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(注)1月23日に書いた記事。 昨日は、いま取り組んでいるフィクションに必要な、ある資料を集めていた。 イマジネーションだけでは絶対に書けない内容やシーンは、確かにある。 ここで思い出した。 文筆ではなく漫画だけれど、せっせと作品を描いては公募に応募し、応募しては落ち、でもまた描いていた元同級生の逸話。 主に時代物の漫画を描いていた彼女は、当然ながら自作の登場人物たちが生きた頃の時代考証もしなければならず、それには膨大な資料を集める必要があったのだが、時にそれに夢中になり過ぎて肝心の筆が止まってしまうことがよくあったと言う。 はあ? まあ、わかるんだけれどね。 彼女の場合、「公の歴史であらわされる事件」に関する詳細はもちろん、その時代の人々が着ていた衣装とか、食べていた食材とか、一般に催されていた折々のイベントとか、作品を形成する上で調べないといけないことは山ほどあったと思う。 それを承知で、そのような、あまりに瑣末事にとらわれ過ぎると、オハナシは成立しない。 ここいら、遊び半分でも、小説なり脚本なり書いたことがある人は、痛切に感じるはず。 あるいは、瑣末事に関心を抱くことは、小説や脚本、すなわちオハナシに深く関わり合っていても、オハナシを具現化する俳優や脚本家にはない能力を備えているのかなとも、感じる。 前々から疑問に感じていた。 「仮に夏目漱石の小説を読んで感動したAとBがいるとする。Aは自分でもこんな小説を書きたいと思い、Bは漱石がこれを書いた個人的社会的背景を考慮した上でこれを分析したいと思う。この差は?」 ううむ? 本当にどうなのか?
2021.01.31
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(注)1月21日に書いた記事。 昨日、急遽また入ったイベント場での仕事。 近畿にも緊急事態宣言が出るまでは、すなわち私が前回6日連続で現場に立った時までは、イベント場で扱う商品の産地からメーカーの人も来て直接に参加していたのだが、、、緊急事態宣言発令以降はそれが出来ないため、メーカーは産地からオンラインでお客さまに呼びかける形式となっていた。 ぶっちゃけ。 メーカー側が実際にその場にいるのといないのとでは全然違う。迫力もリアリティも信憑性も違う。 やはり、推奨でも、そばに人間がいないとダメだと痛切に思ったね。 まあ、コロナが猛威を振るっている現在では、オンラインで産地のメーカーと都会のお客様とを結ぶ行為は、やむを得ない選択なのだろうけれど、、、。
2021.01.31
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我が書き進めているフィクションの各シーン書き(詳細プロット)。 はい。本日の午前を持ち、完成しました。 予定より1日早い。 いくら映像として脳裏に勝手に流れてくるとは言え、それを具体的に文章化し、登場人物のセリフまで記録するのは、そう容量があるわけではない我がアタマには時にしんどく、やたら眠かった時期があった。 楽しかったことには、間違いないんだけれど。 とにもかくにもストーリー終了。 これから、時系列など、細かい部分を修正し、「読める文」として、まとめていく。 これをどうするか。 それは、次の課題。 ある意味で、我が企画物の中の一つの物語だから、文学賞に応募するとか、そういうことは考えていない。 それに文学賞応募となるとそれなりのマーケティング(戦略)も必要なんだが、それをすると、フィクションを書き始めた我が目標とズレてしまうやね。 私がフィクションを書いたのは、第一にこのデモンストレーター(マネキンとも言う)と言う仕事を皆に広く知って欲しかったから。 ブログはとうに開設していたけれど、残念ながらブログでは限界があるので、どうしても物語化しなければならない。 ところが、物語を作ると、それはそれで物語の中に私たちの仕事が埋もれてしまう。 何とかならないかと、悶々としていたら、滋賀県中部のローカルスーパーに仕事に行った際に乗ったタクシードライバーとの会話で、ハッと閃いた。 「これを応用したら、デモンストレーターをしている私にしか書けないスタイルで、したがって私たちの仕事も読者にわかる形でイケるかも知れない」 と。 でも、なかなか実用出来なかったな。 今回、16年前に大型スーパーで出会ったネグレクトされていたあの子のことが突然よみがえり、 「あの子、成人しているだろうが、どんな大人になったかな?」 と想像していたら、勝手にキャラクターが出来、ストーリーが動き出し、すうっと進んでいったのは、天が采配してくれたのと、仕事を通じて出会ったたくさんの人々のおかげだろう。 繰り返す。 人の数だけ、ドラマがある。 プラス、我が創作のちょいとネタバレになるが、、、作中に、作家になりそこなった(?)男性が登場する。 この彼。しかし、副主人公を通じて主人公に美味しいパンケーキの作り方と人間をも含めた生物としての在り方を意識的ではないにせよ教え、主人公はそれを周りに伝えていき、そのことが連鎖して、、、なのだ。 後世に残すのは、カタチとして残るものだけでなくてもいい。 味覚とか、思い出とか、そういうものでもええやん。
