藍円寺微意の世界
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○○展という特別展が好きで機会があるとよく出かけます。常設展示でも国立博物館や国立美術館のようなその内容とボリュームに圧倒され続けるのもたまらないほど好きなのですが、系統だって展示品を揃えてもらうと見る側は頭の切り替えの必要がなくて楽ですよね。その分余韻も長く続いて楽しめるように思います。私の前世はやはり東アジアであったらしく、西洋の宗教絵画や彫刻よりも中国や日本の古典的手法のものに強く惹かれます。でもエジプトだけは別でどこか遠い時代に多少のご縁があったようですが。 先日は日本画展が新潟市内のデパート3店協力であって梯子して行ってきました。普段、美術館などに行く時は大抵妻も一緒なのですが、今回は会場がすべてデパートでしたので、一人で鑑賞してきました。その間妻はお買い物です。分かってはいたのですが、美術鑑賞は一人でするのがやっぱりいいですね。一巡した後に気に入った作品の前にまた戻ったり、そこで近づいたり離れたりしてじっくりと鑑賞することができて、あのマイペースは癖になりそうです。 ところが、その○○展好きな私でも、見ない方が良かったのかなとちょっと後悔を感じるような、自分の中で整理がついていないものがあります。それは以前見た「人体の不思議展」です。特殊処理を施した本物の人体標本のオンパレードでした。輪切りにした人体とかすべての血管だけを取り出した標本とか、どれも展示方法がすごく工夫されていて確かにその人体の精密な仕組みには驚嘆するばかりで、改めて人間を創った偉大なる神に畏怖の念を感じます。標本に手で触れることができるコーナーもあり、脳みそを手に持ってみる体験コーナーもあったのですが、恥ずかしながら気の弱い私はとてもその気にはなれませんでした。 筋肉を見せるコーナーの文字通り一皮むいた人間の顔は男女の別もなく、「表情」とはよく言ったもので、どれも皆表も情も無いあるがままの筋肉だけの同じ顔になっていました。人を見た目で判断するのはほんの上の皮一枚だけであることが実感できましたが、そのあまりにも無情で切なくなるような筋肉だけの表情(?)を、もう忘れてしまいたいのにどうしても忘れられないのです。魂や精神性、人としての心とかその温もり、はたまた生活のエネルギーや息づかい等などそういった全てのものを失った単なる標本でしかなくなっているのですが、自分の身体にまだ執着心を捨てきれないでいる私のような凡人にとっては、あの個体差のない同じうつろな表情があまりにも虚しく哀れでなりませんでした。あの顔が目に焼きついて、そしていつまでも様々なことを考えさせられる展示会となって、それがいまだに悶々として私の中で続いているのです。 本当の画家は着衣の人物を描く時は服の中の人体を意識して筋肉のつき方や動きまでをも頭に入れていなければならないそうですが、あの皮を剥いた顔だけは想像してはいけませんよね。顔だけは。
2007.01.30
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