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真昼の太陽が照り付けていた。どこかで、蝉の声が・・・いつか、海に行った時、歩いた道を思い出した。タクシーが捕まらない。ついてない・・と思った・・・大通りに出た。娘が外出のため、ハート君はお留守番。ハーちゃんのために、一部屋、クーラーを入れて出かける。いつも、泣き顔で待っている。 (いいかげん、慣れてよー)命とは、不思議なものだ!形などなどない・・・目にも見えない・・・でも、確かに存在するもの。命とは、不思議なものだ!母のように、死の入り口まで行っても、追い返される時がある。天寿と言うものがあるのだろうか?ともかくも、母は追い返された。行くところがなければ、生きるしかない・・・がんばれ!・・・・・・母は、昨日の昼から、病院のお粥を食べている。今朝も、きれいに食べたそうだ。お昼ご飯は、少々・・・3時にヨーグルトを食べると言ったらしい。私が食べさせた・・・「おいしい?」 「うん!おいしい。」一口だと思ったのが、全部食べた・・(おいおいー笑)母は、「早く良くなるように、がんばらなくちゃ!」・・と。それでこそ、母だ!・・と思った。「行くとこで追い返されたんだから、 生きるしかないじゃん」・・さらっと言った。母は笑った・・・母の話は、生死をさまよっていた時のことが、かなり、妄想的だ! 変なことばかり言う。 仕方ないのなのだろう・・・担当医師の助手先生の話によると、手術の傷は、順調・・・骨折は、自然治癒で・・喉の穴も、自然にふさがると・・。生き物の治癒力ってすごいんだな・・・ただ、腎臓が・・・慢性腎不全になるかどうかは、まだ疑問のよう・・・足のむくみもある。腎臓の専門医が来たらしい・・・そちらを集中的に治したいと。ベットが開きしだい、内科の病室に移るらしい。あと、残り少ない人生でも・・・いいえ、残り少ないからこそ、一生、透析は可哀想だ!できる限りのことはしてもらおう。がんばれ、母のちょっと、くたびれた「腎臓」さん・・・あとね・・・お願い・・このまま、ボケないでね・・・せめて、ハーちゃんとお留守番できるくらいになってね。遊びに行けないじゃん。(笑)頼むよー~~~~~
2002.07.31
息苦しくなるほどの、蒸し暑い日だった。 全身が気だるい一日だった。でも、どうしても玄関の掃除まで終わらないと、気がすまない、貧乏症のようだ。午前中の時間が過ぎるのが早い・・そして午後も・・・私の一人娘、現在高一。彼女にも、精神的負担があるのか、最近、機嫌が悪い。そう言えば・・夏休み。普通なら、「回転寿司」に「バーミヤン」と外食。映画に行って、カラオケに行ってね。今年は、体育館に泳ぎに行く約束もしていた。そして、最近、娘の話に耳を傾けてあげる時間も、減少してる。ストレスのせいか、娘は、にきびが増えてきた。娘なりに、自分の心の中を処理して欲しい。~~~~~~~今日は、いとこの姉と一緒の面会だった。 母は透析中・・・足のむくみが、依然、酷い!今日で、4回目の透析だと思う。見ると、喉の管もとって、穴にふたがしてあった。まるで、「チョーカー」をしているようだった。声がでた・・・しゃべれた・・・やはり、言っている事が現実離れする事もしばしば・・・母「あの世の一歩手前まで行ってきた。」私「こんな、ばあさん用がないら、もっと、この世で働け」 ・・って 、言われたしょう」母「おしゃれなおばあさんいになってから、 いらっしゃい」・・・と言われたらしい。そんな会話を2~3過ごした。生きることへのパスポート・・・ がんばってほしい。
2002.07.30
母から、頼まれた人に手紙を書いていたら、明け方、4時だった・・・3時間寝たかな? 事故・・一瞬・・偶然・・運命・・多分、母とKくん(加害者だけど、この言葉は好きじゃない)の事故は、二人の運命だと思う。そして、Kくんと知り合った。事故=悪人ではない。 彼は誠実ないい青年。優しさが伝わってくる人です。彼との出会いも大切にしたい。母が苦しめば、苦しむほど、彼も苦しい・・・運命を共にしてしまったのだろう。Kくんも、今回の事を、これからの人生のプラスにして欲しい。母の痛みを無駄にしないように願っている。それぞれが、自分の場所で悩んで成長したい。そして、それぞれが向上したい。~~~~~~病室に入った・・・母のベットは、空だった・・・「あれ?」入浴中だった。今日は、素直に入ったらしい。40分後、母は戻ってきた。お風呂は、かなり疲れるらしく、グッタリとしていた。看護婦さんが、「声が出るわよ!」・・と・・・「えっ!」っと思ったよ。喉の呼吸器のチューブを外す。穴の開いた管がとび出てる。看護婦さんが、穴を抑える。「大丈夫!」・・って言ってみたら?母が、口を開く。「ダ・イ・ジョウ・・・・・・ブッ」と・・・でも、人間の声と言うより、ロボットだった。その場にいた、私、看護婦、看護士、3人で・・「お~~~!」と思わず拍手。今、考えると何の拍手だったんだろう(笑)看護婦さん曰く、「管の穴を塞げばね、声が出るの。 だから、セロテープで貼ればいいのよ。 もっと、慣れたら、そうしようね!」・・・って・・・ちょっと、それじゃ機械じゃん。明日から、食事ができるように訓練するらしい。ヨーグルトとプリンを持ってくるように言われた。今までは、機械に頼って生きていた母・・・これから、自分で生きる訓練だ。たぶん、この方が苦しいかもしれない。80歳の身体に、どれだけの蘇生力があるか・・・母は、きっと強い・・・ そう信じます。
