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フジツボは、貝ではなくて、エビ,カニの仲間の甲殻類。1844年、ダーウィンは、完成目前の「種の起源」を棚にしまいました。そして、進化論の名著は、長く資料とともに眠ることとなります。進化論のまとめをやめた、ダーウィン。1846年から9年間、37歳から46歳の研究者として最も充実した時。彼は、ひたすら”フジツボ”の研究に没頭します。彼の手紙に散見される言葉、「愛しのフジツボ」。調べたフジツボの標本は、12,000点。書き上げた「フジツボ総説」は、全4巻、1,200頁の大著。彼の息子ジョージは、友達に聞きました。「きみのお父さんは、どこでフジツボを見てるの?」ジョージは、どこの父親もフジツボを見ていると思っていたのです。「フジツボで、進化の本を書こうと思う」友人に相談していた、ダーウィン。しかし、その時、アルフレッド・ウォレスの進化の理論のうわさ。大慌てで、彼は「種の起源」をまとめ始めます。愛しのフジツボの研究をやめて。「ミョウガガイ(フジツボの一種)の発見ほど、興味深いものはなかった」「種の起源」発刊後も、ダーウィンは、そう語りました。仕方なく、進化論。好きなものが、評価されるとは限りません。仕方なくが、評価につながる。人生は、しばしば、皮肉なものです。【過去の日記】 「いつのときも かわりはしない - チャールズ・ダーウィン -」【参考】 倉谷うらら,「フジツボ 魅惑の足まねき」,岩波書店,2009年,118P
2011.07.31
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昨夜は鉄道交通機関の乱れから、深夜帰着になりました。皆さんへのコメントのお返しができず、すみませんでした。特に、体調についてご心配をおかけしました。現状は、SCCの定期検査としています。またアレルギー関係で、皮膚科、耳鼻科などに通院することも検討中。とりあえず、理由の確認はしたいですから。「それから」も山積しており、どうしたものかと思っています。とりあえず、明日も通常日記での更新となります。よろしくお願いします。
2011.07.30
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腫瘍マーカー値が下がらず、思案しています。人間ドックで検査した、腫瘍マーカーSCC。腫瘍マーカーは、血液検査だけで、がんの進行度や発症箇所を知る簡易検査です。特にSCCは「扁平上皮がん」の指標となります。対象は、食道がん、肺がん、子宮頸部がん。このSCCの値が、経過調査で高値をさまよっています。今のところ、原因不明。アトピー性皮膚炎、気管支炎、結核、腎不全でも高値となるSCC。肺炎以降、気管の弱い私ですから、原因は呼吸器系でしょうか。腫瘍マーカーは、がんの治療の経過を知るのに有効です。治療後の再発では、値が上昇する場合があるから。逆に、がんの早期発見には不向きです。やや進行したがんしか、発見は困難とのこと。それを知ると、腫瘍マーカーは、人間ドックの検査には不向きに思えます。喫煙者では上昇するSCC。私はたばこは吸いません。花粉症で上昇するSCC。たしかに私は花粉症。呼吸器系か、花粉症か。しばらく続く、原因調査。
2011.07.28
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いつもご覧頂きまして、ありがとうございます。7月21日で、準5周年を迎えていました。ブログ開始は、2006年5月20日。しかしその後放置。真面目に日記を書き始めたのは、2006年7月21日。この7月21日を、準開始日としています。振り返って、その頃の日記を見ると、コメントゼロが続いています。アクセス数ゼロという日もありました。ネット世界の孤独を感じていた頃。その後、ようやくコメント。しかし5年前の方は、大半が休止されました。支えてくれた方が去るのは、寂しく思います。私もペースは落ちましたが、これからも続けていきます。クオリティも、もう少し回復させなくては。いよいよ、6年目のブログ。これからも、よろしくお願いします。
