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この日は難所の神峯寺と高知市内にはいる。神峯寺以外は意外とらくでした。この日は6:00からの出発。まだ暗い。民宿うらしまから出発。昨日はうみがめ荘。なんだか。うらしま太郎の世界にいるようである。確かにそうかもしれない。ここお四国は時間の流れが違う。もしかすると気がついてみるとうらしま太郎のように東京に戻ったらおじいさんになってしまうかもしれない。よく考えてみるとお遍路は60歳過ぎの方が多い。ただ話しいるとまだ頑張ろうと積極的な内面を感じ。若々しくも感じる。(若造がすみません)うらしまさんたちなのか。 お遍路はみんななにかを求めて回っている方が多い。ただ、その口数はすくない。お遍路とは、「とらわれのかなに生きているとまわりはみえない。そして苦しむ。四国の時間の流れのなかで、自分を見つめて気づく囚われの時間それを知ることができる。」自分の生活にもどったら、時代は代わっているかもしれない。でもそれでいいのではないだろうか。また、そこで生きるしかない。そう私は現代のうらしま太郎物語をやっているのかも。第27番 神峯寺(こうのみねじ)ここは、民宿から20km以上ある。そして急な坂がある。結果的に海抜0~450mを一気に上る感じでした。でも、焼山寺や鶴林寺に比べるとまだ楽な坂に思えて、自転車からおりて押していきましたが、難なくいけた感じがした。ここは日本庭園がとても美しい。また、ちょうど庭園のさくらかな?きれいに咲き誇っていたのでそこで写真を一枚とった。(歩き遍路の方にとってもらった。)なんとなく静けさのかなにうぐいすの鳴き声がしていました。私はそのときの雰囲気が気に入りのお気に入りのお寺となりました。帰りは、お寺の駐車場に茶屋があり、おまんじゅうを買って、そこで食べた。帰りにお接待として文柑をひとつもらった。行く先々で政治家の菅さんのサインもよく目にする。ここの茶屋にもあった。下に下りる。大体、同じペースなのだろう。初日にあった外人の自転車遍路の方にまたも出会う。ここから大日寺は遠い60Kmぐらいあるのかも、途中、サイクリングロードがつづくので走りやすい。ただ、サイクリングロードのはじめはわかりずらい。でも私は休憩所で休んでいた際にサイクリングロードの存在を気がつき走ることになる。なにかいつも道を間違いそうなときにどこからともなく自分から発せられる声がある。そして立ち止まるとこっちに行こうと意思決定がなされる。このサイクリングロードをみつけるのもそんな感じで偶然、休んでいるときに気がついた。もしも素通りしていたら、ここは通らず車道をすすんでいただろう。そうどこかでもう1人の自分がみている。そして教えてくれるのです。神なのか心なのか。神=心なのではと思えてくる。そんな実感がわく、今思うと日本の神って心そのものなんだよね。死ななくても一人一人が神になれる。何処の国にもないこの精神論。サイクリングロードの途中、芸西辺りだと思うが、立派なお接待所があった。そこでコーヒーとお菓子のお接待を受ける。無人だが、とても人のぬくもりを感じるところでした。また、お遍路さんがたくさん立ち寄っている。納札もいっぱいあった。歩き遍路のお2人にもあった。このサイクリングロードはみどころが多い。菜の花畑や琴ヶ浜という海岸の松原。とっても走っていて楽しい。また、道の駅が四国はたくさんある。夜須というところでアイスクリームをたべたりしていました。第28番 大日寺(だいにちじ)古い参道をとおって大日寺へ到着。参道の階段は崩れているところもあり、歴史を感じさせる。ここは境内に奥の院もあり、あんまりお遍路さんはきていないみたいでした。首から上の箇所にご利益がある薬師如来さんでその近くには湧き水があり。高知の名水らしい。いままで下半身のご利益がある薬師如来さんが多かったがここは逆だった。さあ、帰り道、足がぱんぱんで帰りの参道の階段がとてもつらかった。普通に下りれない。でも自転車を乗るには支障はない。第29番 国分寺(こくぶんじ)ずっと田舎道をとおって、田んぼの真中や家の間をぬけながら走る。途中、道を間違えそうになるが、休憩していたお遍路さんから、そっちじゃないよ。こっちだよ。といわれ、難がしのげた。ありがたい。そして国分寺へ。ここは庭園が美しい。枝垂桜がありましたちょっと早かったようでした。落ち着いた雰囲気のお寺でした。次へは田んぼの真中をとおるが近い。第30番 善楽寺(ぜんらくじ)ここは裏から入ってしまったが、ここは参道がながく、土佐神社と併設。土佐神社もりっぱなので参拝。また、つづく。
