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カテゴリ: 風の詩



 1945年生まれのミア・ファロは、
 現在62歳だと思うから、
 まだまだ健在振りを見せている。

 現在は博物館になっている、
 カンボジア政治犯収容所は、1970年代にクメール・ルージュと呼ばれた、ポル・ポト派の拷問や殺害が行われた、カンボジアの暗黒の時代の歴史的な場所である。

 ファローさんは、20万人が虐殺されたとされるスーダン紛争への、
 中国の関わりを非難してきた。

 北京五輪を「ジェノサイド(大虐殺)・オリンピック」と批判し、


 昨年8月から、大規模な虐殺を経験したルワンダや、アルメニア、ドイツ、ボスニアなどで「もう一つの聖火リレー」と言う聖火デモを行って、中国へ抗議してきた。

 その中国は、かつてポルポト派を擁護していた。ポル・ポト派の罪が今も渦巻くカンボジアでの抗議活動は中国への痛烈な批判が込められていたのは当然だ。デモには、ポル・ポト派の虐殺の犠牲者の遺族も参加した。しかし、収容所跡地での聖火でもは警察官に制止された。

 現在のカンボジア政権にとっても、反中国的な行動は疎まれる。
 中国の経済力は、かっての軍事力以上の力で東南アジアやアフリカの国々を脅かしているのだ。

 その中国への抗議は難しいものがあるだろう。
 2百万とも、3百万人とも言われるポル・ポト派の虐殺が背景にあっても、
 カンボジア政府は現在の中国と仲良くしたいのだし、
 過去を穿り返すなという事だろう。

 黒柳節子さんと同じユニセフの親善大使でもあるミア・ファローは、
 1945年、女優のモーリン・オサリヴァンと監督はジョン・ファローの間に生まれた。幼い頃に小児麻痺を患ったが、1959年「JOHN PAUL JONES」で映画デビューした。その後、ニューヨークで演技とバレエと音楽を学んだ。

 1963年オフ・ブロードウェイの初舞台を踏んだ。



 1966年21歳のファローは50歳のフランクシナトラと結婚するが2年後に離婚している。その後、1970年に作曲家アンドレア・プレヴィンとも結婚した。妻帯者のアンドレア・プレヴィンとの結婚は色々な問題があったが、3人の子供と三人の養子が二人の子供で、1979年に離婚して後も、二人の関係は続いていた。

 ミア・ファローは貧困地域の障害のある子供を養子に迎えた。15人の子供のうち、10人が養子であった。子供の権利獲得の為に積極的な活動を続け、自らも幼い時に患い苦しめられたポリオ根絶のために活動した。ユニセフの親善大使でもあり、慈善活動にも積極的に参加している。特にアフリカの子供たちのための活動に熱しで、ダルフールの難民保護にも関わってきた。


 蛇足ながらフランクシナトラは、


 「帝王」とか、
 「ザ・ヴォイス」と呼ばれ、

 その影響力は芸能界のみならず、
 政界にまで及んだと言われ、
 ジョン・F・ケネデイ大統領、ドナルド・レーガン大統領や、
 マフィアとも深いつながりのあった、スーパー・スターであった。

 「マイ・ウェイ」は、あまりにも有名で、今なお歌われ続けている。

 ニュージャージーで、
 イタリア移民の子として生まれたシナトラは、
 難聴のため兵役が免除された。

 第二次世界大戦への参戦はアメリカ合衆国の誇りであった。国家の誇りのために多くの若者は志願した。若い兵士たちは自由と平等を掲げる国家の誇りと自らの誇りをかけて戦ったという自負を持っていた時代だった。そんな時代に血気盛んな愛国者シナトラは、後方支援の慰問歌手としてしか戦争に参加できなかった。一兵士としての参加よりも人気歌手としての慰問の方が大きな力となったと思われるが、シナトラにとっては屈辱的なことだった。多くの若者が戦場で命を賭して戦っている時の歌手活動は、シナトラには耐え難いことだっただろう。戦場へ馳せる思いは歌手シナトラを大きくした。

 しかし、スパースター、フランク・シナトラにも挫折を味わうと気がやってきた。喉の手術で歌手として挫折し、イタリア系のマフィアとの関係で社会的な制裁も受けた。

 社会的にも葬られたかと思われたシナトラが蘇ったのは、
 「地上より永遠に」の脇役であった。
 アイドル的なスーパースターであり、
 多くの映画で、
 華々しい活躍をしてきたシナトラにとって、
 屈辱的な脇役であった。
 後にゴットファーザーでその映画出演の経緯は詳細に描かれているが、
 そんな事は兎も角として、
 その映画で、その脇役で、
 シナトラはあらたな才能を開花させた。

 アカデミー賞の助演男優賞に輝き、
 才能の多様さと凄さを見せ付け、
 奇跡の復活を果たした。

 そして、シナトラ一家は芸能界に君臨した。
 サミー・デービス・ジュニア、
 デイーン・マーテーン、
 ピーター・ローフォードが、シナトラ一家のメンバーであった。
 黒人歌手でサントリーの宣伝でも同じ身になったサミー・デービスとの関係は、
 人種差別の残る社会では、特別の意味を持った。

 ラスベガスのカジノ・ホテル「サンズ」がシナトラ一家の拠点であった。
 勿論ホテルはシナトラの所有であった。

 強いアメリカの象徴的レーガン大統領とは特別の関係であり、
 そのレーガン大統領から大統領自由勲章が与えられた。

 参考は、 Sinatra






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最終更新日  2008.01.21 17:13:46 コメントを書く


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