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この所、少し天気が良い日は日帰りの旅に出て雨の日は映画館でのんびりと映画鑑賞をしている。この前の続きを少しだけ書いておきたい。世界中で自国の領土が増えるときや減るときはだいたい戦争が原因なんだよね。日本も日露戦争で勝利したときに樺太を自国の領土とした。満州という場所に「満州鉄道」というものがあった。 元々はソ連が管理していたものだが日露戦争で勝利して以降はこれも日本が管理することになった。じつは、日本は満州そのものを手に入れたかったのだがこれに中国が猛反対をしていた。そこで無理やり始めたのが日中戦争だ。この戦争に日本は全勢力を傾けるということで「国家総動員法」という法律を制定する。これにより、軍人かどうかは関係なく招集されれば日本国民は戦争に参加しなければならないという法律だ。1941年には日本が本格的に参戦する「太平洋戦争」が始まる。つまり、1941年以降、日本は職業を問わず一般国民も戦争に参加させられ相手は中国(日中戦争)とアメリカ(太平洋戦争)という最悪の状態へと突入していくことになる。国民総動員で無謀な戦争をした日本は1945年8月に無条件降伏をして敗戦国となる。それまでの戦争で勝利して取得していた領土はすべて取り上げられ北方4島はソ連軍に占領され日本人は追い出された。日本本土も進駐軍というアメリカ軍が占領した。1949年(昭和24年)、東西冷戦が激化すると朝鮮半島の軍事的緊張が高まった。その為にアメリカは沖縄に大規模な軍事基地や施設を建設した。軍道1号線(現在の国道58号線)の拡張工事を行い那覇軍港を整備し弾薬倉庫や米兵用住宅などの軍用地開発が推進され沖縄本島は極東最大の米軍基地となった。1950年(昭和25年) 朝鮮戦争が勃発し朝鮮特需が始まり日本人の生活は豊かになってきた。1952年(昭和27年)4月3日に平和条約が発効されやっと日本の主権が回復した。しかし、北方4島はソ連・沖縄はアメリカに占領されたまま帰ってこなかった。ソ連やアメリカからすれば戦争によって勝利し奪い取った島は自分たちの物だという認識だ。日本も太平洋戦争に負けるまではそうやって自国の領土を増やして来た。ワタクシが初めて沖縄を意識したのは50年位前になる1968年(昭和43年)に東京の大学に入学した時だ。汚い下宿の隣の部屋に住んでいた沖縄出身の女子大生と友達になった。その時に東京に来るのにパスポートが必要だと聞いた。その時には「え~~日本人が東京に来るのに何で??」「俺、九州やけどそんなのいらんかったよ。」使っているお金も円ではなくドルだと聞いた時には「沖縄は日本じゃないのか??」と強烈に思ったし彼女に琉球政府発行のパスポートを見せられたときには無知なワタクシはかなりびっくりした記憶がある。日本の敗戦以後、沖縄の施政権はアメリカに渡った。しかし、アメリカ国籍になったわけではなくアメリカが統治する沖縄という地域が生まれただけ。1952年からはアメリカ民政府の下で琉球政府が発足したがその主席はアメリカ民政府による任命制であったからアメリカのすることに対してなにも言う事は出来なかったアメリカは戦争に勝利して奪い取った土地だから当然のように住民の土地を収用して多くのアメリカ軍の基地を造った。沖縄にはとりあえず独自の琉球政府が生まれた。このように日本なのに日本で無いアメリカでもないという奇妙な状態の地域になってしまった。車が右側を走り、人々がドルを使って買い物をする。本土の警察官はおらず、もちろん自衛隊もいない。しかし、学校の教育は日本語で行われており日本語のテレビもあり新聞も出されていた。しかし、すべての最終的な意思決定権はアメリカが握ったままだった。その年の夏休みにワタクシは沖縄に帰省する友達に招待され初めて沖縄に出かけた。日本本土から沖縄に行くのもパスポートが必要だった。しかし、このパスポートは日本の外務省発行ではなく総理府発行の沖縄渡航専用パスポート(身分証明書)でアメリカ民政府による渡航(入域)許可証(今のビザみたいなもの)が渡航専用パスポートに添付された。当時は1ドルが360円のレートだったのでたった50ドルと両替するのに18000円以上必要だったのを覚えている。