2002.07.29
私にとって、辛い毎日。今の生活は、家事と、病院通いだけで一日が終わる。今、与えられた現実を・・・嫌でも、何でも避けられない現実を・・・苦しくて、辛い現実を・・・それに向き会って、チャンスととらえ、 大きく成長しようと思った。こんな、チャンスは二度とない。 (二度あったら困る)人間苦労すれば、強くなれる。辛い分だけ、人に優しくなれる。気持ちも解ってあげれる。包みこんであげれる。そんな、自分に鍛えられるチャンスなのだ!そう思った時、母に感謝の思いが・・・深い母の愛情を感じた。一人っ子で弱虫の私に、身を犠牲にして教えてくれてる。 ~~~~~ありがとう~☆~~~~~~・・・・・・日曜日の救急外来、相変わらず急患で混んでいた。母のところに行った。「来たよー。 演歌聴いてるのね。」母は、このところ、下痢をしてるらしい。かなり、お尻がただれているとか・・・今日、お風呂に入れるとか・・看護士さんが、「お湯は熱めですか? 温めですか?」 笑ってしまった。ところが、母はお風呂は、「嫌だ!」の一点張りで。言い出したら、聞かない母だ。看護婦さんに、母の説得を頼んできた。どうしただろう? 入ったのかな?集中治療室は、患者の入れ替わりが激しい。点滴を、5個位して、身動きしない人。頭にネットをかぶっている、若い女性。様態が悪いのか、母の斜め前のベットでは、カーテンを閉めて、医師と看護婦多数で、何やらしてる。バタバタと看護婦さんの出入りの時に、中が見えた。 私にとって、怖い光景だった。あ~~~! 嫌だ! なんだか、悲しい・・・そんな、人たちを見ると、心が痛んで・・お見舞いの人の涙の気持ちも解って、とても辛い。ここに、今いる人たちが、全員、必ず元気になって、本人、ご家族に笑顔が戻るようにと・・祈る思いで、集中治療室を後にした。待合ロビーでは・・・救急で運ばれたのであろう、家族が二組ほど、頭を抱えたり、泣きそうな顔で座っていた。心の中で囁いたの。 「あなたたちの気持ち、わかるよー」
2002.07.28
昨夜、ベットに入った・・・寝ようと思った。・・・何故か、瞼に管に繋がれて、苦痛に歪んだ母の顔が・・さらに、目を閉じた。 消えるはずがない。気だるい朝を迎えた。考え事をしながら、洗物を・・・グラスが割れていたようだ。「いたっ!」 手から、血がにじんだ。バンドエイドを貼りながら、お仕事してる証拠・・って苦笑した。・・・・・・母は、横向きに寝かされていた。先日、持っていったCDが、かなりの音量で流れている。目を閉じていた・・・ 声をかける。 いきなり、口パクで「もう~ダメだ!」と何回も口パク。これを言われると、泣けて来る。母の、信頼している人から、 激励のはがきが着いていた。読んであげる・・・母の顔が悲しみで歪んだ!「・・・だから、がんばるのよ・・・・」瞬間、母に生きる希望が蘇ったようだ!はがき・・たった数行の文字だった。しかし、そこに込められた思いが、ひしひしと伝わってくる。その、数行の文字が、生きる希望を与えた。凄い事だ!これこそ、価値ある一個の人間・・・命への呼びかけのできる人間になりたいと思った。母、眠そうだった。明日、3時を約束して、その場を去った。今日で、3週間め・・・ いつまで続くんだろう?
2002.07.27
母が、入院しているT大学病院。 TVカメラが張り番していた(謎!)病院に向かうタクシーに乗って数分後・・・携帯がなった・・・ドキッ! 携帯がなると何故か、緊張する・・・母が、元気になったら、この着メロ変更だよ。 これも、トラウマ?電話の内容は、T病院の事務からで、医療費の件だった。「な~~んだ!}でした。母は3回目の透析を行っていた。疲れるらしく、瞼を閉じていた。耳元で呼ぶ。開けた目がだるそうだ!暫らくして、口パクで何か言う・・・ほとんど、わからない。正常なのか、妄想なのか・・もわからない。仕方ないので、「明日、車イスなら、筆談しよう」・・と伝えた。母は、うなずいた。今日の、救命救急センターは、忙しそうだった。緊急患者が多かったようだ。医師も看護婦も、忙しそうに歩き回り・・・嫌な光景だった。足りなくなった、オムツなどの補充をして、帰ってきた。明日で、事故から、3週間、 ちょっと、疲れてきた。身体だけでなく、心の方が、 大事な掲示板を2個・・・長期休養にした。
2002.07.26
