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昨日は、八王子市にある富士美術館に行って来ました。八王子は隣町ですが、もう高尾山近くの丘陵地帯にあって、混雑する国道16号線を経由しなければならず、到着するのに1時間を要しました。1月~3月に期間中に催される企画展で「没後50年 藤田嗣治 本のしごと」が開催中、入場料はシニア割引で1000円でした。藤田嗣治は画家として、乳白色の肌色の女性像を描くことで、フランス画壇に新風を吹き込むことで、日本画家の存在感を提起した自由人でした。しかし、大戦中に軍部に依頼され戦争画を描いたことで、軍部協力者としての烙印を押されてしまったことで、1949年に渡米、そしてフランスに移住、パリで晩年を過ごすことになりました。自由人ですから、軍部の依頼を軽い気持ちで引き受けたのでしょうが、それが災いとなり、軍部に協力して富士を描いた横山大観とは異なり、糾弾される不幸な歴史を背負わなければならなかった様です。今回の企画展は、「本のしごと」がテーマで、良く集めたものだと感心させられました。油彩は1点ものですが、挿絵や書籍の装丁は広くオリジナリティを世に示すもので、その力量は抜群の才能が感じられます。晩年、フランスで書籍「Les petits métiers et gagne-petit(しがない職業と少ない稼ぎ)の挿絵ですが、ユーモアに溢れ、書籍の内容にマッチしている様でした。ポスター等のイラストレーターとしても、抜群の才能を発揮した様で、現在の横尾忠則を超えているのではと思われてきます。晩年になっても、スケッチ・デッサン力は大したもので、最後の展示室には、愛玩した猫のスケッチが並べられていました。戦争協力者と烙印は解き放って、彼の芸術力を再評価するのが妥当と思いつつ、美術館を離れました。
2019.01.31
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今朝のNHKBS世界街歩きのミニ版はニューオルリーンズでした。ニューオルリーンズには都合3回訪問したことがあり、1980年3月に学術会議展示会の説明員として、1981年正月休みに家族旅行で、1983年正月休みにBiloxi訪問の途中で、訪問したのです。特に、1981年正月は、駐在地のヒューストンから6時間ドライブと言う長時間ドライブは初めてで、思い出深いものがあります。家族がアメリカに来ましたのは、1980年2月、子供達も現地の学校で苦労していましたし、親も海外生活に慣れていないこともあって、生活を楽しむまでには至っていませんでした。夕方に到着、繁華街バーボンストリートのコロニアル風のホテルにチェエクイン、馬車に乗って町見物となりました。翌朝は、子供たちにカウボーイハットを買い、ミシシッピー遊覧船Natchez号に乗りこみ川クルーズ、その後は街歩きをして、セントルイス教会前にあるジャクソン広場で一休みとなりました。翌日はインターステート10号線を使って帰路に着きましたが、途中ミシシッピー州都であるBaton Rougeで一泊、其処から南下し、広さと綺麗さで知られるNottowayのPlantation Houseの見学となりました。この家族旅行を機に、親も子も、海外生活に慣れ始め、少しずつ楽しめる様になった気がします。
2019.01.30
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昔、ナルシソ・イエペスの演奏するアランフェス協奏曲のLPレコードを購入した際、B面にカップリングされていたのを聴いたのが最初でした。ヴィヴァルディは急・緩・急の3楽章を持ち、主に第1楽章において全奏による繰り返しと独奏楽器による技巧的なエピソードが交替するリトルネッロ形式をもつ独奏協奏曲の形式を確立した人物として知られる。ヴィヴァルディは、「協奏曲長」としてヴェニスのピエタ音楽院に奉職しつつ、サンタンジェロ劇場をホームベースにオペラの作曲に精力的に取り組み始め、ピエタ音楽院の為には協奏曲を月に2曲提供すること、旅行中は楽譜を郵送すること、リハーサルを2~3回ほど指導する契約を交わした程、必要不可欠な人物でもあった。ヴィヴァルディのギター協奏曲は、元来リュートの為の協奏曲で、コードを指定してアルペジオ奏法を駆使する曲であったらしいのですが、現在はリュートで演奏されることは無い様です。ヴィヴァルディの曲は、平易で陰影が少ないことで知られていますが、このギター協奏曲の第2楽章は、しっとりとしたメロディーをゆっくりと聴かせる曲風にて、出色の出来栄えの様に思われます。Vivaldi guitar concerto in D major 2ºmovement
2019.01.29
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インターネット検索しますと、「土日祝日のみ正午から営業」となっていましたので、昨日の土曜日に行ってみることにしました。寒風が吹いて寒い日でしたので、車で出掛け、国道20号線を谷保天満宮の処で右折して、国立駅前の大通りに入り、駅近くの駐車場に停めて、徒歩でGoogle Mapを使い、道案内をして貰うことにしました。名曲喫茶「月草」は、分かりにくく何回も通り過ぎ、漸く雑居ビルの2階にあることを確認し、入ることが出来ました。オーナーは、うら若き青年の様で、Webサイトには次の様に自己紹介しています。当店は2012年7月16日(海の日)にオープンした名曲喫茶です。おいしいコーヒーや紅茶、お酒とともにゆったりクラシック音楽を楽しみたい方のために作りました。多分、平日は会社勤めをし、ウィークエンドには、自分の趣味を生かし、それが趣味を共有する方々と交流出来なかと始めたらしいのです。珈琲とケーキセットを950円で注文、堅苦しさも無い雰囲気で、ゆっくりとした時間を過ごすことが出来ました。