2021.01.30
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(注)1月20日に書いた記事。 先々週の金曜日から先週の水曜日まで、大阪の某イベント場にて、6日連続で仕事。 その後は、現在とりかかっているフィクションを完成させるべく仕事はしばらく休むつもりでいたが、けっきょくその後に打診された仕事を受けてしまった。 それが今日の仕事。 受ければ日当〇〇円。 受けなければ、当然ながら、収入ゼロ。 ああ! この差は大きい。 わけても我が家みたいに、長年負債を返済し続けた結果として貯金がほとんどなく、受給年金もスズメの涙で、ぶっちゃけ死ぬまで働かないといけないボービンの負け組老世帯にとって、日当〇〇円は侮れない。 逆に言うなら、ご主人の定年退職後に、夫婦で、習い事だ、趣味だ、ボランティアだ、温泉だ、食べ歩きだ、旅行だと、第二の青春を満喫している世帯は、間違いなく勝ち組老世帯なんだろうなあ、、、現役時代から高級取りな上に資産形成や人生設計にもきちんと取り組んでいて。 この差。ひと頃なら、すなわち収入が右肩上がりの年功序列制の社会なら、多分に個人の努力不足だとか能力の欠如だとか、いわゆる自己の資質ゆえんとされたことだろうが、年功序列制が崩壊した現在では、どうなのだろう? やはり、自己責任なん? 日当〇〇円なんて、勝ち組老世帯にとっては、夫婦2人のランチ代にも足りない金額なんだろうなあ、、、。 その〇〇円に執着する世帯は、しかし、本音部分ではかなりいるのでは? 基本的に人間は金がないと米も食べられないのだし、その金は、これまた基本的に天から降ってこないものだ。 写真は、京都駅にて。
2021.01.30
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(注)1月18日に書いた記事。 「トム・ソーヤーの冒険」などで知られるアメリカの作家、マーク・トウェインの手による「王子とこじき」を読んだのは、小学校3年生の冬だった(その時のは、児童向けに易しく書き直されたもの)。 なぜか、55年経った一昨日の夜。急に読み返したくなり、電子書籍にて購入し、一気に読み終えた。 実在したイングランド国王エドワード6世をモデルにしたこの小説は、幾度となく舞台化映画化されていることもあって、ストーリー自体は広く知られている。 16世紀も半ばを過ぎようというある秋の日、イングランドのスラム街のこじき一家に男の子が生まれ、トムと名付けられる。 同じ日、王宮にも男の子が誕生。エドワードと命名され、待ちに待った王家の跡取りとして皆に鍾愛されて育った。 トムとエドワード。環境は違えど、見かけは双子と見間違うほどにそっくり。そんな2人が偶然にも出会い、親しく会話を交わし、ついには遊び心で互いの服を取り替えたことから立場が入れ替わってしまった。 それがゆえに起こるモロモロは実に面白く、自然と 「この次はどうなるんだろう。どうなるんだろう」 と、文中のコトバを追ってしまう。 もっとも、今日(こんにち)の、玉石混交とは言え情報あふれるネット社会では、けっこうツッコミを入れられるかも知れない。 例えば、こんなふうに。 「いくら外見と声が瓜二つでも、かたや貧民窟の子でかたや君主の子では育ちの違いが立居振る舞いや言葉遣いなどにあらわれるはずだから、服を取り替えても(下僕が)王子をこじきと間違えるはずはないし、その逆もしかり。王子の格好をしたこじきのトムに異変を感じないはずがない」。 確かに当たっている。同時に、当たっていない。 なぜなら、それと同じくらいの確率で次の指摘も当たっているからだ。 「人間は、何のかんの言っても、まずは見た目で対象を判断する。そして、その第一に受けるイメージが、後々まで対象への評価に強く影響を及ぼす」。 そうなんである。 いくら王子のエドワードが王子然とした雰囲気と風格のある佇まいを示し、かつ、格調あるものの言いようをしていても、見る者の視覚にまず飛び込んでくるのがいかにもこじきらしいボロ服であったなら、その時点で王子エドワードは見る者側からすればこじきと認識され、断定されてしまうのである。 この部分。まさに人間心理の本質をニクイまでについていると感じない? さすが、基本的には子どものために書かれた物語だけのことはある。 子どものためのオハナシこそ、時にエグいまでの「真実」を示す必要があるのだ。 児童文学を軽んじてはいけない。 大人向けのオハナシには、難解で抽象的な語句を羅列し、半ばコトバ遊び化して焦点をぼかしたたものもあるが、子どもにはそういうのは通用しないからねえ。読み手である子どもの関心を引き出し、共感を得ないと、子どもは途中で本を閉じてしまう。 そのためには、やはり、少々キツいが、核心にはズバリと触れないと。 「見た目で判断することの是非と危険性」 などは、それから当の子どもに考えさせ、実生活の中で学習していったらよい。 写真は、少年時代の作者マーク・トウェイン(public domain)。
2021.01.26