一日、2回から4回タクシーに乗っている。いろんな、運転手さんがいますね。無口な人、おしゃべりな人、真面目そうな人、運転が乱暴な人・・今日、乗った運転手さん、60歳過ぎらしいけど、若く見える。H話が好きなようで・・・ずっと、しゃべりっぱなし(笑)適当に話、あわせていた。私の年を見たのか、「女は40以上が最高」だって・・・(おいおい! 運転、大丈夫か!?)笑別に不愉快には思わなかった。母は、車イスに座らされていた。今日は、精神的に不安定な顔だった。一目見て、わかる・・・目が違うのだ。やはり、変だった。メモ帳を欲しがる。看護婦さんに借りる。一生懸命書こうとする。 字と言うにはほど遠い。しかし、読めた。やはり、おかしな内容だった。自分の思いと、現実の区別がつかないようだ。「疲れるから、終わりにしようね。」 母はうなずいた。病院に行くたびに、母の大事なお守りを持っていっている。今日、握らせてあげた・・・ 母の手に力が、入った。顔が歪んで、悲しそうな、悔しそうな、辛そうな顔で、 泣いた・・・その母を見て、すぐにでも、元の身体に戻してあげたかった。人間って・・・こう言うとき無力だと思う。 自分の無力さに、腹が立った。地位も名誉も、こんな時は、何の役にも立たない。 無意味だと思った。そんなものは、小さな存在。 価値もない。価値ある、一個の人間でいいと思った。むくみも相変わらず、肺炎も起している。お腹にたまった、血液も抜いていた。母の笑顔が見れないとき、 私の、帰り道も暗い・・・・ そして、やっぱり不安が募る。
2002.07.25
母が、事故にあった場所・・・決して、広い通りではない。 時速30k制限という事からしても、わかるだろう~~。信号はない。 よく、事故のある場所だ。電信柱などが、死角となっている。以前、母は、ここに信号を付けるべく、署名を集めた。区議に提出。 ところが、この通り・・道路を境に、地域が違う。すなわち、道路の真中から、管轄の警察がちがう。信号の取り付けの費用などがあり・・どちらの警察でやるか・・・ (はっきり言って、押し付け合い)そんなこんなでお流れに・・・そのうち、前後、数メートルのところに信号が設置。通学路と言う事で、すぐOK・・・したがって、母が事故にあった場所は、左右どちらからも、信号を目前にして、青信号のうちに通過しようと、スピードを増す車も多い。たぶん、ここには、これからも信号は設置されないだろう。でも、事故の多い場所だ!今日の、母は、透析が終わったところだった。ちょっと、お疲れ。母の、もっとも、信頼している人を連れて行った。勇気付けるためだ。母は、嬉しそうに笑った。申し訳ない、ありがとう・・と、何回も口パク。今日は、母にプレゼントを持っていった。オリジナルの演歌のCDだ。「今、かけるね・・・」「雨の慕情」「舟歌」「越冬つばめ」「孫」その他・・・嬉しそうに聴いていた・・・看護婦さんの「CD持ってきてもらったの。よかったわね」の言葉に大きくうなずく。何故か、「ABBA」のアルバムが入っていた。看護婦さんが持ってきてくれたのかしら?「ABBA]は聴きやすいけど、母には無理だと思った。お好みの曲を持っていってよかった。プリンを持参したが、食べる気はないようだった。だるくて、辛いと思う。でもね・・・笑顔で、帰る時には、膨れて固定されてる手を、「バイバイ」ってふるの。昔から、辛くても、私には心配をかけないように・・・そんな、振る舞いの母だった。年老いても、やはり、母なのですね。明日で、事故から20日め。そんなに、病院、往復しているんだなぁー。
2002.07.24
人間というものを、除外して見れば・・・傷の経過のみを見れば・・・腎臓以外を除いて、確実に良くなっている事は確かだ。でも、人間としての、辛さ、苦しさは・・・正常な、頭と心にになった今、いや増しているようだ。母のベットが、移動していた。同じ、集中治療室のスペースだが・・・理由は不明。重病患者を脱したのかしら・・なんて、勝手な解釈。母は、車イスに座らされていた。苦しそうだ。 手・足のむくみは、相変わらず。10kgの水分は、一回の透析じゃ、当然、無理なようだ。母はしきりに「マイッタ」っと口パク。痰が上がってきて苦しそう。看護師さんに取ってもらう。これが、嫌いなようで、しきりに、母は大丈夫だと言う。担当医が来た。「透析は、一日おきくらいに何回かします・・・ 今日は、調子いいようですね!」「はぁ~~」答えようがない。 とにかく、だるそうだ!担当医が再び来た。「喉の管を一本とりました。 食べたいものがあったら、食べさせて下さい。・・・そんなもん、あるわけないじゃん・・・・母に尋ねる。それどころでは、ないようだ。だるそうな、母のもとにいるのは辛かった。「明日、3時に来るからね。 がんばって・・」相変わらず「気をつけてね。」そして、看護師さんの方を指差し、ご挨拶をするようにと。「余計なこと、気にすんじゃない」・・と内心思ったが、母らしいと思った。明日・・・「プリン」を食べさせてみようかな
2002.07.23
最近、救急車のサイレンも、やけに気になる。一日のうちに、何回、耳にするだろう・・・私にとって、最も嫌いな音となったようだ!母は透析を決意したようだ。3時には、実行されていた。やはり、苦痛に耐えられなっかのだろう。腎機能の数値は確実に悪くなっているようだ。足のむくみは、ますます、酷くなっていた。ニューヨークのお祭のときの、ゴム人形のようだ。体重は、10kg増。全部、水分なんだろう・・・今回の透析で、3kgの水分を抜くそうだ。それ以上は、無理らしい。母は、かなり、苦痛らしく・・何も、語ろうとしない。黙って、膨れた、母の手をさすった。「また、明日、3時に来るね。 がんばって!」・・・・の私の言葉に・・・「気をつけてね。」の口パク・母から、何百回、聞いた言葉だろう。今でも、出かけるたびに、母は、必ず玄関まで出てくる。「気をつけてね。早く帰っておいで。 どこまでいくの? 誰と会うの?」最近では、テキトーに答えている。交友関係を説明するまで、時間係りだから・・・集中治療室・・最近までいた人が変わっている。 一般病棟に移ったのか・・・ それとも。。。。。そんな事を、考えながら、白衣を脱いだ。明日は、少し楽になった、母の笑顔がみたいな。
