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去年12月に観た作品。この月は前半で韓国旅行をしたので必然的に少なくなっています。しかし、12月31日にTOHOシネマズ一ヶ月パスポートをゲットして、その日に二本見ています。よって、次の一月は生涯で一番映画を見た月になるのですが、それはまた次のはなし。「タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密」スティーヴン・スピルバーグ監督作品「偉いぞ、スノーウィ!」2D吹き替え版を見ました。「カーズ3」でも感じたのですが、最近の3Dアニメ作品に目が追いついていかないのです。私にはジブリアニメぐらいの話の展開スピードがちょうどいい。歳をとったのでしょうか。最近の若者は、ゲーム世代なので、あれぐらいの場面転換のスピードがないと「面白さ」を感じないのでしょうか。まるで実写と見紛うようなよく作りこまれた3Dパフォーマンス・キャプチャー映画というのらしい。監督の思うようにあらゆる視点からの作劇を可能にしている。だから非常に目まぐるしい。犬のスノーウィがある意味、スーパンマン的活躍をして、主人公であるはずのタイタンは、時々都合のよい推理を働かせて、狂言回しのごとく行動するだけ。「びっくり藤壺」と驚くハドック船長のいい加減なキャラクターがまさかあそこまでの秘密を抱えていようとは、最初は思わない。人生で生きるうえで、何の助けにもならない、でもドキドキ感は満杯の正統冒険活劇である。スピルバーグが好きそうな内容だけど、私にはちょっと……。男の子のための映画としてはいいのかな。彼らなら、何回もDVDを見るだろうから。「壁にぶち当たったら、壊して進め」いいんだよ、子供の頃はそのまま壁を壊しても。「ハウスメイド」チョン・ドヨン様の豊かな表情の演技は相変わらず素晴らしいのだけど、監督の意図がわからない。上流階級の恐ろしさも中途半端、下流階級の成り上がろうという野望も見えない、彼女は何に復讐したというのか。「50/50」今、見終わって一日たって、そんな面白い作品じゃあなかったなあ、としみじみ思っているところです。所謂、若年性の癌による闘病日誌なのですが、直ぐにセラピストにかかったり、病気をネタにナンパしたり、ちょっと目新しいことはあるけれども、普通の癌闘病です。それよりも、彼は難なく(おそらく)医療保険にかかれて最新医療を受けることのできる勝ち組の仲間なのですが、その暮らしがもともとなんか「病んでいるなあ」という気持ちがむくむくと湧いてきました。最初登場する医者のカウセリングは、患者の目を見ないで専門用語を乱発し、早口で病状を言い、しかも癌の宣告をすらっと言ってしまう最悪の医者。友人のカウルはぽんぽんと「癌の同僚を励ます会」という飲み会を企画してしまう、同棲中の彼女は「優しくてsexも強制しない便利な彼」を上手いこと利用している自己中、両親はアルツハイマーの夫の看病ですこしヒステリー気味の母親。ここに出ている登場人物たちはみんなどこかしら病んでいる。それをさりげなく見せるのがこの作品の眼目なのだとしたら、まあそうなのかなあ、と思う。アメリカの病み方は、日本のそれとは、しかし少し違うので興味ない。結局南極(古い)、がん患者への接し方でもっとも必要なのは、日米共に、いかに患者の側に親身になって寄り添うことができるか、ということに尽きる。べたべたすることじゃない。べたべたを最後まで欲したのは私の父だったが。5年まえの冬の朝、「すい臓がんになってしまった、もう終いじゃ」と泣き笑いで言ってきたあの顔を思い出してしまった。「源氏物語ー千年の謎ー」一ヶ月フリーパスポートをゲットしなかったら、けっして見なかった作品。良く整理はしていると思う。源氏=藤原道長、紫式部=六条御息所という説は、この長い物語のホンの一部分でしか無い事を若い人は知って置いて欲しいとは思う。(とは言え、私も全部読んでないのだが)映画である以上、濡れ場は、きちんと演って欲しかった。真木よう子も中谷美紀も経験有るし、多部未華子も田中麗奈もこの際、挑戦して欲しかった。まあ、彼等にとっても、「そのくらいの作品」だということだ。「けいおん」。これもフリーパスポートゲットしなかったら、見なかった作品。でもまあ、70点くらいかな。大晦日の夕方、若い男三人だけが来ていた。映像的実験とか、素晴らしいドラマとかがあるわけじゃない。音楽的要素については、私は詳しくないので何とも言えないが、アニメにする必然性はない。しかし、如何にも日本的に素晴らしいのは、日常の細部、特に女子高生の細部に関する細かい観察とその表現だろう。アクセサリーや落書きはもちろん、手指の動き、会話の流れなど、多分そうなんだろうな~と思わせる。全体的構造を無視してでも、細部にこだわるというのは、極めて日本文化の特徴です(参考加藤周一「日本文学史序説」)。
2012年04月29日
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11月に観た映画の後半四作、全て力作です。「サンザシの樹の下で」チャン・イーモウが大作シリーズから離れて、やっと、「初恋のきた道」の世界に戻ってきた。最初の僅かな触れ合いはキャンデーだった。次には箸で食べ物を口に入れること。その次は川を渡るときに手を繋ぐこと。その次は……。もどかしいほど、少しずつ、二人は気持ちを通わせていく。これが映画になるということは、おそらく現代中国では珍しいことになっているということなのだろう。と、同時に70年代では普遍的な関係だったからに違いない。日本ではおそらく40-50年代ぐらいまでは普遍的な現象だった。もう一つの中国独特の要素もある。文革の嵐の中、若者たちの自由恋愛も"走資派"のレッテルを貼られかねない、町のインテリ階級の間ではそんな緊張感があり、よって二人の素朴な恋にもずっと緊張感が付きまとう。青年も少女もお互い親が文革のために自殺したり、牢獄に入れられたりしていた。簡単に感情を表現することは許されないことだった。けれども、二人とも若い。少女はそれに加えて幼い。抑えられない感情を時折に見せるそのさじ加減が、この映画の難しいところであり、チャン・イーモウは老練にもそれをきちんと描いた。チャン・イーモウはやはりチャン・イーモウだった。監督の文革に対する視線はいつも厳しい。ただ、監督の「女」の好みには賛成できない(^^;)。どうしていつもこんなに痩せっぽちの少女なんだろう。私としては、可哀想にも妊娠して中絶をする汚れ役をやった少女のほうが好みではある。革命の英雄たちの血を吸ったサンザシの樹の「革命の花は赤い」と思われていたけど、実際には白かった。ということが最後のテロップで明らかになる。その花も今は(中国近代化路線の象徴である)山峡ダムの水の下に沈んでいるという。作品は常に無声映画のように途中で話の筋をテロップで流したのは、そのような「昔語り」という仕掛けなのだろう。蓋し、現代中国人民の涙腺を刺激するに充分である。「一命」非常に動的だった「十三人の刺客」に比べ、今回はとても静か。しかし、昔の本格時代劇を髣髴させる起承転結を見せる。正統時代劇である。市川海老蔵が「武蔵」をやっていたころとは比べ物にならない豊かな表情を見せる。そうか、やっぱり才能がある人だったんだ。ただ、不満がある。それは「切腹」が単なる記号と化しているからだろうと思う。ここにおける切腹は単に体面を保つための道具に過ぎない。あまりにもエクセントリックなために、外国人受けはするかもしれない。現代人も会社構造における部長を、役所広司に重ね合わせたりして、時代劇で現代批判になっているところに共感するかもしれない。それだけのために、アンナ立ち回りは必要だったのか、と私などは思ってしまう。そもそも、物語の前提として、諸藩はなぜ「狂言切腹」と分かっていても、井伊家のようにそれをそのまま切腹させなかったのか。そこが描かれていない。最初の切腹を願った武士にいたっては、その藩はその侍を士分に取り上げてさえ居るのである。武士にとって切腹とは、「死を差し出して自らの主張を行う」という暗黙の了解があった。切腹の覚悟をしたということだけで、その人は立派だったのである。その後、切腹は形骸化し、責任を取ることの代名詞に使われるのであるが、それはたぶん明治以降の切腹解釈からきたのであろう。ともかくその建前があったからこそ、諸藩は狂言だとわかっていても、自藩の玄関で腹を切るのは躊躇し、本当に腹を切らせたならば、その武士の葬式、ならびに家族の面倒を見るというのが「武士の体面」だった。しかし、井伊家は「狂言切腹」という悪い噂だけを宣伝し世論を誘導し、本当に腹を切ったその「覚悟」を隠した。そうして家族の面倒を見るという責任を放棄したのである。だからこれは「武士の体面」と「情け」の対立ではないのである。本来の武士の道を踏み外した「組織」に対する強烈な批判の映画のはずだったのだ。しかし、分かりにくくなった。本格時代劇なだけに残念だ。「マネーボール」世の中の「革新」はどのようなことから起きるのか、ということに監督は関心があるのだろうか。facebookの場合は、もてない大学生のもてたいというスケベ心だった。いまや、プロ野球界を席捲しているマネーボール理論の場合は、ひとりの頭でっちかちのでぶっちょを雇い入れたことがキッカケだった・ブラッド・ピットは好演したと思う。しかし肝心要のチームが快進撃を始める理由がマネーボールのおかげだとはどうも思えないのである。反対を押し切って招きいれた選手を二人も放出した直後から快進撃が始まっているのである。