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(注)1月14日に書いた記事。 昨日の記事で、「人生ドブ川論」を唱える人と、そんな発想すら浮かばない人との差は、結局はその人を根本面でかたどる「核」なのではないか、と書いた。 では、核なるものは、何か? くだいて述べるなら、その人をその人たらしめる軸(ほら、時間軸とか自分軸とか言うでしょう)。 これが、核だ。 核は、生まれつき備わっているタイプのものもあれば、家庭環境や生育の過程などで生まれるタイプのものもある。 核が性格を作り、性格がその人ならではの言動を呼ぶことを考えれば、自分の核を自覚することは非常に重要だ。 こんな同業者がいた。 「30代前半で離婚したんだけれど、その時、総白髪になって。もう、(離婚に関する一連が)終わるまで、大変な思いをしたから」。 プライバシーがあるので詳細は書けないが、主なる離婚原因は、結婚後に発病したご主人の病気の介護に疲れ果てたことだった。 離婚した後も、ご主人側に慰謝料や子どもの養育費は請求通りには期待出来ない状況で、しかも事実上逃げるように家を出たため、たちまち生活苦。 私と知り合った時は、3種類の仕事を掛け持ちしてしのいでいた。 それでも、彼女は私と話している間中、 「人と会うのが好きだから、接客業が向いている」 「働くことは楽しい」 と、幾度もなく繰り返し(誇張でないことは口ぶりと表情でわかる)、 「ちょっと前に子猫を拾ってきて、子どもたちと一緒に毎日その成長ぶりに目を細めている」 と付け加えた。 私は首を傾げた。 この原始的なあっけらかんさは何なのか? 彼女の話をさらに聞いていくうち、わかった。 彼女は、母親の勤務先である工場で皆に育まれて大きくなり、そこで愛されることと愛することを知ったのだ。 彼女が小学校に上がるや、シングルの母親は某工場に職を得、彼女は学校が終わって帰宅した後、17時に仕事を終えて帰ってくる母親を待つという鍵っ子生活に入った。 そこへ工場主の奥さんの一言が。 「〇〇さん(母親の名前)、子どもさん、あんたが仕事終わるまでうちへ来てうちの子たちと遊んでもらってエエよ。6つや7つの子に1人で留守番させたらアカンで」。 工場主の子どもたちはあけっぴろげで、彼らと過ごすことはとても面白かったそうだ。 「工場主は子沢山だったから、そこへ私が加わっても主人も奥さんも何ともなかったみたいで。工場のおっちゃんやおばちゃん、お兄さんやお姉さんも、暇があったら相手してくれた。すごく幸せな子ども時代を送ったと思う」。 極め付きは、工場主一家と従業員たちが一緒になって行う、年に一度の餅つき。 今もあのワクワク感を忘れないそう。 母親の勤務先である工場の人たちに囲まれて成長した彼女語る、餅つきの「ワクワク」。 彼女の核はまさにこれで、核があるからこそ、彼女は状況のいかんを問わず、ブレないのだ。 彼女も、基本的には、心に決してドブ川を見ない人だと思う。 では、「人生ドブ川論」を唱える人の核とは? これはわからない。 もしかすると、何らかの理由で核を捨てた結果、深層にドブ川が流れ始めたのかも知れないし。 ともあれ、「わからない」核も尊重したいものだ。 皆、生きているのだから。 さらには、間違いなく、この世はわからないことだらけで、それだから人がそこに居続ける意味があるとも言えるのだから。 写真は、ドブ川とは程遠い鴨川。
2021.01.26
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(注)1月13日に書いた記事。 デモンストレーターの仕事に就いて数年経った頃。某大型量販店で、1人の同業者と知り合った。 デモ場所が向かい合わせの上、パッと見の年齢も同じくらいだったことから互いに親しみを感じたのだ。 彼女とは昼休憩を共に取り、ついでに帰り道も途中まで同伴。合算して2時間近くも話をした。 その彼女。何かの話題の折、私にこう言った。 「これまで私が歩んできた道なんて、ドブ川みたいなもんよ。ゴミやら廃油やら排泄物やら小動物の死体やらが、泥と溶け合った土色の半液体の上を、悪臭を漂わせながら、プカプカと流れて行く」。 私は驚きを超えて衝撃を受けた。私自身は、自らの軌跡をドブ川に例えるなんて一度もなかったどころか、思いついたことすら皆無だったからだ。 そりゃ、ありましたよ、生活のためダブルワークやトリプルワーク、たまにクアトロワークをしなければならず、疲労からメンタル面もやられ、時に衝動的な気分にかられることは。 とは言え、それはあくまで一過性のものだし、ぶちまければそのような状況に陥っても私の心にドブ川は決して流れなかった。 裏返せば、いかに私が苦労知らずなノホホンとした人生を送ってきたか、そのことの証明である。 もっとも、彼女と話して十数年の年月を経た今日では、彼女は別の意味合いで「人生ドブ川論」を口にしたのかも知れない、とも想う。 彼女の言葉を借りれば、「ゴミやら廃油やら排泄物やら小動物の死体やらが、泥と溶け合った土色の半液体の上をプカプカと流れる」現実のドブ川にも、ごく稀に落とされたか訳あって捨てられたかした年代物の人形や玩具とか高級な着物とかゴージャスな花束が流れてくるように、心のドブ川にも暗鬱で陰惨な出来事ばかりでなく爽やかで明るい体験も流れてくるはずで、要は 「それだから人生」 と、彼女は言いたかったのだと推察出来ないこともない。 