2002.07.22
2時40分、家を出る・・・今日も、暑い。日曜日の大学病院は、普段と、雰囲気が違う。遠方からの、団体で来る、面会が多いのか、華やいでいる。 おしゃべりが、うるさい。母の様態は、昨日と変わらず、精神的にも、心も落ち着いていた。ただ・・・足のだるさ、痛さは、どうしようもないようだ!今日は、若干、顔が曇っていた。言葉も、少なげ・・私の話も、付き合い程度に笑うだけだ。足が、どうしようないのだろう~~~腎臓による、むくみから、来ているのだ!足を、曲げたいという・・曲げてあげた。 その途端、母の顔が苦痛で悲鳴を上げた。その痛さ・・・私にはわからない。可哀想だけど、どうしようもない。透析をすれば・・・楽になるらしい・・・しかし、あえて、私は、その事を口にしなかった。たぶん、本人はわかっているだろうから。「先生に相談しな!」とだけ言った。母は流動食を、管で鼻から入れている。黄土色の変な、どろ~とした、液体。見れば、「コーンスープ味」と書いてある。そんなもん、わかるか!・・との思い。母に尋ねた・・首を横に振った。そうだと思った・・・ハーちゃんが、クーラーの中で一人で、お留守番が可哀想だ・・と、告げて、病院を後にした。足のだるさで、夜もよく寝れないらしい・・ 苦痛を取ってあげたい。
2002.07.21
事故から、ちょうど2週間。時の流れは、早いものだ・・・ひたすら、病院の往復だった・・・最近、夕焼けチャイムがトラウマになっている。そう~! あの日も夕焼けチャイムを、なぜか聞いていた。今日はね、ちょっと、明るい報告なの。母はね、私が行くのを待っていてくれたの。看護婦さんが教えてくれた。いつものように「ハ~~イ!」と手を振る。すごく、落ち着いていた。いつもの顔だった。母は声を出せないので、コミニュケーションが難しい。でも、何となくわかる。「あのね! ヤモリが死んでて、アリがたくさんで 気持ち悪くて、お家の横、掃けなかったの。」そんな、話に良く笑った。しきりに、ハーちゃんのことを、心配する。昨日、持っていった、ラジカセから、音楽が流れていた。明日は、ハーちゃんの写真、写真立てに入れてくるよ。母、喜んだ。看護婦さんの許可はとってないけど。とぼけておいてこよう。(笑)足のむくみは相変わらずだ。酷い。 空気を入れた、人形のようだ。だるくて、痛いらしい。 看護婦さんに「透析したら、すぐ楽になるわよ!」その言葉に、母はうなずいた。昨日の「頑固ばばあ~」ではなかった。よほど、辛いのだろう。私は、よく考えるように話した。そんな、平和な時間を過ごせたことに、歓び。見渡せば、集中治療室で一番元気な患者だった。このまま、元気になれますように・・・ 祈るのみだ! 母の生命力に期待しよう。
2002.07.20
午前10時30分・・電話が鳴る。母の担当医からだった。 ドキッ!とした。「腎臓の機能が非常に落ちています。 人工透析をしたいのですが、本人が・・うん!・・と 言いません」「わかりました。 30分後にはそちらに着きます。」家事を中断。 病院へ向かった。母は、口を一文字に結んで、目を見開いていた。怒っている顔だ!説得をする・・「絶対嫌だ!」と、口パク。ハーちゃんにも、孫にも、会わなくていい・・良くならなくてもいい・・取り入る隙がない。 困った・・泣いても、なだめても、お願いしても、 頑として嫌だ!・・と・・そして、ときどき譫妄が混じる。私に、「騙されるな。殺される。後でわかるよ。」と・・出ない声で、必死に訴える。そんなとき、運悪く、隣りの患者さんの様態が悪いらしく、女性の号泣と悲鳴が・・・あわわ、やば~~~案の定、母は隣りを指差し、「ほら!殺されるんだ」・・と・・・1時間が経過した。席を外していた医師が戻る。腎臓の専門医に相談してきたらしい。「わかりました。 本人の意思を尊重したいので、 薬でやってみます。 ただし、肺に水がたまり、 命にかかわる時は、透析します」やっと、母はうなずいた。医師は、ラジオを持ってきていいと言った。私は、母の好きな演歌のカセットの持込の許可を得た。母に伝える・・嬉しそうだった。3時に、もって来る約束をして、とりあえず帰宅。3時に、再び病院へ・・母は、やけにおとなしかった。なぜか、気抜けした(笑)母にテープをせかされた。音楽が流れた・・ 「♪♪やだね!・・ったら、やだね!♪」母の顔が歪んだ・・初めて、感情のある涙だった。泣けて、泣けて、仕方がないようだ!たぶん、この曲を聴きながら、お掃除をしていた時の自分を、鮮明に思い出したのだろう。きっと、あの時に戻りたいと思ったはずだ。そう~その調子・・・その、前向きな命で、苦しさと闘って欲しい。いつだって、悩みを前向きに捕らえて生きてきた母だと思う。できないはずはない。母の命が強くなれば・・・後は、合併症などの危機の運を祈るのみ。全身で、母とぶつかってきたせいか、 やけに疲れた・・・