戦後20年以上過ぎていたので沖縄の街はそれなりに賑わっていたがワタクシが初めて見た沖縄は日本とは違った街だった。道路も歩いている人も走ってる車も違った。空を見上げりゃ異国の旗が無常になびく沖縄の島。場所も寺の名前も忘れてしまったけど沖縄に滞在中に友達に連れて行ってもらった寺の坊さんは右手が無く顔も首も見える所は火傷の痕だろうケロイド状になっていた。ワタクシが本土から来た学生だと知るといろんな話しをしてくれた。当時は沖縄から本土に出て行く人は多かったが本土から沖縄に出かける人は少なかったので珍しかったのかもしれない。この坊さんは戦争前から教員をしていて右手が無いのや火傷の痕はアメリカ軍の火炎放射器で焼かれたもので学生達と逃げている時にやられたのだがほとんど記憶は無く気が付いたときにはアメリカ軍の病院だったようだ。戦争中は日本人は日本の為に戦うべきと思っていて子供達には死んで国のためになれ死ぬ前にアメリカ人を殺せと教えていた。たくさんの教え子は、その言葉を信じて「アメリカ人を殺して立派に死にます。」と言って学校に別れを告げて戦争に行った。「立派に死にます。」と言って出て行ったきり帰って来なかった。と何度も言っていた。自分は死なずに生き残ってしまった。敗戦のとき自分がどんな事をしたのか思い知らされた。その後も自分で自分の命を終わらせようとしたが意気地なしで出来なかった。子供達を戦争に追いやり、死なせたのは自分だから自分はその後悔を、一生背負っていくと決めて坊主になった。自分が生きている間は供養し続けなければいけない。そんなふうに、涙しながら、語っていた。戦争中に日本からアメリカや連合国軍を見たら鬼畜米英だがアメリカから日本を見たらやはり鬼畜日本だったのではないだろうか。戦争は人間を鬼にする。戦争だけはしてはいけないと言っていた。ワタクシも戦争には反対派だ。当時はベトナム戦争が拡大して沖縄の米軍基地からも戦闘機や爆撃機が飛び立っていた。ベトナムでの負傷兵は沖縄や横須賀の米軍病院にも搬送されていた。本土ではベトナム戦争反対と一部の学生が騒いでいたが、そんなに話題になる事は無く1970年の大阪万博の準備が進んでいた。1969年には当時の佐藤首相とアメリカのニクソン大統領の会談の結果日米共同声明が発表され、日米安全保障条約の堅持「核抜き・本土なみ」の返還が合意された。これらに基づき1971年に沖縄返還協定が調印され1972年5月に沖縄返還が実現した。しかし、施政権は返還されたものの、米軍基地はそのまま残された。沖縄に核兵器は持ち込まないという話だったがそれを検証する方法はない。「核抜き返還」についても大きな疑惑が存在したため反対運動が起こった。沖縄返還の裏には密約があったとマスコミが騒いだがワタクシは密約があるのは当然だと思っていた。戦争で自国の自治領となった領土を無条件で簡単に返す国があるだろうか少なくともワタクシは聞いた事がない。表向きは日米安全保障条約の堅持を条件としてはいるが裏ではいろんな密約があるのは当然だと思う。とりあえず返してもらって日本国の沖縄県となってパスポートなしで行き来できるだけでも良かった。出来れば早い時期に基地が無い沖縄にして欲しいがそう簡単にはいかないと思う。少しずつ、少しずつ地道に少しずつだ。北方4島なんて今でも自由に行く事ができない。ビザなし交流なんていって時々は島に墓参りに行っているけどロシアが4島を返還なんてまず考えられない。今も美味しそうな話をちらつかせて日本から金を引き出そうとしている。友好条約を結んだら2島は返還するなんて言っているがまず無理だろう。戦後70年もロシアの人民が住み着いて生活している島を住んでいる人民を追い出して日本にお返ししますなんて事を言う国は見た事も聞いた事も無い。クリミアを軍事力で奪い取ったロシアが日本には特別に4島をお返ししますなんて事を言うと思うか?1968年に初めて沖縄に行ってからもう100回以上沖縄を訪ねた。この5~6年沖縄が変わってきたように感じる。米軍基地は要らないという気持ちは理解できるが基地の前で通路を塞いで抗議集会はどうなんだろう?隣の国が行っている日本に対して行われる蛮行は罪ではないという反日無罪と同じように沖縄では反基地無罪なのだろうか?