違うのではないか、と思っても当たり前だろう。一番いいところは、主人公の娘が攫っていった。「エンディングノート」ナレーションなし、音楽さえないというドキュメンタリーの秀作がたくさん作られている昨今、最初から最後までナレーション(しかも監督が本人に成り代わり呟くという設定)つきの異色作品である。しかし、それがドキュメンタリーとしての「作為」を感じるものなっていないのは、偏にこの作品の主人公が監督の父親であり、しかも既に死んでいるという特異性からくるものであろう。末期がんのお父さんをなんと告知前から克明に記録していた。たから、偶然にも告知前の定年退職のスピーチで不覚にも涙ぐむところや、告知直後の呆然としている表情、その直ぐあとの復活している姿、そして全然闘病の影が見えない元気な闘病生活と、その一方で半年で見事にやせ細り、白髪が増え、そして死んでいく姿をフィルムに納めることができた。しかも歴史的な政権交代の時期と重なったので、「政権交代」のポスターも写す事ができている。編集に一年以上かけている。それだけに作り方はいろいろなやんだのだろう。その甲斐はある、いい作品だった。結果、見事に浮き上がったのは、化学会社の取締役という出世街道を走った男の平凡で典型的なサラリーマン人生であった。人は、人生の終り方に一番自分らしさが見えるのかもしれない。この男性の場合は、「段取りが命」ということなのだろう。計画的に進めて、できることなら前倒しに計画しないと気がすまない。葬式場は自分で決める、好みとコスト面を考えてキリスト教の洗礼を受ける、そのために家族旅行をして名古屋の実母の承認をさりげなく受けたりしている。段取りのよさの極めつけは、死の間際、エンディングノートが不測の事態で息子が「消えてしまった!」とあせっていった時に、少しも動ぜずに「そういうこともあろうかとコピーをとっている」と返した時である。大変面白いのは、お父さんの息子がお父さんの性格をそのまま引き継いで、人生で初めて肉親の死亡という一大事に、なんだかとても「張り切っている」ように見えるところである。私の父親が死んだとき、私の兄がちょうどこんな感じで張り切っていたので、笑えて仕方なかった。一方娘のほうはマイペースだ。段取り好きのお父さんの唯一の誤りだった「病室での洗礼」は、牧師さんからではなく、娘が本を読みながら泥縄式に洗礼をするというものだった。「洗礼名はパウロでいいよね」なんともいい場面だった。こんな娘だから、客観的に父親の人生を「映画」にすることができたのだ。私の父も、膵臓癌がわかった時は「ステージ5」。しかし、たまたま手術ができる病院が近くにあって、父は何とか苦しみながら三年間生きた。ただ、最後の三ヶ月は本当に苦しそうだった。こっちのお父さんは、死ぬ四日前まで元気いっぱい、こんな死に方もあるのだ、と羨ましかったが、まあ、死に方だけは人は選ぶことはできない。
2012年04月28日
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楽天がTB出来なくなったために、映画記事は別のブログに移したのだけど、現在止まっている。根が怠け者のの私は二つのブログを運営するなんて到底無理だったようです。データとか、写真とか張るのもめんどくさいので、映画を観たときのメモをそれでもこちらに記録しておくことにします。とりあえず、この前紹介した映画の続きから。去年10月に観た映画の10月分の残りです。「チェルノブリ・ハート」2003年の米国アカデミー賞ドキュメンタリー部門でオスカーを獲ったチェルノブイリ周辺の放射能治療、小児病棟、乳児院を取材した短編である。2003年当時は、もちろん反原発のアメリカの運動家が作った映画として受け取られただろう。しかし、今は全く違う見方でしか見ることのできない映画になってしまっている。フクシマで起きたことは、その十数年後にどのような結果をもたらすのか。そのひとつの姿がここにあると、いえないことは決してない。もちろん日本とウクライナやベルラーシは違う。甲状腺がんの管理も日本のほうがきちんとするだろう。しかし、問題はパーセントや数の問題ではない。しかも、私は「ここまでは……」と思っていなかったのであるが、ここまで放射線は遺伝子に瑕をつけるものなのか。事故以来飛躍的に伸びた数はがん患者だけではない。精神病病棟や小児病棟、そして遺棄児童施設には何十倍もの精神病や異常を持った子供たちがいた。子供らしいまっすぐな瞳を持ちながら、正視に耐えない病状を見せる。ベルラーシでは現在も新生児の85%が何らかの障害を持っているという。信じられない。一体日本はどうなるというのか。冒頭と最後に監督の日本用の呼びかけの言葉が日本語字幕で流れた。おそらく、オリジナルより相当変えた作品になっていると思う。2006年に撮られた「ホワイト・ホース」という短編も付いていた。事故から20年後、初めて故郷に帰った青年の半日を映したものだ。薄い雪で覆われた北国は雑草が蔽い茂ることもなく、ただコンクリート製のアパートがボロボロになって残っている。10歳のときのベッドがあった部屋でことばをなくす青年。最後に字幕で一年後に彼は死んだと告げられた。事故があったときに、アパートの窓から事故の火を見て、両親に止められたのに見学に行ったという。なんか悪い夢を見ているようだった。「愛の勝利を ムッソリーニを愛した女」冒頭のイーダとムッソリーニの二度目の出会いの場面が象徴的である。若き日の社会党員ムッソリーニが協会の集会で、社会主義者の意見も聞いてみようと彼の意見を求める。暫く黙った彼は、おもむろに「手短に話す」とポツリ言う。ここで既に聴衆は彼の話術に嵌っている。ムッソリーニは聴衆から時計を預かる。「私は神の存在に疑問を持っている。私に五分の時間を与えよ。その間に私を殺すことができるならば、神の非在は証明されたとする」五分間はもちろん速やかに過ぎる。「神の存在は否定された!」会場は大混乱に陥る。それを見ていたのがイーダだ。イーダ7年前に官憲から追われる彼を助けたことがある。そのときからイーダは彼のことを好きだったが、今夜の茶番で決定的にムッソリーニを愛したようだ。台詞はないが、おそらくそう思ったことだろう。また目的のためにほとばしる情熱を持っていたことも、イーダは惚れちゃったに違いない。一目でムッソリーニの本質に気がつき、しかもそれを愛してしまった。けれども彼女は女である。彼女の資質はムッソリーニと同じであっても、それを表現する場はない。必然的にムッソリーニに総べてを託す。全財産を彼に与え、ムッソリーニはそれを元手にファシスト党を設立する。ムッソリーニが詭弁を重ね、「行動的中立」という理屈で第一次世界大戦の参戦を主張し、愛国主義を武器にファシスト党の党首を経てイタリアの最高指導者になる家庭を映す。イタリア映画でムッソリーニを全面的に描いたのはこれが初めてではないか。それほどまでに客観的に彼を描くのには時間を要したということなのか。一方でイーダはやがてムッソリーニ正式な妻も子供もいることを知るのであるが、自らの子供を正式にむっソー煮の子供と認知してもらうために手段を選ばない。けれどもそのせいで、権力を持った彼によって精神病院に追いやられる。ムッソリーニとイーダとの性質は同じであったが、いかんせん目的が違ったのである。彼は「自分の野望を実現すること」彼女は「ムッソリーニの愛を得ること」これはたぶん究極の「すれ違い」ドラマだったのだろう。ムッソリーニが次第とファシズムの狂気に落ちていくのと併行して、狂人がいる精神病院の中でイーダが次第と理性的になっていくのが対照的であり、なかなか見事な作劇だった。映像的には印象的なカットを繋ぎ合わせる「キュビズム的」な作り方。ちょっと注目すべき監督だと思う。「ツレがうつになりまして」一家を支える夫がうつ病という長期療養を必要とするかもしれない病気になって、ほとんど貯金もないときに、「会社を辞めなかったら、離婚するからね」とほとんど悩む間もなく夫を脅すことのできる妻というは、おそらく普通にいるのだろうな。僕なんかは、うじうじ悩むほうだから、妻が居た場合は会社を辞めようなんて、決して思わず、病気をさらに悪化させ、万が一妻がそういったとしても、気の迷いだとして聞かなかったことにする性質だ。きっとうつ病の体質を持っているほうかもしれない。もし僕が妻だったら、そうは言ってもあれこれ考えて、休職とかを考えるのが関の山だったろう。でも、宮崎あおいのぐうたらな可愛い妻はそんなことは当たり前のように説得力をもってそういう選択をする。堺雅人のツレも非常に素直に応じる。彼らが演じるから説得力がある。割れないで残っているビンだから素晴らしい。その他、一杯珠玉の言葉があって、原作よりもさらにメッセージ性の高い作品になった。今年を代表する一作ではないけれども、普遍性のある夫婦愛の話である。それにしても、あおいチャンは可愛いなあ。
2012年04月23日
