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<一枚の紙>一枚の紙…書かれる文字に依って人の人生が大きく左右されてしまうことがある戦争中の日本国民の命は一枚の紙に委ねられていた赤紙と云われた召集令状…人生の選択を一枚の紙に依って左右されたであろう多くの人々…数字が並んだ一枚の紙子供の時に渡された通知表その紙に書かれた数字で頭の程度?の良し悪しが決められたボーダーラインは誰がひいたんだろう…小6、中3、高3と12年間の人生にその紙がもれなくオマケでついてくる受け取りたくない一枚の紙勉強しなかったからなぁ…(自業自得です履歴書、資格免状、卒業証書、書いたらキリがないほどの数だ人の人生を左右してしまうような重い意味のある紙から何の役にも立たないような無意味な軽い紙まで…8月の最後の日いつもながら、私がめくる一枚の紙は744時間という過ぎてしまった時の証…丸めてくずかごにポイっと捨ててしまうには惜しいほどの時間の長さ今年も、すでに8回目となった捨ててきた時間の紙が重かったのか、軽かったのかは自分自身の胸に…(うっうう…教訓…今更ながら自分に…時は金なり
2008.08.31
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今夜は鈴かな夜になった28日から今日(30日)の夕方まで雷と豪雨で寝られず、寝不足の日々だった…元々、夜行性動物に近い状態の私は眠りに就くのはいつも朝方で…(汗)雷の音を聞きながら、気分転換に本を引っ張り出して見ていた見ていたのです…読んでいなくて、ただ見ていた秘湯の旅の本その中に、へェ~~と気になった記事があったのでそこだけチラッと読んだ。日本と外国の温泉の違い という項目でニュージーランドの温泉というのがあった。本を書いた人の記事からです。オーストラリアから南太平洋の島々を巡っていたときに、ニュージーランドのロトルアに温泉があると聞いて出かけた。彼方に白い湯煙が上がっている近付いてみると、十数メートルも噴出するのがあったり地獄のようなのがみられたりで、日本で云えば、別府の地獄と東北の後生掛温泉を足して二で割ったようなもの。スケールは大きく、湯量も豊富なのに、まわりにはホテルもなく、実にアッケラカンとしたものである。もし、これだけのものが日本にあったら、旅館やホテルがひしめき、夜はネオンがまたたいて大観光地となるであろう。簡素な温泉療養所くらいのものはあったが、日本とは、根本的に温泉に対する考え方が異なるのだ。海外で温泉に行ってきます、というと「どこかお悪いので」と云われる。日本で温泉に行ってきます、というと「うらやましい!」と云われる。これくらいの違いがある。おおざっぱに云うと、ヨーロッパでは温泉は治療が目的で、ドイツには二百五十ヶ所の温泉療養地があり、専門医の診断を受け、その指導のもとで療養、治療をする。オーケストラを聴きながら、決められた温泉を飲んだり、二十日間ほどかけて健康について考えかたまで変えるシステムなんだとか…と書いてあった。雷雨の去った静かな夜、コオロギの鳴く声を聞いた。心静かに虫の声を聞く・・・
2008.08.30
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朝から雨降り…それも大雨ニュースを見ていたら隣の市で川が危険水域を超えて避難勧告が出たとか…昼…雲は多いが青空が少し見えていた。オリンピックが終わり流れるニュースは、人が殺されるという悲しいニュースばかり…気分が滅入るのでテレビを消す夜…窓ガラスに閃光が走り、雷鳴がどどろきわたる…雨が激しく降りだして、テレビの画面には各地域の避難準備警告の文字がながれていた。人はこの天候をゲリラ雨と呼ぶ何かが狂ってきているような…そんな不安を抱くのは私だけか。地球が悲鳴をあげはじめたのか?自然から人間に対しての警告なのか?あぁ…また閃光が走り、雷鳴が響きわたる…深夜…地球の呻きを聞いている私。各地の被害が無いことを祈るのみ・・・
2008.08.28
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<カレーきしめんってアリかな~>急にカレーうどんが食べたくなった。冷蔵庫の中を覗く、うどんがない。面倒だから他の物にしょうか…私、食べ物に執着心がありません(^^;)口に入れば、何でもいい雑食ですが、肉類は嫌いじゃないけど、余り食べません…あっ!そうそう、関係ないような事ですが辛子、わさび、梅干し、食べれません…みそ汁…余り飲みません食生活が至って貧しいです。ですから、今回が二度目の食べ物の画像となります。まえおきが長くなりましたが、用意した材料は画像にあるだけです。(う~う・・切ないはっはは・・・何故、きしめんなのかって?スーパーに行ったら、うどんの隣にきしめんがあって、やはり名古屋に近ければ、きしめんかな、と…後で後悔しましたが・・・(うけ狙いバレバレえっ?何故、レトルトのカレーかって?一人だったらこれで充分なんですよ~~食べるのは私だけなので…はっはは・・・手抜き、手抜き~で~~玉ねぎと肉をよく炒めて~水を入れて煮込む、そして、レトルトのカレーを入れ、(ルーで調節するといいのよー♪)うどん、ならぬ、きしめんを入れる。麺とカレーが絡みやすいように水溶き片栗粉を少しいれてかき混ぜたら出来上がり~~~????げっ!ふやけてる~~~冷まして食べる前に写真を撮ったのがいけなかった・・・汁気ゼロじゃん!うわ~なんか・・・マズそうな気が・・・するイヤイヤ、食べたら以外と美味いかも実は…私は猫舌で・・・熱い食べ物は、冷ましてからでないと、口に入れられません。自慢にもなりませんが、お子様の口と味覚をしていますレンゲにカレーきしめんを箸でのせて、モゴ…モゴ…モゴ…やっぱ、きしめんとカレーは合わんかもマズくはないんだけど…うどんの方がコシがあって美味い。平べったい、きしめんは、ふやけた感じ。絶対真似しない方がいいと思う…もし、試してみたかったら、是非、うどんで…ねー☆まんまんでーの料理でしたぁ~これって料理とは云わないな!料理・・・出来ないんじゃないんですよ~食べるのが自分だけだから、何でもいいや~っていうことですからねェ~~~~♪(^^;)言い訳はやめよう…お粗末でした(涙マズそうな画像を載せてm(_ _)m教訓…食事は、感謝し、美味しく、残さず頂きましょう・・・