2017/06/28
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土曜、日曜とのんびりと暮らしている。23日は沖縄慰霊の日だったし、東京都議選も始まったし海老蔵の嫁さんの小林真央の死去の報道もあったし自民党の豊田真由美衆議院議員の「ハゲ~~」発言でテレビ局はハゲしく盛り上がっているしニュースの多い一日だ。ワタクシ個人的には「ハゲ~~」事件が一番楽しい。国会で質問している話し方と「ハゲ~~」のギャップが素敵だ。ワタクシも最近髪の毛が薄くなってきているので後ろから「ハゲ~~」と大声で言われたらびっくりすると思う。ワタクシ歳をとってからあまり笑わなくなったが「ハゲ~~」には久しぶりに笑えた。ワタクシから座布団3枚進呈したい。離党して病院に逃げ込むなんて古い手を使わずに気持ちよく議員辞職してくれたら座布団5枚だったのにな。東京都議選は九州に住むワタクシにはあまり関係がない事ではあるがなぜかしら何処のテレビ局でもニュースの初めの方で大きく報道される。都政が国政を変えるなんて言って盛り上がっている。小池君の党もも自民党も共産党もその他の党も立候補した人は全部頑張れ。そして当選したら私利私欲を捨てて都民のために一心不乱に尽くしていただきたい。そんな人はいないだろうけどね。小林真央さんの死は少し早すぎたように思うがこれも運命。海老蔵よりも子供達の事が心残りだったろうとワタクシは勝手に思っている。人間は生まれてきた以上必ず死ぬ。早いか遅いかは分からないがこれは間違いがない事だ。ほとんどの人間は、出来れば遅い方が良いと思うだろう。ワタクシも遅い方が良いと思うが自分の事が自分で出来る間だけで良いと思っている。ボケて寝たきりになってまで生きていたくない。34歳で小さな子供を残して逝くのはやはり早すぎるやはり、この世には神も仏もいないと言うことだな。ワタクシ、神も仏も信じない人だから良いけど。沖縄慰霊の日太平洋戦争末期の沖縄戦で犠牲になった24万人以上をしのぶ日だ。戦争は良くない。戦争をしてはいけない。ワタクシはハゲしく戦争反対だ。戦争が良くないと言う事は日本国民みんな思っていると思う。沖縄は1972年に本土へ復帰するまで米軍の施政権下におかれ米軍基地が次々と出来たのは事実だがしかし、テレビの報道を見ているとなぜかしら違和感を感じる。沖縄の人に怒られるかもしれないがなぜだかをよく考えて次のときに書いてみる。
2017/06/25
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昨日は長崎の島原まで出かけてきた。5月の末に飛行機に乗っていたらちょうど雲仙の普賢岳の上空ですとアナウンスがあった。1991年6月3日に大火砕流が発生してもう25年もたったのだ。飛行機から普賢岳や港、島原城も見えた。久しぶりに行ってみたいと思っていたが昨日、梅雨の曇り空なので良いチャンスだと思い出かけた。車だと高速で長崎道から行くのだが出来れば運転はしたくないJRの特急で諫早まで出て島原鉄道で行くか新幹線で熊本まで出て熊本港から島原までフェリーで渡るかだが大牟田からも高速船が出ているようだ。しかも、福岡からは一番早いルートの様なのでこれに決めた。今回も日帰りなのでこのルートで行っても現地滞在時間は5時間しかない。いつものように自宅近くのバス亭より天神まで出て福岡天神駅より特急電車で大牟田に着くと連絡バスが待っていて三池港に到着するとすぐに出航だ。待ち時間がなく結構あわただしいが乗船客はワタクシを含めてたった5人だ。90人乗りの船に、たった5人では採算が合わないだろう。ワタクシ、船に弱いので船酔いの心配をしていたがラッキーな事に有明海は風がなく、べた凪でこの船は全く揺れない小さいけどかなりのスピードで走って、快調な船旅だ。