2011.07.27
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争わなくては、済まないのでしょうか。1853年からのクリミア戦争。この戦いでフランスは、暴風雨で戦艦を失いました。それをきっかけに、フランスは暴風雨の研究を始めます。担当したのは、パリ天文台のルベリエ台長。研究の結果、天気図による暴風雨の進路予想を提案します。これが後の、天気予報のきっかけ。天気予報も、戦争から生まれました。戦争が生み出す、文明の進歩。争い、進歩し、その技術でまた争う。それが今なお続く、人類の歴史。
2011.07.26
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7月19日、早朝6時25分。品川駅の朝。それは、新幹線改札口を通った、キオスクの前。飲み物を買う、私。私から、10mほど離れて立つ警備員。警備員の約5mむこうは、改札口。キオスクで料金を支払う、その時。うっという、うめき声。どうした? と、キオスクの店員。振り向く、私。視界に入ったものは、うつぶせに倒れこみ、もがく警備員。呆然とたたずむ、周囲の人々。発作? と思いましたが、実は違いました。警備員は、腹部を刺された様子。上下ベージュの服を着た若い男が、犯人との情報。乗車時間の関係から新幹線ホームに降りると、犯人を捜す多数の警備員。新幹線ホームからは、到着した救急車も見えました。「6時32分の新幹線に乗ったかも?」との情報も。怖いのは、10m横の事件に、私が気づかなかったこと。私は背中すら向けていました。この事件、ニュースでも見かけません。東京ではこのぐらいの事件は、数多いのかもしれません。あらためて、都会の怖さを知った、夏のある日の恐怖体験。
2011.07.24
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発電について、皆さんからの貴重なコメント、ありがとうございます。震災をきっかけに話題になった、エネルギー問題。発電の問題提起は、あの悲惨な震災から得た数多いメッセージのひとつ。事件、事故が起きるたび、私たちは大きな進歩を遂げました。あの取り返しようのない悲劇も、けっして無駄ではありません。多くのメッセージ、ありがとうございました。皆さんも、震災後の日本に向き合っていることを知りました。発電問題は、私も答えを得ていません。しかし遠くない時に、答えを出さなくてはなりません。うしわれたものに、報いるために。わたしたちの”これから”を、みつけるために。【日記1】 「火を手にした者の罪 - パンドラの箱 -」【日記2】 「やさしさは 誰がために - 太陽光発電 -」
2011.07.23
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暑さをしのぐ、工夫を探して。砂漠にすむリス、ケープジリス。ジリスが暑さをしのぐ工夫。それはマイ・パラソル。とても大きい、ジリスのしっぽ。大きなしっぽは、パラソルがわり。暑い日中はしっぽを立てて、強いひざしを防ぎます。しっぽの陰は、5~8℃も温度が低下。そのおかげで、ジリスは日中も活動できます。大きなしっぽは、マイパラソル。暑さをしのぐ、マイパラソル。暑い夏。ひざしの強い夏。人にはひよけの、しっぽはないけど、暑さをしのぐ、工夫はできます。あなたの夏、どんな工夫をしてますか?【参考】 北村雄一,極限生物摩訶ふしぎ図鑑,保育社,2009年,127P
2011.07.22
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しばらく留守にしていました。体調は悪くありません。今日から皆様へのご訪問も再開しますので、よろしくお願いします。
2011.07.21
