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昨日のリハビリ・・・って言っても、ちょこっと、棒に捕まって立っただけ。・・なのに、母はものすごく疲れたらしい。今日は、「だるい!」・・・と・・・そう言えば、私も、だるい。そっか!母を、車イスからベットへの移動の介添えをしたんだっけ・・どうも、腰で力んだらしい。 だるいような痛いような(笑)きょう、母には歩く目的を明確にしてあげた。「歩きたいだけじゃダメなのよ! 自分は何のために歩けるようになりたいのか。 自分の足で歩いて、たくさんの友人のところに 世話焼きに行くんでしょ! 人のために、おせっかいをするんでしょ! 待っている人がいるのに、 歩けません!・・じゃどうするの」母は、「そっか~~!」と偉く納得したようだ。せっかく2本ある足・・退化させないよ。母の「おしっこ袋?」は、もうすぐ外されるらしい。気の早い母は、「もう~オムツじゃないからさ・・パンツ持ってきて」とりあえず・・「うん!」と返事。しゃあないなぁ~~明日、母の「デカパン」探さなきゃ・・・(笑)
2002.08.31
最初に・・ちょっと、笑ってしまったお話・・母の喉は人口呼吸器の穴がまだ塞がっていない。だんだん、細いチューブに移行しているようだ。今日、婦長さんが来たらしい。「鼻つまんでみて!・・・息が苦しければ・・・ 漏れていないってことなのよね・・・」 ?????・・・・・・・今日、私がベットに行くなり・・・母は、べロンと裸になり(笑)いきなり、お気に入りのズボンとTシャツに着替えだした。そして、トイレに行きたいと・・・「早くぅ~~」「待ってよ~」・・私はナースコールを押す・・・車イスを持って、看護婦さんが飛んできた。どうも、便秘のため、下剤を服用したのが効きすぎたらしい。スッキリして戻ってきた母。車イスから、ベットに移る。空色の帽子をかぶり、薄い藤色のサングラスをかけ、ベットに足を下ろして、座っている。以下、ちょっと、珍妙な親子の会話・・・私から、「何やってるの?」母 「リハビリセンターに見学に行くの」 「ふ~~ん! よかったね・・・ それで、おひげの先生何時に来るの?」 「来ない」 「えっ? どうするの?」 「行くの!」 「どうやって? 車イスに乗らなきゃ いけないじゃないの!」 「あんたが連れて行くの!」 (ガ~~ン☆ だったら、車イスから降りることなかったじゃないの)私は、再び車イスを借りてきた・・・そして、地下1階のリハビリセンターへ・・・・そこで、私達親子が見たもの・・・かなりの広さ・・・たくさんの器具。「水治療室」、「作業治療室」 たくさんの人が、歯を食いしばって頑張っていた。その中で、私達親子は一人の女性のお年寄りに釘付けになった。70歳代の小柄な女性だった。仰向けでしきりに手足を動かしている。左足は、ふくらはぎから下はなかった。右足は、足首から、袋のようなものを被されていた。左手指先は包帯・・・私達親子は、会話もなく見つめていた。優しそうな老人に話かけられた。その方のご主人だった。人の良さそうなその老人は、語り始めた。「妻は、糖尿による「壊疽」なんです。 左足切断の決意まで3年かかりました。 痛みに耐えられなかったのです。 右足も切断を進められています。 左手も、動脈が腐って真っ黒です」母も私も泣いた・・・(今も泣けています。。。)「そんな奥様見ているの、ご主人も辛いですね・・・ いっそ、変わりたいと思うでしょうね。」私は言った。その言葉を母はさえぎった。「でもね・・・、家族ももちろん辛い でもね・・・、本人はどんなに苦しく辛い事か・・・ どんなに、本人が頑張っているか・・・」 母は涙で声を震わせながら言った。それから、私が言おうとしていたことをご主人が話してくれた。「五体満足なら何でもできますよ。 奥さん!、足が2本あるんじゃないですか・・・ ちょっと、頑張れば、 必ず歩けるようになりますよ。」にこやかに語ってくれた。母も私も、とても、ありがたく感じた。母の足がある事に感謝した。・・・病室に戻るエレベーターで、母に言った・・・「頑張ろうよ!」 「そうだね。。。」と母・・・
2002.08.30
昨日、母に文句を言われたから、衣類を今日も、持っていくことにした。それと、サングラス・・・母は、「どこのタンスの何番目に、こんなズボンが・・」と言う・・引出しを開ける・・・正解!。。。。すごい記憶力。 これって、ボケてないの?しかし、母の衣類・・ラメ入りの「光物」が多い・・・~~~何!?これ!~~~でも、確か、我が家には、もう一人「光物」が好きな人がいたような・・あはは~~~星空を表すような、サマーセーター・・・若向きなのが。GET・・・貰ったよ!母のところに行く・・・「リハビリに行くのに着るものが・・・」「持って来たわよ。 ほらっ! いらないのは、また、持って帰るから・・・」母、笑いながら・・「ご苦労さんでござんす」 ~~~~ふん! うっせ!~~(笑)~~~母はおかしそうに語る・・「今朝ね、歯磨きして、口濯ぎに洗面所まで、 歩いて行こうとしたら、途中で、看護婦さんに見つかって 偉い騒ぎだったよ」・・・・。。。。。うん?。。。。?????どうも、つたい歩きをしたらしい。看護婦さんが見つけて、ナースコールで、○○さん(母)は一人で歩いてると通報・・・でもね・・・転んで骨折したら、大変・・・よく、言い聞かせてきたよ。今日は、お風呂入ったとかで、喜んでいた。これから、おひげの先生とデートらしい。私は、デートの邪魔をしないように、帰ることにした。帰り際に・・・気をつけろ・・・事故にあうな・・・車に注意。etc.そこには、私の頭の上がらない母上が存在していた。しかも、最後にハートくんの写真に向かって・・・「ハーちゃん~~もう少しで帰るからね・・・」もう~~~! 大声で叫んでいた。知らん!