実際、「人生ドブ川論」を口にした時の彼女は、決して悲壮な面持ちではなく、ある種諦観したみたいな虚無感が漂っていた。 「人生ドブ川論」を唱える人と、そんな発想すら浮かばない人。 この差はいったいどこから? 持って生まれた性格? 家庭環境? 生育歴? いずれもが関与していることだろうが、1番重要な要素は、その人を根本面でかたどる「核」なのではないか。 この「核」について、次回で考えてみたい。 本当にこの宣伝販売という仕事。人間観察はもちろん、個々の人間が持つ闇や光についても教えてくれる、素晴らしい職業だ。 写真は、大阪南部にある某川で遊ぶ孫たち。 むろん、こちらはドブ川ではない。
2021.01.22
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(注)1月11日に書いた記事。 イベント会場でのレジ業務も今日で4日目。 還暦を過ぎ、一度に多くの事柄は覚えられなくなり、かつデジタル弱者である老婆の私も、2日目の午後になってやっと一通りの業務をこなせるようになった。 はあ、IT時代に対応した、多機能レジが打てるようになるまで1日半かかったわけだ。 「バァさん、アタマが固い。オボエが悪いよ」 との声が、どこからか飛んできそうだな。 それにしても、イベント会場がある大阪の地下街は、この2日間は人で人でいっぱいよ。ミツもミツ。とても、大阪府知事が 「14日以降は緊急事態宣言が出た東京と同じ措置をとる」 と言ったまちとは信じられないよ。 「不要不急の外出は控えるように」。 オカミが、喉を枯らして絶叫し、嘆願したところで、言うことを聞かない人は聞かない。 或いは、もうコロナ慣れ(?)してしまったのか。 まあ、自分ないし自分の周りだけは大丈夫、感染したら感染した時のことサと思っている人が多いのではないかな。 人間、基本的には自己チューだからねえ、、、。 その証拠に、こんな事態になっても県をまたいで旅行する人が、昨日に出会ったお客様の中にもいた(他県から大阪見物に来ていたのだ)。 はあ? 仕事や冠婚葬祭なら仕方がないが、レジャーの場合は、自制出来ないものか。 大阪が消えてなくなるわけではなし、コロナ禍が落ち着いてからゆっくり大阪を旅したらええやん。 マスクして、アルコール消毒液を振りかけながらの旅なんて、心からくつろげないと思うけれど(個人的には)。 写真は、大阪の某イベント広場でパフォーマンスを披露していた大道芸人のお兄さん。
2021.01.19
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https://youtu.be/jzSGQxFESSA 歌っているアダモ自らが作り、世界的に知られたこの曲には、忘れられぬ思い出がある(ちなみに、日本語詞を書いたのは、安井かずみだったっけ?)。 デモンストレーターになって2年目の2005年1月。片道4時間半かけ、京都の福知山経由で兵庫県城崎郡まで仕事に行った(遠方手当の額に惹かれたのだ)。 城崎郡はその日は大雪。現場の最寄駅に着いてみれば、通り道すら、腰近くまで積もった雪。それを、時にかき分けかき分け、現場の店にたどり着いた。 帰りは積雪の上にみぞれが振り注ぐ。電車は遅れながらも乗り換えの福知山駅まで着いたものの、そこでまたも立ち往生。「京都発福知山行き・折り返し京都行き」となる電車が、雪で速度を大幅に落として運転しており、いつ福知山に到着するか予想がつかなかったからだ。 当時、福知山駅のホームにはうどん屋などはもちろん喫茶店もなく、自動販売機のコーヒーや紅茶を何杯も飲んで暖をとりながら、線路に降り注ぐ雪をながめ、 「雪は降る。電車は来ない」 と、心で歌い、気持ちをなだめていた。 寒かった。芯から寒かった。無事に京都まで帰れるかどうか、その心細さもあって、寒気が身に染みたものだ(幸い、遅れて福知山に到着し折り返した電車で、京都駅からの地下鉄の最終に乗れる時間に帰ることが出来た)。 今でも雪のシーズンとなってこの歌が流れてくると、あの福知山駅での情景が鮮やかに蘇る。
2021.01.16
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(注)1月9日に書いた記事。 イベント会場のレジ打ち、2日目。 イマイチ苦手だったスマホ決済も何とか出来るようになった。 その他、諸々も。 もっとも、認めにゃ。 加齢と共に確実に物覚えは悪くなっている。 と言うか、一度に複数のことが覚えられなくなってきている。 当然ながら、マルチタスクもこなすことがしんどくなってきている。 ADHDの傾向がある私は尚更。 でも! 悲観することなかれ。 ADHDなればこそ、それをカバーする方法を自分なりに編み出した。 すなわち、入念にメモを取り、その結果を整理分析して作業をフローチャート化。さらに、重要な点は、おのおの色分けにするということ。 