いしけいからの穏やかな日常と伝えたい思い

いしけいからの穏やかな日常と伝えたい思い

January 26, 2021
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カテゴリ: 家族
昨日のブログにコメントありがとうございました。
父は亡くなった年のお正月まではとても元気でした。
前の年に硬膜下血腫の手術をしましたがその時も特に検査値にも異常がなくて元気だったので88歳までは生きられると思っていました。
カラオケが好きで地域のカラオケ同好会にも入っていて大会でも歌ったりしていました。
家にずっといるより外に出かけるのが好きな明るく社交的な性格でした。
母はあまり外に出かけるのは好きでなかったので、子供の頃は父にあちこち連れていってもらったものです。
仕事は事務機器の営業をやっていました。いつも髪もきれいに整えてとてもおしゃれでした。
父は私の息子が大学に入ったのをとても喜び自慢していました。
就職するまで生きていて欲しかったです。

義父が亡くなって13年になりました。
義母が26年ほど前に亡くなってからはそのまま一人で住んでいましたが、80歳を過ぎてからは一人で団地の4階にいるのも大変なので近くの市のグループホームを探してそこに入りました。
その後たくさん老人施設は出来たのですが、その頃は車で30分くらいのその場所が一番近かったです。
お正月はこちらに泊りにきていましたし、こちらから行って買い物や食事など一緒にしたりしました。
だんだんあちこち悪くなり呼ばれて一緒に病院に付き添っていくことが多くなりましたし、施設に入っている人や職員とトラブルが多くなりました。
気難しく怒りっぽい性格でなかなか施設になじめなかったようです。
病院の検査などや薬も納得するまで説明するのが大変でした。
グループホームでしたので入ったころは自分のことは自分で出来たので良かったのですが、だんだん出来ないことが増えて他に移るように施設から言われて、その頃長野の松本にいた義妹が看るというのでそちらの老人施設に移りました。
それから2年ほどして脳梗塞で亡くなりました。88歳でした。
亡くなったのはとても寒い日でした。
私は卵巣がんの手術をして抗がん剤治療をしたり腸閉塞で入院したりした後で体調が悪かったので松本のお葬式には行きませんでした。
昨年の今頃はまだコロナもこれほど感染が広がるとは思っていなかったので息子もこちらに来て13回忌が出来ました。
義父は高知の生まれでしたが結婚後東京に出てきて国立に住んでいました。
高知の土地を処分し、お墓もこちらの近くに移しましたがそれから間もなく目が悪くなったりあちこち体調が悪くなりました。
高齢なのに飛行機に乗ったこともありますがやはりお墓を移動したのが良くないような気がしました。
その頃は息子も不登校になったり色々悪いことが続いたものです。
義父を見ていると老人施設も合わない人もいるのかなと思います。
でも私は自分の両親と同居していたので、私の父が義父が来ることを嫌がりました。
同居するのも相性があるので難しいと思います。

今日は雲が多くなりまた寒くなってしまいました。
明日はまた雨が降るようです。
明日は今年最初の消化器内科の予約の日なのであまり降らないで欲しいなと思います。





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Last updated  January 26, 2021 02:14:06 PM コメント(10) | コメントを書く


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