2002.08.29
適当に母の衣類を持っていく。朝から、救命に行くのを、楽しみにしていたようだ。「もっと、早く来てくれると思ったのに・・」お小言(笑)衣類を見て、「もっと、いいズボンがあったでしょ! もう~・・自分だけ半袖着て、 人には、こんな厚い長袖のトレーナー持って来るんだから」 ~~~あ~~あ! うるさいなぁ(笑)~~~挙句に、トイレまで付き合わされた。外で待ってる私に、カーテンを開け、話し掛ける。 ~~~あ~~あ! 親でも見たくねぇーよ(笑)~~~病室に戻り、着替えを手伝わされた。 ~~~もう~! 重い尻だ!(笑)~~~首にグリーンのスカーフを巻き、藤色の帽子をかぶる。 ~~~はい! いっちょあがり!(笑)~~~おひげの先生に連れられて、エレベータに乗った。備え付けの鏡を見る。皺だらけになったとか、ブツブツ言っている。(もともとだよ!)そして、鏡に映っている、おひげの先生を見て・・「先生は、○子(私)と似合うよ。 もっと、そばに寄ればいい・・・」~~~・・・ん? 何考えてるの?(笑)~~~「これだけ言えるようになれば、大丈夫ですよ。」 (おひげの先生言)さて、救命の重い扉を入った。たくさんの人が喜んでくれた。元気になるというのは、医者と看護婦の人助けだと思ったよ。母の目には、涙が・・・。何も、覚えていなくても、心が感じるのかな?フラッシュバックを心配したが、大丈夫だった。「もっと、元気になったら、また、御礼に来る。」~~~何回も来るとこじゃないの!~~~でも、母の律儀さなんだろう。救命を出た。帰りかける私に・・・母は、「明日はサングラス持って来てね!」笑いを堪えて、廊下を歩く。そう言えば・・・何回となく泣きながら、歩いた廊下だった・・・
2002.08.28
報告です・・・母の利尿剤の点滴は、今日で終わり。明日から、内服剤になります。そして、水分をたくさんとって・・・「おしっこ」をたくさん出すように言われました。その結果、「おしっこ」の管を外すのでしょう。・・・・・・・・・今日、母の頼みで、顔そりをしてあげた。まゆと、鼻の下の産毛が気になったようです(笑)母は、ICU室に挨拶に行きたい・・と・・・なぜ?たくさんの人にお世話になったから、こんなに元気になって、お礼したい・・とか・・・えっ!確か、母にとって、ICU室は怖いところじゃなかったの?母はやっと、いろんな事を理解できるようになったようだ。私が、救命での出来事をお話したのが良かったのかな(笑)いつも、お話に来てくれるおひげの先生(医師ではないらしい)に明日、連れて行ってもらう約束をしていた。母曰く・・パジャマじゃおかしいから、 黒いズボンと、上に着るものを持ってきて・・ だって!う~~ん・・・しゃれっけも出てきたのか(笑)日に日に良くなるのが嬉しいのか、昨日、話したことがきいたのか・・・すごく、いい患者になっていた。今日も、帰り際に諭すように言った・・・「医者と仲良しさんになること、 看護婦さんは、孫だと思ってかわいがること、 そして、可愛いおばあちゃんでいなくちゃいけない」・・と・・母は「オニババ」はやめると言った(笑)
2002.08.27
午前中、母は車イスで、かなり遊んだ(?)らしい・・・疲れたのか、おとなしく横になっていた。見ると、パジャマに血液が付着。・・・点滴でも外れたのかな?・・・すると、母は、「昨夜ね、点滴がブラブラしいて、邪魔だったから、 針、抜いたの」ケロっとしている。これだけ、自分でわかっていると言う事は、譫妄ではないようだ。もう~~~!母にきちんと言い聞かせることにした。「していい事・・悪い事・・ そして、模範の患者になるように!」・・と・・・最も、これは事前に親友よりアドバイスがあったのですが。母は、気持ちいいほどわかってくれた。親友さん・・・ありがとう~☆母は、先日まで、看護婦がどうの・・医者がどうの・・って・・文句ばかりだった。ところが、ここ2~3日、たくさんの人に世話になった・・と・・しきりに感謝する。物事を冷静に考えられるようになったのだろうか!?担当医が、母の回復振りに喜んでいると言う。当初、難しい顔で、浮腫んだ足を見ながら、「おしっこ」の量が少ないと言っていたらしい~。母はその時、医師に言ったらしい。「先生・・大丈夫。 今に、たくさんでるようになるから・・・」医師と、患者の会話が逆・・・・???(笑)母の頭の中身・・理解できない!・・・・・・・・生か死か・・・さまよっている時、私は、母が生き抜くことだけしか、見えていなかった・・・しかし、最近になって、それに付随する事柄の重要さに、目を向けるようになった…ICUにいる時には、考えても見なかったことだ。これからの生活のことを自分の中で処理するには、少し時間がかかるかもしれない・・・あの日を境に・・思ってもいない生活が・・運命が・・・自分の宿命なら、受けて立ちます。でも、ほんの少しだけ、涙させてください。
2002.08.26
今日、1時に警察の事情聴衆だった。事故の書類・・いつまでも、ペンディングにしたくないようだ!救命にいる時から、再三電話が・・・無理だと、お断りしていた(当たり前だよね!)母は調書に自筆でサインをした。うん・・よく書けた。母は、トイレの練習もしているようだ。でも、踏ん張る力が足りないみたい。でもね・・・頑張って。車イスから、自分で降りると言う。自分で、ちゃんとできないと、家に帰れないと言う。たぶん、家でも、人の手を借りる生活を強いられたら、母の性格なら、死んだほうがいい・・と言うだろう。もう、何でもできるんだ・・と言って、手の上げ下げをしている母・・・ (もう少しだよ・・)ただ、ただ、家の仕事をするのが好きな母。役に立たない、年寄りにはなりたくないと・・・いつも、言っていた・・・○子(私)に世話をかけたくないと・・・事情聴衆のあと疲れたのか、ちょっと、譫妄が・・・病院は、旅館になって、看護婦さんは女中さん・・母は、旅館の女将さんでした。その頃と一緒になってしまったのでしょう。そう言えば、救命にいる時も、私に言った。「あんたは若女将って有名なのよ」・・って・・・きっと、母にとって、一番いい時代だったんだろうね。そして母は、車イスから、ベットに移動した。「模範になるような患者じゃないと、早く退院できないんだよ」・・っと言って・・・明るく、手を振り帰ってきた。~~~汝の運命の星は、汝の胸中にあり~~~・・思ったけど・・・誰の言葉だっけ?