これで、視覚的にも仕事の流れが把握しやすくなり、ADHDに多いうっかりミスや早とちりを、かなりの確率で防ぐことが出来る。 基本はメモ。 ほんのちょっとしたことでも、メモろう。 後々、それが無駄になってもいいから。 私がこのことを思いついたのは、恐れ多くも、文豪ドストエフスキーの次のエピソードによる。 てんかんの持病を持つドストエフスキー。発作を起こすたび、プラスその他の理由もあって、記憶力が落ちていった。 それを補うため、彼は創作ノートを作り、作品のアイディアやらプロットやら登場人物のキャラクターやら思いついたセリフやら、まめに記入していったとか。 その結果、我々は彼の傑作に触れることが出来るのだ。 てんかんやADHDを障がいととらえるのなら、それは、工夫次第でいくらでも補えるばかりか、その工夫を重ねる時点で、かえって独創性を生み出せる。 皆、いろいろなものを抱えて生きている。 おのおの卑屈にならず、自分の生と同じくらい他人の生も尊重しようね。
2021.01.15
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(注)1月8日に書いた記事。 今日から大阪で6日間連続で仕事。 イベント会場でレジを打つことがメイン。 スーパーやコンビニでのレジ経験はあるんだけれど、私がやっていた時はほぼすべてが現金での支払いで、後はせいぜい商品券かお米券くらいだったからねえ。 今みたいにクレジットカードだの電子マネーだの交通系カードだのスマホ決済(何とかペイというやつ)だのなかったから、そのぶん楽だったんだなあと、あらためて思ったね。 あと、◯円までどこそこのポイントでとか、携帯にクーポンをダウンロードしてきたからそれを使うとか、覚えることが多くて、目が白黒。 もっとも、慣れると、クレジットカードや電子マネー、スマホ決済の方が、現金の受け取りがないぶん、気を使わなくていい。 ただ、加齢ゆえか、一度に多くの事柄が覚えられなくなっている老いた脳(?)には、そうすんなりとマスター出来ない。 ここいら、パソコンやスマホ、ネットの操作と同じ。 それにしても、町のうどん屋さんや酒屋さんでもこういうことに対応しないといけないのが現在ならば、 「昔より接客仕事は大変になってきたなあ」 と、素直に思う。 まあ、しかし、これからの時代、覚えておいてソンはないかも知れない。 写真は、今日の現場付近で写したもの。
2021.01.13
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(注)1月5日に書いた記事。 9年前、近畿地方にある某県の店で、ペアを組んで洋菓子のデモをした女性は、演劇を志していた女性。 彼女も語っていたな。 「宣伝販売の仕事は人間観察に持ってこいですね」 と。 芝居をやっているだけあって、均整の取れた身体つきで、とても姿勢がよかった彼女。あれから11年。彼女はどうなっただろう? 個人的には、何とか踏ん張って、執念で夢を果たしていて欲しいと願っている。 はあ。執念なんですよ、夢を叶えるのは。 演劇に限ったことではない。音楽でも、お笑いでも、文学でも、漫画でも、芽が出て認められるために必要な最大のものは、究極のところ、執念! いや、一般の職業でもそうだぞ。 起業したり開業したりして、経営を軌道に乗せるまでは、「我慢」と「執念」。 いずれにせよ、目標を持って生きることは、素晴らしいことだ。 写真は真ん中の孫。
2021.01.12
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(注)1月4日に書いた記事。 2021年も、はや4日が過ぎた。 8日からの6日間連続仕事の準備は、心理面も含め、何も出来ていない。 まあ、何とかなるか。 ではなく、何とかならさないといけない。 2021年の最大の目標は、現在、映像の形で各シーン(詳細プロットとも言う)が流れてきているフィクションを、何としてもまとまった形で完成させること。 プラス、他にも 「これ、オハナシに発展させたら面白いよな」 という、現場体験から見つけた素材が幾つかあるので、それらを可能な限りストーリー化すること。 それにしても、この仕事。 物書き以外にも、漫画を描きたいとか、ドラマを作りたいとか、劇をやりたいとか、そういう人にはぜひ体験して欲しい仕事の一つだと思う。 接するのは、性別も年齢も職業も階級も居住地も異なる人たち。 だから、日々ハプニングハプニングで、ネタには不自由しないどころか、ネタの方で勝手に飛び込んできてくれるはずだ。 こんなに学ばせてくれて、与えてくれる仕事は、他にそうそうない。
2021.01.11