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「坂の上の雲 第三部」一回目を観た。「明治の国民のこの痛々しいばかりの高揚を理解しないと、この歴史は分からない。能力があれば、なんにでもなれた。この時代の高揚は、この楽天主義から来ている。米と絹しか産業のない彼らが陸海軍を持とうとした。が、兎も角も近代国家を作ろうというのが、少年のような彼らの目標だった。この物語は、その小さな国がヨーロッパの大国露西亜と対決し、どの様に振る舞ったか、という物語である」だいたいそんな意味のナレーションで始まった。今回は、旅順総攻撃で一回が終わった。露西亜の「近代的」な要塞の前に、大きな犠牲を払う回である。様々な学習運動と、大震災の前に、当初ナショナリズムを鼓舞しようとしたプロデューサーたちの意図は、霞んでいるかに、見える。しかし、映像ソフトはいつ迄も残る。何度もこの作品の無視してきたもの、歪めたものは、指摘されなくてはならない。思うに、日清戦争、日露戦争ともに、朝鮮半島を支配しようとした、帝国主義的な意図は、この作品から巧妙に隠されていた。日露戦争にしても、「ここで勝たなければ、どの国も金を貸してくれない」と叫ぶ。幸徳秋水の様な人間はもちろん出て来ない。坂本龍馬や自由民権運動の目標はこんな「近代国家」だったのだろうか。死屍累々たる旅順の丘をみながら、そんなこんなを思った。
2011年12月04日
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11月8日、児島文化センターで市民文化祭特別企画「活弁シネマライブ」というのを見ました。 無声映画を活弁で見よう、という企画です。活弁士は前座で郷土の活弁士むっちやんかっちゃという夫婦の岡山弁での活弁。トリにプロの活弁士・美人の佐々木亜希子さんがが85分の大作を演じてもらいました。最初の「子宝騒動」(昭和10年)は喜劇の神様と呼ばれた斉藤寅次朗の最高傑作。貧乏人の子沢山、失業中の亭主福田さんが生まれそうになっている女房のためにお産婆代を稼ぐために近所をあちこち、金満家の豚を追って大奮闘するという話です。昭和の下町の風景がとっても貴重。会場大爆笑でした。次は佐々木さんの「結婚哲学」。なんと1924年米国作品。大正13年度キネマ旬報ベストテン芸術的優秀映画の第二位の作品です。監督はエルンスト・ルビッチ。こちらは淀川長治さんが「映画の神様」と呼んだ人らしい。見事な艶笑コメディでした。二組の夫婦と一人の独身男が引き起こす恋愛騒動です。かたや親友のだんな様にフォーリンラブ、かたや同僚の親友に横恋慕、奇妙な五角関係、結末やいかに……。この映画ができて12年後の日本映画を見たから余計にそう感じるのかもしれませんが、米国の映画水準はやはりすごい。俳優の決死の「動き」だけで話を作らざるを得なかった昭和初期とは違い、コメディではあるが、「気持ちのすれ違い」が笑いを生むのであって、それを演じる俳優たちは眼の演技だけでそれを説得力を持って表現するのです。見事な心理描写。淀川長治さんが絶賛するはずです。そして佐々木弁士は五人の声音を見事に使い分け、トーキーと全く変わらない、いや、監督の意図を超えてそれ以上の台詞回しになっており、すばらしいものでした。また、特筆すべきはエレクトーン(?)演奏が着いているのですが、もうこの映画ぴったりの曲を編曲或いは「作曲」してその場面に合わせて演奏してくれていたのです。野原直子さんという地元の方なんですが、びっくりです。いまや、活弁上映は、総合舞台芸術と言っていいと思います。そして、佐々木弁士は美人でした。
2011年11月18日
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朝の連続テレビ小説「おひさま」が終わり、「カーネーション」が始まっている。二年ほど前から、この番組を録画してみるようになり、習慣でだらだらと見ているのだが、この番組が戦後のテレビの歴史を通じてずっと続いているのは故ないことではないことがわかる。はまる、のである。「おひさま」はなんと最終回のときに録画の容量が一杯になっていて、見逃してしまった。しかし、この作品、かの「ゲゲゲの女房」を抜いて平均視聴率が20%を超えたらしい。特別な事件が起きるわけではない、普通の女性の戦中戦後の家庭を描いた話なのであるが、ちょうど東日本大震災のときから始まり、大切な家族や友人に襲う戦争という名の、庶民にとっては天災みたいな試練のときに、その身を案じ、嬉しい再会があり、身を切るような別れがあり、誕生があり、火事によってあっけなく家を失うということもあり、そしてそれでも、お互い思いやりや助け合いを持って「生きていく」ということがあり、ホントに偶然にも震災後の庶民の生活とピタリと重なる展開になった。曲者俳優の満島ひかりや高良健吾、あるいは田中圭、伊藤歩などが自らの毒を封印して「善良なる人物」を演じているのは、(私だけかもしれないが)見ごたえがあった。最後は黒柳徹子が出たらしいのだが、全く持って残念だ。あの三人組は最後まで生き残っているのは明らかだったが、夫のほうはどうだったのだろう。早死にだったら、あまりにもかわいそうだ。さて、新しい作品の「カーネーション」であるが、デザイナーの仕事自体にはあまり興味のない私だが、注目していることは二つ。主演女優が尾野真千子だということ。彼女はカンヌ新人監督賞を受賞した「萌の朱雀」(97)で、ふつうの女子中学生を演じながら、ふとしたところに存在感を見せて忘れられない女優だった。ところが、その十年後に同監督の「殯の森」(カンヌ審査委員特別大賞)(07)では、子供を亡くした女として突然現れた。目覚しい成長を遂げた女優なのである。その演技の幅は全く違う役の「クライマーズハイ」(08)で新人記者を見事に演じたことで決定的だった。ちらっと、予告編を見る限りでは、今回の役も全く違う性格になっている。もうひとつの注目は、脚本が渡辺あやだということ。彼女はずっと映画畑だった。私は映画の脚本しか知らない。しかもその映画というのが、「ジョゼと虎と魚たち」(キネマ旬報第四位)「メゾン・ド・ヒミコ」「天然コケッコー」(キネマ旬報第二位)「ノーボーイズ・ノークライ」「その街のこども」等々力作、傑作ばかりなのである。脚本が彼女だということだけで、私はその映画を見ることにしている。その彼女が何をとち狂ったか、120回以上続くテレビの脚本を書くという。大丈夫か、という気持ちと、楽しみだ、という気持ち半々で見て行きたいと思う。今のところ、上手いこと次回に興味を繋げているなと思う。息切れしなければいいのだが……。もうひとつ注目していることを挙げれば、ロケ地として倉敷美観地区と高梁市を採用しているということ。白壁と柳のある川が出てきたら美観地区と思ってよい。少し古い町並みは高梁なのだろう。朝方の撮影だったのだろうか。尾野真千子来るかな。
2011年10月07日
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ずいぶん前の話ですが、纐纈(はなぶさ)あや監督の『祝(ほうり)の島』というドキュメンタリーと監督のトークの企画があったので見てきました。「ミツバチの羽音と地球の回転」と同時期に撮影されている祝島の人々のドキュメンタリーであるが、『ミツバチ……』のほうはスェーデンの自然エネルギーの取り組みも取材しているので、こちらのほうが祝島の『生活』ははるかに濃い。上映の後に監督挨拶にしては20分と長い映画『解説』があったので、それを紹介することが、すなわちこの映画の紹介になるだろう。なぜこの映画を撮ったのか、というとキッカケは八年前の祝島で私もプロデューサーとして係わった「アレクセイと泉」上映会からでした。私はガチガチになって祝島に行った。20数年間原発反対運動をしている島民の人たちの前でいったい何が話せるというのか。でも船から下りて出遭ったのは、あの島の人々です。あのおばちゃんたちです。この日は月曜日で、あの定例デモが終って上映会に入ったのですが、面食らいました。所謂原発反対の抗議行動とは別の姿があった。日常の暮らしから来る思いーそれらを撮りたいと、そのとき思ったのです。五年後、中電との小競り合いの映像をテレビで見た。そこには、日常には無い闘いの姿でした。なにかの問題が起きたとき、当事者以外の人はテレビでの激しい姿しか眼につかない。上関原発のことも、まずは島の人々がどんな暮らしをしてきたか、その順番で知っていかないといけないと感じたのです。ただ、撮影に入る前に『日常を映していくには時間がかかる』ということだけは覚悟していました。空き家を借りて自炊生活をしながら二年間島に通いました。この映画のパンフに『頂き物日記』というのがあるのですが、毎日頂き物をしました。撮影スタッフ女性3人、本当に助けられながら撮影をしました。普通島に行けば、『自分が何が出来るか』自問すると思うのだけど、私たち自身が元気をもらって帰ってきました。特に伊東のおばちゃんの家、あそこは平さんたち四人が365日集うのだけど、NHKの介護サービスのニュースをしていたときに『私らは毎日デイサービスじゃ』と笑うんですね。平さんが『祝島には入院施設が無い。生活できなくなると島を出ないといけない。わしらは島から出たら死んでしまう』というんですね。みんなの願いはひとつです。最後を祝島で迎えたい、ということ。本来人間も植物のようなもので、根を張ったところから引き離されると死んでしまうのではないでしょうか。3.11以降、島の人のこと思うことが多くなりました。フクシマのことと同じで、そこから引き離されることの苦しみはいかばかりかと思うのです。震災後私は怖くてしばらく部屋を出ることが出来なかった。私は30代独身です。結婚して自分の子供を産みたいというささやかな夢を持っています。そのとき、ベルラーシーの危険地域から出ないおじいさんの言葉を思い出したのです。「どうしてでないといけないのか。人間の汚した土地だろ。どこへ逃げるというのか」初めてそのとき、自分の言葉として分かった気がしました。自分の子を残すよりも、これからの子のために自分の命を惜しまずに使うことが出来るのではないか。