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今日もいい天気だ。5月だというのに30度を超える日が続いている。今日は北海道も30度を超える予想が出ているがこの地球は大丈夫か? と思う今日この頃だ。昨日からアメリカの大統領が来日していて今日は安部君とゴルフや相撲見物をするらしい。令和の時代初の国賓として招くならやはりアメリカしかないのはわかるがこの暑い中、警備する人間も大変だろうな。交通規制などで関東方面の人民も大変だろうけど日本国の為に辛抱してほしい。ジジイは金はないけど暇なのでこの一週間は地元の古地図を見ながらあまり知られていない歴史的なところを探して回ったり広島まで出かけて厳島神社を参拝したり結構歩き回っていた。急に暑くなって来たけど体調は良好だし月末かけても特別な用事はないので1人であまり遠くない所をうろついてみようと思う。不動産は早めに売らなければいけない物件を2件抱えているがワタクシはもう歳なのでこれは不動産屋の若い連中に任せて頑張ってもらおうと思う。今日は日曜日だし暑いので家でゆっくりする。
2019/05/26
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今日はどんよりとした曇り空だが少し薄日もさしてきた。令和になってほとんど雨が降らなかったが昨日は久しぶりに雨が降った。たまには雨が降るのもよいものだと思いながら久々にゆっくりと本など読みながら過ごした。3月から売りに出していた物件がやっと売れた。築浅のきれいな物件だから売れるとは思っていたが売れるまではなんとなく心配する。今回の買い主は住宅ローンの心配もないので途中でダメになる事はないだろう。これで金欠病から少しだけ解放される。どこかに遊びに行こうかと考えるが最近体力が落ちて来たのであまり長期の旅には出たくなくなって来た。1人でぶらぶらと国内を2泊か3泊程度であてもなくさまようのがちょうど良いくらいだ。半世紀以上前に行ったきりになっている街をもう一度訪ね歩いてみようかなと思ったりしている。そういえば沖縄で葬儀の為に与那国島に行く途中の高校生が6万円入りの財布を無くして困っているところに出くわした人が6万円を貸してやってその高校生は急いでいて名前も電話番号も聞いていなかったので恩人を探していたが無事に見つかったというニュースが流れていた。詐欺被害が横行している日本で良い話だ。信じて貸した人をほっとさせる出来事が実は日本中ではたくさん起きている事だと思いたい。ワタクシがこの立場になった場合に高校生に貸す事が出来るかは、まったく自信がない。ワタクシは旅行中はクレジットカードとどこのコンビニでも下せるキャッシュカードと3万円以下の現金しか持ち歩いていないのでもし貸したとしても片道分の飛行機代ぐらいかな。葬儀に間に合えば後は何とかなるだろう。
2019/05/19
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今日は5月15日1972年(昭和47年)に沖縄が本土復帰した日だ。もう少し言葉を足すと沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権がアメリカ合衆国から日本に返還された日だ。ワタクシが沖縄に初めて行ったのは1968年の夏だった。まだアメリカの占領地・統治下にあり太平洋戦争で多くの犠牲者の出た沖縄に遊びに行くのは自分自身に後ろめたい所もあったが大学に入って知り合った那覇から来ていた同じ大学の友人に勧められて友人が帰省する時に一緒に付いて行った。当時、沖縄に行くというのは海外に行くの変わらなかった。まずパスポートの申請をするのだが沖縄の場合は外務省発行のパスポートではなく内閣総理大臣(総理府)が発行する沖縄渡航専用のパスポートで書かれている文字は「身分証明書」中央の紋章は「桐の花紋」下部の文字は「日本政府総理府」であった。最近まで持っていたので写真を載せようと探したが残念ながら見つからなかった。それだけではなく米国民政府発行の入域許可証(査証)が必要だった。出入域管理事務そのものは琉球政府がやっていたが実際に出入域の可否を決めるのは米国民政府であったので県庁に申請書類を提出した際に米国民政府が反米的活動家や復帰運動の運動家かどうか学生運動をしているのではないかの厳しいチェックをするので許可証が下りない場合もあると釘を刺された記憶がある。それだけではない予防接種証明書も必要だった。黄色い色をした紙だったのでイエローカードといわれていた。詳しくは覚えてはいないがたしか種痘の接種を受けたと思う。当時の沖縄では米ドルしか使えないので身分証明書を持って外貨両替を行っている銀行に行って1ドル360円で500ドルまで交換してもらえたが当時の大卒の初任給が3万5千円か4万円位の時代なので貧乏学生のワタクシは確か全財産を両替して45ドルくらいにしかならなかった。出国手続きは海外渡航と同じ扱いなので荷物検査・税関・出国審査を済ませなければならなかった。考えたら今の海外旅行よりもずっと大変だった。今の那覇市内は奇麗になっているがワタクシが行った頃はまだバラック建ての建物も多く道路もアメリカが造った軍道以外はあまり舗装されていなかった。車も日本とは反対に右側通行だった。友達の家に泊めてもらい、ひめゆりの塔や摩文仁の丘健児の塔・首里城などいろいろと案内してもらったがある日一人で島の最北端の辺戸岬を目指した。