全36件 (36件中 1-36件目)
1
確か、3年ほど前にも女性のスカート離れについて書いた。傾向は、一段と進んでいるようだ。このことは、2年前の2020年にJR東日本が女子社員の制服からスカートを廃し、奇しくもほぼ同時期にJALの客室乗務員の制服にパンツが選択域として加えられたことにもあらわれている。時代の流れだろう。女性の「脱スカート」は日本を代表する機関にまで浸透しつつある。さて、我々デモンストレーターの世界ではどうか?同じである。私がデモンストレーターになった2004年頃には、一部ではあったが「デモはスカートとパンプスでお願いね」というメーカーや、時に店舗もあった、、、大半は、無彩色や紺であればパンツOKだったのだけれど。例えば、某飲料メーカーがそうだった。「黒スカートに黒パンプス」が指定。当然、冬場はもちろん夏場ですら人工の冷気がスカートのすそから体内に忍びこみ、寒いの何の。当時はヒートテックタイプの衣料などなかったから、どんなにタイツを重ねばきしても対応しきれない。これに加え、ヒールのあるパンプスを履いて立ち仕事をするのは、想像以上に苦痛だった。時間の経過と共に足が痛み出し、ひどくなると靴をはいていられなくなる。ところが、寒さと痛さに耐える我々のデモンストレーション光景を、巡回という名のもとに、店舗担当者へのご機嫌伺いと我々へのある種の「監視業務」を兼ねて現場を訪れるメーカー営業は当然パンツ(ズボン)。「腑に落ちないよね」。こんな同業者の声を何件も聞いた。職種に関係なく、日本は、ああ、仕事着すらも上層部に多数を占める男性の意向が反映されるんだね。令和の現在では、もちろん(?)、「黒スカートに黒パンプス」を業務遂行の必須条件にしているメーカーはありませんよ、、、。写真は、京都吉田神社の一角。もうすぐ名物の節分祭なのだが、、、今年は、、、?
2022.01.31
コメント(0)
(注)2021年12月22日に書いた記事。今日の現場は大阪市内の百貨店。先日に続く洋風鍋(チーズ・フォンデュ)の、今日は、クチだけの推奨販売。ふと思いついて、「来年は寅年。寅のように、強く、しなやかにジャンプする年です。そのために、美味しいものを召し上がって、パワーを蓄えて下さいませ」とトーク。受けて、受けて、受けまくり。皆、願うところは同じなんだな。
2022.01.30
コメント(0)
(注)2021年12月21日に書いた記事。今日は関西の学園都市と言われるだけあって極めて文化的な雰囲気が漂う某地で農産関連のデモ。もちろん(?)試食なしの推奨販売である。もう1人、やはり農産にデモンストレーターが来ていて、彼女は試食を出していた、、、小皿に試食を盛り、その上に皿を逆さまにして蓋代わりにする形で。「どうですか? 試食は出ますか?」と私が尋ねると、彼女は首を横に振り、「厳しいです。食べる人は食べてくれはるんですけれどね、、、」。もっとも、その後、続けた。「今回の試食メニューは冷めても困らない種類のものだからまだ気が楽です」。ああ、そうだよね、、、。いつになったら、試食販売が真の意味で復活するんだろう?
2022.01.30
コメント(0)
(注)2年前のFBの記事より。今日、加入しているFBグループでの我が投稿にコメントを下さった方にレスポンスをしていて、あらためて思い出した。現在でこそ「超」がつく過疎地と化している我が故郷にも、その昔、一軒だけだけれど映画館があったこと。さらに、4歳か5歳くらいの時、そこで上映されていた「鞍馬天狗」を観にいったこと。折しも私が生まれた1957年頃から60年代初頭にかけ、農村に工場が建ち始めた。「工場に勤めたら、天候にも自然災害にも左右されず、常に一定の収入を得ることが出来る!」この事実に、農家の主人や息子は飛びつき、結果、農業はじいちゃんばあちゃんお嫁さんに任せ、自分たちはサラリーマンになるケースが増えていったのだ。毎朝、おっちゃんお兄さんたちが自転車のペダルを漕ぎ漕ぎ、工場に向かっていた光景は、60年近くが経過した今なお、はっきり我が脳裏に残っている。映画館は、立ち飲み屋と並び、工員たちの数少ない娯楽場だった。私が観た鞍馬天狗は、どの年に製作され、誰が主演したものだったろう? ぶっちゃけ、ストーリーは全く記憶になく、頭巾をかぶっていた人がいたこと、プラスとても怖かった(そりゃチャンバラですから)こと、この2つだけを覚えている。ただ、鞍馬天狗と言えば、ハイ、アラカンこと嵐寛寿郎だわなぁ、、、。アラカンが天狗を演じたこの映画は、戦前に製作されたものだから、私が観た鞍馬天狗ではないのは確かだが、、、名作の誉れが高い。現在では、観ること、可能?