原発は先ず命の問題として捉えたい。私も質問しました。「実は震災直後、偶然祝島を旅しました。みんな本当に素朴な人たちで、ぜひとも皆さんも祝島に行ってほしいと思います。平さんの棚田にも行きました。平さんの一年がわかってよかったです。この撮影の後、亡くなった方はおられるのですか。それと自然エネルギー100%自前で完結しようというプロジェクトがあるそうですが、具体的に教えてください』「亡くなった方はおられません。でもちょっと前まで530人居た島民が今は500人を切っていると思います。でもいいこともあります。このとき、三人だった小学生ですが、いまは5人と中学生1人になっています。それからプロジェクトですが、これから詰めていく段階で、具体的にはなっていません。」他の人も質問しました。「推進派の人はいたのですか」「なぜ、推進派の人を撮らないのか。私は推進派、反対派と捉えたくない。それよりも島の人が大切。島の人たちは推進派との対立で心に傷があります。」平さんの棚田にこの春に行った時、ホントにこんな広い土地で米なんか作っているのだろうか、と思ったものだ。米は大変だから豆とかを作っているのではないかと思ったのだ。しかし、ホントに米を作っていた。しかも、記事の中にあるこの棚田を作った亀次郎さんの句碑はなんと2-3年前に孫の平さんが「おじいさんは文字が読めなかった。だから何も書き残していない。せめて句碑を残すことで生きた証を残したい」と手彫りで一年がかりで彫ったのだ。びっくりした。本当に何から何まで手作りなのだ。しかも老人が一人で。「今日もまたつもりし雪をかきわけて子孫のためにほるぞうれしき」。監督は意外にも大林素子を若くしたような美人な若い女性でした。「ミツバチ……」の監督のような闘士ではなく、素朴な志を持った正統なドキュメンタリー作家でした。私は実直なこの映像に感心しました。ちょっとひつこい処はあるので、切れ味の鋭い作品にはなっていません。けど、大晦日の伊東のオバサンのうちの紅白を見るみんなの姿勢がちょっと前のうちの「家族」のようで。もう失われている家族のようで、だからこそ愛おしくて堪らないと思ったのです。
2011年08月16日
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韓国旅行記を今日だけ止めて昨日岡山で初日を迎えたひとつのドキュメンタリーの監督を迎えてのトークを記録したいと思います。「PEACE ピース」上映の後、監督トークがあったのでそのメモを元に再現してみます。あくまでも私のメモを元にしているので、ニュアンスは違っているし、もし間違いがあれば訂正ください。地元岡山ということで、なんと出演者の監督の義理の父母、柏木夫妻と済生会病院の石原医師そして(初めて見ました)美しい奥様も会場に来られていて、しかも義父の柏木さんは壇上に上がられて質疑に応えてくれました。結果的には柏木のお母さんも石原医師も会場から答えてくれました。映画上映の前に監督から一言だけ挨拶があり、「映画が終ったら見慣れた風景が変わって見えたならば嬉しいです」とありました。本当にこれからは(橋本さんの住まわれていた)運動公園前の風景が今までとは変わって見えるようになると思います。上映後に質疑応答がありました。映画あらすじ(goo映画より)岡山に住む柏木寿夫は、養護学校を定年退職した後、障害者や高齢者を乗せる福祉車両の運転手をしている。老人と散歩したり、買い物に付き合ったり、一緒に食事したり…。その傍ら、自宅の庭で野良猫たちに餌をやり続けている。ところが最近、外部の“泥棒猫”の侵入で、猫の間に緊張が高まっている。寿夫の妻・廣子はヘルパーを派遣するNPOを運営している。彼女は週に一度、91歳の独居老人、橋本さんの生活支援に出かけていく。監督・製作・撮影・編集 想田和弘 監督「(この映画を撮った動機は)最初韓国のパジュ(国境沿いの町)でドキュメンタリー映画祭で「平和と共存」をテーマに映画を撮ってくれという要請があって、始めは躊躇した。私はテーマありきでは撮らない。予定調和になってしまう。ところがたまたま実家に帰ったら、お父さんが野良猫に餌をやっていて、猫と人間の交流ならば撮れるのではないかと思った。泥棒猫と言われているあの猫がぱっと餌をとってばっと逃げるところを偶然撮れてしまった。出来るのではないかと思った。」監督「フィルムは32h回しています。今回は一番短くて14日間の撮影でした。」監督「(字幕のあり方を聞かれて)今回は岡山弁字幕版、字幕なし版、英語版の三つのバージョンがある。今回三人で字幕をつけた。妻がずっと手話をやっているという背景もある。聴覚障害者は(字幕の付く)洋画しか見ないと聞いていた。」監督「(平和や社会の見かたについて聞かれて)私のは「問い」についての映画だと思っている。あくまでも私の解釈だけれども、福祉と戦争は真逆だと思っている。福祉は一人ひとりの事情に合わせるでしょ。足の悪い人がいたならば送り迎えをする。一方戦争は橋本さんの一銭五厘の話じゃないけどどんな事情があろうが召集令状が来たならば戦争に行かないといけない。僕は福祉の精神が行き渡ったならば戦争はなくなると思います。」監督「(核について聞かれて)原発はずっと止めてほしいと思っていました。ぼくは今回の事故は台本主義の破綻だと思っている。「原発は安全だ」という台本が一人歩きしていて、でも現実はそれを聞いてはくれない。改めて台本主義のドキュメンタリーはダメだと思う。」お父さん(柏木寿夫)「(出演してみて)全体を通して何の緊張もなく、おっカメラ撮りょんかい、というくらいだった。素のままでやっているままだった。普段の自分が映っている」実際、ホントに映画のまま自然体の柏木さんでした。奥さんも壇上に上がってほしい、と監督から要請があったのですが、それは最後まで断っているところが奥さんらしいと思いました。監督「(今回の作品について)気に入らないところはない。今回はするすると出来てしまった。ドキュメンタリーの神様が降りてきたみたい。母が福祉の制度を批判しているときに鳩山さんの演説がラジオから流れていたのもそう。橋本さんが戦争体験の話をするのもそう。あれは事前の打ち合わせは一切やっていないから、あの空気が撮れたのだと思っている」監督「(取材者との関係性について聞かれて)選挙のときは自分の存在を消そうと思っていた。今は自分が映ってもいいや、と思っている」済生会病院の石原医師「最初お話が来たとき、(テレビに何回か出た経験から)変な扱いになるのを心配したけど、今回作品を見て台本主義じゃないことが良く分かった。今回は普段のままが出ていた。私は方言を出して診療するスタイルなんだけどそのままだった。橋本さんの普段の生活は知らなかったけど、見れてよかった。」私も質問してみました。「橋本さんがなくなられたのが最後にあって、ショックでした。彼の最後は撮影から何ヵ月後で、葬式はどのようだったのですか。それと、黒猫のその後の様子を知りたい。」監督からではなく、一番事情を知っている奥さんとお父さんが答えてくれました。奥さん(柏木廣子)「一ヵ月半後になくられました。普通生保(生活保護受給者?)の葬式は1-2人の参列なので、そのイメージで行ったら、若い人がたくさん来られていてびっくりした。福祉関係だけでなく、何らかの付き合いのある人。30人くらいだった。ギターの演奏もあって心のこもった葬式でした。」末期肺ガンにかかりながら愛用の「ピース」のタバコを離すことができない91歳の橋本さんの様子は、なんか私の父の最後にも似て心に撃つものがありました。彼の最期が淋しいものでなくて、本当によかったです。お父さん(柏木寿夫)「ハートのシロは実はこの二月に亡くなりました。この二年間2-3日に一度の点滴をうっていたのだけど、ついに‥‥‥。クロは、撮影は二年前の11月でしたが、あれからすこしづつみんなの中に入っていった。最初は泥棒猫特有の眼の輝きを持っていたけど、今は優しい眼になっています。」絶対平和を声高に叫ぶものではないけれども、監督の言うように「戦争と福祉は真逆である」ということを雄弁に語るドキュメンタリーであったと思います。これこそ、「平和と共存」ですね。映画は「テーマありきの映画ではない」けれども「ある程度の予感を持って、撮っていって、いろんな対象映像の中から自分の主張を出す見事な編集をした」「ドキュメンタリーの王道」を行った作品だと思います。監督の「監察映画」という言い方に付いては、私は当初「選挙」に付いて書いた折にコメント欄で監督から反論をもらっており、主張の訂正をしています。今回はその「観察映画」の一番善いところが出た作品なのではないかと思います。地元の試写会でしか味わえない、豪華なゲストを迎えて貴重なお話を聞けた有意義な時間でした。
2011年07月24日