2002.07.19
2時40分には、家を出る。猛暑・・一番、暑い時間だ! 太陽が容赦なく降り注ぐ。最近の私にとって、タクシー移動の中が、唯一のゆっくり座れる場所となっていた。母は、寝ていた。喉から、管が・・・口からの人口呼吸器は、長くは無理らしい。喉を切開して、呼吸器を繋いである。本人は、この方が楽らしい。しかし、声は出ない!その姿は・・・喉から、半径2cm、高さ5cm位の管が飛びでている。「これって、人間・・?」・・って思った。医学は凄い・・でも、残酷・・・でも、母はそれで、生きている。麻酔が切れかかっていた。目を開いた。私の微笑みに、笑い返してくれた。頬をすり寄せた。 母も、すり寄せた。今日は、私の愛すべく母に戻っていた。何か言っている。全然、わからない。・・・が、「わかったよ。」とうなずく。そうすると、安心したように眠る。母の目には、常に涙がたまっていた。ティッシュで拭ってあげた。担当医師がきた。 話によると、喉の管についている、大事なチューブを、食いちぎったらしい。「お母さん、前から、こんなでしたか? このような方、初めて見ました。」「確かに気が強い人ですが・・・」寝ている母に、いつものように「また来るよー」の声かけ。その場を去った。明日の3時の面会まで、生きているのだろうか・・・いつも、思う・・・嫌だよー。 生きていてね・・・願うように帰ってくる。ICU室・・・毎日、通っていると、私まで、おかしくなりそうだ!みんな、機械につながれた人。信じられない光景・・・最近、洗濯機の排水コードを見れない。ちょうど、あのようなものに繋がれているのだ。私の娘は、まだ、面会に連れて行ったことがない。多感な娘に、あれをを見せたら、「地獄絵」と思うだろう。肺炎に腎不全・・山はいくつかある・・・と、医師に言われた。
2002.07.18
いつものように、インターフォンを・・・「どうぞ!」母のベットへ・・・な・なに・・あの手は・・・。目を見開いてみた。母の手は、ミトン見たいな固い網目の物で、包んであった。更に、固定してある。たぶん、かなり暴れるのであろう・・一瞬、笑ってしまった。「あら~~! こんなんされて! 暴れるからだよ。」母は、よほど、それが気になるらしく、しきりにそのミトンを、ベットの手すりに叩きつけてる。「これが、嫌なのね!」母はうなずく・・・取れ!と口パク。(母は人口呼吸器に戻されていた。 酸素吸入は、無理なようだった。)「ダメだよ! 看護婦さんにお願いしといてあげるから・・」母は、相変わらず、ミトンを打ち付ける。何もしない私に、口パクで 「バカ!」・・・その後、憎悪に満ちた目で、私を睨んだ。 それは、憎しみの目だった。あんな、敵意に満ちた母の目は見たことがない。 驚いた・・・~~~~~~~母は、かなり、精神的に参っているようだ。うっとおしい手のことしか頭にない。私の話に耳を傾けない。 ハーちゃんの写真にも興味を示さない・・・ひたすら、手を打ち付ける。今日の母の目に前にいたのは、娘の私ではなかった。自分の苦痛を取ってくれない悪魔だったのだろう。家族への愛情、娘への愛しさ、歓び、哀しみ・・・何もない・・ただ、不快を訴えるのみ。長居はできなかった。それでも、明るく、「また来るよ~」って・・いつものように、母の頭に、頬を寄せる。その瞬間、汚いものでも近づいたように、頭を振る。頭突きをくらった。 再度、挑戦・・同じ結果だった。私は、手を振って、その場を離れた。悲しくはなかった。いいようもない、倦怠感・・・一瞬、もう~どうでもよくなった。大切なものを愛せなくなる時ってあるんだ!今・・心から何かを愛せると言う感情があるとき・・・ たくさん、たくさん、愛を語りたいと思った。どうしよう・・・このままだったら・・・以前の母に戻らないのだろうか。一人ぼっちにされた気分・・・そして、数時間後の今・・・悲しさが募る☆
2002.07.17
譫妄(せんもう)意識障害の一。軽度ないし中度の意識混濁があり,妄覚と精神的な興奮を伴う状態。慢性アルコール中毒・老年痴呆・代謝障害などに見られる。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~今日の面会は、従妹も一緒だった。母が、もう一人の娘と思っている子だ。3時に、救急外来の前で、待ち合わせ・・・インターホンを押す。「お呼びするまで、お待ちください!」 ・・・嫌いな返事だ・・・・何があったんだろう~~不安でいっぱい・・やがて、呼ばれた。いつものように、白衣を着て、手の消毒をして、中へ・・あら?車イスに座らせている。 嬉しかった。今日は、担当医がいたの。説明があった・・・「今、暴れて大事なチューブを抜いてしまいました。」 たぶん、車イスへの移動の時、手が自由になったから。その処置で、面会が遅れたのだ。人口呼吸器を外し、酸素マスクだった。このことは、いい方向に向いているはず・・でも、母の苦しみは半減してない。人工呼吸器のチューブのせいで、声帯部分に浮腫。帰って、息苦しいはずだ。途中で、痰がからむ・・・看護婦の処置に大暴れしていた。私が、何か言おうとすると、自由な足で蹴飛ばされそうになった。ときどき、意味不明なことをいう。担当医に尋ねた。「譫妄・・と言って、 自分が、どうして、ここにいるのか。 