2008.08.27
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<幹線のガードの下で>幹線のガード下の道を車や人が通行する狭い道がある…道の両側は金網のフェンスで仕切られ道路との区切りをつけているそんな金網のフェンスから外に出たいと顔を覗かせていた花…午後から夕方に花を咲かせ朝には萎んでしまうオシロイバナ…夕化粧という別名も。花言葉は、臆病、小心、とあります。金網の間から、そっと覗かせた紅い花が時代劇のドラマで観たような遊女を想像させた。お隣の金網で、オシロイバナには負けないわ…とサルスベリの花が枝の先を風に揺らして道行く人に囁きかけているサルスベリの花言葉、雄弁、でした。人間が作った囲いの中で隙あらば、外へ出て…と?ん~な事はないわなぁ…(想像が止まりません(^^;)何かにすがっていなければ生きてはゆけないようなヤブカラシ?のつるが金網にしっかり巻きついていた。私の実の色が変わるまで…どうか、このままでいさせて下さい…と云ったとか、云わなかったとか…(うふっ♪でも、コレがヤブカラシだとすれば…このつるに絡まれた草木は枯れてしまうんだとか・・・こわ~い!(>_
2008.08.26
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過ぎゆく夏・・・以前花火の動画を載せましたが、今回は、同じ花火ですが人々の行き交う姿の動画と花火の動画と、横浜みなとみらいの夜景の動画を組み合わせました。あと、去年のイベント用の手筒花火で少し小さめですが、動画を載せてみました。本来はこの倍くらいの大きさです。動画、その1 手筒花火のイベント動画はこちらへ想い出は、それぞれの胸に・・・動画、その2暑い夜動画はこちらへあなたは、今年、どんな夏を過ごされましたか?今年の夏があなたにとって、良き想い出となりますよう・・・感謝の一日を・・・
2008.08.25
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<今日の空>・・・PM6時30分頃まるで覆いかかってきそうな雲その模様は儚き自然の造形美…数分で姿を変えてしまう今、この瞬間の時を楽しもうか・・・心豊かに・・・
2008.08.24
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<自身への愚問>明日のこと、明後日のこと一年先のこと、一生のことそれを予想し、どうして生きていこうかと考えるのは人間だけではないだろうか…それは計画的に不幸を避け、幸福を求めようとするからなのだろうしかし、それだけにかえってあれや、これやと心を悩ますことにもなる行き当たりばったりで生きていけるものなら、どんなに苦労も少ないだろう…なまじっか知恵を持って生まれてきたばかりに他の動物にはない苦労をするというのが人間なのだ。しかし、同じ人間でも、明日のことを考えて心を悩ます程度は人によって、まちまちなんだろうその違いは、その人の境涯や性格や修行などによって生ずるものであると思う必要以上にくよくよと明日の事を考え悩むのは、少し不幸な気がする。「明日は、明日の風が吹く」という諺が日本にあるが、その人が自分を慰めたりするのに用いられるものだ(自分のことです(^^;)しかし、この諺には運命感があるように思う明日、どうなろうと自分の力ではどうにもならない運命なのだから、明日は明日の運命に任せよう、というのだ。でも、それは単なる諦めではなくて、そこには、やはり希望的な見方が入っているのだ。明日になれば、また、どうにかなるであろうという希望…「明日は、明日の風が吹く」風は変わるものである。今日のままであったら、明日は救われようもない明日の風は、今日と同じではない風は、運命の象徴でもあると思う。風が吹いている限り、こちらも、なびいて生きよう…という気持ちも人生には、大事な時間ではないのか…と考えた。ただ…追い風が吹くまでの努力は怠ってはならないと思っている。焦らず、騒がず、欲張らず・・・
2008.08.23
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昨日は夕方から雨降り、今日は雨が上がって青空…風が強かったが、過ごしやすい日だった。そんな最高の日に家の中にいたら勿体ないと夕方から公園の丘に行く。公園に行く途中で一枚!新幹線のガードをくぐり抜けて少し歩けば誰もいない丘に着きます。ここからは、街が一望できるし、静かで過ごしやすい。私のお気に入りの場所の一つです。赤トンボが頭の上をせわしげに飛び交っていました。きっと何処かで、今日のこの空を誰かが、私と同じように眺めているかも知れない…公園の方に降りてゆくと秋の陽射しが、木々の影を長く映し出していた。なんだ、かんだ云ってもやっぱり秋ですね。風が強かったせいか桜の葉が地面に舞い落ちている葉を踏んで歩くと、幽かに桜餅のような香りがした。あ~~桜餅、食べたくなったな…夕日の沈むの見届けながら私の足はスーパーへと向かう。桜餅はなかった…残念!(^^;)穏やかな一日を・・・
2008.08.21