2019.01.27
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先日のNHKBS世界街歩きはシュトゥットガルト編でしたが、街歩きと言うよりは、階段上りで、山の頂上まで、ひたすら登り切ると言う内容で、少しがっかりさせられました。シュトゥットガルトは、ベンツ自動車の本拠地ですが、又世界の哲学に多大な貢献をした弁証法確立の哲学者ヘーゲルが生まれた町で、文学者シラーが活躍した文化都市としても知られています。ヘーゲルの生家で購入した書籍にあったスケッチです。音楽も盛んでミュンヒンガー率いるシュトゥットガルト交響楽団は質の高い演奏をすることで非常に有名でした。シュトゥットガルト駅前の地下道を潜って出て来ると店の並ぶケーニッヒ通りがあり、真っ直ぐ通り過ぎると広々とした宮殿広場があります。広場の東側には新宮殿、南側にはルネッサンス様式の旧宮殿があります。シュトゥットガルトは丘陵地帯に発達していますので、中心街以外は坂道の多い町並みが並んでいるのです。泊まったホテルの部屋から撮った写真ですが、やはり谷底にいry感じです。訪れ1995年頃は、超音速飛行体研究が盛んで、ジェットエンジンを進化させたAir Breathing Engineが、宇宙開発でもSpace Shuttleと言う殆ど使い捨てのExpendable Rocketに代わって宇宙往還機(Space Orbiter)にすると言う開発研究がされていたのです。シュトゥットガルト大学は超音速研究で世界的にも名を知られた大学でした。
2019.01.26
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北風の少し治まった日は、出来るだけ散策して、昼食を外で取るようにしています。先日は、北風から西風に変わり、吹きすさぶ様子が少し治まった様ですので、桜が丘公園夕日の丘に行ってみました。所定の駐車場から住宅街を抜け、坂道を降りて行きますと、その坂道が狭くなりますので、歩行者が車に注意することなく、歩ける様に高架の木道が雑木林に設置されています。きつい斜面ですので、斜面下を覗きますと3~5mの高さが感じられて、林の中を空中散歩している感覚となります。木道を抜けますと、東屋と展望台のあるり、見晴らしの良い「夕日の丘」に着きます。 多摩川を眼下にして、調布、府中、多摩、日野、八王子の街が広がり、遠くには丹沢、多摩、秩父の山々を望むことが出来、関東平野の広さを実感することになります。風を避けるべく少し坂を下り、ベンチでおにぎり、果物に、珈琲でゆっくりと昼食することとなりました。
2019.01.25
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敵対国となった韓国で日本への悪意に満ちた嫌がらせは度を越えて酷くなっていますので、何らかの対抗策が必要で、半導体製造に必須なフッ化水素(HF)の輸出禁止は、韓国のサムスン、LGと言った大企業を揺さぶるのが第一段の対抗策とされていますが、それを察知して、韓国はもうフッ化水素の輸入先を中国に変更しているらしいのです。半導体の洗浄に使う高純度フッ化水素は、ステラケミファ、森田化学、ダイキンの日本3社でシェア100%の筈ですが、近年その事情が変化し中国での生産が可能となっている。フッ化水素原料の蛍石を握る中国は2004年に蛍石の輸出入関税を設置し、徐々に税率を引き上げたので、多くの日本企業が中国での現地生産に切り替えた。中国は自力で高純度フッ化水素を生産する技術力は無かったが、技術を有する日本企業を誘致することで、この戦略物資を国内生産可能とした。日本企業はフッ化カルシウム(CaF2)含有率97%以上の蛍石を中国に82%を依存、CaF2含有率が97%を超える高純度のものは中国に依存するしかなく、2番目は南アフリカで15%、3番目のはモンゴル、中国と地理的に近い日本が高純度フッ化水素で世界シェアを握ることが出来たのだ。しかし、中国はフッ化水素の製造技術も日本から持ち出して、全部中国企業だけで内製することが出来る、そうなれば中国は世界を握れる。米国アップルを押し退け、世界の半導体ビジネス界を席巻して来た韓国のサムスン、LG、日本への嫌がらせによってフッ化水素(HF)の輸出禁止に対抗すべく、中国へと輸入先を変更しましたが、その生命線を中国に逆に握られてしまったことで、近い将来中国からの輸出制限を仕掛けられ、その牙城は崩され、中国政府がバックアップする半導体企業Huawei、ZTEの後塵を拝することになることは必至となりました。韓国文政権は、日米韓の枠組みから脱して、永年続いた中国の属国化と言う道筋を目論んだのでしょうが、民主主義と自由経済を無視して国家資本主義を掲げる覇権国と共生出来るとも思えませんし、良くなる筈と考えるのが妥当とも思われず、そう甘くはありません!