こんな目にあうのか、わからなくなるのです。」確かに、ICU室で10日間・・身動きできず、検査に・・検査。自分が、人体実験に使われていると思い込んでいるようだ。医師も、看護婦も悪人・・私が、医師と話そうとすると、顔をゆがめて「いけない!」・・って 訴えるの。他にも、妄想的なことを言う。「犯人に、あんた達は狙われている」とか・・・医師は、一般病棟に移れば元に戻る・・って言ったけど・・だから、お話の内容は、今までの生活を思い出すようなことをしなさい・・と言った。私は、明るく、普段通り、振舞う事にした。それは、ICU室には場違いのようだけど・・「明日、また来るね~! 元気でね~! お寝巻、ふかふかに洗濯してくるよ~! ハーちゃんがお留守番可愛そうだから、帰るよ~! じゃあね・・バイバイ~」・・見たいな感じ。ほんとは、かなり無理があった。従妹は、大泣き・・・泣くな!・・って・・通いなれてしまった、外の景色を見ながら、思った・・明日から、毎日、ハーちゃんの写真を持ってこよう。母にとって、一番の宝物だから・・・80歳の身体には、残酷な日々だろう~~~
2002.07.16
病院への、交通はね、タクシーを利用しているの。今日は、ついてない日。行きのタクシーでね・・・交通量の激しい、大通り。 車の間をジグザグで走るオートバイ。斜め前の黒い車にかすった。あ~~ああ! バンパーが取れちゃった。凄い勢いで、オートバイは逃走していったよ。帰りのタクシー・・やはり、交通量の多い場所で・・もう~~~! オカマほってくれて・・・そこで、降ろされたの。すごく、変な場所でね。 タクシー来なくて困ったよ。~~~~~~~~~母は、タンがたまったとかで、横に寝かされていた。そのせいか、やけに苦しそうだった。お腹からは、やはり、血を抜いていた。グローブのような手を握った。何か、言いたいらしく、しきりに「メモ帳」という、口をする・・・看護婦さんに言った・・・そしたらね、「あいうえおボード」も出してくれたの。ICU室の患者は、みんな、言葉がでないから・・・「あいうえおボード」・・母は上手く指をさせない。字を見るのも、辛そうだった。何回か、口を見ているうちに・・意思が通じたが・・・その内容は、とんでもない事だった。 (ちょっと、言えませんが・・)どうしたんだろう?幻覚でも、見たのかな?そんな、母を見て、悲しくもあり、切なさもあり・・・今日は、私が弱気・・・ 母は元気になるのかな?病院に行くとね・・・母に、たくさん抱きついてくるの。チューブの邪魔にならないように。頬を寄せたり、胸に顔をつけたりね・・・早く、戻ってきてよ・・・ばあちゃん。ハーちゃんの子守りしてくんなきゃ、○○ちゃん(娘)と、カラオケも映画も行けないじゃん!凄く、疲れてるの。でもね、ベットの上の母は、もっと苦しいはず。それを、考えれば・・・弱音を吐いちゃいけないよね。40年以上、女一人で頑張ってきた、意地と根性のある、あの人の娘だもん。負けるもんか!
2002.07.15
いつものように、3時ちょうどに、救急外来の入り口に着いた。今日は、やけに混んでいる。 「そっか! 日曜日なんだ。」また、泣いている人がいた・・・こうゆう時って、それを見ただけで、私も、涙が溢れそう。手足の管は、確実に減っている。安定しているはずだ・・なのに、母は相変わらず、「もう~死ぬ!」・・って・・・苦しいのだろう。持っていったハート君の写真を見せる。涙ぐむんだよね。 一番可愛いんだ!ハーちゃんが無傷だったのを、「よかった!」・・って。相変わらず、声はでないけど・・・加害者の○くんが「千羽鶴」を持ってきてくれた。母に伝えた・・驚いた表情だった。「一般病棟になったら、持ってくるから、頑張るんだよ! ばあちゃんが死んじゃったら、あの子は、 一生、心に傷が残るんだ。 まだ、27なんだよ。 だから、あの子のためにも、元気にならなきゃ。 会って、詫びたいって」・・・私は、熱く語った。その時ね・・母は、口パクで「わかった!」・・って・・・「千羽鶴」・・見ると涙がでる。一羽、一羽に思いが・・1000羽・・すごいね。○くんの人間としての心は、大事にしたい。母の右手を見た・・・パンパンだった・・・まだ、私の心配は抜けきっていない。 祈るのみだ!
2002.07.14
「救命救急センター」の入り口付近の椅子・・・ いつも、誰かが泣いている。私も泣きながら、病院から帰って来た。サングラス、持って行かなかったから、下向いてね。昨日よりチューブは随分外されていて、良かった・・って思ったの。でも、本人がしゃべろうとしてる事・・声なんか出ないから、わからないんだけど、「もう、命がないのが、わかるとか」「お葬式の事」とか 言うんだ。弱気になってる?それとも、死んじゃうのかな?嫌だよー・・・・・悲しい。。。私が、泣くとハーちゃんも泣くんだよ・大きな目を潤ませて、じーと見つめるの。そしてね、擦り寄ってきて 「クウン!」って言うんだ。母に言ってやった。「元気になって戻ってきたら、きちんと、葬式の打ち合わせ してやる」・・・ってね。・・・でも、私の言ってる事は、 涙で言葉になっていなかった。両足に、包帯が巻いてあった。むくみを取るためか?不安を抱えながら、 今夜も寝るのかな?