船賃は片道2300円とやや高いが往復だと帰りは少し安くなった。それよりも乗船のときの貰ったパンフレットの乗船6つの特典が良い。今回は2つしか使えなかったがレンタサイクルが無料で借りられる。電動アシスト付きのチャリンコが普通は1時間300円なのに4時間で1200円分借りても無料だ。島原城の入館料540円も無料だ。年金暮らしのジジイには非常にありがたい。ジジイ、ババアだけではなくこの船に乗った人は全員無料だがレンタサイクルを借りたのはワタクシ一人だけだった。観光案内所でガイドマップを見ながら昔お姉さんだった方から地図には載っていない穴場のスポットを教えてもらう。「車が入っていけないような所に珍しい所や面白い場所が多いので行って来て下さい。」とガイドマップに印をつけてもらって出発する。今回は時間の関係もあって災害記念館には行かない事にした。チャリンコに乗るのは久しぶりだが風が気持ちよい。強い日差しがない曇りの日を選んで来て大正解だ。島原港からまずは島原城に向かう3キロぐらいはあるのか途中にある寺や古い町並みを見ながら車が少ない裏通りをのんびりと走る。ひなびた地元の食堂で昼飯を食うが普通の味だ。あまり多くを期待してはいけない。島原城に着いたが平日でおまけに梅雨の時期なので来館者は少ない。ほとんど貸切状態だ。城の中にはキリシタンの資料や郷土民族の資料が展示されていて興味のある人には良い所だ。城の外には天草四郎の銅像もあるが島原の乱で天草四郎時貞が籠城して戦ったのはこの城ではなく少しはなれた南島原市にある原城だ若干16歳の天草四郎時貞を一揆軍の総大将として戦場では十字架を掲げて軍を率いたと伝わっているけど実質的な指導者は浪人や庄屋達ではなかったかとの説もあるようだがワタクシはこの時代に生きていなかったので分からない。当初は一揆勢が優勢であったが、やがて守勢に転じ天草勢も加わり3万人余が原城に籠城して4ヵ月間がんばったが全滅した。その後、城は破壊され、一揆勢の無数の遺体はそのまま埋められたようだ。原城跡は島原天草の乱の舞台として、国の史跡に指定されている。最近の発掘調査で無数の人骨とともに鉄砲玉を鋳つぶして作った十字架などが大量に出土しているようだ。この島原の乱では数千人の首が現地でさらされ天草四郎時貞ら指導者4人は長崎の出島でさらし首になったと本で読んだ記憶がある。悲しい歴史だが此処にはそんな説明書きはまったく無かった。5時間しか滞在時間が無いのにもう半分以上が過ぎてしまった。あわてて、武家屋敷跡の水路に行って見る。静かで観光客は誰もいない。車は乗り入れできないがチャリンコは大丈夫だ。当時の武家屋敷3軒をゆっくりと見て回ると時間が無くなって来る。しまばら湧水館で地下水脈の説明を聞いているともうタイムアウト。港まで激走する。競輪選手のつもりで激しく走る。5分前になんとか到着した。汗を拭きながら乗船するとすぐに出航だ。楽しかったけど慌ただしい一日だった。
2017/06/23
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今日は朝から株式の動きを見ている。1719安藤ハザマがまた下がってきたので気合を入れて寄り付きに690円で買ってみる。今回は少し怖いので前回の半分の5000株にした。699円までは戻したがそこから伸びない。危険が危ないと思ったので698円で全部売ってしまった。1日の日当分にはなったがあまり面白くは無かった。日経が気合を入れて騰がっているがワタクシは夏頃には下がるだろうと思ったので1357日経ダブを1690円で300だけ買ってみた。怖がりなのでとりあえず300だけにしておいて日経が騰がるようだったら少しずつ買い増して行く予定。もう10時になったし株はあまり動きがないし今日は午後から雨になるようなので暇なので今から雨樋の点検でもしよう。