2022.01.30
コメント(0)
数日前のネットニュース掲示板に、レッグ・ファッション業界の大手アツギが国内での製造工場をすべて閉鎖し、希望退職者も募っている旨の記事が載った。何でも、コロナ禍によるお籠り生活のあおりを受け、業績が悪化した結果なのだそう。確かに外出する機会が減れば、ストッキングやタイツなどのレッグ・ファッションも含めた衣料業界は打撃を受けるだろうな。レッグ・ファッションに絞れば、かなり以前から女性のスカート離れ(これは最近は一段と加速している。例えば、JR東日本みたいに女性社員の制服にすらパンツルックを採用する企業が増えたのだ)によるストッキング・タイツの売上は減っていたし。おまけに、ユニクロをはじめとする各メーカーが防寒効能抜群の裏起毛パンツを開発。真冬でも晴天ならストッキング・タイツなしでも暖かいとあって、それらの出番はますます減った。この現象、実は消費者側にとってもありがたい。衣類を着脱する時間を短く出来るし、衣料費の節約にもなる。ひいてはクローゼットにゆとり空間を持たせることにつながって、精神面でもよい影響を与えるね。写真は孫たち。
2022.01.30
コメント(0)
「まあ、今日の現場は屋外だったんですか。粉雪散らつく中、お疲れ様でした」さる21日の大阪北部でのギフト解体の仕事を終えて帰宅中の電車の中からメールを送った私に、仕事仲間の1人である彼女からは、ほぼ瞬時にこう返ってきた。「屋外業務はツラいですね。夏は暑いし冬は寒いし。私も体験しました」。梅雨明け前の重苦しい湿度の中や太陽の直火がまともに照りつける中や晩夏特有の粘性の熱気にまとわりつかれる中、あるいは、指先まで凍てつくみぞれ混じりの中や山から吹き降りてくる風に全身をさされる中や日の差さない鉛色の空に雪が曲線を描いて舞う中、店頭も含めた屋外でデモンストレーションするのは、しんからこたえる。オーバーな表現を許していただけるなら、拷問されているかと感じるほど、過酷さが身に染みる。もっとも、以前にも話したように冬に関してはかなり楽になった、、、ユニクロをはじめとするメーカーがヒートテック衣料の開発にがんばってくれたおかげだ。問題は、夏なのね、、、。それに、屋外デモは美容にも悪い。夏は日に焼けるし、冬は肌が荒れるし。21日も、冬場ならではの乾いた空気に1日中顔面をなめられ続け、風呂上がり、カサカサになった部分にニベアやら椿油やらを念入りにすりこんで保湿せねばならなかった。「正直、屋外手当が欲しいですよね」先の仕事仲間は返信メールで続けてきた。「メーカーによっては付けてくれたり、または仕事依頼の時点で現場が屋外であることを考慮して通常よりギャラをはずんでくれるところもありますけれど、全然気を遣ってくれないところも多いですもんね」。確かに。とは言え、他の業界、例えば警備などはどうなのだろう?室内と屋外とでは、月給なり時給なりが違うのだろうか?写真は3人の孫。
2022.01.29
コメント(0)
限りなく和歌山に近い大阪府南部の某市にある量販店でのお歳暮ギフト解体業務を終え、2日目。昨日の家庭内温泉(1日に何度も風呂に入って身体を温め、くつろぐ)の効能で腰と背中の痛さだるさは消えたものの、上半身の筋肉痛はまだ残っている。確かに、肉体労働的な要素はある業務だ。例えば、第2便として午後に送られてきたジュースセットやインスタントコーヒー詰め合わせなどのお歳暮ギフトを荷台に積み上げ、専用売り場まで運ぶ作業。とは言え、これはほんの2時間弱。その程度の「肉体労働」で汗だくになり、仕事終了後もあちこちに痛みを覚えるとは、普段いかに私が身体面で楽をしているかの証明だ。まあ、しかし、あんなに余るものなんですねえ、、、お歳暮ギフトとは。お中元ギフトの解体でもその残量に驚いたけれど、お歳暮ギフトの方がずっと多い(「お中元は贈らないけれどお歳暮は贈る」という家庭は少なくないから、メーカーもついギフトセットを作り過ぎる?)。かつ、大手企業がお中元やお歳暮の贈答を取りやめる傾向に向かっていることからもうかがえるように、お中元お歳暮自体が令和の現状にそぐわなくなってきているのにメーカーは相変わらず作り続けるから、どうしても生産過多になってしまうのだ。今回の仕事を通じ、気づいたことがある。それは、ギフトはギフトでも、あまりに実用に重きをおいたセットはセールでも人気がないということ。例えば、安価で知られるインスタントコーヒーとやや高級とされるインスタントコーヒーの2種類だけを無造作に箱に詰めたセットや、極めて一般的な食用油を1種類のみ6本なり8本なり10本なり入れたセットなど。確かに、毎朝インスタントコーヒーを飲むとか揚げ物を頻繁に作るとか、そんな家庭では家計面からお助けとなるだろうが、そこを配慮しても一応は「ギフト」なのだから少しは夢(=非日常)の部分も含んでいてほしいところ。ならば、この「夢のない」ギフトを整理するだけでもメーカー側の「作り過ぎ」を防げるのでは?写真は当日の現場にて。
2022.01.28
コメント(0)
上の写真をご覧あれ。これは、数年前、滋賀県は彦根市の大型スーパーで仕事をした日の朝、すなわち現場である店に向かう途中に撮ったものである。そう! 例年、今時分はその日の仕事場が雪の多い地域にあれば積雪やそこからくる身体への悪影響(主に冷え)を心配しながら業務に励んでいたのだ。デモンストレーターで現場の寒気や冷気に悩まされない者はいない。意外に感じられる方もいるかも知れないけれど、この寒気なり冷気、屋外のそれより人工的に作られた室内のものの方がツラい。おそらく、屋外の寒気冷気に潜む一種の「キッパリ感」が(人工ゆえに)室内寒気冷気にはないせいだろう。つまり、不自然な寒気冷気であるぶん、身体にこたえるのだ。当然、そんな中で仕事をする私たちは、少しでも快適にすごすべく仲間うちで防寒用品やあったか衣類についての情報交換をする。いぜん記事にした「桐灰 足の冷えない不思議なくつ下」もそうだったが、ユニクロのフリースシャツや裏起毛スラックスの存在も、この流れで知った。わけても裏起毛スラックスには助けられたね。タイツと冷えない靴下をはいた上にこれを重ねると、ほぼ完璧な保温。宣伝販売担当が冷凍食品だったり、デモ場所が冷え切った生鮮コーナーであっても気にならない。三島有紀子が、ノベライズも担当した、自身の監督作品「幸せのパン」の中で登場人物に語らせていた。「人間、温かいことがごちそう」。このセリフ、こう置き換えられる。「人間、暖かいことが幸せ」。
2022.01.25
コメント(0)