2019.01.24
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NHKBSの「世界ふれあい街歩き ちょっとお散歩 コペンハーゲン」を観ていましたら、夕暮れのニューハウン(新しい港)を訪れることで終わりとなりました。1998年6月、スウェーデン首都のストックホルムから鉄道で、南端の街マルメに着きましたのは正午頃、駅案内所で紹介されたホテルにチェックインして、市内見物に出掛けたのですが、小さな町で1時間程散策することで終わってしまいました。ホテルに帰り、ふと見ますと、ホテル前に船着き場があって、デンマークの首都コペンハーゲンまで、フェリー便があるのです。其処で、フェリーに乗って、コペンハーゲンの港ニューハウンに着きましたのは午後3時を過ぎていましたが、帰り便発は午後10時と言うことで、歩行者天国ストロイエを歩いて市庁舎広場に行き、世界初の遊園地チボリ(Tivoli)公園に入ってみることにしました。“新しい港”ニューハウン(NewHaun)と、世界初の歩行者天国 ストロイエ(Strøget)。世界で初めての歩行者天国といわれるストロイエは、市庁舎前広場からコンゲンス・ニュートー広場までを結ぶショッピングストリート。高級ブティックが立ち並びます。ニューハウンに戻って来ましたのは、午後9時半頃、未だ夕日が照っていました。しかし、午後3時頃は沢山屯していた観光客の姿はありません。国境を渡るフェリーに乗ってマルメに戻りますと、すっかり夜の帳が落ちていました。ストックホルムでは真夜中でも薄暗くなる程度ですが、一寸した緯度の違いで、コペンハーゲンやマルメでは夜の帳が下りるのです。白夜と言うものを初めて実感した北欧旅行の思い出です!
2019.01.23
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ふと、高校1年生で教わった漢文を思い出しました。唐の時代、李白、杜甫とも並び称される晩唐の詩人の杜牧が作った七言絶句、春たけなわの時期ですので、厳冬の時期には相応しくありませんが・・江南春望 こうなんしゅんぼう 作者 杜牧 とぼく千里鶯啼いて 緑紅に映ず せんりうぐいすないて みどりくれないに えいず水村山郭 酒旗の風 すいそんさんかく しゅきのかぜ南朝 四百八十寺 なんちょう しひゃくはちじゅうじ多少の楼台 煙雨の中 たしょうのろうだい えんうのうち晩唐の詩人杜牧の時代から、約300年遡ると、江南の地には南朝の歴代王朝があった。国力は不安定だったが、貴族的な仏教文化が大いに栄えた。そのような南朝は、唐代の文人にとって憧れであったことも、この詩の空気のなかにある。悲しいことに、このような美しい風景は、今の中国にはない。水も空気も限りなく清らかな天然の美から、現代の私たちはどれほど遠ざかってしまったことだろう。漢詩好きとしては、ひときわ感傷的にならざるを得ない。中国だけでなく、日本でも海岸や河川がコンクリート護岸で固められ、自然の中で親しみつつ生活出来る風景はめっきり少なくなりました。毎年訪れる五島列島も海岸がコンクリート護岸やテトラポッドで埋め尽くされ、海は磯焼けで海藻や魚が激減してしまっています。
2019.01.22
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昨日は、午後3時、天気も良く暖かいので、多摩川沿いの府中の森博物館に行って、駐車場に車を停め、大丸堰を散策してみました。昨日は大寒の入り、最も寒さが厳しい筈なのですが、午後3時でも気温が13℃を超えていましたので、河川敷にはテントを使い、ハンモック等も持ち出してピクニックをしている家族連れで混雑していました。午後3時となりますと、夕暮れの気配ですが、夕刻の寒さが感じられません。それどころか、川遊びをしている姿も多く、フライフィッシングをしている人達もいました。下流のせせらぎには、沢山のコサギが群れて、小魚を物色していて、まるで春の景色を観る様でした。地球温暖化の影響で、1週間も厳寒が続かず、数日で暖かさが戻り、過ごしやすい冬となっていますが、夏の猛暑や豪雨が襲来するのが思いやられます。
2019.01.21