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<追えば逃げる?>東急東横線の渋谷駅でホームの案内板の上に何処からか逃げてきたニホンザルが捕獲されているニュースを見ていた。不謹慎だと思いますが、大勢の人間が一匹のサルに振り回されているようで、滑稽に感じていました。案内板の上からサルが人間達を見ている。何事だと見上げる人が、写メでサルを撮ったり、子どもに母親が「ほら、オサルさんがいるよ」と指さして教えていたり…サルはそんな人間を、不思議な動物の群れだなァ…と思ったかどうかは?ですが(^^;)人間を高いところから眺めていた。何人かの人が捕獲用のネットでサルを囲み、捕らえようとしたがサルは捕獲用の網を逃れ階段を駆け下り、逃げる、逃げる、巧みに人を避けながら、逃げる渋谷駅から街に出て、夢中で逃げたそのサルを数人が追う、必死で追いかける人間たち…追えば逃げる心理は人もサルも同じなんだなァ。と笑ってしまった(^^;)追いかけていた人には申し訳ないです…m(_ _)m人が走って三分かかるところをサルは一分半くらいだったそうで…結局、サルの行方は未だ解らず、原宿方面か・・・ひょっとしたら今頃は、新宿のゴールデン街で、一杯飲んでいるかも・・・サルが涙こぼすCMじゃないけど、人間になりたかったサル?だったかもね♪感謝の一日を・・・
2008.08.20
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先日、海岸縁の防護柵を叩きながら思い出していた顔があった。彼は、幼馴染みだったが親の都合で大阪に引っ越した。その後、彼に会いに大阪に行ったことがある環状線で京橋まで行き京橋から片町線現在では(学研都市線)ともいうらしい…四条畷行き(しじょうなわて)に乗って放出(はなてん)を過ぎ、鴻池新田(こうのいけしんでん)地図を頼りに鴻池新田で降りる大阪府大東市というところだった駅から歩いて暫くすると諸福(もろふく)という地名になりここに彼とその家族が暮らしているというここに来る間、電車の中から見た風景は正直言って、とても良い風景とは思えなかった鋳物工場が多い土地柄か眺めた川の水は澱んでいたし、吹く風に化学薬品のようなものが交じっているような臭いがあった。彼は鋳物工場で働いていた。パチンコの玉を作る工場だという仕事の終わるのを待って彼の家に向かう…ここ?この土地では文化住宅と云われているアパートが建ち並んでいた。彼はその住宅の間を抜けて奥の方へ歩いてゆく呟くように「驚くなよ」と言った。着いたところは、お世辞にも綺麗とは言えない木造二階建てのボロアパートで、玄関先で皆が履き物を脱いで上がる板張りの廊下がギシギシと音を立てる小さな子どもがギャァ、ギャァと泣き喚いていた目の前を走って通り過ぎて行く廊下を挟んで各部屋が両側にあり、その真ん中で足を止めると、彼はドアを開けて、「$#&’%&$#”@」と誰かに声をかけた……????彼から聞く初めての言葉だった。お婆さんが出てきて「アンニョン ハセヨ」と(こんにちは)ニコニコ笑って言ったけど、何を言ってるのか私には、さっぱり解らなかった。彼が自分の家だと言った部屋は八畳一間で裸電球が点いた部屋だった台所とトイレは共同で奥の方にあるとか…日当たりは悪く、隣の部屋とは薄い壁で仕切られているのか赤ん坊の泣き声が聞こえていた。俗に云うタコ部屋のようであった。彼がその時に云った言葉・・・「韓国人なんだよオレ達。爺ちゃんが入院したからお金がかかるんで、婆ちゃん一人じゃ大変だから、オレ達親子がこっちに来て働いて爺ちゃんと婆ちゃんの面倒見てるんだ…驚いただろ?」「別に…驚きはしないけど…大変な時に来て悪かったかなって、思ってる」「一晩くらいなら泊まっていけよ。母さんが喜ぶから、な?」「いいのかな…」「オレ達の部屋は隣なんだ。今夜はそこで母さんと二人で寝ればいいさ。ねェ婆ちゃん」「ネー、チョアヨ ビョニ シィセヨ~」(はい、いいですよ。ごゆっくりどうぞ)翌朝、彼は会社を休んで、大阪の駅まで送ってくれた。別れ際、「また、いつでも遊びに来てくれよ。待ってるからな」そう善いながら照れ臭そうに手を振っていた。何故、思い出したんだろう…防護柵が侘びしかった。韓国語、間違ってたらゴメンナサイです。心豊かな一日を・・・
2008.08.20
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午後4時・・・窓ガラス越しに眺める陽射しが幾分、柔らかいように感じる。秋になったら真っ先に出かけたい場所がある本来の計画は、日本海側…以前行ったことのある鳥取砂丘・・・だが、現在のこの身体では、距離的に少し無理があるので、地元から近い場所・・・ということで近場で、浜松近くにある中田島砂丘にしょうか…日本海ではなく太平洋の違いはあるが、それでもいつも見ている地元の狭い海ではないのだ。広くて、視界を遮る物がなくって水平線の彼方には夕日が沈んで、波のうねりがあって、砂浜が延々と続いている海辺…その砂浜に寝転んで波の音を聞きながら、空を流れる雲をいつまでも見ていたい…想像しただけで、「あぁ、なんと贅沢なんだ…」と思わず一人でニヤけた(^^;)それとも、同じ浜松でもずーっと奥の引佐町と云うところに東海地方最大の鍾乳洞で、竜ヶ岩洞というのがある。そんなには遠くないので日帰りで行って来れそうだ。近いと云いながら、まだ、見学したことがないので、一度は行きたいなぁ…と。鍾乳洞の地層は、二億五千万年前のものと云われ、全長1キロメートルのうち、400メートルが一般公開され、鍾乳石群や滝、泉がライトアップされ幻想的だそうです。あ~どこか旅に出たい…早く涼しくなってくれ~~~~!いつものように計画倒れ?そうならないように頑張らなくちゃ!ね!ー☆考えているだけで楽しい気分です。心豊かな一日を・・・
2008.08.19