2002.08.25
>強い信念があればどんな困難なことでもなしとげられる。母を見て思いました。昨日の私の思いが通じたのか、母は、現況を頑張っていた。二日間ぶりに、母に会ったという看護婦さんが、回復振りに驚いていた。母は、足の運動を寝ながらしていた。母の「これ、見て!」と言う声。母のふくらはぎは、むくみが引いてブラブラ・・・筋肉が落ちてブラブラだった。ちょうど、骨に皮をかけたような状態だった。「2本足があるんだから、歩けるようになるよ。」アイスが食べたいと言う・・・売店まで歩いて行く・・と・・・(ちょっと待ってよ!)やっと、なだめた。アイスを食べるのに、ベットで起きると言う。手を貸してあげた。背骨がやけに手に触れた。 (こんなに痩せて・・)と思ったよ。それでも、ベットに起き上がり、足を手で持ち上げて、ベットに腰掛けるような形に・・・ゴールを目指した、一念なんだろう。どこまで、頑張れるんだろう?せっかく戴いた生命・・・無駄にはしない。~~~~~~~ 生きる歓びを 持てる人は 幸福の女王である 生きる歓びを 見出せる人は 魂の勝利者である ~~~~~~~~
2002.08.24
今日、透析の予定だったらしい。しかし、血液検査の結果、良好。透析は「なし」になったらしい。医師から、これで、透析離脱と告げられた。「以後、透析の予定は組みません」・・・と! ・・・・ヤッター(^○^)・・・母は、午前中、「家に帰りたい」と大騒ぎをして医師を困らせたらしい。 私の顔を見るなり泣いた。「外泊でいいから帰る!」と。医師の話によると、点滴の利尿剤・・もう少しすれば、内服になるとか。それまでの辛抱だ。医師に言われた・・・「頑固なおばあちゃんですね。」そう言えば、救命の医師にも同じようなことを。またしても、私は「すみません!」(笑)だった。母を、説得にあたった。「マラソンだって、ゴール目前の苦しい時にやめたら、 負けでしょ! 同じだよ」そして、母に・・ゴールを決めてあげた。それは、一緒に念願の場所へ行く事だった。だから、今は苦しくても、頑張るように話した。母は改善に向かって、走り出した。しかし、私には別の不安が・・・それは、医師より・・「このまま、お家で受け入れるなら、 歩けない生活を続けるなら、 バリアフリー、お風呂などの大改築が必要です。 大丈夫ですか?」返事ができなかった。私の頭の中は、家の広さ・・金銭の問題が渦巻いていた。それでも、「主人と相談します」・・とだけやっと答えた。介護保険の手続きも、今から、やりなさいと・・・母が、戻って介護が必要になった場合・・・これからの生活どうなるんだろう・・・私に残ったものは・・不安・不安・不安・・だった。元の母に戻ってもらいたい。きっと、リハビリ頑張れるよね。あきらめないぞ・・・母と同室の70前後おばさんが話し掛けてきた。「先生と話しましたか? 家に帰りたいと・・かなり騒いでいました。 私だって、どんなに帰りたいか・・」涙ぐむ。その後の言葉を私は・・・胸の隙間を風が通り抜けるような、たまらない気持ちで聞いた。その人は言った・・「帰りたいけど、帰ると家族に迷惑がかかるから・・・」 何も言う事ができなかった。 悲しさだけが残った。
2002.08.23
今日は、簡潔に報告のみとさせていただきます。本日、担当医より電話があり、母の状態がいいので、個室より大部屋に移すとの連絡がありました。 そして、無事に、大部屋に移ることができました。母は、車イスから、ベットへの移動の時、僅かに足を自力で動かすなど、頑張っております。母の記憶は、救命の入院生活は、全くありません。いつから、自分を取り戻したのかもわかりません。しかし、今は、自分があるようです。そして、何よりも、ハートくんに会いたい、家に帰りたいと。母が、立てるようになるまで、歩けるようになるまで、利尿剤が離れるまで、人口呼吸器の穴がふさがるまで、毎日、毎日、通いつづけ、励まし・・・一日も早く、母の思いを達成させるよ。
2002.08.22
今日、ちょっとした用事で、昼食の時間がとれず、そのまま、タクシーに。空腹のためか、気持ち悪くなった。母が、腎臓内科に移ってから、透析は、まだ、2回だけだ。当初600ccの「オシッコ」が昨日は2000ccだった。利尿剤の投与のせいだか、このまま、改善して欲しい。母は、今日、立てたと言う・・ただし、ベットに捕まってだが。でもね、全然、立てなかったんだよ。きっと、感覚は戻ってくると思う。突然、母は・・「今、立ってみる」・・って。大丈夫!・・という母に、「看護婦さんがいないとダメよ!」変にして、また、骨折でもされたらたまらない。どうしても、「立つ」と言う母をやっとなだめた。今日、母には、事故の記憶のない部分の続きを話した。譫妄の部分は除いてね。事故から、12時間のドラマを話し始めた。母は、真剣に聞いていた。食い入るような目で見ながら、「ふんふん・・」と・・そして、おもむろに口を開き、「大変だったねぇ~」・・と。(うん。あんたの事よ!)と内心思った。今日も、母は泣き上戸だった・・・ここの皆様のBBSの激励を話したら、メソメソ泣いた。他の事でも、よく、泣いた。悲しくて、悲しくて、仕方がないそうだ。「少しでも、歩けるようになったら、這ってでも帰る」ここ、2~3日、こればかり言う。さて、そろそろ帰ろうと、扉に向かう。振り向くと、母はまたもや、泣きじゃくってる。 「泣くんじゃいの。どうしたの?」母は、「いい娘を持ったと思って・・」最後は言葉になっていなかった。 「私も、いい母を持ったよ。」 静かに答えて、廊下に出た。
2002.08.21
男性の世界最高齢者113歳の中○○雄○さんが長寿の因について語っていた。 「人を喜ばせ、自分も喜ぶ。感謝の気持ちを忘れない事」・・・と。 生への感謝、健康への感謝をしよう。・・・・・母の頭から、譫妄をどうやって取り除くべきか。そのためには、事故当日の記憶から話してみようと思った・・・今日は、当日、着用していた衣服を持参。ズボンの右足は、かなりズタズタい破れていた。それを見せた。母は、その衣類さえも、めずらしそうに眺めていた。話によると、その日、救急車に乗ってからの記憶はないようだ。では、いつから、現実に戻ったのか・・・・?これって、かなりの労力が必要だ。これでいいのかも、疑問だ。とりあえず、少しずつ現実を話していきたいと思う。まるで、精神科医になったようだ。もし、必要なら、どこかで相談してみよう・・・