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昨日は会社関係者との新年会がありました。午後2時半散会と言うことで、午後3時前から甲州街道に沿って散策し、幡ヶ谷まで歩くことにしました。此処は昭和20年代後半、小学校時代に同級生と連れ立って、よく訪れた場所でもあったからです。甲州街道を歩き、文化服装学院を過ぎますと、玉川上水旧水路が緑道として整備された散策路がありますので、其処を歩くことにしました。午後3時を過ぎますと、早くも夕刻の気配となります。代々木三丁目から笹塚一丁目に続く玉川上水旧水路緑道(代々木緑道・初台緑道・西原緑道・幡ヶ谷緑道・大山緑道・笹塚緑道)江戸市民への飲料水の供給を目的として計画された玉川上水は、多摩川羽村の取水口から四谷大木戸までの間を1653年4月の開始から7ヶ月余りで開削されています。現在、渋谷区内では北部の笹塚駅附近の区内の高い地点を蛇行するような姿で往時の一部を偲ばせています。1999年に竣工した淀橋浄水場へ送水するために建設された玉川上水新水路も、昭和10年代には役目を終えて今は水道道路と通称される道路に変わっています。散策していますと、並走していた甲州街道から離れてどんどん南下して行きます。どうも、幡ヶ谷駅を通り過ぎてしまったらしいのです。案内板を観ますと、笹塚駅が一番近いことが分かりましたので、緑道から離れて一般道を歩いて到着、午後4時でしたから4~5㎞ウォーキングしたことになります。
2019.01.20
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先日NHKBSで、「モントリオールのタクシー」と言う番組で、モントリオールの市内が種々紹介されていて、画面途中にちらちらと、昔宿泊したことのある懐かしいホテルが散見することが出来ました。IHIがGEのCF6-50から開発したGas Generatorに見合う出力タービンを設計開発したIM5000ガスタービンの拡販の為、モントリオールを訪れたのは、多分1971年冬のことでした。その時宿泊したのはオープンして間もないChateau Champlainホテルで、CP Air航空会社の系列ホテルで、高層で見晴らしの良い、気持ちの良いホテルでした。日本への帰国が決まったので、家族連れで1983年8月にナイアガラの滝を見学してから、カナダ領に入り、トロントからモントリオールまで北上して、各々市内観光することにしたのです。モントリオールで宿泊したのがChateau Champlainホテル、翌日は市内観光、先ずは近くを散策しました。ホテル前の広場には、オフィスビルの中には、聖ローヌ礼拝堂が存在寒を示していました。家内は40才、子供達は12才、10才、米国駐在を満喫して帰国準備中でした。CP Airは2002年にAir Canadaに吸収合併された影響で、このホテルは売却され、いまはMarriott Chateau Champlainとして営業を続けている様です。
2019.01.19
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年末には墓参に行きませんでしたので、冨士霊園へは2ヶ月ぶりの訪問、途中の山道の凍結を懸念し、正午過ぎの気温の上がる時刻に着く様に出掛けました。墓所区画の駐車場所に車を停めて、入口の上り坂を見上げてみますと、富士の姿がうっすらと見えますが、極寒に時期に訪れる人影はありません。供花を供え、香を焚き、無沙汰を詫び、墓前でインスタントラーメンを作り、昼ご飯とすることにしました。バーナーやコッヘルは、家内が当時長男の勤めていた石井スポーツで、家族割引で購入したもの、札幌塩ラーメンは家内が山歩きで食べる様に選定したものなので、それを今でも踏襲しています。刻んだキャベツとハムを入れ、煮立って来ましたら、ラーメンを入れて5分程煮沸させて出来上がり、墓前に腰かけてゆっくりと食します。帰りは、小山ハイテクパーク造成地を通りますが、山林はすべて伐採され、広大な平地の企業誘致が整備されつつあります。誘致が成功するのか否かは定かでありませんが、平地越しに富士が雄大な姿を見せてくれていました。経済が活況を呈すのは喜ばしいことですが、豊かな自然が失われているのを観るのは寂しい思いがするのです。
2019.01.18