「長生きも芸のうち」(岡本文弥。インタビュアー 森まゆみ)。1996年に101歳の長寿を全うした、新内節(しんないぶし)太夫、岡本文弥が、歩んできた軌跡や芸、人生観、樋口一葉その他の文化人との交流を語る。明解な返答を引き出す、森まゆみのインタビュアーとしての手腕もお見事。新内節は浄瑠璃の1派。主に流しの形式で、三味線の調べと共に男女の悲恋ものや下層に生きる女の人生を歌いあげ、特に花街で興隆を極めた。文弥は言う。「いま生きている以上は、いまの人の苦しみ悲しみ、政治にも税金にも福祉にも一応は関心を持って、そこに迫るものをつくるのは芸人の責任だと思います」。この言葉、実に重い。芸人も社会を構成するパーツの1つであるからには、おのずとそこに芸人ならではの責務が生じるのだ。長引くコロナ禍に多くの人が苦しんでいる今こそ、音楽や舞踏や美術や演劇など「芸」の力を考えたい。
2022.01.24
コメント(0)
(注)2021年12月20日に書いた記事。明日から連続仕事。すべての日が、苦手な百貨店での業務だ(百貨店はスーパーやドラッグストアに比べるといろいろと細かい決まりがあるから)。はて、体力持つか? メーカーさんも来るらしい(正直、鬱陶しい)。土曜日の洋風の鍋(チーズフォンデュ)はさっぱり試食が出ず、商品が商品だけに、出来上がったフォンデュを保温ジャーに入れていても困りましたヨ、、、一定の時間を過ぎると、フォンデュの温かさは保ててもチーズの性質上かたくなってくるのね。売上もいつもの半分で、さんざん。試食は大事だ。もっとも、お客さんにすれば、試食のためにマスクを外すのが面倒くさいだけでなく、店側が定めた厳格な試食ルールに乗っ取って、1、試食前には試食台に置いたアルコールで必ず消毒。2、試食皿はトレイからお客さん自身が取る。3、試食後は、食べ終わった試食皿とフォークを、お客さんが自分でゴミ箱に入れる。なんて、こんなうるさい思いをしてまで試食したくないと思うよ。しかも、「試食中の会話はお控え下さい」と、試食台に注意書きまで貼ってあるとなれば。とにかく、ノーマスク社会に戻らないことには、食品関連のデモンストレーションの完全復活は難しい。それか、私たち1人1人に、コロナや菌と共存する意識が芽生え、そのことが自然なこととして広く浸透するか。とは言え、コロナが風邪の一種ととらえられるようになるには、まだ時間がかかりそうだ。
2022.01.23
コメント(0)
(注)12月18日に書いた記事。今日は大阪北部の百貨店で仕事。洋風の鍋物の試食付きで、久々にグリル鍋やら包丁をはじめとする調理器具一式が詰まった重いカートを引いている。もっとも、試食はそんなに出ないのではないかな。高先月の米の宣伝販売で提供したおにぎりがそうだったように。マスクを外してまで食べるなんて、お客さんにしてもめんどうだよね?いつになったらマスクなしの社会に戻るのか。コロナが落ち着いても、このノーマスクが戻らないことには、化粧品業界同様、我々デモンストレーターの完全復活もありえない。
2022.01.23
コメント(0)
金曜日の、粉雪散らつく中での屋外業務。時折り横殴りに吹雪いて寒かったのは事実だが、重装備をしていったので、想像していたよりは楽だった。あらためて、ユニクロをはじめ、桐灰(現在は小林製薬)やワークマンなど、各企業は、ヒートテックにがんばってくれたと実感したものだ。少なくとも、私がデモンストレーターの業務についた頃(2004年)に比べると、下着をはじめ、レッグ用品もトップスもボトムスも保温性は格段に進化。そのぶん、寒気や冷気に惑わされることなく、本来のデモンストレーター業務に集中出来るようになった。「桐灰 足の冷えない不思議なくつ下」(写真)と銘打った靴下が行きつけのドラッグストアの店頭に並び始めたのは、私がデモンストレーターになって2年目か3年目のことだったか(検索したところ、この靴下、元は奈良県の某衣料メーカーが製造販売していたのを、2005年に使い捨てカイロなどで知られる桐灰が商品権と販売権を獲得し、ドラッグストアを中心に売り込みをかけて広く知られるようになったらしい)。ネーミング通りの効能を誇る当商品に、「ホンマ救われたワ」と口にする同業者は多かった。ひんやりした場所で接客業をしたことがある人なら、身にしみてわかってもらえるはずだ、、、冷えは足元からあがってくると。その冷気がまた、足先までしつこくまとわりつき、まことにツラい。実際、真冬に京都内陸部にあるスーパーの特売会で納豆を宣伝販売していたメーカー営業のお兄さんは「足の指の感覚がなくなってきた」と嘆いていたし、その数年後にやはり特売会で訪れた滋賀県北部のスーパーで飲料をデモしていた営業のお姉さんは、昼休憩の時、社員食堂で向かい合わせの席に座った私に雑談がてら「昨日から現場に立っているんですけれどね、足の冷えが強烈で。昨日の1日だけで両足とも霜焼けが出来てしまったほどです」と打ち明けた。2人とも、普通の靴下やストッキングを履いた上に革靴だけのレッグスタイルで、そりゃこたえるわなあと、同情したものだ(後者のお姉さんの時は、パンプスにも対応した足の冷えない不思議なくつ下の薄手版が既に発売されていたので教えてあげた。お姉さんはさっそく昼食後にスーパー内のドラッグストアに買いにいった)。「桐灰 足の冷えない不思議なくつ下」の大ヒットに影響されてか、各衣料は、ヒートテックのタイツやレッグウォーマー、ソックスなどをこぞって開発。積極的な宣伝と販売を繰り広げた結果、現在では、少なくとも2000年代初期よりは足元事情はかなり改善されたのではないか。このことは、下着、トップス、ボトムスにも当てはまる。次回で紹介したい。
2022.01.23
コメント(0)
現場であった大阪市内の某店でも粉雪吹雪く中、屋外でのデモンストレーションが終わり、幸運にも担当商品を完売することが出来た私は今、心底幸せな気分でくつろいでいる。こう感じさせてくれる要因の1つに、ユニクロをはじめとするヒートテック商品の開発、普及がある。このことについて、少しずつお話ししていきたい。
2022.01.21
コメント(0)
京都市内は雪しんしん。こんな日に限って、仕事場所(デモ場所)は屋外。特別手当が欲しいわ。心は、早くも帰宅後のスンドゥブチゲに移っている。
2022.01.21
コメント(0)
