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1月23日の火曜日は、兵庫県伊丹市にある某駅前店で、人参ジュースのデモ。現場に向かう行きの電車内は、通勤時間帯にあたることもあって、満員も満員、すし詰めだった。四方八方から押されたり引っ張られたり。ほんの少しの身動きすら取れず、痛さと息苦しさで、現場に着く前に既にへたばってしまいそう。もっとも、会社員時代は毎朝こんな有様だったんだよね。このことだけでも、あの頃は体力があったのだなあと、つくづく思った次第。それにしても、コロナ禍を機会に「ラッシュアワーよけ」の意味あいからも注目されたテレワークが、いざコロナが明けてみれば当初に予想されたほど浸透していないのは、なぜなのか?まあ我々のような小売販売業や医療福祉関係業の現場業務なら、どうこう言っても対人接客は欠かせないためテレワークは難しいだろうが、その業種とて、人事や総合的な経営企画や計数管理などの裏方作業は、かなりの部分でテレワーク化出来、したがって「痛勤」からも解放される人が多いと、個人的に感じる。写真は、当日の現場、阪急伊丹市から。
2024.01.31
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六条御息所ネタを続けよう。源氏物語の現代語訳を完結させた作家の瀬戸内寂聴氏は、ある対談で語っていた。「私は、源氏にゆかりがある女性の中で、実はこの六条御息所が1番好きなんです。あんな嫉妬深い女のどこがいいのと聞かれそうですが、人間的、あまりに人間的じゃありませんか」。確かに。嫉妬というと女性の専売特許みたいな感もあるが、どうしてどうして。男性も負けず劣らず、いや、女性以上に自分や自分の「内側」にいる者以外の存在への妬み嫉みは強い。それどころか、往々にして陰謀や策略に絡めた「チカラ」と結びつき、「外側」とされる者をぐうの音も出ないまでに打ちのめす。ここいらの陰湿さと残虐さは、並の女性には真似出来るものではない(まあ例外はあるけれどね)。人間、性別に関係なく、そして程度の差こそあれ、基本的には自分がかわいくて仕方ないイキモノ。このことを、作者の紫式部は「作家の勘」で知っていたのだろう、源氏と関わりを持つ女性の多くを、さらには当の源氏をも、最終的に出家させている。もっとも、はるか昔のやんごとなき方々も、ハイテク時代に生きる下々の我々と同じように煩悩に悩まされていたことを想うと、ホンマ、人間っていつの世にも考えることは変わらないのだなあ。絵は、上村松園えがいた六条御息所(Public Domain)。
2024.01.26
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先ごろ急逝した八代亜紀のラスト盤「想い出通り」(5曲入りのマキシシングル。実質ミニアルバム)に、「六条御息所の恋」という歌がおさめられている。タイトル通り、源氏物語の主人公である光源氏の恋人の1人であった六条御息所の源氏に対する狂おしくも切ない思いを、八代亜紀ならではのハスキーボイスで情緒ゆたかに歌い上げたものである。超絶イケメンにして、和歌や書や音楽などに秀で、さらに万人に好かれるキャラをも備えた光源氏は、当然ながら女性にもモテモテ。結果、女性遍歴を繰り返すこととなる。この六条御息所も源氏のとりこになった1人。ただ前東宮妃(前皇太子妃)ということもあってプライドの高い彼女は、源氏の前でなかなか自分の恋心をさらけ出せない。その抑えた心はやがて燃え盛る嫉妬の炎となり、ひいては生霊および死霊と化して、後に源氏が愛する夕顔や源氏の正妻の葵の上を呪い殺し、源氏の後妻の女三の宮にも取り憑くまでに。まあ一途な女性だったのだろうが、、、ううむ?それにしても、男と女のことは、今も昔もそんなに変わっていない気がする。ということは、人間はいつの時代にも基本的には同じで、源氏物語が読み継がれている理由もそこにあるのだろうね。写真は葛飾北斎が描いた六条御息所の画(Public Domain)。恋にのめり込んだ者の怖さと同時に、それゆえの哀れさをも感じさせる姿だね。