2002.08.20
突然、我が子が私をナイフで切りつけたとしたら・・・私は、何を思うでしょうか?岩手の事件のニュースで思いました。親子で殺しあう事件がおきる昨今。親子でさえも敵になる。ましてや、他人ではたやすい事なのではないでしょうか。そんな、世の中、信頼関係を持つのは至難の業なのかな?寂しいけど・・・相手を見極める、先見の眼を養いたいと思う。・・・・・・・母の話を一時間以上聞いていた。ふっと・・・思った。かなり、現実に戻っている。車イスの移動による、気分転換、また、立つ事への意欲の現れのようだ。車イスへの移動のたびに、一人で立つ事を試みているようだ。でも、立てない・・支えられて立っても怖い・・・それで、これからの生活の不安や、がんばらねば・・とか・・・いろんな考えが交差しているようだ。「大丈夫だよ。」私は簡単に言ってみた。警察に提出の診断書を医師に書いてもらった。「急性腎不全、無気肺、術後感染症」・・えっ! まだ・・急性・・・先週、慢性になるかどうかの山だって・・・きちんとしてから、診断書を出すって・・・これって、期待していいの?もし、そうなら、すごく嬉しいけど。でも、年齢から見て無理だと思う気持ちの方が強いかな?どちらにしても、もう少しだよ・・・ガンバッテね・・ばあちゃん・・・帰り際に、母は言った・・・「いつか、笑い話になるかもね!」私は、「うん!、記録に残してあるから、元気になったら読んであげるよ。 可哀想な人だって、泣くんじゃないよ!」バイバイ・・と母は手を振ってくれた。疲れきっていた私だった。でもね、元気が出たよ。これって、逆じゃん・・・内心苦笑。
2002.08.19
日曜の朝・・「仮面ライダーの始まるよ!」・・で娘を起す。10年前から、未だに戦隊モノが好きな親子だ。確かに、登場するカッコいいお兄さんもいいけど、私は、「仮面ライダー」そのものが好きだ。悪に向かう正義感、優しさ、思いやり・・・そこには、大人の私達が忘れている情熱があるような・・・でも、子供の世界では、こんな、正義感を訴えている大人たち。教育学者「ペスタロッチ」の言葉を思い出す。 ☆この世の続く限り、 愚か者と、ずる賢い人間達は、結託する☆個人においても、社会においても、 構図は同じだと思う・・・・ 「愚か者と、ずる賢い人間」正義を見極める人間になりたいと思う。・・・・・・・母は、車イスに乗せてもらうところだった。車イスへの、移動の時、看護婦さんに「自分で立ってみる!」立てるわけない・・でもね、必死に自分を支えようと、看護婦さんが手を貸す。足の感覚がないようだ・・・たぶん、母は家に帰ったら、今までのように、洗濯や掃除をしたいのだろうと思う。それは、娘に負担をかけまいという気持ち。母の頑張りは、そこから来ているのだろう。きっと、リハビリも頑張れると思った。手足のむくみは、だいぶ引いてきたけど、腎臓は、どうなっているのかな?もしかしたら、これって、母の最後の大偉業なのかも・・・このことに会わんがために、80歳まで生きてきた。だったら、人生捨てたもんじゃないかも・・・
2002.08.18
これは、我が家のシーズー犬「ハート君」に付けられた病名です。今朝、ハート君は水溶便をしたの。昨日の朝、軟便だったけど、食欲も元気もある。ところが、今朝は酷かったようだ。前回と同じ・・確か、前回も雷の翌日に下痢・・・動物病院に飛んでいった。副院長が見てくれた。私の信頼する医師である・・・カルテを見ている医師に、母の事故以来のハート君の経緯を話す。「それは、分離不安。 そこに、嫌いな雷・・・ 便に細菌もないし、元気もある。 精神的なものでしょう」雷が苦手なワンコは、そのたびに、血便や血尿、そして、死に至ってしまったワンコもいるようだ。ハート君の生活は、母の事故以来確かに寂しいものとなった。今まで、経験のなかった毎日のお留守番・・・ボール遊びをしてもらえない、毛繕をしてもらえない。お昼寝をしてもらえない。順応性があると思ったら、間違いのようだった。頭で、わからない分だけ、心で感じているのだろう・・・かわいそうに・・・たくさん、抱きしめたりしてるけど・・どうしても、向きあって上げる時間が少ない。お腹の薬と、精神安定剤をもらって来た・・・ハート君は、何を思い・・何を考えているのだろうか?・・・・・・・・母は、当初、火・木・土が透析の予定だった・・・しかし、毎日の血液検査のデーターを見ているようだった。そして、今週は、火曜日に透析しただけだった。利尿剤の点滴のせいか、尿量は増えている。・・・が、数値がイマイチのようだ。腎臓の働きによるものじゃないらしい・・・でも、透析を必要としていないことに関しては、良い方向と信じたい。母は、今日、車イスで院内散歩に連れて行ってもらっていた。車イスから、ベットに戻る時、自分で立つ・・と言う・・・立てるわけがない。でも、必死に看護婦さんに捕まっていた・・・根性のある人だと思った。その気持ちが、一番大事。きっと、頑張れると信じている。
2002.08.17
書きたいこと、あったけど・・・ 私も、お盆休みにします・~~~これからも、よろしく☆~~~~~~
2002.08.16
日本がアジアの国々に多大な犠牲と惨禍をもたらした戦争が終結してから、今年で・・57年になる。今日・・・「終戦記念日」・・・戦争を語れる人が減少・・・そんな中で、母は貴重な存在だろう。すべての戦争経験者がいなくなり、子供達は、曖昧な教科書で、戦争を知る・・そんな未来を想定すると不安が・・・そんな、今日でした。・・・・・・・今日、午前中にナースステーションから電話。浴衣のお寝巻は嫌だというらしい・・パジャマを持ってきて欲しいと・・う~~ん???暇な患者は、わがままを言って、看護婦さんを困らせているらしい。パジャマを持って面会に・・・すぐ、お着替え・・その場にいたんだけど・・・初めて、母のお腹の傷を見た!縦に25cm~30cm・・・傷はきれいだった。でも、痛々しい。いつも、身体中にクリームを塗り、気を使っている母だった・・・色黒の私に比べて、白い肌は、柔らかく私より美しかった。「かわいそうに・・・」女性は、いくつになっても、身体に傷はつけたくない。でも、これが、若いお嬢さんだったら・・・と思うと、正直いって、ぞっとした。母が、傷を正視できるようになったら、何を思うのかな?とりあえず、母は元気になった。それは、喜ばしい事。でも、譫妄が・・・内容が、ちょっと困る事なので、この辺も、様子を見ながら医師に相談したいと思う。もう少し時間が係りそうだ。私の、病院通い。いつになったら、終わるのかな?自分の時間と睡眠が欲しい・・・