2007年04月30日
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今日から高知県に入る。ここはお寺の一区間の距離がある。走るのが大変になるだろうと予測する。今日はひたすら走る100kmのライドになる。第23番 薬王寺(やくおうじ)徳島県の最後のお寺となる。丘の中腹にあるため、日和佐の朝をみることができる。朝日ものぼっているが、海に反射してとってもきれい。ここから、70km近く24番まで距離がある。途中、1時間半ぐらいひたすら走って鯖大師へ立ち寄る。ここは洞窟があり、ここのなかにはいってみるとやっぱり仏像が奉っているのです。ここでも納経したがそのときお寺から乾パンをもらう。とってもありがたいお接待でした。糖分補給ができる。室戸に24番はあるけど、標識であと何キロと表示があるけれどもなかなか短くならない。ちょっとまだかあ。まだかあ。と少しイラつく。そして東洋町に入ったとたんに空気が暖かくなりはじめた。というより生ぬるい。そして海岸線も走る。ここは家も店も自動販売機もない。7kmぐらいの区間もあった。いるのは猿ぐらいでした。自然が残っている証拠ですよね。空を見上げるとトビが飛んでいる。そのとき思い起こした自分の原風景:実家と近く人よくトビが飛んでいた。そのころは松の山があり、松がかれたあとにトビの姿がしばらくはあったが消えていった。自然がこわれればなくなる。でもあったものは心にのこっている。 「あり」「なし」の差ですよね。でもその時、人の生活はほとんどかわっていない。御最崎寺に近づくと向かい風がとても強く、自転車が前にすすまない。時速15km前後。乗っていてもつらい。体にこたえる。途中で出会った自転車遍路の人は「弘法大師が修行の為にもたらしたもの」いっていました。私もそうとも感じた。でも自然には勝てない。どうこの自然と調和させていくのがよいかを考えるのが大事。立ち向かっていてばっかりでもいけないし、なにもしないわけにもいかない。自分に「立ち向かうだけが能じゃない。すべてが戦いじゃないよ。なにごとも調和を大事にしよう。」とこの区間で勉強させられた。第24番 御最崎寺(ほつみさきじ)丘の上にあるからきつい。自転車を押してのぼりました。大きな鐘があり、それをならして参拝。鐘の音色がとってもよかったあ。バイクの方に出会う。この方は遍路ではないらしい。お休みをとったが、明後日には会社にもどれと会社から指示があったらしい。ちょっと可哀相だなあ。次のお寺まではすぐした。第25番 津照寺(しんしょうじ)トビが多い如何にも港にあるお寺。門もかわいい。室津港の真中にあるおてら。階段が結構急でした。ここで大学生ぐらいの自閉症かな?その親子をみる。大変そうでした。でも、ここまで育てたんのだなあ。すごい忍耐をしてきたのだろうなあ。と横でいっしょに参拝した。港町の風情をお寺のある高台から眺めながら階段をおりていった。下を見ると「トカゲがあるいていました」そして、次のお寺まで足早に移動。第26番 金剛頂寺(こんごうちょうじ)このお寺の下辺りの民宿 うらしま に宿泊する予約をいれていたので、16:00まででしたが、まずそこに荷物をおいて、このお寺を登る。結構楽に登れる。今後は、できるかぎりどこかに荷物をおいて行くことを学習。高知に入って3つお寺をまわったが、みんな高台にある。結構、足にきます。翌日は、神峯寺というもっと高低差があるところもあったので、よくマッサージをして、早々と就寝。この日も100kmぐらいのっていました。
2007年04月23日