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気持ちの良い風が吹いているママチャリ漕いで海の方へ・・・風を切って軽快に漕いでいたつもりだったが、久し振りの運動?のせいかあっ、という間に汗びっしょりになった。クーラーの効いた部屋の中にばかり数日間過ごしていたから、暑さに体が着いてこれなかったのかな・・・潮風が心地よかった。いつも眺める鐘のある場所で一服名前は知りませんが、南国的な花が咲いていました。ママチャリを置いて少し歩きます。何の意味も無いのですが何となく鉄柵を写していたら自分が別の世界に迷い込んでしまったような気分になっていた。素っ気ないこの金属を叩いたら音は遠くの方にまで響き誰かに伝わるのだろうか・・・落ちていた石を手にして鉄柵を叩きながらママチャリを置いた所まで戻る相変わらず、別の世界に迷い込んでしまったような気がしていた感覚でいうと、他の惑星に来たようなどうして誰もいないんだろう・・・楽しい一日を・・・
2008.08.18
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近所の畑に、ふうせんかずら がありました。夏の太陽の下で涼しげに揺れる小さな風船・・・一つちぎって紙風船のようにポーン、ポーンと飛ばして遊んだ。黄緑色の小さな風船が青い空に舞う…空が秋の雲を見せている茶色になった風船を一つ手に取ったら、脆く破れて小さな種が二個ポロリと地面に落ちた。木の幹に蝉がしがみついて命の終わりを待っている柿の実が大きくなっていた。道端に落としたままのふうせんかずらの種を拾いに戻る・・・穏やかな一日を・・・
2008.08.17
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今回で最終回となりました<彷徨う十七歳の心>最終回・・・(逃げたら負け)を続けてUPしました。暗くて長い話ですからスルーOKで~す世の中で、自分が一番不幸だ…そう思っていた。折れそうな心を何かで支えたかった…惨めな気持ちから逃れたかった…言い訳じみた言葉で自分を誤魔化した。親とか家庭環境のせいにして自分自身をしっかり見ていなくていつも、逃げてばかり・・・こんなに単純な答えがあるのに随分、遠回りをしたものだ・・・甦った意識の中で、憑き物が落ちたような、何かを悟ってしまったような、爽やかな気分になっていた私。開き直っていたのかも知れない・・・数日後、担任の訪問があり母と何やら話した後で、私に言葉をかけてきた。「まだ、席はあるんだから頑張れよ」「謹慎はいつまでですか?」「来る気があれば明日からでも来れるよ。だが、校長や教頭、学年主任の説教と反省文がまってる。どうする?」「明日、出席させて頂きます。スミマセンでした」「就職相談もあるし、そうしてくれると先生も助かるよ」一昔前は、テレビドラマの金八先生のような熱血タイプの教師が多かったし、(今でもいるかも?)学校も現在よりも大らかだったように思う。家庭事情もあって、アルバイトも認められた。何とか高校だけは卒業のメドがつき、某広告代理店に就職も決まる。アルバイトで得た収入は自分の学費等にあて、妹には文房具用品や本、参考書などを買い与えながら、「これから社会に出てゆく女性は、知識や学問が必ず必要とされる時代になるから…アナタは勉強して必ず大学を卒業しなさいよ。」と言った。「姉ちゃんは行かないの?」「私は勉強嫌いだからね・・・必要な物があったら姉ちゃんに言うのよ。いい?」「わかった」私の卒業を待って住み慣れたこの家から出ていく事が決まっていた。小さなトラックに荷物が積まれる。親戚の伯父さんが母に「夜にすればいいじゃないか」と言った。母の顔色が変わった・・・伯父さんに、「夜逃げじゃないんだからね!」「恥ずかしくないのか?・・・」「何も悪いことはしていないんだから、恥ずかしいなんて、これっぽっちも思ってないわよ!」「ヤレヤレ、負けん気の強いのだけは変わらん・・」そう言うと伯父さんはトラックの運転席に乗った。妹と母は助手席に、私は荷台の空いたところに座るトラックの荷台から家を眺めていると色々な事が思い出され、涙が止まらなかった。これから、一人の生活が始まる・・・母と妹は隣町で借家暮らし、私は狭いアパートの一室を借りて暮らすことになっている。何故?母が私にこう言った・・・「もう大人なんだから一人で生きていけるわね」と。人の口に戸は立てられないと良く聞くけれど知らなくても良いことを教えてくれる人が世の中にはいるものだ・・・母に男がいると(言葉が悪いですが)それもかなり年下のようです。実は私、知っていました。敢えて、見てみない振りをしていたんです・・・コレが現実で、コレが人生・・・親も人の子、母親が女だったと知った十八歳。その人が母を助けてくれるならそれはそれで良いじゃないか・・・大人の世界を悟ったような十八歳・・・お疲れさまでした。悔いのない一日を・・・
2008.08.15
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<彷徨う十七歳の心>参・・・(改心?)意識不明で倒れた私・・・後に母と妹が私に話してくれた内容は下記ようでした。母は留守で家にいたのは、小学生だった妹。庭で大きな音がしたので、驚いて見に行くと私が倒れていた。「姉ちゃん、姉ちゃん!起きてよ、死んじゃうよ!」何度呼んでも返事がない。姉の身体を引きずって家の中に入れようとしたが動かなかった。外は雨が降っている。(どうしょう・・・)押入から毛布を持ってきて姉の身体が塗れないように被せた。あとは母の帰りを待つしかない・・・姉の様子を見ながら泣いていた。母が帰宅したのはそれから、二時間位してからで、庭の異様な雰囲気に驚き、泣き疲れて寝てしまっていた妹を起こし事情を聞く。「何があったの?」「姉ちゃんラリってた」「ラリってた?って薬飲んだの?」