2002.08.15
人生の舞台は、それぞれだ・・・いろんな、物語がある。今日は、ちょっと余談です。・・・・・・・お盆の道路、いつもより空いていた・・・タクシーの運転手さんと話す。~~~聞きながら、私は泣いていた・・~~~うちの事情を聞いた後に、運転手さんは語り始めた。息子さんのお嫁さん、25歳・・って言ったかな?昨年、秋に小脳の出血で倒れた。お腹には、3番目の子供が9ヶ月・・・救急車を呼ぶ。お産か・・脳か・・多くの病院で断られたらしい。15分ほど、救急車は待機状態。仕方なく、係りつけの産婦人科へ・・・しかし、脳の症状が悪化・・・産婦人科では、どうしようもないという事で、某大学病院の救命へ・・・移動・・・まず、赤ちゃんの命を救うべく、9ヶ月で、帝王切開。2700gあったため、助かる。その後、お嫁さんの手術・・成功・・・ところが、小脳は人間のバランスを保つ脳・・現在、きちんと歩けるようにリハビリ中とか。リハビリ・・これは、本人の努力、挑戦でしかない。・・なのに、お嫁さんの母上が手を貸しすぎる。彼女は甘えるで・・一向に成果がない。一番上の子が5歳・・・今回の事で、早産した子は・・0歳・・3人とも、保育園に・・事情はそれぞれ・・だけど・・・3人の子供達のために、母は頑張ってほしい。それを自覚した時強くなれるはず・・・見ず知らずの、彼女のところに飛んでいって、叱咤激励したかった。私は、運転手さんを、激励して降りた。・・・・・私の母は、詰まらそうな顔で寝ていた・・・暇なんだろう・・相変わらず文句ばかり。「あんなご飯で、元気が出るはずない」「熱が出ても、薬をくれない」私がいる1時間以外、23時間は、いいたいこと黙っているのだろう。 だから、たくさんお話させてやろうと頑張っているけど、 ちょっと、疲れるかな?もう~~~!家に帰ってきたら、何も聞いてやらないからね。心で叫んでいる、親不孝に逆戻りしている、自分を発見した。
2002.08.14
側弯症・・ってご存知ですか?原因不明の背骨が歪む病気なんです。思春期の女子多い。重症の時は、背骨に金属を埋め込む手術が必要。娘は、側弯症で中一の時から、就寝時、装具を着用しています。治る事は、不可能・・でも、進行を防ぐためです。おかげさまで、今日の検診まで、進行はしていないようです。娘の病院・・N大学病院・自転車で15分。学期の休みごとに、検診に行っています。そして、今日、朝一で行ったんです。帰宅、正午少し前・・・そして、休む暇もなく、母のT大学病院へ・・・ 疲れたよー。・・・・・・・・母は、今日、透析の日。したがって、腎センターまで面会に行った・・・腎センター・・ベット数20個くらい。8人ほどの患者が透析中。透析の機械、見たことありますか?これが、すごいんです・・・それを個々にやっている。何とも言えない雰囲気だった。母は退屈そうに、目を閉じていたが、私に気がつき、目を開けた・・・首からの管が痛々しい・・・帰りがけに母が言った・・・「ここまで、頑張ったんだから、 はやく元気にならなくちゃ」死ぬのはあきらめ見たいだ!母の言葉が嬉しい☆
2002.08.13
埼玉よりの東京にある、小さな一軒家。庭もないのに・・家の周りには、木と、鉢植えがたくさん。母の趣味なんです。名前も知らない木や・・鉢・・・知ってるのは・・・「松」「モクレン」「椿」「きんもくせい」「ユスラウメ」それから・・わかんない。鉢は、「妊娠玉葱」「おりづるらん」・・あとは、知らん。ここのところの猛暑で、水遣りが間に合わない。枯れてきそう・・・(ワナワナ)私、水遣りの時、愛情がなかった・・・反省しました。 植物だって、生きているんだもん。愛情を感じなければ育たないよね。今日から、一つ々に話し掛けながらお水を・・・30分は係るかな?私にとって、貴重な時間だけど。夕方、生き生きと見えたのは、気のせいだろうか?・・・・・今日、担当医師と面会・・母の最近の様子などを話す。「お年よりお若いですね」医師の言葉だった。腎臓の方は、今週くらいで、慢性になるどうかの山だと言う。どうなるんだろう・・?母の顔は、疲れてはいたが、嫌にお口が達者だった・・・文句ばかり言っているのが、母の元気な証拠。(笑)私は、帰り際に言った。 「そんなに、文句あるなら、 元気になって、早くお家に帰ろう!」母は、大きくうなづいた。
2002.08.12
日曜日の面会は、午後1時から・・・今日は、1時間ほど早く家を出る。病室に人の気配・・・あら?K君とお母さまがお見舞いに・・ありがとう☆母は、昨日。夜中に、熱が出たらしい。あれだけ、譫妄があれば、熱も出るだろう・・と内心思った。母は、苦しくて・・・家で寝ているのと錯覚し、隣りで、私が寝ているものだと思い、しきりに私の名前を呼んだとか・・救命のように、ナースがいつもそばにいるわけじゃない。ナースコールも遠慮しているようだ。「家に帰りたい」・・と言った。今の状態で、母を一般病棟に置いとくのは、心配なことが多い。腎臓だけが悪くての入院じゃない。その辺の理解が足りないようだ。看護婦さんは、交替勤務。一人に、頼んでもダメだし・・・・・困ったなぁ。。。。。明日、医師に面会を頼んだ。譫妄も、寝不足、疲れが影響。だったら、救命の時のように、昼、夜のリズムを作ってもらおう。それは、医師の指示だと考えたから。左背中のシップを、貼りなおしてあげた。母から、頼まれたから。でもね、あんな傷だらけの人間、動かすの怖いよ。看護婦さん、やってよー☆疲れて帰宅・・・朝から、ご機嫌の悪い娘の言動が、神経を逆なでした。バタンとひっくり返りたい、ベットを眺めながら、夕飯の準備に台所に立った。暑さのせいか、異様に疲れた・
2002.08.11