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第20番鶴林寺途中でお接待をうけた。坂があるとおもったので、遍路用に民家の前にみかんが置いてあったの頂戴させてもらいました。ここはがつらい。鶴林寺は山登りをしなければ行けないところにある。すごく急な農道、こんな道をみんな登ったのかな。あの車遍路。そうだとするとうんうん車がうなりながら登っていたのだろうなあなんて思ったりもした。そんなのんきなものではないこの坂は、焼山寺よりもつらいかも、坂はすべて自転車を押した。荷物が重く、自転車を押すのがより一層辛くする。立ち止まれば、荷物の重みで下ろうとするし。ここは自分の心の弱いところをしる。この旅ってなんのためにしているのだろう。やめようかな。なんてそんな気持ちもあるんだあと思えてしまう。ただ感謝するべきことは自転車という乗り物と雨が降っていないこと。雨が降ってこの坂はきつい。ここで思ったこと。「すぐにあきらめたらいけない。いつかはたどりつく。便利なものにも頼ってよい。でもたとえ便利なものがあったとしても、結局、最後は自分しか頼れないし、自分がそれを選ぶしかない」こんなメモがのこっているけど、これって人生もそうだよね。そして林道であるので舗装はされているものの家はないすべて林のみ。あえていえばこんな環境にいるので、呼吸をするたびに自分の毒素を排出しているようにも思えた。鶴林寺は本堂に鶴がある。全体的に山頂の寺特有の、幽玄なたたずまい。第21番太龍寺ここは鶴林寺の坂で疲れたので、ロープウェイでのぼる。自転車を畳まずに載せてくれたことに感謝。山頂のお寺であるがここは観光のお寺のように思える。ロープウェイが整備されていから当然ですよね。ただ、これを登るとかなりキツく力尽きた気もしました。文明の利器に感謝。このロープウェイの途中に鶴林寺がとおく山頂から建物がみえたり、かなり高いところまでのぼる。淡路島もみえました。同乗した方に写真もとってもらいました。第22番平等寺ここにいくのに道に迷った。というよりこれで正しいのか不安を抱きながら走る。坂は下りだし。なかなか道はいいのだが、それがのこる。結局はなんども地図がみたけれども、いらぬ不安をしていたみたいで平等寺に。ここでは車遍路の年配の夫婦から缶コーヒーをお接待してもらう。なんともうれしい。「自転車で大変でしょう。これ飲んで、気をつけて走ってね」なんとも心遣いがうれしい。今日はなんども接待をうけた日でした。ちょっとがんばって日和佐まで走ることにした。今日は7:00~18:00までのり続けたことになる。一番この旅で移動時間が長い区間である。そして、山登りをしたせいか。多少登り坂でも動じなくなっている自分もいた。日和佐のうみがめ荘に宿泊。ここは海の眺めがきれいです。ここの砂浜には5~8月頃にうみがめがくるらしい。さてこれを振り返ってみると、人との接点の方が強くなってくる。人と触れ合うことの大事さはしみじみと味わえた一日なのです。深すぎず浅くない仏の心を知った日でした。読んだらクリックを→ カウンセリングなどのご用命は→カウンセリングサプル
2007年04月21日
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この日は朝早くから活動開始。よく考えてみると8ヶ所のお寺をまわったわけで、長かったあ。この日は。朝朝食の時にこの方に出会い。憲法第9条の話をしました。朝からでしたが嫌いではない。憲法第9条の話をいろいろな人としたく逆周りで人と出会えるだろうと逆遍路している方でした。HPもありましたのでリンクしました。第15番国分寺ちょっと中国チックなお寺。でした。ここから井戸寺までは距離が近い。いま7:30です。何処までいけるのでしょうか。ここへ来る途中にまるで浮浪者のようなお遍路をみる。なんといっても白衣を着ている。でも本当にこの人はまわっているのかと思えてします。乳母車のようなものを押していた。また、境内は早朝なのでだれもいないと思いきや、車遍路の人が3人いた。19番までずっと出くわすこととなる。第16番観音寺街中のお寺で、小さくてコンパクト。第17番井戸寺ここは大きなお寺です。そしてグッツの販売も多い。ここではゆっくり参拝した。