(注)2021年12月16日に書いた記事。 「もう少し薄かったら、ありがたいんだけどな」。これは、私が尿漏れ用パッドやオムツの宣伝販売を担当している時、お客さんから最もよく聞いたセリフである。「今の厚さでは、ショーツの上にフィットしたパンツを履いたら、どうしてもヒップラインに影響が出る。それが、ちょっとね」。ああ、わかる、わかる。私もそれは実際に尿漏れパッドなりオムツなりを身につけて感じていた。反面、「薄くしたら、吸収力が落ちるのかな? だとしたら、仕方ないか」との思いも。ともあれ、お客さんの意見はきっちりと業務報告書に書いていた。いつ頃からか!パッドのみに関してだが、従来の半分ほどの薄さでありながら尿の吸収力はほとんど変わらない製品が出来たのは!「これなら、スキニーパンツを履いてもわからないかも」と、さっそく飛びついた。同時に「メーカーは、私たちが書く業務報告書をきちんと読んでくれているのだな」と、とても嬉しかった。と言うのは、仕事を振ってくれる派遣会社やエージェントは、あくまで「人選担当者によっては」の条件付きで、ややもすれば売上数ばかり問題にするからだ。個人的には、メーカーにはもう一踏ん張りし、オムツはサイズにS寸を加え(細身で小柄な人には現在のM寸は大き過ぎる)、無地やピンクばかりでなく、花柄やチェック柄も検討して欲しい。パッドは、付着状況によっては吸水場所が偏り、取り外す時に下着に触れて濡らしてしまうこともあるので、尿を吸水するやパッド全体に流れて行くようなつくりに改善をお願いしたい。誰しも歳を取る。尿漏れもその延長。むやみやたらと落ち込まないようにしたいが、現実に自分が遭遇すると、やはり落ち込むんだな。
2022.01.19
コメント(0)
(注)2021年12月15日に書いた記事。 一昨日のあの怒涛のような尿漏れは何だったのだろう?対象的に、昨日は尿漏れは全くなし。気温だけ取り上げたら一昨日よりは昨日の方が低かったし、一昨日の服装に特に問題があったわけでもないのに。まあ、それだけ状態が安定しないということだな。尿漏れの一因が加齢による内臓下垂にあることは確かなので、従来のトレーニングに加えてデドックスボールによるトレーニングも加え、毎日実践しているのだけれど、現在のところは、下垂による不快な腹部膨満感がなくなったことくらい。ともあれ、今週の土曜日からは6日間、ほぼ連続して仕事が入っているので、体調は万全にしておきたい。特に後半はメーカーの人と一緒に仕事をするので、余計に。それにしても、尿漏れパッドも尿漏れオムツも確実に進化していっているのは、使用者としてでなく販売者としても嬉しい限り。これについては、別記事で詳しく述べる
2022.01.19
コメント(0)
過去の記事。雪は降る。あなたは来ない、ではなく、電車は来ない。 https://youtu.be/jzSGQxFESSA 歌っているアダモ自らが作り、世界的に知られたこの曲には、忘れられぬ思い出がある(ちなみに、日本語詞を書いたのは、安井かずみだったっけ?)。デモンストレーターになって2年目の2005年1月。片道4時間半かけ、京都の福知山経由で兵庫県城崎郡まで仕事に行った(遠方手当の額に惹かれたのだ)。城崎郡はその日は大雪。現場の最寄駅に着いてみれば、通り道すら、腰近くまで積もった雪。それを、時にかき分けかき分け、現場の店にたどり着いた。帰りは積雪の上にみぞれが振り注ぐ。電車は遅れながらも乗り換えの福知山駅まで着いたものの、そこでまたも立ち往生。「京都発福知山行き・折り返し京都行き」となる電車が、雪で速度を大幅に落として運転しており、いつ福知山に到着するか予想がつかなかったからだ。当時、福知山駅のホームにはうどん屋などはもちろん喫茶店もなく、自動販売機のコーヒーや紅茶を何杯も飲んで暖をとりながら、線路に降り注ぐ雪をながめ、「雪は降る。電車は来ない」と、心で歌い、気持ちをなだめていた。寒かった。芯から寒かった。無事に京都まで帰れるかどうか、その心細さもあって、寒気が身に染みたものだ(幸い、遅れて福知山に到着し折り返した電車で、京都駅からの地下鉄の最終に乗れる時間に帰ることが出来た)。今でも雪のシーズンとなってこの歌が流れてくると、あの福知山駅での情景が鮮やかに蘇る
2022.01.19
コメント(0)
一昨日に書いた記事で「旅の楽しさの醍醐味が非日常なら、業務を通じて直に地元の人と触れ合うことが出来る宣伝販売の仕事は、立派に旅だ」と書いた。それを実感出来るのが、お客さんとのトークの中で、そこの土地ならではの料理、すなわち郷土料理についてふれる時だ。上の打ち豆汁もその1つで、湖北(滋賀県北部)のスーパーで季節の野菜を使った具たくさんスープのデモをしている時、スープを試食した80歳近いかと思しき女性に「寒い時は温かい汁物がエエねえ、、、」から始まった一連のやり取りの中で「ここいらにも、昔は冬場になるとどこの家でも食べられてきた汁物があるんよ」と、教えられた一品。うち豆汁は、簡単に述べれば、水に浸けて戻した大豆を槌で潰しで作った保存食の打ち豆と野菜を入れた味噌汁。かつて大豆は日本人の貴重なタンパク源だったし、地域がら積雪量によっては外部との交流が遮断されてしまうケースも珍しくなかったから、保存食を備蓄しておくことはこの一帯に住む家庭では必須事項だった。打ち豆汁のレシピ自体は、今日日のことだ、さまざまなサイトで公開されている(湖北の他、福井県や新潟県などの北陸にも打ち豆汁はあり、おのおの微妙に具材が違うよう)が、肝心のうち豆は、、、うーん? 自分で作るとなると手間がかかりそうだしな。と案じていたら、ちゃんと市販されていて、ネットでの入手も可能なみたいだ。打ち豆汁のレシピを見ていて、ふと、山形県の郷土料理である「納豆汁」との共通性を発見される方も多いのではないか。なるほど、山形県も雪国だし、自然環境的に似たところがあるのかも知れない。そのことだけを考えても、郷土料理には、当地で、細く、でもしぶとく生き抜いてきた民の知恵と工夫が詰まっていると言えそうだね。写真の打ち豆汁はWikipediaから。
2022.01.19
コメント(0)
1昨日に書いた記事で、遠方ゆえに依頼を断るつもりだった京都府舞鶴での仕事を、娘さんに「お母ちゃん、悪い面ばかり見ないで、半分旅行するつもりで引き受けたら? 交通費はメーカーが出してくれるんやし。舞鶴は何かきっかけがないとそうそう行けるところやないよ」と助言され、最終的に請け負った同業者を紹介した。その話をもう少し。京都から特急に乗った彼女。通り過ぎる風景を眺めていると、自然と旅行気分が湧いてきたとか。「特急って座席がゆったりしているし、窓を流れるスピードがちゃうやん。不思議やな。あれだけでちょっとイイ気分になれる」。綾部で各駅停車に乗り換え、舞鶴まで一路。「途中の景色が、ホンマ、一昔前のドラマみたいで。わあ、よその土地に来たなと、しみじみ感じた」。おかげで、そこでも旅行気分を味わえた。昼食は濃いめの舞鶴ラーメン。残った昼休憩時間を利用し、現場でもあった店で舞鶴名物とされる「舞鶴かまぼこ」を土産に購入。旅行気分はますます高まった。担当商品の売上も上々で(私の体験からも、一般に舞鶴、綾部、福知山方面での売上はそこそこ。試食してもらったらかなりの確率で買ってくれる)、無事に仕事を終えて最寄りの東舞鶴駅に着いた彼女は、駅に置いてあった観光用チラシやパンフレットをたくさん持って帰った。「今度はプライベートで来よう。その時の参考にしよう」と。彼女が、その時の舞鶴行きから強く感じたことは「見るもの聞こえるもの触れるもの口に入るものがいつもとは違う。それだけでじゅうぶん旅になる」ということ。わかる!旅は非日常。名所巡りをしたり土地グルメ三昧といかなくても、普段とは異なる環境に自分を置いてみる。これこそ、旅の醍醐味のはず。ところで彼女、それからざっと1年後、実際に舞鶴にプライベート旅行をした。ご主人とバスツァーに参加したのだ。「あらためて思うたワ、仕事で来るのと遊びで来るのとは違うと。まあ、どちらにも良さがあるね」。そうなんだよね。歴史好きの友人と、仕事でよく訪れる湖北方面をプライベートでまわったことがある私には、こちらの感想もよくわかる。次回は、ここいらのことをもっと突っ込んで話そう。写真は、京都上京区の引接寺ではの閻魔さま。今日は初閻魔の日なのだ。