2002.07.13
いつもと同じに、口の渇きを覚えながら、自動ドアーを入った・・・インターホンを押すときは、いつもドキドキする。姉妹がいれば、悲しみを半減できたかしら? ・・・なんて思いながら・・・今日、母は、目をあいていた。頭は、何ともないので、私の話は良くわかる。ただ、母は、話せない。口にも、鼻にも、管が・・・何かしゃべろうとするが、声がでない。しきりに「ありがとう」と言っているようだ。ときどき、苦痛に顔をゆがめる。 切ない!腎機能は、どんどん低下しているよう・・不整脈も多い。脈拍も早めらしい。全てが心配だ! 高齢だし・・・でも、なんとしても、生きてもらいたいの。母の希望の85歳まで。私の娘の成人式を楽しみにしていた。後5年・・神様、生かしてください。母の洗濯物のお寝巻・・・預かってくるのが、楽しみ・・・フワフワに洗濯して、持っていってあげるんだ。私にできること・・って、このくらいだから・・
2002.07.12
相変わらず、3時に病院へ。インターホンを押す。即答で「お入りください。少し安心した。上体を少し起すように、ベットがしてあった。相変わらず、眠りっぱなし。声をかけるが、反応なし。口に銜えているチューブで、口が歪んでだらしない。これが、あれほどまでに、おしゃれだった母なのだろうか。わからなくても、耳元で囁く・・「愛子だよ。 ハーちゃん、待っているよ」母は愛犬の事を一番、気にしているはずだから・・・でも、反応のない母のもとに、長居は意味がない。寂しさを胸に、病院を後にした。枕もとには、相変わらず、電話と着替えの生活だ!私も、疲れてきた。 胃薬を飲む・・・
2002.07.11
3時の面会時間を待つように、病院へ・・・やはり、状態の悪さは、心臓付近の血液が、心臓を圧迫していたのか、様態は、安定しているらしい。しかし、急性腎不全起しているとか。尿の量が減っている。このまま、慢性になると、一生 透析らしい。 (一生・・何年もないだろうが、可哀想)眠らされているのか、母は、意識がない。でも、その耳に囁いてきた。 「ガンバッテね」・・と・・今まで、大病をしたことのない母・・・80歳になって、こんなにも、身体を切り刻まれるなんて、運命って・・残酷だ。またもや、涙が溢れる。
2002.07.10
不安の朝を迎えた。電話はなかったものの心配だ。T病院に電話をした。「電話では、教える事ができません。 担当の先生も9時からです。」しかたなく、3時の面会時間まで待った。インターホンを押す。やはり、すぐには入れてもらえなかった。不安・・・病院の扉を入ると、口の中が、渇きだす。胃薬が離せなくなっている。やがて、呼ばれて、ICUへ・・・担当医師より、説明があった。「昨夜、9時頃、血圧低下、症状悪化のため・・ 心臓の水を抜きました・・・ それは、血液で、240cc」とのこと。更に、説明によると、事故の時、心臓にも傷がつき、少量ずつ出血していたらしい。小さな傷らしく、様子を見るとの事。その、処置によって、母は安定した。心臓・・・一番大事なとこじゃん!またしても、不安。母は寝ている・・・医師に、「何かあったら、すぐ連絡を・・」 お願いして、帰ってきた・・・またしても、不安な夜を迎えた。相変わらず、枕もとには、電話と着替えが・・・ハート君とは、母の代わりに、一緒に寝ている。でもね、夜中に、キョロキョロとは母を捜すの。切ない!
2002.07.09
今日も、3時ちょうどに病院に行った。昨日の、元気さから見て・・・今日は、母のどんな顔・・って、ちょっとルンルンで。救命救急センターのインターホンを押す。「○○の娘です」「お呼びするまで、お待ち下さい」不安・・40分位待って、呼ばれた。白衣を着用、手を消毒・・ 母のベットに向かう。担当医師と看護婦がたくさんだった。「どうなんでしょうか?」「暴れて、悪態をついています。 かなり失礼な事も言っています。 暴れて、チューブを抜くのが、危険なので・・ 手を縛ってあります。」私は、一瞬動きが止まった。医師は、何とか(医学用語でわからない)という錯乱状態だと説明してくれた・・・私は、ちょっと、顔を見て、医師に頭を下げ・・ICUを後にした。涙が止まらなかった。泣きながら、夕飯の買い物をしてきた。サングラスが役に立つ。やっとの思いで、家に到着・・・休みの主人が、玄関から、叫んだ・・・ 「そのまま・・・」 胸が鳴った。何とかという数値が、酸性らしい。これは、危険な状態だと知らされた。医師に電話した・・・手が震えて、番号が押せなかった。「すぐ行きます」午後6時・・再びT大学病院に到着。「危険な状態ですが、原因がわかりません。 エコーによると、心臓の周りに水が・・・ 抜いてみるかもしれないが、状態が良くなる保障はできません。 手術ですので、サインを・・」私は「お任せします」とだけ言って、サインをした。その時の私は、号泣を声を殺していた。呆然としながら、家に帰ってきた。私の、顔は・・・顔というには、ほど遠かった。今日から、枕もとに、電話、携帯、着替えを置いて寝る事にした。身体の疲れと反比例して、眠れなかった。ほとんど寝なかっただろう。
2002.07.08
まるで、TVドラマ。 ドラマなら、終わっているけど・・・救命救急センター ~TRAUMA AND CRITICAL CARE CENTER~ ぼ~~と、この灯りを見て言いました。7月6日(土)午後6時・・夕焼けチャイムが聞こえました。この日は、娘の中学校関係の宴の席があり、早めに夕飯の仕度を終え、 さて、お洋服選び・・なんて思いながら、パソコンをONしました。6時9分・・玄関のチャイムが・・それは、愛犬ハート君の散歩に出て行ったばかりの母が、バイクにぶつかったとの知らせでした。あわてて、飛んでいった時、母は沿道に座って、私の顔を見て、笑みを浮かべした。あの笑みは、母の笑み・・私にとってママの微笑みでした。顔面蒼白な母・・あちこち傷だらけ・・母の口から、出た言葉・・「忙しいのにごめんね。ハーちゃん(愛犬)無事だよ」でした。「たいしたことなくて良かった」・・私は思いました。家に戻り、開いていた掲示板に事故の知らせを・・・手が震えて、言葉になっていなかったような。