そして文庫本の遍路の本で読経していたが、遍路用のお経を買う。殆どの人がつかっていて、この旅でずっと遣うはずであると思ったので購入した。井戸寺という名のとおり、井戸が奉られています。屋根もある。ここまでくると なぜか先を急ごうというよりは着実にいきたいと考える。恩山寺までは徳島市街を通ることとなる。都市部では白衣は恥ずかしく感じる。でも、そのまま突き進む。第18番恩山寺ここで山門がとっても古い。そこから坂を登るみたいなのでそこに自転車を置いて参拝。だんだんコツがわかってくる。車用の駐車場まで登るのは割と辛い。だからこそどこでも止められる自転車ならでは好きなところにおける。自転車をおいて歩くわけだが、わりと急な参道となっている。境内にいくと昨晩宿泊した名西旅館でいっしょに出会った人たちに出くわす。そして参道をもどる途中では、おばあさんがいて挨拶をしてすこし話した。地元の人らしい。健康の為にここを参拝しているらしい。そう遍路ではなく生活に根付いている。たしかに四国にいて感じることは、神社やお寺がとっても多いように感じるのです。それって人と仏と神が身近にいっしょに暮らしているわけで、これこそ日本なんだろうなあ。と感じた。この時点で私は時間に追われ、金ですべてを換算している自分がいることに気がつく。会社にはいると時間とお金は大事と教育されていたわけで割と洗脳されいるのです。この考え方にしても、自分で選んで会社にいく行動をしていたはずなのに、会社に踊らされている自分を強く感じる。会社と自分の距離感を上手に取る必要性をつくづく思い知らされた。そうこのようなとらわれから少し距離を置くことが大事だと感じる。「常に心の置き方でまったく違ったようにモノが見える。」これがそのときの心境であった。第19番立江寺立江寺にいくわりと近い。ここは境内が俗世間と離れたなにかゆったりとした安心感のある空間に。おもえた。本堂、太子堂、本坊に囲まれて、塀で町中と敷居をしているのでこのお寺の世界がいっそう独立した世界に感じた。ここでお接待をうけた。地元のおばあさんから小銭入れをもらった。参拝者してくるみんなにあげている。この行為を受け、眺めながらこれが仏の心かあ。と感じた。あの一日目の安楽寺の住職から聞いた話を思い出す。ここまでは車と自転車ではスピードがほとんどいっしょらしい。これから先はかなり車との差がでてくる。ただ、一日同じルートでいつも出会うと親近感を湧くわけで、これも旅の楽しみだなあと感じた。車遍路の方々とも私は自転車なのでここでお別れですねと道中の安全をお互い祈りながら分かれる。つぎにつづきを書きます。読んだらクリックを→ カウンセリングなどのご用命は→カウンセリングサプル
2007年04月20日
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このブログができてから500日がたったみたいです。なんだかいろいろな人に出会った気がするし、いろいろな人がいなくなった気がします。ありがとうございます。いまは、先月の遍路のことを書き綴っていますが、なかなか書き進まない。書きたいことがいっぱいあるんだけど、自分の文章でなかなか表現できない。さあ、またつぎの章を書きたいと思います。今日、みんな元気で、なかよく楽しいいい日でありますように。
2007年04月20日
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3月19日は2日目です。今日ははじめての1日中自転車に乗る予定です。不安と期待に揺れながらスタート。宿をとった安楽寺からこぎ始める。とにかく寒い。ウインドブレーカー、長ズボンを履いて自転車をのる。7:15ごろ出発。そして道を迷いながら、急な上り坂もあがってなんとか標識をたよりに到着。 8番熊谷寺ここは細長い境内でした。ただ風情のある山寺という感じ。8:00に到着したのか。まだ3人ぐらいしか参拝者はいない。静かでとても落ち着いていました。ここの売店によって、暖炉がまだ稼動中。暖炉の話をしながら、ここのお寺の暖炉はあまり木の種類を選ばない。煙突も最新鋭で暖炉ぐらいの値段がするらしい。