2022.01.16
コメント(0)
邦題「フェルモア先生、墓を掘る」(ロビン・ハサウェイ作、坂口玲子 訳」(あらすじ)患者の健康よりも効率が優先されがちな大病院のあり方に疑問を感じ、父から受け継いだ診療所で昔ながらの治療を続けるフェルモア先生は、実は私立探偵という顔も持っている。ある日、愛猫の遺体を抱いていた少年ホレイショと知り合い、その埋葬を手伝うために地面を掘っていたら、そこには何と女性が埋められており、しかも彼女は知人の医者の息子の婚約者だった。死体の奇妙な姿勢に疑問を抱いたフェルモア先生の奮闘が始まる、、、。主人公フェルモアが医師であることもあり、しばしば医学や薬学の専門用語が登場し、物語の進行やトリック解明に大きな役割を果たすが、登場人物同士の会話を通じて素人にもわかりやすく解説されているので難解感はない。それよりも、人種のるつぼであるアメリカに根強く横たわる出自に対するこだわり(先祖がメイフラワー号に乗ってやってきたとか)や先住民に対する意識。こちらの方が、感覚的に日本人の我々には今ひとつわかりにくく、だからこそ、読後感にある種のやりきれなさが残る。そのことを差し引いても、読みやすい文章と展開。何より、フェルモア先生のあたたかいキャラに惹かれるね。
2022.01.14
コメント(0)
Never give up! 諦めるな!スーザン・ボイル。子どもの頃にはPTSDを患う父親から暴力を受け、かつ学習障害があったために学校でもいじめられ、「おバカなスージー」と言われて育つ。心やすらぐ時は、音楽好きな母親が弾くピアノに合わせて歌っている時だけ。「お前はいい声を持っているし、上手に歌うわ」。常に自分を認めてくれていた母親の生前、スーザンは母親とある約束をかわす。「2009年に人前で歌を披露する」。やってきた2009年。48歳近くになったスーザンは、イギリスの素人向けのオーディション番組に出演。その時の様子がこれ。この動画がYouTubeで流れるや、アクセスが世界中で殺到。スーザンはついに歌手になるという長年の夢を叶えたのだ。人間は生涯を通じて成長し続けるもの。スーザンも歌への思いを胸に、日々を大切に重ねてきたからこそ、運命の神様は微笑んで下さったのだろう。
2022.01.14
コメント(0)
(注)12月11日に書いた記事。就職サイトのマイナビが就活中の学生に対し、「大◯◯以下云々」とタイトルをつけたメールを誤送信し、「これって学歴フィルターによる就活生差別じゃないの?」との声があがっている。マイナビは頑なに否定。当然だ。人権問題に発展するもの。もっとも、こういう問題がおこるたび、大した経歴もなく業界の最先端にして最末端の位置でうごめいている私などは、「それが差別ととらえられるくらい気になるなら、高卒だとか大卒だとか、あるいはどこの学校を卒業したとか、そんなことが問題にならない世界に行ったらいいのに」と感じてしまう。ワイワイ言ったって、学歴や学校別による様々な選別なり足切りなりは昔からあってしぶとく残り続けているのだから、今さら状況が変わるはずはないしね。ならば、自分の腕やセンス、特技をいかせるところで勝負しようじゃないの!例えば、経験とそこから培ったカンが欠かせない職人の世界。例えば、持って生まれた才能や運を引き寄せるオーラも関係してくる芸人ないし芸術家の世界。例えば、出した結果を公正な物差しである「数字」で評価される営業もしくは販売の世界。例えば、一律な国家試験にパスしないと就くことが不可能な、「△△師」「□□士」の世界。他にもあるだろう(ただし、師業や士業の場合、その社会内での学閥はないことはないかも)。かつて、当時は創立数年しか経っておらず、したがって知名度も偏差値も高くなかった大学で職員をしていた知人が、こう嘆いていた。「(就活の)最初から諦めている学生が多い。うちみたいな大学じゃイイところ入れないと」。ふうむ、、、。そのような人は親もろとも「有名企業に就職して高収入を得る=幸福」の図式が出来上がってしまっているんだね。そこに甘んじてしまうのも人生だが、せっかく生まれてきたのだ。自分軸で自分の道を開いていこうよ!
2022.01.14
コメント(0)
(注)2021年12月9日に書いた記事。お中元お歳暮についての話題を続ける。ものの本によれば、「お中元は半年間お世話になったお礼も兼ねてのご挨拶」であり、「お歳暮は1年間お世話になったお礼も兼ねてのご挨拶」なんだそうな。よって、「恒久的に交流が続くと思われる親戚や仕事関連の人には忘れないで送りましょう」とある。ところが、ネットの某マナーサイトにアクセスしてみれば、裏話として、「本音ではお中元やお歳暮はもう辞めたいと願う人が少なくない」とあるではないか。事実、そのサイトが無作為に抽出した人たちへのアンケートでは、実に7割近くがそのように望んでいたとか。理由は多々あれど、根底には日本人全体の経済環境の悪化があると感じる。「普段はほとんど付き合いがない、単に親戚というだけの人に、なぜ何千円もする物を送らないといけないのか?」「お中元やお歳暮をもらうのは嬉しいけれど、お返しを考えると負担」「何だかいつもの習慣で、お互いにダラダラと続けていて。生きていれば皆それなりにお金がいることだし、カタチだけの中元歳暮よりも自分にとっての意義あることに使いたい」こんなふうに考える人が増えているのだろう。プラス、送ったり送られたものが必ずしも歓迎されるとは限らないミスマッチも、往々にしておこりえる。また、同じ商品が重なって困ってしまうことも。中元歳暮の目的が、「お世話になったお礼をも兼ねてのご挨拶」ならば、本当に送りたい人だけに、その嗜好や生活も熟考しつつ、送ったらよかろう。その際、メーカーには、手書きの一筆カードなどを添えるサービスも取り入れて欲しいね。
