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2017.04.06
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カテゴリ: 昨日の出来事
加川良さんが昨日(5日9時39分)亡くなりました。
 69歳…早すぎます…残念です。

 急性骨髄性白血病とのこと……ご冥福をお祈り申し上げます。


               ( 加川良・オフィシャル・ホームページ からお借りしました)

     デビューアルバム 教訓 1971年
URCレコードの出版会社=アート音楽出版に勤めるも、URCに席を置いていた高田渡、岡林信康、高石ともや等の影響でフォークソングを唄い始め、1970年の中津川フォークジャンボリーに飛び入り参加、人気が出て1971年にこのアルバムでデビューを飾った。
 46年も前のアルバムを引っ張り出してみた……
 ジャケット裏に「頑張った人」として記されたミュージシャンの名前……あがた森魚・池田光夫・石田順二・石塚幸一・岩井宏・宇佐美じゅんこ・及川幸一・大滝詠一・加川良(ちゃっかり自分の名前も)・川仁忍・河村要助・神成芳彦・木下正己・栗原明美・後藤恵美子・斉藤哲夫・鈴木慶一・鈴木茂・高田渡・田野井利博・田野井弓子・早川義夫・広瀬重治・星由美子・細野晴臣・松本隆・水乃恵・村上律(あいうえお順)
「はっぴいえんど」も全員(4人)名前があるが、URC総出で個性を越えての駆けつけ応援を改めて再確認した。
1971年は中津川に行ったし、夏の高校野球も甲子園に行った、映画 栄光のル・マンも見たことは覚えていたが、教訓が発表されたのも71年ということは忘れていた。

     2ndアルバム 親愛なるQに捧ぐ 1972年
「偶成」の詞は浜田龍郎、「こがらし・えれじぃ」は原詞 福田善之で、補作と曲は西岡たかし……「鎮静剤」は原詞 ローランサン、訳詞 堀口大学に加川良が曲を書いた……勿論自身作の表題曲 「親愛なるQに捧ぐ」 も素晴らしいが、収録されている全てが彼を物語っているようで一番好きなアルバムだ。(多くの人はアウト・オブ・マインドを名作というが…)
本アルバムにも「はっぴいえんど」は参加しているが、中川イサトがやっと登場した。イサト氏のアコースティック・ギターはやっぱり良い。
私が加川良を好む理由の一つは彼の声だ(勿論 彼の人生を紡いだたくさんの詞も曲も好きだ)。本アルバムに収録された 「下宿屋」 は詞曲ともに彼の作だが、間に僅かにはさまれる唄を除いて彼の台詞(セリフ)……西岡たかし氏の台詞「めし屋」も良いが、加川良の台詞にはかなわない。 高田渡の下宿に招かれての詞だが、傑作と私は思う。

「下宿屋」
  詞 曲 加川良

 京都の秋の夕ぐれは
 コートなしでは寒いくらいで
 丘の上の下宿屋は
 いつもふるえていました
 僕は だれかの笑い顔がみられることより
 うつむきかげんの
 彼を見つけたかったんです

 ひもじい気持ちも あまりに寒いせいか
 感じなかったようです
 ただ たたみの上で
 寝ころびたかったんです
 やさしすぎる 話のうますぎる
 彼らの中にいるより
 うすぎたないカーテンのむこうの
 裸電球の下に すわりたかったんです

 彼はいつも誰かと
 そして なにかを 待っていた様子で
 ガラス戸がふるえるだけでも
 「ハイ」って答えてました
 そのハギレのいい言葉は あの部屋の中に
 いつまでも残っていたし
 暗やみで なにかを待ちつづけていた姿に
 彼の唄を見たんです

 湯のみ茶碗に お湯をいっぱい
 いれてくれて
 「そこの角砂糖でもかじったら」って
 言ってくれました
 その時「ありがとう」と答えてうつむいたのは
 胸が痛み出したことと
 僕自身の後ろめたさと……

 かわききったギターの音が
 彼の生活で そして
 湿気の中に ただ1つ
 ラーメンのこうばしさが
 唄ってたみたいです
 ブショウヒゲの中から
 ため息が少しきこえたんですが
 僕にはそれが唄のように 聞こえたんです


(※歌)  一杯のみ屋を 出てゆくあんたに
    むなしい気持が わかるなら
    汚れた手のひら 返してみたって
    仕方ないことさ
    あせって走ることはないよ
    待ちつかれて みることさ

     ため息ついても 聞こえはしないよ
    それが 唄なんだ

 僕が歩こうとする道には いつも
 彼の影が 映ってたみたいです
 小さな影でしたが
 誰だってその中に入りこめたんです
 それから 彼の父親が
 酔いどれ詩人だったことを知り

今 僕が こうしているから
 彼こそ 本当の詩人なんだと
 言いきれるんです

 新しいお湯が シュンシュンなった時
 ラーメンをつくってくれて
 そして ウッディや ジャックを
 聞かしてくれたんです
 それから 僕が 岩井さんや

シバ君と会えたのも
 すべて この部屋だったし
 すべて 僕には 唄だったんです

 なにがいいとか 悪いとか
 そんなことじゃないんです
 たぶん僕は 死ぬまで彼に
 なりきれないでしょうから
 ただ そのはがゆさの中で
 僕は信じるんです
 唄わないことが 一番いいんだと
 言える彼を

(※歌)

     4thアルバム アウト・オブ・マインド 1974年
1973年には中川イサトとのライヴアルバム3rd「やぁ」を出し、4枚目となったのが 「アウト・オブ・マインド」 ……ベルウッドレコードに移籍したからではないだろが、場数を踏んだだけ加川良を確立したようなアルバム。イサト氏を筆頭に、高田渡、中川五郎、長野たかし、金森幸介らも参加……鈴木茂氏だけは継続参加で立派。
 余談であるが、本アルバムのレコーディング中に、中川イサト氏のご母堂様が他界される。そして、その悲しい知らせの数時間後にイサト氏夫人はご長女を出産された。


