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今回の東日本大震災で更に大変だったのが、ライフラインでした。
3月11日の東北地方太平洋沖地震(本震)後すぐに、東北全域で停電、断水、ガス停止、固定電話も携帯電話も不通、情報も遮断、お店もクローズのまま、いたるところの道路や橋が通れなくなりました。
午後2時46分に地震が起きて、夕方5時ぐらいから暗くなってきて、停電で夜は真っ暗闇。懐中電灯の明かりだけ。
電気製品が使えなく、電池で動く製品頼り。予備の電池がそこそこあったので助かりました。
ソーラー式のライトも役に立ちました。
しばらくすると、携帯の電池がなくなってきて、予備の電池があったのと、車のDC12V->AC100Vコンバーターが役立ちました。友人でポータブルの発電機を持っている人もいましたが、非常用には使えても、今回のような長期になるとガソリンもなくて使わなくなりました。
停電のもう一つの問題は、オール電化なので暖房ができないことでした。
高断熱高気密住宅なので、ひたすら、残った熱を逃がさないように暗くなったらカーテンをしめ、日が差すうちは少しでも日射熱を取り込むようにするしかありませんでした。あとは、ホッカイロがあったのと、できるだけ厚着をして、夜は毛布にくるまって寝るだけでした。もともと、冬でも全館22度の状態でしたが、徐々に室内の温度も低下し、翌夕には14度(外10度)、13日朝は外2度まで冷え込み室内11度でした。あとは、朝で外3度ぐらいの寒さで、日射熱で日中14度、朝には10度ぐらいで平衡に達しました。ただ、16日に電気が通って暖房が使えるようになりましたが、、17日は雪で朝-1度で日中も1度とすごく寒く、18日の朝が-2度でしたので、無暖房の人はかなりきつかったと思います。
昔の家なら、電池式の石油ストーブや豆炭こたつなどが使え、暖はとれたし、プロパンガスで被害がなければ使えるし、お風呂の水も多いし、ぼっとんトイレもあるし、食料の蓄えも豊富なので、昔の家の方が災害には強い気がしました(地震には弱いですが)。
断水は、買い置きしてあった牛乳やジュースで飲用はすまし、電気温水器の水を取りだし、料理に使ったり、食器を洗ったり、身体をふいたりしました。風呂水がたまっていれば使ったり、近くのわき水を使ったり、川に水をくみに行ったりする人もいました。
給水車もきましたが、最初の頃はペットボトル2本までで電気温水器の水もあったので並ぶのはやめました。その後、ポリタンクなどに給水可になったのですが、給水用のポリタンクがなかったので買っておけばと思いました。しばらくして、内陸の知り合いのところに水が通ったので、タンクで水をもってきてもらって、いろんな容器にためてもらいました。感謝です。

意外とひどいのがトイレでした。水洗なので、水がないと流れません。タンク式だとタンクに水を入れれば流れますが、一回でかなりの量を使用するので水がほとんどない時には使えませんし、我が家のトイレはタンクレスで、水を少し便器に入れたぐらいでは流れませんでした。小便は、なぜか尿瓶があったのでそれを使って、外の排水口に流し、大便は最初の頃は避難所に行っていましたが、衛生的にもちょっときついところがありましたし、ジャスコに簡易トイレが設置されてからはそちらを利用させてもらいました。最終的には、トイレの度に行くのも面倒ですし、ゆっくりできないですし、ガソリンももったいないので、バケツのような容器にゴミ袋を入れて、中に新聞紙を入れて、それにするようになりました。最近は、小便は固めて、大便は消臭するタイプの簡易トイレ袋もあるようなので、それがあると有り難いかもです。
しばらくは店がまったく開いてませんので、食料も不足し、最初の頃は、残っていたパンやお菓子、冷凍していたご飯などに頼るしかありませんでした。 コンビニは震災当初は、被災したままで開けてくれたところもあったのですが、すぐに使えなくなりました。
ジャスコでは、被災翌日に喜久福やお菓子やジュースを配ってました(その後は開いてませんでした)。避難所でも地元企業がカマボコやお菓子などを配ったりしていました。13日頃までは救援物資がほとんど届いていなかったので、厳しいときこそ、ありがたみが分かりました。13日に、被害の少ないところでヨークベニマルなどが開き始め、店頭で最低限の食料や水やティッシュなどの備品を販売し始めました。朝早くから長蛇の列でした。
しばらくして、物置に昔キャンプで使っていたカセットコンロがあることを思い出し、大活躍しました。
火があれば、冷蔵庫に残った材料で温かい料理が食べられる、これはデカかったです。冷蔵庫も数日すると常温に近くなり、冷凍ものも溶けてくるので、料理して保存すればもう数日持ちますし。
スーパーなどの店は、電気と水が通ってからは少しずつ開くようになりましたが、行列もひどいし、物資も少なく、点数制限もあり、肉・魚・野菜・水・カップラーメン・電池・備品などはほとんど買えませんでした。
避難所にも時々いきました。トイレ、衛星電話を使用させてもらいました。多くのボランティアが働いており、ありがとうございました。
いろいろな理由で避難所に行かないで自宅で避難している人も多く、同じように暖房や水・食料の調達やトイレで苦労している方が多かったです。
ガスは、オール電化なので関係ありませんでしたが、プロパンガスでも点検や修理が必要で動かなかったり、都市ガスは復旧も遅くどうしようもなかったようです。
固定電話と携帯はしばらく通じませんでしたので、実家や知人に安否確認をしようにもできず、大変でした。そうこうするうちに携帯の電池切れになった人も多かったです。
情報は、とにかく、ラジオ頼みでした。関東以西の人は、地震や津波の恐ろしい画像をほぼリアルタイムでみれましたが、被災地では電気が通るまではほとんど分かりませんでした。唯一、カーテレビでみることはできて、最初の数日は時々みたり、あるいは車に寝泊まりして暖をとる人もいましたが、想像以上の絶望的な状況とガソリンの見込みがまったくたたなかったので、車中避難の人はほとんどいなくなりました。また、電波局がやられたのか、地デジも入りが悪く、アナログもあまりうつりませんでした。
道路は、三陸道がところどころ地盤沈下で段差ができて、緊急車両のみでしたし、沿岸部の45号線近辺は津波の影響でところどころ通れなくなってました。ガソリンもないし、店も開いてないので、自転車や徒歩で家と避難所を移動するぐらいの人がほとんどでした。
ガソリン不足も致命的で、郡部ではもともとスタンドが少ないですし、石巻では蛇田の方しか開かないので泊まりで待って買ったり6時間待ちで入れてもらってました。
そんな中で、近場の用事は自転車が活躍しました。折りたたみでも、さすがDAHONのOEMだけあって、性能もよく、カゴも別付けしていたので買い物に重宝しました。
こんな状況でも、仕事はありましたし、かえって、ほとんどのところが営業してないので客が殺到して休みもなく大変でした。今回の地震の被害は巨大すぎて、東日本ほとんどがダメージを受けましたので、しばらくは助けがまわってこないので、被災者が被災者を助けるという事態でした。
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