お昼、少し前・・・病棟のステーションの看護婦から電話があった。「○○さん(母)が、娘さんに 重要な話あるって・・言っています。 なるべく、早く来てください」「じゃあ! 今、行きます」「1時40分から、透析ですので。 4時半頃になります。」・・・ガーン!・・・そんじゃ、電話してきても、意味ないよー(笑)・・・・・・・4時35分、母は透析中だった。違う場所でやっているようだ。待つしかない。母が、戻ってきたのは、5時50分・・・夕飯の準備が気になる。母は、私の顔を見るなり「あ~~! 死んだ方がマシだ!」 疲れたのだろう。「そんなこと言わないで、がんばろう」看護婦が出て行き、すぐ、母に・・「話って、どしたの?」母は、悔しそうに、思い切り、顔をゆがめ・・「今日から、オニになることに決めた! あんな事されて、許せない」・・って☆譫妄とわからない私は、K君のことだと思った。 (オイオイ・・待てよー)そうじゃなかった。それから、悲しそうに泣きながら、話し出した。・・・・内容を聞くうちに、生死をさまよっていた時、見たものかな? 夢なのかな? わからないけど・・・酷い事をされていたと思っている。とても、残酷な話だった。そして、今も、それが、本当だと信じてる。専門家じゃなから、わからないが・・たぶん、夢の中を、夢と思っていない。母の頭を抱いて「もう~大丈夫だよ」、・て・・・母の中に、現実は存在するの。でも、救命での数日間、意識がなかったとき、このとき、頭に移ったものを訴えているのだ。母の頭の中では、今回の傷、痛みは事故ではなかった。拷問されたようだった・・・手術、人工呼吸、お腹の中の血を抜く事・・よって、たかっての拷問になっていた。そして、誰が・・まで、出てくるの。これって。 困るなぁ~~~ともかくも、わかってあげることに徹した。寝不足とか、疲れた時・・繊毛かな?もう~7時近い。夕飯が運ばれた・・・食べるのを手伝う時間がなかった。こんなに遅くなるなら、夕飯用意してきたのに。でも、時間なかったな!母は、不器用な手つきで、お粥を口に運ぶ。口に入れるのに、一苦労。吸水器を持つ手が、震えてる。明日は、日曜日。 面会時間も早い・・・早く来る約束をした。「明日、全部聞いてあげるから」病室を出た・・・扉の向こうの、母の食事する惨めな姿が目に焼きついた。今も、見える・・ (がんばろう~☆)譫妄、いつまで残るのかな?2日間の私の寝不足が飛んで行ったようだ!
2002.08.10
午後から、急に眠くなった・・・娘が、夏コミケで東京ビックサイトに行くので、3時半に起きた。彼女は、4時半に出て行った・・睡魔を吹き飛ばし、表に出る。風が強い・・真っ青な空・・どことなく秋を思わせる空だった。そう言えば・・もうすぐお盆。・・・・・・・エレベーターが来ない。10階まで、階段じゃ無理だ。ひたすら待つ・・・病室の扉の小窓を覗く。あら?中に、主治医、他3人で何やらしてる。・・ん?・・・・さらに、見る。うっ! お腹を縫っているのか、切っているのか?正視できないので、扉の前で待った。主治医の話によると、救命から、移ってきた時の連絡は、事故による、血圧低下のための、急性腎不全。それならと・・・2日ほど、利尿剤を点滴。普通の5倍の薬らしい。しかし、尿量は増えず、腎臓の機能ははかばかしくないらしい。それで、明日から、再び透析をするらしい。そのための、針と言うか、管みたいのを埋め込んでいたらしい。週3日の予定・・大変そうだ!中に、入る・・・やはり、腎臓の機能が落ちてくると、調子が悪そうだ。元気がなく、目をあけているのが辛そうだった。肩甲骨の少し上に埋め込んだ管がに血がにじみ、痛そうだ、本人も、痛みを訴えていた。「がまん。がまん。がんばって・・・ でも、あまり痛かったら、ナースコールだよ!」それでも、プリンを食べた・・・う~~ん!母の腎臓は、慢性腎不全になる可能性が大きくなってきたようだ。高年齢のため、回復力も少ないのだろう。でも・・まだ、決まったわけじゃない。望みは、捨てない。今の状態じゃ、リハビリも無理だし・・・長引くのかな~~~?でもね、母が言った。「良くなったり、悪くなったりで・・ だんだん、良くなるのよ。」あんなに、具合悪そうなのに、よく、こんなこと言える。 母に脱帽です。
2002.08.09
最近、世捨て人になった気分だ!TVも見ない、新聞も見ない・・・午前中、猛暑、炎天下の中・・母に頼まれたものを探すのに、自転車で1時間・・暑かった。以前、いつも通っていた道が懐かしく感じられた・・・母が、一般病棟に移るのを待って、お見舞いをしたい方が、たくさんいる。しかし、今は、申し訳ないけど、人選したいと思っている。 ちょっと、辛いと思うからだ!今日は、母が、信頼している人、二人と一緒した。母は点滴をしていた。何の点滴だろう?ベットは起されていた・・・今日の母の顔は疲れていた。ちょっと、浮腫んだ感じがしたが、気のせいだろうか?それでも、母は訪問客に喜んだ。喉の空気の漏れを押さえながら、しきりに何か話しているようだった。腎臓に関しては、まだ、海とも山ともわからない。病名・・急性腎不全。症状・・乏尿これだけだ。暫らくは、様子をみよう・・・しかし・・・お着替えがしていない。洗濯がない。救命のときは、毎日、バスタオルにお寝巻の山だった。う~~ん???悲しいかな、救命に慣れすぎた。何も、わからないまま、給湯器の場所だけ発見して、帰ってきた。今も、一人で、ベットに横たわっている母を思うと物悲しい・・・頑張ってね・・心が叫ぶ。
2002.08.08
タクシーに乗った・・・「お客さん、2週間前にも、T病院まで乗せましたよ。」 ガーン!確かに、一度見たら、忘れないと言われる個性的な私・・でも、勘弁してよ。T病院でも、有名にならないうちに、退院してよー・・ばあちゃん(笑)・・・・・・ICU室しか知らない私にとって、一般病棟は、静かすぎた。今まで、看護婦が世話を焼きすぎたのに対して、今度は、呼ばないと来ない・・・モニターもない。それは、それで、不安になる。人間って、勝手だと思った。母は今朝、リハビリに連れていかれたらしい。今日は、いろいろお話をしたようだ。母は退屈していた。私を相手に・・・延々と話す。「人間、一寸先は闇だねぇ・・・」そして、事故当日から、生死をさまよったことなど、現実と、妄想が混じっているのだろう。いつまでも、話す。私は、ただの聞き役でしかなかった・・・母は、「千羽鶴」を見て言った。「昨日来た、あの青年のためにもがんばらないと」母は、いつも、マイナスをプラスして生きてきた。一般病棟、面会時間・・・医師も来なけりゃ、看護婦も来ない。病状については、薄い紙を渡されただけ。不明な点が多い。2~3日中には、きちんと話を聞こうと思っている。警察から、診断書の催促。救命の医者に書いてもらって、提出済みだか・・それじゃダメらしい。完治の予定まで、わかるわけないじゃないの。それでも、腎臓の担当医師に相談すべく、看護婦さんに伝えてもらう。・・・・・・・・10階までのエレベーター・・なかなか来ない。やっと来たと思うと、車イスでいっぱいだ。母の病室に着くまで、7分かかった。