     中川イサト  鼻唄とお月さん  1976年
1975年12月29日 神戸三宮のライブハウスで行われた、中川イサトのコンサート・ライブアルバム 「鼻唄とお月さん」 。大塚まさじ、西岡恭蔵、金森幸介、いとうたかお、シバらと共に加川良も登場。加川良が歌う「あふたぁぬうん」「あの娘に乾杯」やノビノビしながらも「北風によせて」は素晴らしい。
 ちなみに「シバ」とは、「下宿屋」にも登場したシバ君で、高田渡と武蔵野タンポポ団を結成した。フォークというよりはブルースという印象が残っている。下宿屋のもう一人の登場人物・岩井さんはバンジョー弾きで、高田渡はもとより岡林信康、高石ともや、中川五郎…多くの人のサポートをしていた。そんな岩井さんも、もうお墓の中でした。
天国でも加川良のサポートをしてください。

十月は黄昏の国 1975年
1975年6月に東京キッドブラザーズのミュージカル「十月は黄昏の国」が上演された。柴田恭平と坪田直子のデビュー舞台に、加川良が書き下ろした歌唱曲が収録されている。加川良の憂いと優しさとがあふれた傑作といっても良いだろう。
 本アルバムでも加川節・台詞を聞かせてくれる。「下宿屋」を彷彿とさせる「テーマ:愛は雨に」の台詞には最大級の賛辞を送りたい。


「テーマ:愛は雨に」
    作詞 東 由多加/ 台詞 加川良 (作曲 小椋佳)

 秋になれば ぼくは幸福(しあわせ)になれるだろうか
 ぼくはコーヒー豆を挽きながら考える
 十月になれば 君と結婚できるだろうかと
 夏はあまりにも まぶしく輝いている
 そう 秋になれば ぼくの手製のグライダーが
 小さな夢を海の向こうまで はこんでくれるにちがいない
 涙ぐみながらぼくは
 やはりちっぽけな希望を 捨てきれないのだと思う
 自由や愛などが ぼくの心の中で蛍のように光っている
 十月は黄昏の国 そこでぼくは幸福になれるだろうか

 だけど ぼくの愛は いつも雨に打たれていたようだ
 雨に濡れて過ぎゆく青春に立ちすくむとき
 ぼくは もう一つの時の中の 愛を思っているのだ
 この時代では幸福に満ちたすべてのものが
 黄昏てゆくような気がする
 恋よ 友情よ 
 さようならを言うには 夕日があまりにもまぶしく
 光をはなっている


 加川良の作詞ではないものを何故 書いてみたのか……レコードジャケットにはさまれた紙には、この詞だけ載っていなかったからだ。しかたなくRolamdで聴きながら書き起こしたので、漢字の使い方は間違っていると思う。ちゃんとタンノイで鳴らしてやれば、小椋佳の邪魔にならない曲と共にもっと心に重く響く加川良の台詞が聴こえるはずだ。


最後にどうしても…1stアルバム「教訓」より


  「教訓Ⅰ」
  詞曲 加川良

 命はひとつ 人生は1回
 だから 命を すてないようにネ
 あわてると つい フラフラと
 御国のためなのと 言われるとネ

 青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい

 御国は俺達 死んだとて
 ずっと後まで 残りますヨネ
 失礼しましたで 終わるだけ
 命の スペアは ありませんヨ

 青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい

 命をすてて 男のなれと
 言われた時には ふるえましょうヨネ
 そうよ 私しゃ 女で結構
 女のくさったので かまいませんよ

 青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい

 死んで神様と 言われるよりも
 生きてバカだと 言われましょうヨネ
 きれいごと ならべられた時も
 この命を すてないようにネ

 青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい


46年前に加川良が訴えたかったことは現在では多少違うのかもしれない。しかしながら、2011年福島第一原発事故で安全神話崩壊……2014年安倍内閣が憲法解釈を変更して集団的自衛権を閣議決定……2015年世界中どこでも武器等後方支援を可能とする安保法制国会成立……2016年南スーダンのPKO部隊に駆けつけ警護を付与……2016~2017年「戦闘」を「衝突」とねじ曲げ、日報は廃棄したと隠蔽工作、「隊員のリスクも高まることはない」と他人事の政府……
「歌うたんびに新曲だと思えるんです…」と加川良……まさにそのとおり。
 加川良が闘病中に出てきた稲田防衛相の発言「教育勅語の核の部分は取り戻すべき…」にしてもしかり。身内をかばうために松野文科相は「教材、配慮あれば問題ない」…「配慮が適切かどうかの判断は(都道府県などの)所轄庁が判断するものだ」と火の粉がかぶらない対応。
 森友問題も焦点をすり替え、調べようとしないのは身内をかばうためとしか思えない。福島原発事故の避難者に対して「(帰れないのは)本人の責任 (不服なら)裁判でもなんでもやればいい」と昨日言い放った今村復興相の言動を見れば一目瞭然で、御国側の人間は庶民が苦しもうが死のうがお構いなしの姿勢。暴言を吐いても、まさに「失礼しましたで 終わるだけ」だ。
 好き勝手にやり放題、身内をかばい国民目線を持たない政権与党にしっかり聴いてもらいたい。


加川良さん、天国の先輩方と音楽を楽しんでください…私はまだまだこの世で貴殿の唄を聴いていますから…






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Last updated  2017.04.07 13:32:30
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