2022.01.14
コメント(0)
粉雪舞う、底冷えのきつい今日の京都。こんな日は、牛すじを大根やこんにゃくとコトコト煮込む土手煮を、ストーブで作ろう。土手煮で思い出したことがある。数年前、宣伝販売を請け負った某醤油メーカーの試食メニューが、これだったのだ。「圧力鍋を使うのならともかく、普通のグリル鍋で、開店1時間前後までに土手煮が作れるはずがない」と、業務指示書が届いた時点で、仕事を振ってくれた派遣会社を通じてエージェンシーに訴え、メーカーに試食メニューを考え直してくれるようにお願いしたのだが、エージェンシーの責任者はオス化したバリキャリ。学校を出てから、料理をはじめ日常の雑事のいっさいを母親にしてもらって仕事に邁進しているタイプなので、そこいらのことがどうもわかっていただけない。仕事をもらう身であるこちらは従うしかなかった。困窮した私の目に、ふと、某クッキングサイトにアップされた素人主婦のこんな記事が!「すじ肉をウィルキンソンなどの炭酸で煮込むと、圧力鍋を使わなくても土手煮が速く出来ますよ」。さっそく実験。うまくいった。「ああ! 助かった」しんからそう思った。デモ当日。グリル鍋で作った土手煮の試食は大評判。しかも、炭酸を加えるだけで、今までのように時間をかけずとも普通の鍋で作れるとあって、お客さんにも大変に喜ばれた(デモンストレーター冥利に尽きる)。その体験を通し、あらためて知ったのだ、、、机の前に座って頭でメニューを考えるメーカー栄養士(試食メニュー考案者)より、毎日毎日キッチンに立って家族のために手で食事を作っている主婦の方が、よほど「実践」を知っていると。皆さんも試してみて下さい。味付けする前、すじ肉をアクを取りながら15分ほど煮、湯を捨てて水で洗ったあと、また鍋に戻して炭酸で15分ほど煮る。これだけです。(写真はWikipedia)。
2022.01.14
コメント(0)
打診された、今月の21日の仕事の指示書がまだ届かない(通常なら、遅くともデモ実施1週間前には派遣会社から送られてくる)。もしかして、オミクロン株コロナの感染爆発で、メーカー、あるいは店舗側も様子をうかがっている?こちら側にすれば、昨年に比べ今年の1月は仕事が少ないので、キャンセルは絶対に避けて欲しいところ。さて、1昨日の記事の続きである。「欲深い人でなくても、現実と理想の乖離の前にはつい不平不満ばかりがこぼれてしまうもので、その渦に呑まれるや物事をある角度からしか見れなくなる」と書いた。言い換えれば、視野が狭くなってしまうのであり、それがワクワクを妨げる最大原因であるとも。デモンストレーター業務の具体例から、詳述する。もし、あなたにデモンストレーター体験が1度でもあれば、あなたは業務指示書に必ず書かれている「担当商品の特徴」なるものに目を通したことがあるはずだ。そこには、商品の使用法、原材料、食感、他の類似商品との差異、時には開発のきっかけなども記載されていたりする。この「担当商品の特徴」は、もちろん本番でもセールストークとして使うわけだけれど、デモンストレーションの過程で、あなたは少しずつ知っていくはずだ。例えば、「コクのあるまろやかな風味」が、人によっては、「濃い」「しつこい」「甘い」などと感じられること。そう!商品に限らず、すべての物事には光と影があり、そのとらえられ方は、千差万別。「コク」や「まろやかさ」は、AさんにとってはよくてもBさんにとってはよくないのだ。長所が短所になったり、短所が長所になったりするわけね。このことは、デモンストレーションの案件そのものにもあてはまる。大阪北部の町に住む仕事仲間の1人。ある時、京都最北部に近い舞鶴にある店での仕事を打診され、当初は「特急使用可でも、自宅から駅までカートを引いて歩くことを考えたら6時40分には家を出なアカンし、となると遅くとも5時半には起きなアカン。電車にも2時間20分ほど揺られていないといけないから疲れるし」と、断るつもりだったそうな。その母親の独り言混じりの愚痴をはたで聞いていた高校生の娘さんは言った。「お母ちゃん、何で悪いところばかりみるん? 舞鶴はそんなに行く機会はないところやん? 特急かて、頻繁に乗ることはない。今回、仕事で行くんやから交通費は会社が出してくれることやし、半分旅行や思うて行ったら? そら、仕事やからしんどい面はあるやろ。でも、ホンマ、何かないと行かれへん場所やん。それに昼休みに舞鶴ならではのものを食べたり、舞鶴の名産を買ったり、帰りの特急ではゆったりしたり、旅行気分は味わえるやんか。しかもギャラと遠方手当までもらえる。ウチなら、大喜びで行くワ」。これなんだよね。「片道3時間近くかかる舞鶴に行く=遠方=早起きしないといけない=身体が疲れる」と、一面からのみ舞鶴行き案件を考えると負の要素ばかりが浮かんでくるが、娘さんみたいに別の面からも考えると、正の面が浮かび上がり、仕事自体も「舞鶴に行かされる」から「舞鶴に行く」に変わり、主体性をもって取り組めるぶん、楽しくなるのである。写真は3人の孫。
2022.01.14
コメント(0)
(注)2021年12月8日に書いた記事。月曜日、娘の嫁ぎ先の実家宛にお歳暮を贈った。品は毎年同じ。良質な水源に恵まれた京都だからこそ製造できる、美味しい豆腐だ。振り返れば、例年なら、今時分はお歳暮ギフトの仕事に追われていた。ほとんどの店舗は「12月10日まではお歳暮の早期注文割引が可能ですよ。お品代の10%をサービスさせていただきます。10%引きと言えば、仮に10軒で5万円の場合、4万5千円になります。この差は大きいですね」などと、店頭ポスターで、カタログで、テラシでうたっており、大半のお客さんも費用を抑えたいのが本音だから、まさに最期の追い込みセールと言うわけだ。まず、お歳暮ギフトコーナーに来られたお客さんにちょっとした景品(ティッシュなど)をお渡しし、自分が担当する商品の前に誘導する。そこからが販売員の口上力の見せどころ。もっとも、お中元もそうだったけれど、お歳暮ギフトは、2010年を過ぎると年毎に売上が落ちていったね。原因は大きく2つ考えられる。「ネットの普及」と「中元歳暮文化の衰退」。まずは「ネットの普及」。いつ頃からだろう、売場で商品を注意深くながめているお客さんに声かけしても、「いや、見に来ただけやねん。気にいったやつを品番控えて帰って、嫁さん(主人)と相談して、ネット注文するワ。その方が安い」と返されることがしばしばあるようになったのは?この傾向はスマホの一般化でますます進んだ。うーん?今日日は60代70代でもネットを使える人が珍しくないからねえ、、、。うーん?だからこそ、メーカーによっては、ネット注文に対抗する形で実際の売場で商品をご購入下さったお客様にはそこの代表商品のミニ版をプレゼントする取り組みなんかもおこなっているんだけれど(行わないメーカーもある)?次の「中元歳暮文化の衰退」については、別記事で述べたい。