「知らない・・・さっき話したときおかしかった」母は自分の指を私の口に突っ込み、胃の中の物を吐かそうとしたらしい。(意識が無くても吐くことが出来るのだろうか?)頬を叩いた。何をしても意識が戻らなかった。(救急車を呼べば警察に事情聴衆されるだろう)母は悩んだという。(意識はないが息はしているのだ・・・このまま暫く様子を見てみようか…)母は私にオムツをあてがいベットに寝かせた。意識のない私の体はさぞ重かっただろう・・・一日過ぎても意識が戻らない二日目・・・意識の戻らない私におもゆ状の食べ物やリンゴジュースを口に含ませたりした三日目。耳元で話しかけたら頷いて返事をする目は開いていないが意識が戻ったようだ。私の意識が戻ったのは三日後で、朦朧とした意識の中で目を開けた私が最初に見たのは、ここに居るはずのない父の顔だった。母が呼び寄せたという。「どうして父さんが居るの?」「母さんが知らせてきたんだ。お前が自殺したって」「私が自殺?した・・・」「余り母さんを困らせたら駄目だぞ、いいな?」「父さんは、このまま家にいるの?」「いいや・・・もう行く・・・」「父さん、ううん、何でもない・・・」眠気に襲われている私は、父の後ろ姿をボンヤリと見送りながら再び眠りに就いた。多くのことは望んでいない。倒されたり、踏まれたり時には地に這い蹲ったり転げ落ちたりして人は生きてゆくのだろうか生きて行くには、辛いことばかりそれでも生きてゆけと云うのなら私は、私なりに生きてゆくのだろうもう何も怖くはない一度は死んだこの体・・・それなりに生きてゆけたらそれで満足じゃないか・・・いま、この時から私は生まれ変わる。私自身のために・・・お疲れさまでした。次回の更新で最終回となります。悔いのない一日を・・・
2008.08.14
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スーパーの屋上からいつも散歩に行く港が見える。しばらく眺めていてふっと、思ったこと。生きるとは、人を愛するとはどんな意味をもつのか・・・過去を振り返って、心に残る出来事などを思い出す生きてゆくことの意味を改めて、自ら問いかけるできることなら、いま見ている空のように自然体でありたいと思う。両親がこの土地で育って出会い、結婚して私達が産まれた私も親と同じ、この土地で恋をし、子供を産んだ。ここが、両親の故郷であり私たちの故郷なのにいつまで経っても、この土地に愛着が沸いてこない。いい加減、この土地に馴染まなくては・・・ここが私の故郷なんだから。感謝の一日を・・・
2008.08.14
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<ひとり言>故郷に帰省する人都会から戻ってくる人様々な人が駅の構内を行き交っている私の前を歩く女性・・・キャリーバックをゴロゴロ引いて、片手には土産と思われるような紙袋足取りも軽い。故郷に帰省するんだろうか…楽しい休日になるといいね・・・と後ろ姿を眺めながら願う。今日の空・・・PM:6時30分頃反対側の空には月が出ていた。お月様が見えますでしょうか・・・私の住んでいる町は電柱がやけに多いように思う。けれど、私はその風景が嫌いではない。何故なら、そこには人の暮らしがあり、温もりがあるような気がするから・・・そんな風に思いながら写真を写していると邪魔だと感じていた電柱がこの土地にはよく似合っている…と、思えてくるから不思議だ。心豊かに・・・
2008.08.13
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日曜日の午前6時から墓地の清掃でした。我が家の墓地は、母親の在所近くで、車で走ること20分くらいかな。田舎なので、何代もこの地域で暮らしている人の先祖の墓が殆ど。私のように離れた地域の者は珍しいようです。母が生前に購入していたもので、「自分が死んだらここに入れてくれ」との遺言で、そのとおりにしただけで。周りには母の兄姉・・・伯父さん、伯母さんが、隣や向かいに居るというわけで、親戚の目が光っています・・・余り長いこと放ってはおけません何を言われるやら・・・もっとも、何を言われても私の所までは届きませんが、毎年、決まった清掃の時だけは、連絡が入ってきます。檀家墓地ではなく、地域の共同墓地なので盆前にはそれぞれの墓地の持ち主が周辺の清掃を毎年行います。久し振りに朝早く家を出る。午前5時・・・朝日はまだ昇っていない空気が爽やかだった。そして、今日、一日早いのですが、明日は他の用があるので今日、お墓参りを済ませてきました。母が「ご苦労さん」と笑いながら言ってくれたような気がしています。妹が「そんなに沢山線香炊いたら勿体ない」と私に説教をしているような気がしました。合掌・・・秋には妹の三回忌がくる。光陰矢の如し・・・(溜息)心穏やかに・・・
2008.08.11
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前回の続きとなりました。<彷徨う十七歳の心>弐・・・(崩壊)ギターを壊されてしまった事が悲しかったんじゃない。自分を解って貰えなかったのが悔しかった。小学生の頃から漫画家になりたくて、自分なりに漫画を一生懸命書いた。中学生になって同じ漫画の好きな友達とまんが同好会を作ったりして情熱を注いだ。部活のバレーボールにも自分なりに励んだつもりだった。母に、「中学校を卒業したら東京に行って漫画家の弟子になる」と将来の希望を告げたら、頭ごなしに反対され「漫画の本を開くだったら、教科書を開きなさい。学校の勉強もしないで、漫画ばかり読んでるからアナタは成績が悪いのよ。今日から漫画禁止!」と言って小遣いで買った漫画の本をドブに捨てられた。「高校を卒業してからでもなろうと思えばなれるでしょ!勉強もしない者が、漫画なんて書けるはずがないでしょういい加減、勉強に本腰入れたら?」