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環境にやさしい、太陽光発電。これからの発電方式として期待される、太陽光発電。自然に、人にやさしい発電と、その期待は高まります。発電にやさしい、太陽光発電。しかし、そのソーラーパネルの下は、光の届かない暗い闇。パネルの下に、緑が育つことはありません。屋上の緑が広がる、都市のビル。その屋上にソーラーパネルを置けば、都市の緑はまた減ります。太陽光発電が排除するのは、ヒートアイランドを防ぐ、都市の緑化。人にやさしい、太陽光発電。その発電コストは、原子力の数倍から十倍強。太陽光発電に変われば、電気代は数倍に跳ね上がります。太陽光発電が排除するのは、日々の生活に頭を悩ます、庶民の生活。原子力の数倍の収益を生む、太陽光発電。発電の利権に群がり、発電ビジネスが動き始めました。太陽光発電は、”誰に”やさしい発電なのでしょう。人間に火を与えた、プロメテウス。パンドラの箱が開くきっかけを作ったプロメテウスには、「先見の明」の力がありました。原子力発電の「火」。なぜ、プロメテウスは「火」を与え、「やさしい光」を与えなかったのか。その答えは、「先見の明」を持つ、プロメテウスにしかわかりません。
2011.07.17
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パンドラの箱が開けられた、電力供給。プロメテウスは、人間に火を与えました。しかし、火を取り戻した人間に、ゼウスは激怒します。パンドラの箱は、ゼウスが人間に与えた罰。パンドラの箱から飛び出した、様々な苦しみ。病気、悪徳、狂気、・・・。原子力という、火を手にした、わたしたち。わたしたちは、同時に、現代のパンドラの箱も手にしていました。この箱からも、様々な苦しみが飛び立ちました。これから長く、わたしたちは、苦しまなくてはなりません。でも、苦しいけれど、この箱も、いつかは開けられるべきでした。箱の中の苦しみが、これ以上増える、その前に。語りましょう、これからを。さがしましょう、箱の中を。あのパンドラの、箱の中にも、きっと、希望があると信じて。
2011.07.15
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奈良県 矢田寺の味噌なめ地蔵。その由来を知りたいとの声、多くいただきました。味噌作りをする、女の夢の中。その夢の中、矢田寺の地蔵様が現れます。お地蔵様は、言いました。味噌を食べさせてくれたら、味噌を美味しくしてあげる。女は味噌を、地蔵様の口に塗りました。すると、自宅の味噌が、とても美味しくなったとか。それ以来、自宅の味噌を美味しくするため、人々は、矢田寺の味噌なめ地蔵の口に、味噌を塗るようになったそうです。最近では、味噌を作る人も減りました。お地蔵様も、おなかがすいているかもしれませんね。【日記】 「道をうしなう 紫陽花の中 - 矢田寺 -」
2011.07.12
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生物の分類上、イヌが、ネコ目イヌ科なのは、以前に書きました。イヌは、ネコ目。ネコの名の由来が、よく寝る「寝子」というのも、以前に書きました。では、イヌの名の由来は?イヌの名の由来、何が有力か、いまだによくは知りません。私が好きなのは、イヌが「去る」意味の、「いぬ」に由来する説。番犬として、家を守るイヌ。魔物も”いぬ”魔よけとして、愛されたイヌ。イヌは、神に近い存在。英語の”dog”は、必ずしもよい意味ではありません。”dog”が”god”、つまり「神」の逆文字なのも、その理由とか。”dog”は、神から遠い存在。「イヌ」と”dog”の、ふたつの名前。どちらが好きか、聴いてみたい。もし、彼ら彼女らが、話せたら。
2011.07.10