そこで15分くらい話していざまた出発。まんじゅうの接待を受けた。 9番法論寺ここは田畑の真中にお寺があるようなイメージのお寺。ここで自転車のお遍路と出会う。このお遍路でほとんどいっしょになる人でした。いやあ。寒い。まだ、9:00ですが、まだまだ寒い。ただ、視界はひらけ、田畑が東西に開け、遠くの方までみえる。吉野川のそってひらけた感じでなんだか絵になる風景。ぽつんぽつんと家があり、そしてところどころで家が密集するところもある。人が生活するところ。自然の恵みをもらうための田畑、そし南北に山がある。都会には無いこの共存がいいですね。この8-9番までは下りでした。一度ウインドブレーカーを脱ごうとしましたが、寒くて自転車を乗り続けられませんでした。10番切幡寺ゆったりとした道のりで自転車をのりながら、農家の多いところをとおり、畑の真中をとおり、進む。途中、歩きの遍路を見かける。で、最後に少し急な坂を登り、え~これから何十箇所もこんな感じなのかなと不安を覚えながらペダルをこぎ続けた。そして到着。ここは大きな杉の木も多い山を登るような参道で、三百三十三段の階段のあるお寺でした。そこを登り続けると境内はひらけて、とても明るい。なにか釈迦の手のひらを感じさせる雰囲気でいた。大体、ここで10:00ごろ、ここの階段はお歳よりには大変そうでした。やっと般若心経を読むのなれてきたのもこの辺でした。11番藤井寺ここへ行く途中は、町をとおり、吉野川を渡る。吉野川の川原は菜の花がきれいに咲き誇っていた。きれいだあ。黄色の絨毯におもえるような一角がある。夏は青々と畑も何かが植えられているのだろうと思われる。いい感じ。本当に心が和む。都会の垢がとれていく。そして時間もゆっくり流れていく。自転車はすすみ、藤井寺へ、町の端にあるお寺という感じ。でも歴史がある感じる。ここの境内から焼山寺にいける山道があるが、自転車であるので車でいける道へ進む。その前に売店に立ち寄り、蒸かし芋をかって、お茶のお接待を受けて向かうここはどちらにしろ難所です。また、距離も40km以上ある。いままでで最高の距離です。12番焼山寺距離よりも難所はつらかった。ほとんど自転車を押した。つらかった。なかなかすすまないし、坂が急でつらい。でもここで感じたことがある。家族への感謝の気持ちが一層強くなった。この場を快くおくってくれた自分の家族へ感謝を思った。そして、私は共に生きているのだなあと感じ。その後、私が生きていることを実感した。登ることはきついけれど、なぜか家族に応援してされているように感じ力が湧く感じを覚えた。 「生きているんだあ。家族とつながっているんだあ。」という言葉につきる。焼山寺に着いたときは結構高いところに登ったものだあという感激でとってもうれしかったあ。あの達成感は久しぶりでした。ということで最大の難所を越えたのでした。この旅のあとで気がつくが、体が鍛えられたのは、この坂もひとつである。お寺は参道が長い。わりと大き目の寺でした。帰りは下りですが、寒かった。肩が凍るような感覚を覚えるほど寒い。結局登り時の汗が冷えてそう感じさせるのです。真冬でなくてよかった。そして大日寺へまっしぐら。13番大日寺ここまでは、2時間ちょっとでつくことができました。このお寺で印象的だったのは、両手を空洞をつくるようにあわせて、その空洞なかに観音様が奉られている。とっても素敵な仏像がある。なんとなく幹線道路沿いの土地にちょんと建つ割と小さめだが宿坊もある細長い土地にあるお寺である。ただ、ここは16:30だったので次のお寺にも時間があるので寄るため急ぐ。14番常楽寺このお寺は16:45に到着。やっとの思いでついた。さあ急いで参拝。ただ、ここは岩盤の上に本堂があり。なんとも荒々しい感じの雰囲気と漂わす感じの境内でした。岩が各所に露出。それがなんとも自然の参道であることを感じる。岩が階段にでもあり通路でもある。をまわりこの日は終了しました。ただ朱印はギリギリの5時でした。よかったセーフ。そして、名西旅館へ13番横の旅館なので戻るような感じです。この日はとっても疲れました。でも得ることが多かった。この言葉に集約される自然と共にいる自分。ともに生きる人たち。