「・・・」 この時は、何も言えなくて母のいいなりになった。高校二年の夏休み、膝に水が溜まるようになり痛い水を抜いては部活に励んだが・・・軟骨が飛び出て神経に当たると足に激痛が走るという症状がでて、膝の骨が飛び出てしまった。結局、激しい運動が出来ない足となる。手術をしなければ治らないし、治っても元通りにはならないと医師から宣告された。悩んでいた・・・迷っていた・・・何か目的が欲しかった・・・そんな矢先、ちょっとしたことから音楽をしてみようかな。漠然と考えた矢先の出来事・・・もう嫌だ・・・この日から、母と殆ど口を利かなくなる。父も家に居ない日が多くなっていた。たまに父親の顔を見かけると母が父に何やらヒステリックに文句を言い続ける。その後、父親の顔も殆ど見なくなった。実家の工場は倒産。母は債権者への対応で走り回る日々・・・母の目が届かないのをいいことに学校をサボり町を徘徊した。当然のことながら、質の悪い友?が出来る・・・不良仲間。ロックバンドをしていた仲間の所にも行かなくなり、幼馴染みや、クラスメイトとも距離をおくようになった。不良の集まる場所にたむろする事が多くなる。バイクを乗り回し、アンパン(シンナー)タバコ、くすり、いつしか不良と呼ばれる人間になっていた。だけど・・・心は何も満たされない。楽しくなかった。ただ、ただ、空しいだけ・・・心の何処かで(コレでは駄目だ)と思ってはいるのだが・・・現実逃避?私なんて、いても、いなくても関係ないわ。どうでもいい人間なんだ・・・馬鹿だなぁ・・・私はなんで生きているのだろう・・・生きるのに何の意味があるんだろう・・・どうせ、人間、いつかは死ぬんだし・・・そんなことを思いながら、家に戻る。母は留守で、小学生の妹が居間でテレビを見ていた。「母さんは?」「居ない・・・遅くなるって」「ふ~ん。アンタはしっかり勉強しなさいよ」「うん。お姉ちゃん学校から電話あったよ」「んーなもん、放っとけばいい。今度電話があったら、お姉ちゃんは死にました。って言っときなさい!」「お姉ちゃん、最近変だ。ラりってばっかし・・・」「うっさいな~!アンタは真面目に勉強してればいいの!」自分の部屋で仲間から譲って貰った薬を飲む暫くすると部屋の壁や天井がグルグル回った死ぬかも知れないから何か書き残しておこう・・・父が趣味で集めていた石が庭に転がっているフラフラした身体でマジック片手に「健全なる身体に宿る健全なる精神」と書いた。ついこの間までは、この言葉が好きだった・・・部屋に戻る途中?・・・私は意識を失ったようだ。ここから先の三日間は意識がないので、私にはどの様な状態か解りません。兎に角三日間、意識不明だった私は、死に至らず、現実の世界に戻ってきたのは確かです。この続きはまた次回にて。感謝の一日を・・・
2008.08.11
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<彷徨う十七歳の心>…壱(広島から帰ったその後)母と向かい合わせで電車のシートに座る。何も語ることのない車内に長く重苦しい沈黙が続いていた。相変わらず窓の外をボンヤリと眺めている…暫くして、母がバックの中から一冊の本を取り出しながら言う「これからどうするつもりなの?」「帰ってから考える…」「家に着くまでに答えを出しておきなさい」と言った後、本の文字を追いかけ始めた。電車が名古屋近くなった頃、自分の考えを母に伝える「学校は続けるから…アルバイトをさせて欲しい」「両立出来る覚悟があれば好きにすればいい」「出来るかどうかはやってみなけりゃ解らないじゃん」「そんな覚悟なら、やらない方がいいでしょ!」「なんで、いつもやらないうちから決めつけるわけ?」「今まで何でも中途半端で辞めてるでしょう」「・・・」また、会話が途切れた。十七歳、高校三年生・・・実家の工場を手伝っていた兄が船乗りになり、姉は行儀見習いという名目で、親戚の家で生活をするようになっていた。両親は、工場の不振で毎晩大きな声で相変わらず言い争いをしている。あー、やだなぁ…こんな家に居たくない。学校の帰りに寄り道が多くなった。そのうちに夜の街を徘徊するようになり、ロックバンドをしているグループと知り合った。そのグループの所に入り浸る日々…工場のことで頭が一杯の両親は、もう私には見向きもしなくなっている。ある日、私がギターを練習しようとグループの一人から借りたギターを手にして自宅で弾いていたら、母がいきなり部家に入ってきて、ギターを私の手から奪うとテーブルに叩きつけた。「ぐわ~ん、ぐしゃ~~ん~~~」私の心の音が壊わされたギターの音と重なり合った・・・「アルバイトしてあなたが友達に弁償しなさい!」遊んでいたら駄目だ、と言いたかったのだろうが、その時の私には母の心中が理解できなかった。部屋を出てゆく母の背中めがけて壊れたギターを思いっきり投げつけた私・・・「ぐぎゃぁ~ん、ぎゃぁ~ん」再びギターが悲しい音を出した涙が溢れて止まらない・・・この続きは次回にて。短編小説風にこれからも時々書いてゆくと思います。暗い場面が多いですから、スルーOKです(^^;)悔いのない一日を・・・
2008.08.08