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今朝午前10時半にディーラーに行き、ドライブレコーダーを装着したことを確かめましたが、取り立てて使用法の説明はなく、説明書の入った空箱が助手席に置かれているだけでした。装着する方が多く、誰でも知っていると言うことなのでしょう!バックミラーの陰に隠れていて気になりませんが、どんな画像が記録されているのかと画面を観るのは、運転中は危険の様です。多摩ニュータウン通りから南多摩尾根幹線に入り、国道環状16号線を横切り、国道129号線の相模川愛川ICから圏央道に入って、海老名ICから東名に乗り換え、大井松田ICで国道246号線を使って、御殿場の冨士霊園まで往復200㎞を走破しました。高速では95~100㎞/h速度を原則として車の流れに乗って走り、流れが詰まりますと時々追い越し車線を105~110㎞/hで走り、10分以上は追い越し車線にはいないのです。それでも、追い越し車線での110㎞/h走行は遅い様で、120㎞/h走行の車に複数回煽られることがありましたが、その際は出来るだけ素早く走行車線に避難することで、危険な思いをしないで済みました。純正品で一番安価、搭載処置込みで3万700円の製品、前方だけの画像ですから、後方からの煽り運転には効果が無いようですが、「無いより益し!」と納得することにしました。
2019.01.17
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天気に誘われ、早咲きの梅が咲いたかも知れないと、府中郷土の森博物館に行ってみました。府中の森博物館は、多摩川沿いにあって陽当たりが良いので暖かく、喩え寒中であっても早咲きの梅は開花しているだろうと思ったのです。広場には、明治時代の郵便局、村役場、薬局が移築されています。この右側には、小学校の木造校舎、土蔵、屋敷が移築されて、中を見学出来る様になっています。川沿いの南法面に行ってみますと、早咲きの八重寒紅と八重野梅が咲いていて、青空に映えていました。陽当たりの良いベンチに座って、珈琲を飲みつつ、15年以上定点撮影をしている場所を撮影してみました。当初は家内も一緒だったのですが、亡くなって10年も経ちました。少し、下り斜面ですので、八重寒紅や鹿児島紅の開花は遅れている様でした。
2019.01.16
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今日は誕生日、遂に喜寿となりましが、これほど長生き出来るとは想定外で複雑です。眼も悪くなり、耳も遠くなり、膝関節の痛み、股関節の痛みと体の劣化を実感しつつも、日常生活に支障がないのが、何よりの幸せと思うことにしております。家内も亡くなって10年になりますが、誕生日は1月3日ですので、生きていれば76才となっているのです。仏壇横に、シンビジュウムに切り花を萩焼の花瓶に挿して飾って忍ぶことにしました。生涯の伴侶となり、新婚当時に東大の三四郎池に佇む家内の姿を観てみることにしました。27才ですが、まるで少女の様にも見えますが、私28才もまるで自覚に欠けた子供であったと述懐せざるを得ませんし、共に人生を歩んでくれたことに感謝するばかりです!
2019.01.15
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国連の恣意的拘束に関する作業部会は、否認すれば拘留が長引く人質司法への懸念を指摘しました。検察の筋書きによる誤認逮捕があっても、小出しの別件逮捕と言う手段によって数ヶ月から1年の長期間拘束、熾烈な取り調べで筋書き通りの自白を強要して、数多くの冤罪を生み出して来た悪名高い、日本の刑事司法氏システムなのです。国際人ゴーン容疑者の逮捕・取り調べで、改めて国際メディアで批判され、注目されて来ていますが、日本のメディアでは、政府に遠慮してか、批判的な報道はされていません。今回は、沖縄平和運動リーダーの抗議活動に伴い、器物損害罪で長期拘留されたことについて、「恣意的拘束」として、日本政府に釈放や補償等の救済措置実施を要請したのです。日本政府はその指摘に対して「法的拘束力は無く、一方的基づく意見であり、受け入れなれない」と反論したのですが・・単なる容疑段階でも、容疑者として1年も拘留出来る現行の制度は見直す必要がありそうです。「人質司法」との指摘が根強い日本の刑事司法制度に、改めて注目が集まっている。否認するほど勾留期間が長引く傾向や、取り調べに弁護士が立ち会えないことが批判の対象になっている。「拘束期間は最長で20日間以上」「取り調べに弁護士の立ち会いもできない」-欧米メディアでも、日本の刑事司法のあり方に懐疑的な報道が出ている。日本では、検察が逮捕した容疑者を拘束できるのは48時間まで。この間に裁判所に勾留を請求し、認められれば10日間勾留される。さらに最長10日間の延長が可能で、起訴後も勾留が続くことが多い。司法統計によると、裁判所が検察の勾留請求を退けるのは5%にとどまる。起訴後、判決までに保釈を認めるのは32.5%。否認すれば拘束が長引く傾向もある。こうした運用は「人質司法」と呼ばれ、冤罪の温床になると国内外で批判されて来た。
2019.01.14