初めて、救急車に乗りました。結構揺れる・・・乗り心地のいいものではありませんでした。母は、お腹が痛いと・・・母は、K外科病院に運ばれ・・・即、レントゲンにCTスキャン診断結果・・「左背中の肋骨3本骨折です・・」とのこと。しかし、母は苦しそうでした。相変わらず、真っ白な顔を苦痛でゆがめていました。吐き気や、便意を催している母に後ろ髪を引かれる思いで帰宅。缶ビールを空けて、一口飲んだ時です。携帯がけたたましくなりました。ドキッとしました。 「K病院です。」「状態悪いですか?」「はい!点滴を変えますので、サインが必要です。 すぐ、来てください」私は、主人と、病院へ急ぎました。「血圧が異常に下がっています。お腹の出血が考えられるため、 再検査をします。」病院中の医師に召集の連絡。「検査の結果、脾臓からの出血が激しいようです。 大学に運びます。今、手配します。 輸血も必要です。 血液型はBの+ですね!」私は、耳を疑いました。 母は私と同じA型と聞かされていたのです。「いいえ!Aです」2回の採血の結果、母はB型だったのです。どこで、間違えていたのでしょう?私は、愕然としました。 昔は、いいかげんだったのでしょうか?このことは、母が、元気になったら、伝えるかどうか思案中です。手際よく動く医師を私は、ただ、眺めていました。何の感情もなく、不安だけがありました。それは、まるで、TVを見ているような感じでした。ただ、突っ立ている私に、主人は気を使ってか、話し掛けてくれました。でも、こういうときって、話されたくないのですね。申し訳ないけど、うるさく感じました。私は、聞いていない話に相槌だけ打っていました。さて、救急車が到着・・私は、2度目の救急車に乗りました。K外科の医師も付き添って。T大学病院に到着・・・いきなり、扉が大きく開き・・そこの取っ手に捕まっていた私は、転げそうになりましたよ。そして、そこで見た光景は、やはりTVのシーンでした。ブルーの医療着に帽子をかぶった、母のために、チームをくんでいてくれた、医師団だったのです。その、手際よさも、TVドラマ通りでした。T大学病院到着・・・深夜12時でした。そこで、再び検査をする事2時間。この2時間の間に、救急外来ならではの光景を目にしました。~~~~~~~~まさしく、ドラマの続き・・玄関から、20歳位の二人の若者が・・ジャージの男の子の怒鳴り声、騒ぎ方、暴れよう・・胸がドキドキしたよ。その子の、右足、膝から下が血に染まって、歩くところに血が滴り落ちていた。その子は、救急外来の観音開きの自動ドアーを叩き開け、中で大暴れ・・ガッタン、ガシャン、怒鳴り声がして、恐怖でした。私は、とんでもないところまで逃げていったよ。酒乱らしい・・・数分後、治療を終えたみたい。 そして、 一時間後くらい、酒乱が覚めたのか・・その子ね・・看護婦さんとお話して「ぼくねぇ~~」なんてすごく、可愛らしい男になっていた。なんだったんでしょう? 珍しいもの見た思いでした。 ~~~~~~~~~~そして、深夜2時・・・私は、主治医に呼ばれました。 「脾臓からの出血が酷いです。すぐ、オペ、脾臓摘出です。」同意のサインをしました。2時半少し前、母は、オペに向かいました。私は、待機室に案内されたの。そこは、床に畳3枚引いてあって、ちょっと、独房を感じさせられました。もちろん、TVもあるし、設備は良かったけど。留守番してる、娘のことも心配で、主人は帰宅。私は、深夜の病院で、一人ぼっちでした。布団もあったけど、寝れるわけないですよね。祈るような思いで、ただ、座ってた。4時半ちょっとすぎ、睡魔がきて、一瞬、寝たような?そのとき、ドアが開き、看護婦さんに呼ばれました。「手術が終わりました。 先生から、お話があります。」医師の話では、脾臓はめちゃめちゃ、出血は、1.5リットルから、2リットルほどだったとか・・全身の半分弱・・青くなりましたよ。その後、私は、麻酔で寝ている母と面会して・・・帰ることになりました。 朝の5時15分でした。外は、夏空が広がり、閑静な場所を、寝起きの顔とボサボサ髪で、フラフラとタクシー探して、歩いていた私・・・人の目には、どのように映ったでしょか?その日、午後3時面会にいきました。意識もはっきりとして、お話もきちんとできて・・安堵に胸をなでおろしたのですが・・・母は、主人に何度も「ごめんね。」を繰り返していました。
2002.07.07
私・・・ 一人っ子。7歳の時に、父を亡くしました。母は、女手ひとつで、私を何不自由なく育ててくれました。・・何不自由なく・・・どこかのお嬢様のように。。。 一人で、泣く事があっても・・現在80歳・・ **********************************その母がバイクにぶつけられました。一見、打撲とかすり傷にしか見えなかった。・・なのに、瀕死の重症になるとは・・・ *左背中肋骨3本骨折 *脾臓破裂による大出血(開腹手術により、脾臓摘出) *骨盤左側損傷 *心臓に出血を伴う小さな傷(後に判明)~~~~~~~事故状況相手は、1400ccのバイク、27歳の青年。30km制限の道路を、検証結果45kmのスピードで直進、横断歩道を愛犬(ハート君)を抱いて渡っていた母・・もう少しで、渡りきるところだったらしい。いきなり、バイクが・・・たぶん、左の背中にぶつかったのでしょう。そして肋骨骨折、脾臓まで、やられたかな?そして、母は転倒・・・両手に抱えた愛犬・・・この子を守るために、心臓から、骨盤まで道路に叩きつけらた(推測) ~~~~~~~~~~~~~~~現在、集中治療室にて・・・機械で生きているような状態です。愛犬ハート君は、無傷でした、しかし、心因性のものか、尾は下げたまま。毎日、玄関から帰ってくる母を待っています。・・・来る日も、来る日も、・・その姿は、忠犬ハチ公です。そして「救命救急センター 24時」ドラマの12時間が始まった。 良かったら、読んで下さい。
2002.07.06
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