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午前中・・・古いダンボールを開けて中に入っているレコード盤を整理した。今日まで、中を開けて見たことが無い。押入の中に積んだままで放って置いたのをようやく片付ける気になり、重い腰をあげた次第で・・・両親の物から兄や姉の物…母親が亡くなったときに実家から持ってきたものだ。一枚ずつ手にとって眺めていたら、このレコード盤を聴いてみたくなった が、あいにく私にはレコードプレーヤーが無い。ピンクレディーにオフコース安い物を探そうとネットで検索したら、有るにはあったが・・・イマイチ迷いが生じていた。水谷豊、森田健作、海援隊和田アキ子、中村雅俊、舟木一夫・・・皆さん随分と若い!驚きですね☆わ~何コレ?・・・橋幸夫…ビニール?プラ?で出来ているペラペラのが8枚くらい入っていました。↓こちらは舟木一夫でした。こんなの聴けるのかなぁ・・・益々、聞いてみたくなってきましたよ~ラジオ体操のレコード??初めて見た。ネオン無情…北の富士って大相撲の親方じゃん!はっーははは・・・???知らん、知らん、全く解らん。青木洸一、三波春夫、天津羽衣、あ、一人名前メモるの忘れました(^^;)三橋美智也と春日八郎のツーショット?で武田節に風林火山って書いてあるかなりレトロな音楽のようです・・・コレは聴く価値あるかもねー☆おっ!これは懐かしいムード歌謡じゃありませんか!ん?なになに・・・星降る街角、おおおっ!小さなスナックだってか!足手まとい。に、よせばいいのに、画像にはないけれど氷雨とか、矢切の渡し、とかもあった。今から逆算したら、どれくらい前になるんだろう…あれまぁー!民謡まで・・・全部で150枚くらいはあった。山口百恵や桑名正博、演歌歌手やらその他色々。LP盤も含めたらもっとあるかも…やっぱりネットでプレイヤーを検索して買おうと決めた。午前中は、このレコード盤の整理で時間が過ぎた。昭和の時代を暫く懐かしんだ。皆さんには、小汚い画像で申し訳なく思っています。お口直しに今日の空・・・PM:6時頃お疲れさまでした。明るく楽しい一日を・・・
2008.08.07
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<この道の向こうに>この道の向こうに過去の私がいた・・・今日のこの空の下に現在の私がいる・・・この道の向こうにいるのは未来の私なのだろうか・・・夏の一日がゆっくりと過ぎてゆく・・・感謝の一日を・・・
2008.08.06
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ひとりごと・・・<広島の想い出>私が小学生の頃は、現在のように携帯電話のような便利な物は存在しなかった時代でした。雑誌の文通欄で知り合った広島の女の子写真の交感をしたり、お互いの悩みや学校のこと将来の夢などを文字で語り合っていた。小学5年生から文通を初めて、中学、高校と続いていた。高校二年の時、私は足を悪くして運動が出来なくなった悩みを彼女に綴って書いた。悪いことは重なるもので、丁度その頃から、父の経営する工場が倒産に近い状態に追い込まれ、両親の諍いが絶えずあったりして16歳の私はそんな両親を見るのが、たまらなく嫌だった。この家から出たい・・・そんなことを手紙に書いて彼女に送った。広島に来んしゃい。家に泊まればいいけェありったけの小遣いを手に、私は広島に向かった。家出?のつもりだった・・・コレが私の放浪の始まりなのかも知れない。広島駅に着くと彼女が迎えに来ていた。「宇品」と云う所から彼女の家がある「似島」と云う島まで船で渡る。二日ほど居候させて貰い、その後彼女と二人で広島市内に向かい私の仕事探しをした。彼女には父親がいない。弟と彼女とお母さんの三人暮らし、彼女は家計を助ける為に中学卒業後、昼間働き夜は定時制の高校に行くという生活をしていた。彼女のバイト先は八丁堀の繁華街にある飲食店で、賑やかな通りにあった。その近くの喫茶店で雇って貰えることになった。しかし・・・我が儘な私には、この喫茶店がどうも肌に合わない。三日で辞めた。他を探すから付いてきて欲しい…と彼女を困らせた。やっとこさ見つけた店は、繁華街から離れた国泰寺町という閑静な住宅街の一角にあった。高校を辞めるつもりでいた私は、このまま広島で暮らそう…と思い始めていた。ウェイトレスの仕事にも慣れて一週間…店のドアが開く・・・「いらっしゃいま…せ…?」彼女が顔を見せたのだが、その後ろにもう一人いた。私の母だった。母は座席に座ると店の責任者を呼ぶよう私に命じた。もはや、これまでか・・・心の中で呟いていた私レジにいたママさんと何やら話した後、私に「帰る、帰らないは自分で決めなさい」と言いながらコーヒーを口に運んでいた。「このまま居たいんだけど・・・」「学校は、どうする?中途半端なことしてたらあかん」「・・・」黙って俯いていた私に後ろからママさんが「高校卒業してから、また広島まで来たら良いけェ、一度お母さんと家に戻りんしゃい」と言って封筒を私の前に出した。「今日までのバイト代じゃけん。また来んしゃい、ね。」「ありがとうございます…」母の後を気怠そうにしながら付いて歩く。そんな私に母が振り向いて声を掛けた。「折角広島まで来たんだから、平和公園に寄ろうか?」「・・・はぁ…」そんなわけで親子で平和公園の見学となった。原爆ドームを眺め、記念館を見学している母の横顔を見て私は、言葉に言い表せない衝撃を受けた。母の目から大粒の涙がこぼれ落ちていたのだ。子供の頃でも思い出したのだろうか?・・・見てはいけない物を見たような・・・そんな気がして、そっと母の傍を離れた。帰りの電車の中で私は、ボンヤリと何時間後には、両親から耳の痛くなるような説教が待っている事を考えながら、窓の外を眺めていた。毎年8月6日の「広島原爆の日」がくるとこの出来事を思い出してしまいます。心穏やかに・・・
2008.08.05