生きている自分。なんだか。前日にきいた説法のことそのものである。体の極限の時はいろいろ得ることが多いなあ。自転車に乗ることで自然が近くに感じる。坂から共に生きる人たちをしる。そして最後に生きている自分に気がつく。結局、なにをしたって自分に糧になる。どんなことをしようと生きている限り自分の糧になる。これが得たこと。このブログのコメントもこの気づきから変化した。旧)今日も一日いい日でありますように↓↓↓新)今日もみんな元気で、楽しいいい日でありますように。単数の祈りから、複数の祈りにかわったのでした。読んだらクリックを→ カウンセリングなどのご用命は→カウンセリングサプル
2007年04月16日
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宿坊にとまるのは初めてでした。でも、結構、泊まり心地はいいです。食事もよし、風呂も温泉だし、すべてOKって感じ。民宿に泊まりなれていればOKでしょうね。さあ、夜に説法の時間の時にいいところだけ。ちょっと日本文化論です。日本って、どこでもなんでも神にすることができる文化がある。例えば、大きな木があれば、それが神になる。泉のがあればそれも神になる。山も神になる。川も神になる。なんでも神なる。それだけ神が身近に生活中に溶け込んでいる国であるという。確かにそう思う。そして、神は完全ではなく、どちらかいえば欠点もあり、絶対性をもっていない。そうそう、神も間違えを冒すときもある。多分、インドとかもそんな文化をもっていますよね。古事記などでも、不貞腐れたり、嫉妬したり。なんだか人間味があるんですよね。素敵ですよね。日本って思えるような話でした。文化を大事にしないとととつくづく感じました。これはどういうことかというと誰でも仏になれるという考え方が日本に根付いている。例えば、四国のお遍路さんに対するお接待。実に楽しそうにしている。そういう義務感ではなく、相手の満足が自分の満足になる。そして己の欲がないところに仏がいる。溺れた自分の子供を、命を投げ捨てて親が川に飛び込んでいるその心。確かに一瞬一瞬に仏がいるわけです。そうするとみんな仏。すなわちみんなの心に仏や神がいることになるのです。素晴らしい考え方であり、ここ10年ぐらい私の持っていた心持ちと同じであった。嬉しい限りである。何ていう話をしながら、夕焼け小焼けの歌が日本人の考え方を反映しているということの紹介があった。夕焼け小焼けで日がくれて山のお寺の鐘がなるおててつないでみなかえろからすといっしょにかえりましょ。この短い歌ですが。時間ばっかり経ってしまった。そろそろ終わりにしませんか。人間だけでいっしょにいないで、考え直してごらんよ。自然にいっしょにすごすことだよ。なんて、昔々の日本は自然と共存していたことを歌っているという。(参考:たしか夕焼け小焼けの歌は八王子の奥の恩方というところで作詞されたものなんだよね。)日本人の心大事にしたいですよね。個人主義ではなく自然と一体化の考え方。でも忘れていますよね。私たち。その後、自分と自然をこの旅で感じることになるとは知らず、なんとなく話を聞く。この日回ったお寺の御影です。ピンぼけだ(・_・ゞ読んだらクリックを→ カウンセリングなどのご用命は→カウンセリングサプル
2007年04月14日
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新幹線で岡山へそして高松、特急に乗って板野駅へ。下りた瞬間、駅前はタクシーしかない。すごく田舎に思える。ここで自転車を組み立てた。あまり手馴れていない。どれくらいやっていたのだろう。多分40分くらいかな。12:20に自転車が乗れるように。さあ、3番礼所近いが一番から開始。13:00に靈山寺に到着。1番 靈山寺 ここで買う。数珠、白衣、納札、鈴など、でもすごく整っている。ここですべてが揃う。遍路グッツ。2番 極楽寺ここには大きな木が神木となっている。日本はなんでも神になる宗教観を持つ国であることがしのばれた。あとは大きなブッタの足跡があります。3番 金泉寺ここから観光バスツアーの人たちにあう。