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「踊る大捜査線」は日本映画の何を変えたのかこのテーマについては、既に一回記事に書いた。去年の夏、日本映画専門チャンネルがインタビュー特集を編集したものを見てメモしたものに私の感想を付け加えた。この本は、まさにそのインタビューを新書に起こしたもので、私のメモより正確にかつ、当たり前のことだけど詳しくなっている。それならば、もうこれ以上付け加えることは無いのではないか?そうかもしれない。しかし、この本は、一点のみあの番組より大きな変更があるのである。それは最終章のこの作品のプロデューサー亀山千広のインタビューである。なんと、彼はそれまでの9人のインタビューを全部見た上で、彼らに反論、付言をしているのである。反則といえば、反則。ただ、この亀山インタビューを見れば、この本のいいたいことは総て見えるという仕組みになっている。そして図らずも、彼が反論しなかった点こそ、「踊る」の最大の弱点なのではないか、と私は思うのだ。まず、彼の反論を見ていこう。テレビのレギュラーのときから「犯人のバックグラウンドを描かない」という方針をとっています。そのことが日本映画をだめにしていったのではないかという、荒井晴彦さんなどの厳しい意見もあります。(略)参考にしたのは「ER」など、当時復活しつつあったアメリカのテレビドラマです。これはモジュラー型と言って、主な出演者全員に光を当てる群像ドラマです。ですから「ER」は緊急救命室を舞台にしていますが、患者のドラマは描いていません。(略)この現実をありのままに描くのが現代のドラマだと僕たちは思いました。だからテレビドラマではひとつの犯罪を描くことはしないと判断したのです。あえて言わせてもらうと、必ずヒーローが勝って、その瞬間世界が平和になる、というようなことを一切描かなかったのが、うけた理由のひとつかもしれません。映画館に入ったときと出たときとでは、何も世の中変わっていないけれど、主人公に同化して痛かった、よかった、笑った、泣いたという経験が出来ればいい。今までの日本映画も、かなりの作品がそうだったのではないでしょうか。例えば山田洋次監督の「男はつらいよ」などは、マンネリといわれながらも、お客さんは毎年正月になると映画館に足を運んだ。テレビで放送することが前提だから、セックスも暴力もない映画が増えて、健全でつまらなくなってしまった。これも荒井晴彦さんの指摘ですが、こういう意見もこれまでにも当然聞こえています。(略)映画化したからと言っていきなり残虐になるとか、いきなりセクシーになるというのはひとつの手としてはあるかもしれませんが不自然です。亀山さんは、荒井さんの批判かには雄弁に「反論」しているのですが、白木緑さんの意見に対してはトタンに歯切れが悪くなります。テレビ局がかつてない興行成績を稼ぐヒット作を出しても、映画界全体の興行収入は横ばい。なぜならば、それは観客を増やしているのではなくパイの奪い合いをしているだけだからだ。白木緑さんはそう指摘しています。それはその通りだと思います。でもぼくらは少しずつパイを広げていくことをめざしているつもりです。(略)もし「何もすることねえな。映画でも見るか」という人が映画を見に行って「意外とおもしれえじゃん、これ」という体験をさせることが出来たら、「今度休みにすることがなかったら映画にいこう」と思うようになるかもしれない。だとしたら、映画界の未来は明るい。実は、白木さんは「パイの奪い」を一番に問題にしたわけではありません。「観客を増やしていない」それはつまり、「踊る」は結局「映画ファンを増やさなかった」ということを問題にしているわけです。確かに、「意外とおもしれえじやん」と思った人はいるかもしれない。けれどもデータ的には違うということも一方で出てきているわけです。白木さんは「踊る」だけの責任ではない、と何回言及しています。映画ファンを増やす取り組みは映画界全体でしなくてはいけないことではあります。けれども、パイの奪い合いの結果、「二時間で人生を変える」映画を見損なって潜在映画ファンを喪った可能性はどうなるのでしょう。白木緑さんは別のところでこういうことも言っています。テレビ界は偶々「映画」というコンテンツを作っているだけだ。「だからもし次ぎに映画館よりももっと魅力のある、お客さんが喜んでくれる場所が見つかったらどうなるか。それはおそらくネット空間だと思いますが、そこへコンテンツは移動していってしまうでしょう」亀山さん自身の意思とは別にそういうことは起きるかもしれない。そういう批判に対しては、亀山さんは沈黙しています。もちろん「踊る」だけの責任ではない。けれども、「踊る」が育てたテレビ主導の「邦画バブル」はもうあまり続かないでしょう。「踊る」と同じ手法で作った今年の「sp」の無残な内容、小ヒットで終った結果などを見ているとそう思うのです。「噛めば噛むほど味が出る」そういう映画に出会うこと、それを広めること、それはもしかしたら、私たちブロガーの仕事なのかもしれません。
2011年07月09日
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「戦没画学生慰霊美術館 無言館 」台風の一番近づいたとき、ひとつのドキュメンタリーの映画会と講演会に行ってきました。思えば、この映画の実行委員会立ち上げのための試写会があったのが3月11日でした。私は六時からの上映ということでいちおう会場まで行ったのですが、「ここで映画を見て帰りが10時過ぎるようなことになると一生後悔する」となぜか思い込んで、試写会を見ずに帰ったのでした。だから今日は純粋お客さんとして参加です。で、今日は台風。この映画には何かがあるのかもしれない。最後の方で館主の窪島誠一郎さんは言います。「反戦ということが強調されがちだけど、私は愛の美術館だと思う。演劇や小説は憎しみがあっても描けるのです。社会に対する批判だけでも描ける。絵の場合は描けません。人や風景を愛さないと描けないのです。」若者に見せたい、と特に窪島さんは言います。二十歳そこそこで描いていった彼等と今の若者とコンタクトするものがある、と言うのです。もっとひとつのひとつの絵の背景に迫ったドキュメンタリーだと思っていたが違った。窪島さんの無言間建設への想い、収集の苦労、無言忌のつどい、そして冒頭と最後に出てくる芸術大学の学生群像や中学生などの若者たち。それらのメッセージを伝えたかったのだろう。製作 柳沢実脚本・監督 宮木辰夫監修 窪島誠一郎企画・製作 新映株式会社ドキュメンタリとして評するならば、冗長なフィルムが多く、ETV特集をそのまま映したとしても違和感がなかった。厳しいようだが、映画作品としては評価できない。おそらく、無言館を維持するための運動のひとつとして、作られた作品なのではないか。このあとに窪島誠一郎さんの講演会がありました。実はこれを聴きたくて、今日は台風を衝いて来た様なものです。初めて見る窪島さんはノーネクタイの黒いシャツの背広姿で現れ、白髪の髪はぼさぼさで一時の小澤征二に似ている。肩幅が広く、酒飲みだそうで、時々入れる冗談が良く効いていて、原稿も読まずに延々としゃべる。しかし、その言葉は文学的であり、私には根っからの芸術家のように思えた。以下講演の要旨である。今回の映画化には私は大反対だった。謙遜でもなんでもなく、後ろめたさ、私がこんなことをやってていいのだろうか、という気持ちからである。無言館をなぜ作ったか、ということを今日はお話したい。戦没画学生のことを知ったのは、30年前NHK出版が出した「祈りの画集」という本を読んだときです。そのとき、絵には感動しなかった。ただしその収集をNHKスタッフと共に行った画壇の野辺山画伯は非常につらい旅をしたのだと思った。当時は遺族がほとんど生きていた。野辺山さんは満州から病気で帰って生き延びた。他の学友は全員死ぬわけです。野辺山さんは後に書いている。満州から帰る時、学友たちが見送りに来ていて言ったのだそうです。「生きて帰ったら、思う存分絵が描けるな」満州の窓の灯りが学友たちの命の灯りに見えたそうです。17年前に村山塊太の塊太忌のときにゲストに野辺山さんに来てもらいました。そのとき夜中の三時ごろまでお話を聞きました。「まだまだ行けなかった処が多いのも心残りであるが、あの頃でさえ絵は相当ボロボロだった。今はどうなっているのか、気が気がでない」という。このときはストレートに野辺山さんの話が心に落ちた。一ヵ月後、私は東京の画伯のところに車で行きます。「今すぐ車に乗ってください。絵の収集に行きましよう」このときほど野辺山さんが怖い顔をしたことはなかった。「何を言うんだ。これはものすごい大変なことなんだぞ。あなたにその責任が持てるのか。第一きみは戦争体験はないじやないか。売名行為か?」その後、私の執念で四ヵ月後に一緒に収集に行きました。いまでもあのときの本当の気持ちはなんだったのか、説明できない。ただ、言えることはある。正直、野辺山さんの学友のことはどうでもよかった。私があの晩野辺山さんの話を聞きながらしきりに思っていたのは、私の養父母のことです。私は昭和16年生まれです。養父母は靴職人で、戦中戦後今から思うとものすごく苦労をしていたし、私を飢えさせまいといろんな手を尽くしてくれていました(感動的な話は総て割愛)。母の口癖は「戦争さえなければ私を大学に行かせてやれるのに」ということでした。私はその言葉が嫌でいやでたまらなかった。この頃私に身についたことは、世の中の九割まではカネだ、ということです。何もかもカネのものさしでしか測れなかった。でも、今になって養父母の苦労を素直に聞けなかった自分が寂しくなったのです。(このあたり、私が推測するに、絵は当時の感覚をそのまま再現します。そしてどれだけ人を愛したかを再現する。カネのものさしではなく、絵を集めることで自分の養父母の愛を確かめたかったのではないかと思う)私たちに与えられた命は、他者へ感動のネックレスを伝えるためにあるのではないか。
2011年05月29日
