得て、佐々木と彼の信頼の厚い女性役員、それに近縁の三人が、伊豆半島魚見崎近くの山道を登り、とある場所に着いた。そこには、樹齢50年を超える見事な桜の老樹が、満開の花を抱いていた。 この場所を知っている者は少ない。ひと握りの広さの笹竹に囲まれた土地に緋毛氈を敷き、五人で黙って坐り、赤坂の料亭の老女将からもらった二十七年物の紀州の梅酒の壜の蓋を取った。壜は長崎のビードロである。薄紫だ。佐々木は、この場所を誰にも教えてない。自分の桃源郷だと思っている。 広口の青色の皿上の杯盃に、氷を敷き、琥珀色をした老酒をそそぐ。だれも口を開かない。この何年間、共に闘ってきた仲間なのだ。桜の微薫の芳香が混じる。暖かい日溜りのなかで、うつらうつらとなる。柔らかく、さわやかな春風に、みんな夢心地である。見渡せば、山々は霞み、相模の海はあくまで穏やかに、遠近の小島を抱いていた。 初島もあった。佐々木が呟いた。 「巌流島か」 宮本武蔵に敗れた佐々木小次郎を自分に置き換えてみた。ふと脳裏を横切る言葉があった。久し振りに「影」の声である。それは、昔、佐々木が読んだ吉川英治「宮本武蔵」最終章の結びの言葉であった。「波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は踊る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。水の深さを」 あくまでも静かだ。花片が薫風にさそわれ、そっと盃に落ちて浮いた。そこにいる「いくさびと」も皆、心で泣いた。この言葉がいい、と佐々木は独り合点した。「影」も合点した。 風来たりて、又、去る。片々の枯草残るは夢、ああ、風来たりて、又、去る。片々の草木、夢独り残る。 佐々木の周囲はあくまでもたおやかであり、あくまでも静かな春の日だった。” ★★☆☆☆(時間とお金に余裕があればぜひ) 到知出版社発行 安岡正泰著 「安岡正篤 一日一言」から引用 2月1日 感激の生活 吾々の一番悪いこと、不健康、早く老いることの原因は、肉体より精神にあります。精神に感激性のなくなることにあります。物に感じなくなる、身辺の雑事、日常の俗務以外に感じなくなる、向上の大事に感激性を有たなくなる、これが一番いけません。無心無欲はそういう感激の生活からくるもので、低俗な雑駁から解脱することに外なりません。
2008年02月02日
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