辺戸岬まで22キロの辺戸名までは順調なヒッチハイクだったがそれからの道は車が全然来なくなりサトウキビ畑しかない田舎道で数時間、道端に座り込んで車が来るのを待った経験がある。あの時はすごく寂しい思いをした。何とかたどり着いた辺戸岬からは与論島が間近に見えて感動した。那覇までの帰りは泡盛の配達をしていた人の車に乗せてもらった嘉手納基地の横を通るとB-52爆撃機がすごい音をたててベトナム空爆に出撃するところだった。今あなたが見てる沖縄の現状を沖縄の姿を本土の人たちに伝えて欲しいと言われた。「今あなたが見てる沖縄の現状を本土の人たちに伝えて欲しい。」は旅行中出会った人たちからよく言われた。特にヒッチハイクで乗せてくれた人たちからは必ず言われた。その当時だったか2回目に行った1970年頃だったかもう記憶がはっきりしないがこの歌を時々聞いた。レコードになっていたのか誰かが勝手に歌っていたのかはわからないが、聞きながらメモしたのでもしかしたら歌詞を間違えているかもしれないが当時の沖縄を歌った歌ではないかと思う。いつか行こう 友の待つ国いつか行こう 海を越えてふるさとにいて ふるさと遠く願いはかなく 岸辺に砕けいつの日自由に 沖縄の島誰が祖国を 彼方に追いやる誰が祖国に とりでをきずく父はなげく 実りの秋も空を見上げりゃ 異国の旗が無情になびく 南の風に伝えておくれ 内地の友に同じ肌と 同じ言葉なぜに悲しい 沖縄の島なぜに悲しい 沖縄の島沖縄返還からもう47年になる。沖縄には1月の末か2月の初めの桜の季節になったら必ず出かけて行くし気が向いたら出かけるのでもう数えきれないほど行った。道路は整備され建物もきれいになり近代的な街にはなったがアメリカの基地は残ったままだ。基地の前では基地に反対する人の座り込みはまだ続いている。日米安全保障条約は絶対に必要だという人もいるしそんなものは必要ないという人もいる。日本が戦争に負けてもう75年になるが北方領土はまだ帰ってこない。今日は沖縄の施政権がアメリカ合衆国から日本に返還された日だ!
2019/05/15
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長かった10連休も終わった。ワタクシ、10連休の間は街にも出かけることもなく自宅の周辺の山を歩いて足腰を鍛えていた。10連休が終わると早速長崎県の南島原まで昨年、世界文化遺産になった原城跡を見学に出かけた。島原の乱で天草四郎時貞が籠城して戦い最終的に討ち死にした場所だといわれているが観光客が多く訪れる天草城のような城は無いし交通の便も悪いので観光客は誰もいない。静かなものだ。本丸跡には天草四郎の像と墓碑がある。墓碑は母親がまつっていたものを移築したようだ。遠く海を眺める3体のキリシタン像が物悲しい。近くに灯台があるというので寄り道をしてみた。口之津の外れの瀬詰崎灯台だが途中、車がやっと通れるくらいのかなり狭い道を進んでいくと小さな灯台が見えてくる。潮の流れがかなり速い。観光地ではないのでここも誰もいない。のんびりと潮騒を聞きながら至福の時を過ごす。帰りは、温泉に浸かって農産品や魚介の土産を買って地元の経済に少しだけ貢献する。
2019/05/08
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元号が平成から令和へと変わった。しかし、元号が変わってもジジイの生活には何の変化もない。「令和元年5月1日」今日も暇しています。どこかの企業が募集していた海外旅行が当たる元号当てクイズにワタクシも応募したが残念ながら外れた。万葉集や古事記など古い本は読まないからむつかしい言葉はわからないが令和の令は美しい、きれいって意味のようだがワタクシ、初めて聞いた時には命令の令ではないかと思ったが安部総理が言うには令和には「希望に満ちあふれた、新しい時代を切り開いていく若い世代が活躍できる時代であってほしい若者がそれぞれの花を咲かせることのできる日本をつくりたい。」の気持ちが込められているらしい。ワタクシが元号あてクイズに応募したのは法律で定められた国花ではないが一般に日本を象徴する花は桜だからその桜を使って総理である安部君の一文字を取って「桜安」と文字の並びが好きな「桜和」を応募したが結果は令和となり外れ。この次の改元の時はワタクシ、もうこの世には居ないが出来れば「桜」が入った元号になってほしいと思っている。日本の国にはやはり桜が似合うと勝手に思っている。元号が変わるのに合わせて実施された10連休も半分が終わった。ワタクシ暇だし金もないので足腰を鍛えるために近くの山に登ってみたが日頃は登山客なんてほとんどいないのだが頂上には珍しく10名以上の登山者がいた皆さんそれぞれに楽しみながら10連休を過ごしているようだ。しかし、10連休をとれて遊べる人は幸せな人だ公務員や大企業に勤めるサラリーマンは休んでいても給料はもらえるので心配はないがパートの人や非正規の人は休んだらその分手取りが少なくなる。観光地に遊びに行く人がいればその人たちを迎え入れて忙しく働く人がいる。日本人は働き過ぎだといわれているので10連休は良いと思うがどうせなら働く国民全員が好きな時に1年の間に必ず10連休を取らなければいけないという法律でも作って休んでいる間の給与は国と会社が半分ずつ負担するなんて事をしないと、いつまでたっても不公平感は残ってしまう。令和の日本が若者達がそれぞれにきれいな花を咲かせられる時代になる事を願うジジイだ。
2019/05/01
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