2002.08.07
「事故なんか、起したくて起すもんじゃない。 あなたも若いんだから、将来ある青年なんだから、 これからの人生、2度と同じ間違いを起こさないように。 それが、私への一番の償いなんだよ。」母が、K君に語った言葉だった。K君は、今日のために会社を休んだ。手には、雌鶴の千羽鶴を抱えてきた。雄雌で・・2000羽だ! すごい。 ありがとう☆母は、泣きながらK君に片手を差し出した・・・暫らくして、「安心した・・?」と語りかけた。一般病棟、10階での出来事だった。・・・・・・・10時50分、娘と病院へ着く。母は車イスに乗せてもらうところだった。看護婦さん3人がかり・・「ドッコイショ!」看護婦さんとは、力がないとダメだ・・と思った。車イスは、扉を開けて出て行く。たくさんの看護婦さんが、別れを告げてくれた。最後の重い扉が開く・・・ (決して重くない・・でも、私にとっては重かった)扉が閉まった・・・私は、深々と頭を下げた。それは、生きて出れたことの感謝。今も、ICU室で頑張っている人たちへの回復への思い。そして、最後には、お世話になった、医師、看護婦さんへの感謝のお礼だった。 胸が、ジーンとした。事故から、32日目の脱出だった。母の部屋は、10階・・眺めもいい。TVもある。 母は喜んでいた。ICU室での、夢と現実の記憶以外は、ごく普通。腎臓の担当医がくる。 事故による、血圧低下・・ そのため、血流障害が起こり、腎臓機能低下。 ただし、透析に頼りすぎると、腎臓が「オサボリ」するらしい。 そのため、透析は一時中断・・・ 検査の結果、腎臓の自力の働きを促したい・・と。お任せするしかない・・・母は、お昼を「おいしい~」と言って食べた。お腹がすいていたらしい。退院したら、うどん・お稲荷さん・大福・ケンタッキーが食べたいと言った。 食べたいという気持ちがでてきてよかった。娘と、病院内を探検・・・屋上に出た。下には、高校野球出場チームが練習に励んでいるであろう、グランドが・・・迷路のような病院。娘と迷った・・二人で、ウロウロ・・久しぶりに、娘と友達をした。 楽しかったよー(不謹慎かな?)2時。 病院を後にした。タクシーに乗る。 少々荒い運転が気になった。細い坂道・・スピードをあげる。ちょっと・・・と思った瞬間、左道から、自転車が・・・急ブレーキが・・・目の前に自転車が近づいてくる。「わぁ~~~!」声をあげて目を瞑った。恐る恐る・・目を開けた・・フロントガラスの目前に自転車が止まっていた。怖かった・・・絶対、ぶつかったかと思った。 良かった!タクシーに毎日乗っていると・・・「ドキッ!」と思う瞬間が何回もある。都会は車が多すぎる・・危険だらけ・・・私、10年前に免許は捨てている。
2002.08.06
暑さは、疲れが倍増する・・・足がだるい。3時・・救命救急センターのインターホンに面会の人が並ぶ。いつも、3時に必ず来る人が、二人いる。私だけじゃないんだ。 みんな、思いは同じだろう・・・・・・・・・・・今日は、初めて娘を連れていいった。今までは、あえて避けた。あの光景は多感な娘には酷だろうと思ったからだ。母が、元気を取り戻した今なら、周りの情景も受け入れる事ができるだろう。「久しぶり~!」 母と、ちぐはぐな会話。まあ! ほっとけ・・と思った。担当医師が来た。「内科の一般病棟に移します。 ただし、痰に緑黄菌(当て字です)が出ています。 大部屋だと、他の体力のない患者に移る危険性がありますので、 10階の個室になります。 ご了承下さい。」一瞬、戸惑った・・・差額が高すぎる・・しかし、即断せざるおえなかった。明日、11時・・・移動の予定だ!母は、心待ちにしている。母にとって、今いる場所は、苦痛以外何でもない。明日、11時・・私も、娘と行くことにした。何よりも、K君の「千羽鶴」を持って行きたかった。骨盤損傷は、恥骨との境目のようだ。4週間たって、治癒しているとのこと。歩く訓練も始めると言う。これからが、本人のがんばりだろう。あとは、腎臓・・・足のむくみ、娘が見たとき、目が飛び出るほどだった。左手もすごい。しっかり、治してほしい。帰り際・・母に、80年たっての貴重な経験最後の日だから、もう一日がんばるように話した。大変な日々・・まだ続くであろうが、前進的な、一歩であれば労苦を惜しむ事はないだろう。でも・・・今にして思う・・・ よく、生きていたと。
2002.08.05
今日は、家事がはかどった。最近、台所に持ち込んだCDラジカセのおかげだろう。音楽は心のオアシス・・・・・・・・・・・今日、母は、ご機嫌そうに車イスに座っていた。私の顔を見て、嬉しそうに微笑んだ。車イスに座るのに、スリッパがないと言う。「売店で買ってくるね。」傍にいた、看護婦さん・・・「一緒に行って、いいわよ。」 「・・・えっ!・・・」そして、母の車イスを押して、売店に行く事になった。28日ぶりに、集中治療室の扉を出ることに。不器用に、車イスを押した・・・そして、自動ドアーが開いた。その瞬間、幸せを感じた。それは、外的要因ではなく、また、物質的なものでもない、風が運んでくれた、いい香りのような幸せだった。相対的幸福と言うより、絶対的幸福と言うのだろうか!?人間、最後の最後には、この幸せを感じたい。売店に寄り、薬局前にあるTVを見た。競馬中継だったが、何でもいいと思った。母は、キョロキョロ辺りを見渡し・・・いきなり、 「結婚式もできるんだね」 (ドテッ!)最近は、母の話にだいたい合わせているが、こればかりは、「そんなことできるわけないでしょう。」 優しく言った。母は「できんのかね。」・・って・・(マイッタ!-笑)正面ロビーから、表を見た。「雲が多いね・・・夕立が来るといけないから、 早く、帰りな!」・・と・・・何とか、タイムリーな会話ができたことに満足した。そして、病室に戻る・・・売店で買った「緑茶」を口にする。感激した面持ちだった。今日は、記念すべく日となったことに喜びだ。早く、内科のベットに空きが出るといいな!
