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仕事も暇だったので22日から岡山まで出かけてきた。新幹線でのんびりとビールを飲みながら2時間弱の旅だ。岡山到着後は時々小雨が降る中を夢二美術館へ行く。ワタクシが夢二の作品を収集しているのを知らない人は知らないだろうが知っている人はよく知っているだろう。まあ、どうでも良いことだ。夢二の作品を鑑賞した後は隣の後楽園を散歩してみる。30年ぶりの岡山後楽園だがあまり変わっていない。岡山城まで行っては見たが小雨模様であまり気が乗らないので少し早めにJRの電車に乗って宿泊予定の児島へ向かう。海沿いの宿なので天気が良ければ夕焼けが綺麗なのだが残念ながら雲が厚くてだめだ。宿の窓から瀬戸大橋を眺めながら日本酒をたしなむがあまり盛り上がらないので温泉に浸かり早めに眠りにつく。翌日は晴れで風も気持ちが良い。路線バスに乗り倉敷まで向かう。1時間程度のバスの旅だが周りの景色を眺めながらのんびりと過ごす。倉敷では美観地区の中にある大原美術館の分館も含めて4ヶ所制覇する。大原美術館関係だけで半日が潰れた。その後、川船に乗って白壁の町並みを眺めてみたが観光客が多すぎてのんびりと歩く気にならないので翌日の朝早く歩いてみようと思いホテルに入って近所の居酒屋で酒を飲みながらのんびりと過ごす。翌日は6時に起きて倉敷美観地区をのんびりと歩いてみる。朝早いので観光客はだれもいない。地元の人が犬の散歩をしている。のどかで良い風景だ。大原美術館のあたりもだれもいない。1時間程度散歩をして気持ちよくホテルに戻る。今日は特別に予定も無かったし、天気も良いので電車に乗って岡山へ戻りもう一度、夢二美術館に行き備前の刀剣展があっていたので岡山県博物館により刀剣を眺めてもう一度後楽園を歩いてみた。二泊三日の旅だけど中身の濃いい旅だった。良い気分転換になった。次は何処に行こうかな。
2017/09/25
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中学時代よく遊びまわっていた同級生の北川(仮名)と地元の安い居酒屋で酒を飲んだ。若かれし頃は色男と言われた北川も今は頭も禿げ上がってだれが何処から見てもたそがれたジジイだ。年金暮らしのジジイ2匹がしみじみと酒を酌み交わす光景はあまり絵にはならないけど哀愁は漂っていたかもしれない。北川は2流の大学を卒業して会社員になったが仕事が合わなかったのかワタクシに刺激されたのか世界放浪の旅に出るために会社を辞めて3年ほど世界中を放浪して回っていた。ワタクシも僻地を徘徊していた時に偶然にケニアのナイロビで遭遇した事もあった。北川は放浪生活を終えてからは病院で働きながら夜学に通い臨床検査技師の資格を取り、なんとか定年まで働き年金を受け取れるだけの保険料は納めた。3年程度寄り道はしたけどちゃんと保険料は払ったのに受け取れる年金は11万円にもならないようだ1人暮らしとはいえ、これでは生活していけないので最近はアルバイトをしていると言う。ワタクシも10万円程度の年金しか貰ってないがサラリーマンのような飼い犬の人生ではなく自分で餌を漁るしかない野良犬の人生を送って来たので今でも自分の餌は自分で探して食えるので俺の人生、間違いばかりではなかったとしみじみ思う今日この頃だ。これから先の若者はもっと大変な人生だろうから自分が食う餌は自分で探せるようにしておかないと大変だよ。最近、うちの愛犬は元気だしワタクシの仕事も暇なので近くの街に遊びに行ってみようと思う。
2017/09/21
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昨日は少し蒸し暑かったが気分転換に久しぶりに骨董市場に出かけた。骨董の高価なものは狙わず大正から昭和の初め頃の古物的なものをあさる。レトロな電笠を少し気合を入れてゲットする。柱時計・面白そうな手桶・ちゃぶ台など古民具の安い物を買う・買う・買う。おまけに槍も買う。買う物に節操がないが気に入ったら何でも買う。買った物はとりあえずワタクシの隠れ部屋の持ち込んで本当に気に入ったもの意外は小遣い銭稼ぎのために買値の3倍から10倍くらいで転売する。これは趣味と実益を兼ねたジジイの楽しみだ。これをやっている間はボケないだろうと思っている。今日は知人のお見舞いに出かける。腎臓癌を手術したようだが意外にしっかりしていた。ワタクシ位の歳のジジイが集まると年金と病気の話しばかりで面白くない。ジジイどもよ もう少し夢を持て!