2024.01.26
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先だってのカップ飯での宣伝販売中におこった、ポット(エージェンシー送り込み)のトラブル。お湯を注いで作るカップ飯は、当然ながらそのお湯を沸かすポットなり鍋なりが正常に機能しないと試食品も作れないから、本当に困ってしまった。原因の1つは、やはり私が「不調の証拠になるかも」と撮った写真が示す通り、プラグ部分の錆びだろうね。同時に、ちょいとひっかかった。このポット、プラグの横に、2010年製造とあるシールが貼られているよね。つまり、14年前に(エージェンシーが)購入し、今日まで使われてきたものなのだ。ぶっちゃけ、そんなに古いポットを宣伝販売の現場で使うのもどうなんだろうなあ、、、と、少し首を傾げた次第。何かで、ポットに限らず電化製品の寿命、少なくとも搭載された性能をいかんなく発揮できるのは、長くて10年前後という記事を読んだことがあるので。それを考えたら、、、?まあ、メーカーもエージェンシーも派遣会社も企業である以上は利益を出さねばならず、経費の問題も避けては通れないんだろうけれど、割り切るところは割り切らないといけないと思うんだよ。写真は、当日現場の最寄駅であった野洲駅から、18時台に写したもの。雨混じりの粉雪がちらつき、寒い寒い、芯から凍る夕暮れだった。
2024.01.17
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(注)6年前の今日、書いた記事。10日からの「大阪は南港発・韓国は釜山着」のクルージング。行きの船内で日本人は私一人だったことは、書いたよね。おかげで、全くわからない韓国語が飛び交う中、望んでいた異邦人感覚を存分に味わうことが出来たのだが、それでも帰りの船内で食事どき、明らかに日本人が話す日本語を耳にした時、思わずそちらに歩み寄っていた。「あの、日本の方ですか? ここにお席をとらせてもらってかまいませんか? 行きは日本人は私一人だったんです」「ああ、どうぞどうぞ」。私たちの会話を聞きつけたのか。すぐに70代と思しき老婦人二人組がやって来た。「私たちもこのテーブルで食事をしていいですか?」さらに、数分後。「こちら、空いてます?」と、やはり高年の夫人。ああ、やはり、人は求め合うものなのねえ、、、仲間(ここでは日本人という国籍)を。姿形が同じモンゴリアンである韓国人と日本人の間ですらこうなのだから、見た目が違う人がほとんどであろう地、仮にアフリカの赤道直下の国を我々が訪れていたなら、その思いはもっと強くなったのではないかしら?いや、別に日本人でなくても、中国人でも韓国人でもモンゴル人でも、とにかくモンゴリアンの顔立ちを見かけたら、それだけで互いにものすごく親しみを感じるのではないかな。こうして想像してみると、広い世界の中で隣国通しガタガタもめているのがナンセンスであることが、よくわかる。さて、この仲間意識。ひいては、ノスタルジーに繋がると思う。ノスタルジー。これ、私たち宣伝販売界でも、実は売り込みの重要なファクトよ。続きを楽しみにしていてね。写真は釜山からの帰り、フェリーが関門海峡を通過する時に写した夜景。
2024.01.17
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昨日は大変だった。滋賀県中部の大型スーパーで、お湯を注ぐだけで出来上がりとうたうカップ飯のデモを担当したのだが、試食品作りに必須のポット(エージェンシー送り込み)がトラブり、思うように試食が出せなかったからだ。当然、売上はボロボロ。送り込みポットは国産の有名メーカーもの。にもかかわらず、なぜか第一回目からお湯がなかなか沸かず、「あれ?」と首をかしげたものだ。疑惑は2回目のお湯沸かしで決定的になった。ポット内の残量が少なくなったので水を足して再沸騰させたところ(温度は自動調節)、何分経っても赤ランプが「沸騰」ボタンの箇所に灯らない。