2022.01.12
コメント(0)
(注)2021年12月5日に書いた記事。また食品関連の業務の仕事を打診された。2つの現場で、通算3日間。戻ってきているぞ、デモンストレーターの仕事。それなのに、残念なことだ。そのいただいた3日のうち2日は既に他社から依頼された案件を受けてしまっており、身体があかない。結果、仕事日数は現在より1日増えただけ。仕事がある時は重なるのよねえ、、。ここいら、スーパーやコンビニやディスカウントショップなどがある地域には過剰といってよいほどあるのに、ない地域には全くないのと同じ現象。ちょうど、「モテる人にはいくらでも異性のファンがいるのに、そうでない人にはさっぱりいない」ように。12月1日に入った店舗の状況もそうだった。そこから徒歩3分以内に、少なくとも3軒の競合店が(同じ食品型スーパ1軒、業務用スーパー1軒、ドラッグストア1軒)。ま、消費者にとっては嬉しいけれどね、、、チラシを比較検討した上で商品を安く買えるから。これが、以前に住んでいた京都市◯◯区の某地域となると、事態は真逆。人口が少なく、したがって売上も伸びず、1軒だけあったローカルスーパーが撤退するや、地域に残った店らしい店はコンビニ2軒だけ。個人商店すらなし。最寄りのスーパーへ行くには、自転車に乗っても20分近くペダルを踏まねばならない。もちろん、ドラッグストアやディスカウントショップを訪れるのも、それくらいかかる。つまり、自然環境はよくても、社会経済面では車がないと極めて不便なところだったのだ。ううむ。これって、、、。リタイア後は田舎でのんびり暮らしたいという人、少なくないが、車もいつまでも運転出来るものではないしなあ、、、。写真は、大阪は京橋駅内にディスプレイされてあったクリスマスイルミネーション。2021年も暮れていくね。
2022.01.12
コメント(0)
仕事が入ってきた。今度は大阪北部の某スーパー。デモ場所は屋外に張ったテント内。まあ、屋台みたいなものである。さて、数日前のブログ記事の中で、「生来が、天然ノーテンキだったりウルトラ自信家だったりスーパーポジティブだったりする人以外は、覚悟がいりますよ、、、ほんの些細な事柄からでも幸福感を導き出すことが出来る思考法や行動様式を身につけるには。トレーニングが必要」と書いた。このくだり。誤解されないよう、敢えて例をあげて再度詳しく説明をする。ご存知の方も多いであろう、「置かれた場所で咲きなさい」という名言を残し、同タイトルの著書もある、ノートルダム清心女子大学学長の渡辺和子氏。渡辺氏もまた、その名言と現実に自分がとっている行動が一致するには、相応のトレーニングを一定期間積まねばならなかった。修道女でもある渡辺氏。同じ宗派のアメリカの教会に留学してしばらく経った頃、そこの修道女を管理指揮する立場にある人からこんなタスクを課せられた。「1日のうち、良かったことを3つ、必ず日記に書くようにしなさい」その晩、日記帳を前に渡辺氏は唖然。3つのよかったことが浮かんでこなかったからだ。俗世を捨て神に奉仕することを選んだ渡辺氏ですらそうだったのだから、我々一般人は言わずもがな。特に欲深い人でなくても、現実と理想の乖離の前にはつい不平不満ばかりがこぼれてしまうもので、その渦に呑まれるや物事をある角度からしか見れなくなる。言い換えれば、視野が狭くなってしまうんだね。そして、この視野の狭さこそがワクワクを妨げる最大原因なのだ。次回、デモンストレーター業務の具体例から、そのことを詳しく述べよう。写真は、元旦に乗ったスカイバス上から見た二条城。見慣れた情景も、視点が動けば、また異なった見方ができる。
2022.01.12
コメント(0)
一昨日のブログ記事で、「お客さんをワクワクさせたら自然と売上は伸びる」と、書いた。昨日のブログ記事では、「人をワクワクさせるには、まず自分がワクワクせねばならない」と書いた。そして、これには覚悟がいる、とも。はい、生来が天然ノーテンキだったり、ウルトラ自信家だったり、スーパーポジティブだったりする人以外は、覚悟がいりますよ、、、ほんの些細な事柄からでも幸福感を導き出すことが出来る思考法や行動様式を身につけるには。トレーニングが必要。このトレーニング。その方面のノウハウを述べた講座はたくさんあるし、書籍もたくさんあるけれど、実は自分が体験の中で編み出した方法が1番効果がある。要は、、、物事を複眼でとらえることなんだよ。ワクワクすることが多いと、日々は楽しくなる。ワクワクしている人には同じようにワクワクしている人が寄ってきて、時に新たなる世界を開くヒントや機会を与えてくれる。写真は真ん中の孫。
2022.01.10
コメント(0)
京都は左京区にある吉田神社を訪れた。驚いたのは、思いのほか、観光客らしい人が多かったこと。オミクロン株蔓延で、相変わらず「不要不急の外出はお控え下さい」と連呼するオカミの声が虚しく響く。昨日の投稿で、「お客さんをワクワクさせたら自然と売上は伸びる」と、書いた。その過程であらためて認識したことは、「人をワクワクさせるには、まず自分がワクワクせねばならない」ということ。これには覚悟がいる。小さな、いや、些細な事柄からでも幸福感を導き出すことが出来る思考や感情トレーニング。そう! まさにトレーニングなのだ。このトレーニングについては、後ほど詳細する。写真は、吉田神社の鳥居。
2022.01.09
コメント(0)
寒い日が続いている。あらためて、初詣で飲んだ甘酒を思い出した。ぶっちゃけ、お世辞にも美味しいとは言えない味だったのに、しんから身体をホカホカさせてくれた。ふと、映画「しあわせのパン」がノベライズされた中(作者は同映画の監督三島有紀子)に書いてあった一文が脳裏に蘇った。「人間ね、あったかいことがごちそうですよ」。それにしても、紙コップ一杯で400円は高いわ。まあ、甘酒に限らず屋台で提供される飲食物の値段なんてそんなものなんだけれど。それを承知で、つい次から次へと財布を開いてしまうのは、初詣というお祭りからくる気分の高揚ゆえん。実は、この心理メカニズム、試食販売にも応用出来るのだ。大手スーパーやデパートでは、土日祝日は、コロナ以前には多くの試食販売が提供されるのが半ば当たり前の現象だった、、、あちらでラーメン、こちらでパン、そちらで焼肉というふうに。当然、それらをねらってお客さんが集まり、試食巡りなる一種の「お祭り」気分が生まれる。その雰囲気の中でお客さんの消費欲にも火がつくというわけだ。つまり、ワクワクね。端的に述べたら、お客さんをワクワクさせることが出来たら、売上も勝手に伸びるのよ。初詣で訪れた八坂神社でも、ワインの屋台では試飲を行っていた。人が群がっていたところから推察して、販売数もそれなりのものだっただろうと推察する。写真は、あらためて八坂神社。
