藍円寺微意の世界
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町内会の役員になって、現役時代にはまったく付き合うことのなかった地域の人と否が応でも付き合うこととなりました。ほとんど言い訳にしかならないのですが、現役時代の私は余りにも忙しかった為、私には人と違った特殊な能力が備わったらしいです。それは情報の取捨選択能力であります。その話はどうでもいいと思った瞬間、そのことを忘れるという能力(?)なのです。というより、はなから覚える気が全くないんですね。話を聞いて、くだらん、つまらんと思った瞬間、私の思考回路は自動的にその話を記憶の回路へは回さずに即遮断してしまうのです。 豊臣秀吉が石田三成に初めて会った時のエピソードに三杯のお茶の話があります。鷹狩りに来て寺で休んでいた秀吉に三成が、最初はぬるめの薄くて多めの量で、しだいに熱く濃く少なめなお茶をだしたという、あの話ですよ。天下の歴史上の偉人と私とを一緒にするのはおこがましいのですが、「なるほど!」と、私を唸らせてくれるイケテル人物に出会うと本当に♪嬉しい。それでも話の中身はすぐに忘れてしまうんですけどね。今度こういう問題にぶち当たったらこの人に相談しよう、この問題を考えるときがきたらこの人の著作を読もうと思い、その人のことだけを頭の中にキープすると、とりあえず話の詳細は忘れてしまうんです。でも、それが私の人脈であり、財産であったのであります。普通の人でも好みのタイプの俳優なら、すぐに名前を憶えてしまうでしょうが、私の場合は逆バージョンなのです。沢山の情報を切って、切って切り捨てて、その中から本当に今の自分に必要なものだけを拾い集めて組立てて、ようやく自分のアイデンティテイを保ってきたのであります。リタイヤした今でも、(つまらない?)会合の予定日時や(取るに足らない?)人の顔や名前でそうなのだから、まったくもって始末に負えません。なにしろ今はそれが私の「仕事」なのですから。 中でも、私がくだらないと勝手に決めつけてしまう人物像の共通点は、能力も責任感もないのに、やたらと「カッコつける、演技のうまい奴」なのであります。前述のように今の私の「仕事相手」なのだから、思いっきり気合を入れて頭に叩き込まないと、顔も名前も覚えられない。因果応報というか、自分で自分の首を絞める結果となるだろうと簡単に想像できるのに、カッコつける人の多いことに実は辟易としているのであります。 確かに表現の自由は日本国憲法で保障されているのだから、それも本人の自由ではあるのですがねぇ。マナー、作法は人を美しく見せるし、人間関係の潤滑剤でもあります。でも「装」から「偽装」までいってはイケナイのでありますよ。 「装う」という言葉の本質を忘れて、化粧や服装などでしか自分を表現できないと、本当の自分を見失ってしまうと思うのですよ。不都合な事実を隠蔽し、謝罪会見を開く幾多の大企業の不祥事をみると、企業経営の危機におちいるような大きな問題に発展してしまうこれらの遠因は、一人一人のそんなところにあるとしか思えないのであります。自作自演、自画自賛のコスプレに惑わされてはイケナイのでありますな。「♪ボロは着てても心の錦」ってか!? でも、コスプレは好きだなぁ・・・
2016.07.11
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