第一回目に沸かしたお湯を保温していた時の「保温」ボタンのまま。つまり、差し込んだコンセントから電気がポット側に流れていないのだ。こういうケース、ポットでなくレンジでもグリル鍋でも、たまにあるのよ。大勢のデモンストレーターが、いろいろな店舗で、繰り返し使うからねえ、、、試食メニューによっては、それこそ1日中だ。使用頻度も多ければ宅配で移動することも多く、電化製品は繊細なだけに、ほんの少しのことでいたんでしまうのかも知れない。ただ、このようなアクシデントがあっても、ほとんどの店舗は、社員食堂や惣菜部門で使っている電化製品を貸してくれる。それが、昨日の現場はダメだと言う。「皆(店舗従業員)が使うものですし、わけてもポットは1つしかないのでね」。入店直後の挨拶の反応、及びその後の流れからして、この発言は同店の売場担当者の個人的な意地悪ではなく、おそらくそこの店舗ルールなのだろう。だとしても、ああ、困った、仕事が出来ないじゃないの!デモ担当商品はお湯がないと作れないんだから!まあ、デモと販売場所を提供している店舗側にすれば、「電化製品のトラブルはそちら(メーカー側)の責任であり、管轄。われわれが何故われわれの電化製品を貸さないといけないのか。本当に必要なら買うのがスジじゃなくて?」と、こんな発想になるのだろう。実際、私も、派遣会社が送ってきたレンジが故障していて、そこの家電売場で買ったことがあるもんね、、、もう20年近く前の話だけれど(レンジ代はもちろん派遣会社持ち)。再度。こんなわけで、昨日の売上はボロボロとは言え、私の責任ではないやね。派遣会社もエージェンシーもメーカーも「そんなわけなら仕方がありませんな」と納得してくれているし。写真は、問題のポットのマグネットタイプの差し込み部分。錆びているよね。電気がポットに来なかったのは、これが主な原因ではないかとみている。帰宅してネット検索をかけたら、「電気接点復活剤」なるスプレーがホームセンターで売られているのだそうだ。
2024.01.14
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真冬の、陽が差さない日にありがちな、鉛のように重く冷たい空。こんなもとでの寒気は強烈だね。しんから温まるものが欲しくなる。具体的には、汁物や鍋物、お粥や雑炊など。そのお粥(レトルトタイプ)を、1月6日7日と宣伝販売している最中、試食したある人に言われた。「味はいいんだけれど、この舌触りがちょっとね。はっきり言って、お粥を通り越して重湯みたい。こんなんは私自身はあまり好きじゃないんよ。もう少しお米感がある方がいい。いや、あくまで個人の好みなんで、おねえさん(私のこと)、気にせんといてな」。いえいえ。気にするどころか、貴重な、そして、現在の食品会社の盲点とも言うべき点をついてくださったと、感謝しておりますよ。なぜなら、商品を企画製造したメーカーからして、「甘い」「辛い」「酸っぱい」「苦い」「旨い」の五大味覚を含む他の感覚部分(実はヒトが「味」として脳にとらえる時、大きな役割を果たす部分である)は、ややもすれば、なおざりにしがちだからだ。それでも、匂いをつかさどる嗅覚や器への盛り付けで訴える視覚などは、相応に気にする。でも、今回の触覚(食感)はどうか?触覚(食感)。これは、こういうこと。うどんを飲む込むつるっと感。おかきをかじるパリパリ感。プリンを味わうなめらか感。ずばり、さきのお客様おっしゃる、舌触りだ(化粧品に例えたら、肌触りね)。この舌触りって、、、まだまだ重点とはとらえられていないんだよね、、、、。確かに、うどんにしろおかきにしろプリンにしろ、まずは「味」なんだが、そこには触覚(食感)も含まれていることを忘れてはならない。写真は、この7日に岸和田の現場を終えた後、夫への土産に買い求めた岸和田の地酒、三輪福。
2024.01.12