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「春との旅」昨年のマイ邦画ベスト2の作品。北海道から東北をめぐってまた北海道に帰るロードムービーである。しかし「サーカスな日々」さんからTBをもらって気がついた。急いでDVDを借りに行った。津波に流される前の気仙沼が映っていた。震災前の仙台も映っていた。小学校しか出ていない忠男は、おそらく周りに色々と迷惑もかけただろう漁一筋で生きてきた男である。女房にはとっくの昔に死なれ、娘は五年前に自殺した。二十歳の孫娘の仕事場が無くなり、足の悪い彼は兄弟に養ってもらおうと気仙沼、鳴子温泉、仙台を旅する。心配になった孫娘の春が着いていく。 忠男が故郷の気仙沼の港を歩きながら呟くシーンがある。「小さい頃津波に遭ってさあ、そこら辺りに家があったんだけど、流されたんだあ。借金して高台に家を建てたんだけど、金に困ってよお、16歳のときだったか、困窮する家族を助けるためにニシン漁に行ったんだ」彼のうしろには、今は流されてしまったに違いない漁船が並んでいた。田中裕子が経営する食堂は街の中に在った。あれは津波にやられたか、その後に続く大火災にやられたかしただろう。何度も大船渡線の鹿折唐桑駅が映った。気仙沼駅のすぐそばの駅である。ここももしかしたら火災にやられたかもしれない。私は去年の記事で「この映画の射程は長い。日本の老いを見つめようとするとき、何度でも顧みられるべき作品だと思う。」と書いた。しかし、それだけではなかった。今になって気がつく。この物語は、昭和の初期、津波という大災害に見舞われた家族が、我慢強くて無骨な東北の五人の兄弟たちが、それでも立ち上がり戦後を生きて行き、そして疲れて老いつつある景色を描いた作品だったのだ。長男の大滝秀治は、苦労して建てた父親の家を処分して資産家の家に養子に入る。息子の言いなりに老人ホームに入る予定。長女の淡島千景は鳴子温泉に嫁に行き、苦労して旅館を経営している。二男の仲代達矢は唯一漁師を継いだ。ニシン漁で借金を返したまでは良かったが、その漁が左前になると兄弟に大きな迷惑をかけた。三男の柄本明は仙台で不動産屋の娘と結婚して一時期商売を広げたが、バブル崩壊で左前になる。四男は人の良さで他人の罪をかぶって八年も刑務所暮らしをしている。長女の淡島千景は言う。「つらいから生きていけるんだ、と思うようにしたの。そう思うとすごく楽!悩んでいたの、なんだったんだって思うようになる。」思うに、東北人の生きる知恵だろう。希望はある。春という名前の希望が。
2011年04月06日
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脚本がひどすぎる。青春映画の王道を目指しているのはわかる。けれども、少々の話の飛躍は目をつぶってよ、登場人物たちがころっと感情が変わってもそれが青春なんだと理解してよ、というような描写が多すぎ。監督 大谷健太郎 出演 瀬戸康史 (溝呂木美糸) 桜庭ななみ (塚本芽衣) 桐谷美玲 (立花美姫) IMALU (秋川杏奈) 田中圭 (犬田悟) 桜庭ななみが本物の女優になっているかどうかを確かめるためだけに見た映画であった。別に喋らなくても、気持ちを伝える手段は会得したし、総ての場面で気を緩めないプロ根性は身についたようだ。しかし、脚本が悪い。単なる語り部に終わってしまって、彼女が何のためにこの映画に出ているのか分からなかった。主人公は間違いなく、ビートという天才デザイナーの卵である。しかし、あまりにも突発に才能を見せ、苦労も無くみんなに認められ、必然性も無く挫折し、説得力無くやる気を出す脚本なので、ほとんど魅力がない。これ以上書いても仕方ない。残念でした。
2011年04月03日
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一応見ておきました。「SP野望篇」で憂慮したことはほぼその通りになりました。一生懸命(でもないか)時間を作ってみたテレビスペシャル「SP革命前日」を別に見なくても、「野望編」を見なくても、十二分に筋は追うことが出来る内容でした。監督 波多野貴文 出演 岡田准一 (井上薫) 香川照之 (伊達國男) 真木よう子 (笹本絵里) 松尾諭 (山本隆文) 神尾佑 (石田光男) 堤真一(尾形) いま、国は未曾有の危機に直面しています。映画を見ている間中、こんなままごとをしている事態ではないだろ、と映画の責任ではないけれどもついつい思わざるを得ませんでした。こんな映画を見るくらいだったら、もう少し有意義な映画を探したほうがいいんとちゃう?全額1800円で野望篇、革命篇2本を見た私です。元気な人は映画館に行って、沢山本を買って、日本の経済を立て直さなくちゃいけません。もっといい映画を観ましょう。以下ネタバレ。見ていない人は読まないように。あまり内容に付いて言及する気分にはなれないけれども、いちおうこの映画をこき下ろす根拠を書いておかなければ、この映画ファンに対して失礼なので書きます。例えば「この腐りきった世の中を変えるために民衆を覚醒させるのだ」という以上、国民がそうせざるを得ない綿密な仕掛けがあるのかと思ったら、全国民がおそらくそうではないかと思っている国会議員の汚職の実態を国会を占拠して告白させるだけ。伊達の裏切りは、ものすごい仕掛けがあるのかと思ったら、単に尾形にたてついて英雄気取りをするだけ。マンガや小説で何度も何度も描かれた展開です。国民がそんなことで覚醒するはずもないし、伊達を英雄として祀るはずもありません。尾形の綿密な計画としてオリジナルなのは一点のみ。なぜ彼が「SP」となったかというのは、結局一つのアイディアがあったからだけだということがこの映画で明らかになりました。国会を占拠するためには、国会の周りで武器を使用できるのはSPしかないという事実。それならば、SPに「大義」を与えれば、国会占拠できるじゃん。これのみです。でもそれで「革命」が保証されることでは全然ありません。しかも、リーダー尾形の元もとの動機は私怨であることをわざわざ時間をとって首相に語らすという幼稚さ。まるで次があるかのような終わり方でしたが、尾形は明確に自らの死を意識していたので、あの革命計画はまさに「ごっこ」だったのです。それに対抗する井上の理屈も幼稚だというのは、前記事で書いた通り。
2011年03月31日
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「革命篇」の直前の週ですが、前売り券を買って見せると、500円で見せてくれるという宣伝の乗っかり、つい見てしまいました。合計二本を1800円で見ることができるので、お得と考えたわけです。監督 波多野貴文 出演 岡田准一 (井上薫) 真木よう子 (笹本絵里) 松尾諭 (山本隆文) 神尾佑 (石田光男) 野間口徹 (田中一郎) でも、「野望篇」はみごとに「革命篇」へむかう二時間近くかけた壮大な予告編という内容でした。今まで「SP」を一度も見たことが無い私のような人のためにそれとなく今までのあらすじを不親切な編集で紹介してくれて、なおかつ、二回見せ場があるのですが、革命とはほとんど関係ないアクションエピソードを長々と流すだけの作品でした。私は見た直後、ツィッターに「予想とおり、岡田君目当ての人と真木さんに殴って欲しい人がみるような映画だった。予告編が少し突っ込んで描かれています。亀山プロデューサー、これが邦画のあるべき姿なんですか?」と呟いた。すると、gohgtohさんから「亀山氏は、面白い映画ではなく面白そうな映画を作るのが仕事だ、と踊る3でのインタビューで語っています。そういう観点から、SPは充分アリじゃないでしょうか」というreplyが来てしまった。gohgtohさんが言われているインタビューとは、私が以前記事にしたこのインタビュー特集だと思われます。そこでフジテレビの亀山プロデューサーは大筋このように述べていました。「僕たちは別に映画界の真ん中にいたいと思ったことは一度もない。ぼくにしても、わくわくしてみてきた映画は時にはATGだったり、時にはハリウッドだったりした。芸術としての映画を邪魔する気持ちは無い。 テレビ局が参入してきたのは決して悪いことじゃないと思いたい。大事なのは「面白い」はあたりまえ。「面白そう」にするということだ。「面白そう」をどのように喚起するかにかかっている。僕たちはそれの腕を磨いている。」確かに、私のような者までこの映画を見たのだから、亀山プロデューサーの力量が凄いのだと思う。gohgtohさんの言うことも一理ある。しかし、本来は数十分で済ますことができそうな内容を長々と、しかも私は500円で見たから怒り心頭までは達しなかったけど、万が一1200円(深夜料金)、1300円(前売り)で見たならば、大いに怒っていた内容だと思う。ところが、この映画は30億の興行収入を突破したというのだから、本当に信じられない。亀山氏も「大事なのは「面白い」はあたりまえ」と言っている。しかし、亀山氏自身は「面白い物を作ったかどうか」では評価されないはずだ。亀山氏本人もその基準での自己評価をしているとはとうてい思えない。結局、興行収入という「数字」で評価されているし、しているのだ。それが、どれだけ邦画の未来に暗雲をもたらしているか、私は亀山氏に問いたい。……というようなことを思っていたら、なんと昨日「SP革命前日」というスペシャル番組があって、二時間の番組の中、なんと半分は「野望篇」を編集したものだった。あの野望篇がおそらく46分ぐらいに短くなっている。ちょっと稚拙な切り方もしているが、あの映画はこれくらい切ったぐらいで充分であることが図らずも証明されてしまった。さて、長い長い前振りでしたが、これからが本文です(^^;)井上(岡田准一)の上司尾形総一郎(堤真一)は、彼に革命の内容についてかなり突っ込んだことを言います。