2017/06/20
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17日の土曜日は天気が良く暇だったので福岡市博物館までポンペイの壁画展を見に行ってきた。このポンペイの壁画展去年の12月に兵庫県立美術館で開催されているときに大阪に行ったついでに見る予定だったけど行けなかった。今年の3月に山口県立美術館で開催されている時にちょうど山口市に買った物件の件で何度も近くまで行ったのだけれども見には行けなかった。最後の福岡市博物館での開催も残り2日間となってやっと見にいった。ワタクシ、なまけものなのでなんでも、ぎりぎりにならないと動かない性分だ。福岡市立博物館まではワタクシの自宅からバスで15分くらいバス賃は200円と安い。ただし、一番近いバス停では無いのでバスを降りてから10分程度は歩かなければならないがジジイには良い運動になる。自分の車は車庫で昼寝をさせてバスに乗って出かける。高い金を出して買った車は車庫で眠ったままでもったいないと友人によく言われる。ワタクシもそう思うが渋滞した市内を車で走るのはあまり好きでは無い。しかし、時には見栄を張って車で行かなければいけない時もあるので自分の車は持っておかなければいけない。この車を買って2年になるがまだ7000キロしか走っていない考えたら高い飾り物だ。イタリアのポンペイ遺跡には昔々まだ若かれし頃一度行った事があるが、当時は特に興味もなく時間も金もなく駆け足で遺跡を見て回っただけだった。記憶に残っているのは火山の噴火で逃げ遅れた人々が吹きつけた高熱のガスで窒息死しその上に灰が降り積もった。当時の発掘調査中に奇妙な空洞を見つけた研究者がその空洞に石膏を流し込むと人間の形がそのまま出てきたと言う話だけ降り積もった火山灰は硬く固まり、肉体が朽ちて空洞が残ったようでその石膏像が展示されていたのだけがなぜだか印象に残っている。大きな壁画など取り外しが出来ない物はそのままの場所に残されていたが石像やモザイクなどは、ナポリ国立考古学博物館に収蔵されていて現地にはレプリカしか置かれていなかったので実物の壁画は見る事は出来なかった。今回は壁画の一部でも見れる最後のチャンスだったので行けてよかった。日本が弥生時代の頃のポンペイの壁画を見て改めてローマ帝国のすごさを思い知らされた気分だ。入館料は1500円だったがジジイは割引で1300円でOKだったのでバス賃分200円がただになった。小さなことで喜ぶせこいジジイだ。ただ、最後の土曜日だったので人が多いのが残念だった。若い頃よりも少しは知識も増えて歴史もなんとか理解できるようになったので出来ればもう一度イタリアへ行ってポンペイの遺跡を訪ねてみたい。
2017/06/19
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梅雨には入ったけれどまだ雨は降らない。どこかの会社が週休3日制にするとテレビで騒いでいるがワタクシはすでに週休4日~5日制にしている。仕事らしき事をするのは週の内1日か2日だけだ。昨日、自宅でのんびりとしていたら急な電話が入り事務所までスクランブル発進となった。緊急を要する相談かと思ったが話を聞いていくとそこまで緊急を要する相談ではない。しかし、本人には恐ろしい事が起きる前兆のように感じるのだろう。銀行などの債権者も普通に催促していたのでは簡単に回収できないので赤紙に 「督促状(全額繰上償還請求予告)」なんて書いた書面を送りつけてくる。債権回収の為には、なりふりかまってはいられないて事か債権者も大変だ。 