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2024年の初仕事は、1月6日7日の、大阪は岸和田市にあるローカルスーパーでの、中華風味のレトルトお粥。この手の試食作りは、最近ではレンジを使うことがほとんどだが、今回は湯煎方式で。恐らく、メーカーはレンジの送料とデモンストレーターにグリル鍋を持参させる際につける荷物手当を天秤にかけ、決めたのだろう。レトルト食品とくれば、「あらぁ簡単じゃないの。既に出来上がったものを温めて(お客様に)提供したらいいだけだから」との声が、どこからか聞こえてきそう。確かに当たっている。お粥に限らず、カレーでもシチューでも惣菜でもね。ただ、それなりの、いや、それがゆえの難しさもないわけではない。特に、湯煎方式はね。湯煎そのものはバックヤードの試食調理室か従業員休憩室で行う(売場で行うとお湯が跳ねて危険なため)。それをスープジャーに入れて売場に運び、試食カップに注いでお客様におすすめするのだが、デモ場所によっては近場から冷気が押し寄せてくることもあり、そんなケースではパッパッと試食が出ないと、いくらスープジャーに保温性があるといっても段々ぬるくなるし、そうなると風味も落ちるし(いくら冷めても美味しいとメーカーがうたっていても、実際はぬるいおかゆなんてマズいよね)。つまり、試食のタイミングに、けっこう気を使うのだ。今回、両日とも、デモ開始前に立てた売上目標を、紆余屈折ありながらも最終的には達成できた。いつもこう。どうこう言っても目標を達成できなかったことは、滅多にない。意識しなくても、そこに気持ちが集中していることに加え、そんな姿勢にお客様や店舗従業員さんの共感、さらに運をも呼び込んでいるのだろう。成せばなる、は本当だ。幾度となく繰り返す。私は、この仕事が大好きだ。写真は、仕事を終えた後に写したもの。この岸和田商店街を抜けたところに、今回の現場はある。
2024.01.09
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(注)6年前の2018年の明日、1月5日に書いた記事。昨日の続き。手がけたビジネスが成功し社会的には成功者だったもののプライベートでは好き放題に生き、奥さんや子どもたちからは心情的に見放されてしまった、同級生のお父さん。当然、家族仲も良いとは言えなかったのだが、だからこそ、彼女は早くから人生設計が立てられたと言う。「うちの両親みたいな家庭を持つのはごめんだとの思いが小学生の頃からあり、では、そうするためにはどうしたらいいか、子どもなりに考え、情報を集めていた」。彼女が得た答の一つが、自分もずっと収入を持ち続けること。「母が父にあんな仕打ちをされても我慢したのは、率直なところ、一人では生きていけなかったから。じゃ、旦那がいなくてもやっていける仕事を持ったらええねん」。こうなると、進学先や就職先も具体性を持って選ぶことが出来る。さらに、それに付随する諸々の要素(学費やどんな勉強をすればよいのか、など)、ひいては共働きを続けるための条件(配偶者となる人の職業や性格、物事への価値観、等々)も。すなわち、彼女は、不仲だった両親を反面教師として自分の人生をデザインしたわけだ。それも、現実をしっかり踏まえて。これって、エンディングノートのスピリットと重なるよ。彼女の話で、私が一番共感したのは、「母も、人生の節目に自分を見つめ直す機会をもうけたら、余生はかなり変わったと思う」との語り。「そりゃ母も含めたあの年代の人は、個人の好き嫌いに関係なく、親に見合いを強制された結果イヤとは言えず嫁いで、そのままきた人が珍しくない。そういうのも理解した上で、やはり、、、ね! 父も晩年はおとなしくなっていたし」。彼女は、病気で身体が不自由となった結果、特別養老院に入れられ一度も妻(同級生のお母さん)の面会を受けなかったお父さんも可哀想だけれど、それと同じくらい最後の最後までお父さんを許すことが出来なかったお母さんも可哀想だと顔を曇らせた。気持ちはとてもわかる。エンディングノートは、死に支度ではない。「人はいつか死ぬ」ことを意識した上で現実を見つめ、そうだからこそ出来る新たな「始まり」ノートであり、それは、自分ないし他人への「許し」ノートでもあるのでは?恨みながら、呪いながら、あの世に行きたい?