「大義のためだ。目的が正しければ、手段は正当化される」「武力を使ってですか?」と井上が尋ねてそれを否定しなかったから、そうするのでしょう。「この腐りきった世の中を変えるために民衆を覚醒するのだ」とも言います。あるいは革命仲間にメールで「日本国のために」という言葉を送ったりしています。具体的なことは一切分かりません。革命篇まで待て、ということなのか。あるいは革命篇になっても、具体性は無視されるのか。彼の言う「大義」とは何なのか。作家の金城一紀が原作と脚本をかねているのですが、いまのところ、かなり非現実的な内容です。革命篇では、どうやら国会を占拠するようだけども、そんなテロでどうして「民衆が覚醒する」のか。尾形の「革命」は見るまでもない、最初から失敗が運命付けられています。主人公に井上(岡田)を対置した時点でそれは明らか。それでは、その大義とやらに対置する井上の理屈はこんなものです。「手を触れることのできない大義に殉じるより、目の前にある温かなものに私の能力を使います」これはこれで、どうかなと思う。このような「感覚主義」では尾形の大義の理屈に対抗できない。例えば、身近な仲間や家族が大義に走れば、いつでも自ら大義に走るということになるのではないか。「野望篇」を見る限り、井上のこの理屈がこの映画の結論のような気がしてならない。先週日曜NHKスペシャル「日本はなぜ戦争に向かったのか」を見た。今回は新聞・ラジオの役割を論じていた。最初軍部に批判的だった新聞が1931年満州事変を境に大きく変わる。なんと新聞は最初から事変が関東軍の謀略だったこと知っていたというのだ。しかし、彼らは軍部の動きを応援する。それが「国益」だからである。きっかけは事変直前に起こった中国人による日本兵の虐殺事件だった。一つの刑事事件が、「論調」をころりと変えたのである。なぜか。「世論」が変わったからである。新聞たちメディアが世論を変え、メディア自身が世論に巻き込まれて、雪だるまみたいに止まらなくなる。井上の理屈では尾形の大義の理屈に対抗できない。もしも、「革命篇」が井上の理屈で終わったとすれば、笑止、としか言うしかない。いま、中東では「革命」と言っていいリアルな現実が進行している。リビアでは何千人も「大義」のために死んでいっているのかもしれない。中東では「独裁国家」という何十年にも渡る長い長い「不正義」があった。それが、だんだんとそれを放置すれば「国のため」にならないという段階まで来ていた。そういう条件が整って初めて、革命が始まったと私は理解しています。大義とは、正義と国益である。と、一応定義してみます。いまのところ、日本にもしそのようなものがあるとすれば、TPP反対とか、ぐらいしかないような気がする。もしかして、尾形はTPP反対(あるいは反米)の為に国会を占拠するのだろうか。その後独裁国家をつくって強引に反米独立国家でも作るというのだろうか。まさか。もしそうだとしても、やり方があまりにも幼稚だ。まあ、前売り券買ってしまったから、革命篇見に行きます。
2011年03月06日
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監督 山田火砂子出演 村上弘明 工藤夕貴 中条きよし 隆大介 笛木優子 石倉三郎 市川笑也 山田太郎製作 現代ぷろだくしょん"不良少年更生の父"と呼ばれた留岡幸助。感化院(現代の児童自立支援施設)教育の実践化、北海道家庭学校の創始者と知られている彼の生涯を描いた映画である。一般人の寄付で作った独立プロの作品は、時として非常に忘れがたい作品を作る。語るべき主張がハッキリしていて、なおかつ採算を求めるために変に観客に媚びるようなことがないからである。また、財界のタブーからフリーで作ることも可能である。一方、資金不足から十分に準備して製作に当たることができない。役者も経験不足の役者が出てくることがままある。この作品は、終わりに自治体やいろんな会社からの「後援」を受けていた。また内容から、キリスト教関係のたぶん熱心な支援を受けたのだろうと推測できる。そのせいなのか、豪華な配役ではないが、基本的に重要な役は総てプロの役者が演じていた。時代考証やロケ地もひどいことはなかったと思う。しかし、褒められた映画ではなかった。言いたいことは良く分かるし、その主張には賛成する。高梁の牧師から北海道監獄の教誨師になった幸助は、犯罪の原因の大部分は10代の家庭環境に問題があると気がつき、家庭学校を作るのである。二時間の中に、生涯のエピソードのほとんどをつぎ込み、関係人物を紹介しつくしていた。よって、映画の台詞がすべて「説明調」になっていた。脚本が面白くないためか、役者たちの存在感が浮き上がってこない。みんな説明調に台詞をしゃべってしまい、まったく面白くなかった。倉敷ムービックスにしては、珍しくたくさんの人が来ていた。高梁から来たのだろうか。平均年齢はかなり高い。久し振りの映画鑑賞だろうに、もっと質のいい作品を見させてあげたかった。
2011年03月01日
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企画・監督・撮影 豪田トモナレーション つるの剛士両親の不仲や虐待の経験から親になることを戸惑う若い夫婦、出産予定日にわが子を失った夫婦、子供を望んだものの9年の不妊治療の後授からない人生を受け入れた女性、完治しない余命一年以内という子供を産むことを決意し育てている夫婦、「生む」ことにまつわるドキュメンタリー。最近では珍しくナレーションの説明つき、説明的なアニメも付く、途中三曲も説明的な監督作詞の歌も付く。それが決してドキュメンタリーとして悪いわけではない。判りやすく作ろうとしたり、変化をつけるということでは、ありうる選択ではある。しかし、産むということはどういうことなのか言うことを辿った真面目なドキュメンタリーなので、衝撃的な映像があるわけではない。おそらく監督の意向に沿った人々が出てきているのだろうな、と思われるので、作る前からこのように作ろうという構成が既に出来上がった映画のように思える。三歳児には「生まれる前や生まれたときの記憶がある」ということで冒頭何人かの児童にその「証言」をさせている。ずーと、それで一貫して主張されるのは、「子供はその親を択んで生まれてきたんだよ」というファンタジーなのである。死産をしてきたり、虐待を受けたり、生まれてこなかったり、そういう親にとって、それは大いなる癒しになるだろう。一方で理想的な出産準備も描かれるから、親の出産教育映画としてはピカイチの映画にはなっている。しかし、私には非常に意図的な映画のように思えた。
2011年02月24日
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監督 平山秀幸 出演 竹野内豊 (大場栄) ショーン・マッゴーワン (ハーマン・ルイス) 井上真央 (青野千恵子) 山田孝之 (木谷敏男) 中嶋朋子 (奥野春子) 意外だったことは二つ。冒頭から「これは事実に基づいた物語である」と日本語ではなく英語で表示され、それに日本語字幕が付く。これって洋画だったけ、と勘違いするほどにアメリカ兵を通してみた視点が貫かれている。もうひとつ、サイパン島でアメリカ軍を一年間半に渡って翻弄し続けた大場栄大尉を描いているのであるが、彼が村人とともに生きる決心をした後、アメリカ軍を翻弄した場面はたった一回しか描かれない。私はもっと多彩なゲリラ戦が出てくるのかと思った。だから、最後のほうでルイス大尉が「貴方はりっぱだった」と言い、大場大尉が「私は無心に戦っただけです。何もりっぱなことはしていない」と言ったときに、つい「そうだよなあ」と思ってしまったわけです。客観的に見れば、一年間半、200名の民間人と兵士を統率し、大掛かりな壊滅作戦を許さず、おそらく無数のゲリラ作戦が遂行されたはずなので、立派な大尉だったと思うし、沖縄戦での日本軍が作戦本部が壊滅したあと、民間人を壕から追い出したり、殺したり、守らなかったり、娼婦を囲ったり、自決させたりしたのと比べたら、こちらの大尉は素晴らしかったと思う。日本軍は皇道教育の成果によって「生きて虜囚の辱めを受けず」ということが徹底した。ルイス大尉はその精神構造を将棋のしくみで説明する。「日本の将棋は駒の向きだけで敵味方を峻別する。捕虜になれば、味方にならざるを得ない。天皇に忠誠を誓っている日本国民は、捕虜になること自体が、敵の味方になることなのだとみなされる。だから、捕虜になる前に自死するのである」。ずいぶんと回りくどい説明である。この映画は結局、このゆがんだ皇道教育を受けた人物が、それを曲げることなく、それでも自死せずに抵抗を続け、さらには投降するには、どのような「道」があったのかということを、回りくどく描いた話であって、非常に哲学的な話なのである。一般の戦争映画ではない。多くの観客はおそらく勘違いするだろうと思う。けっして大場大尉をヒーローとして描いているわけではないのである。傑作ではない。大場大尉のそのあたりの葛藤が、サラッと描かれすぎていて、伝わらないからである。ルイスとの二回の邂逅の場面でそのテーマをきちんと描かなければならなかった。結果的には、昔の兵隊さんの中には誇り高い人がいたんだなあ、という曖昧な戦争映画になってしまった。惜しい、と思う。
2011年02月23日