商売とはいえ同情する。今日相談に来た債務者には「払わないあなたが一番悪い。逃げて回らないで払えないなら払えないとはっきり言って欲しいものがあれば何でも持って行け位の気持ちで解決しなければ家族みんなが不幸になる。」と教育的指導をしたがあまり理解してもらえなかったかも知れない。妻や子供のためにガンバって買ったマイホームを守りたい気持ちは分かるがその為に一家離散になっては何にもならない。何が大事か 今、何をしなければいけないかを考えて行動すればよい結果になることもあると思う。人生は逆転できるなんてよく言われるけどワタクシもそう思う。まぐれでも何でも良いからチャンスさえあれば間違い無く逆転できる事はあると思うけど逆転するなら早い内にしなければ面白くない。野球にたとえれば人生の最後の9回の裏に逆転満塁ホームランを打って勝ったとしてもそれで終わり。負けて終わる人生よりはましだが人生の終わりにやっと勝ったというのではあまり面白くない。1回に1点取られ2回にも1点取られ3回にも1点取られ3対0で負けている人生の負け試合の最中ならなんとか早い回に3回の裏か4回の裏に満塁ホームランで3対4と逆転し5回の裏くらいに、ラッキーなぽてんヒットで1塁に出てヒットエンドランで1塁3塁とし内野ゴロでダブルプレー崩れの間に1点が入り3対5となり、7回裏くらいにホームランなんて打った事がない選手がまぐれ当たりのホームランで1点を追加し3対6とし8回と9回はしっかりとした抑えの投手に任せて逃げ切り体制に入り、バッチリと逃げ切って勝つ。早い回に逆転して途中は楽しく過ごして初めのうちはどうなるかと思ったけど途中からはうまく行った。波乱万丈な試合だったけど楽しかった。人生もそうだと思う初めは負けゲームでも何とか逆転して楽しい人生だったと思って試合終了となるのが良い。1回から大量点を取って勝つのが楽しいのかもしれないけどそれではスリルとサスペンスは味わえない。デモその方が楽しいと思う人も多いだろうな。
2017/06/17
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昨日は朝から絶食して写真撮影だった。胃と食道を撮影してもらったが途中で鎮静剤が切れて さー大変だ。思わず暴れだして看護師さんに押さえつけられたようだ。鎮静剤を追加投入してやっと終わったようだ。途中の一部分しか記憶に無いが久しぶりに苦しい思いをした。撮影室に大柄な体格の良い看護師さんが3人もいる意味がわかったような気がする。今日はそのせいか体中が痛い。東北の放射能除染の不正問題で急落した1719安藤ハザマを6月9日に703円で買っていたが昨日ワタクシの写真撮影日に729円まで騰がっている。売りそこなったと思ったが今日の寄り付きで727円で売れたので良かった。5日程度でよい小遣い稼ぎにはなった。これでまた遊びに行ける。60歳も中盤を過ぎて人生の終点が近づき身近な人や友人が突然逝ってしまったなんて聞くとあまり考えたくは無いが自分自身の体力も衰えてきている事がわかるだけに近い将来必ず訪れる自分の死について考える。「我が人生に悔いはなし。」なんて事は全く思わない。逆に「我が人生悔いばかり」と言った方が正解に近いかもしれない。しかし、戦後の日本に生まれて良かったと思っている。超がつく貧乏で貧民窟で育って飯も満足に食えない事が普通だったけれど好きな事が出来た。戦後のベビーブーム世代で熾烈な競争の世界を生きたけれど自由があった。自己責任だけれど好きな事が出来た。第一希望の職にも第二希望の職にも付く事は出来なかったけどなんとかここまで生きぬいて来れた。日本人として生まれたことに感謝している。