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カラスは、なぜ人を襲うのでしょう。「カラス、なぜ襲う」を読みました。東京のカラスは、特に凶暴と言われます。私も東京で襲われました。東京のカラスの凶暴化は、下記の理由。・ごみを食料として、カラスは増えました。 大阪などでは夜間のごみ収集ですので、カラスはごみを食べれません。・公園での鳥や猫へのえさやり。 その一部をカラスが食べ、数が増えました。・カラスにとって人は「えさをくれる」存在になり、人を恐れなくなりました。・人を襲うのは、ハシブトカラス、主にそのオス。 巣の近くの人を襲います。人の影響で、カラスは数を増やしました。人の影響で、カラスは人を恐れなくなりました。巣の傍、雛がいる時などは、特にカラスは人を襲います。私が襲われた時、私は黒のスーツの上着を手にしていました。カラスには、人が仲間を連れ去っていると見えたのでしょう。ごみを放置せず、夜間収集などを進める。カラスの様子にも気をはらい、怒っているカラスに近寄らない。カラスについても、人との共存、考えなくてはなりません。【関連日記】 「その者 手配中につき」 【参考】 松田道生,「カラス、なぜ襲う―都市に棲む野生」,河出書房新社,2000年,216P ※今日は「それから」くずれでした。
2011.07.09
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雨が降る日は、紫陽花。関西で、紫陽花寺といえば、矢田寺です。境内の紫陽花の数は、1万株。672年、天武天皇、建立の矢田寺。今は地蔵菩薩様を祭る寺。地獄に落ちたものでさえ救う、地蔵菩薩様。地獄から、救い出してほしい。私は、ぜひ参らなくてはなりません。境内にも、多くのお地蔵様があります。味噌なめ地蔵様などが、有名です。紫陽花園の開園中は、入山料が必要。紫陽花園は、まさに満開。あまりに紫陽花が多く、上下する、細い道。雨の中、紫陽花に囲まれ、遭難しそう。多すぎる紫陽花は、ちょっと罪かもしれません。紫陽花園の開園は、7月10日まで。それ以降、紫陽花園以外の境内は無料です。味噌なめ地蔵様にも、無料で会えます。ぜひ、矢田寺へ。 ※写真右端が、鎌倉時代に味噌なめ地蔵【矢田寺】 「矢田寺大門坊」
2011.07.08
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あの事件から、10年。多くの本を、読んできました。なぜ旧石器捏造の主犯者、藤村氏に”氏”を付けるのか。それは、もっともな疑問だと思います。私も当初は藤村氏を批判し、今でもその「罪」を許したくはありません。しかし10年を経て、「人」を責める気持ちは揺らいでいます。藤村氏は多くの人をだまし、「捏造事件」の著者、岡村道雄氏も被害者でした。しかし岡村氏は文化庁の調査官として旧石器を認めたため、「共犯者」としてバッシングされ続けました。昨年末に発刊された「捏造事件」は、その岡村氏の反省と懺悔の記録。しかし本当に悪いのは、藤村氏でしょうか。藤村氏は「マジックショー」により、石器捏造を続けました。発掘現場に、多くの報道陣を集めます。「ちょっと掘ってみたい」と言って、報道陣の傍で、遺跡を掘り始める藤村氏。不思議なことに10分後。報道陣の目の前で、藤村氏は旧石器を新発見します。まさに、旧石器発見のマジックショーでした。それを見た報道陣は、嬉々として、その新発見を報道。同席した研究者が、その石器を検討、公認する前に、「新発見」は報道されました。しかし、捏造発覚。報道陣の姿勢は、一変します。ただちに、同席した研究者は「共犯者」として「報道」。一方で、同席した報道陣は、自らをだまされた「被害者」として「報道」しました。同じ場所にいた人たちが、なぜか「共犯者」と「被害者」に分かれました。その報道の中、藤村氏は入院、離婚、名前を変えます。病名は、解離性同一性障害。心を病んだ藤村氏は、ナタで30回も右手を切り付け、指を切断しました。もう2度と、右手が悪さをしないために。誰が本当の被害者でしょう。「毎日新聞社」は、隠しカメラで捏造発覚の「スクープ」をねらいました。「捏造の恐れあり」と研究者に告げるのではなく、あくまで「スクープ」がねらいでした。連日の、隠しカメラでの撮影。ねらいどおり、「大スクープ」は、日本新聞協会賞など、数々の賞を受賞。毎日新聞社は、この事件のおかげで「名誉」を手にしました。「岡村氏こそ主犯」と「神々の汚れた手」で書いた奥野正男。彼にも、毎日新聞社は、「毎日新聞出版文化賞」を授与しました。そのため、岡村氏は、自死までうながされました。さらに暴走する報道。週刊文春は、大分県の遺跡捏造の疑惑を3度も報道。その結果、責任者の賀川光夫氏は、抗議の自死を選択しました。