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(注)1月1日に書いた記事。 皆さま、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 7歳を頭に3人の子どもを連れて帰省した娘が、一番上の孫についてこう愚痴った。 「読書や作文は大好きだし、理科の実験やお絵描きや料理も喜んでやるのに、ものの管理が苦手なんだよね。整理整頓も全然」。 おやおや。 「ものの管理が苦手で整理整頓ができない」 のは、まさにばあばのこの私やないの。これのおかげで、今までどんなに人生をソンしてきたことか(還暦を過ぎて気がついたが、多分にADHDの傾向がある)。 もっとも、だからこそメモ魔になったし、手帳を業務別に色分けして「うっかり」を防ぐとか、掃除はプロの掃除家のやり方を参考に「自分のマニュアル」を作りそれをルーティン・ワーク化することでこなすとか、アイディアを浮かばせることも出来た。 欠点はマイナス面ばかりではない。工夫と発想次第ではプラスに転ずる。 幸い、ADHDへの理解も進み、その長所を生かす教育法も注目されてきた。 減点法ではなく、加点法ね。 人間、皆、程度の差こそあれ、障がいやら欠点やら、何らかのハンディをかかえて生きている。ミスが許されない減点法だけの社会は息苦しいし、そんな中からは新しいものも生まれてこない。 コロナで始まり、コロナで終わった2020年。従来の価値観は揺らぎ、人々の意識も変わりつつある。 2021年は、ぜひ、社会全体に加点法の視点が広がって欲しいものだ。 そのことも、コロナと共存しつつアフター・コロナ社会にスムーズに移行する秘訣の一つという気がする。
2021.01.10
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(注)1月1日に書いた記事。 暮れの29日から娘一家が帰宅し、今日の1日まで滞在。 正直、クタクタに疲れた。 滞在人数が増えるぶん、調理量も洗濯量も、他の細々とした雑用も増える。 何より、孫たちについていくのが大変。 孫のキャラによっては、いっときも目が離せないタイプがいるからだ。 まあ、年に一度か二度のことだとわかっているから踏ん張れる。 本音では、疲れているじいじばあば宅は多いのではないかと想う、、、自分が親の時はじいじばあば世代の気持ちはわからなかったけれど、いざそう呼ばれる年齢になってみれば。 ここいらも、また、順繰りなのだろう。 写真は、厄除けで知られる安倍晴明神社での一枚
2021.01.09
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(注)12月30日に書いた記事。 年末年始の、娘一家帰宅、2日目。 本音では、嬉しい反面、メチャしんどくもあるわあ、、、静かな老夫婦2人だけの世帯に、7歳、4歳、1歳の子ども3人を抱えた若世代に、一時的にせよ、入り込まれること。 経済面ばかりでなく、心理的にも、体力的にも。 ここいら、年末年始に孫をも含めた子ども一家を迎える家庭は、痛切にわかって下さると思う。、 我がケースで言えば、特に、真ん中の孫。 活発なのは良いが、ああ、わかるかしら。 エネルギーが有り余っているのか、動きが、じいじばあばにすれば早過ぎて、付いていけないことがあるのよ。 いっときも目が離せない。 それでも、これは、幸せなしんどさだ。 写真は、今日、我が家で餅つきをした時のもの。
2021.01.08
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おいおい。首都圏一都三県だけじゃない。関西の三県もエライことになっているじゃないか。 そのうちの一つ、大阪で明日から6日間、仕事をする。 ううむ、、、。 仕事を打診された時点では、感染状況は落ち着きを見せていたような。 まさか、こんなことになるなんて、思いもよらなかった。 怖いよ、正直。 食品を扱う以上、絶対に感染してはいけない。 最大限に気をつけるが、、、ううむ??? ともあれ、以前の記事でも述べた通り、この仕事が終わったら当面の間は死ぬまでにどうしてもやっておきたいこと=生涯最後の心の贅沢を優先させるため、仕事は休む。 取り敢えずは「最後の仕事」なのだ。 感染対策をしっかりとして、仕事と人々との触れ合いを楽しんでこよう。
2021.01.07
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(注)12月29日に書いた記事。 娘一家が帰省してきた。 ご時世がご時世で、オカミからも 「年末年始。県をまたいでの移動はきょくりょく控えていただきたい」 とのお達しがあるので、いくら交通手段が自家用車でも、あまり大っぴらにしない方がいいのだろうが。 ここ数日は忙しいな。 自分の時間はほとんどなくなるだろう。 とは言え、孫たちも、成長したら自分たちの未来に向かって手を伸ばし、そのことで頭の中はほぼいっぱいになるはず。 離れているじいじやばあばの家に行くことを、家族イベントとして楽しみにしていてくれるのは、そう長期間のことではないやね。 ほんの2、3日、生活のペースを乱されることが、何であろう。 もっとも、お財布の方はねえ、、、。 はっきり言って、例年よりキツい。 私の収入が減っているのに、やはり例年通りすき焼きだの焼肉だの、皆で食べるし、菓子や果物、飲み物なども、 「(子どもや孫たち皆で集まることは)、頻繁にあることじゃないから」 と、これまた例年通りに多い目に買ってしまうからねえ。 特に今年はコロナ禍による収入減のため、年末年始用の費用をプールすることが出来なかったので、そのぶんこたえる。 と、これを書いているそばで、早くも孫たちの阿鼻叫喚が始まっている。 写真は3人の孫。