2002.08.04
事故から、28日が経過してしまった。一生のうち、一瞬の出来事に去ってしまう日々かも知れないけど、今、ある現実は、逃げられない。 戦いだ!ハート君が大下痢・・・散歩から帰った主人からの報告。母の大事な宝物。洗濯だけ済ませ、急いで病院へ。知名度の高い病院で、いつも混んでいる。順番待ちのモニターを見る。ゲッ! 40番目・・・待つこと2時間・・・さて、お昼過ぎに帰宅。わぁ! 用事が。娘のお昼を用意し、仕事を続行。食事は、楽しい会話をしながらのポリシーが崩れていく。娘に一人ぼっちで食事をさせてしまう。内心「ごめんね」と言いながら、階段を拭く。でも、イライラモード。口を開くと、娘を怒鳴っている。自分に余裕がない。何とか、2時40分には、家を出れた。この時間に出ないと、夕飯の仕度に支障をきたす。・・・・・・・母の顔を見た・・・目が輝いていた。 ホッとした。戦争は終わってしまったらしい。 (もんぺに日の丸で行こうかと思っていた)母は、一人でお粥を食べていた。検査のため、遅い昼食となったようだ。食べさせてあげた。母の頭は、譫妄と現実が混じっていた、母は、今の環境が嫌なようだ。早く出るために、がんばる・・と言った。どんな、理由でも前向きな気持ちであろうと、安心した。4時になった・・・「帰るね。 明日の3時にまた来るね」の言葉に・・・母は、「暑いから、気をつけて!」 「ハイ! ハイ!・・・ 帰ることにした。
2002.08.03
半端じゃない、雷雨・・・その中、病院へ急ぐ。 昨日の様子から、母に会うのが楽しみだった。ところが、順風満帆にいかないのが、世の常のようだ。今日の、母の顔は輝いていなかった。車椅子に座った、母の顔は神妙だった。昨日の、美人さんはなく、ばあさんだった。人間、心でこんなにも、顔が変わるものか。心から映し出された美人でありたいと思った。あえて、明るく声をかけた。「どうしたの?」母は私に目を向けた。目を異様な開き方をした。 それは、以前、私を敵として見た、見方だった。嫌な予感がした。近づいた・・・母は重そうに口を開いた。 「生きていたの?」 (・・ん? こっちのセリフじゃ!)「この空爆で、死んだものかと思っていた。」どうやら、戦争中にワープしちゃったらい。昨夜は、いつも飲んでいる睡眠剤を拒否したらしい。よく、寝れなかったようだ。おまけに雷・・・が・・・戦争・・・これは、経験した人のみの悲しい思いだろう。母は、「東京大空襲」を経験している。今いる病棟は、空爆での負傷者が居るらしい・・「みんな、運ばれてきてね、 次ぎ次ぎ死んで、仮通夜が行われ、線香たいて・・・」母は、涙ぐみながら語る。「大丈夫だよ。空爆あったって、 私はね、ばあちゃん残して絶対死なないから、安心しな。」悲しかったけど、この場をどうしようか必死だった。母は、「昨日来なかったから、死んだものだと・・・」いくら、昨日も来たといっても、信じない。 (勝手に殺すなぁ~~~)「嫌な世の中だねぇ・・・」の語り掛けに「ほんとだねぇ・・・」と言うのが精一杯だった。帰りに、スーパーで買い物。どっと疲れた。 食べたいものなんて何にもない!夕飯の準備が 一番苦痛だ。重い荷物を持って家に向かう・・・いつもなら、母が、飛び出してきて、「大変だねぇ~~。疲れたねぇ~。ご苦労さん」・・って 言ってくれるはずの家。私は、気を取り直して、玄関を開けた・・・「ただいま!」・・・・・
2002.08.02
私、海が好きなんです。泳ぐには、白いさんご礁の海。そして、波のある海は、ずっと見ていたい。寄せては返す波・・・これって、命、人生を感じるんです。大きかったり、小さかったり、激しかったり・・・そして、どの波も何事もなかったように、大海原に帰っていく。命って、こんなものなのかも・・・・・・・・・・母は、透析中だった。ヨーグルトが食べたいと言った。透析が終わるまで、待つことにした。母は、今日、おしゃれをしてもらっていた。掲示板のお客様の「ななはちゃん」がくれた、洒落た柄の寝巻を着せられ、喉の蓋には、赤いテープを、ハート型に切って、貼ってあった。看護婦さんの優しさを感じた。母の、表情は明るい。言葉も、良く出せるようになっていた。大怪我をした人とは、思えないくらい輝いていた。顔もむくんでないし、寝たきりの人とは、思えない顔。初めて、母は美人だと思った。母は、「何回も、死んだり生き返ってたりで・・・」私は、思わず「ご苦労さん!」・・って・・・その上、母は、新しい命をもらってきたと・・言う。勘弁してよ・・もしかして、私より生きるかも(笑)担当医の話によると、左肺は、いぜん膨らんでいないけど、炎症はなくなっているとの・・嬉しい報告だった。後は、腎臓だけだ。明日、3時に来る約束をして、病室を出た。もうすぐ、ここともお別れの予感を感じながら・・・
2002.08.01
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