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我が家のシンビジウムは、10年ほど前に実兄宅から、「花が咲いているから持って帰れ!」と言われて持ち帰ったものですが、2年ぶりに開花してくれました。花芽が立ち上がって、多分1ヶ月が経ちますが、一向に開花してくれませんし、此の処の寒さで、屋外では霜で花芽が萎れてしまうと、室内に避難させておいたのが良かった様です。蘭の花は、本当にゆっくりと咲き出すものだと思いつつ、又次の開花が2年後だと思いますと、世話の仕方が悪いのでしょう!暖かくなったら、お礼肥として、粒状の肥料を施して、何とか来年の開花を目指してみようかと思っています。亡くなった家内は草花の世話には手を抜かない女性でしたので、その真似を形見として試みてみようと思いますし、草葉の陰であきれ返りつつ喜んでいると踏んでいるのです。
2019.01.13
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2014年2月にリコールにて改善した措置に一部不備があり修正するとのことで、やはり、コンピュータ回路とはバグを取るのは大変の様です。私はトヨタの中古ディーラーから平成23年式プリウスを購入したのは2016年6月ですから、前回のリコールで修正済みだった筈です。80才での運転免許証の返納を考えていて、最後の保有車となるかも知れませんので、整備は欠かせません。ハイブリッドシステムに於いて、異常判定時の制御プログラムが不適切な為、急加速時等の高負荷走行中に昇圧回路素子損傷した場合、フェールセーフモードに移行すべき処、移行できないことがあります。その為、警告灯が点灯し、ハイブリッドシステムが停止して、走行不能となる恐れがあります。故障した際のフェールセーフ機能は、プラントには不可欠ですので、早速ディーラーに電話連絡して、来週ディーラーに持ち込むことにしました。その際、近頃あおり運転事故が多発していますので、一番簡単なドライブレコーダー設置を頼むことにしました。純正品は3万円強とのことですが、安全運転の為にはこれも欠かせないと考えたからです。
2019.01.12
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韓国は何とも嘆かわしい国なのでしょう! 従来是とした国家間条約や国際協定は、その時々の国民の情に依って変えても構わないと言うのですから・・今回は、日韓請求権・経済協力協定違反であり、北朝鮮への国際制裁決議違反が明らかなのですから、呆れてしまいます。文大統領は、年頭の記者会見で、韓国人元徴用工への賠償を新日鉄住金に命じた韓国大法院判決について、「韓国政府は三権分立により判決を尊重しなければならない。徴用工問題は韓国政府が作り出したものではなく、日本政府は謙虚な姿勢を示さなければいけない」と批判し、日本政府が1965年の日韓請求権・経済協力協定に基づく2国間協議を韓国政府に申し入れことも無視し一蹴、抜け抜けと自分が送り込んだ判事に依る自作自演の判決を尊重することで、反日姿勢を強調しました。どうも、先の火器管制レーダー照射事件は、国連制裁決議破りの北朝鮮へ燃料支給を行ったことを隠すべく反応したとする意見がアップロードされていて、合点が行きます。残念ながら当面、文政権下の韓国を善隣友好国ではなく敵対国となったことを、日本も認識し覚悟する必要があります。韓国軍艦が射撃レーダーを照射した際、海洋警察警備艇が同じ海域で海上警備活動を行い、その近くに北朝鮮の漁船が存在した。其処は、日本の経済水域に深く入り込んだ海域で、3つの船が1か所に集まることは不自然で、韓国は救助活動だと発表しているのに、戦闘艦艇である駆逐艦までもがいたことは不自然極まりない。北朝鮮と韓国の連携がないと、3隻が海上の同一ポイントに集合することは出来ず、南北が密接に行動していることがうかがえる。映像から判断すると北朝鮮の漁船は、燃料を提供されていた可能性が高く、海自哨戒機に見られたくなかった為、射撃レーダーを照射して海自哨戒機を追い払ったと推断出来る。韓国がレーダー照射を否定し、海上自衛隊の哨戒機の行動を非難しているのは、南北の動きを知られないために、韓国による問題のすり替えに他ならないと考えられる。文政権が北朝鮮との密約として日本海で北朝鮮の漁船を韓国が守り、漁船に燃料を補給する。つまり、国連制裁決議破りを日本海の海上で行っていると見てもおかしくはない。この事案を契機に、日本の国益を守るべく、日本の経済水域を守ること、北朝鮮の漁船を不法に入れないこと、韓国艦艇が国連制裁決議違反をしていないか否かを監視すべきだ。文政権の韓国は、南北融和と軍事的合意事項の履行、反日活動の活発化、日本や米国との友好国の立場から離脱し始めて、南北朝鮮との安全保障関係は変換点に来ている。