2021.01.07
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いよいよ明日から6日連続で仕事。昨日の記事にも書いたように、この仕事を終えた後は当面どうしてもやっておきたいことに専念したいので、取り敢えずは最後の仕事のつもりで、「真面目に」「誠意を尽くして」「感謝しながら」一つ一つの業務をこなしていこう。 自分なりにそうやって、それでもダメだったら、その時はその時だ。 その仕事と自分が合わなかっただけ。 決して 「私は能力がない人間だ」 と、卑屈になることはない。 63年間、パッとはしなくても、とにかく仕事をして、稼いで、生きてきたわけだから。 ここのところね、まだまだ若い人にはピンとこない人もいるみたいで、お客さんや我々外部の人間の前でも、高齢の従業員にキツい物言いをしているケース、今年でデモンストレーター歴18年目の私は、ちょくちょく見てきた。 いや、キツい物言いだけなら、仕事に関する事柄だからまだ許せる。 感じが悪いのは、その人が歩んできた軌跡や人格を否定するような言葉を口にすることだ。 「(こんな簡単なことも出来ないなんて)オタク、今までどんな仕事をしてきたの? よくクビにならなかったね」 「ウチだから、オタクを使ってあげているんだよ」 「オタクみたいなのを老害と言うの。仕事は遅いし、人の手を煩わせて引っ掻き回して」 これってねえ、、、。 仮に真実だったとしても、相手はアンタの親かもしかすると祖父母の年齢の人だよ。 皆、それなりの生活歴を持ち、その中で必ずや色々学んできている。 確かにデジタルには疎いし、動きも若い人から見ると鈍いかも知れない。 でも、それらだけで人を断罪するなんて、傲岸不遜の極みだと思う。 このような人に必要なのは、想像力。 想像力からは共感力も生まれる。 共感力は互いに共鳴し合い、困難を打破する力ともなりうる。 残念ながら、この想像力に乏しいタイプは、今、増えていると思う。 写真は、スポーツの神様もいる、京都の白峯神宮にて。
2021.01.07
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首都圏。再び、緊急宣言。 私の周囲の人たちは、 「これ、いずれ、関西にも飛び火するよ」 なんて、怖いことを言う。 明後日から6日連続でレジ打ちの仕事に入る。 63歳の、慢性の腰痛持ちの老婆に務まるかどうかと思案しても、そして、勢いから仕事を受けたとしても(仕事を打診された時、酒の販売のレジだと明かされ、「あっ、大好きな酒なら」と、即座に「行きます」とメール返信していた)、受けたことは受けたことであり、それはこなさにゃなあ。 もっとも、この仕事が終わったら、しばらく仕事は休みますよ。 死ぬまでに、どうしてもどうしてもやっておきたいことに取り組むためだ。 人生最後の心のぜいたく。 、、、なんて、正真正銘の試食販売の仕事があれば、入りたいなあ。 だって、必要とされている喜びをダイレクトに感じるもん。 写真の通り(2年前、近畿地方の某店の青果部門にてのデモンストレーション)、アグリーな還暦過ぎの婆さんが現場に経っても、それなりの成果があるんだよ。 この仕事は天職だ。 もっと、もっと、皆に知って欲しい。 そのためにも、「どうしてもやっておきたいこと」に取り組むのだ。
2021.01.06
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(注)12月29日に書いた記事 今日は美容院へ行ってきた。 コロナ禍で仕事激減=収入激減(12月だけを例にとると、いつもの年の5分の1以下)の折、美容院もやめておこうと思ったが、やはりすっきりしたヘアで新年を迎えると気分も違うだろうからねえ。 さて、ブログとは別に書き始めたフィクション(16年前、ゲーム依存症の親にネグレクトされ、スーパーの試食でお腹を満たしていたあの子はどんな大人になっただろうかと想像していたら自然に出来上がってしまったストーリー)の話題。 映像として流れてくる各シーン(詳細プロットとも言う)を、手帳や携帯のメモアプリに随時書き留めてきたが、それもいよいよ大詰めを迎えた。 各シーンを順不同ながら最後までザーッと流した後は、時系列を整理して、細かい部分を調整したり、フィクションの内容に必要な資料を集めたりしながら、本式に書いていく。 恐らく、年明けからスタートね。 と、ここで、あらためてイマジネーションの羽を膨らませた。 我が創作したオハナシはオハナシとして、実際の彼はどうなったのだろう? 私が気になったことは、彼が菓子パンやらお菓子やらウインナーやらうどんやら店内の試食巡りを繰り返していたことや、ガツガツとした食べっぷりの他にもあった。 下着を身につけていなかったことである。 秋冬物のパーカーとトレーナーとズボンといった服装だったが、トレーナーの下がいきなり裸だったのだ。 これだけをとらえても、いかに親にかまってもらっていなかったかがうかがえる。 本当に、あの子、どうなったのだろう? 写真は、一番下の孫。 ちなみに、大根は採れたてを丸かじりすると美味しいのよ。 シャキシャキした歯応えで甘味もあり、これぞ大根と膝をたたきたくなるほどの旨味を堪能出来る。