先達の人たちが一緒になって回って、般若心経を読んでいる。ここはすごいこの人たちのパワーは、でもおしゃべりが多い。やっぱり観光ツアーかな?3番 奥の院 愛染院ここは静かだれもいない。私1人だけ。遍路も通り過ぎていく。お寺の方々もせっかく歩きでお遍路来たのなら、よっていけばいいのにといっていました。でも静かでいいところでした。4番 大日寺なんかハズレに有る寺って感じでした。5番 地蔵寺銀杏の木がありました。これといっしょに写真をとりました。残念だったのは五百羅漢をみなかったこと。絶対、みるべしと思います。ここで私は豆腐ドーナッツみたいなものを買いました。6番 安楽寺ここは薬師如来がりっぱに奉ってある所。ここの宿坊で本日はとまることにする。時間がまだ4:00だったので、次の7番へ7番 十楽寺16:30 もうだれもいない。私1人だけ、なんだか有意義な時間。1人であること。ゆっくりと参拝。山門の中にも、奉ってある。いろいろお寺には奉り方があるのだなあと感じました。本堂と大師堂だけでなく、いろいろなものがあるのだなあと感じた。ここまできて、はじめてゆっくりまわることの素晴らしさを覚えた。そうゆっくりマイペースはいい。競争はない。それより自分との会話できめていくしかない。と感じた。そして、安楽寺の宿坊へ、宿坊の説法がためになった。これは八十八箇所をまわるときに一番印象に残るものでした。日本の宗教観を教えてくれた。自分には大事な説法でした。これで終わり。説法は明日以降取り上げようと思います。読んだらクリックを→ カウンセリングなどのご用命は→カウンセリングサプル
2007年04月03日
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さて、今日は発心について記載したいと思います。1.この旅の目的は?なんとなく今まで色々な気付きをさせてもらった。それはカウンセリングで、勉強していくうちに宗教と関連してくるのです。カウンセリングでは自己の気づきからはじまる。そして周りとの関係性へそして、社会、自然、宇宙とすべての繋がりを感じはじめる。「私は生かされている。だから、できる限り、まわりに感謝をしていきる」ように考えるようになった。これはどちらかいうと密教の考えに近い。それで、もう一度自分の再確認するためにある。2.なぜ自転車なの? 歩きも考えたが、私は自転車好きで長期で自転車旅行をしてみたかった。その自分の希望を叶えようと自転車を選んだわけです。その他の理由として、歩きよりも自転車の方が距離を進めることができる。自力であることにこだわりたかった。3.計画はどうしたの? 計画:3月18日~3月30日 霊場:1番から53番まで(徳島~高知~愛媛) 自転車は新幹線および在来線などを乗り継いだ。 4.宿はどうしたの? どこかの宿泊施設に泊まりました。 宿坊、民宿、旅館、ホテル 宿は、翌日に取るようにした。食事なしだと結構、民宿は取りやすいようです。 一度は宿坊に泊まるのをお薦めします。住職さんと触れ合えることになるので、 これも一つ大きな体験になると思います。5.一日何キロぐらい走れるの? 80~100km でも、お寺一つに対して、20~30分はお参りにかかるので距離はこの程度となる。大体、1日平均5寺そうすると2時間以上はお参りの時間がかかるのです。6.なにか注意したことは? 脱水症状にならないこと。低血糖にならないこと。あとは気候が温暖なのであまり気にしていないかった。7.起床、就寝時間は? 起床:5:00ごろ 就寝:21:00~22:00の間。8.なにか準備を事前にしておいた方がいいことは、 よく遍路のことや弘法大師のことを勉強しておくと良いともいます。 般若心経の内容ぐらいは1度勉強しておいたほうがいい。 旅が楽しくなると思います。9.その他 あまり事前準備をしすぎるとただの旅行になります。わからないことは現地で聞くのがより一層楽しくなると思います。読んだらクリックを→ カウンセリングなどのご用命は→カウンセリングサプル
2007年04月01日
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