2019.01.11
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地球温暖化とは言え、寒中に入って厳しい寒さが到来して来ました。其処で、寒風吹きすさぶ多摩丘陵を降りて、多摩川沿いにある府中郷土の森博物館に行ってみることにしました。川面があり、陽当たりも良いので、暖かく、多分寒中に咲くロウバイが開花しているかも知れないと思ったのです。ロウバイの小径は、多摩川に沿った南斜面に設営されていますので、公園内でも比較的に暖かく、開花が始まっていました。何とも、寒さを厭わずに、咲いてくれるとは、健気なものです。それでも、寒中ですから、隣り合う大丸堰の川辺では、何時もピクニックをする人達も見えず、閑散としていました。それでも、正月を迎えるべく雑草が綺麗に刈り取られていましたので、草萌える春の息吹を楽しむことが出来るのは遠くない様に感じられました。
2019.01.10
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先日、NHKBSの「日本百名山」と言う番組で、2泊3日で行く蓼科山登山が紹介されていました。変化のある登山道で、樹林帯ではキノコ類もあり、登るに従って眺望が開け、北アルプスの槍ヶ岳も見渡せる素晴らしい山旅だった様でした。IHIに在籍した頃には、会社が所有する施設「蓼科山荘」が、料理店と提携した料理が評判で、何回か訪れたものでした。其処は、日本ピラトゥス(今は蓼科ピラトゥスと言うらしい)と言うロープウェイから、少し下った山腹にあって、車で行ける便利な処にありましたので、何回か訪問したことがありました。この写真は、多分1995年頃、昔の仲間と連れだって訪れた時の集合写真、未だ50才代で白髪の仲間も見えず、今は既に病没している仲間や、外出が出来なくなった仲間もいる懐かしい写真です。その後、母を亡くして意気消沈している父を、慰めようと連れて行ったこともありましたが、もうその父も亡くなって10年となりました。家内とは此処に行ったことはなく、代わりに海沿いにある伊豆高原荘に行きましたが、どうも蓼科山荘の方が良かったと思った記憶が残っています。スイスのピラトゥス山は登山鉄道、蓼科山はロープウェイで違いはあるのですが、眺望の素晴らしさには似た処があるのでしょう!
2019.01.09
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韓国の文政権は、ひたすら国是とする反日姿勢に邁進、未来志向の言われた慰安婦救済基金団体の閉鎖で、実質的に合意を破棄し、ひたすら慰安婦像の撤去どころか、アメリカ各地での増設に勤しんでいます。徴用工賠償は、革新系の廬武鉉政権では、1962年の日韓経済協定で日本に賠償責任は問えないとしていましたが、文政権の意向に沿った最高裁判事を任命することで、「個人請求権は消滅していない」との判決を下し、日本企業の韓国での資産差し押さえも現実となる気配となりました。今回の韓国艦艇から哨戒機への火器管制レーダー照射も、反日行為であれば許されるとして、逆に日本に謝罪を求める声明を発するに至りました。以上の全て事案は、敵対国への対応に徹していると考えますと合点出来ると思えるのですが、何とも嘆かわしいとなりました。文政権の韓国は、北朝鮮と共に、日米の枠組みから外れて、中露に接近して繁栄を図るのが将来方向として最善としている様に見えてなりません。日本も性根を据えて、韓国への部品輸出禁止を含めた経済制裁、日本での韓国資産の凍結等の圧力を高めて行くより仕方が無いと思い知るべき時が来た様に思えます。韓国での永年に亘る反日教育と言う洗脳教育の弊害は、一朝一夕には是正されることは無いのですから・・韓国が火器管制レーダーを日本の哨戒機に発したことに逆切れし、日本の対応に逆に謝罪を要求してくると敵対的なの背景には何があるのか。最近の韓国政府や韓国海軍の日本に対する一連の横暴な振る舞いは朝鮮半島情勢の変化から生じていると考えることが妥当だろう。米国が北朝鮮を懐柔すると、韓国軍の矛先は将来的には日本側に向く可能性が高い。現在は日本と韓国は準同盟国であるが、それは北朝鮮という共通の敵国が存在していたからで、今後付き合う相手が中国とロシアとなった場合に韓国がどちらにつくかは予断を許さない。従って、日本はこの機に乗じて韓国海軍関連企業に対する徹底した制裁を加えておくことが重要である。日本側は既に遅きに失したが、昨年11月に韓国海軍の基盤となる大宇造船海洋への公的資金投入についてWTOでの二国間協議を申し出ている。本来、2015年の公的資金投入直後に実施すべきものではあるが、隣国に対して甘い対応姿勢の日本政府が今更でも動いただけマシと言えよう。