2022.01.08
コメント(0)
元旦に孫たちと共に乗ったスカイバスを、祇園四条の八坂神社近くで降り、初詣したことも述べた。まあ、大変な人出。八坂神社のその模様をLINEで古くからの友人に送ったところ、その賑やかように驚いていた。もっとも、「賑やかよう」は、スカイバス乗車時に車上から見た平安神宮とて同じ。人出数はもちろん、屋台数も引けを取らない。八坂神社に限れば、ほんの一口か二口すすった孫2人が「美味しくない」と私たちに返した甘酒が実は紙コップ1杯400円からもうかがえるように、「屋台ぼったくり」は相変わらずながら、なぜか孫たちもじいじばあばの私たちも、そのことを悔やむ気にはならないんだな。何故なら「フランクフルト、たこ焼き、焼きそば、ベビーカステラ、りんご飴、スーパーボウル、お面、、、」云々に、価格を超えた、ある価値を感じるから。ね、オカネのことを考えずに過ごせた頃って、、、ある意味、黄金時代だと思わない?写真は、八坂神社と平安神宮。
2022.01.04
コメント(0)
(注)2021年12月4日に書いた記事。昨日は、午前と午後、2度も風呂に入り、TSUTAYAのネットレンタルで借りた映画(カサヴェテス監督「グロリア」。1980年、アメリカ)を観た後、コンビニおでん(大根、こんにゃく2種、練り物、昆布、卵、ちくわ)を焼酎と共に流し込んでいたら強烈な眠気におそわれ、そのまま今朝の6時まで床にいた。途中で目覚めることなく、夢もみない、正真正銘の「爆睡」だった。一般に、印象深い現象や体験に接すると、人は良い意味でも悪い意味でも疲労を覚える。よく、「美術展で名画と向かいあっていると全エネルギーを吸い取られたみたいでクタクタに疲れた」という話を聞くが、あれと同じだ。「グロリア」が、映画史の流れや映画学の理論上からみてどうかはさておき、大衆的な面白さというか視聴者受けする点では、間違いなく「名作」の部類に入る。とにかく、こちらを飽きさせないからねえ、、、まあ、ストーリーの性質上、スピーディな展開になるのはやむを得ないし、そのぶん変化もつけざるを得ないので、結果的に「観る者は飽きるヒマもないわなあ」となってしまうのだけれど。それにしても、ざっと40年も前、アメリカでは既にグロリアみたいなタイプの女性がヒロインになり得たことを考えれば、日本はやはり女性に対してキツい国だとあらためて認識した。写真は、その「グロリア」(動画配信/Filmarksより)。
2022.01.04
コメント(0)
(注)2021年12月1日に書いた記事。今日は大阪南部の、現在ちょっと話題にのぼっているスーパーで仕事。初めて訪れる現場なので、1時間早い目に出発した。今回に限らず、その店に初めて行く場合、私はいつもこう。と言うのは、店の最寄駅から実際に店にたどり着くまで、けっこう手間取るケースがあるためである。前日に挨拶を兼ねてかけた電話で道のりを聞いていても、また最寄駅の駅員に丁寧に教えてもらっても、行き慣れていたりそこの土地の人間でない場合、わかりにくい店はわかりにくいのだ、、、特に住宅街にある店などは。入店時間が迫っているのに、見知らぬ地で「わからない。(店は)どこにあるの?」と内心で焦りながら目的地を探すストレスは相当のもの。正直、汗が出てくる。あの無駄な労力。出来うることなら避けたい。それを思えば、早い目に出発することなど、何と言うことはない。写真は京阪本線三条駅にある、尊王思想家、高山彦九郎の銅像。一見、土下座しているようだが、あの姿勢は実は御所に向かって敬礼しているのだ。
2022.01.04
コメント(0)
正月が明けた。今日が初仕事という人も多いことだろう。私自身は、コロナ前は、一足先に正月気分を抜けるべく三が日の最終日、すなわち1月3日から仕事をスタートさせるのが、通例だった。案件は、決まって「麦とろご飯」のデモ。これは、関東地方の一部に伝わるとされる、1月3日にとろろ汁をかけた麦飯を食べてお正月料理に疲れた胃腸を労わる風習にあやかったものだ。さて、今年の元旦の午前中、スカイバスこと屋根無し2階建てバスで京都市内を一周したことは述べた。粉雪舞う酷寒日であったにもかかわらず、2人の孫が大はしゃぎしていたことも(小さな子どもは、ワクワクするような事柄に出くわすと、往々にして気候を忘れるものだ)。われわれ大人は、もちろん並ならぬ寒気をしっかりと感じ、震えながらの観光となったが、それでもある重要な発見があった。それは、見慣れている風景でも、一段高いところからだとまた違ったふうに見えるということである。視点がずれると、感覚もずれるのだ。これは、驚きならず単純に喜びと感動も与える。仕事でも、家庭生活でも、学習でも、何かに行き詰まった時は、ぜひこの原理を応用されたい。思いもかけぬ斬新なアイディアが浮かんでくるかも知れない。写真は、平安神宮の鳥居。
2022.01.04
コメント(0)
2022年が明けた。昨年同様、暮れから我が家にいる1番上の孫と真ん中の孫。娘夫婦には悪いが、今後は、少なくとも大晦日と元旦は断ろうと思う。夫の仕事場と自宅を兼ねているので大掃除はしなくていいし(つまり掃除は毎日しているわけ)、お節ももう買うようになっているけれど、煮しめやその他の普段より少し豪華な正月料理はやはり作るから、買い物や台所仕事で、年始直前の日はけっこう忙しいのだ。そんな中で、8歳と5歳の子どもの面倒をみるのは、正直、キツいものがある。反面、じいじばあばと慕ってくれるのも今のうちだと言うことも、よくわかっている。孫たちも中学になれば自分たちの世界を持ち、消えゆく世代に関心を示すこともなくなることだろう。1番上の孫の強い希望で、この元旦はスカイバス(2階立てバス)にて京都市内を一周した。粉雪舞う中での観覧は肉体的にはそれなりに過酷だったが(孫たちは大はしゃぎ。あまり寒さを感じないのかな)、感覚的にはその過酷さを上回るものがあった。スカイバスを、八坂神社近くの祇園四条で降り、八坂神社に初詣。驚くほどの人出で、屋台もたくさん。そこに、2022年ならではの希望を見た。その希望とは、withコロナ。人に伝染する、あるいはさせる、致死の可能性もある病気だからって恐れることなく、共存すること。あらためて考えてみれば、コロナだって、我々と同じイキモノ。人間同様、向こうだって本能で生き残りたいのよ。コロナと、うまくやっていこう!写真は、八坂神社にて。
2022.01.02
コメント(0)
全36件 (36件中 1-36件目)
1