テレビや新聞などでは日本は酷い国だの悪い国だのといった情報で溢れているが日本ほど治安が良く貧富の差が少なくて好き勝手できる国は他にはなかなかないよ。若い頃から海外を歩き回って海外で暮らしたこともあるし今でも海外に時々出かけるけど日本ほど自由で良い国はあまり無いと思う。せっかく日本人に生まれた幸運を活かすためにも若い人にはもっと好きな事をして生きていって欲しいと思う。就職活動をする若者のインタビユーを見ていると公務員になるか一流の企業に就職して安定した生活を送り定年後は夫婦で海外旅行に行きたいなんて事を言っているが「もったいない!」若い人にはまだピンとこないとは思うが人生なんてあっという間に過ぎてしまうよ。人の命はいつまでもあるわけでは無いよ。たった70年か80年かだよ。自分の人生が有限だということを今一度考えて好きな事をして好きなように生きて欲しいと思う。嫌々仕事をしながらひたすら子育てと貯金にだけ励み自分は安定した職業についた中流階層の人間だと勝手に思い込みひたすら滅私奉公に励み定年いう使い捨ての時期来たら はいサヨウナラ団体旅行のエコノミーで海外に行く気力も衰え家庭内では粗大ごみ扱いされ年金だけが頼りで細々と生きていく。本当にこんな人生で楽しいのだろうか?
2017/06/14
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ひまな今日この頃テレビを見ながらのんびりしている。福岡で警察官が妻と子供2人を殺害した容疑で逮捕された。結構ショッキングな事件だ。殺された妻や子供は可哀想だと思う。何があったかは分からないが人生いろいろあるのだろう。どんな事があってもしゃべれない事も有るだろう。この事件があった自宅は平成21年に建てられた物件を2年前の3月に中古で購入したものだ。前の所有者はこの物件を自分で新築したが僅か5年程度でなぜか売却した。売却した理由は・・・・・・・わからない。その物件をこの警察官が住宅ローンを組んで購入した。ローンは地場大手の銀行が融資している。借入額は2100万円なので毎月の支払は6万円程度なので普通の生活をしていれば問題なく払っていける。銀行は貸して2年では残債は、ほぼ満額残っている。事故物件になってしまったので売却するのは難しいだろう懲戒免職になれば退職金も出ないだろうから銀行はまる損だが仕方がない。公務員や大手の会社員なら安心と思う心が事故の元だ。(ワタクシはいつも住宅ローンの審査にに苦労をしている。)銀行はこんなときどうするか?黙って諦める事はしないだろう。親が資力があるなら少しずつ近寄って行き道義的にとかなんとか言って親の動揺や無知に付け込んで払っていただく努力をする。銀行も金貸しだからだれから払ってもらっても回収できればそれで良い。どうなるだろうか?警察官は犯行を否認している犯人では無い可能性は0.1パーセントはあるかもしれない。国会では組織的犯罪処罰法改正案(テロ等準備罪法案)が5月29日に参院本会議で審議入りして形だけの審議を繰り返しもう会期末なので数の力で可決されると思うがテレビや新聞では「共謀罪」と表現して人権上の問題があると言っているし野党は捜査当局の権限が乱用されるおそれがあるとして廃案を求めているが国民が選んだ国会議員の数は与党が圧倒的に多い。民主主義と言っても数は力だ。数が違いすぎるので阻止するのは難しいだろう。これも国民が選んだ議員様のされる事だから仕方がない。アメリカではトランプが冷や汗をかいているしイギリスではメイが面倒くさいことになっている。日本では安倍君が森友学園の件でやっと逃げ切ったかと思ったら今度は加計学園の件で追い詰められている。そのとばっちりで国会の食堂のメニューからモリそばとカケそばのメニューが外されるなんて事になれば面白いと思う今日この頃だ。ワタクシ、今日も平和で暇な一日だ。