2019.01.08
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家内が何時も作ってくれたのですが、10年前の3月に緊急入院しましたので、その年の正月の七草粥作って呉れていて、結局はレシピを伝授されることは無かったのです。前日に購入しておいた「春の七草」を刻み、土鍋にお米を入れて沸騰させ、塩を垂らし込んでから、切り餅を焼いて入れ、刻んだ春の七草を入れて出来上がり、雑駁ではありますが多分家内のレシピだと想像するばかりです。七草粥を食した後、昨日まで溜まっていた下着の洗濯をしました。昨年末に喪中はがきを頂戴した方々には、年賀の代わりに、寒中見舞いを出状することにし、挨拶文は、年賀のものを流用することにしました。郵便局に行って、寒中見舞いを投函、序でに、今年は熱を出して来なかった孫娘達へのお年玉、長男の分も預かっていましたので、現金書留で送付することとなりました。家に帰って、玄関に掛けてあった「しめ飾り」や仏壇前に備えてあった「松飾り」を持参して、近くの白山神社のお炊き上げに出すことにし、初詣をして来ました。自分個人のことは兎も角、政治や経済に加えて、安全保障も含めて外交も、激動が予想される2019年が始動することになりました。
2019.01.07
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昨日から、町田市立国際版画美術館にて、「浮世絵と百人一首」と言うミニ企画展が開催されてみますので行ってみました。今日は天気予報とは違って薄暗い曇天で、至って寒く、公園を散策する人達も殆どいませんでした。何時もは、企画展ですと、入場料が必要なのですが、ミニ企画展とのことで、無料でした。1775年に発売された「錦百人一首あつま織」は勝川春草の手になるもので、錦絵であった百歌仙を浮世絵に解題した作品で、書家の文字を組み合わせ絵本でもあり、書道の手本として人気を博した様ですが、錦絵程の色使いがされていませんが、当時としては浮世絵の多色摺が発達していなかった様です。小野小町と蝉丸は、百人一首の中でも良く知られた和歌です。勝川春草の弟子でもあった、葛飾北斎の「百人一首うばがゑとき」は時代を60年下って、1835年に発売されていますが、多色摺の技術革新は目覚ましく、鮮やかな色彩とグラデーションは素晴らしいものでありました。有名な山部赤人、富士を歌った和歌で、田子の浦と言うより、伊豆の戸田付近の峠から観た様な風景に設定されていました。普段は美術館をでますと、公園内を散策するのですが、寒いのでそのまま帰路に着くことにしました。通常は100~200円程の駐車料金が必要ですが、短時間なので無料とのことでした。
2019.01.06
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昨日は実兄宅を訪れ、例年通り兄妹との年頭の会合、兄は80才に到達しましたが何とか3人兄妹の無事を確認し、無事に正月を愛でることが出来ました。元旦には、買い合わせた食材を盛り合わせたおせち料理、年末に造った筑前煮、半分の解凍したタラバガニ、それにお雑煮にて正月を迎えることが出来ました。元旦恒例の実業団駅伝で旭化成が勝利するまで観戦、快晴ですので近くを散策することにしました。宝野公園では、富士山を望むことが出来ましたが、午後2時を過ぎますと、もう夕暮れの気配で、逆光でハレーションを起こして、富士を撮影することが出来ません。多摩レンガ坂を下りて、多摩中央公園に行ってみますと、快晴を楽しんで屯している家族連れが沢山いて、思い思いにのんびりとして凧揚げをしている姿もありました。イトーヨーカ堂が元旦営業をしていましたので、福袋を買い求める人達が多かったのかも知れません。隣の白山神社が初詣の人々が長蛇の列で、長時間を要しそうですのでギブアップ、松の内が明ける7日に、松飾りを持って行きつつ初詣をすることにして、帰宅することにしました。政治・経済は混迷していて、不安のある歳が始動し始めましたが、どの様に展開するのか見当がつきません!
2019.01.05
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