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原作は昭和48年から平成4年にかけての、いわば昭和後期を描ききった大河ドラマだった。もちろんひとつの質屋の店主殺人事件を巡る主人公二人の闇の19年を描くのが縦糸だったから、それが中心となるけれども、ドキドキしながら読んだのは私にとってはその横糸の部分、つまり昭和の歴史だった。今回の映画化に関しては、当然ながら私なりのイメージはある。そもそも小説読みは、その多くは頭の中で映画化しながら読んでいるようなものである。優れた小説ほどそうなる。監督 深川栄洋 出演 堀北真希 (唐沢雪穂) 高良健吾 (桐原亮司) 船越英一郎 (笹垣潤三) 戸田恵子 (桐原弥生子) 田中哲司 (松浦勇) 私的に映画鑑賞でのポイントは三つ。どれだけ昭和の風俗を描ききるか。電話ボックスの変遷など、確かに幾つかのポイントは抑えてはいるが、この映画はなぜか物語の初めを昭和55年に移している。昭和そのものを描くのを避けたような気がしてならない。背景はたんに矛盾さえなければいいというふうになっている。昭和の風俗の美術に少しも緊張感がなかった。何のための映画なのか。これならば、テレビドラマと一緒ではないか。ポイント二つ目。主人公二人の内面描写が一切ないのが原作の魅力なのであるが、映画にした場合は雪穂の犠牲になっていく脇役の俳優も客観描写になってしまう。だからなのだろう、脇役は心情吐露の場面が必ずあった。しかし亮司と栗田麗の絡みはもっときちんと描くべきだった。あそこが、亮司にとって人間になれるかどうかの分岐点だったはずだ。残念ながら、その分岐点を描けていない。ポイント三つ目。笹垣刑事の役割は重要である。二人を一番理解しようとしたのは笹垣刑事だからである。刑事が雪穂を理解できなかったのはわかる。そもそも理解できるようには作られていない。しかし、笹垣刑事は亮司は理解しようとした。あの「映像」ではとうてい亮司を理解できたとは思えない。刑事は原作にはない言葉「私にお前の面倒を見させてくれないか」をあの重要な場面で亮司にかける。私には「嘘も方便」だとしか聞こえなかった。亮司があのような行動をするのも当然である。刑事の視線はわれわれの視線である。結局「白夜」の意味も、「太陽」の意味も、表層的なものしかわれわれに伝わってこない。残念ながらというか幸いにというか、この映画は98年で終わるために、続編「幻夜」に結びつくための最大の仕掛け(神戸の震災)が使えない。よって、この映画に続編はない。はずである。それはこの映画にとってはいいことのはずだ。堀北真希はがんばってはいた。出来たら濡れ場を演じてほしかった。そうしたら、目的のためには手段を選ばないのだということがもう少し強調されただろう。
2011年02月07日
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あらかじめ、どのようなキャラの人間がどのような状態になり、どのように終わっていく話かは知っている。それでも映画にするのは何のためなのか、たぶんそれだけ私か目に見たのだと思う。監督 東陽一 出演 浅野忠信 (塚原安行) 永作博美 (園田由紀) 市川実日子 (湊麻美) 利重剛 (三笠クリニック院長) 藤岡洋介 (園田宏) 俳優は素晴らしいと思う。浅野も永作も本人になりきっていて、違和感はない。ただ、話が淡々と行き過ぎる。私はもう少し鴨志田穣さんに思い入れがあったほうが良かったのだろうか。彼に関してはサイバラとの共著でインドの旅行記を文庫本で読んだぐらい。サイバラの絵の中の「変人」としての彼しかイメージがない。確かにこういうナイーブな面も、想像はできる。結局この映画はひとりのアルコール依存症の男の内面を描き、一種理想的な「家族」のサポートがあった経験を描いたものでしかないのだろうか。ともかくあまりにも淡々としすぎていて、時々出てくる彼の幻影がどこまで幻影なのか心配になったぐらいであった。具体的にいえば、映像が落ち着くまで、あのカレーが本当のカレーなのか、幻想のカレーなのか、見ている私のほうは不安でならなかった。
2011年02月04日
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癌で死ぬ人の映画は多いと思う。毎年、少なくともそれを中心としたお話だけで三つ以上はできているはずだ。国民の三分の一が癌で死ぬのだから、しかもそれぞれドラマがあるのだから、観る人にも需要があるし、作る側も作りやすいのだろう。監督 星護 出演 草なぎ剛 (牧村朔太郎) 竹内結子 (牧村節子) 谷原章介 吉瀬美智子 でも、癌で死ぬ人の映画で、闘病が五年近くの患者をじっくり見せる作品も少ない。最後は寝たきりになって、ほとんど会話はなくなるのであるが、それがそのまま小説家の小説に生きていて、あじわい深い話になっている。1778話めの「最終回」は本にはなっていないのだそうだが、映画には本文が全文(?)載っていて、これが一番感動的なエピソードになっていた。眉村卓って、こんな若い人だったけ、と思ってみていたら、本当は30代で妻が発病したのではなくて、60代前半らしい。子供もいたようだ。けれどもそれでは「絵」にならないということで、設定を少し変えたのだろう。子供がいないだけ純粋なストーリーになっていて、「癌もの」の映画としては佳作になったと思う。
2011年01月31日
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前回の劇場版も私の周りが絶賛するほどには感心しなかったのであるが、今回はさらにがっかりした。映像的なインパクトがほとんどないのである。監督 和泉聖治 出演 水谷豊 (杉下右京) 及川光博 (神戸尊) 小西真奈美 (朝比奈圭子) 小澤征悦 (八重樫哲也) 宇津井健 (金子文郎) 前回はマスコミの暗部に切り込んだところが映画化のいいところかな、と思ったが、今回は警察の内部に切り込んだというところなのであろう。ただ、「これはあくまでフィクションです」と最終タイトルに出すまでもなく、全部芝居がかっていて、リアル感がない。映画の大画面で見ると、右京さんも神戸さんも他の人たちも芝居が大掛かりに見えて、テレビで見たほうがいいんじゃないのと思う。正月特番の南果歩が主演をつとめた犯人役のほうがよっぽど良かった。コンパクトにまとめて緊張感もあって。監督はなんと同じです。以上、久し振りの愚痴でした。
2011年01月31日
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いちおうあらすじ。郊外の市営住宅に超してきた番上夫妻。失業中の夫に代わり、大きなお腹を抱えスナック勤めを続ける妻のあずさは、近所の山根家を訪れて驚愕する。そこには高校時代に自分を酷く傷つけた許し難い女・奈々瀬が、実の兄でもない英則を「お兄ちゃん」と呼び一つ屋根の下で暮らしているではないか。妙に男の気を引く奈々瀬を見る夫の視線に心穏やかでないあずさは、ある日、山根家で二段ベッドの真上の天井に覗き穴を発見する。監督 冨永昌敬 出演 浅野忠信 (山根英則) 美波 (緒川奈々瀬) 小池栄子 (番上あずさ) 山田孝之 (番上貴男) どうでもいいけど、番上夫婦とあやしげな奈々瀬と英則兄妹が住む市営住宅という名の長屋は、めちゃめちゃ既視感あるんですけど。水島工業地帯のすぐ近くに住んでいる私として見慣れた住宅です。確かにああいう住宅はいろんな事情を持つものが吹き溜まりのように流れてくるところだと思う。あ、私もあのような作りではないけれども、天井に鼠が運動会するような長屋に住んだことがあります。美波という役者を初めて見たが、非常に魅力的です。演劇畑にいたそうだが、少しトウの立った個性派美形女優としてこれからいろんな映画にチャレンジして欲しいと思います。作品としては、観客が五人しかいなかったのが、響いたのかもしれないが、観客の受けがいまいちでした。すべったのかもしれない。
2011年01月26日
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『……なんか、街が新しい……』監督 井上剛 出演 森山未來 (中田勇治) 佐藤江梨子 (大村美夏) 津田寛治 白木利周 中川光子 1月17日に観にいきました。なんか、見ておかなくちゃいけない作品のように思えて。神戸には何の義理もありません。確かに、岡山での未明の小さな長い揺れはまだ覚えているし、次第と被害が分かっていくその日一日のことは良く覚えている。仕事の「応援」で15日後の神戸には行ったし、その数年後には何回かに分けて神戸を歩いたりはした。けど、それで人生が変わったわけでもない。ただ、全然影響がなかったわけじゃないと思う。『それでも、行かな だめなんです』佐藤江梨子演じる美夏が呟くように、人はそれぞれの形で、神戸に何かを置いてきたのかもしれない。数年後に行ったときに、私も「街が新しくなっている……」とびっくりした覚えがある。中学生だった美夏が15年後にやってきて、呟くようにその新しさに違和感を覚えた。そのことを忘れていた。去年NHKがテレビ放送して、反響の大きさに再編集して劇場版にしたらしい。あのときの小学生が、中学生が、もうこんなになっている。そのことだけを確かめただけでも、映画という「体験」は意味があったのかもしれない。遠山未来も佐藤江梨子も実際に震災を体験したらしい。そのためだけではないだろうが、実に自然な演技だった。特に佐藤江梨子の演技は素晴らしかった。
2011年01月25日
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