文藝春秋は、後に名誉棄損で敗訴。しかしわずか慰謝料920万円の支払いで終わっています。旧石器発見を熱望し、それを検証前に宣伝したのは「報道陣」。そしてスクープにより、唯一、この事件で名誉を手にしたのも「報道陣」。さらなる被害者を生みながら、自らを被害者と名乗ったのも「報道陣」。おどらされた、藤村氏。共犯者にされた、岡村氏。命を奪われた、賀川氏。「犯人」と「被害者」。それらを分けたのは、事件後に「武器」を持っていたか、否か。ペンは剣より強し。【日記】 「なにもかもが うしなって - 旧石器捏造 -」【参考】 岡村道雄,旧石器遺跡「捏造事件」,山川出版社,2010年,245P ※ 旧石器捏造でお勧めは、この本です。 岡村氏の懺悔とともに、真理を見極める難しさがわかります。
2011.07.06
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遺跡の発掘は、考古学や地元を愛する愛好家に支えられています。炎天下での、長時間の発掘。土と汗にまみれる地道な作業は、多くが愛好家によるボランティア。宮城県の中学美術教員、遠藤智一さん。遠藤さんも自分の時間を割いて、発掘を支えた民間愛好家。発掘の案内に、現地説明。頭に手ぬぐいを巻き、黙々と、でもうれしそうに、発掘を続けていました。考古学の愛好会「談話会」を結成、発掘を進める遠藤さん。特に愛したのは、1949年の岩宿発見より前に、自力で石器を発掘していた、座散乱木遺跡の調査。得意の絵で、太古の復元図を描く遠藤さん。座散乱木遺跡は、遠藤さんが愛し、生涯をかけてきた遺跡。やがて、遠藤さんの努力も実ります。座散乱木遺跡は、宮城県で数少ない旧石器時代の遺跡として知られます。しかし、その知名度の高まりが、災いを招きました。東北旧石器文化研究所の藤村新一氏。藤村氏は、この座散乱木遺跡を利用しました。自らこの遺跡に石器を埋め、それを「発見」する藤村氏。藤村氏は、後にゴッドハンドと呼ばれた、石器捏造の主犯者。「研究所の人は、ぼくたち愛好家とは違うな」発掘を愛し、楽しむ遠藤さんは、成果を挙げる藤村氏をそう評し、信頼していました。しかし、2000年11月、藤村氏の石器捏造が発覚します。そして、座散乱木遺跡は、捏造遺跡の代表として報道されました。藤村氏の捏造の、さらに前から知られていた遺跡にも関わらず。生きがいを、数十年もの努力を、踏みにじられた遠藤さん。遺跡の「無実」を晴らそうと、それからも座散乱木遺跡に通いました。無念の時が過ぎ、2001年11月、捏造発覚から1年後。自転車の横で、倒れていた遠藤さん。遠藤さんは、その翌日、帰らぬ人となりました。いつものように、自転車のかごには、軍手と小さなスコップ。いつものように、発掘用の長靴を、はいたままの姿で。翌年、座散乱木遺跡の史跡指定は、取り消されました。その他にも、遺跡取扱い廃止は142遺跡にも上りました。ある人は、責任を問われ、将来を閉ざされました。ある人は、無関係な遺跡の捏造を疑われ、自死で抗議を示しました。ある人は、病床で生涯を捧げた発掘の捏造を知り、涙を流しながら帰らぬ人となりました。35年間続いた捏造で、すべてが無に帰してしまいました。【参考】 岡村道雄,旧石器遺跡「捏造事件」,山川出版社,2010年,245P
2011.07.04
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大きな神社で見かけるのは、凛々しい狛犬。東京で見かけた狛犬。筋肉質の前足と、張り出した胸。威嚇型、旧官国弊社型の狛犬です。chappy2828さんのご紹介も、威嚇型。旧官弊社、旧国弊社などの大きな神社では、狛犬も大迫力。【chappy2828さん】 「智恩寺の狛犬」関西で見かける狛犬は、前足の短い狛犬たち。迫力はありませんが、かわいい狛犬。これも味わいがあります。以前から、狛犬好きの私。皆さんも、また狛犬をご紹介ください。詳しくはありませんが、コメントさせていただきます。【過去の日記】 「生と死の境界を見つめて ― 阿吽 ―」
2011.07.02
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