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何の意味があって?このようなことをするのか意味が全く分かりません夜、ブログページを開いたらこんなアクセスがびっしり…以前にもこれと同じことがあったのですが今回で二度目なので載せてみました。以前の時以上の数で、このページにコピーしきれない程です。32212 2008-08-03 22:20:53 202.131.*.* 32211 2008-08-03 22:20:53 202.131.*.* 32210 2008-08-03 22:20:53 202.131.*.* 32209 2008-08-03 22:20:53 202.131.*.* 32208 2008-08-03 22:20:53 202.131.*.* 32207 2008-08-03 22:20:53 202.131.*.* 32206 2008-08-03 22:20:53 202.131.*.* 32205 2008-08-03 22:20:53 202.131.*.* 32204 2008-08-03 22:20:53 202.131.*.* 32203 2008-08-03 22:20:53 202.131.*.* 32202 2008-08-03 22:20:53 202.131.*.* 32201 2008-08-03 22:20:53 202.131.*.* 32200 2008-08-03 22:20:53 202.131.*.* 32199 2008-08-03 22:20:52 202.131.*.* 32198 2008-08-03 22:20:52 202.131.*.* 32196 2008-08-03 22:20:52 202.131.*.* 32196 2008-08-03 22:20:52 202.131.*.* 32195 2008-08-03 22:20:52 202.131.*.* 32194 2008-08-03 22:20:52 202.131.*.* 32193 2008-08-03 22:20:52 202.131.*.* 32192 2008-08-03 22:20:52 202.131.*.* 32191 2008-08-03 22:20:52 202.131.*.* 32190 2008-08-03 22:20:52 202.131.*.* 32189 2008-08-03 22:20:52 202.131.*.* 32187 2008-08-03 22:20:52 202.131.*.* 32186 2008-08-03 22:20:52 202.131.*.* 32185 2008-08-03 22:20:52 202.131.*.* 32184 2008-08-03 22:20:52 202.131.*.* 32183 2008-08-03 22:20:52 202.131.*.* 32182 2008-08-03 22:20:51 202.131.*.* 32181 2008-08-03 22:20:52 202.131.*.* 32180 2008-08-03 22:20:52 202.131.*.* 32179 2008-08-03 22:20:51 202.131.*.* 32178 2008-08-03 22:20:51 202.131.*.* 32177 2008-08-03 22:20:51 202.131.*.* 32176 2008-08-03 22:20:51 202.131.*.* 32175 2008-08-03 22:20:51 202.131.*.* 32174 2008-08-03 22:20:51 202.131.*.* 32172 2008-08-03 22:20:51 202.131.*.* 32172 2008-08-03 22:20:51 202.131.*.* 32171 2008-08-03 22:20:51 202.131.*.* 32169 2008-08-03 22:20:51 202.131.*.* 32169 2008-08-03 22:20:51 202.131.*.* 32168 2008-08-03 22:20:51 202.131.*.* みなさんのページにもこのような事ありますか?理解不可能で余り良い気分ではないですね。
2008.08.03
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あー、何処かに行きたいなぁ・・・そんなことを思いながら先日の失敗画像を加工していました。PCから消してしまうはずの太陽とコスモスの花の画像です。背景をとばしました。花が終わって種をつけていた名も知らぬ植物が、来年の準備を始めている…空の景色。先日の画像ですこちらは加工ナシで・・・8月に入ってから日が短くなったように感じます。夏休み真っ只中なのに、近所を散策していると秋に出会います。植物は夏の暑いうちから人の見えないところで次の準備をしているんですね。赤トンボが私の目の前を飛んでいます。心豊かに・・・
2008.08.03
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久し振りにいつもの港に出かけました。地元の花火大会以来ですから、十日振りくらいでしょうか。処方箋の漢方薬が効いたのか、それとも暗示にかかりやすい性格なのか若干、食欲が出てきています。(嬉しいことです(^o^)通りすがりの原っぱでは、コスモスが花を付けていました。港で夕日を眺めていると、満潮の海に何やらオカシナ物が…鉛色の海面に小魚が群れていましたセイゴかな?アジに似たような小魚が海面を時々跳ねています。跳ねたところをカメラに収めようとじーっと待っていたのですが、タイミングーーーが合わずに断念しました。(^^;)毎度、同じ様なアングルで進歩がないですねェ~夕日の画像をもう一枚…港の近くに木綿織物の工房があります。時間が過ぎていて、もう閉まっていましたが、横の庭に綿の花が咲いていましたので写してきました。百合の花も咲いていました。真夏のの夕方…のんびりと潮風に吹かれて来ました。感謝の一日を・・・
2008.08.02
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