2017/06/10
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今日は土曜日で天気も良い。ワタクシは暇なので自宅でのんびりしている。庭の紫陽花は咲いたが雨がまだ降らないので花は少し元気がない。5月は戸建物件を買ったり売ったりでかなり忙しかった。やっと金欠病の状態からも脱出し、証券口座にも返金したので株が買える状態になったけど日経平均が2万円を越えてきてしまったので残念ながら株には手を出せない。いつか下がってくるだろうからそれまで待つしかない。売却したい物件はあと2軒あるがうち1軒はローンの予備審査は何とかなりそうで今月中に決済出来そうだがもう1軒はワタクシが欲をかいて高値で売り出してみたので残念ながら売れ残ってしまった。思い切って値を下げて、もう1度売りに出す。そういえば、1971年におきた渋谷暴動事件で殺人罪で指名手配されていた大坂容疑者が46年目にして捕まったみたいだ。確か、ワタクシと同じくらいの歳だったと思う。北海道出身で千葉工業大学の学生で中核派の活動家だったが46年も逃げながら活動を続けていたのか?逃げた方も良く逃げていたが追っかける方も執念深く追っかけたもんだ。当時の殺人罪は15年で時効だったが共犯がいる場合は共犯者の公判中を理由に刑事訴訟法では公訴時効が停止する。その後、2010年に殺人罪の公訴時効が撤廃されたので共犯者が控訴したり精神異常で入院したりしたのが大坂にとっては不幸だったのかもしれない。大坂が単独犯だったならすでに公訴時効が成立していたはずだ。共犯者は無期とか15年の懲役刑だったのでもう出所しているだろう。人生の大部分を逃走のために使い。年老いて刑に服する事になる。10年か15年か又は無期かそれは分からないが、生きてこの世には出て来れないかもしれない。自分がやった事だから仕方ないのだが大坂があの事件を起こした後どんな気持ちで生きていたのか知りたいと思う。あれからもう46年かこの事件が起きたときワタクシは日本にいなかったな少しだけ昭和の時代を思い出した。
2017/06/03
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昨日は新幹線で山口までお出かけランランだ。博多始発でこの時期は、ほとんど乗客はいないので少し旅費をケチって新幹線は自由席にした。せこいジジイだ!でもね 本当に乗客がいなくて静かだった。少し前に競売で購入した店舗のうちの一つに住みついているババアと893屋さんになれなかった半グレというか4分の3グレの息子を退治してきた。徹底的にやる事も出来るがギブアップしているのにそれ以上の攻撃は加えない。追い込まれたネズミは猫に反撃するという諺もあるのであまり追い込んで反撃されたら嫌だからこちらに害がないようにはするが、とどめは刺さない。甘いとよく言われるがワタクシはこれでよい。3月末に代金納付を済ませて2ヶ月と少しで解決したので想定していたよりも早く片付いた。利回り的には12パーセントより少し上に行く程度だがこのご時世ではしょうがないだろう。これで何とか生活はしていける。帰りの新幹線もケチって自由席だ。半分程度の席は埋まっていたが窓際の席に座って博多まで35分程度だがいつもの様に駅のコンビニで買い込んだビールとつまみで一人宴会をする。次に狙っていた物件が地元から近い所に在ったので気合を入れて入札してみたがまったくダメ。ダブルスコアーまでは行かなかったが大敗した。もうすぐ梅雨だし、しばらくはまた暇になりそうな予感。
2017/06/02
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