2024.01.04
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(注)6年前の、2018年の今日、書いた記事。昨日は、粉雪舞う中、我が家から片道40分弱かけ、ビブレ(ショッピングセンター)内にある大垣書店へ。エンディングノートを買いに出かけたのだ。こういう類いの書籍(書き込み形式ではあるが一応は書籍だ)は、それなりの規模を持つ書店でないと売っていないからねえ。「えーーーーっ、まだ還暦なのに、エンディングノート?」と驚く方。ご存知かな、エンディングノートの持つもう一つの意味を?それは、現実認識をした上での、新たな人生スタート。あくまで私見ながら、自分にとっての「良き死に方」を想定してこそ、そこに向けた日々をコントロールすることが出来るのでは?なぜなら、良き死に方は良き生き方にもつながるから。「いやぁー、良き死に方なんてないよ。うちの父親がいい例」。こう言い放ったのは、学生時代の同級生。「うちは父親が経営者で、そりゃ会社を発展させて金銭的には大いに潤ったけれど、父の最後は哀れなものよ。さんざん好き勝手してきたから引退後は母に疎まれ、病気をしてからはさっさと養老院に入れられて」ここに至るまでの過程が過程ゆえ、お母さんはただの一度も面会に行かなかったそうな。「私たち子どももねー、父のことは好きじゃなかった、、、ただ、弟は、親子間野の愛情とは違う分野で父と男同士で感じ合う面があったのか、、、父の晩年には、割と、、、ね!」。さあ、ここからが、良き死に方は良き生き方につながるとの具体例。次回をお楽しみに。
2024.01.04
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(注) 7年前の2017年の今日、書いた記事。1月3日、初仕事。恒例になった押し麦の宣伝販売で、大阪南部にある大手スーパーを訪れた。「恒例になった」と、わさわざ書いたのは、毎年この日にこの商品を担当するのが、ここ数年来、特別な年(正月明けすぐの海外旅行など)を除いての、我が「年始イベント」になっているから。すなわち、この麦を混ぜたご飯にとろろをかけただけの「麦とろご飯」を、三が日の最終日にデモすることで、仕事に関しては「初」気分を味わい、気持ちも新たにさせてもらっているのだ。よく聞かれる。「三が日最終日とは言え、どうして正月も働くの? 生活が大変だった昔はいざ知らず」。ううむ。この質問、実は家族からもされる。その都度、私は答える。「一足先にご馳走三昧でダラリンダラリンの正月気分を抜けたいし、正月に働くと特別手当も貰えるんだよ。電車も混まないし、駅も人が少なくて、気持ちばかりでなく物理的にもゆったり」。もっとも、本当のところは、単なる貧乏性かもね。ある階層に属する方々には、「うちは、夫婦共々、死ぬまで働かないといけなきんです」と言っているし、人それぞれ価値観は違うから安易に発言出来ないけれど、10年後20年後の自分を想ってみて、「働いていない私」のイメージが浮かんでこないんですよ。どんなにゆとりがあっても、趣味やボランティアだけに生きるライフスタイルはしないし、出来ないだろうな。働いていないと不安なのだ。これは、収入だけの問題ではない。ま、働くこと、嫌いじゃないし。今年もよろしくお願いします。
2024.01.04
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2024年が明けた。我がセールストークの繰り返しになるが、今年は辰年。辰は龍。龍のように、上へ上へとのぼっていく年にしたいもの。この願をかけ、明日、夫と共に、我が家から徒歩20分強の距離にある神泉苑にお参りする。著名な貴船神社や八坂神社同様、ここも龍を祀っているのだ。さて。その昔、新年を機会に、人材派遣業の1つでもある、この宣伝販売業界を変えていきたい気持ちがあった。宣伝販売業は、出産や育児や世帯主の転勤や介護など、ややもすれば周囲の影響でライフプランの変更をよぎなくされがちな存在、つまり、現時点では特に女性に適したフレキシブルな労働形態を持っていると、個人的に感じている。プラス、自身の生活体験を活かすことが出来るなんて、何と素晴らしい仕事だろう。それなのに、当時の宣伝販売業界は、少なくとも現場で業務をこなすデモンストレーターは形態的にも「日雇い」、否、それ以下の「駒」の扱い。それゆえ労働条件や環境に少なからぬ問題があった。そこのところを変わって欲しい、いや、変えたい、と痛切に思った。が、業界独特の構造上の諸々の課題があり、また、仕事を振るエージェンシーや派遣会社と仕事をもらうデモンストレーター双方に意識上の「刷り込み」もあり、所詮は荒唐無稽な願望だったのだと、あきらめた。ところが、昨年におこったあることをきっかけに、あらためてこの仕事を見直した結果、自分が出来る範囲で再トライしようと決めた。Iミリでも2ミリでもかまわない。変わって欲しいのだ。ギャラアップなどの付け焼き刃ではなく、根本的な面で、イザという時も含め、待遇が良くなって欲しい。占いではなく、体型や生活習慣や持病その他20項目を記入して回答を仰ぐ「寿命タイマー」なるアプリを、つい先日ためしてみた。結果は、私のイノチは、78歳と半年で終わり。あと、おおよそ12年で尽きるのだ、、、まあ、あくまでAIの判断ではありますがね。もっとも、実母が79歳と5ヶ月で逝ったことを考慮すれば、あり得ない話ではない。どんな人間にも、最期は来る。78歳で違う世界に入るにしろ入らないにしろ、来たる最期までの目標として、この宣伝販売業界を変えることを掲げたい。目標が果たせなかったとしても、目標がない人生はつまらないやね。写真は、3人の孫。
2024.01.01
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