2017/09/13
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久しぶり 本当に久しぶりだ!この所 何となく忙しい。気が付けばあの暑かった夏の風も優しい秋の風に変わっている。団塊の世代と言われる昭和22年~24年生まれのトップバッターたち昭和22年生まれの連中が古希を迎えている。古希と言うのは70歳だ。本当のジジイ&ババア連中だ。ワタクシは、もうちょっとだけ余裕があるが もう手は届いている。考えてみれば今までよく生きて来れたものだと思うがもう少しの間、人間として生きていくしかない。昔の中国の詩人が「人生70古希まれなり。」なんて言っていたが今では「人生70古希山の如し。」だ。最近のジジイ&ババアは元気だよ。少し前に昼飯に寄った ちゃんぽん屋のパートのおばちゃん。3人いたが どうひいき目に見ても全員古希前後だ。声も大きいし動きも妥協できるレベルだしいきいきと働いている姿は共感できるがワタクシのようなジジイからすれば注文を取りに来てくれるのは若くて可愛いお姉さんの方が良いと思うが若いお姉さんは今時ちゃんぽん屋では働かないのだろうな。日本人は本当に長生きになったのでジジイもババアも生きて行くために老体に鞭打って働かなければいけないようになってしまった。ワタクシも老体に鞭打って馬車馬のごとく働いている。でも働いている方が年金生活でのんびり暮らしているジジイ&ババアよりもいきいきしていると思う。ワタクシの同級生で悠々自適な年金暮らしをしている官僚あがりのジジイがいるが可哀想に見た目も考え方も老け込んでしまっている。このまま死ぬのを待っているだけの人生で何が楽しいのだろうかと思う。これは年金が少ないワタクシのひがみだけどね。先日、「一ノ瀬泰造君を思い出すかい!」を1969年頃に頂点に達していた大学闘争を一緒に取材していた写真が好きだった連中と泰造君の母校である日大芸術学部写真学科の同窓生と合同で開いた。今の若い人は一ノ瀬泰造と言っても知らない人が多いとは思うが生きていれば今年の11月に古希になるはずだったしかし、1973年の11月 26歳になったばかりの時に「地雷を踏んだらさようなら」と言う言葉を残してカンボジアのシムリアップの近くで逝ってしまった。1970年の10月28日に先輩として尊敬していた沢田さんが逝ってしまって落ち込んでいたワタクシはこの時には自分の才能の無さに失望したのと臆病風に吹かれてしまってもう日本に引き上げていたが行方不明の一報を聞いたときには一瞬うろたえた。しかし、彼もフリーランスの写真屋として覚悟のうえだっただろうと思った。泰造君はワタクシよりも2歳年上だけど写真の現場ではワタクシの方が少し先輩なので泰造君と呼んでいた。彼も学生時代は大学闘争を取材していて現場でよく一緒になった。ワタクシと同じ九州の出身だったので気があってよく話しをした。大学を卒業してUPIの東京支局に就職したがベトナムの現場から送られてくる写真を見ているとたまらなくなりどうしても現場に出て写真を撮りたいという思いで退職してベトナムやカンボジアを走り回っていたがプレスカードがないと前線には出れないので良い写真は取れない。泰造君がプレスカードを取るのに苦労している時にワタクシがプレスカードを取るための相談にのったことがある。あの時にプレスカードさえ取らなかったら死ぬ事はなかったのかもしれないと思ったりもするがいまさら考えても仕方が無い。もう昔のことだ。一ノ瀬泰造君の事はまだまだ書きたい事はあるが長くなるので次の機会にする。この歳まで生きてくると人生の分水嶺を何度も通過してきた。どんな時でも無理をせずに右でも左でも流れに任せて生きてきたのが良かったのか今までなんとか生きてきている。流れに逆らって生きていくと大変だが時の流れに身を任せて流れに逆らわないでふわふわと生きているとけっこう楽しくて面白い。人生ここまで好きに生きてきたからもう少しだけ好きなように人生の流れに流されていようと思う今日この頃だ。
2017/09/07
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