2021.01.05
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(注)12月26日に書いた記事。 8月末のこと。とある生鮮品の推奨販売で訪れた京都市内の某大型スーパーの一角で、ふと私は足を止めた。 そこには、数えきれないほどデモを担当させていただいたメーカーの秋の新商品が派手な写真入りパネルやPOPと共に山積みされており、しかもその山の崩れ具合からして、よく売れていることを暗黙のうちに示していたからだ。 「宣伝販売員が入らなくても、じゅうぶん売れているやん」 思わず心の中でつぶやいてしまった。 さらに想った。 「これが2回3回と続いたら、メーカーも考えるかも」 そうなのだ。決して安くはないギャラを払ってデモンストレーターを起用しなくてもウチの商品は知名度とネットやテレビCMや店頭ディスプレイのチカラで一定数は売れる。ならばコロナ禍で企業損益も奮わない折ではありそういう部門はカットしていこう。 メーカーがこんなふうにとらえるようにならない保証が、どこにあろう? 現にMR(医療情報担当者。製薬会社営業)の世界にこの傾向があらわれてきていると言う。 としたら、薬品に比べ段違いに価格が低い食品の場合は、もっとこの傾向があらわれる? とは言え、消費者側には、 「新商品の味がみたい」 と望む人は、これまた一定数はいるわなあ。 この2月にデモを行ったE社のレモン味の焼き肉のタレもそうだった。 「CMで見た時から、どんな味か、気になっていた」 とおっしゃるお客様が多く、試食が次から次へと出たものだ。 このようなお客様が、ある単位を作るほどには存在している限り、コロナ収束後に食品宣伝販売は必ず復活する。 しかも、薬品などのようにリモート営業やリモート販売は出来ないから、やはり必ずお客様が実際にいる現場での実施になる。 ただ、仏事同様、デモ回数の減少は避けられないだろう。 写真は、一番下の孫。 この子が成人した時、デモンストレーターの仕事は、、、いや、新しい商品を開発するメーカーとそれを知りたい消費者がいれば、必ず必ず残っていることだろう。
2021.01.05
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(注)2020年12月25日に書いた記事。 昨日は、クリスマス・イブ。 もっとも、今年ほどクリスマスを感じない12月も珍しかった。 と言うのは、例年なら、12月の声を聞くや、街のそこかしこで「ジングル・ベル」やら「サンタが町にやってくる」やら「ホワイト・クリスマス」やらのクリスマス・ソングが繰り返し流れるのに、今年はそうでなかったからだ。 街のクリスマス・ディスプレイも、地味味だったしねえ。 さて。 知人の葬儀関係者、詳細にはお寺関係者によれば、コロナ禍のもと、法事はかなり減ったし、葬儀自体も簡素化されたそうな。 まあ、葬儀をしてもらう我々の側からすれば、こんな折、いたしかたがないのではないかとの思いもある。 ところが、葬儀をする側にすれば仕事だから、収入減は否めず、これはイタイわなあ。 とは言え、これがコロナ禍なる、あくまでイレギュラーな事態のもとでの一時的な現象なら、くだんの知人も 「ここは耐えどき」 と踏ん張り、未来に希望を託すことが出来る。 彼が本当に憂いているのは、この本来であれば「一時的な現象」に皆が慣れてしまい、コロナ収束後もそれが続いてしまうことだ。 「なーんや。葬式って本当にうちうちだけで簡単にすませてもええやん」 「法事も、参加するのは子どもや孫など、直系だけでいいのと違う? 兄弟やその配偶者や他の親戚も呼ぶとなると、皆それぞれ住んでいる場所や仕事の関係もあるから、調整が大変やし」 「法事も、もう回数を減らしたらええのんとちゃいます? お寺さんは残念やろうけれど」 コロナ禍の間にこういう考えが一般に広まってしまう可能性がある。 彼の危惧はここにある。 悲しいかな。この危惧は、私たち宣伝販売の世界にもあてはまる。 次回、詳しく述べたい。 写真は、カニを食べる真ん中の孫。
2021.01.03
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暮れの29日から娘一家が帰宅し、今日の1日まで滞在。 正直、クタクタに疲れた。 滞在人数が増えるぶん、調理量も洗濯量も、他の細々とした雑用も増える。 何より、孫たちについていくのが大変。 孫のキャラによっては、いっときも目が離せないタイプがいるからだ。 まあ、年に一度か二度のことだとわかっているから踏ん張れる。 本音では、疲れているじいじばあば宅は多いのではないかと想う、、、自分が親の時はじいじばあば世代の気持ちはわからなかったけれど、いざそう呼ばれる年齢になってみれば。 ここいらも、また、順繰りなのだろう。 写真は、厄除けで知られる安倍晴明神社での一枚。
2021.01.01
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